松平元康の軍がはげしく敵を攻め立てて、ついに守将佐能からだった。 久間盛重をはじめ首級七つを挙げて潰滅せしめ、丸根の砦敵の守将織田玄蕃信平はよく防いだが、松平勢におくれ をとってはと、朝比奈勢も猛烈に砦にせまって門を焼き、 を完全に占領したという知らせであった。 営柵を焼きはらってついに砦へ斬りこんだ。敵は防ぎきれ 「そうか、やったか ! 」 ずおびただしい手負いと屍体を残して、玄蕃もろとも清洲 路傍に輿をとめて義元ははじめて笑った。 「元康が、そうか。それはめでたい。直ちに立戻って元康方面へ敗走。ここでも砦は本能の手に入ったという知らせ に伝えよ。本日の軍功抜群なり。よって直ちに大高城に入であった。 「でかした。が、元康は敵の守将の首級をあげたのに、泰 って兵を休めよと」 そう言ったあとで更に、「大高城にある鵜殿長照はその能は討ちもらした。すぐ追えと、戻っていえ」 義元は軍扇をひらいて脂汗をあおぎながら注進の者が去 全勢力をあげて清洲を衝くように」 今暁から働きつづけた元康の岡崎勢を城へ入れて、新手つてゆくと、思わず声を立てて笑っていった。 すべてがいささかの支障もない最上の予想の適中であっ の鵜殿勢を直ちに清洲へはせ向わせる。それは一分の隙も ない義元の用兵ぶりだった。 「輿をあげよ。陽のあるうちにわれ等も大高城へ入らねば「幸先よい。この分では、信長めも明日中には降るであろ う。どれ、その礼の者に会って見ようか」 ならぬ」 義元がそういったとき、また前線の注進と「礼の者」と勝戦となると「礼の者」はめつきり増える。いずれの土 地にあっても無力な土民はおのれを押えて新しい支配者に ーいっしょに輿脇へ案内されてやって来た。 時に四ッ ( 午前十時 ) すぎ、そろそろ昼になろうとして媚びてゆくより他にないのだ。 いる : こんどは十余人、郷代表が二人の僧侶と、一人の神官を まっ先にして、毛をむしられた羊のようにおどおどとやっ 五 て来た。 注進は、松平元康とならんで鷲津の砦を攻めた朝此奈泰「水野下野守が領民どもにござりまする」 2
らぬであろう。 をしきりにロにしていたからであった。 つぎには鷲津の砦へ、朝比奈泰能の二千人をあたらせ 永禄三年の五月十八日 ( 太陽暦六月二十一日 ) すでに翌 十九日の早暁から織田軍の最前線へ総攻撃を開始する手筈る。ここを守る敵の大将は織田玄蕃信平。これも老巧な戦 になっている。それだけに身辺の警戒も厳重にさせてあつ上手だ。したがって朝比奈勢だけではなく、三浦備後守の たし、義元自身の武装にも一分の隙もなかった。 三千人を援隊として万一に備えてゆく。 蜀江錦の鎧ひたたれを羽織った下には胸白の具足をまと 鳴海城へは岡部元信を新手七百人を加えて堅くまもら 、太刀は二尺六寸、自慢の宗三左文字、脇差は重代の松せ、沓掛城へは浅井政敏の千五百人をあてて守らせる。 倉郷の義弘だった。三十貫に近い巨軅で馬にはのれなかっ そして、大高城の鵜殿長照には、機にのそみ変に応じ た。それが金銀の鋲を打った輿の中へ悠然と胡坐していて、松平元康と朝比奈泰能に応援させる。 る。はた眼にはあたりを払うばかりのきらびやかさであっ いわば三段構え、これでまず国境での勝利は完璧と言え たが、義元自身は絶えず汗を拭いていた。 た。そこで、直ちに葛山信貞以下の五千人をもって、清洲 7 3 十六、十七の両日は岡崎城にとどまり、あらゆる場合に城へひた押しに前進させる。 備えての手配はすでに終っていた。今日は沓掛の城に泊降るもよし、籠城もよし、あるいは信長が陣頭に立って り、明早暁からの総攻撃の結果に見て、明日中には大高城撃って来てよし。たとえ葛山隊の五千が蹴ちらされたとし まで本隊をすすめるつもりであった。 ても続く本隊の五千人があると両者を合すと清洲攻めの勢 前軍はすでに昨日から鳴海の近くへ入ってしきりに諸村力は一万。いや、そのうちには松平、朝比奈、三浦の諸隊 へ火を放ってまわっている。義元は汗を拭きながら、時々も、勝ちに乗じてひた押しに清洲へ迫る : ・ 膝の地図と配備に眼をおとしている。 「籠城しても二日か : : : 三日とは持つまいが」 夜の明けるか明けぬかに、まず松平元康が二千五百の岡 そう想ったときに、 崎衆を引具して丸根の砦へ襲いかかる。 「申上げます」と、近侍の新関右馬允が輿のわきに寄って 丸根の敵の守将は百戦錬磨の佐久間大学盛重だった。 元康はまだ若い。が、 老練な岡崎衆が、よもや敗れはと「何ごとじゃ」
すでに田原御前をはじめ、松平家の遺族たちは以前に華 陽院が住っていた三の丸に追いやられ、本丸、二の丸とも に今川方の軍兵が人っている。 城内の長屋から追われた岡崎衆はしかし、城下を立去る ことは許されず、仮家を建ててたむろし、期せすして城内 の今川勢を守護する形になった。 重臣たちの家族はほとんど駿府に移されている。城も含 めた岡崎全体が一つの要塞で、鳥居伊賀守忠吉だけが、三 の丸に住居を許され郷村の租税を取立てている。 この三月からすでに戦は小ぜりあいとも十指にあまるほ 岡崎の城内へは今日も付近の寺院の僧侶や、東条、西どであった。そのたびに、先陣を仰せつかるのは松平家の きら 条、両吉良家の家臣などがあわたたしく出入りしていた。 遺臣たちで、ひといくさすむたびに、きっとたれかの姿が すでに岡崎城は松平家のものではない。ここに今川氏が消えた。 あるじ 居つくものと考えて、本丸に滞在している雪斎禅師のもと主なき城に愛想をつかして逃げるのではなかった。 へ、改宗を申し出たり、敵情の報告にやって来たり、中に 「ーーー・竹千代さまをこの城に迎えるまで : ・・ : 」 ちゅ・つきゅう き S ・じに は松平氏の誅求を訴えて来る者すらあった。 その申合せにしたがって斬死してゆくからであった。 雪斎禅師は法衣の下に具足をつけて、それらの一人一人雪斎禅師はこうしてだんだん寂しくなってゆく岡崎勢の に接見した。表面はどこまでも穏かな仏者の風貌で、外部慰撫と抑えに、松平次郎左衛門重吉、石川右近将監、阿部 から訪れるものには、 大蔵の三名を傍近くおいて、 「よろしい、含んでおこう」 「ーーー逃ぐる者はな、仕方がないで、斬ることじゃ」 いうがままに聞入れる聖のように見えながら、岡崎衆へ と命じていた。 の軍律は殊のほかにきびしかった。 斬る必要はなかったが、 しかし彼らは生活に困りだし その」寸には信長はもう姫の手をとって、さっさと奥の居 間への廊下を渡っているのであった。 、あ " 、あツ、豸」 と、たれかが笑い、それからシーツとそれをおさえた。 だれ 紅
し - まったー 寺部を攻めると見せたは奇兵であっ 「鷲津へ攻めかかり、丸根の兵を鷲津へ引きつけて大高城 しからば遊兵、正兵はいすれにあろう。それ引ッ返 に入るものと予想していたらしい。今度の戦は、わしの眼 せーーーーと、大高城の正面に来てみると、すでに元康は、内からもおもしろかった」 本陣と見せかけた小荷駄を引具し、城に入ってしまった 「おもしろかったとは ? ・」 後、佐久間大学、織田玄蕃、百戦練磨の将が歯ぎしりして 利家が聞きとがめると、波太郎は高い鼻すじに匂うよう 口惜しがっている由にござりまする」 な笑いをうかべて、 「それはそれは、ご無念でござりましようとも」 「松平次郎三郎元康という男の力を、今川義元、織田信長 言いながら於大は涙がまぶたにあふれそうでこまった。 の両人がともに認めた。いわば武将の試験に及第したとで も言おうかの。認めた者が敵と味方なのがおもしろい」 波太郎はどこまでも冷たく徹った第三者の眼をもってい 大高城に入ろうとして寺部を攻めたてる。織田勢を寺部る。 にあつめて、その間隙をねらって大高城に入るとはたしか 「やがての、松平元康を味方になし得た者が東海の覇者に 3 にあざやかな作戦ぶり。 なる : : : そうした力を示した意味で、この戦は元康を大き 十八歳の元康が陣頭に立って指揮するさまが、於大の方な位置へのしあげた。おもしろい : にはみえるようだった。いや、その幻想の元康は、実は元 「若宮どのは : 康ではなくて、於大の最初の良人、松平広忠の甲胄姿なの 利家はせき込んだ。彼は波太郎のこうした冷たさが織田 家のためにもの足りなかった。 「さようでござりましたか。佐久間さまも、織田玄蕃さま「城に入った松平勢を、そのまま無事に岡崎へ帰されるお つもりか。途中で野武士に襲わせませぬか」 わが子に裏をかかれたかとは言えず、思いをこらしてた波太郎はかすかに首を振った。 め息する。 「襲わせませぬ」 「信長は : : : 」と、とっぜん波太郎が言い出した。 「何故に ? 」
「いかにも、これは大高城へ兵糧を入れ終った松平元康が りませぬ。そのこと、はっきり心にお刻み下されまするよ 引揚げの列でござる」 「前田さま」 そういうと於大は唇をかんでうなだれた。かすかに肩が 於大の声がきらりと鋭く光ったようだった。 ふるえている。泣いているのだとよくわかった。 「あなた様は、この私に、なんで松平勢の行列などお見せ 利家はしばらく無言で立っていた。自分の若さと、於大 なされまする ? 」 のきびしい覚悟とが、悔いと尊敬を新たにさせた。 意外な間いに利家は呆れて於大を見直した。 ( 甘かった 「私は、織田家に味方する、久松佐渡が妻でござります事実、ここでよろこんで元康に会う於大ならば、於大ば かりか良人の久松佐渡までが信じられない味方になる。 「存じて居る。が、同時に松平元康が母御でもござろう ( そうか、それに気づかなかったか : : : ) 力」 利家が長くため息したとき、堤の下の川原へは、当の元 「前田さま、むごい事を仰せられますな。敵味方と分れて康が残月の光をあびて植村新六郎とくつわを並べてやって 住まう母と子が、手を取合って語れるご時勢でござりま来ていた。 「わるかったー しよ、フカ」 許して下され」 「語れぬと仰せられるか ? 」 利家は、耳のそばでささやいてそっと川原を指さした。 「会える道理はござりませぬ。会うたらこの手で刺さねば ならぬ。それが久松佐渡が妻に課されたこの世の義理でご ギりまする」 於大の全身はふるえた。心の中ではどんなに利家に手を : なに、元康どのを刺さねばならぬと」 合せていることか。 於大はじっと月に面をさらしてそれからしすかにうなずしかしうかつにその感謝はロに出来なかった信長に後 味わるい誤解を残すようなことがあっては、今までの苦心 「ご好意は忘れませぬ。が、 久松佐渡の家中には二心はあは水の泡だった。 341
こ状をふけよ」 「負けた方ゆえ、信広さまはあのように粗末に扱われても イ方がないのじゃな」 「そういえばそうじゃ。なるほど、勝った方と負けた方 「大丈夫はな、泣かぬものじゃそ」 「信長どのに、馬を貰うて参った。そち引いて来い」 そうした会話を、群衆の一人になった竹之内波太郎は、 しずかな表情で聞いていた。 「信長どのに・ 竹千代はこくりとうなずいて、びしりと輿の戸をしめ 十三 騎乗の武士は二人ともすでに馬をおりていた。輿はあが寺の客殿で、人質替えは表面ことなく済まされた。 げんばつじよ・つ った。そしてそのまま山門の中へ運びこまれる。 織田信広を引取りにやって来た玄審允信平と勘解由左衛 「お話の馬でござる」 門信業は、いずれも感情をなくした人のように静かであっ いたけだか 竹千代の馬を引いて来た足軽が、まだ地べたに坐ったま たが、大久保新八郎は最後まで威猛高にふるまった。 信平が時候の挨拶をすれば、 ま、茫然としている新八郎に手綱を突きつけた。 新八郎はそれを引ったくるようにして、ギロリとまたあ「ーーー冬は寒いものじゃ」と、突きはなすし、竹千代が成 たりを睨み、立ち上って山門の中へ馬といっしょに消えて長したであろうといわれると、ぶいっとわきを向いて返事 っ一」 0 をしなかった。 見ていた人は、口々にホッと嘆息して、またガャガヤと しかし交換を終って、各自が笠寺を引きあげる時になっ 各自の想像を私語しだした。 てみると、事情はひどく変って来た。 「なるほど : : これはこのはずじゃて」 織田方では竹千代をのせて来た輿に信広をのせ、行列ら 「ど、フして、何が ? ・」 しいものを整えて引きあげることができるのに、松平方で 「何がといって、戦は織田方の負けじゃったろうが」 は竹千代が信長に贈られた馬一頭があるだけだった。 「ははあ」 ここても竹千代たちが先発した。 いじよ - フ、か 6 6
鶴とは瀬名姫関口御前の愛称だった。元康はそれを聞く けた。その宿怨の敵に、他の部将をあたらせてはおことの といくぶんおどけて、 父祖に相すまぬ。それゆえおことに先鋒を申付くる」 「鶴、亀ともに健在、安堵して出発出来まする」 元康は胸にわき立っ感情をおさえて、 「それはめでたい」 「ありがたき仕合せ : ・・ : 」 しいかけて、ふと何か想い出したらしく、 と、しずかに頭を下げていった。口惜しさというよりも 「そういえば、飯尾豊前に嫁いだ亀のう」 何か笑いたい気持がうごいた。 元康はひやりとした。吉良義安の娘亀姫は、十一歳の元 「どうじゃ、織田勢はせいぜい四五千のところと思うが、 康が、はじめて知った女であった。 おことの軍勢だけで眼にもの見せてやれるか」 「亀には子供が出来ぬそうな。女子は子を産む方がよい。 「と、仰せられますと、松平勢だけで織田勢が討取れるか この点では鶴の勝ちであったな」 と仰せられますので」 そういったあとで、いかにも無造作に、 「そうじゃ。父祖代々宿怨の敵じゃ。いや、おことの家臣 「よいか。このたびは元康、おことが第一陣ぞ」と、事も にとっても父祖の血を限りなく流させた憎つくい敵じゃ」 つ ) 0 「恐れながら、松平勢だけで立向うなど思いも寄りませ 覚悟していることなので、元康は黙って頭を下げてうなぬ」 ずいた。 「するとおことは織田勢をおそれているように聞えるが」 「予が申すまでもあるまいが、松平家にとってこれは千載「恐れはいたしませぬが、十分の備えがのうてはかないま 一遇の好機じゃ。分っていようのう」 せぬ。と、申しまするのは、あのあたりの百姓はじめ野武 士、乱破のたぐいはみな織田勢の味方にござりまする」 「織田家はおことの父祖二代の宿怨の敵じゃ」 「ふーむ。おことはよくそれを申していたの。だが予の大 急に語調を重くして、 軍が出ていったら、彼等は必らず利にころぶ。道々安堵状 「おことの祖父、清康は、守山城まで攻め入りながらつ、 しを出して、とちらこ寸、こ。、リ : : いや、そうし に織田が討てなかった。おことの父は生涯織田と戦いつづたことは予にまかせておくがよい。おことはたた織田勢を 345
「隊を寸断されるな。寄れツ」 水野下野守信元の旗本が、固めなす上地、寸土といえども 植村新六郎の叫ぶ声にまじって、 侵させることはまかりならん。敢て通ろうとするなら屍の 「誰だ、名乗れ、酒井雅楽助正家が隊を襲うは何者だ」 山を築いてくれようそ ! 」 「なに伯父御の旗本じゃと : 雅楽助はこれが元康の本隊とはさとられまいとして闇の 元康は馬上で槍をかかえたまま小首をかしげて考えた。 中で大声にわめいていた。 「ル試ー 「伯父御がわざわざわれ等を迎え討っとは思われぬが、は と、平八郎は元康の馬をおさえた手にバッと唾して刀をて : : : ? 」 一挙に蹴散らして通るがよいか、それとも左に大きく道 握り直した。 「お側には本多平八郎忠勝が居りまするぞ。ご安堵あれ」をめぐって、どこまでも死傷を避けるが得策か。 こくあん / 、 と、その時、黒闇々の地上はほのばのと明るみだした。 その気負った声がおかしくて、元康は思わす馬上で笑っ てしまった。 遅月があがったらしい。空を走る雨雲のあわただしい動き いちど左から右へ隊列を横切った人影が、こんどは右かが見られた。 ら左へ切った。 石ヶ原に居すくませよ こうして松平勢の胆をうばい、小 酒井雅楽助が、元康のそばへ寄って来て、 、つとい、フのに〈いなし もしここで手間どって、満潮時になると川は越えられ「何となさる ? 突っきるが上策と心得ますが」 ず、背後から織田勢にやって来られては勝ち戦はいちどに「待てツ」と元康はおさえた。 またワーツと右手の堤で敵の威嚇の声があがった。雲の 苦戦に変ってゆく。 うごきはいよいよあわただしく、この分ではやがて切れ目 「野武士のやからだな」 から月がのぞいて来ようも知れぬ。 元康が呟いたとき、右方二十間あまりのところで高々と 勝手知った敵にとっては闇がよかろう。が、松平勢にと 声があがった。 っては明るさこそ救いであった。 「松平次郎三郎元康が本隊にもの申す。小石ヶ原はわれら 337
をはこんだ。しかし、竹千代が尾張へ出陣してくるとなる 「と、思召すのが、道理の解き方を知らぬ証拠で、それら と、麦湯の予言とはわけが違うぞ。どこの天文で読んだか は義元譜代の大事な将兵。尾張を無事に通ったとて、すぐ 申してみよ」 に次が京ではござらぬ。美濃もあれば近江もある。よっ 藤吉郎は茶碗のかげで眼を細めて、 て、まず尾張では玉砕しても義元にとって好都合でこそあ 「ものの道理を申したので」 れ、あまり痛くはない者を選ぶは人情自然の理でござる。 「とい、つと山ョてず , つば、つか」 この理にかなう者は松平元康ただひとり、元康の岡崎衆と 「いやいや、この世はみな天の道理によって動いてゆくこ御大将とが血みどろの決戦をやってのけたら、治部大輔は と、夜となれば日が暮れ、朝となれば夜が明けるほどに確か橫手を打ってよろこぶでござろうな。何しろ岡崎衆は、引 なものでござる。まず以てその道理の解き方をご伝授申そきあげてゆく城のない餓虎そろいじゃ。ここを先途と勇猛 う。今川治部大輔が上洛して、足利将軍にとって代って天下ぶりを発揮する」 に号令したいと志して居られることはお分りでござろう」 「藤吉ッ ! 」と、利家の声がせまった。 「存じて居る」 「なるほどこれは理にかのうて居る。ではその方、松平元 「さればその時には、まっ先に尾張を通らねば相成らぬ」康に前もって気脈を通じておけというのか」 「しれたことじゃ」 「そのようなことまで拙者は知らぬ。拙者はお馬の世話が 「御大将が素直に降伏するか一戦するか。一戦の覚悟で陣大事な仕事。ただ元康と御大将と血みどろの決戦をした 容をかめて来るとなると、さて何者を先陣に立たすがよい ら、治部大輔が横手を打ってよろこぶと、それだけ御大将 に申上げなされ。それがこなた様の出世のもとになる」 力」 出世のもと とまで脱線されて、前田利家はまた苦い 「松平竹千代に先陣申付くるというのだな」 顔になった。しかし、一度回転しだした藤吉郎の舌はとま 「他に人がないと申すので」 らず、 「ふーむ」と、利家は小一目をかしげて、 「さて、先陣は松平元康と確定した。そうなると治部大輔こ 「ないこともあるまい。朝甃奈泰能、鵜殿長照、三浦備後 んどは何を考えるか。もし先陣が尾張へ入って御大将と手 みな相当の強者そろいじゃ」 2 2
したがって、義元の脳裏ではすでに出発の時期と備えが 絶えずこまかく検討されている。 瀬名、関口、岡部、小原と蹴まりにみとれている重臣た ちを見ていって、ふとその視線が松平次郎三郎元康の横顔 へとまったとき、 お鶴ー・ーと愛称でよばれて瀬名姫はていねいに挨拶し 「そうだ ! 」 た。元康の長女亀姫をつれているほか、次の子供を懐胎し 義元は忘れていた一つのことを思い出して、そっと席をていて、臨月ちかい。 立った。 もう以前の、娘らしさはなくなって、女房盛りの感じで あたりの者の興をそがぬよう、立っときに手をかした小 あった。年齢も元康より六つ上の二十四になっている。 姓一人をしたがえて、さりげなく幔幕のおくに消えた。 義元は肥満した体をもてあますようにして脇息によりか 松平次郎三郎は、はじめの名乗りの元信を、十五歳の正かり、 「呼んだのはほかでもないが : 月、父祖の墓参を終って岡崎から帰って来ると、「元康」 とあらためた。元信の信が、織田信長の信に通ずること と、すきとおった妊婦の肌をしげしげと見やった。 を、それとなく義元がきらう風が見えたからである。 「元康のことでたずねたい事があっての」 義元は天守のわきの高い廓下をわたって奥の居間にもど「何なりと仰せられませ」 って来た。ここでもしきりに鶯の声が聞え、桃の花がきざ 「この二月のはじめに、尾張の信長までが上京したそう はしの下いつばいにけぶるように咲いていた。 じゃ。三好の徒に痛めつけられた将軍義輝をろうらくしょ その人側の端に一人の女がまだ幼い女の児の手をとってうためであろう。まさかに織田の小冠者すれが、何をしで 坐っている。 かすこともあるまいが、そろそろ予も腰をあげねばなるま いと田、つ」 「おお、お鶴か。待たせたであろう」 義元はわざわざかがんで、女の連れている三つばかりの 瀬名はかたくうなずいた。 と、フじゃな、 子供の頭をなでた。 「そこであれこれと考え合せているのだが、 ' 女は松平元康に嫁している彼の姪、関口刑部の娘の瀬名 姫だったのだ。 262