存じ - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 3
106件見つかりました。

1. 徳川家康 3

そうなると信玄は当然遠江から三河、尾張と、今川義元 一と、聞けばあとは申しませぬ。冷たい清水でも運ばせま の通った道をそのまま通って上洛を企てる。まっ先にたた しよ、つかは」 かれるのは家康だった。 「うむ。ここで聞く松風の音はかくべつ。よい城じゃの」 ( そうだ。これは早急に越後と連絡せねばならぬ ) 「左様、いつも風めが頭から叱りつけてござる。それでよ いのか。それでよいのかと」 越後の上杉謙信だけが、武田信玄の背後にあって彼を牽 作左は鋭い皮肉をのこして立上ると、そのままあずまや 制しうる唯一の存在なのだ。 をおりていった。 : さて、上杉家へ誰を使者につかわしたものであろ 家康はその後姿を見送って、 この使者はまだ両家の間に何の交りもないだけに、なみ 「皮肉な奴だ。何か言わねば居られぬのだ」 つぶやきながら作左の忠告と自分の考えの符節を合しての人物ではっとまらない。 視線を銀河に投じたまま、そうしたことをしきりに考え いるのに微笑した。 姉川でのこんどの合戦で、名だたる将士の大半を失ったているところへ、 しよいよ最後のあがきをはじめるに違いな 「冷えた麦湯でござりまする」 浅井、朝倉は、、 、 0 向い風に吹き千切られて鈴虫の音に似た女の声が聞えて 四国からのばって来た三好三党とも結ぶであろうし、本きた。 しかしただそれだけでは織家康はハッとしてふり返り、 願寺、叡山とも語らおう。が、 「お愛か : : 」と、息をのんだ。 田の勢いにはあらがいかねる。そこで当然、甲斐の武田信 「作左め、そなたに運べと申したな」 玄入道に働きかけるに違いない 「十、 0 ルヾゝ、 信玄人道が加わることになって、大和の日和見ども、筒 カお一人で涼んで居られる。ご用があるかも知 れぬゆえ、お傍に居るようにと申付かって参りました」 井、松永が動揺する。いや、それよりも将軍義昭自身が、 「なに、予のそばに居れと」 武田信玄を盟主にした反織田軍の一大連盟をつくりあげよ ご用がございましたらお申付け下さりませ」 うとして動いてゆくに違いない。 2

2. 徳川家康 3

らなかった。 瀬名はたまりかねたように声をかけた。 しかもその瀬名が、お粂と同じ声音で : : : と考えて、ま彌四郎は答える代りに濡れた青葉に視線を投じて、ゆっ た彌四郎は愕然とした。 くりと身づくろいした。 ( この不倫な関係がもし家康の耳に入ったらどうなろう : もはや彼の心ではどう生きようかが決定したらしい。言 わば今の身づくろいは、新しい人生への出発の身構えとも 言えた。 「のう彌四郎、何とか言うてたもれ」 瀬名はいよいよ声をせつなく震わせて、またそっと彌四 「奥方さま」 郎のえりあしに唇をつけて来るのである。 きちんと姿勢を正しおわると、彌四郎は瀬名を正視して 今まで気づかなかった高貴な匂い袋が、ふわりと鼻腟を坐り直した。 よぎってすぎた。 「この彌四郎を、これから何としてくれまする」 彌四郎はますます顔があげられなくなった。 「彌四郎、そのような怖しい眼をしやるな。みな殿がわる のじゃ」 顔をあげた瞬間に彌四郎の人生は新しい決定を迫られい おび 「よい悪いを申しては居りませぬ。もし又それを言うなら る。主君を裏切った不信の家来として怖えながら生きてゆ ば、奥方さまは家臣と不倫を働かれたお方、彌四郎は主君 くか。それとも瀬名を征服した男として、小さな不倫など の御台所を盗んだ人非人にござりまする」 意に介せずに生きとおすか : 「彌四郎、それを言やるな。誰も見ていたものはない。そ 彌四郎にとってそれは生か死かの間題にひとしい。 やがて なたとわらわの胸に深くつつもうそ」 「それが奥方さまのお心、と受取って宜しゅうござります 彌四郎は顔から一切の表情を消して、静かに身をおこす と、瀬名を無視して身づくろいをはじめた。 るか」 「それより他にないであろうが」 「さらば、お庭先を拝借いたしとうござりまする」 「この雨の庭ーーー庭先で何とする気じゃ」 「彌四郎、なぜそのように冷たい顔をしやるのじゃ」 304

3. 徳川家康 3

たりをねめ回していたが、濃姫を見るとあどけない顔にか くこれをいなしていった。 ) えってこく . りとした。 ( この女たちと同じ列まで、自分を引き下げてなるもの 「若殿、お男ましい・ー」 か ) 濃姫はつかっかと、床几のわきにいって坐った。 その勝気な闘いはやがて濃姫を、良人とともにぐんぐん 「たとえ父上にどのようなことがあろうと狼狽はなりませ 伸びる大きなものに育てていった。 今では徳姫は徳川家に、信雄は北畠家に、信孝は神戸家ぬぞえ。勝敗は武家のつねでござりますれば」 「うん ! 」と信忠は固くなってうなずいた。 にそれぞれ父の手許を離れ、この城にいるは長男の信忠だ けであったが、どの子も正室としての濃姫には心からなっ いている。 信忠のそばには留守居の重臣たちが続々とつめかけてい ( 負けなかった のぶかね た。織田信包の指図で、滝川一益や川尻肥前守のもとへは と、濃姫は思う。妻としても女としても、人としても。 濃姫はしばらくじっと煙るような梨花の中に自分の過去使者がとび、生駒八右衛門、福富平左衛門等の指図で、 を見つめていたが、やがてきっと身づくろいして立ちあが 小谷の城をめざして岐阜勢出陣 ! 」 ると、そのまままた本城へおりていった。 の間諜がつぶてのように放たれた。 小谷の城へ攻め寄せると見せて実は籠城。 この間諜のとばす流言によって、浅井勢を二分させる それもこれも、頼みがたい将軍義昭や、浅井父子の去就と、信長の背後を襲う勢力が半減する。 にふれたせいであったが、戦国の世ではうかつに嗣子の信 ばうばうと法螺貝が鳴りだした。 忠を城からは出せなかった。 濃姫はその音に耳をかしげながら、ニコリと頬へ笑いを かっての奇妙丸信忠は、すでに元服して十四歳になってきざんだ。あまりにはげしい人生の変転を見て来ているの いる。 で、信長の無事をーーと祈る気持より、笑われずに、その 農姫は千畳台に渡るとそのまま大広間へ出ていった。 生涯を閉じるようにとの不敵の希いがつよか 0 た。 すでに正面には、その信忠が、具足をつけて、きっとあ ( 殺すものは殺される : : : ) 9 2

4. 徳川家康 3

この秀吉も死んで閻魔に叱られまする。まずまずここは秀それでいて信長は若葉を見ては哄笑し、山容を仰いでは 眼を細める。 吉の算盤にお従いになりませ」 次々に口を衝くしんらつな皮肉も、進撃の時の言葉を返 家康は聞いているというよりも秀吉のふしぎによくうご せぬきびしさとちがった和みをもっていた。 く口許を眺めていた。 「お館は、この松永弾正が性根をお疑いなされて居られ 「よかろう。ではおぬしの言葉に従って、この家康は先に 引取ろう。それがしは若狭の小浜から針畑を越えて鞍馬へる」 「飛んでもないこと。おことほどの智略は、海内ひろしと 出る。それがしが無事に通ったら、おぬしも安堵して退く いえど 雖もならぶ者なし。それゆえわざわざ信長が傍をはなさ がよし」 ぬ」 「これは千万かたじけない。では京で」 馬をならべて行く松永久秀は半白の鬢を風に吹かせなが 家康が立ち上ると、秀吉はちょこちょこと寄って来て、 ら忌々しげに黙っていた。前将軍義輝を滅し、三好三人衆 草すりのほこりを気軽にたたいた。 をおさえて京へ覇権を確立しようとした智勇卓抜の久秀。 十四 その久秀が、信長の下風に立っているのはもとよりうわべ いつもの癖で進撃の時の信長は、面もむけられない激しのことであった。 信長の言うとおり、京へ彼が残っていたら、この機を逸 い闘志の権化であったが、退き戦となると、やたらに冗談 せず一画策、浅井家に兵を割いて岐阜を襲わせ、大和から を一一一口いまくった。 「都落ちという言葉はあるが、金ヶ崎落ちとは信長が始め和泉、摂津に策動して京での信長の勢力を覆滅する絶好の であろう。どうだ久秀、大和に居らなんだを悔いているで機会を攘んでいたに違いない。 が、その意味では彼もまた信長と同じ誤算をしてしまっ あろう」 柴田、佐久間、丹羽、前田と、それぞれ部隊を分けた陣た。 ーレ - 戸ノ 払いで、朽木越えをして江州の高島郡から京への間道こー ( 浅井家が信長の背後を衝くとは : きあげる信長の本隊は三百騎に足らなかった。 ただ久秀が不審に思うのは、そうした彼の肚を知りすぎ 2 & フ

5. 徳川家康 3

り、信長のもとへ義秋を連れていって、はじめて光秀もま 山城にありながら、彼の生活はみやびを守って捨てなかっ た信長の家臣になったのだ。 きんだち 永禄二年の八月にわざわざ京都から公卿公達を呼び迎え信長は義秋という手土産持参の光秀をいきなり、一万貫 えん て阿波賀河原で曲水の宴を催したりしている。大覚寺義 ( 八万石 ) の大名に買いとってきびきびこれを使いこなし 俊、四辻大納言秀遠、飛鳥井中納言雅教なども列席し、そた。 それだけに光秀は恩義とともに一まつの後めたさをどう の宴席で、 することも出来なかった。 花流す昔を汲みて山水の 「越前はそちのかっていた国、わかるであろう民の気風 一葉を誘う秋の涼しさ 力」 と詠じている。 「はい。それは、やはりこのたびの御先手、武功抜群の柴 そうした風懷が流浪の教養児を引きつけて、朝倉家へ仕 田どのが適任かと : 官させたのであったが、仕えてみると失望することが多か みなまでいわせず信長は笑いとばした。 っ一 ) 0 「、ツハッハ、その答えは気に入らぬ。気に入らぬそ光 風雅はあっても決断がなかった。みやびはあっても強剛 な脊骨が感じられなかった。 「すると殿のお考えは ? 」 そこへこれも流浪の足利義秋 ( 後の義昭 ) が細川藤孝 ( 幽 「何んで拙者が治めて見せると言わぬのだ。おれの心は決 斎 ) に伴われて頼って来たのである。 っているが、一乗ヶ谷では治めにくかろう。新城はいずれ 義景に烈々の断があれば、この時にこそ義秋を奉じて京 へ出で、松、水久秀を討つべきだったのに、義景は実力あり 「は、。拙者 : : : とあれば北の庄 ( 福井 ) に居るがよいか と見られながら起たなかった。 義秋を連れていった細川藤孝も失望したが、光秀も失望と心得まする」 そう答えたとき本陣の慕外が急に騒がしくなっていっ した。みやびと武断は、同じところにはなかったのだ。と すればこの乱世には武断の方が : : : そう考えて藤孝と計 ) 0 2 / 2

6. 徳川家康 3

舅の久政はいつももの言うときに「義」を口にした。風 「お方 : ・・ : 」と庭で声がした。 姿は良人よりもみやびていたが、 気性のはげしさは良人以 良人の浅井備前守長政だった。 長政は二十六歳。父の久政が隠居して、二段下の山王丸上と、お市の方にもわかっていた。 が、正直に言って兄の信長となると、お市の方にはその へ別居してからは、この本丸で、しきりに諸家諸勢力の消 長を眺めやっている。むろん信長と縁組したのもそうした性格の判断はつかなかった。周囲の人の中にも「大うつ け」という者があるかと思えば、「天下取りの器」と褒めち 政治の一つであったが、今では心の底からお市の方にひか ぎる人もあり「残酷無比」と評する人があるかと思えば細 れていた。 かいところにお気の届くご仁政と涙を流す者もあった。 「こなた、京へ行かれた兄君の心を何と思うぞ」 しかもその信長は末の妹のお市の方には、この上なく甘 不意に話しかけられてお市の方にはその意味がのみ込め よ . かっに 0 くなっかしい兄であった。 「は : : : 兄上が何か」 徳川家へ嫁いだ徳姫にもそうであったし、武田勝頼にと 何気なく顔をあげてお市の方はハッとした。良人の表情ついで、産後の日だちが悪く、すぐに亡くなった養女の雪 にただならぬ困惑の影を見てとったのだ。 姫 ( 信長の妹婿苗木勘太郎の長女 ) に対しても同じであっ 「兄上さまが何か ? 」 「ーーー・女子はの、かなしいもの、いとおしいものじゃ」 「亠まあよい」 長政は思い返したようにため息すると、 膝に抱きあげて頬ずりするときには、ほんとうに涙ぐん でいることがよくあった。 「茶々が待っている。早く折っておやりなされ」 その兄が今年の上洛にはわざわざ途中で相撲興行をした そう言いすてて、そのまま庭をめぐっていった。 お市の方は思わず手をとめて、良人の後姿と愛児の姿をり、京で花見をやったりしてひどく上機嫌に浮かれている という噂は聞いた。 見比べた。 舅の久政は、何彼につけて、物柔かく、しかしつけつけ ともの言うたちであったが、 3 2

7. 徳川家康 3

( これも母御の恩か : 具がひびいて来る。 家康はっと立上 0 てワーツという鯨波のこえに耳をすま「鍋、あまり急ぐな。霧で姿を見失いそうじゃ」 「殿 ! 敵は城門まで迫って居りまするそ」 霧の中から聞える一揆の喚声に応えて、味方の矢倉から いっせいに矢を射だしたらしい。その矢戸の下で、旗下の 最先鋒鳥居彦右衛門元忠は、家康の駆けつけて来るのを待 こんどの声は意外に近い。 っていた。 どうやら霧にかくれて城門の近くまで接近して来ている 足軽十人ずつが、いつでも門をひらけるように左右の扉 ものと見える。 に蟻のように喰いついている。 「母御、休まれえ」 「開けえーツ」 家康はまだそこにひざまずいている於大に言って幕の 家康の姿を見つけて先着していた楙原小平太が号令し 外へ出た。 「小平太、城門を押しひらけ。いつものように討って出た。 ワーツと槍や抜刀が宙におどって、ギ、ギ、ギーツと五 る。おう、何度でも何十度でも、何年でも根くらべじゃ」 百貫をこえた鉄鋲の扉が左右にひらくと、 母へ聞かせるようにそういって、 「・ものども机け・つ」 「鍋 ! 馬をひけ」と家康は呼ばわった。 そしてはやり立っ本多平八郎忠勝とくつわをならべて大家康、元忠、平八郎、小平太の順で霧の中〈馬を躍らせ ) 0 手へ駆けた。 かち よ徒士の兵も先を争ってなだれ出る。 いつも火のようにジリジリと胸を灼いてくる憤怒が、オ 「法敵を討てつ ! 」 ぜかいまは、笑い出せそうなおかしさに変っていた。 仏という同じ大きな真理の胎内にあって、あれこれと迷「退く者は地獄だそ」 「すすんで浄土へ成仏しろ」 いながら争ってゆく人の姿が、ふと客観できるからであ そうした叫びが、みる間にはげしい太刀打ちの音に溶け 745

8. 徳川家康 3

げなさりましたら : : : 」 「母御 : ・・ : 」と、家康は声をおとした。 「、フー主び」 「もし母御がこの家康ならばなんとせられる ? 」 「はい。相手が二分をねらうもの故、どこまでも一つにな 「殿 ! そう遊ばしませ。さすれば、家人と殿の心のつな がりが改めて生きて来まする。殿とわれ等は祖先の世から るよう計らいまする」 「この家康とてむろんそれにつとめて来た。が、いっこう一体だった : : : そう気がつくと、見えない敵、うしろから 頑是ないやからで、このまま抛っておいたのでは今年の餞の煽動者どもは、いつの間にか浮きあがり、何事も企み得 なくなり・寺しよ、つ」 饉はまぬがれぬ。春までに終熄させねばならぬとなあ」 いっか於大は声にも眼にもはげしい情熱をみなぎらせ、 言いかけて、また立っている母のために、 身をのり出しているのであった。 「小平太、床几を」とうながした。 榊原小平太が床几を持って来たが、於大はそれに掛けな 五 かった。つつましく冷たい地面に膝をついて、 家康はまっすぐにわが母をみつめたまま、胸の中で冷たユ 「恐れながら、それが短気ではござりますまいか」 「今年の作付けは出来なくともよいと言われるか」 い流れのはげしく噛み合うのを感じた。 「仰せの通り」 母の言葉がうなすけないのではない。 於大はきつばりと答えた。 戦略として、たしかにそれは卓抜したものにえた。 何年経っても家康は討てもしなければ屈しもしない 「それより大切なのは、殿が、何年かかろうと家臣たちの 、、かに血迷った家の子どもも、 考え直すまで、説いて、説いて、説きぬく決心を遊ばすこそう知ったら ( このままでは餓死 ! ) とこそ大事かと存じまする」 と、気づいて反省するに違いない。 「なにつ、何 . 正・かかろ、フと ? ・」 が、それでは、あまりに自分がみじめに田 5 えた。 「はい。そちたちあっての松平党ゆえ、わが手足は斬るに 若い領主とあなどり、煽動されて自分に弓ひいた家の子 しのびぬ : : : 罰するにもしのびぬ : : : この家康の心がまだ たち。侮られたという憤怒は、そのような生ぬるさでは消 わからぬかと、戦うたびに家人に告げて、さっさとお引揚

9. 徳川家康 3

感情ではじりじり腹が立っている。が、反対に家康の言葉 「ではご破談になされまするか」 家康はこくりとうなずいた。 が薄気味わるく理性に白刃をむけて来たのだ。 「が、これはもともと信長どのより申越された縁談、信長戦って殺されるがよいか。 どのは激怒されよう。その折にはなんとしようかの」 尾張の姫をもらって生きのびるか。 「尾張の姫も哀れゆえと、事をわけて」 生か死の一つを選べと言われると婚姻だけが人間の仕合 「それでも聞入れなく、松平家に、われと連盟の意思なせではないと言われた家康の言葉を、いやでも承服しなけ ればならなかった。 し。弱少のうちに一戦をと、戦を挑まれたその時は」 「さあ : : : 」 「予はのう御前」 「その時には敗れる覚悟で一戦するか。一戦すれば、予も家康はじりじりと瀬名の心に食い入る語調で言葉をつづ ない。お許もない。竹千代も姫も、家臣も領土も城も : : : 」 家康がしずかに指をくってゆくと、 「織田信長を、見上げた人じゃと思うて居る。わかるか ? 「殿 ! ご卑怯でござりまする」 駿府では松平家が落ちぶれ果てたとき、何と申したか覚え 瀬名はまた身をふるわしてわめいた。 ていよう。予を人質に差出せと言って来たのじゃ。今信長 「それではご破談といったは嘘、ただこの瀬名を言い伏せが、同じことを申して来たら何とする。一族郎党が生きの るためではござりませぬか」 びるためには、涙をのんで竹千代を清洲へ送らねば相成る 家康はまた大きく吐息した。 「そうかも知れぬ。が、そうでないかも知れぬ」 ないかも知れぬとは、何のことでござりまする」 「どのように口惜しくとも、感情にまけて家臣を殺し、一 。、っそ滅族を路頭にまよわせては大将の器にあらずと笑われる。出 「お許がそれでは竹千代の前途も思いやられるし ぶるものならば一戦やって、早く苦の世界を逃げたい心もせといわれたら出さずばなるまい。よいか、信長はそれを いわずに、自分の方から姫を岡崎に寄こそうとゆうて来 、つ′」いて居る」 た。人質を取る代りに、姫をやるゆえ協力しようと 瀬名ははり裂けそうに眸をひらいたまま口をつぐんオ よ」 0 112

10. 徳川家康 3

「御前があわれゆえ、藤太郎が子たちは見殺しにせよとい ついに数正は本論に入った。額も腋もべっとりと汗でい っギ、、、こっこ 0 、つのか」 し / 学 / 「それに : : 御前も殿のお傍を離れとうはござりますまい 氏真はそろっとまた寵臣三浦義鎮をふり返った。 し : 石川数正は、二人の会話に息をこらしていた。こんどの 三浦義鎮は氏真の視線にこたえて、女のように首をかし使いの成否は寵臣義鎮の言葉ひとつにかかっている。すで に氏真は自分の頭脳では決断しかねて、義鎮に話しかけて いるのである。 彼にとっては考えてみるまでもないことだった。 「さなくば、こ、つ・なき、れては : 氏真はおそらく鵜殿長照の子たちを見殺しには出来ま と、義鎮はまた上半身をくねらせた。義鎮にとって瀬名 そうなれば数正のいうとおり、瀬名母子と取替えて助 は氏真の寵を争う恋敵に田 5 えた。それでわざわざ瀬名が哀 けてやるより道はなかった。 れだなどと心にもない媚びを見せ、そのあとで引替えた方 ( これは氏真さまの負け : : : ) がよいと瀬名を駿府から追うつもりであったが、そうした と、ひそかに思っていながらすぐには答えす、 たつつ 「殿のお心をまず」 妬心のうごきまでは数正にはわからなかった。数正は立着 と、媚びるよ、つに一一「ロった。 けの膝をつかんでじっと上眼で義鎮を睨んでいる。 「予には、また元康めが何か小細工を : : : と、思う節があ 「小細工 : : : とお疑いあらば、元康を駿府にそむかせぬ るゆえこなたの意見を聞いているのじゃ」 旨、ここで、数正に誓書を書かせましては ? 」 「恐れながら、この儀、お断りあっては如何かと存じます「誓書を : : : それでどうするのじゃ」 「その上で数正に、御前と子たちを渡しまする。あとには るが」 「なぜじ物 ? 」 まだ酒井忠次以下の妻子もござりますれば、数正も鵜殿の へんび 「駿府の華やかさから岡崎の辺鄙へ移る関口御前が可哀そ遺児をおろそかにはいたすまいかと心得まするが」 氏真はホッと大きく慧をして、うなすいて、数正に向き 、つに、こギり〔する」 9 9