今川義元 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 2
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1. 徳川家康 2

「服部忠次、今川屋形に見参 ! 」 「叛乱でござるぞ。方々、謀叛でござるぞ」 義元の胸板めがけて、サッと穂尖をくり出した。 「誰が : : : 誰がそのような不埓なことを」 「下郎 ! 」 「いや、叛乱ではない。野武士じゃ。乱破の襲撃じゃ」 と、義元は叫んで、二尺六寸の豪刀、宗三左文字を抜く そういうさけびが礫のように飛び交う間で、 服部小平太の槍は穂尖を払わ より早く穂尖を払った。が、 「敵 ! 敵の来襲・ : : ・」 そう叫ぶ者もあったが、その声は多くみなまでいいきられたまま少しく下にそれて、義元の肥った股に突き立った。 「おのれツ」義元は股の傷に屈せず、ふたたび太刀を横に ずに泥の中へ突き伏せられた。 はらった。 礼の者の進物と、早暁の勝利と、思いがけない雷雨と が、ことのほかに今川軍を酔わしていた。 中には具足を脱いでいた者もあり、武器を遠ざけていた 義元の豪刀が横に流れ、服部小平太忠次は、「あっ ! 」 者もあった。 義元も酔 0 ていた。用心ぶかいこの大将が、こうした場とさけんで泥の中〈尻もちついた。片膝を断たれ、斬られ 3 所〈馬をとどめる : : : そのことがすでにあり得ないことなた槍の柄をつかんだまま。義元はその時まだそれが織田勢 ~ 礼の者のささげて来た酒樽が、ひそかに彼の隆盛をとは気がっかなかった。 酒の上の刃傷沙汰ではなく、陣中の叛乱と思ったらし 壊滅させる衰運の酒であろうとは : いまの物音は ? 」 「何じゃ、 「下郎 ! 服部とか申したな。誰の手の者だ。憎いやっ と、義元はいった。 「祝酒もよい。が 、取乱しての刃傷沙汰などもってのほめ」 服部小平太のもとどりつかんで顔を見た上、次の一大刀 取静めよ」 いいざま床几を立とうとした時だった。濡れた陣幕を蹴で首はねようとして近づいた。 と、その時だった。 わけるようにして一騎の武者が近づいた。黒の胴丸に大身 「小平太助勢」 の槍をひっさげ、馬から飛びおりざま、

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郎に説き聞かせる口調で、しずかに自分の膝をなでた。 「両三日、尾張の出方を見た上で、事情によっては、すぐ に駿府へもどらねばなりません」 信長の投じた一石ー 次郎三郎はにらむように忠吉を見据えたままであった。 闌鶯の城 このあとでご酒下されがある筈だったし、闌鶯とまりの 弾む音とが、いかにものどかな感じであった。 義元は脇自 5 に、 ふとった体をかるくもたせ、都風の化粧 をほどこしを描いて蹴まりよりは多く諸将の表情を見比 べていた。彼の胸裏では、この由緒ある遊戯の場所が、い よいよ駿府ではなく、京に移される時節の到来が想われて いるのである。 父祖の代からの長い雌伏であった。 小田原の北条、甲斐の武田と、彼にとっては二重に結ん だ縁戚の同盟が、しかし今まではうかつには信じられなか っ」 0 すでに桜がほころびかけているのに、あちこちで鶯が鳴義元が京へ進発してゆくと、どちらかが必らず背後をつ きそうな憂いがあった。しかもその危険は北条氏康よりも きつづけた。早春の幼い声ではなくて、妍をきそう円転さ は、並みいる武将の耳へこころよく流れて来た。 武田晴信 ( 信玄 ) に多くあった。 晴信の姉をめとり、青信の父を駿府城に抑留してある義 駿府城本丸の庭であった。 今川義元の世子氏真が、京から駿府にやって来ている中元だったが、晴信の志が、自分と同じく京をめざしている のがよくわかり、いっか一度は戦わねばならぬ宿命が感じ 御門宣綱とともに蹴まりを興行し、それを諸将に見せてい る。義元自身も今日はめずらしく縁に幔幕をはりめぐらられた。ところが、その晴信が当分野心をおさえて動けな いことになった。 し、しとねを嗷かせて、この由緒ある都ぶりをながめてい っ ) 0 越後の上杉景虎 ( 謙信 ) との戦が、進みもならず退きも 陽射しはうららかだったし、富士はすっきりと白雪の頂出来ない長期戦になってしまったからであった。 ( 今た きを見せている。 261

3. 徳川家康 2

義元はそこで手をふって揉ませていた足を引っこめ、 「どうじゃ阿鶴は」と冗談ともまことともっかぬ表情でま た笑った。 「お許、竹千代が嫁にならぬか」 鶴姫は眼を丸くして首を振った。 「いわ、か」 「はい。鶴は十四でございます。八つの城なし児など : : : 」 「阿亀はどうじゃな ? 」 亀姫はつぶらな眼でじっと義元を見つめて、それから軽 いやいやをした。 信長が竹千代によせたわずかな愛情が、駿河での竹千代 に、ある ~ 見大さを加えよ、つとは思いもかけなかった。 「フッフッフツ、これまた三河者、ひどくみんなに嫌われ 関口刑部少輔親永は、わが屋嗷近くに建ててあった竹千 たものじゃ。冗談じゃ冗談じゃ。気にするな。だが親永」 代の仮寓へ、あわてて植木を入れ、石をはこばせ、居間に し」 めれえん 「お許に竹千代を預ける以上、しつけにはくれぐれも気をは濡縁のほかに入側を建て増させた。 りゅうたく つけてな」 こうした流謫にひとしい客人の扱いでは駿府の人々はな 関口刑部少輔親永は腑におちたような、落ちないようなれきっていた。というのは京を失脚した公卿たちが、今ま てに多く駿府へやって来て、今川氏の保護の下に余生を送 眼つきのままで、 っていたからだった。 「それはもう : なかみかどのぶたね と、小さく答えた。 そのころにも義元の母の妹、中御門宣胤の娘をはじめと れいぜいためかずうじよう さわずみ この親永の妻は、今川義元の妹にあたっている。したが して、三条西実澄、中御門宣綱、冷泉為和、坊城一門の遺 って鶴姫は義理の上からは義元の姪であった。 児などが、それぞれ仮寓して、和歌、蹴鞠、楊弓、聞香、 碁などを伝え、京につぐ文化の都を作りあけていた。 「どうじゃ。少の町の、竹千代が館のできは」 やかた ーし生第を ( 付つばか、りに・ 「まさか女性は近つけずとも、よいか、この義元と尾張の 待遇とでは比ぶべくもないことだけははっきり頭にしみ込 ませてな。何分まだ幼いのじゃ」 親永は何度か自分で自分にいいきかすようにうなす 「その儀ならば、よく、い得ておりまする」 7

4. 徳川家康 2

か ? それが呑み込めない様子であった。 てしりぞけられた。元康に実力あると見れば見るはど、義 「ようやく虎ロはのがれた。そろそろ参ろうか」 元にとって上洛の大望を達するまで、駿府へとどめておく 心得て植村新六郎が合図した。 必要のある人物だった。 前兵の酒井忠次が行進を起した。 無事に上洛出来たときには、織田信長は滅亡するか屈伏 月はだんだん光りを増して、くつきりとあたりへ明暗をするかに決定してゆく 描いてゆく。 義元の考えでは元康の岡崎帰還はその後の事務に属して 元康は母のまん前で月を仰いでつぶやいた。 いた。もし信長が屈服して、自分の京都進出が成功したあ 「まるで誂えたような月だの」 とならば、十分に信長の押えになるようにして帰してやれ 於大の方は、歯をくいしばってそれを見つめていたし、 ばよかったし、信長が小癪な反抗をするようならば、まず 利家はシーンと木陰へ凍りついたように立っていた。 楯代りに使わなければならなくなる。 永禄三年の二月になると、更に義元にとっては好都合の ことになった。 雲を呼ぶ者 川中島に対峙した上杉景虎と武田晴信の勝負はついに千 日手に入って、どちらも和睦は出来ず、さりとて、破りも 出来ない膠着状態に入っていった。 三月から義元はいよいよ中央進出の直接兵備にとりかか 永禄二年は、織田勢と今川勢と同じ線に釘づけられたま ま暮れていった。 冬から続々と買いこんであった糧食を、尾張、三河の国 初陣にひとしい戦で無事に大高城へ兵糧を運び入れた松境いまで被官の城にそれそれ運びこませて、 平元康を今川義元は褒めちぎった。 「ーー・。・各自、出来るだけの軍勢をあつめてこれを届出るよ 松平家の老臣本多広孝と、石川安芸がその機を逸せず、 元康の岡崎帰還を懇請していったが、それはしかし頑とし と、命じていった。 つつ ) 0 343

5. 徳川家康 2

「その時に、お許の正室は駿府にいるぞ。室があれば子も 次郎三郎は雪斎の的確に指摘してゆく一つ一つが、こと 出来よう。御所は、立派にお許のあとは立てさせるという ごとく自分の思考の霧をはらうのがふしぎであった。 ( この老人には自分の死後の世界がはっきり見えているのであろうが、いわばこれはお許にとって代った人質 : 妻子を人質にとられたままで斬死 : : : と迫られて、さて、 「さて : : : そう事を急がねばならなくなると、敵を蹴散らお許は何とするか ? 」 すに足るだけの大軍を擁して、ひた押しに押しきらねばな 五 らぬが : : : その第一陣はむろんお許じゃ」 次郎三郎はぐっと膝で拳を握った。彼はまた雪斎の亡く 次郎三郎は、自分自身の坐らせられている位置をはじめ なったあとの今川家を考えたことはなかった : てはっきりと見せつけられた気がした。 「よいかの元信どの : : : その時、もしお許やお許の家来今川義元の姪と結ばれ、今川家縁類の端につながること 、先陣はみな斬死せよと御所の下知が下ったら : : : 」 で松平家の安泰を計り得ると考えたのは、誤算ではなかっ 「さあ : : : 」 たにしても、決して利益とのみはいいきれなかった。 「お許はその場で何とする ? そのことを深く考えておか 雪斎のいうとおり、それはむしろ今川義元が、松平次郎 ねばならぬ」 三郎元信をわが薬籠中にとりこめる巧妙な政略にもなって いたのだ。 いっか窓の梅に小鳥が一羽来てとまった。頬白らしい。 「よいかの、お許の内室と子供とは駿府に人質になってい 無心な声でさえずりだすと、次郎三郎は息が出来なくなり そうだった。 る。そしてお許は斬死を命じられた : また呟くように念をおされて、次郎三郎はウームと下腹 「大丈夫というはの、いつも先の先の覚悟が大事じゃ。狼 狽してはおくれを取る。わしの見透しに、お許の考えと相部へ力を入れた。 「ここでご返事申上げねばなりませぬか」 違したところがあったらいうがよい。わしは必らずそうな 雪斎はそっと眼をひらいて、かすかに首を振って微笑し るものと田きフがど、フじゃ」 「】兀 2 も : : : 思いまする」 273

6. 徳川家康 2

いきなりうしろから義元の巨驅に組みついていった者が腰はくずれた。どっと地べたへ倒れた。倒れたはずみ ある。 に、敏捷な新助は、たくみにからんだ手を解いて義元の胸 「無礼者寄るなツ ! の上になっていた。 義元は体をふって怒号した。怒号しながら酔ったと思っ 「おのれ下郎が : た。股から流れる血のおびただしさもその故なら、大地の 義元ははね返そうとしてもがいた。が、まだ雷雨は霽れ 揺れる感覚もそれであった。 てはいない。まともに打ちかかる雨滴のために、義元はわ また紫電が頭上で十字の花を描いて消えた。 が身の上に馬乗りになっている武者の顔がよく見えなかっ 「うぬは誰の手の者だ」 といって、こんなところに自分の死の罠が用意されてあ 「毛利新助 ! 織田の家中だ」 ろうとは思いも寄らず、 「なに織田 : : : さてはここへまぎれこんで居ったな」 毛利新助秀高は、それに応えず、胴に巻いた右手をぎゅ 「誰ぞ。曲者を早く : ・・ : 」 はね汳一旱、、つとしながらもがいた っと力いつばいに締めていった。 脇楯のつぎ目か 義元の巨体はよろよろっとよろめいた。 「ええ見苦しいッ ! 」胸の上の武者は雨すだれの上で唇を ら、下腹へかけてジーンと熱鉄を突き込まれるような痛みゆがめてわめいた。 が背筋へ走ってゆく 「今川の屋形ともあろう大将が、素直に首を渡し候え」 「おのれ、抜いているな」 鎧通しを突き刺されたのに違いない 義元はその時はじめて相手がすでに脇差を抜いているの 「ウーム」 と、痛みをこらえてもう一度はげしく新助の体を横に振に気がついた。 学 / 諸ん ( ここで死ぬ : : : そんなバカなっ ) ~ しよいよ両手で胴をしめ 新助は離れる代りこ、、 っ ) 0 相手の刺そうとする脇差の下で、鎧の重みのもどかしさ にカーツとなった。そして、ロのそばにあった相手の拳 振られた新助はかろく空を浮いてゆくのに、振った義元 に、おはぐろつけた高貴な歯でがぶりと噛みついた。舌の は、わが身と新助の二重の重さでつるりとすべった。 392

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の急先鋒を命じられるご様子にござりまする」 なじ華陽院の子ではなかったか。 「えっ ? あの : : : 」 良人へのはばかりから、声をのんで久六をうかがうと、 於大の方は思わず身を乗り出して、そ 0 と深く首を垂れ久六はすでに感情を整えた深沈とした表情だった。 た。於大がいちばん怖れていたことが刻々と近づいて来る 「生れる者もあり、死にゆく者もあり、吉と凶とで果しも のである。岡崎衆の朴訥な強靱さを京へ志す今川義元が、 なく綯いつづけらるるが人生、それにしても淋しいご最期 利用を忘れるはずはなかった。 だったと承りました」 「ー・・ー岡崎へもどりたくば、手柄せよ」 「そうか、お許の母者もみまかられたか。遠慮はいらぬ。 そういわれてはやり立っている竹千代が見える気がす泣くがよいそ於大」 る。だが、それは決して竹千代や岡崎衆の幸福は約東すま し」 信長の精鋭とぶつかり合って、今川家の野心の道へ屍「そしてな忌日の祈り、ねんごろにすることじゃ。久六、 をさらす以外の何ごとでもあるまい。 〈叩日は」 「竹千代がのう・・・・ : そうであろう」 俊勝にたずねられて、久六はしばらく面を伏せたまま、 「奥方さま ! その他にもう一つ : : : お心静めてお聞き下「十一月二十三日、落日に先立っこと四半刻とうけたまわ され。竹千代さまご婚礼を前にして、華陽院さまお亡くな 、り - 、ました」 「他に何そ聞いたことはないか。遠慮はいらぬ申してみ 「えっ ? あの、母さまが : 華陽院さまは、竹千代さまご婚儀には、あまり気 のすすまぬご様子にて : : : 」 於大の方にとっては、竹千代婚礼のうわさもまだ初耳だ 「その婚儀の相手とはたれが姫そ」 った。それを、生母の死といっしょに久六の口から告げら 「関口刑部少輔が姫、義元公には姪にあたらせられます れたのである。 いまではすっかり久六になりすましている彼もまた、お「義元公姪姫さま : : : 」 198

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桶狭間の合戦参考図 熱田神宮 執田 天 山崎 星﨑 徳川家康 凸丸根 、鳴海 古鳴海 ◎丹下 桶狭問 田楽狭問 今川義元ぐも 太子ケ根 道織田信長 彳野 〇善照寺オ目原 / 岡部元信・

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「おもしろい芽は踏まぬがよい。花をみぬうちに毒草と決波太郎は扇のかげからじっと於大の方の表情のうごきを みつめていた。 めてかかるは愚かなことだ」 四 利家は首をかしげて考えた。この男もまた義元上洛のお 於大の心は複雑だった。 りの今川、織田の一戦は必至のこととみているようだ。そ の一戦によって、氷炭相容れぬ両家の運命は決まってゆ 駿府の今川義元はまだまだ織田家と戦ってやぶれるなど き、そこから新しい何ものかが生れて来る。その日のためとは思っていまい。が、織田家にとっては次の一戦こそは に元康をそっとしておいてやろうと考えているらしかっ 地上から抹殺されるか否かの瀬戸ぎわだった。 於大にはそれがよく読みとれる。 それだけにあらゆる手が次々と打たれているのに違いな そう分れば利家はそれ以上突っ込むことはなかった。い い。信長がわざわざ竹之内波太郎を清洲に招いたというの まの彼は信長が元康に深い憎悪をもたないことだけ、於大 は、波太郎の勢力下にある野伏せり、農民、信者のたぐい 3 に印象せしめておけばそれでよいのだ。 を動員して、義元進攻のさいの背後の攪乱を頼んだのであ 波太郎の意思を知ると利家は急に於大にむき直った。 ろうし、前田又左衛門利家が主家を逐電しての流浪も何か 「わが殿は : : : 」 自分が逐電している身であることも忘れて、 意味あり気にうけとれた。 「あのとおり闊達なご気性ゆえ、今ごろは清洲の城で祝杯それだけに一層うかつな言葉に合槌は打てなかった。信 をおあげなされているやも知れぬ。竹千代が勝った ! あ長のはっきりとした依頼があればとにかく、於大と元康の 間に、連絡ありと感づかれてはどのような禍のもとになる れはわしの弟じゃ。そんなことを仰せられて」 「まさか、そのような : か知れなかった。 「いやいや、岡崎勢が損傷ないということは、織田勢にも「時に久松さまの奥方は水野氏とうけたまわる。水野氏の 損傷ないということゆえ、殿のおこころも軽かろう。殿は菩提寺は緒川の名刹乾坤院、いかがでござろう墓参をかね て、われ等夫婦をご案内下さるまいか」 元康どのに特別な親しみを覚えていられる」 つ」 0

10. 徳川家康 2

さくつぶやした 義元は元康の陣ぞなえを聞いたあとでおだやかに言っ 「前田又左衛門利家、会う早々から、こなたに借りが出来 た。生きているうちは忘れぬ」 「尾張の信長めが、小癪な攻勢に出て参った。大高城はか 「何のこれしきのこと : : とんだ災難でござった。では暫こまれて、鵜殿長照は糧食と援兵をもとめている。援兵と くお別れいたしまする。お体をいとわれて : : : 」 いうよりもこれは糧食の搬入が第一の目的と言える。糧食 そういうと、藤吉郎もまた、ほんとうに涙を流しているさえあれば、容易に落ちる城ではない」 のであった。 元康は義元の肚を読みきった静かさで、 「それゆえ、小荷駄奉行は酒井雅楽助に命じようと存じま する」 梅雨の道 「なるほど、雅楽助ならば老巧ゆえまず安心であろう。で 2 回、り・には ? ・」 「鳥居彦右衛門元忠、石川与七郎数正、平岩七之助親吉」 「みな若い。心もとない節もあるが : 今川義元は汗を気にして両側から小姓に風を送らせなが 義元は元康が若さに似合わぬ用心ぶかさで、老巧な重臣 ら、松平元康の言葉を刺すような眼をして聞いていた。 たちをなるべく前線に立たせまいとしているような気がし あととりの竹千代も生れた。形式的な初陣は寺部の城へてならなかった。 小あたりさせて、義元の方では済んでいるつもりであっ 「まだ大久保新八新郎忠俊がいる。鳥居伊賀守忠吉がい た。それだけに一隊の大将として果してどれだけの力量をる。これらの家臣はどこへ回すな ? 」 示すか ? 言わばこんどの出陣は、上洛戦の予行演習のつ 「遊軍にごギ、りまする」 もりであった。 「ほほう、すると本隊の指揮は誰がとる ? 」 「するとおことの考えでは、一番大切な小荷駄奉行を誰に 「元康みずから采配いたしまする。が、前兵と右翼の指揮 する気かな」 は石川安芸が子の彦五郎家成、後兵と左翼の指揮は酒井左 つ」 0 317