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検索対象: 徳川家康 3
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1. 徳川家康 3

「流れましたというがよい。あれはの、出来るときも流れ 殿にさばけると田 5 、ってか」 「阿呆 ! 女一人が乗りこなせぬようなやくたいなしに何るときも、人間のカではどうにもならぬものなのじゃ」 ができる。いい折じゃ。うんと困らせてやるがよい」 「では : : : 念のためにもう一つたずねるが : てんで連れて帰る気のない作左衛門とわかって、半右衛半右衛門はいくぶん蒼くなって頬をひきしめ、 門はしばらく息をつめて足許のお万と、そのお万を抱いて 「その後のお万はいったいどうなるのじゃ」 ハラハラしている妻を見やった。 「こそこそ隠れて持っゆえ見苦しい騒ぎが起る。ちゃんと お万はぐったりとして動く気力もないらしい。 お部屋へ直すよう、それはおれから殿に言うわい」 「なるほど : 「作左、それではおぬしに知恵を借りよう」 「おお、貸してやろうとも。どこで分別がっかぬのだ」 「大体殿がよくないとはここのことじゃ。こうして隠れて 摘みあるいて、どうしてお子が出来ぬと決められる。もし 「殿がもし築山殿に気を兼ねられ、なぜ家へ入れたのだ。 出来たら、そのたびにお家騒動が一つすっふえてゆくわ もっての外な奴め : : : と、言って来たら何とする」 「知らぬ。お万はそのようなことは言わなかったと言え」 い。築山殿に気がねをするのは何のためじゃ。家中の風波 を避けるためであろう。家中の風波をいとうて、誰の胤や 「では : : : お万は何と言っておれの許へやって来たのだ」 らはっきりせぬお家騒動のもとの庶子ばかり殖やしていっ 「そうだな」 てどうなるのだ。いや、風波をいとうほどならば、なぜ、 作左はいかにも面白くなさそうな渋面で、 「殿のお胤を宿したゆえ、静養したいと言って来た : : : お一人前らしく他の女子などに手を出すのだ。おれはその小 れならば、そう言うて度胆をぬいてやる」 心なこそこそが大嫌いじゃ。わかったな。わかったら帰る ぞ」 「 : : : そ : : : それはまことか ? ・」 「知らぬ。知るはずがない」 そう言ってから、もう一度出口で半右衛門を振返って、 「うーむ」と、半右衛門はあきれたように首を振った。 「いいか。殿のためじゃ。誰 こも傷はつかぬよ、つに、殿の 「なるほど思い切ったことを言う男だ。それで胎内に子供腹の中へ大風を吹かしてやれ。大風だけが大樹の根を張る がないとわかった時は何とする ? 」 良薬になるはすじゃ。それが吹かせられぬではおぬしも腰 172

2. 徳川家康 3

「ーーーそうか。言い交した者があったのか。それではやむ 又右衛門はその使を帰して律義に「切腹」まで考えたら を得ぬ。が、念のためにその者の名を聞こう」 はい。それが木下藤吉郎でござりまする」 すると、そこへのこのこと猿は訪ねていって、 なに、猿じゃと。嘘ではないな」 どうだ・。行く気になったであろう」 キム . : ーし。この父もあまりのことに : と、やってのける・みな打合せてのからくりゆえ、真正「 又右衛門が言いかけると、 直な又右衛門に太刀打ち出来るはずはなかった。 この又左も武士、そう聞いては後へはひけぬ。 「ーーー仕方がない。前田さまがカンカンになってござるゆ「よしー わしがお八重と猿の仲人をしよう。異存はあるまい」 え、皺腹切って詫びようと思う」 万事は猿が書きあげた筋書どおり。又右衛門は自分の意 なに切腹 : : : それは一大事だ。では、こうしなさ れ。実は娘にはすでに言い交した相手があった。それゆえ見などさしはさむ余地もなくて、すごすごと戻って来た。 又右衛門にとっては一難去って又一難。前田又左さえ嫌 ご勘弁願いたいと」 ったお八重が何で猿を婿にしようーーー・そう思いながらも成 「ー・・・ー・それは駄目じゃ。嘘はとおらぬ。前田さまはいっこ 行を話してゆくと、お八重は二つ返事で、猿のもとへなら く者ゆえ」 と言うがほかに断りようはあるまい。よしツ、そのば嫁ごうと言ったそうな。 戦の才覚もよくするが、女にもまたやつばり汕断の 相手は誰だと聞かれたら、それは拙者だというがよい。そ「 出来ぬ奴であった」 うすれば、拙者があとは掛合うてみせてやる」 信長はあとでそれを聞かされて腹をかかえて笑いくずれ なに、相手がおぬしじゃと ? 向うで本気にするも たものだった。 のか」 気保ー」 「ーーー , するもしないも、ゆうてみるより手はあるまいが」 「よ、 し」 そういわれて又右衛門は利家をたずねていった。むろん 「そちと家康との話の間、人払いはいたしてあったろうな」 、。一一旨じないときにはど、つなるものかと案じ 利宀豕は信じ亠まし , 4 信長は印判をつき終って秀吉に向き直った。 てゆくと、 253

3. 徳川家康 3

「ああ、鬼どのか。鬼どのの名は聞いていた。鬼どのとなるためにやって来たのだ」 らばおれも話そう」 「ほう、家来になるためならば証拠は持っているであろ う。納得出来たら会わしてやる。その証拠をおれに見せ 作左衛門は、きっと小平太を振返って、 「ならぬぞ小平太、おぬしは考えすぎて戸惑うて居る。もろ」 う平八郎は戻って来よう。行くな。よいか」 「それは出来ぬ」 きびしい声でそう言って、少年の先に立って家康の陣屋「出来ねば断る」 「鬼どの」 の前の焚火のそばへ戻っていった。 「なんだ」 「さ、掛けろ。するとおぬしは、この井伊谷の主であった 直親どのの忘れ形見か」 「証拠は見せられぬが、何を持っているかは話せる」 「ふむ。ではそれを聞こう。何を持っているのだ」 少年はじっと作左衛門を見返したままこくりとした。 「曳馬野城の女あるじ、吉良御前の手紙を持っている」 「たしか万千代 : : : どのと言われたな」 七 「わが殿に会って何とする気だ。万千代どのとわかる証拠 「なに、曳馬野の後家どのが : を持っているのか」 と言いかけて作左衛門は田 5 わずポンと膝をうった。 「それは家康どのに会うまで言えぬ」 「そうだった。万千代どのにとって、御前は叔母御にあた 「言わねば会わせぬ」 っていた。そうか、そうであったか」 作左衛門はすかさず答えて自分の手で薪を加えた。 作左衛門はうなずきながら改めて万千代を見直した。 「寒い日じゃ、さああたれ」 はじめて、この姫街道の井伊谷に陣をすすめ、正面きっ 「鬼どの」 「言う気になったならばよし、言う気がないのなら話しかて曳馬野の城を攻めなかった家康の心が読めた。 ( うかつであった : けるな」 と、作左は思う。若き日の色恋に意地を立てて : : : ただ 「鬼どのを疑うたは悪かった。おれは家康どのの家来にな 223

4. 徳川家康 3

お万の伯母は鬼作左とは一族の本多半右衛門の家に嫁い 「知らぬ : : : 作左。おぬし、自分でそうして担いで来なが でいたのである。 ら知らぬで通すつもりか。いや、おぬしはそれでよかろ 伯母があわててお万の体へ小袖を着せかけているそば 本人がげんに吾家にいるのでは、おれの言訳は通 で、半右衛と作左の低いがしかし罵りあうような交渉の声るまい」 がひびいていた。 「半右衛、いよいよおぬしはとばけたの」 「では、どうあっても受取れぬというのか」 作左はそこでいまいましげに舌打して、 そう言ったのは鬼作左で、半右衛門の声は作左より少し 「よいか。おれは知らぬが、本人はここへ来ている : : : と やさしかった。 いうことは本人が自分で訪ねて来たこととはならぬか」 「築山殿のもとで不都合のあった者、この夜中にしかも裸「おぬしはそれで済もう。が、おれの方はそれでは済ま の女子など受取れるはずはないではないか」 「落着きなされ。おぬしも、そんなこととは知らなかった 「半右衛 ! 」 : ただそれだけでいい。あとの始末は殿にさせよ」 「なんだ」 「取に : : : ? それで家臣のっとめが済むか」 「おぬしもだいぶとばけたの」 「とばけているのはおぬしじや作左。考えても見よ。人間「済む ! 」と、作左はわめくように言い返した。 ひとりが消えたといって、そのままに済ます築山殿か。草「おれは殿の女出人をさばくために禄は食まぬ。自分のふ ぐりの垢は自分で掻けと殿に言え」 の根わけても探し出せとなるは必定。その時、おぬしが担 ぎ出して、おれがかくまったなどとわかったらどうなるの 十二 「どうにもならぬ。大体これは殿の阿呆さから来たこと「作左、おぬしは、思い切ったことを一一一口う男じゃの」 「言うだけではない。する男だぞ。覚えておけ半右衛」 じゃ。お互い、殿の阿呆さなどは自慢にすまいぞ半右衛」 「いったいあとを殿に任せて : : : どうなると田 5 うのだ。こ 「では、かくし終せるとい、つのか」 こだけの話じゃが、築山殿は、類いのないジャジャ馬じゃ。 「かくすも隠さぬもない。おれもおぬしも知らぬことだ」 171

5. 徳川家康 3

「半蔵 ! 」 半之丞は上和田の部落へかかる茅場のはずれで、乾飯を 「何だ妙な目をして」 喰べている渡辺半蔵と出あった。 「おぬし、阿弥陀如来が、いつになったら殿に罰を下すと 半蔵は自慢の抜身を枯れ草の上に投げ出し、 半之丞の姿をみると、 思う。春になって田が耕せず、夏が来て勝負がっかぬと、 音をたてて飯をはんでいたが、 秋から冬は饑え死だな」 「なあンだ半コか」と、すかしてみて、 「おぬし、槍の短冊を落して来たな」 「うん、それはそうだが : : : それがどうした」 「すると罰は誰にあたるのだ。百姓どもやおれたちに当っ 自分の太刀のつば元に結いつけた「退くは地獄、進むは て来るとは思わぬか」 浄土 : ・・ : 」の短冊を指した。 「坐・コ」 「半蔵」 渡辺半蔵は意気込んで何か言いかけて、しかしごくりと 「何だ半コ」 唾をのんだ。 「おれはな、殿に出会うた」 「おぬし、それで槍の短冊を千切って捨てな ? 」 「出会うたら突き伏せたがよい」 「おれは阿弥陀さまにそむくのはいやだ」 半蔵は自分が刀をかついで逃げたことは言わなかった。 「阿弥陀如来は、おれたちの味方だと言ったろう」 「それがな半蔵」 「その味方がこっちへ罰をあてそうだ。おれは殿のうしろ 半之丞は自分も投げ出すように枯草の上に坐って、 「どうしても槍が前へ出ようとせぬ。ふしぎなことがあるに、ビカビカッと光るものを見た」 「半コ、そ : : : それは、ほんとうか」 ものだ」 と、その時、念仏道場の荒法師がひとり、これも短冊を : それはおぬしの信心が足らぬからだ。おれな つけた六尺棒をかざして、 らばパッサリ斬てやったのに、惜しいことをしたな」 「ふしぎだ。手がしびれてな。それから眼がくらんだ。殿「おう、半蔵どのも半之丞どのもここに居られたか。いよ いよ好機到来じゃ ! 法敵家康、上和田まで追って来て のうしろにピカビカッと阿弥陀如来の後光がさした」 の、たたいま大久保忠世が屋嗷へ入られた。まさに袋の 「嘘をつけ。阿弥陀如来はこっちの味方た」 151

6. 徳川家康 3

次郎三郎は父の家康よりもはた目には敏感だった。家康が暗くなって来たであろう。双六をするか。みなを呼んで かるたを取ろうか」 ならば黙ってじっと考えるところをすぐにロにする。とい 「いいえ、姫は、こうしてじっと三郎さまと二人でいと、フ って、それは素質が家康よりも劣っているというのではな 在じまする」 苦労知らずの育ちのせいらしかった。 「そ、つか。では、、つしよ、フ」 「なあ、母上には、いにもないことを言う癖がある。怒る そこでまたっかっかと寄って来て、髪にかざした梅の小 な、堪忍せい」 そう言われると、姫はまた、たまらなくなってうつむい枝を、 「曲っている」と、直してやった。 「また泣くのか。それも嬉し涙か。そうであろう。のう姫姫はニコッとして、またそっと袖口を眼にあてた。 「この前、岩津へ鷹狩に往んだときにな」 「あ、あの寒い日」 「そうじゃ、山裾の草原で昼食していると猪が一びき飛び 2 出して参ったのだ」 嬉し涙かと言われると、 「それをお弓で射なされた : : : その話はもう二度聞きまし 「はい」と徳姫はうなずいた。 次郎三郎の心の奥にあるやさしさが、いつもの何倍にも 「二度 : : : そんなにしたかのう。でも、話しだしたら聞く 感じとれる姫であった。 7 ものじゃ」 「母上さまのおこころはよく分って居りまする。お案じな 「はい。ではそれで、どう遊ばしました」 されますな」 「おれが、北原喜之助の差出す弓をとって発止と一矢、す 「そうか。姫は利発ゆえわかるのじゃ」 「はい。姫とて、織田の家が滅んだり、三郎さまにうとまるとわきから七之助が躍り出て槍をとって仕止めてしもう た。おれは怒ったぞ、なぜもう一矢射させぬかと、たが大 れたりしたら、きっと悲しさに、い乱れて : : : 」 * というものは危いことはせぬものじゃそうな、のう姫」 「そんな話はよそう、ああいっか陽がかげつた。みよ、空

7. 徳川家康 3

プルと震えていた。 作左はけろりとした表情で、 無礼といってこれ以上の無礼はなかった。呼びもどして 「算盤持った女子も居ると言えば、遊女しか思い出せない : そんな頭は、女子に関するかぎりまず大うつけでござ斬 0 て捨てたい衝動と、たしかに自分は大うつけに違いな いとするホロ苦い反省とが、胸の中でうずを巻いた。 . り・亠よー ) よ、つ」 とっぜん家康はハッハッハッハと声を立てて笑った。 「ほざいたなツ」 ぬか 「よくも、よくも吐したものだ ! 」 「ほギ、きました」 ふてぶて そしてその笑いの中で、作左の不逞不逞しい忠心を肯定 ひびきの物に応するように、 しようとするのだが、そう容易く感情はおさまらなかっ 「もの事はなあ殿。何ごとに依らず、つりあいが大切じゃ。 殿も遊びなら、相手も遊び、殿も楽しければ相手も楽し 「殿、おすすぎを」 い。それで双方が得をする : : : というのだったら、さした ちょうずだらい るいざこざは起りますまい。そうした女子も世の中にはた いつの間にか背後へ手洗盥を据えて楙原小平太がひかえ くさんある」 ていた。 「よしツ、ではそうした女子を連れて参れ、まさか、ある 宀豕胤はどき、りとした。 にはあるが連れては来れぬなどと卑怯なことは申すまい」 「小平太」 イ / 卩はゆっくりと一礼した。 「仰せとあらば、いかにもお目見得させましよう」 「いまの作左のことな。聞かぬことにしておけよ。作左は 「気に人らなんだら斬って捨てるそ」 いっこく者じゃ、得難い奴だ」 そう言って家康は手洗盥をひきよせた。 「、こ随亠臥に。では」 だがその時には作左衛門はもう寝所の庭から表の方へま わっていた。 家康はきっとくっぬぎの上に立ったまま、しばらくプル 戦の掛引について老臣功臣と話しあう機会は多かった が、女の話などは稀であった。 183

8. 徳川家康 3

ったゆえ、しばらく一人でおいてくれ。みなの前へ出る は、大事な股肱をみな引きつれて死んでいった。予は父上 と、泣く自由すらない予をあわれと思わぬのか」 をうらむ。予は父上の野心の犠牲にされてしまった : 「若君さま ! 」 氏真の言葉は真実だった。氏真ばかりではなく一族み さすがに瀬名の声もとがった。氏真自身の立場からは確 な、義元の野心の犠牲になったのかも知れない。が、その にそうであったとしても、この混乱の中で、そのようなた 真実を氏真の口から聞くのはたまらなく頼りなかった。 よりない放言は許せなかった。 いったいそれでは残された家の子たちは、どうすればよ 「伺いとう存じまする。葬い合戦は、御所なきあと若君さ しとい、つのか。 「お察し申し上げまする。が、たオ , こ御所さまを怨み参らすまは総大将にござりまする」 だけでは済みませぬ。葬い合戦はいっ頃にござりましよう 五 瀬名の語気に思わず不満がこもってゆくと、氏真はじろ 氏真は怨めしそうに瀬名を見返したまま、しばらくまた りと瀬名を見やったまま、またいらいらと膝をゆすった。 無言であった。 「そなたもやはりそれを言うのか」 「まさか、このまま物ますお心ではござりますまい」 「わらわばかりではござりませぬ。良人を討たれた後家た 「鶴 ! 口が過ぎよ、フ」 ちの心もまた同じ想いにござりまする」 「では、ご胸中お明しのほど」 「、つーゞ廴」 「こなた、予を怨んでいるな。いっかの事をまだ根にもっ 「さっきも飯尾豊前どののご内室が、若君さまにお許しをているな」 願い、男になって戦い死にたいと : 氏真の眼は蛇のように底光って、歪んだ笑いが唇尻の肉 「わかった ! 」 をひきつらせた。 瀬名はカーツと怒りがこみあげた。 と氏真は不機嫌に膝をたたいてさえぎった。 いっかのことーーーそれは、元康との婚礼の前日に、さん 「氏真はな、はじめは父の犠牲 : : : 後には家臣の犠牲にな ざん瀬名の体を弄んだあの時のことを言っているのに違い って、修羅の場に生命をおとせばそれでよいのじゃ。わか 2

9. 徳川家康 3

家成はゆっくりとうなずきながら ーいめでたいことに存じて居ります」 「よいも、つこなたには間、つまい 「築山殿にはいろいろと心痛つづき、折を見て予が話す : じかに殿に司おう。そ : と殿が申されましたゆえ、べつにお耳には入れませなんれで今川家への義理がすむかどうかを」 いたわ 石川家成は最後の言葉は聞えぬふうをよそおって、 だが、それもこれも殿のお労りかと存じまする」 「おお、殿がお成りなされましたようで」 「何が労りじゃ。、 カりにも義元公の姪のわらわ。伯父上の と、耳をかしげた。 首討った織田家の姫と : ・・ : 」 そこまで言うと、家成はゆっくりと手で制した。 まだ日は暮れおちていなかった。今ごろ渡って来るのは 「それを仰せなされまするな。岡崎の城内では十九になる珍しい。やはり姫への愛情からであろう。 「殿のお成り」と、この春から元康の身辺に召出されてい まで殿を人質にとめおかれた治部大輔を、怨んで、怨みぬ る榊原小平太の声が聞えた。 いている人が多うござりまするそ」 思慮の足りぬ駄々ッ児をさとすような、たしなめるよう 小平太は十五歳になっていたが、まだ前髪立で、太刀を ささげて元康にしたがっていた。 な口調で言った。 本人はそれが不服で、元服している本多平八郎をしきり 四 にうらやましがったが、元康はそのままに捨ておいた。 卩ーーあまり気短者ばかりが出来てもこまる」 瀬名はわなわなと唇をふるわしたが、はげしい言葉はっ っしむよりほかになかった。 そう言って、小平太のあせりを知って知らぬ顔であった。 義元の松平家に対する保護。それは駿府から眺めたの 女たちのあわてて出迎える気配がし、やがて元康は休息 と、岡崎から眺めたのとでは、全然ちがったものになるー の間に入ったらしい ーそれに気付くと、瀬名はいよいよ自分の影の薄らぐのを お万がとんで来て、瀬名にそれを知らせた。瀬名はうち 覚えた。 かけを取らせ、ちらりと鏡をのぞいて居間を出た。 「では、家中の者はみなこの縁談をよろこんで居ると申す顔色が青く沈んで、まなじりに不満の陰がはっきりと見 てとれる。 力」

10. 徳川家康 3

もし家康がそう言ったら、いったいこれはどうなるのか。 抜け」 ( 待てよ ! ) 語尾はびしやりと戸の外だった。 半右衛門はもう一度作左衛門の渋い顔を瞼にえがいて、 作左の足音はそのまま半右衛門の家を遠ざかった。 その眸をそのままお万におとしていった。 作左衛門は、お万をお部屋へ直すようにとは、おれが言 うと言っていたし、この位の風が吹かせられぬではおぬし 殿の情事ー そんなことは誰もが苦笑のうちに体よくもみ消すのが例も腰抜け : : : と、放言して帰っていった。 ( さればどこかに風を吹かせる急所があるはずじゃが : であり、それが家臣の心得でもあると思っていた。 その半右衛門の胸に鬼作左はまずはげしい突風をあてて 、つ」 0 「何はともあれ、奥へ運んで休ませたいと思いますが」 妻の言うのに、半右衛門は「待て待て」と首を振った。 これでは花も散ろうし実もなるまい。 家康をギュウギュウ言わせてやりたい感情は女のことで 極言すれば、これを種にして主君の家康を脅迫しろとい は半右衛門にもあった。三の丸の女中部屋通いにしても、 、つにひとしい こんどのお万のことにしても、たしかにぶざまであり過ぎ 「おい。懐妊などはしていまいの ? 」 半右衛門がそっと妻にたすねると、妻は堅くなって眼でる。といって若さにハチ切れそうな家康。築山殿とはだん だん遠ざかってゆく家康 : うなずいた。 これを懐妊していると言い立てて果して家康に気づかれ「おお、そうだ ! 」 半右衛門はポンと膝をたたいて奥を指さした。そして妻 ない方法があるであろうか。 半右衛門は、築山殿からの難題ばかりを考えて、その逆が半死半生のお万を奥へはこび去るのを意地わるい子供の ような表情で見送って、それからフフフ、と笑いだした。 の場合をきれいに考えおとしていた。 鬼作左の言うとおり、懐妊していると申立て、 このままお万を一族の長老、本多豊後守広孝のもとへ連 「ー・・・・それはよかった。ではすぐに予の側へ連れて来よ」れてゆこうと心に決めたのだ。 173