「まことにはや、うらやましい限りでござりまする。若君 四 さえにうにまかせぬ奥方さまを」 「わしは近ごろ夢を見る」 元康にかわされて、使者はめん食った。 瀬名に言いつけられた彼の役目は逆であった。元康は身「奥方さまの夢を」 「いいや、天下無類の大蛤が、わしを追いかけてくる夢 辺に女子をおいているに違いない。それが駿府へ戻らぬ原 因ゆえ、もしそうした女子があったら、瀬名も氏真の執心じゃ」 「お戯れを : がふりきれぬー、ーーそういって脅かすようにと言いっかって 「いいや、まことのことぞ。それがバグリとわしをひと呑 来たのであった。 みにせんものと、ふわり、ふわりと追いかける。これはの、 「はい。あと一日旅の疲れを休めた上で、すぐに戻ります るが一兀康六、ま」 わしばかりか城も家来もペろりと呑みそうな大蛤じゃ。こ なた、そういう夢は見たことがないであろうか」 「まだ何ぞあったかな」 「このままでは奥方さまが案じられまする」 使者はばかんと口をあけた。到底彼の敵ではないと思い 「その返事ならばさっきしたのう」 知ったのであろう。 「仰せの趣き、よくお伝え申しまする」 「では、奥方さまが、若君がふりきれず : ・・ : 」 そう言うと、彼自身何かに追いかけられているように 「それも答えた。忠義はつらいものよ」 「忠義とは・ : : ・ご主君のことゆえなびけと仰せあるのでごキョトキョトしながら、小姓に案内されて下っていった。 その夜のことであった、元康が駿府を出てからはじめて ギ、りましよ、フか。 ~ ャくとも ~ 羊抱せよと一一一口、つ宀思で」ぞ、りま 女に接したのは。 しよ、つ力」 本丸へはほとんど女はおかなかった。必要がないと言え 「それはこなたには分らぬでよい。瀬名に申せば分別しょ ばそれまでだったが、どこかに瀬名へのはばかりがあっ う。だが、女子とは、そのように男が欲しいものであろう かの」 またかわされまいとして、相手はあわてた。 老臣たちの中には、それとなく身回りの世話をする女性 9 5
「ああ」と、姫は悲鳴をあげて上半身をもたせて来た。 「ええ」 次郎三郎はカーツと頭が熱くなった。どんなに両手にカ 「おれは怖くはない。あの音を聞くと、いつも武者震いを をこめても、支えのないほど柔軟な姫の体だった。そのた 覚えてゆく」 「それは : : : 三郎さまが勇ましいご気性ゆえでござりますよりない柔かさにふれると、一層猛々しく雄心はあおられ る。 る」 「痛くはないか」 「姫はいさましくないのか」 「ええ」 「女子でございますものを」 「これでもか、これでも参ったと言わぬか」 : 女子はやさしいもの。そうであったな」 姫は、次郎三郎の胸にうずめた首をかすかに振ってゆく。 「三郎さま、じっと二人でこうしていたし」 黒髪がおとがいの下でゆれて、そのわきにのそいた耳朶 「やくたいもないこと : 笑おうとして次郎三郎はび 0 くりした。のどがからからが紅梅の花弁のように赤か 0 た。 次郎三郎は、その耳朶を見た瞬間にふーっと気が遠くな に乾いていて、自分の声がまるで誰か他人の声のようにか すれていた。 った。いや遠くなった意識の向うで、自分でささえきれな い神秘な好奇心の跳梁を感じた。 ( なぜであろう ? ) 「よしツ。ではこ、つしてやる」 と、首をかしげてみてもそれの解ける年ではない。むく 平岩七之助親吉だっ と、その時廊下へ足音が近づしオ むくと夏雲のような感情の猛りが胸につまって、吐く息が あらくなった。 親吉は次の間の襖ぎわに、固くなって坐っている小侍 従を見ると、なんとはなしに異様な空気を感じとり、 「ご機嫌はなおったか」と声をひそめた。 と、三郎・はさけぶよ、フに一一一口った。 そして小侍従が湯上りに似たうなじを見せてさしうつむ 「姫の体が折れるほど抱いてやろう」 あらあらしく膝をついて肩の上からぎゅっと両手を締めくと、 てゆくと、 「て、つか」 つ」 0 3
とは申して居りませぬ」 鳥居四郎左衛門忠広が入っていっても、 「なんじゃと」 「何だ ? 」 たたきつけるように言っただけで家康は眼も開けなかっ 「このまま一戦いたすより、引揚げると見せかけて、この っこ亠寸 た。鳥居忠広は家康と共に育った元忠の弟で、剛男さでは不利な崖際での戦をさけ、敵が堀田あたりへかか に、、つしろからドッと一度に襲、ってやったらいかがでござ 兄にゆずらず、その分別は父の忠吉をほうふっさせた。 りましよう。それとて勝利はおばっきませぬが、それで十 「お館 ! ひどくご機嫌がわるげに見えまするな」 分武士の意地は見せられまする」 「余計なことを申すな。用は ? 」 「四郎左は戦目付ゆえ、見たままを申しまする。今日の戦「四郎左」 冫し」 は味方に不利 : ・ 「そちはいっから家康の意見番になったのだ」 「わかっている」 「べつに : 「敵は思いの外の大軍にて、それが十数段に備えをもうけ 9 て居りまする。幾ら破っても、あとからあとから掛って来「黙れッ ! そちたちの考える道筋を、通らぬうちに采配 3 て、はてしがなげに見受けまするが」 する家康と思うて居るか、臆病者めツ」 「これはお館のお言葉とも覚えませぬ。この四郎左が、い 家康は答えなかった。いぜんとして眼も開けない。が、 頬の肉がビグビグ癇癪にうごいている。 っ敵にうしろを見せました」 「お館 ! この四郎左の見たところでは、味方が城内へ引「敵にうしろを見せぬが勇者ではない。敵の大軍を見て予 きあぐれば、信玄は戦わずに通ってゆくと存じまするが」 の采配をあやぶむ、その性根が臆病だと言っているのだ。 われ等が動揺して、織田の援軍が戦えると思うか。腰抜け 「たわけ ! 」 家康の眼はカッと開いた。 四郎左はぐっと口を結んで怨めしそうに家康を睨みかえ 「そのようなこと、半年前からわかって居るわ。小賢しい ことを申すな」 こんな血気の大将ではなかった。何かに魅人られている 「お館、四郎左はそれゆえ城内へ引揚げて、そのまま通せ
いかにもお迎えさせましよう。しばらくこれで」 「年寄はいらぬ世話を焼くものじゃの。いや、信長どの 人質を下さるとあれば、こ は、ただこの久秀に、大儀じゃ、世話になるぞと申して来「それはそれは。ハ、、・ と、言いつけられただけ : : : 出迎えの儀は、貴殿のの老人も安堵してお待ち出来る。ご子息であろうの」 「いかにも、長子、二子、二人をお出迎えに」 心まかせでもよろしかろう」 「それがよろしい。何といっても次の天下は信長どの 元綱はいらいらとあたりを見回しながら、 じゃ。お覚えはめでたいに越したことはござらぬ。酒や風 「まずこれへ、誰ぞ床几を」 呂はいらぬが、湯づけの用意はござろうな ? 」 とあわてて言った。 : いたさせてござります 「いや、酒も、風呂も、用意 : 「いや、もはや遅ければ引返そう」 「あいや、しばらく」 「と言われると、この老人の言葉に従い、ご子息なり、お「何から何まで行届いたこと。改めてこの久秀からもお礼 を・甲上げよう。それで明日は京に人れる。京ではもう、ほ 出迎えにつかわされるかの、いや、これは老婆、いじゃが、 ととぎすが鳴いているであろうの」 角お宿を申しながら、これは佐々木の一族だったが : しかに 0 も : などと思われては心外であろうと存じての」 と、言って、元綱は額ににじんだ汗をふいて、そのまま さすがに狸は見事であった。 ます機先を制して相手を混乱させてから、次々にぬきさ出迎えの支度を命じに走っていった。 久秀は笑いもせすにそっとおとがいを撫でている。 しならぬ暗示の楔を打ってゆく そこへ家臣が床几を持って来た。 「かがり火を焚け」 真昼の梟 と一兀綱は一一一口った。 「信長どの、ほどなくこれに見えようほどに、坂道明るく 照しおくよう : いながら首を傾けて考えて、 286
っとめて静かに話しかけると、相手はくみし易しと感じ 四 たのか、急に声をころして泣き出した。 お万とのかりそめの情事を瀬名に気づかれた : : : それは 「泣いていてはわからぬ。思うことを申してみよ」 「よ、 : 」お万はいっかの気強さはみじんもなく、甘え家康にとっても心にかかることだった。 瀬名は普通の神経の女ではない。嫉妬しだすと理性をな とおびえでそっと家康の袴のすそにすがって来た。 くして狂ってゆく。かりそめのことだと言って、笑って許 「お殿さまの : : : お手がついたと : : : 奥方さまにさとられ す女でもなければ、許そうと努めたり、再びそれを繰返さ 寺 ( した」 せまいと思案を重ねる女でもない。 「ふーむ」 その時の感情の猛りのままに何を仕出かすかわからない 「それからは夜毎のご折檻 : ・ 女であった。 折檻ではござりませぬ」 家康は布えきって震えているお万を見ているうちに、そ 「どのような折檻じゃ」 「よ、 : いいえ : : : それは申上げられませぬ。死ぬよりの不安が悔いとなり、怒りとなり、嫌悪となった。 「死ぬよりつらいはすかしめとは ? 申してみよ。誰もい 7 もつらく恥しい : ・・ : 4 わ殿さま ! 」 オし」 「死ぬより辛いとは : いえ : : : それは : ・・ : 申上げられませぬ」 「お願いでござりまする。奥方さまのもとへお運びなされ「いいえ、 「言わなんだら、わからぬではないか。申してみよ」 て下さりませ。でないと : : この万は : : : 」 しかしお万はかぶりを振るだけだった。 「斬られるとでも申すのか」 事実、十六のお万には、瀬名の折檻はロに出来る性質の 「いいえ : : : いいえ、それ以上の責苦に会いまする。こな たがわるいのではない。こなたの中に住む、淫奔の虫がわものではなかった。 るいのじゃと、それは : : : それは : 「ーーー万がわるいのではない。そなたの体についている淫 らなものが」 家康は裾にすがってかきくどくお万のうなじに視線をじ っとおとした。 そう言って手足をうごかぬように踏まえたうえ、体をな : いいえ、それも、なみのご 160
は事実らしい。 家康は広間の床几で武田勢引揚げの報告を受取ると、全「深傷かきずは ? 」 身に溶けそうな疲労を感じた。 「矢四筋、酒で洗うてでござりました」 決して巧みな戦いではなかった。いやむしろ、評するに そういえば誰も彼も手きすを受けていないものは一人も 言葉もないほどみじめな敗戦だったが、その敗戦を経験し た自分が、いまここにこうして生きていて、しかも敵の進「こうして集った図は、百鬼夜行、見苦しい面ばかり 出を食いとめ得たのだ。 むろんそれは家康自身のカではなかった。底を貫く何も 家康がそういうと、みんなはじめてどっと笑った。 のかの見えない力に合掌したい想いだった。 大久保忠世が戻ってくると、膳がみんなに配られた。熱 御台所から武装した小者が栗とこんぶと椀一つだけの膳 い一椀のにごり酒。 をはこびだした。 それを黙ってすすりだすと、改めてみんなの瞳に涙が浮 2 が、家康はまだそれを配らせず、次々に戻って来る者をんだ。 睨むようにして見やっていた。 生死の間をさまよってきた彼らの眼には、家康だけがい よいよ巨大な石のように大きくみえる。 さすがの鳥居元忠も、弟を討たれて眼を血走らせていた し、多くの郎党を失った本多平八郎忠勝も疲労のかげを痛 ( あるいは恐怖を知らぬのではなかろうか : 鳥居元忠が不意に盃をあげて、 ましく全身に刻みつけていた。 「この戦、よく考えると勝ちました。おめでとうござりま 鈴木久三郎は家康の采配を持って来て、 する」 「途中で拾いました」と、差出した。 と、吠えるようにいった。 「そちに遣わす」 「おう、負けているものか。八千で三万の大軍を追い返し 家康は投げるようにいいすてて天野康景に向き直った。 ているではないか」 「忠次がまだ見えぬが」 忠世がそれに応じた時、 「は、、酉井さまは御台所にて傷の手当中にござります ふかで
に敵の様子は見て来ていよう。どこへ本陣をおかれるな」 家康はわざと笑いを顔から消さず、 「敵は姉川の向い、野村、三田の郷に布陣と見てとりまし オカ」 「さすが ! 右手が浅井、左手が朝倉じゃ」 「われら、わざわざ三河から馳せつけましたれば、西上坂 家康が幕の内に入って来て兜をとると、信長の眼くばせ のあたりに川をはさんで朝倉勢の本隊と相対しとうござり で雑兵が二人、左右から大きな団扇で風をおくった。 「浜松はまた肥えられたの。わしはこの通り瘠せているまする」 信長の眼がちかりと光った。 力」 「それではおぬしに気の毒じゃ。それは遠慮せねばなるま 信長がびしりと裸身の腕をたたくと、 いて」 「格別うまいものも食べませぬが、根がのんびりとしてい 家康は、これもキラリと信長を見返して、 るせいと見えまする」 「、ツハッハ、おぬしが呑気なものか。金ヶ崎では笑った 「ご遠慮とは異なことを仰せられる」 のう、いや、あれで瘠せぬとあればおぬしの肝も汕断のな 「いや、さにあらす、わざわざこの信長のために駆けつけ られた好意、その好意を忘れて、おぬしを越前の精鋭に当 らぬ太さじやわい」 らせ、万一のことあらば信長、武士道をわきまえぬ奴と後 言いかけて自分の裸に気付いたように、 家康は溶けるように世の人に笑われよう」 許されよ」と笠をたたいた。 「暑い。 笑った。 家康ははじめてぐっと表情を緊めた。 信長の言葉のうちに、二つの意味を受取ったからであっ はたから見ていると、それはどこまでも隔意ない兄弟以 上の親しさに見える。が、そうした中にも戦国に生きる男た。一つは自分のカで勝てる戦に、なるべく恩を受けまい とする。もう一つは、家康の兵を傷つけまいとすることが と男の心構えに一分の隙もあるのではなかった。 「浜松どの、ぬかりないおぬしのことた。ここへ来るまで必ずしも策略ではなくて、彼の心の底にあふれる真実であ 家康は謹厳に馬からおりて、 ただムマ到」 と、一礼した。 311
何を感じたのか元康は、とっぜん馬上で声を立てて笑い だした。 それが元康には涙が出るほどおかしかった。 元康は小荷駄の先頭が、右へ曲るのを見届けて笑いをお さめた。 そして、くるりと手綱をめぐらすと、もと来た道を大樹 五 寺へ引返した。 「ア . ツ、ツ、ツ、ツ 大樹寺では、すでに下知があったら斬って出られるよ しばらく、元康の笑いはとまらなかった。 う、近侍をはじめ酒井雅楽助、同忠次、植村新六郎、石川 岡崎の留守居は元康を攻めるのでもなければ、尾張へ攻清兼、大久保忠俊の老将たちまでが、半裸の上に胴丸つけ て槍をみがいていた。 め入るのでもなかった。 「ルス , それでこそ陣備えのおかしさも腑に落ちた。彼らは義元 しかがで、一」ギ、い・亠ます・る」 忠次が眼をひきつらしていうと、 の死に心をくじかれ、岡崎を捨てて駿府への後退をはじめ たのに違いなかった。 「こんどこそ一番乗りじゃ」 元康は笑いながら、目先の桜の葉をちぎって、あたりい 十四の本多忠勝は、元康の乗馬の鼻先でりゅうりゅうと つよいに投げリ収らした。 槍をしごいた。元康はまたフーツと噴き出しそうによっ ( これが人間の弱さなのか : た。と同時に腹の底から久しぶりにいたずら心がわいて来 影におびえるという言葉がある。大樹寺まで無事に引拶 「鍋、騒ぐなツ しいまになって留守居と一戦しなければなるまいかと、 元康はわざと渋面作って馬からおりると、 元康自身が震えているとき、城内の田中次郎右衞門もまた 「わしはしばらく休息する。十分に見張っておれ」 引揚げのおりをねらって、元康が猛襲しはすまいかとびく そういい捨てて寺の中へ入っていった。 びくしていたのに違いない 、 > かがで、こギり寺 ( した」 そして、わぎと早暁の出発を避け、元康の部下が武装を 「いっそこちらから攻め人って、わが城ゆえ取返しては」 ゆるめている今ごろをねらったのであろう。 ) 0 3
「勝頼、田中城の馬場信春と、江尻の城にある山県昌 ′乂、も動力たし に、その旨恵ー 彳月が領内へふれさせろと申せ」 子もじっと坐って晩秋の庭へ眼を投じている。 「と、仰せられますると、家康に降伏を : ・・ : ? 」 父が四角の巌をおいたように逞しいのに引きかえ、勝頼 きんだち 勝頼はきまじめに訊き返した。信玄はかすかにかぶりを は女にも見まほしい公達ぶりであった。 振って、 「勝頼か」 「あれは降伏する男ではない、が、機を見るにさとい男 しばらくして信す ( は一一 = ロった。 「加賀からの密使が参ったか ? 」 勝頼はちらりと片頬に不同意らしい笑いをきざんだが、 勝頼はその一言で父が何を考えているかを知った。 「仰せの通り仕りまする」と、素直に答えた。 「いいえ加賀からではなく、織田方へ放ってあった間者ど 「しかし織田、徳川の同盟は、われ等が推察よりも遙かに もが立戻りました」 固いかと心得まするが」 「ど、つじゃ、〕信〕は . 相亦夂らず・・か」 しきりに将軍家を脅かしながら、河内、摂津、大「固いゆえに触れさせよと申すのだ。敵の強大さを知るこ 3 とは、ただそれだけ臆するか慎重になるかするものだ。加 和、近江、越前とあわただしい備えに余念なき由にござり 賀の使いが来たら知らせよ。それまで父は一人でいたい」 まする」 信玄はうなずく代りに、大きな眼でじろりと勝頼を見や勝頼はうなずいたが、すぐに立とうとしなかった。 彼には父が、まだ蹶起しないのがもどかしい。 ( 世の中に万全というものはない : 「機は熟しかけているのだが : 将軍義昭から再三再四密使をもって上洛をうながして来 と、小さく一一一口った。 「仰せの通り、三好三党、大和の松永、越前の朝倉、近江ているのだし、打倒信長の連盟は出来上った。 いや、ただ武将同志の連盟だけではなく、民心もまた信 の浅井、伊勢の北畠の残党から佐々木六角の者どもまで、 みな誓書を送って来たと、将軍は父上のご上洛をお待ちか長の暴虐をうらんで、ようやく怨嗟に転じだしていると勝 ねでござりまする」 頼は思っている。
「祖洞、ご苦労じゃの」 墓地を出ながら元康が声をかけると、 : 」と、祖洞は笑った。 「あの時殿に斬られていると、わしも今ごろ地獄へ往んで いる。田、つとふしぎじや人生は」 「ほほう、なんでおぬし地獄へゆくのじゃ」 「まだ棒をふるって人を生かしたことはない」 「潰したことはあるであろうが」 「それゆえ地獄ゆきだ。だがこんどは違う、わしのカで殿 を生かした」 卩ー , 七十人力の金剛童子。うぬらの人数はしめて何人「なるほど」 レ一、つし 元康と登誉上人は、顔を見合せて笑いながら元康の居間 じゃ。おれの方は一ふり四人はたたきつぶすそ」 いまでも冷たい汗が になっている上段の間へ戻っていった。 元康は、その時のことを考えると、 ネ汕は相変らず、近侍気取りで、元康に背をむけたまま タラタラと腋をつたった。あの時祖洞の諫止を聞かず、元 康自身が真先に討って出ていたら、恐らく敵の手に首を取入側へ坐ってあたりを警戒している。 寺僧が茶を運んで来ると、上人はそれをおし戴いてすす られていたに違いない。 ってから、 十有三年。隠忍に隠忍を重ねて来たのを、一朝の怒りに 「当寺を建立されたご祖先親忠公のお心を心とせられま かられて無にするところ。 ; 、、まは鉄鋲うった六尺近い樫の棒を地べたせ」 その祖洞力し 思い出したようにまた言った。 に突いて、傲然とあたりを睨みまわしている。 「さっきも祖洞が申したように、潰すばかりの武力は〉ての まま地獄への門でござる。生かすための活人剣、それのみ が仏の許し給う武力でござりまするそ」 元康はうなすいて、壁に立てかけた旗を見やった。その ′ ) んぐじようど おんりえど 旗には、『厭離穢土、欣求浄土』と、大書してある。 これもあの時、この寺の大衆と、元康の連れて来た十八 騎とがひとつになって戦う時の旗であったが、この寺を建 立した親忠もまた、つねにこの文字を陣頭にかざしてゆく のがつねであったという。 「厭離穢土、欣求浄土 : : : 」 元康はロの中でつぶやいて、果して自分の前途に浄土な どあるであろうかとふと思った。 5 3