「ほう、よい名だの、さっき来たお愛は、何か申していた 殊によると亡くなった吉良御前が、自分によく似たお愛 力」 「何かお殿さまのお気にふれたようだ 0 た。そなた往んを家康のそばに近づけて来たのかも知れない。それだ 0 た ら定めし意地わるい眼で、家康がそれをどうするかと、ど で、お流しせよとおっしやりました」 こかで見ていることであろ、フ。 「そうか。やつばりそう取ったか」 たぶん戦旅より帰 0 た主君、自分の手でと思 0 た律義な家康が風呂を出るとお愛はまた着拠えをささげて待 0 て 行為であったろうと : ・・ : そう思うと家康は、何故かふっと さっきのことを叱られたと田 5 っている故であろう。いく 淋しくなった。 「作左が言い種ではないが、わしはまだまだ扱い方を知らぶん固くな 0 ている。視線が家康と合うたびに姿勢を正す 感じであった。 ぬようだ」 几帳面な、律義な、そして外柔内剛の性格らしい。 「はい。何でございまするか」 家康はわざと一言も声をかけずにお愛の前から大広間へ 「たわけ、ひとり言じゃ。ご苦労、もうよい退って居れ」 出ていった。 四 大広間ではすでに勝利を祝う膳の用意がととのってい 家康はそれからまたひとしきり湯ぶねに沈んでうっとり まだあたりはほのかに明るかったが、二間おきに、燭台 と半眼を閉じていた。 の灯がゆらめき、濁酒がなみなみと盃に注がれていった。 城へたどり着くまでに、時々想い出した女はお万であっ た。が、そのお万は自分を出迎えていたのかどうか ! そ 酒井左衛門尉と、松平家忠が一さしずっ立って舞った。 女どもは近づけない。酒のあとには七分づきに麦を混ぜ れすらはっきりと思い出せない。出迎えた人々の中に見つ た大盛の飯にとろろ汁で、それが舌をとろかすように美味 けたお愛の顔が、お万の姿を遠ざけてしまったらしい。 つ」 0 家康はフフフと笑った。何か二人の間を見えない糸が繋 宴は暗くなると間もなく済んだ。 いでいる : : : そんな子供じみた空想がわいて来たからだっ 330
「ーーーそうか。言い交した者があったのか。それではやむ 又右衛門はその使を帰して律義に「切腹」まで考えたら を得ぬ。が、念のためにその者の名を聞こう」 はい。それが木下藤吉郎でござりまする」 すると、そこへのこのこと猿は訪ねていって、 なに、猿じゃと。嘘ではないな」 どうだ・。行く気になったであろう」 キム . : ーし。この父もあまりのことに : と、やってのける・みな打合せてのからくりゆえ、真正「 又右衛門が言いかけると、 直な又右衛門に太刀打ち出来るはずはなかった。 この又左も武士、そう聞いては後へはひけぬ。 「ーーー仕方がない。前田さまがカンカンになってござるゆ「よしー わしがお八重と猿の仲人をしよう。異存はあるまい」 え、皺腹切って詫びようと思う」 万事は猿が書きあげた筋書どおり。又右衛門は自分の意 なに切腹 : : : それは一大事だ。では、こうしなさ れ。実は娘にはすでに言い交した相手があった。それゆえ見などさしはさむ余地もなくて、すごすごと戻って来た。 又右衛門にとっては一難去って又一難。前田又左さえ嫌 ご勘弁願いたいと」 ったお八重が何で猿を婿にしようーーー・そう思いながらも成 「ー・・・ー・それは駄目じゃ。嘘はとおらぬ。前田さまはいっこ 行を話してゆくと、お八重は二つ返事で、猿のもとへなら く者ゆえ」 と言うがほかに断りようはあるまい。よしツ、そのば嫁ごうと言ったそうな。 戦の才覚もよくするが、女にもまたやつばり汕断の 相手は誰だと聞かれたら、それは拙者だというがよい。そ「 出来ぬ奴であった」 うすれば、拙者があとは掛合うてみせてやる」 信長はあとでそれを聞かされて腹をかかえて笑いくずれ なに、相手がおぬしじゃと ? 向うで本気にするも たものだった。 のか」 気保ー」 「ーーー , するもしないも、ゆうてみるより手はあるまいが」 「よ、 し」 そういわれて又右衛門は利家をたずねていった。むろん 「そちと家康との話の間、人払いはいたしてあったろうな」 、。一一旨じないときにはど、つなるものかと案じ 利宀豕は信じ亠まし , 4 信長は印判をつき終って秀吉に向き直った。 てゆくと、 253
元康にとっても恐らく最初の女。その女がいよいよあて をおばえた。 と言いながら、それはぬけぬけとした愛情の告やかな若さのまま後家になって元康にまつわりつこうとし ている。 白ではなかったか。 いや、まつわりついて罪を重ねるのを恐れて、死にたい 「亀さま、この瀬名が殿に代って詫びまする。許して下さ と一一「ロっている。 り - 寺 ( せ」 瀬名は、「お死になされ」と突きはなしたいほどの憎し 吉良御前はそれが耳に入ったのか入らぬのか、 みをおさえて、ただ吉良御前を見おろすばかりであった。 「わらわは罪業深い女でした : 「とゆうて、このまま生害しただけでは討死なされた良人 と、またつづけた。 が許すと思われませぬ。瀬名さま ! お願いでござります 「、いに他の殿御の幻を抱いたまま良人に仕える : : : いい え、その罪深さに気づいたゆえ、何も彼もざんげいたしまる。若君にお会いなされて、御所さまの葬い合戦はいつの 事かとお聞きなされて下さりませ」 する。鶴さま ! わらわに思案をおさすけ下さりませ」 瀬名は相手の言葉が思わぬ方向へそれたのでハッとし 「田 5 宍条とは ? ・」 「他ならぬお方ゆえ、心の底まで打明けまする。わらわた。 は、元康さまがご無事で駿府へお帰りなさるのがおそろし「葬い合戦のおりに何となさるおつもりじゃ」 「残った家の子たちをひきつれて男になって戦い、死にと し」 うござりまする。そのことも若君にお願い申して下さりま 「とはまたなぜな ? 」 もし鶴さままで贈うなったせ」 「もはやわらわに良人はない。 ら何としましよう ? 鶴さま ! わらわは死にとうござり瀬名は自分の怒りが波のひくように遠のいてゆくのを覚 まする。せめて良人に生前の不貞をわびて死にとうござりえた。 ( そうだ、それがよい。それでこそ御前の不貞はぬぐわれ まする」 よ、つ ) 瀬名はクラグラッと眩いがしそうになった。 瀬名は吉良御前にくらべて単純だった。おそらく御前の ( そうだ。この女にもう良人はない : 2
病臥中なので、おの方身回りの世話をしているのでみ「はい、使者は大賀彌四、待たせましようか、ここへ案 る。 「なに彌四郎が来たか。よし、正式の挨拶はあとで受け る。ここへ通せ」 作左衛門がこくりとうなずいて去ってゆくと、もうどこ 期せずして左右に愛妾をはべらせた家康の上へ、陽は かで衣服を改めたらしく、きちんとした上下姿で彌四郎が じよじょにあたたかい光をあびせてくる。 あらわれた。 「お愛、そちはどう思うそ」 「彌四郎か、陸路を来たか」 「よ、。何をで′」ギ、り・きしよ、つ ? ・」 「いいえ、船で参りました」 「岡崎から年賀の使者が来るかどうかじゃ」 お愛はつつましく首をかしげてお万を見た。お万が築山「そうか。三郎からの挨拶はあとで受ける。暮の年貢の集 りはどうであった ? 」 殿の憎しみの対象になっていることはお愛にもよくわかっ いきなり訊ねる方も訊ねる方であったが、それを待ち受 ている。 けていたように彌四郎は、 ふところから帳面を取出して、 「おにしい折ではあり : : : 道中も難儀でござりましようほ うやうやしく家康の前へすすんだ。 家康はそれをしさいに見ていって、 「やはり来ぬと思うのだな」 「まずまずじゃの、大儀であった。それから三郎に子が出 し」 米たと ? 」 「すると来ると思うは万千代ひとりか」 「さあ : ・・ : それはまだ承って居りませぬが」 家康がそう言ったとき、 「殿、岡崎からご使者で、こざりまする」 「ほほっ、そちが知らぬのはおかしい。お万、誰が知らせ 相変らす紙子の投頭巾で、蔵を見回っていたらしい本多て来たのだその事は」 作左衛門が、 、腰をかがめて松のかげをめぐって来た。 、、姫さまおっきの腰元衆でござりまする」 「ふーん、すると姫はまだ表立ってみなに告げぬと見える 「なに、やって来たか」 386
「半蔵 ! 」 半之丞は上和田の部落へかかる茅場のはずれで、乾飯を 「何だ妙な目をして」 喰べている渡辺半蔵と出あった。 「おぬし、阿弥陀如来が、いつになったら殿に罰を下すと 半蔵は自慢の抜身を枯れ草の上に投げ出し、 半之丞の姿をみると、 思う。春になって田が耕せず、夏が来て勝負がっかぬと、 音をたてて飯をはんでいたが、 秋から冬は饑え死だな」 「なあンだ半コか」と、すかしてみて、 「おぬし、槍の短冊を落して来たな」 「うん、それはそうだが : : : それがどうした」 「すると罰は誰にあたるのだ。百姓どもやおれたちに当っ 自分の太刀のつば元に結いつけた「退くは地獄、進むは て来るとは思わぬか」 浄土 : ・・ : 」の短冊を指した。 「坐・コ」 「半蔵」 渡辺半蔵は意気込んで何か言いかけて、しかしごくりと 「何だ半コ」 唾をのんだ。 「おれはな、殿に出会うた」 「おぬし、それで槍の短冊を千切って捨てな ? 」 「出会うたら突き伏せたがよい」 「おれは阿弥陀さまにそむくのはいやだ」 半蔵は自分が刀をかついで逃げたことは言わなかった。 「阿弥陀如来は、おれたちの味方だと言ったろう」 「それがな半蔵」 「その味方がこっちへ罰をあてそうだ。おれは殿のうしろ 半之丞は自分も投げ出すように枯草の上に坐って、 「どうしても槍が前へ出ようとせぬ。ふしぎなことがあるに、ビカビカッと光るものを見た」 「半コ、そ : : : それは、ほんとうか」 ものだ」 と、その時、念仏道場の荒法師がひとり、これも短冊を : それはおぬしの信心が足らぬからだ。おれな つけた六尺棒をかざして、 らばパッサリ斬てやったのに、惜しいことをしたな」 「ふしぎだ。手がしびれてな。それから眼がくらんだ。殿「おう、半蔵どのも半之丞どのもここに居られたか。いよ いよ好機到来じゃ ! 法敵家康、上和田まで追って来て のうしろにピカビカッと阿弥陀如来の後光がさした」 の、たたいま大久保忠世が屋嗷へ入られた。まさに袋の 「嘘をつけ。阿弥陀如来はこっちの味方た」 151
「御前があわれゆえ、藤太郎が子たちは見殺しにせよとい ついに数正は本論に入った。額も腋もべっとりと汗でい っギ、、、こっこ 0 、つのか」 し / 学 / 「それに : : 御前も殿のお傍を離れとうはござりますまい 氏真はそろっとまた寵臣三浦義鎮をふり返った。 し : 石川数正は、二人の会話に息をこらしていた。こんどの 三浦義鎮は氏真の視線にこたえて、女のように首をかし使いの成否は寵臣義鎮の言葉ひとつにかかっている。すで に氏真は自分の頭脳では決断しかねて、義鎮に話しかけて いるのである。 彼にとっては考えてみるまでもないことだった。 「さなくば、こ、つ・なき、れては : 氏真はおそらく鵜殿長照の子たちを見殺しには出来ま と、義鎮はまた上半身をくねらせた。義鎮にとって瀬名 そうなれば数正のいうとおり、瀬名母子と取替えて助 は氏真の寵を争う恋敵に田 5 えた。それでわざわざ瀬名が哀 けてやるより道はなかった。 れだなどと心にもない媚びを見せ、そのあとで引替えた方 ( これは氏真さまの負け : : : ) がよいと瀬名を駿府から追うつもりであったが、そうした と、ひそかに思っていながらすぐには答えす、 たつつ 「殿のお心をまず」 妬心のうごきまでは数正にはわからなかった。数正は立着 と、媚びるよ、つに一一「ロった。 けの膝をつかんでじっと上眼で義鎮を睨んでいる。 「予には、また元康めが何か小細工を : : : と、思う節があ 「小細工 : : : とお疑いあらば、元康を駿府にそむかせぬ るゆえこなたの意見を聞いているのじゃ」 旨、ここで、数正に誓書を書かせましては ? 」 「恐れながら、この儀、お断りあっては如何かと存じます「誓書を : : : それでどうするのじゃ」 「その上で数正に、御前と子たちを渡しまする。あとには るが」 「なぜじ物 ? 」 まだ酒井忠次以下の妻子もござりますれば、数正も鵜殿の へんび 「駿府の華やかさから岡崎の辺鄙へ移る関口御前が可哀そ遺児をおろそかにはいたすまいかと心得まするが」 氏真はホッと大きく慧をして、うなすいて、数正に向き 、つに、こギり〔する」 9 9
そかに築山殿をうらめしく思っていた。 「そうか、まだ通わせられぬとあらば、ひとっ爺が口を出 すかのう。ああして並んだところは、もう立派な若殿ぶり 次郎三郎は奥の居間に通ってゆくと、 「姫、爺はわれ等の子が見たいと言ったな」 小侍従は赤くなってうなずき返し、それから常源の前を 自分の前に坐った徳姫を、しげしげと見やりながら声を 立った。ご酒下されがすむと、長く坐っているのに耐えら れなくなったと見え、次郎三郎は、平岩親吉に、 「はい。そう申されました」 「もう立ってもよいか」とたずね、親吉がうなずくと、 「こなた、どうすれば子が出来るか存じて居るか」 「姫、来い。われらも空腹を覚えて来たわ」 だいす 姫はやさしく信康を睨んで台子の上にたぎっている湯気 徳姫をうながして立上った。 のしろさに眼を移した。 立っと背も姫がいくぶん高く、姉と弟とも見えた。 「知らぬと見えるな。姫は」 . 納戸控「存じませぬ」 並んで渡廊へかかろうとすると、次良三良 「おれは知っている。が、まだ早いであろうか。姫の思う えの間の前から大久保常源は声をかけた。 ままを申してみやれ」 「なんじゃ、大久保の爺か」 「もう一度この爺にお二人で並んだところをおがまして下姫はまた信康を睨んだ。その眼の中に、すでに感じとっ され。おお、これはこれはあでやかな男雛、女雛、三郎君、ているかすかな春怨のうごきが見えた。 「なぜ黙っているのじゃ、姫、羞しいのか」 まだ姫さまにお子は出来ませぬかの。お二人のお子を見て 「三郎さまはむごいことをおききなされまする。そのよう から、爺はこの世におさらば申したい。鳥居の爺もそう申 して居りましたが : なこと仰せられると築山御前はお叱りなされまする」 「うん、まだ出来ぬ。が、そのうちに出来るであろう。風「何の、母上のお叱りなそ怖いものか。身はいまはこの鰔 のあるじじゃそ」 邪をひくなよ」 次郎三郎は、羞らいも見せずにそのまま姫と奥へ消えた。 230
だだだっと四五間さがって半之丞はひょいと槍を肩にか と、頼もしさで微笑を誘うその姿が、この時ほど憎く小さ ついだ く見えたことはなかった。 「ご免 ! 」 それほど家康ははげしい怒りにわれを忘れていたのであ そしてそのまますたすたと駆けだすのを家康は狂ったよ る。馬から飛びおりて、構えるのと、しごくのと、繰出す 、つに追いかける。 のとが一緒であった。 家康は槍を頭上にかざして走りながら投げようとした。 「あっ ! 」と半之丞は、つしろにさがった。 と、その瞬間、ひやりと於大の顔がまぶたに浮んだ。殺す 平八や小平太の槍ではないと感じたらしい。 ことは仏の心にそむくばかりか、眼に見えない敵の思う壺 「うぬは平八ではないな : 「まだ言うか。大切なわが家の子ども、過誤に気づかば許と。 家康は立ちどまった。 そうと思うていたが、もう勘弁は相成らぬ」 「やいっ半之丞。敵にうしろを見せる気か。うぬはそれで 「もったいぶるな。誰だ。名乗れつ」 「。こっ 松平党か」 . よチ」っ 家康は奇声をあげて大地を蹴った。二間柄と三間柄、手「な : ・ 思いがけなかった、松平党かと言われて、半之丞はギグ 許へ飛び込んで突き伏せるより他にない。相手の穂尖を虚 ッと霧の中へ立ちどまり、 空へはねて、胸元めがけて躍りかかると、 「そう言われては逃げられぬ」 「いけねえ」 ぐっと口をへの字にして槍を構えて戻って来た。 と半之丞はまた下った。 「殿だ。こいつはまずい」 「待てつ」 家康は何がなしゾッとした。自分に槍を向けかねて、わ 「いやでござる」 ざわざ逃げようとしているものを、ふたたび敵にむかえた 「遁げるかうぬつ。待てと申すに」 のだ。 「今日は気分がすぐれぬ。又出直そう」 147
ったゆえ、しばらく一人でおいてくれ。みなの前へ出る は、大事な股肱をみな引きつれて死んでいった。予は父上 と、泣く自由すらない予をあわれと思わぬのか」 をうらむ。予は父上の野心の犠牲にされてしまった : 「若君さま ! 」 氏真の言葉は真実だった。氏真ばかりではなく一族み さすがに瀬名の声もとがった。氏真自身の立場からは確 な、義元の野心の犠牲になったのかも知れない。が、その にそうであったとしても、この混乱の中で、そのようなた 真実を氏真の口から聞くのはたまらなく頼りなかった。 よりない放言は許せなかった。 いったいそれでは残された家の子たちは、どうすればよ 「伺いとう存じまする。葬い合戦は、御所なきあと若君さ しとい、つのか。 「お察し申し上げまする。が、たオ , こ御所さまを怨み参らすまは総大将にござりまする」 だけでは済みませぬ。葬い合戦はいっ頃にござりましよう 五 瀬名の語気に思わず不満がこもってゆくと、氏真はじろ 氏真は怨めしそうに瀬名を見返したまま、しばらくまた りと瀬名を見やったまま、またいらいらと膝をゆすった。 無言であった。 「そなたもやはりそれを言うのか」 「まさか、このまま物ますお心ではござりますまい」 「わらわばかりではござりませぬ。良人を討たれた後家た 「鶴 ! 口が過ぎよ、フ」 ちの心もまた同じ想いにござりまする」 「では、ご胸中お明しのほど」 「、つーゞ廴」 「こなた、予を怨んでいるな。いっかの事をまだ根にもっ 「さっきも飯尾豊前どののご内室が、若君さまにお許しをているな」 願い、男になって戦い死にたいと : 氏真の眼は蛇のように底光って、歪んだ笑いが唇尻の肉 「わかった ! 」 をひきつらせた。 瀬名はカーツと怒りがこみあげた。 と氏真は不機嫌に膝をたたいてさえぎった。 いっかのことーーーそれは、元康との婚礼の前日に、さん 「氏真はな、はじめは父の犠牲 : : : 後には家臣の犠牲にな ざん瀬名の体を弄んだあの時のことを言っているのに違い って、修羅の場に生命をおとせばそれでよいのじゃ。わか 2
「そのような邪推は、お殿さまの為めにもお慎しみ遊ばし し、若さと容色は瀬名をしのいでいる。 ませ」 育ちのよさで、瀬名には人を人とも思わぬ奔放さがあっ 「よこ、 こなたわらわに指図する気か」 たが、この娘もまた、田 5 うことなど何の遠慮もなくやって 「それでは、いよいよお殿さまのお足は遠のく、万はそれのけた。 ー非しゅ、つ、こギ、り↓よす・る」 げんに今日、自分から家康のもとへ出向いたのもその現 瀬名は笞をふりあげたままよろよろっとよろめいた。こわれだった。 のような思い上った言葉を、この小娘の口から聞こうとは それだけに味方としては得がたく、敵としては恐ろし 田 5 っていなかったのだ。 瀬名は三度び笞をふりあげて、しかしそれはおろさなか 今までは瀬名の笞にふるえるだけの召使だったお万が、 今日は対等の女として、じっと瀬名を見上げている。 ( いよいよお万を敵にまわした : 「おのれつ ! 」瀬名はまた一ふり、狂ったように笞を振っ その怖れと悔いが、瀬名の狂暴な妬心のおもりになって 「お万 ! こなたはわからぬのか」 二度目の笞はお万の首にからまった。赤い線がえりあし から肩へかっきりとついていったが、お万はじっと瀬名を「憎みあうわけのないわらわとこなた。主と召使とが何で 見上げたままだった。 このよ、つに争・、フのじゃ」 瀬名はまたよろめいた。 「争うてなど居りませぬ」 主従の垣をとりはらい、女と女で相対すと、この小娘の「争うて居る ! これもな、みなそなたが招いたことじゃ。 : 殿が何と仰せあろうと、なぜ生命がけで 方が瀬名よりずっと強いものを持っている。瀬名はそれをそなた仮りに : 知っていた。 拒まなかったのじゃ」 お万は拒めるわけはないと思った。 気性も男まさりと見込んでわざわざ召使ったお万たった つ」 0 つ」 0 つ ) 0 266