申し - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 3
263件見つかりました。

1. 徳川家康 3

「こなたわしに斬られる気か。嘘を申すなツ」 「私に命じましたのは、織田家の部将、滝川一益さまにご ざりまする」 「滝川一益 : : : して、そなたの父は ? 」 「家臣阿久津甚左衛門」 「いいえ、嘘は申しませぬ」 よまた倒れるように元康の膝にすがった。 可禰ー 元康はそこでそっと可禰の肩へ手をまわした。 可禰はもう憑かれたように元康を見上げている。白い前 「こなたはただの諜者ではない。三河の殿は、お身回りの 歯が真珠のようにさしのぞき、何を訊ねられても隠す気のことにご不自由なされているはずゆえ、心からお仕えせよ ないあどけなさが、まざまざと浮んでいた。 「誰が申した ? 滝川一益がか」 「して、命じられたは ? 」 「はい。たぶんお殿さまは、駿府の奥方さまは呼び寄せ 「お殿さまのご日常を、そのまま知らせと命じられました」 ぬ。いずれは織田のお殿さまと、手を取りあってゆく方ゅ 「日常をそのまま え、どこまでもわが主と心得お仕えせよと」 「はい。私にはまだお人柄の判断などできぬ。なされたこ 「待てッ ! 」 とを、そのまま告げよと : 元康はあわてて可禰のロをおさえた。 「もし露顕しても、お殿さまは堪忍のつよいお方ゆえ、可あやしく燃えあがっていた情炎が、一度に凍る想いであ 禰は斬るまい。気づかれた時には、そのまま話して詫びよ と仰せられました。お殿さま、お許し下されませ。そし ( 滝川一益とはそも何者 : : : ? ) て、この可禰を、おそばに : いや、これは一益個人の知恵ではなく、信長の指図に違 いない。それにしても、このようにあどけなく、信長の本 元康は肩を抱いたままもう一度深く首をかしげた。 滝川一益が、何のために、このような小娘を : : : そう考心をここで囁かれようとは思いもよらなかった。 なるほどただの諜者ではなかった。これは、この少女の えて来ると、まだ解けない謎が残ってゆく。 真心を、そのまま武器に利用した新手の中の新手であっ 「可 ! 」と、元康は女を突きはなした。 つつ ) 0 6

2. 徳川家康 3

神妙に波太郎に向き直った。 「何と念をおされたのだ」 「拙者が又介のあとを追うてやって来たのはその事でござ 「猿よ。そちは女子で運をやぶる相がある。くれぐれも心 る。ご貴殿から御大将へよろしくおとりなしのはど哀れ せよとな」 な女子一人のせつなる想い、遂げさせてあげて下されや」 波太郎がニコリと笑って、 「なるほど、これは人物じゃ ! 」 「注いで進ぜよ」と巫女に言った。 随風がまた感に耐えたようにつぶやいた。 「それで女子はつつしんで居ると言うのか」と、又介。 「さよ、つでござる。が、こんどばかりはやむを得ぬ仕儀で の。これも女難と戒心はして居るが」 「はて、では、噂はまことなのか、嘘なのか」 「するとおぬしは、波太郎どのに口を利かせて、八重とか 「嘘でござるよ。ただ八重どのがの、拙者に惚れぬいたま申す女子と一緒になる気か」 でのこと。拙者はさらに意に介さぬ」 ハ」と、随風が笑った。 藤吉郎は遠い空を見る眼で首をかしげた。 「なるほど相手が惚れたまでか。相手が惚れて進上すると 「若宮どのがその気になったら、拙者もなってもよいがの」 「これは聞きずてならぬ ! 」 いうのなら、時には天下も頂かなくては相なるまい。で、 相手の心をふびんに想い、一度は濡れてやったと申すか」 随風はいよいよ興が湧くらしく、ぐっと肩をそびやかし 「何の何の」 て藤吉郎に向き直った。 藤吉郎はまじめに手を振った。 「勝手に濡れておきながら、その後は他人任せですむと思 「女子というは一度濡れたら、濡れどおしでいたいものでうか」 「これはしたり、ここが他カ本願の妙趣でござるよ。ご覧 なされ、この名月がふらす露、今宵の尾花はしつかり地上 「それゆえ手はつけぬというのだな」 で濡れてござるわ、といって濡れ伏したままでも居られま 「いや、つけたと申すのだ。さて熊の若宮どの」 いでの、陽の光が射したら、また起きよう」 みんながしてやられてばかんとしているとき、藤吉郎は おなご 135

3. 徳川家康 3

元康にとっても恐らく最初の女。その女がいよいよあて をおばえた。 と言いながら、それはぬけぬけとした愛情の告やかな若さのまま後家になって元康にまつわりつこうとし ている。 白ではなかったか。 いや、まつわりついて罪を重ねるのを恐れて、死にたい 「亀さま、この瀬名が殿に代って詫びまする。許して下さ と一一「ロっている。 り - 寺 ( せ」 瀬名は、「お死になされ」と突きはなしたいほどの憎し 吉良御前はそれが耳に入ったのか入らぬのか、 みをおさえて、ただ吉良御前を見おろすばかりであった。 「わらわは罪業深い女でした : 「とゆうて、このまま生害しただけでは討死なされた良人 と、またつづけた。 が許すと思われませぬ。瀬名さま ! お願いでござります 「、いに他の殿御の幻を抱いたまま良人に仕える : : : いい え、その罪深さに気づいたゆえ、何も彼もざんげいたしまる。若君にお会いなされて、御所さまの葬い合戦はいつの 事かとお聞きなされて下さりませ」 する。鶴さま ! わらわに思案をおさすけ下さりませ」 瀬名は相手の言葉が思わぬ方向へそれたのでハッとし 「田 5 宍条とは ? ・」 「他ならぬお方ゆえ、心の底まで打明けまする。わらわた。 は、元康さまがご無事で駿府へお帰りなさるのがおそろし「葬い合戦のおりに何となさるおつもりじゃ」 「残った家の子たちをひきつれて男になって戦い、死にと し」 うござりまする。そのことも若君にお願い申して下さりま 「とはまたなぜな ? 」 もし鶴さままで贈うなったせ」 「もはやわらわに良人はない。 ら何としましよう ? 鶴さま ! わらわは死にとうござり瀬名は自分の怒りが波のひくように遠のいてゆくのを覚 まする。せめて良人に生前の不貞をわびて死にとうござりえた。 ( そうだ、それがよい。それでこそ御前の不貞はぬぐわれ まする」 よ、つ ) 瀬名はクラグラッと眩いがしそうになった。 瀬名は吉良御前にくらべて単純だった。おそらく御前の ( そうだ。この女にもう良人はない : 2

4. 徳川家康 3

「ん、一益か、あれはまだ新参だが」 見をいう。言わしておいて怒鳴りつけて、さてもう一度練 「それゆえ、元康を試みると同時に、一益も試みる。事は り直すーーーそれが信長の人のわるさであり、体面や礼儀に つねに一石二鳥でのうてはなりませぬ」 こだわる諸将の及びもっかぬ点でもあった。 「能書はよい。次ーー」 「猿、その肩衣は何だ」 見ると藤吉郎は、どこで見つけだして来たのか幸若舞の 姫はこれも眼を輝やかして藤吉郎を見つめていた。 着そうなまっ赤な段染めの肩衣をつけていた。 「一益を呼出して、その方、本年いつばい松平元康の動静 「はい。市の古着屋で手に入れました。ここもと暫く戦はをよく見はれ , ーーーと申付けまする」 ない。衣裳もそれに応じていささか人目につくようにと : ・ : 大した良策ではないな」 「本年いつばい 「その上で、元康に見どころありと思うたら、和睦して来 「も、つよいツ」信長は、つるさそ、フに手を振って、 い。見どころなしと見たら、降参しろと使いせよ : : : まず 「そちが、おれなら、松平元康を何とするそ。申して見ろ」そのあたりかと思いまするが」 藤吉郎はきまじめになって一礼した。 滝川一益は近江の六角氏の牢八だったが、この前の一戦 「されば、拙者が殿のお立場なら、元康が果して小判か穴ですでに非凡な功を立て、その人物の一端をのそき見させ あき銭かを、まずもって試しまする」 た男であった。 「なに、まず試すと」 「たったそれだけか」 信長はニャリと笑って、そっと爪をかみだした。 信長は、事もなげにあざ笑って、 「もし元康に見どころありと判断し、和睦を申入れて蹴ら 五 れたときは何とするぞ」 「ではどうして試す。申してみよ」 「その時は元康を穴あき銭とお決めなされ。穴あき銭の討 信長にうながされて藤吉郎はいよいよ神妙に首をかしげ伐ならば、この藤吉郎でも出来まする」 てパタハタと一を、つごかした。 古い ! そちの考えはもう古いそ。よし、 「黜者が殿ならば : : : ますもって滝川一益を呼びまする」下れツ」 9

5. 徳川家康 3

うごいた。中の影ではなかった。外から光をさえぎった影 どうやら部屋の中に可禰はいなかったと見え、窓の開く : とすれば、それは庭から内をうかがう者の影であった。気配はなかった。 男か女か ? : まんでござりまする」 「お許し遊ばしませ。ま : 家康は無意識に首をすくめて、うしろからその人影に近「なに、万じゃと、築山殿のもとに居るお万か」 ついた。 「誰じゃ」 家康はふーむと低くうめいて舌打した。 小声でとがめると、 「よい。人にきかれてはならぬ。ついて参れ」 . 十 し」 相手は狼狽しきった若い女の声であった。 「震えるな。たわけ者」 家康は、ここでもまたロから糞尿を注ぎこまれたような 7 「誰じゃ」 不快さを覚えて、それからしばらく黙って歩いた。 家康はまた声をかけた。 もう空には斜めに銀河がかかっている。遠近で虫の音も 相手はいよいよあわてて右がわの南天の根元にすくんだ湧きだした。 三の丸の曲輪を出て酒谷から馬場まで歩くと、月の出て 「お : : : お : : : お許しなされて」 いるのに気がついた。 と、蚊のような声であった。 出るとすぐに落ちる欠け月であったが、闇になれた眼に 「誰だとたずねているのだ。仕える先と名を申せ」 はまぶしいほどの明るさに見えた。 「あ : : : あなたさまは ? 」 「ここでよい」 「この城のあるじ。何の用があってかかる場所から中を伺桜の切株を見つけて腰をおろすと、家康ははじめてお万 う。名を申せ」 を振返り、 「ああ、お殿さま」 「築山殿が命じたとおり申せ。一言半句違っていても許さ

6. 徳川家康 3

っとめて静かに話しかけると、相手はくみし易しと感じ 四 たのか、急に声をころして泣き出した。 お万とのかりそめの情事を瀬名に気づかれた : : : それは 「泣いていてはわからぬ。思うことを申してみよ」 「よ、 : 」お万はいっかの気強さはみじんもなく、甘え家康にとっても心にかかることだった。 瀬名は普通の神経の女ではない。嫉妬しだすと理性をな とおびえでそっと家康の袴のすそにすがって来た。 くして狂ってゆく。かりそめのことだと言って、笑って許 「お殿さまの : : : お手がついたと : : : 奥方さまにさとられ す女でもなければ、許そうと努めたり、再びそれを繰返さ 寺 ( した」 せまいと思案を重ねる女でもない。 「ふーむ」 その時の感情の猛りのままに何を仕出かすかわからない 「それからは夜毎のご折檻 : ・ 女であった。 折檻ではござりませぬ」 家康は布えきって震えているお万を見ているうちに、そ 「どのような折檻じゃ」 「よ、 : いいえ : : : それは申上げられませぬ。死ぬよりの不安が悔いとなり、怒りとなり、嫌悪となった。 「死ぬよりつらいはすかしめとは ? 申してみよ。誰もい 7 もつらく恥しい : ・・ : 4 わ殿さま ! 」 オし」 「死ぬより辛いとは : いえ : : : それは : ・・ : 申上げられませぬ」 「お願いでござりまする。奥方さまのもとへお運びなされ「いいえ、 「言わなんだら、わからぬではないか。申してみよ」 て下さりませ。でないと : : この万は : : : 」 しかしお万はかぶりを振るだけだった。 「斬られるとでも申すのか」 事実、十六のお万には、瀬名の折檻はロに出来る性質の 「いいえ : : : いいえ、それ以上の責苦に会いまする。こな たがわるいのではない。こなたの中に住む、淫奔の虫がわものではなかった。 るいのじゃと、それは : : : それは : 「ーーー万がわるいのではない。そなたの体についている淫 らなものが」 家康は裾にすがってかきくどくお万のうなじに視線をじ っとおとした。 そう言って手足をうごかぬように踏まえたうえ、体をな : いいえ、それも、なみのご 160

7. 徳川家康 3

「それはそれは、拙者が天下を取りまいたら半分貴僧に寄 ろ、フが」 進しましよう。盃をひとっ」 「はは ~ のー・」 「信長も次へ踏み出す修業なら、家康も内を固める修業に 自分から手を出してうまそうに舌を鳴らした。 なるわ。なるほどこれはよく考えた」 「藤吉、おぬし途中で拙者にわかれてどこを回って来られ たのだ」 と、そこへまた奇妙な男が一人のこのことやって来た。 太田又介にたずねられて、藤吉郎はうやうやしく盃をみ 「馬の始末はようして来たで、拙者もご相伴にまかり出ま たさせた。 したわ」 いまは材木奉行になっている木下藤吉郎。彼も太田又介「名月と申すは人の心にふと郷愁をもたらすものでの」 といっしょにやって来ていたものらしい 「柄にもない 。畠の中で野糞でも催してか」 「腹を割って月に見せる。その代り月もまたわが放っ尿の 中にも映ってくるわ。天地合体、風流と注この事でごぎる 藤吉郎は何の気取りもなく末座にちょこなんと坐った。 なあ」 酌をしていた巫女がさしうつむいてクスリと笑った。 しかし、この男は気取らなければ気取らないほど、気取っ た以上の滑稽さに見えた。 十兵衛光秀が謹厳であればあるほど、これはまた対照的 「おや ? 」と、随風がまず見とがめた。 な飄々乎とした可笑しみだった。 「これはふしぎじゃ。そこなご仁、もちっと顔をあげてわ「藤吉・・ーー」 しに人相をお見せなされ」 「あい。何でござるの又介」 「こ、つで、こざるかの」 「おぬしそのロで、留守中に藤井又右衛が娘の八重をまる 「ほほう、これはおどろいた。こなたには天下取りの相がめたと申すではないか」 ある」 「これはとんだ濡れ衣でござる」 「と申すと噂は根も葉もないことか」 天下ーーーと聞くと十兵衛はまたきらっと上目を光らした が、言われた藤吉邸は何の感興もなけに、 「御大によくよく念をおされてござるでのう」 134

8. 徳川家康 3

随風はもはや以前の青年僧ではなかった。無造作に墨染「 いかにも」と、十兵衛は重々しく答えた。 ちゅうげんしか の衣をまとい、逞しい腕をむき出して、叡山の荒法師とで 「拙者は中原の鹿を射とめるものは織田殿であろうとい も言いたげな姿であったが、依然としてその論法はするど う。が、随風師は、松平家康こそと仰せられる」 く、物の見方には肺腑をえぐるものがあった。 この法師、どこからどこを旅して来たのか、こんど飄然 随風は盃の酒を吹きとばすように笑った。 と現われたときには一人の連れを伴っていた。 「なにも織田殿に仕えるなと申すのではない。織田殿に、 名は、明智十兵衛という。 松平家康が立ちまさっていると申すのでもない。わしの言 「若狭小浜の鍛冶屋の伜だが、それをいわれるのをひどく うのは、おぬしの気性じゃ」 きらう。のう十兵衛」 十兵衛はさからいはしなかったが、冷たい笑いで随風の 随風はそういって屈託なく笑ってのけたが、十兵衛は平意見を拒んでいるのがよくわかった。 「のう波太郎どの。おぬしはどう思う。この男と織田殿の 然とした別の言葉で挨拶した。 「美濃の土岐氏の一族、明智の里に住居なす監物之助光国気性、合うと思われるか」 波太郎は苦笑したまま答えなかった。 の一子、十兵衛光秀と申す。お見知りおかれまするよう」 「この男は少々ものを知りすぎている。いや、知っている 波太郎はその挨拶からふと苦笑のわくのを感じた。 がただよい、そのもの腰はものものことを鼻にかけすぎている。織田殿は古い習わし、古い知 どこかに古風な見栄 識は大嫌いじゃ」 しかった。 「と、申して、いつまでも匹夫の真似もなさるまい。地位 以前しばらく斎藤道三入道に仕えていたが、道三がその にしたがって故事にも通じねば大成はのそまれませぬゅ 子義龍に逆殺されてからは、主と仰ぐに足る人を求めて諸 え」 国を浪々し、その途中で随風を知ったというのであった。 「武略では武田でござるが、地の理を得ぬゆえ、と : 波太郎はこの男が、自分を信長に推挙させるつもりらし こまでは十兵衛もわしも同じ意見であったの」 いと察してから、何となく心が重かった。 阯風がうながすと、 ( 随風の言うとおり、この男と信長と性格のネはむすか 126

9. 徳川家康 3

そかに築山殿をうらめしく思っていた。 「そうか、まだ通わせられぬとあらば、ひとっ爺が口を出 すかのう。ああして並んだところは、もう立派な若殿ぶり 次郎三郎は奥の居間に通ってゆくと、 「姫、爺はわれ等の子が見たいと言ったな」 小侍従は赤くなってうなずき返し、それから常源の前を 自分の前に坐った徳姫を、しげしげと見やりながら声を 立った。ご酒下されがすむと、長く坐っているのに耐えら れなくなったと見え、次郎三郎は、平岩親吉に、 「はい。そう申されました」 「もう立ってもよいか」とたずね、親吉がうなずくと、 「こなた、どうすれば子が出来るか存じて居るか」 「姫、来い。われらも空腹を覚えて来たわ」 だいす 姫はやさしく信康を睨んで台子の上にたぎっている湯気 徳姫をうながして立上った。 のしろさに眼を移した。 立っと背も姫がいくぶん高く、姉と弟とも見えた。 「知らぬと見えるな。姫は」 . 納戸控「存じませぬ」 並んで渡廊へかかろうとすると、次良三良 「おれは知っている。が、まだ早いであろうか。姫の思う えの間の前から大久保常源は声をかけた。 ままを申してみやれ」 「なんじゃ、大久保の爺か」 「もう一度この爺にお二人で並んだところをおがまして下姫はまた信康を睨んだ。その眼の中に、すでに感じとっ され。おお、これはこれはあでやかな男雛、女雛、三郎君、ているかすかな春怨のうごきが見えた。 「なぜ黙っているのじゃ、姫、羞しいのか」 まだ姫さまにお子は出来ませぬかの。お二人のお子を見て 「三郎さまはむごいことをおききなされまする。そのよう から、爺はこの世におさらば申したい。鳥居の爺もそう申 して居りましたが : なこと仰せられると築山御前はお叱りなされまする」 「うん、まだ出来ぬ。が、そのうちに出来るであろう。風「何の、母上のお叱りなそ怖いものか。身はいまはこの鰔 のあるじじゃそ」 邪をひくなよ」 次郎三郎は、羞らいも見せずにそのまま姫と奥へ消えた。 230

10. 徳川家康 3

り作左に聞かぜてやれ」 心からでごギ、りまする」 「殿はお黙りなされませ ! 」 家康はがくぜんとしてまた一歩下った。 また作左は叱りつけた。 「わかった。よく申した。が、、い配するな。これから作左 が命乞いをしてみてやる。殿 ! お聞きなされましたか。 「殿などになんで女子がわかるものか」 女子の心の凄まじさを」 「亠まだ一一一一口、つか、フぬがツ」 「死ぬまで言うといっている。いや、死んでも言うといっ 四 ている。大体、築山殿ひとり思うままに扱い得ないほどの 殿。そのようなくちばし黄色い殿に女子の心などわかるも 家康はじっと唇をかんだまま裂けるような眸をして可禰 のか。女子の手管は、武士が戦場の掛引じゃ。生きる死ぬを見つめていた。 るの境も通らで女狂い : : : で、それが危くて見ていられぬ 今まで彼の考えた生命のやりとりは怨みか、敵か、野心 ゆえ、いったんこうと思い定めて口を出した。さ、可禰ー か功名心のたぐいであった。 慕わしいゆえ殺すというのは : : : 考えてみたこともなか なぜ答えぬ、答えぬままで済ます作左ではないと、そちの 眼には映らぬのか」 「お : : : お : : : お許し下さりませ」 : 、げんに可禰はそう言った。尾張からの連絡は逐一家 「許さぬとは誰が言った。正直に申せと言ったまでだ」 康にもらしている。自分を慕うという言葉のうちに二心も なければみじんの嘘も感じられない。 「ただ殿が慕わしゅう : 「次を申せ」 にもかかわらず、たった一つ、いちばん恐ろしいことを 胸に描いて打明けなかったのだ。 「と申しても、生きてあっては主命にそむけず」 「主命とは尾張へ帰れとのことか」 「危かった ! 」と、作左がもらした。 し」 「今日かこの次かで、殿の生命はなかったろう : : : 殿 ! 」 「それで次は」 「死んで添おうと : : : お許し下さりませ。ただ慕わしい一 「この女子の申すことにみじんの嘘もござりませぬ。戦場 おなご っ一 ) 0 1 广 8