良人 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 3
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1. 徳川家康 3

城の表情は複雑をきわめたものであった。 大目付、大きな眼玉をくるりとまわしてござるわい」 ある者はこれに依って家康雄飛の備えが出来たとよろこ 1 ッと吐息をして、もう一度たらいの中 濃姫は思わずホ び、ある者は、これこそ信長に膝を屈し、いよいよ鎖をつ を見直した。 けられたものとして悲憤していた。 感嘆すべき良人の成長。 が、当の家康は輿入れの行列が城門を入って来るまで、 いぜんとして常人をこえ、他人にはうかがい知れぬ才 本丸の居間にこもって祐筆頭の慶琢を相手に、しきりに新 略。 この才略をも 0 て、いま甲斐の武田家をはじめとし、三しい人事の配置の構想に余念なか 0 た。 小姓も同朋も近づけず、自分で時々思い出したように扇 好、松永の一党から将軍まであやつって京へ仲びようとし を使いながら、 ている良人。 「総先手侍大将は、酒井忠次と石川数正、両人に従う者の 濃姫は縁先へ両手をついて、 名を読みあげて見てくれぬか」 「恐れ入ってござりまする」 と、薄く眼をとじていった。 、いの底から良人に言った。 「、ツ、ツ、 慶琢は額の汗をぬぐおうともせず、机上に記録していっ た帳面をくって、 信長は明るい陽射そのままに笑って、 「酒井左衛門尉忠次さまに従う方々、松平与一郎忠正、本 「何にしてもめでたい。この婚礼が済むと、家康め、いよ これただ いよ遠江の鎮定にかかるであろう。そうなれば小田原も甲多広孝、松平康忠、同じく伊忠、同じく清宗、同じく家忠、 同じく康定、同じく信一、同じく景忠のほかに、牧野康成、 斐もそっちの盤面に気をとられて : : : な」 ぎようぶ おくだいらみまさか 奥平美作、菅沼新八郎、同じく伊豆守、同じく刑部、戸田 京へのびる信長の邪魔にはならぬという意味であろう。 しだら 弾正、西郷清員、本多彦八郎、設楽越中さまにござりまする」 首をすくめて口をつぐんだ。 「すると内藤弥次右衛門はいずれに入った」 「はツ。石川伯耆守数正さま配下に」 徳姫お輿入れの五月二十七日 ( 、冰禄十年 ) 。この日の岡騎「そうか。すると数正に従う者は、内藤弥次右衛門、酒井 203

2. 徳川家康 3

「若君は、戦をきらって居られまする」 「と仰せられると、御所さまの仇をそのまま」 御前は意気込んでたたみかけるように、 「ここにいる多くの奥方たちの怨みを晴してやろうとは仰 瀬名がふたたび広間にもど 0 た時には、また、つぎの注せられませなんだか」 瀬名はその答えを半ばそらすように、 進が届いていた。 「小田原どのも甲府どのも、うわべはとにかく心からのお しかし、その中にも元康の消息はなく、新たに良人の討 味方ではない。尾張へご出陣あって、その留守をねらわれ 死を知らされた沢田長門と由比正信の奥方とが、手をとり てはと、そのことをお案じなされているのではござります 合って泣いていた。 瀬名が吉良御前のそば〈寄 0 てゆくと、御前は待ちかねまいか」 吉良御前はきっと唇をかみしめた。ふいに胸がつまって たように人々から離れて、 来て、ハラハラと涙がこばれた。 「若君はお聞き届け下さいましたか」 元康への思慕などと言ったのは作りごと、良人飯尾豊前 ここは風のないのと人いきれと : : : 氏真の館とは比較に ならぬ暑さで、女たちの化粧と涙と汗の匂いがあやしくよの顔がチラチラした。睦まじか 0 た過去。 ・とっ すでに男を知って嫁いだ自分を、何も知らずに愛しつづ どんでいた けてくれた良人。その良人の首が歯を食いしばり、血と泥 瀬名はわざと視線をそらして黙ってすわった。 に汚れたまま実検の座に供えられているさまが、まざまざ 「若君はすぐに戦いを催すのでござりましようなあ鶴さ と想像された。 吉良御前は、それが知りたいだけだった。それを聞き出「さようでござりましたか」 す手だてとして、瀬名の妬心をかき立てた。その裏に、瀬吉良御前はばつりと呟いて涙を拭いた。瀬名はそれから 名だけがまだ後家になっていないこと〈の羨望もあった眼を放さない。 御前の言葉をそのまま信じているからだった。 0 、 0 そう思うと、またしても元康 ~ の思慕が全身の汗にまじ って官能をしめつけた。 8 2

3. 徳川家康 3

らぬ男たち。したがって男の武装は死装東でもあった。 ( せめてその死を飾らせたい それが戦国の女たちの切ない愛情のあらわれだった。 お愛もいまそれを想う。 ひどい木綿の布子で、汗まみれの女房たちの顔が、神々 しいほど美しく見えるのである。誰も良人を待つよろこび 浜松城の松は今日もおもしろいほどよく鳴った。浜名湖に胸はずませているからであろう。 「もうどのあたりまで来たであろうかの」 から吹きよせる涼風だった。はりめぐらした幔幕の中へ 「もはや、伊佐見はすぎたであろう」 は、間もなく帰り着く将士のために山のような握飯が用意 「ではあと半刻でござりまするなあ」 されていた。 どこへいっても囁きあう声はそれであった。 御台所方は言うまでもなく、城内の長屋の女房たちまで そして、そうした人々の中に、また何人かは、良人に着 3 総出でいそいそと立働いている。中には女で薪を割ってい る者もあれば、男でしきりにかまどを吹いているものもあせてやった物具が、ほんとうに死装東であったことを知ら る。 される女が出るのも悲しい乱世の姿なのだが : お愛もそれを味わっている。待ちに待って、 西郷義勝の後家お愛もその中に立混って、女中たちの指 「ーーーあつばれな討死でござりました」と。 図をしていた。 その時には何を考える力もなかった。ただ泣くまいと 男の出陣姿がきらびやかなのに引替えて、ここに立働い ている女房たちの身なりはひどく質素であった。それそれし、愕くまいとし、負けないとする努力でいつばいたっ 太刀や槍や胴丸や馬などに費えがかかるので、女の衣裳ま 自分一人が殊更不幸なのではない。間断なく打ちつづく では手がまわりかねる。それで女たちは決して不平に思っ ていなかった。 合戦で、今もどこかで死にかけている人がある : : : そう思 うと、生き残れる女なのがまだ仕合せに思え、男がいっそ いったんわが家を出るとどこの山野に屍をさらすかわか 見えざる糸

4. 徳川家康 3

どんな場合にも、瀬名の名は、出すではないと堅くいい 考えれば考えるほど腹立たしく、自分の存在までが呪わ ふくめてやったのだが : しかった。 姫のための七夕祭をとりやめたのも悔いられたし、あま考えているうちに、瀬名は無性に悲しくなった。 良人に愛されない妻。 り強く良人に当りすぎたことも気にかかった。といって どこまでも反省とは違った、もの狂おしい孤独とあせりが 良人のために父まで切腹させた女。 そして、その女はついにわが子の待ちかねた七夕祭すら まるだけなのである。 素直にさせてやれなかったのだ。 お万の帰りは遅かった。 ( 何をしているのか ? ) 良人は他の女を擁して恍惚としているのに、自分は孤閨 と、じりじりすると、そこでもまた果しもない妄想がわに腹ばって、雨の日の花のように泣きじゃくっている。 きあがった。 瀬名はだんだん泣き声を高めていた。誰に聞かれても恥 可禰という女は、瀬名もいちどそぞろ歩きに事よせて三しいとわかっていながら、押えきれない、さみだれの野川 3 の丸へ近づき、萩の葉のかげからちらりとみかけたことがのような涙であった。 「お母上さま」 ある。 居間の入口で亀姫の声が聞えた。まだ七夕祭があきらめ 瀬名が良人を争うにはいかにもひなびた感じであった。 その癖、瀬名の体からは消えうせたみずみずしさが、野末られず、そっと腰元たちの眼をしのんでやって来たのに違 いない。が、それを聞くと瀬名はいっそう悲しくなって泣 の露にきらめく葡萄を連想させたりした。 き声を高くした。 ほほう、あんな女子か」 しかもその女子の首に手を回し、われを忘れている家康「お母上さま」 また姫は呼んだ。しかし母の泣くばかり : ・・ : と知って、 の姿が、さまざまな姿勢で想像される。 やがてそっと襖がしまった。 ( お万はそれをいつまでものそいているのだろうか ) あるいは誰かにみとがめられて、家康の前へ引立てられ ( 姫 ! 許してたもれ。この母を : : : ) また改めて身をもんたときであった。一度しまった襖 ているのではなかろうか ?

5. 徳川家康 3

「〉一 , 、れよよかった。して、こ」叨は」 陽が燃えている。その陽の中を武装のまま元康は祖先の墓 なっしょ 冫 = 一ⅱてた。 「岡崎の大樹寺の納所にござりまする」 これで二度目の大樹寺滞在。 瀬名はつかっかと出ていった。 岡崎城には、駿府の留守居役、田中次郎右衛門のほか、 「殿からの大切な使者、何でわらわに取次ぎませぬ」 表の広間の入口に突立って、碓氷の方にはげしい眼をむ三浦義就や飯尾豊前の残していった家臣たちが籠っている けると、 ので、こんどもまたわが城を仰ぎながら入ることは許され 「殿からではござりませぬ。良人忠次から内々の伝言にごなかった ざりまする」 永禄三年五月二十三日、義元が田楽ケ窪のと消えてか ら四日目だった。 碓氷の方は静かに言って、それから深くため息した。 とうよ 「わかりました。それでは在府の妻子、このまま当分人質元康が墓前にぬかずく間、住持の登誉上人は、今日も杉 で、こギ、り士よしよ、つ」 の古木でしきりに羽搏きの稽古をしているふくろうの仔を 瀬名は眼をいからして立ったまま、碓氷の方の独りごと見上げていた。 が、何を意味するか考えようとしなかった。 ふくろうは昼は視力がなし冫 、。こもかかわらず羽毛がそろ うとすでに猛禽らしい羽搏きに移ってゆく。 丸い顔に、どこか元康を連想させる相似があって思わず ~ 侠明け 微笑を誘われた。 上人のわきに立って元康の身辺を警戒しているのは、こ の寺きっての豪僧祖洞であった。 「人生は思えば夢のようじゃな」 岡崎斌外の鴨田郷にある大樹寺の内外へは続々と松平勢参詣を終って元康がふりかえると、上人は、 が語にしつつあった。 「夢のつづきはこれからでござりまするそ」 すでに寺門は開け放たれて多宝塔のまるい屋根に金色の と、突き放すように言った。 3

6. 徳川家康 3

元康にとっても恐らく最初の女。その女がいよいよあて をおばえた。 と言いながら、それはぬけぬけとした愛情の告やかな若さのまま後家になって元康にまつわりつこうとし ている。 白ではなかったか。 いや、まつわりついて罪を重ねるのを恐れて、死にたい 「亀さま、この瀬名が殿に代って詫びまする。許して下さ と一一「ロっている。 り - 寺 ( せ」 瀬名は、「お死になされ」と突きはなしたいほどの憎し 吉良御前はそれが耳に入ったのか入らぬのか、 みをおさえて、ただ吉良御前を見おろすばかりであった。 「わらわは罪業深い女でした : 「とゆうて、このまま生害しただけでは討死なされた良人 と、またつづけた。 が許すと思われませぬ。瀬名さま ! お願いでござります 「、いに他の殿御の幻を抱いたまま良人に仕える : : : いい え、その罪深さに気づいたゆえ、何も彼もざんげいたしまる。若君にお会いなされて、御所さまの葬い合戦はいつの 事かとお聞きなされて下さりませ」 する。鶴さま ! わらわに思案をおさすけ下さりませ」 瀬名は相手の言葉が思わぬ方向へそれたのでハッとし 「田 5 宍条とは ? ・」 「他ならぬお方ゆえ、心の底まで打明けまする。わらわた。 は、元康さまがご無事で駿府へお帰りなさるのがおそろし「葬い合戦のおりに何となさるおつもりじゃ」 「残った家の子たちをひきつれて男になって戦い、死にと し」 うござりまする。そのことも若君にお願い申して下さりま 「とはまたなぜな ? 」 もし鶴さままで贈うなったせ」 「もはやわらわに良人はない。 ら何としましよう ? 鶴さま ! わらわは死にとうござり瀬名は自分の怒りが波のひくように遠のいてゆくのを覚 まする。せめて良人に生前の不貞をわびて死にとうござりえた。 ( そうだ、それがよい。それでこそ御前の不貞はぬぐわれ まする」 よ、つ ) 瀬名はクラグラッと眩いがしそうになった。 瀬名は吉良御前にくらべて単純だった。おそらく御前の ( そうだ。この女にもう良人はない : 2

7. 徳川家康 3

舅の久政はいつももの言うときに「義」を口にした。風 「お方 : ・・ : 」と庭で声がした。 姿は良人よりもみやびていたが、 気性のはげしさは良人以 良人の浅井備前守長政だった。 長政は二十六歳。父の久政が隠居して、二段下の山王丸上と、お市の方にもわかっていた。 が、正直に言って兄の信長となると、お市の方にはその へ別居してからは、この本丸で、しきりに諸家諸勢力の消 長を眺めやっている。むろん信長と縁組したのもそうした性格の判断はつかなかった。周囲の人の中にも「大うつ け」という者があるかと思えば、「天下取りの器」と褒めち 政治の一つであったが、今では心の底からお市の方にひか ぎる人もあり「残酷無比」と評する人があるかと思えば細 れていた。 かいところにお気の届くご仁政と涙を流す者もあった。 「こなた、京へ行かれた兄君の心を何と思うぞ」 しかもその信長は末の妹のお市の方には、この上なく甘 不意に話しかけられてお市の方にはその意味がのみ込め よ . かっに 0 くなっかしい兄であった。 「は : : : 兄上が何か」 徳川家へ嫁いだ徳姫にもそうであったし、武田勝頼にと 何気なく顔をあげてお市の方はハッとした。良人の表情ついで、産後の日だちが悪く、すぐに亡くなった養女の雪 にただならぬ困惑の影を見てとったのだ。 姫 ( 信長の妹婿苗木勘太郎の長女 ) に対しても同じであっ 「兄上さまが何か ? 」 「ーーー・女子はの、かなしいもの、いとおしいものじゃ」 「亠まあよい」 長政は思い返したようにため息すると、 膝に抱きあげて頬ずりするときには、ほんとうに涙ぐん でいることがよくあった。 「茶々が待っている。早く折っておやりなされ」 その兄が今年の上洛にはわざわざ途中で相撲興行をした そう言いすてて、そのまま庭をめぐっていった。 お市の方は思わず手をとめて、良人の後姿と愛児の姿をり、京で花見をやったりしてひどく上機嫌に浮かれている という噂は聞いた。 見比べた。 舅の久政は、何彼につけて、物柔かく、しかしつけつけ ともの言うたちであったが、 3 2

8. 徳川家康 3

う哀れに田いえた。 いまその哀れな男たちが、手柄話を土産にし、気負った 姿で近江の戦野から帰ってくるのである。 到着を知らせる法螺が戦列から聞えてきた。 お愛はいそいそと立働く女房たちにふと佗びしい羨望を 元亀元年の七月八日。 おばえた。 信長と旗をならべて戦って、 ( 自分にはもう、戻って来る良人はない : 「ーー・・三河勢こそ日本一 ! 」 。、、お愛はそれをすぐに恥じた。今は城に仕える身だっ めったに人を褒めぬ信長にそう言わしめて戻って来たの た。素直に主君の帰城を待たねば。 だ。男対男の面目は立った。 ワーツと大手に声があがった。物見やぐらから、凱旋の 家康は、自分を漢の高祖にたとえ、本多平八郎を張飛に たとえた信長の言葉を想い出しながら、自分の居城の城門 戦列が見えたので、それを下に知らせたのだ。 をくぐった。 「あ、戻りましたぞ」 コどんなに疲れたことか」 レしつもと変らぬ 両側に、ずらりと出迎えた留守の者こ、、 人々は手の空いたものからそろそろ城門へむかえたしおだやかな表情が見せられるーーーそれが帰る者にとっては このうえないよろこび。 家康はみんなに眼顔で会釈をかえしながら第二の矢倉門 帰って来る人々にとって、何がいちばん嬉しいかもよく にかかろうとして、出迎人の中にまじった一つの顔にハッ わかっている。騒ぐのでもなければ手を振るのでもない。 が、両側に出迎えて、礼儀正しく見上げる眼と、戻った眼と大きく胸を打たれた。 とが出会ったとき、胸いつばいの感慨が交流する。生きる その顔はかっての曳馬野城主、飯尾豊前の妻の顔。いや 西郷彌左衛門正勝が孫娘お愛の顔だったと思い直した。 よろこび ! とはその一瞬の感慨を一一一口うのであろう。 それにしても、今日のお愛の顔はなんと心に残る顔であ お愛も、そうしたよろこびで、せめて主君を迎えなけれ つ、つ、か 0 ばと、手を拭きながら大手門に近づいた。 際立った色の白さのせいもあろう、まばゆいほどに光っ 327

9. 徳川家康 3

岐阜城の偉観は、稲葉山麓の千畳台の館にはじまる。巨「知らぬと言いやるか。それでは念が足りませぬ。たぶん 石を積んだ頑丈な石垣と、それを囲む若葉の重なりにさん今日は福富平左衛門どの出仕のはす、これへと言やれ」 し」 さんと春の陽があたっていた。 玉緒があたふたと出てゆくと、入れ違いに渚が天目をさ この城をはじめて訪れたポルトガルの宣教師、フロエ さげて御前の前へおいた。 濃姫はそれを取上げて、はじめて煙ぶるように咲いてい 「ーーー石の大きさ驚くべく、これを結合するに、少しも石 る梨の花を見やった。 灰を用いていない」 まだ良人の信長が、金ヶ崎を退く前であった。 と、豊後に来ている同じ宣教師アイゲレンドに書送った 「、いにかかる : : : 」 岐阜城だった。当時、ポルトガルの印度総督官邸、ゴアの 宮殿よりも遙かに大きいとも書いている。 と濃姫はつぶやいた。父が築いたこの城は彼女の眼の前 その千畳台の館の庭にはいま梨の花が煙るように咲いてで四度び持主を変えている。 父の道三入道から、父を討取った義龍に変り、更にその 京から帰った濃姫御前は、その頑丈な石垣門をぬける時子の龍興となってそれから良人の信長に変った。 にも、大玄関から館をぬけ、梨の花の間を一段上の「奥」 その信長が越前へ兵を出すと知ったときには、濃姫は何 へ通る時も、一言も口を利かなかった。 の心配もしていなかったが : こんなことはめすらしい。 一人の人間として、濃姫は十 夫婦の愛情からではなく、 奥の御錠口に、あわただしく出迎えた側室たちにも、ち分にその良人の才略を認めていた。 りりと一暼をくれただけで自分の居間へ通っていった。 カその豊か 敵とすると、これほど恐ろしい敵はない。、、、、 居間へ通るとすぐに侍女の玉緒を呼んで、 な才能を知って近づいてゆく者には滴るような情をもって こたえてくる。 「表会所へは何誰が詰めて居られるそ」 したがって濃姫は、自分が感得している受取方で、お市 低い声で訊いた。 の方の良人浅井長政も、信長の助力で将軍になった足利義 :. 何誰かはっきりとは」 どよこ 2

10. 徳川家康 3

笑に変えてゆくのに数分かかった。 姫はお万とならんで、不平らしく、とがめるような甘え るような眼ざしで家康を見上げている。 「もうお帰りなされまするか」 「丐山 1 「またお母上さまが何か : ・・ : 」 家康は本丸の居間にもどって、しばらく黙然とすわって 「何を申す」 家康は泣き笑いの唇をゆがめて手を振って、 。よい子妻と良人。 「また参るそ。今宵は万と星まつりをするがよい その間題が今日ほどしみじみと想われたことはなかっ になっての」 た。今まではつねに男と女という対照の上で眺めて来た 4 そう言ってお万を振り返り、 女。それだけで十分に解決すると思っていたものが、今日 「姫とよく遊んでやってくりやれ」 の瀬名にあって粉々に砕かれた感じであった。 し」 男と女ーーという関係と、良人と妻という関係とは全く 二人の気まずさを知っているお万は、眼のふちを赤くし べつのものらしかった。 てうなずいた 男と女の場合にはたやすく征服出来るものが、妻となる 家康はそのまま外へ出た。そして陽のおちた空を見上げ とはげしい反撃を加えて来る。それも整然とした理路を伴 て誰にともなくつぶやいた。 う反撃ならば、説き伏せ方もあったし受け方もあった。 「この家康にだけ、温い家庭など : : : めぐんでくれてよい が、これは感情だけを先に立てて反省もなければ謙譲さ ・ : 乱世ではみんな哀れなもののは ものか。男も女子も : もなく、さながら狂人のように爪を立てて来るだけだっ 榊原小平太が、「は ? 」と言って、きき返したが、家康た。 妻にとって肉体を征服されるということは反撃を要する はそのまままっすぐに本丸の方へ歩いていった。 良人と妻