「殿は十八歳にならせられるまで、いまだ、一兵を動かす 「雅楽助、出陣には、わらわはついていけぬであろうか」 ことすら許されず、相手は十三歳の初陣以来もはや老巧も 及ばぬほどの経験者、無事に凱旋出来るとばかりは申され 雅楽助は眉をひそめ、首をかしげたまま答えなかった。 ませぬ」 「初陣ゆえ長くはあるまい。が、尾張との国境いまで : 歯に衣をきせぬ雅楽助の言葉を聞いて、瀬名は露骨に不 どれほど日数はかかるであろうか。あまり長いお留守では 快な顔になった。 耐えがたい」 「それを助けて手柄させるが、そちたちの勤めではない 瀬名は雅楽助の律義さをからかうように首をかしげた。 「さよう」雅楽助はこれも瀬名を無視した態度で、「尾張カ 、。はじめからそのように気おくれしていてどうするの じゃ。よい。そちは退って畑の手人れをするがよい」 の境ならば、あるいは一年、二年、いや生涯お戻りなさら 雅楽助は言われるままに席を立った。 ぬかも知れぬ」 何か心に割切れないものが残ってゆくのは、御前が、殿 「雅楽助 ! 」 の生母、於大の方とはあまりに隔った感じだからであっ 2 「なぜそのように不吉なことを口にしまする」 「御前がお戯れゆえ、雅楽助も戯れました」 駿府と三河の女性の相違。 一方はどこまでもつつましく堅実なのに、駿府の女子は 「戯れにもよりまする。初陣の日が近いと聞かされ、そち にまで隠さずに打明けるわらわの心は分りそうなものみなりの派手さに加えてことごとに表向きの事にまでロを 出した。露骨に殿の愛情を云々したり、いつまでもここで 「が、御前、これは簡単には喜べませぬ」 の生活がつづくものと思いこんでいたりするのが雅楽助だ 「なぜじゃ」 けではなく、近侍のものの不安の種になっている。それを 「相手の織田信長、いよいよ家中のみだれを正して尾張をまた殿の元康は決して押えようとしなかった。御前のなす がままに任せて、時には膝をまくらに、とろりと耳をなぶ 統一、いま旭日昇天の勢いにござりまする」 「それゆえ、かんたんには勝てぬというか」 らせていたり、ばんやりと一日手を拱いて考えていたりす
「忠義な家来がものいうを、うるさがるような大将はだめ らぬ戦、一々義元に名をあげられた家臣たちは別にし て、幼い者は残しておきたかった。 な大将じゃぞ」 「なに、そち、そのロの利き方は何事そ」 それらの者が、どう育っかそれは人智で計り知れない。 「ロなどのことをいっているのではない。殿にはこの鍋之 が、げんに元康自身も亀姫、竹千代の二人の子供を残して 出てゆくのだ。 助の腹の中がわからぬのか」 いや、元康だけではない。一方の旗頭として伴う酒井忠「呆れた奴だ。そちは、まるでわしを叱っている」 「叱られるのが嫌だったら : : なあ殿、連れてゆくとゆう 次も、その妻が清康と華陽院 ( 後の源応尼 ) の間に生れた 姫で、元康にとっては父母双方の叔母にあたるという立場て下され。鍋之助は知っているのだ」 から、人質の意味をふくめて妻子を駿府へ残してゆく。言「何を知っている ? 」 「殿は、駿府へは戻られぬ」 わばうしろから義理と質との銃口を向けられて、死地へ追 「一んっ ? ・」 われる戦と言えた。 元康はびつくりして鍋之助の顔を見返した。鍋之助の眼 大手門を出ると、濠にかぶさった青葉のうごきを見やり にまでそんなふうに映るのでは、義元が警戒するのも無理 ながらまた鍋之助はいい出した。 十 5 よ、つこ。 「母者の手紙には、殿は討死の覚悟かも知れぬゆえ、また ( そうか。この小わっぱにまでそう見えたか ) このつぎの折にとゆうたら、武士につぎなどあるものか。 「そちは : そういえと書いてあった。なあ殿、連れていって下され。 と、狼狽をかくして元康はため息した。 足手よといにはなりませぬ。祖父の孫じゃ。父の子じゃ鍋 「わしのくつわを取ってみなに遅れすに駈けられるか」 之助は」 「駈けられなかったら、敵の馬をとって乗るわい」 元康はたまりかねて、 「鍋之助、そちはあまりに勝気な母のもとで育てられ、少 「、つるさい ! 」と叱りつけた。 「なにがうるさい ! 」 しく粗暴なところがある。元康の軍律はきびしいそ。それ しかと守れるか」 鍋之助は肩をそびやかしていい返した。 319
「なるほど : : 」と雅楽助もそれに応じた。 考えていなかったが、両者のとがった空気を想うと、この 「岡崎党の中へも、三郎五郎どのをそのまま渡すな、途中交換の場所がすでに大きな危険をはらんでいる : で斬れとの声でござる」 五 「それでござるよ、拙者が案じるのは」 じわ 政秀はそこでまた溶けるような笑み皺を見せて、 織田信広を熱田まで送っていって、そこで竹千代を受取 「それで両者交換の地点じゃが、いずれがよかろうな、貴ることなど思いもよらなかった。信広を渡したあとでもし 殿の考えでは」 一戦をいどまれたら、岡崎勢は根こそぎ尾張の土になろ 「さ、れば : : 」雅楽助はわざと小首をかしげて考えたさま うといって、なるほど、これまで竹千代を連れて来い を装いながら、 その上で信広を渡そうというのも虫がよすぎる。 「竹千代さま、当城まで送り届け下され、そのうえにて三 雪斎が自分一人で決せすに、地理に明るい雅楽助を呼ん だわけがはじめてわかった。 郎五郎どのお引取りを願うが無事かと存じまするが」 おおたか 平手政秀は軽く手を振ってフフアと笑っ いかがでござろう。両者の位置に半ばする、大高あたり 「雅楽助どの、危険の負担はな、五分と五分でなければなで引換えては ? 」 、り士オ , ま从い」 すでにそのことでは十分に考えて来ているらしい政秀の 「五分と五分 : : : と、仰せられると」 言葉に、雅楽助はまた首をかしげた。たしかに熱田と安祥 「拙者の方では、三郎五郎さま熱田まで送り届けて頂いたの中間といえばそのあたりだったが、果してそれでよいの うえ、竹千代どのを渡そうと申したのだが、 それでは雪斎かどうか ? 長老がお聞き人れないのでな」 いままでさり気なく障子の陽を見ていた雪斎が、と 雅楽助はハッとして雪斎を見直した。雪斎は依然としてつぜんばつりと、 障子の陽ざしに眼を細めている。 「おかしなことよの、つ」といった。 ( なるほどこれは考えねば : : : ) 雅楽助は首をかしげて次の言葉を待ったが、雪斎はそれ 雅楽助たちは勝敗だけに気を取られて、そこまではまだ なりフフフと笑って口をつぐんだ。 5
れて、大事のうえにも大事をとられる : : : それをそのよう雅楽助は苦々しげな表情で舌打した。 「さてさて困ったこと。御前 ! 」 に解しては、岡崎衆はひがみが強いとさげすまれましょ 「なんじゃ雅楽助」 「一言葉の過ぎたるは詫びまする。が、御前が、もし心底か 「御前 ! 」 雅楽助はちらりと元康の方を見やってすぐまた言葉をつら殿や姫、生れるお子を愛しゅう思召すならお願いにござ りまする。殿を岡崎の城に入れ、いま岡崎から西にある諸 づけた。元康は、瀬名にはねのけられた手を手持ふさたに 将へ先陣仰せつけられるよう御前から、御所へお取りなし 膝にひらいて、薄く眼を閉じて聞いている。 「雅楽助が申上ぐるは御所の情愛云々ではござらぬ。三願わしゅう : そこまでいったときだった。 浦、飯尾のご両所より実力ないと踏まれた殿になんでご上 洛の先陣を仰せつけられるかと言うことじゃ。なぜ殿を岡「控えよ雅楽助 ! 」 元康はきびしい声で叱りつけた。 崎の城に人れ、三浦、飯尾のご両所に先陣を仰せつけられ ぬかということじゃ。さすれば殿は安泰、われらは住みな「瀬名は元康が妻、指図することがあらば元康がする。出 れた城ゆえ、万一先陣のご両所敗走するとも、断じて岡崎過ぎるな」 「まツ . は守りぬく。それをさせずに、待ちかまえたる織田勢へ殿 雅楽助は崩れるように畳へ両手を突くと、 にます先駈けさせる。ことによると初陣から生きて帰れぬ 「恐れ : : : 恐れ : ・ : ・入りました」 戦になると申したが、われ等の気おくれでござりましよう 半白の髷をふるわし、しばらく顔をあげえなかった。 力」 「気おくれじゃ」 五 瀬名はわなわなと震えながらいい返した。 瀬名は単純に義元を信じている。が、義元の肚は雅楽助 「三浦、飯尾のご両所に命じられぬを、殿にお命じなさる には一一一口じられなかった。 のが、殿のお力を認められておられる証拠。それをとやか 今に至っても城は返さず、上洛の折に先陣させようと く申すのは怖えでなくて何であろうそ」 277
いきなりうしろから義元の巨驅に組みついていった者が腰はくずれた。どっと地べたへ倒れた。倒れたはずみ ある。 に、敏捷な新助は、たくみにからんだ手を解いて義元の胸 「無礼者寄るなツ ! の上になっていた。 義元は体をふって怒号した。怒号しながら酔ったと思っ 「おのれ下郎が : た。股から流れる血のおびただしさもその故なら、大地の 義元ははね返そうとしてもがいた。が、まだ雷雨は霽れ 揺れる感覚もそれであった。 てはいない。まともに打ちかかる雨滴のために、義元はわ また紫電が頭上で十字の花を描いて消えた。 が身の上に馬乗りになっている武者の顔がよく見えなかっ 「うぬは誰の手の者だ」 といって、こんなところに自分の死の罠が用意されてあ 「毛利新助 ! 織田の家中だ」 ろうとは思いも寄らず、 「なに織田 : : : さてはここへまぎれこんで居ったな」 毛利新助秀高は、それに応えず、胴に巻いた右手をぎゅ 「誰ぞ。曲者を早く : ・・ : 」 はね汳一旱、、つとしながらもがいた っと力いつばいに締めていった。 脇楯のつぎ目か 義元の巨体はよろよろっとよろめいた。 「ええ見苦しいッ ! 」胸の上の武者は雨すだれの上で唇を ら、下腹へかけてジーンと熱鉄を突き込まれるような痛みゆがめてわめいた。 が背筋へ走ってゆく 「今川の屋形ともあろう大将が、素直に首を渡し候え」 「おのれ、抜いているな」 鎧通しを突き刺されたのに違いない 義元はその時はじめて相手がすでに脇差を抜いているの 「ウーム」 と、痛みをこらえてもう一度はげしく新助の体を横に振に気がついた。 学 / 諸ん ( ここで死ぬ : : : そんなバカなっ ) ~ しよいよ両手で胴をしめ 新助は離れる代りこ、、 っ ) 0 相手の刺そうとする脇差の下で、鎧の重みのもどかしさ にカーツとなった。そして、ロのそばにあった相手の拳 振られた新助はかろく空を浮いてゆくのに、振った義元 に、おはぐろつけた高貴な歯でがぶりと噛みついた。舌の は、わが身と新助の二重の重さでつるりとすべった。 392
事が御前のことと 量を改めて見直す気になるのだったが、 なると苦々しさはべつであた。 松平家は代々色の好みがつよく、時々それに災された。 雅楽助は入って来ると、沙汰の限りという表情であらわ 祖父の清康が、水野忠政の妻、於大の方の生母華陽院を拉 に眉根を寄せたまま、二人から眼をそらして襖ぎわに坐っ し来って室にしたのも苦々しいことであったし、先代広忠 「種まきは終ったか ? 」 の死因にも片目八彌の女の怨みが感じられた。 その子の元康がまた、いかに周囲が淋しすぎたと言え、 「はい。岡崎の人々を忘れぬための畑仕事、種をまきなが 六つも年上の瀬名姫に手をつけて、うまうまと今川一族の ら時々不覚にも涙がこばれました」 「わかって居る。その涙が肥料になっての、やがて世に超縁戚にされてしまったのが、雅楽助には取返しのつかぬ大 失策に思えるのだ。 えた収穫があるやも知れぬ」 その上、あろうことか、自分の前で平然とふくれあがっ 「たわむれではござりませぬそ、殿 ! 」 た御前の腹をなでている。 「誰がたわむれを申すものか。だがのう爺、世の中には流 「殿 ! 御前からお聞きでござりましよう。初陣のこと さぬ涙、乾いた涙もあるものぞ」 雅楽助は顔をそむけたまま膝の拳をかたくしていた。雅を」 楽助とて、肚で泣く男の涙のわからぬ男ではなかった。 コつむ、こまかく聞いた」 いや、時々ハッと反省するのは、雅楽助と元康の位置「初陣とあれば戦場は尾張との境と思召しませぬか」 が、いっからか逆になっていることだった。 「わかっている。笠寺か中根、大高あたりであろうよ」 以前冫。、 こよ逸る竹千代をたしなめるのは、いつも雅楽助の 「それで殿には勝算がござりますか。この初陣、殿の実力 方だった。それが近ごろは却って元康にたしなめられていを試した上、ご上洛の先陣に適する否やの瀬ぶみ、敵は破 る。 竹の尾張勢にござりまするそ」 「そうであろう。その筈じゃ」 ( それだけ自分は殿に甘えているのだ ) 雅楽助はどの男を、つい知らす廿えさせていった殿の器「それと分っていながら、ご不安はござりませぬか」 275
元康は雅楽助のそばへ来ると、何となく立ちどまった。 雅楽助はわざと声をかけなかった。 関口御前がすぐ城中で義元に言われて来たことを話すに 違いない。それにこの若い殿がどんな反応をしめしてゆく か ? 黙って見ていたい雅楽助だった。 「雅楽助、ーー」 元康の方から呼びかけられては仕方がない。 「おお、これはお帰りなされませ」 雅楽助は籾ざるを抱えたまま顔をあげた。 午後の日が、掘りかえしたまっ黒な土の上に、門、 : の松の影を這わしている。元康の顔がその土と影の対照で いかにも柔弱な白さに見えた。 「蹴まりというはなかなか面白いものであった。そなたは 見たことがあるか」 「ござりません。また、見たいとも思いませぬ」 「なぜじゃ、なかなか風雅なものそ」 る。「そうか。いよいよ瀬ぶみされる時が来たか」雅楽助「われわれには縁のない都ぶりゆえ、何の興味もござりま せん」 がふたたび畠へ立って、籾ざるをとった時、当の元康が、 供の平岩七之助とのどかな表情で門を入って来るのが見え 元康はちらりと傍の平岩七之助と顔を見合って、 「そちはひどくじれているの。いま七之助と話しながら来 たところだ。たぶん爺にこう言ったら、こう答えるであろ うとな。その通りであった」 雅楽助はちかりと上眼で元康を見たまま答えなかった。 「無理もない。元康も十八歳じゃ。岡崎から人質に差立て られた時が六歳、十二年の歳月は短こうもない。そしてま だ、いつの日岡崎へ戻れることやらわからぬ身 : : : 」 元康はそこでふっと言葉をきって、 「わしはいま、どうしてじれずに春の次に来る、夏を待と うかと工夫をこらしている。自然はあせらぬ。今日も城内 の森では鶯どもがよい声で鳴きおった。といって、自然は な、いつまでも鶯を鳴かせておきはせぬ。のう爺」 「そちは蹴まりを、そちに縁のない都ぶりと申したな」 「申しました。無縁の遊びにござりまする」 「わしはそうは思わぬ。わしは陽当りのいい庭で、うつ ら、うつらとしながら、そちたち皆に見せてやる日を想う ていた」 、一 0 268
「そうじゃ。食と信と二つのうちでは、まず食を捨てよと は三之助もまた善九郎の真似をしたと申したの」 いわれた」 竹千代は首をかしげて、 「三之助はなぜ善九郎の真似をしたのか ? それがお許に 「食を捨てて国がある : : : それは孔子さまのお間違いでわかるかな」 「その答えはこの次までにゆっくり考えて参るとして、わ と低い声で探るように玄、こ。 しの考えだけはいってみよう」 四 し」 「はじめ三之助は、まだ幼かったゆえ、竹千代にみな食べ 「竹千代」 られて自分の分はなくなるかも知れぬ : : : と、そう思うた 「これはのう、この次まで、お許にゆっくり考えてもらおのであろう」 うよ。なぜ孔子が食より信が大切といわれたか」 竹千代は瞬きを忘れた顔でこくりとした。 「亠よ、 0 「ところが善九郎は、竹千代が一人でみな食う人ではない 考えまする」 、こ。一一「ロがあったゆ ことを知っていた。竹千代を信じてしオイ 「が、その考えのもとになること : : : それはお許の話にも すでにあったの」 え、竹千代が食べねば食べなかった : 雪斎はそこで言葉をきって、自分の眼光が竹千代の年を 竹千代は不審そうに雪斎を見返して、また右に左に首を わすれて、雲水をたたく時の、きびしさに変ってゆくのを 「竹千代ははじめの時には三之助にますやった。そして善意識した。 「そしてその次には、三之助もまた、竹千代を信じて来た。 丿郎にもやったが、これは竹千代の食べないうちは食べな 黙っていても、あとになっても一人でむさばる人ではな かったと申したな」 いと悟ったのだ。三之助は善九郎の真似をしたのではなく し」 「善九郎はなぜ食べなかったのだろうか。そしてその次にて、竹千代を信じ、善九郎を信じたのだ。よいかの、信が つぶや 8
卩次に命じまする」 「石川家成は何歳に相成った」 「二十五歳でござりまする」 「植村新六郎は、いずれにおく」 「元康がそばに」 「それが相談役か : ふと首をかしげて考えて、 「酒井将監もおくがよい。家臣の中では押えになろう」 義元はそういうと、また改めて指をくりだした。 「大久保一族、本多広孝、榊原一族、石川清兼 : : : それに 鳥居を働かせねば相成るまい。よかろう、おことの考えと 元康の黙々と歩く後姿に、本多鍋之助は追いすがるかた 予の考えと大体同じ筋だった。すぐに出発するように」 ちで声をかけた。 元康は静かに頭を垂れて坐った。 「ル収 , ご承知下されたのでござりましような。もしおい 義元は岡崎衆に前衛たるの実力がなければこれを織田勢 の前に立たせて玉砕を強いるに違いない。玉砕か勝利か ? て行かれたのでは、鍋之助、母者に合わす顔がござりませ 元康の動揺はすでにしすまり、はっきり運命と対決出来ぬ」 る気持であった。 ゆっくりとした足どりで大玄関を出ると、供待に控えて「たぶん殿は、まだ早いと言われる。その時には黙って駿 府を逃げ出して来いと書いてある。殿が黙っていても鍋之 いた本多鍋之助 ( 平八郎忠勝 ) が走り出て来て小腰をかが めた。鍋之助は十三歳になってすでに逞ましい面魂に育っ助はついてゆく」 それでも元康は答えなかった。気の強い本多の後家は、 ていた そのくらいのことを言って来るであろう。が、死か生かわ 「鍋、どうしたのた。七之助は」 ここへ人るときの供は平岩七之助たったのに、い にか鍋之助に変っている 「はい。国許の母者から書状がござりましたゆえ」 「国許の後家から何と申して来た」 「そなたも十三歳ゆえ、たって殿に頼んで初陣せよと申し て来ました。馬のくつわを取らして下され」 元康は答えないでそのまま外へ出ていった。 昨日までの央が、重い雲をはらんで、まともに仰げる 富士の頂を薄墨でつつんでいた。 3 ノ 8
中務大軸政秀、お見知りおかれたい」 ーツとふしぎな歓声をあびせた。 楽助の後姿にワ 鄭重にあいさっしてから、 「静まらっしゃれ。静まらっしゃれ。歓びすぎて、あとで 「この城へは天野安芸守どのと井伊次郎どのが残られるそ 悔いても及ばぬことじゃ」 阿部大蔵は坐ったままで手をふりながら、これも両眼へ と、人、ことのよ、つにいった。 、つばい一を、つかべている。 「それでわれらもまた三郎五郎信広どのを引取ることにな 「ワーツ」とまただれかが奇声をあげた。こんどは完全に りましたわい」 男泣きの涙をかくす奇声であった。 雅楽助は ( こやつめが : : : ) と思わす笑った。天野安芸 四 と、井伊直盛に占領されて、やむなく信広の生命乞いに来 たのではないか。 しかし笑ってからハッとしたのは、その 酒井雅楽助が広間へ通ってゆくと、雪斎はふと微笑し こた 次の政秀の言葉がびしりと一つ鞭になってわが身に応えた た。やはり雅楽助の推察はあたっていたらしい からであった。 彼はすかずかと雪斎の近くまで人っていって、それから 「ついては : ・ : この際、故岡崎どの遺児、竹千代どのの身 平手中務に会釈した。 の上に万一のことがあってはならぬゆえ、ご貴殿方の手に 恐らく平手政秀は、さっきのままの渋面であろうと思っ ていたのに、彼もまたニコニコと笑っている。こうした交お返し申そうと存する」 雪斎はそうした政秀の言いまわしが耳に入っているのか 渉の駈引となると岡崎党には何ともわからぬことが多い。 いないのか、障子に映った梅の枝ぶりに眼を細めている。 彼らよりもみな複雑な含みをもって行動する。 「何しろ、松平家と織田家の確執は長いでのう」 「岡崎の家老酒井雅楽助 雪斎がまるで十年の知己でもあるかのようなもの柔かな「仰せのとおり」 「ご承知でもござろうが、織田の家中には、軽輩その他 声で紹介すると、政秀は、雅楽助が面食うほど打ちとけた に、竹千代を帰すな、竹千代を斬れという声が、こんどの 態度で、 「これはこれは、ご高名はかねてより承ってござる。平手ことで、また一段と深まってござるで」 かくしつ むち 5