も、共に討死されたげにござりまする」 その城に長照には腹ちがいの兄にあたる松平清善が攻め「叔母は ? 」 「恐れながら、これも かかったというので、駿府にあった長照が、急いで西郡へ 「うーむ、元康の狸めがツ」 もどっていったのはついこの間であった。 氏真はそこでうめくように口を噤んだ。全身の血が頭へ 松平清善も元康が岡崎へ還ってから元康と通するおそれ のばり、くらくらと眩いがしてきたのだ。 ありとして、家族を吉田城外に串ざしされた一人であり、 駿府の城下で花にうかれて踊り狂うている隙に、父の遺 駿府での噂はそれを怨みに思っての暴挙と取沙汰されてい 領は次々に侵蝕される。といってその憎い元康には何とし したがって、その背後に元康があろうなどとは、思いもても手の届かぬ氏真なのだ。 今になってはどのような手を打ったとて元康自身が駿府 よらず、事毎に神経を立ててゆく氏真を瀬名は心で笑って へやって来るはずはなし、軍勢を催して岡崎へ押しかける こともできなかった。もし押しかけたら、味方の士卒、夜 「藤太郎は何とせしぞ。叔母の局は何とせしぞ」 陣で踊り狂って、そのままどこかへ消えてしまうに違いな 氏真の追及のはげしさに、親永はまたしばらく黙ってい 」 0 それほど敗戦のあとのこの踊りは、「戦争」を人々の 心からうとましいものと印象させるに役立った。 「贈い奴め、やはり元康がうしろにあった。かくなるうえ 「親永、瀬名を連れて来よツ」 はこなたも覚忸はあるであろう。瀬名も竹千代も亀も引き しばらくキリキリと歯をかんでいたあとで、氏真はたた 千切って思い知らせてくりようそ。藤太郎は何とした」 「恐れながら、藤太郎長照、城に到着せし時はすでに城内きつけるように叫んだ。 へ敵が攻め入った後のよしにござりまする」 四 「藤太郎め何をしていたのだ。途中で踊り歩いてでもいた 次の間で瀬名は全身をかたくした。 と申すか」 正面から合戦をしかけてゆけないとき、どのような残忍 「また確かな知らせはござりませぬ。が、長照も弟長忠 つ」 0
近侍が花曇りの庭へ出ていって踊りの中止をふれてい る。 父が中止をすすめたのか、そ ( 何があったのであろう ? 「大事ができたとは ? 」 れとも偶然その場に来合せたのか ) 襖の向うで氏真がたずねると、 とにかく何時もの長者のような落付きの父ではなかっ 「お人払いを」と、親永だった。 た。唇のあたりの肉がひきつるようにゆがんでいた。 「それには及ばぬ。そばには義鎮一人ではないか」 「父上さま、何があったのでござりまする」 癇の立っている氏真の声ののち、しばらく親永はためら 「一大事じゃ」 う様子であったが、 歩きながら親永は手を振った。 「西郡の城が落ちたとの知らせにござりまする」 「こなたは来るな。わしが後で話すゆえ、こなたは : 田むいきったよ、つに口を開しオ 屋敷へ戻って待てといったのか、城中で待てといったの : なにツ、西郡 ( 今の蒲郡 ) の城が : か聞きとれなかった。 が攻めたのだツ。元康かツ」 あわてて手をふって足早に氏真のあとへついてゆく。 「よッ 渡廊下の端でしばらく立ちどまって、瀬名はそのままま 「こなたの婿が攻めたのかツ。それで藤太郎長照は何とせ た歩きだした。そうせずにいられない何かが父の狼狽に感 しそ」 じられる。 つぎの間で聞いていて、瀬名はゾーツと総毛立った。不 渡廊下の右手はいつばいの桜であった。その花と花の間 吉な予感はびったりと適中していたのだ。 に、朱ぬりのばんにりがあでやかにのそいている。 西郡の城は瀬名と同じく、先代義元の妹姫を母に持つ、 その色までが何か不吉な血潮のいろを連想させた。 霧皴藤太郎長照の居城であり、元康が徐々に三河を経営し 氏真は義鎮に手をとらせたまま居間に人った。父もつづ 、こ。瀬名はそ 0 と次の間〈入 0 てゆくとびたりと襖ぎわ出してからは、松平家と今川家の勢力の境界に位置してい に坐って、おどろく侍女に、「シーツ」と、ロを封じて っ一 0 ・ : たれ
うては、わしと織田どのは逢うてはいまい。神はの、とぎ 広間で使者歓待の酒宴の用意がととのうまでと、元康は どき人間の知恵を超えた計らいで遠い先を慮ってくれるも 一益を誘って二人だけでくまなく城内を見せて歩いた。 本丸、二の丸から矢倉、米蔵、武器蔵と平気で案内してのじゃ」 ゆくのだから、考え方によればこれも二つの意味にとれ おだやかな面ざしで、次には竹垣の向うの庭先にうごく 人影をさした。 てんで織田家など眼中にないというのか。それとも、こ 「あれは、花慶院の侍女での、可禰と申す。それそれいま こまで見せておくゆえ、二心のなさを信長に告げよという かがんで水仙を剪っている。たしか尾張の生れじゃと聞い のか。 たが、なかなか心だてのよい娘での」 三の丸の門をくぐって小松谷の横手へかかった時であっ 一益はパチパチッと瞬きして早春の庭にうごく一点の色 彩に眼を映した。笑っている元康の表情が臉を消えず、そ 「あれが、田原から嫁いで来られたわが継母、花慶院の住れが二十の大将かと、胆のすくむ思いであった。 居じゃ」 五 元康に扇の先で示されて、一益は、ほほうと立ちどまっ 】 0 元康が清洲を訪問することになったのはその翌年、永禄 継母田原御前の一族のために、駿河へ行くはずの元康が五年の正月だった。 家臣の中には元康の身の危険を想うてとめる者が多かっ 尾張へ人質に売られた事情はむろん一益もよく知ってい る。 たが、元康は聞き入れなかった。 滝川左近将監一益がやって来てからすでに一年になろう 「わしはの、花慶院の老後をそっとしておいてやりたい。 としている。あの短気な信長が、その間じっと待っていた わしのためにはありがたい人であった」 「と、仰せられると、一族の不義はおとがめなされませぬのだと思うと、これ以上に訪問をのばすことは、訪問の意 味そのものを失うことになるからだった。 力」 それに駿府の氏真はと見ていると、いよいよ亡国の道を 「昔は小さく、腹を立てたこともある。が、あの事件がの 2
れていた。 ゆくか。 しかもその銚子をとって給仕に出たのは昼間台所ロで麦 武田信玄はいま越後の上杉勢に備えながら、相模の北条 湯をささげて来たお愛であった。お愛のわきに上気したお 勢こ駿河の遺産を争っている。 その間隙に、信長とつれだって上京し、越前の朝倉と戦万は、まぶしそうにして坐っていた。 家康はちらっとお愛を見ると、きびしい顔つきで、 わねばならなくなるのまで読めても、その先の変化は読み 「誰が命じてその銚子を持って参った」 きれなかった。 と、叱りつけた。 そうなるとふしぎに祖父や父の挫折の原因が想われた。 御台所頭、天野又兵衛どののお言いつけにござり 守川崩れで祖父の清康が討たれた時より、すでに家康は まする」 三年近くも生きのびている。 人間の生のはかり知れない脆さを想うと、なるほど作左「又兵衛にしかと申せ。城は出来たが、まだまだ足らぬも のばかり。酒などはもっての外のおごりじゃと」 の言うとおり、ひとりでも多く子孫が欲しくなってくる。 「よい。申伝えまする」 信長がそれに気づいて、一度に三人側女をいれたという : 」と、飯椀のふたをとって、 決断は、決して突飛なことではなくて、いわば無常の攻撃「それから : 「米も白すぎる。八分づきにせよと申せ」 に備えて一石打った布陣とも言えた。 ( そうか、その備えもなければならぬか : 「一汁三菜、それも戦場を忘れては相成らぬ。民百姓がな あり余った若さのはけ口を、いたずらな色恋に費してす にを食べているか存じて居るか」 ごすのは、たしかに不用意のひとっと言えよう。 家康はそう言ったあとで、 ( お万だけでは足りぬかも知れぬ : : : ) 「お愛と申したな」 家康は万千代が食事の用意のできたことを告げに来るま 「よ、 し」 で、今までにないふしぎな角度から女のことを考えつづけ 「そちも、予の側で仕えぬか。いや、今すぐにとは言わ 奥〈通 0 てみると膳の用意ができ、それに銚子が添えらぬ。また討死した良人のことが念頭をはなれまい予が上 249
「殿もおかしなお人じゃ。そのあたりに立っている松をよ 「殿はお子の欲しいところ。岡崎の三郎君はご兄弟の欲し くご覧なされ。この城をご覧なされ、根があり、土台があ いところ。女子は産んで育てるが本来の望み : : : 」 ればこそ枝も張れば、稍も鳴る。人の情で松が立っている 作左はさながら敵の槍先にでも立っているかのような眼 、ものか」 じれた様子で舌打すると、家康は顔をそむけて、じっとをして、次々に指を繰った。 「もしその女子が、すでに女丈夫と折紙ついた後家ででも 膝をつかんでいった。 あったら、それこそ四方八方みな善根になりまする。こう してじよじょに根を張りながら、色恋に費す無駄をおやめ なされと申しているので」 家康は、作左衛門の言葉の意味が半ばわかっていなが 家康ははじめて大きく笑い出した。 ら、的確にはつかめなかった。 「わかった。わかったゆえ、食いつくような眼をするな」 6 天地自然の理にくらべて、人の情の小さい場合はよくあ これはとんだところで 2 「食いつくような : が、その小さい人情もまた天地自然の理の一つ : : : そう身が人 0 た。では、作左、これから矢倉の見回りに参りま する」 考えると迷いが出た。 いうことだけをいってしまうとあとはまた、鬼のあだ名 「するとそちは、非情になって、あの松の根をつかめと申 にふさわしい無口に返る作左であった。 すのか」 作左が去ってゆくと、万千代がすぐまた縁へやって来た。 「御意。女子の性根をよくつかんで、小さな労りなどはな 「殿、ご上一示は何日ごろでござりまするか」 されまするな」 「、つ、び」 「なるほどの、つ」 「榊原小平太どの、本多平八郎どのなどのお話しでは、こ 「子を産ませておやりなされ。それを健かに育てられるよ うに計ら 0 ておやりなされ。それが、天地の性根。ロ舌のんどの上京はただの上京ではない。織田殿とともに越前の 朝倉義景と合戦することになろうと : : : それはまことでご 労りなど、まことの労りではござりませぬ」 つ」 0
びるもの興るもののふしぎさ身にしみじみと味わい申「わしが、氏真は今では叔父御の仇ではないか。三河の殿 そういうと叔母御 に降参して、家の安泰を計るがよい 候。 仰せのごとく万千代は枯葉の霜に朽つべきものには無は、はじめ笑いました」 之と存じ候まま、三河どののお栄えに井伊谷の春を祈「何と言って笑ったのだ」 「こなたはまだ子供ゆえ大人の意地はわからぬと : : : それ りて差遣わし申候。 なにとそ末永くお目かけ賜りたく、いずれ黄泉にてのでもだんだん責めてゆくと、こんどは涙をうかべられ、こ お目もじうれしく相待申候。 の叔母が降参すると三河の殿がお笑いなさると : 気がつくと万千代の双眼からはポトボトと涙がしたたり 春霞立つ日も待たで姫小松 みぞれ 出している。 曳馬の野辺に霙するかな 「三河の殿 ! 叔母御は、殿が好きだったと洩らしまし 読み終って家康は腕を組んだ。どこにも降伏の文字はな 「そうか。そう言ったか : あるのはそこはかと悲しい感懐のうらに、きびしい冬 「はい。はじめは義元公のお声がかりで輿人れ出来ると思 を感じさせるものばかりであった。 うていた。それが出来なくなったのが、興る者と滅ぶるも 「万千代」 のの運の岐れ路。同じ雨でも春の雨と霙は違うと申されま した」 「叔母御は、こなたが降伏をすすめた時に、何とされた。 「、つも」 それをそのまま話してみよ」 亠よた・ハラ・ハラとたばしるよ、つに ~ 放が降っこ。 「霙はきびしいほどよい。もしここで三河の殿に降伏し、 いっそ冷たい雨で 生ぬるい雨であったと思われようより、 九 通そう。その方が、三河の殿のお心に残るであろうと」 家康に問いかけられて、万千代の光る眼に、燭の灯が 「、も、つよいー・」 ゆらゆらとゆれていった。 家康はあわてて、万千代の言葉をさえぎった。聞くに耐 よみ 226
「ならぬと申したらならぬのだ , 血迷うとその方も斬っ 「平八めが、たとえ無事に斬りぬけて戻ったとて軍法を破 て捨てるそ」 った罪は断じて許せぬ。予に斬られても死、斬死しても 「平八郎をこのまま討死させてもよいと仰せられまする 死。平八めは城見などと小ざかしい言葉を構えてみすから か。いつもの殿とも覚えませぬ」 小平太がそういうと、家康は佩刀の柄に手をかけてずかその道を選んだのだ。わかったか」 しかし誰も「はツ」とは言わなかった。ひれ伏した小平 ずかっと小平太に近よると、 いきなりそのえり首に手をか 太が唇をかんではげしく肩をふるわしている。 小平太は「あ ! 」と本能的に身をすさらせてうなだれ「作左」 「よッ しばらく家康の腕も唇もプルプルと震えていた。 「よく若いものを見張っておれ。ふたたび予の命にそむく 者があったら、遠慮はいらぬ斬って捨てえ」 あたりは薄暗くなって、だんだん霰がしげくなる。 そう言い捨てると家康はそのまま幕の外へ消えていっ 2 「、つぬらよ、、 しつからそのように軍律を軽んじだしたの だ。予の言葉をなぜ胸で、肚で、受取らぬのだ」 しばらくは誰も言葉を発する者もない。 家康はそういうとはじめて激怒の口調から、平素の声に 「これ火が消えるそ。薪をくべや」 変っていった。 と、作左衛門が言った。そして小者が加えた松薪が勢よ 「ぬけ駆け、一騎打ちは、もはや遠い昔の兵法、とあれほ ど説いて聞かせているのがわからぬのか。弓、薙刀の時代く燃え出すと、 きっと怒ると言っていたのだ」 は過ぎて鉄砲の世になった。一糸みだれぬ隊の備えが勝敗「言わないことではない。 作左は節くれ立った両手をかざしてポツンと言った。 を決すると、あれほど聞かせた言葉がわからぬのか。予の 命に服せぬとあれば、平八郎はおろか、小平太とて彦右衛 五 とて容赦はせぬ。予の家来はその方たち一人ではないと知 れ」 る。 「それにしても、飯尾の後家、平八郎と知ってよく討って
「お父上のお子ゆえ : : : なんとしまする ? 」 徳姫はそれからしばらく濃姫に抱かれるような姿勢で琴 「淋しゅうなっても泣きませぬ」 の稽古をして帰った。 「それがよいそれがよい。そうじゃ、強いお子でいらるる どこにも暗い影はなく、遊山にゆく気でいるらしい。渡 ように、わらわからも守り刀をさしあげましよう。じゃが廊下まで送っていった濃姫にあどけなく一礼し、それから : あまり強うなって、信康さまといさかいしてはなりま琴を弾く手まねであろう、胸元ですきとおった小さな指を せぬぞ」 うごかしながら消えていった。 「信康さまとは睦まじゅ、フいたしまする。信康さまは姫の 農姫はしばらくして引っ返すと思い出したよ、つに仏間へ 大切な婿君じゃそうな」 人った。 「岡崎へ参られたら、ご挨拶はきちんとせねばなりませ 両親がこの城の麓の館で殺されたのもこんな青葉の季節 であった。 ん。まず信康さまのお父上に会われた時は」 「いく久しゅう、お目かけ下されませと」 四 「そうそう。お母上に会われたときもそれでよい。が 来たちには何んと言います」 殺されるもの嫁ぐもの、産まれるもの、産む者。 姫は無邪気に首を振った。生母が教えてないらしい。呼そうした人事の錯綜は、人それそれの意思によって動く んでよかったと濃姫は田いった。 ようでもあり、それよりはるか高いところで操られる糸に 「家来たちには、あれこれと世話をかけます : : : きちんと も想えてくる。それも濃姫が三十歳をすぎて人生流転の姿 坐ったまま、そう声をかけておやりなされ」 をあれこれとみせつけられたあとの円熟からだったが。 ーしきちんとこ、つ坐って」 濃姫は仏前に香を焚いて、心の底から姫の加護を仏に祈 「そうそうそれでよい。やさしすぎず、強っすぎず : り、それから、今日一足先に城を発する姫の調度や婿引出 姫はそこまで言って、またロをつぐんだ。 を、取落しないように自分でまたみてまわった。 こんなにあれこれと教えてゆくと、却って混乱を起しそ こんどの婚儀の正使として荷駄の宰領をして岡崎におも うな気がしたからだった。 むくのは佐久間右衛門尉信盛。徳姫の附人として、岡崎に 200
川家にはない。貴公と槍を合わせたも、城所が笠とかつぎ そういうと手にしていた鉄砲をゆっくりと半之丞の顔へ でいでたったも、みなその志を申そうためだ」 むけた。 「貴公が惣次郎どのか」 「河井正徳というちんばはうぬか」 平八郎は槍をひいた。 「そうだ。折角のご入来ゆえ、五十匁玉一発お見舞い申そ 「いかにも承知した。 : 、 力あぶないところであったぞ。半う。それともここは引きさがるか」 之丞めが貴公に斬ってかかったら : : : 」 半之丞は太刀をあげたままあざ笑った。 平八郎がそう言った時、惣次郎の本陣と見せかけた幔幕河井正徳は以前の名を小助といった。彼はある戦場で引 のあたりで、ワーツと異様な喚声があがった。 きあげるときに、 「ーーあやっ、手負うて引くぞ討取れ」 と、呼びかけると、きっとうしろを振返って、 戦ほどはっきりと人の運不運を見せてゆくところはなか「南無八幡、手負いではないぞ。生得のちんばじゃ」 かっと相手を睨みつけて引きあげていったので、 本多平八郎は城所助之丞に進撃をさまたげられたとあせ 「ーーーその方これから正徳と名乗れ」 りながら、実はめざす大将と槍をあわせていたというの 氏真にわざわざ名をつけられた男であった。 ちんにゆう 、蜂屋半之丞は遮二無二本陣へ斬りこんで、思いがけな その男が鉄砲の玉ごめして、半之丞の闖入を待ち構えて い敵の前へ立たされていた。 いたのである。 半之丞はひくもならず進みもできない羽目に至って、思 当然牧野惣次郎が腰かけているはずの床几に、一人のひ どいちんばの男が腰かけていた。 わず太刀の柄頭を握りしめた。 「うぬは誰だツ」 「来るというのだな半之丞」 さまたげる者二人を斬ってすてて幕の中へすすむと、床「ほざくな。敵を前にして退いたことのないおれだ」 几にかけた男はゆっくり立上って、 「では来るか」 ; 。、ツと跳躍す 正徳が口をゆがめて笑うのと半之丞の体力ノ 「河井正徳た。蜂屋半之丞だな」 つ ) 0 188
そうしん むろん理性では、これこそ得難い「諍臣」と思い、捨身 「何がおかしい」、 の奉公を志している故言い得ることと納得していながら、 「殿、誰が殿に女をつつしめと申しました ? 」 若さは却って反撥した。この傲岸な男に一矢も報いずにお 「それゆえ、つつしまぬと申して居る」 かれるものか。 「おやりなされ。どしどしおやりなされ」 「作左、その方まさか世の常のロ舌の徒ではあるまい」 そう言い放って、また作左は傍若無人に笑っていった。 「知らぬ。自分のことはわからぬものだ」 「尻に敷かれたり、城の外へ逃げられたり、殺されかかっ 「知らぬとは言わさぬ。そちの忠告にしたがって予も達人 ても分らんでいたりするうちは、兵法ならばさしずめ語るになろう。その方先程何と申した。尻に敷かれたり、城の に足らぬ未熟者。何によらず未熟者は見苦しい。折角達人外へ逃げられたり、殺されかかっても分らなかったりと申 におなりなされ」 したな」 「なんと、減らずロめが」 「やれやれ。何という執念ぶかさか」 家康はきびしい眼をして作左の横顔を睨みつけた。 「聞こう。尻に嗷かれては築山がことであろう」 「仰せまでもないことだ」 「尻に敷かれぬ工夫。遁げられぬ術、女子の心を見ぬく 人間は捨身になるとこのように強いものであろうか。 業、さ、どうすればよいと言うのじゃ。まさかその方自 家康は、いまたかって家臣の口から未熟者と呼ばれた経身、その術策をわきまえす、予を未熟者と断じたのではあ 験はなかった。たとえ女のことにもせよ、ずけすけと主君るまい」 を叱って、少しもはばかる所はない。 作左はじろりと家康を振返って、 それも鳥居忠吉とか、大久保常源、石川安芸、酒井雅楽「おかしな殿じゃな朝日の下で。そんな話は夜分のお伽の むつき 助などのように、襁褓のうちから采配をとって来た年寄ど席でするものじゃ」 もならいざしらず、たかが十か十一の年長で : : : そう考え「黙れッ ! 」 ると胸もとがムカムカする。 「黙らぬのは殿の方だ」 181