岡崎城 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 4
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1. 徳川家康 4

・ : しかし、大久保どのはな、明早暁岡崎を出立され はじめて三カ村の代官にあげられた時の、彌四郎の喜びたが : る。大殿に彌四郎ご処分のお指図を仰ぐためにな。それゆ 方など、今でもハッキリと瞼に残っている。 その時には彌四郎はほんとうにお松の手を取っておし頂え、明朝では間に合わぬが : 「よし、ではこう致そう。わしが今夜四ッ半 ( 十一時 ) ま ( その良人が、大殿よりもすぐれた人間だなど : : : そんな でにもう一度やって来る。それまでによく思案して認めて 大それた事を言う筈はない ) お松の考えは、絶望の淵のまわりで、哀しく空転するだおくがよい。改めて申すまでもないが、こなたは全く知ら なかった旨を、細かくのう」 「さ、筆をとるがよい。こなたに文案が浮ばなければ、わ「恐れ入りました。では、四ッ半までに」 傍で今村彦兵衛が歯痒ゅそうに舌打したが、大岡助右衛 しがロ述してやってもよい」 門は、それを眼でたしなめて立上った。 : はい。ても」 「お手数をかけましてお許し下さいませ」 「どうしたのだ。大久保どののお情けじゃぞ」 お松は助右衛門が見えなくなってもまだ畳へ両手を突い 「はい。それはもう、有難く : : : 」 たままだった。 言いながら、お松はついに助右衛門の前へ両手を突い いっか子供たちの声は聞えなくなって、風の音たけが怖 「まことに申上げかねまするが、この嘆願書のこと、明日やかすように屋の根をつつんでいる。 朝までお待ち頂けますまいか」 「彌四郎どの : : : 」 お松はそっと顔をあげると、震える声で臉の裏の良人に 「なに、では今は書けぬと申すのか」 い。も、つ少し : : : 落着いて : ・・ : よく田 5 案致してみとう呼びかけた。 「お前さまは、このお松になぜ去り状を書かなかったの 存じまする」 じゃ・ 「そうか」と言って、助右衛門はため息した。 大久保忠世が、明早朝、浜松へ彌四郎処刑の相談に行く 「こなたは、そうした女子 : : : と大久保どのも申されてい おび 386

2. 徳川家康 4

「信長公は、これも徳川家をはばかって、まず応じは致す「また、世上にお父上卒去の噂が立っと、兵を退かれ、涙 亠よしかと・ されたと伺いました。それゆえ、信長公の比叡山を焼き、 一向宗徒を敵とする仏道上の非を訴え、天下のために味方 「三郎兵衛、その方は勝頼をからかうのか」 「これはもっての他の仰せ。新羅三郎以来の源氏のご名家せられたいと申入れたら、まずお聞入れあるはこの方お一 、万一瑕瑾を残してはと、面を強めて出て来て居ります人かと存じまする」 勝頼はまだプルプルと膝の拳をふるわしていた。いかに 「それならば、おぬしはこの勝頼に、父の仇敵、越後の謙向背つねない戦国とは言え、父が後半生を敵として戦いっ づけて来た上杉謙信に和議を申込むのはたまらなく口惜し 信に、膝を屈して憐みを乞えというのかツ」 つつ ) 0 「仰せの通り ! 」 「謙信公との和議がなり、越後勢に越中、加賀から越前へ と三郎兵衛は、はっきりと言いきった。 「今日の天下の諸将を見まするに一片の義気の存するは謙かけての一向宗徒を語らわせ、織田方の眼と軍勢をこの方 へ奪っておいて、それから家康公を攻められませ。それも 信公より他にないと、この三郎兵衛は確信致しまする」 長篠からでは相成りませぬ。小田原とよく計って、遠州か 若い勝頼は、猛獣に似たうなり声をあげて、三郎兵衛をら浜松の家康公が居城を先に衝く。織田の援軍は来るによ しなく、浜松から吉田、岡崎と順次に落してゆけば、長篠 睨んでいった。 ばかりか山家三方衆はひとりでに取残されて、武田家を離 「よい。話だけは聞こう。謙信に何といって近づくのだ」 れる気遣いはござりませぬ」 三郎兵衛はその問に直接の答えをさけて、 「お父上ご存生中 : : : いや、お健かにわたらせられた時代勝頼はまたたきもしなかった。しかしその視線はいっか にも、甲斐、信濃と海なき国の土民のためにわざわざ塩を三郎兵衛の面から庭に移っている。 草ひとつない赤土の庭には、ゆるくほこりが舞ってい 送られたは謙信公にござりました」 「知っているわい。それもわれ等が懐柔を志す奸策と思わた。 ぬか」 かきん 28R

3. 徳川家康 4

「よい。謹しんで」 奥の玄関口へは、もう連絡があったと見えて五人の女中「若君さまには御血縁少く、淋しく存じて居りましたとこ が並んで喜乃を待っていた。 ろ、お万の方さまには近々お産屋人りと承り、家門の繁 「若御台からのお使者、遠路ご苦労に存じまする」 昌、ぜひ親しくお目にかかって、およろこび申して参れ : そう言って挨拶したのはまだ正式にはお部屋を与えられ : と仰せられました」 ていなかったが、すでに家康の寵を受けている、奥取締り 「お言葉のまま、お万の方にお取次申上げまする」 の西郷のお愛であった。 燭台の灯影にくつきりと白い微笑を見せてお愛はていね 喜乃はそのお愛に、何と言葉を返したか覚えていなかっ いに頭を下げた。 喜乃はホッとした。 幇・」十よ、、 しっとりとした落着きと、全身にた 築山行前レ。オ ここで若し病室へは案内出来ぬと断られたら、何と言お ゆたうもの柔かな女らしさとが、若い喜乃を圧倒して、カ うかと考えるだけで混乱しそうな喜乃だったのだ。 ッと頭が熱くなった。 女中が茶菓をはこんで来た。そして入れちがいにお愛 「お万の方は、ご不例にて、ずっと自室に閉じこもって居は、喜乃の差し出した土産物の目録をたずさえてお万の方 りますれば、一応この愛にご使者の口上お聞かせ下され、 の部屋へ出ていった。 取次お許し下さればありがたく存じまする」 「お疲れでござりましよう」 いたわ 身なりは質素だったが、まず喜乃を客間にとおして、し年かさの女中は若い喜乃を労るように、 すかに相対した姿は、喜乃を抱きとるような優しさにみち 「岡崎では、大御台様もすこやかにわたらせられまするか」 ている。 「大御台さまもおよろこびでござりましような。お万の方 ( これはお万の方よりずっと美しい ! ) 若い娘の癖で、ついこころで比較しながら、喜乃は思わさまは、ずっと大御台さまのお傍でお育ちなされたおカゅ す舌がもつれた。 . よい 0 ) て、れは 7 も、つ : 「わ : : : 若御台のお言葉を、そのままお伝え申しまする」 え」 136

4. 徳川家康 4

「ひーっー 彼の計算でも、もは生きて甲安への引き上げは絶望に いやだ ! そ : : : そ : : : それはむごい。それ 思われた。太股の出血がひどすぎる。時々フーツと意識がは、あまりにお : : : お情けない ! 」 かすみそうになるのは、体内の血潮が、いま、土に還ろう 「、つごくな。、つごくと苦痛が増すばかりじゃ」 として、人力以上のカで吸い出されている証拠であった。 そういうと重政は、手にした太刀をぐっと肩まであげて つ」 0 ( 負けるものかッ ! ) と、彼は思った。 野中重政は信康の側近では平岩七之助親吉に次ぐ人物と 「ひーっ、ひ : : : ひ : ・・ : 人殺し ! 」 ふんでいる。その重政の眼に刻々死に近づく自分の姿がそ減敬は最後のカで土の上をのたうって這いだした。ふし のまま映らぬはずはない。 ぎなことに、主君勝頼のために働いているという意識はな 重政はたぶん、自分の苦痛をのぞいてやろうとして、太 くて、眼の前の重政に負けまいとする、頑固な意地だけ 刀をふりかぶるであろう。最後の闘いはそれからだと減敬 が、彼を鞭打ち、彼を支えた。 は田 5 った。 「そうか。堺へ戻る途中で岡崎へ寄ったのか : 「すると、築山御前ご気鬱の由をきかされ、治療をたのま 最後の気力でのたうつ減敬の首を早く討ってやろうと重 れたのが、返す返すも厄日であ 0 た。娘はとられ : : : わが政はあせ 0 た。 身はこのような : : : 野中さま、この減敬を哀れと思召さ 一生を安楽にーーーただそれだけを考えて生きてきたと思 ば、この血 : ・・ : この血をとめるよう、傷の手当を : ・・ : もは える人間、その人間ののたうつ姿は見るにしのびない。 や減敬にはその力もござりませぬ」 「減敬、うごくな、楽にしてやる」 野中重政は、またしばらくむつつりと立っていたが 「人殺しーツ、な : ・・ : 情け知らず、畜生 ! 助けてーえ」 「減敬、そちも医者ではないか」 「動くなと、申すに。討ち損ずると苦しむのはそちだとい : は、。それに - 相、はござりませぬが」 うのがわからぬのかツ」 「医者ならばわかるであろう、もはやそちは助からぬ。楽「あ : : : 畜生ー いや : : : 野中さま、お前さまにこれをあ にしてやる合掌しろ _' げる。こ・ これが、この減敬の生命よりも大切に 104

5. 徳川家康 4

「大賀彌四郎めが敵に内応しくさった」 そう言って、じっと忠世を見つめてゆくと、 : 」と、忠世はうなずいて、 「今たから申上げまするが、あやつはそのようなことを仕 出かしそうな奸物でござりました」 その日彌四郎は登城して来るとすぐに糧秣蔵へ廻った。 「おぬしもそ、つ思、つか」 大ぜいの人夫に命じてそれを叺につめさせ、近く、浜松へ 「はい。あやつ一人がいるために、古い老人どもなど、み送るためであった。 なつむじを曲げて、殿に田 5 うことさえ申上げぬ。みな殿は 「ご苦労ご苦労、今日は若殿のお見廻りがあるゆえ精たし て働けよ」 あの白狐めにばかされていると申して」 家康はその一言をきびしく心にとめながら、表情では軽半ば曇った淡い陽ざしの下で時々微笑がこばれそうにな く聞き流すように見せた。 るのを隠そうともせす、ふくらんだ桜の蕾にわざわざ鼻を あてて嗅いだりした。 「そうか。そのようなことをの : : : それはとにかく忠世、 「浜松から大久保七郎右衛門どのが見えられた。いよいよ その方明早朝岡崎へ発ってな、事の真偽をたしかめて参 しつ命令されてもすぐに輸 れ。町奉行の大岡助右衛門と計って、一味は一人ものがすご出陣のご催促であろうかの、 でないぞ。そうそう渡辺半蔵を連れてゆくがよい。わしの送にかかれるよう、手落ちなく事を運んでおかねばなら 聞いている一味は、倉地平左、小谷甚左などじゃが、いやぬ」 誰に聞かせるともなく、そ、 2 一一一口いながら、ふと、つしろに はや、たわけた者どもよ」 家康はそう言うと、忠世はその一語々々を心にきざみな人の気配を感じて、 がら 「や、これは大久保さまでござりましたか」 と鷹揚にふり返った。 「しかと承知致しました。召捕った上でお指図を仰ぎま カこれで家中は明るくなりまする」 「彌四郎、相変らず精が出るのう。お松も子供もたっしゃ 彌四郎の謀叛をいかにも当然のことのように答えてゆか」 おとな 家康は又しても首を傾げずにいられなかった。 かます 370

6. 徳川家康 4

三左衛門が出てゆくと、家康は虚空をにらんで思わずニるおそれがあった。 信長はそうした危機を切りぬけようとして八方へ飛びな コリと頬をくずし、崩してすぐに自分を叱った。 がら、いかにして武田勢にあたろうかと心肝を砕いていた。 ( 相手の不幸を喜ぶなツ ! ) 正月、織田掃部を信玄のもとへつかわし、異心のないこ その癖発病はたしからしいと思うと、じっとしてはいら とを弁疏させたのもその一つであったが、信玄はすでに信 れなかった。ゆっくりとした足どりで床几の前を一周し、 それから静かに腰をおろして、 〕を信旧じよ、つとはしなかっこ。 「軍議をひらく。元忠も忠世も与一郎も康政もみな集まれ そうなれば政治的に打つ手はただ一つ、織田、徳川、上 と言って来い」 杉の三国同盟だけ。といって、自分から家康に援兵を送る 小姓を呼んでそう命じた。 余裕はなく、家康がどれだけ三河で信玄を喰いとめてくれ るかが信長の運命の岐路でもあった。 そうした切っ端つまった時に 「ーー・・・、信玄の上洛中止」 が、信長のもとへ伝えられて来たのである。 信癶ははじめそれを」信じよ、つとはしなかった。 「ーーー古狸め、また大事をとって企み居ったな」 家康の運命に決定的な影響をもたらした元亀四年 ( 天正家康の抵抗が頑強なので、岡崎をあきらめ、あるいは伊 元年、七月二十八日改元 ) の春は、信長にとっても息つぐ勢の北畠具教と連絡して、吉田から船で堺へまわり、そこ 間もない危機の連続であった。 から上陸を企てているのではなかろうかと判断した。 武田信玄、足利義昭、本願寺光佐、朝倉義景、それに妹そうなれば、信長の勢力はいやでも三分させられる。一 婿の浅井長政までが加わって、打倒信長の勢いは次第々々方は美濃からの侵入軍に備え、一方は朝倉浅井に、そし に力をまして来た。そうなると当然のこととして、佐々木て、一方は上陸軍に : そう判断すると信長はすぐに京へ飛んだ。 の残党も北畠具教も、三好義継も松永久秀もみな敵にまわ 悲 の 5

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と築山殿の面を見ながら釜鳴りの音を聞いていた。 彌四郎が謹厳な表情で平伏した。 「おう彌四郎どの、浜松へ暮からお発ちと聞きましたが、 「何をそんなに見ていやるのじゃ彌四郎どの」 「御前 ! 」 大儀であった」 「ます新年の御慶を申上げまする」 彌四郎はぐっと上半身を乗り出して、いかにも用心ぶか 「堅苦しい挨拶はよい。わらわはご覧のとおり、今年もま げにそっとあたりを見回した。 た正月から床の上じゃ」 「いよいよご決心の時が参りましたぞ」 「お加減はいかがでござりまする」 「決、いとは ? 」 「減敬がついていてくれるゆえ、生命に別状はありますま 「お館さまは大きな誤算をなされています。武田方に勝て い。さ、一迎、フ」 る戦ではござりませぬ」 彌四郎はちかりと合った減敬との視線を、さり気なくそ「というと、この岡崎はどうなるのじゃ」 「むろん今のままでは若君もろとも討死でござりましょ らして、築山御前の枕辺にすすんだ。 「減敬どの、ご苦労じゃの」 彌四郎はそう言いきって、御前の面に去来する苦悶のい 「ご家老さまこそ、戦の中を大変でござりましたなあ」 ろを楽しむように眼を細めた。 「彌四郎どの、殿は相変らずご元気でいられましたか」 「もし若君をお救いなさるお気持ならば、今が手の打ちど 彌四郎はちかりとまた減敬を見やって、 ころ・ : ・ : かと、存じまするが」 「お人払いを」 「いいではないか。減敬は何事によらず口が堅い。他言な 「それに、誰か密告する者あってお館さまは、御前の御乱 どする気遣いはありませぬ」 行にも薄々気づかれた様子にござりまする」 「左様でもござりましようが、お人払いを」 「何と言いやる。わらわが乱行とは何を指すのじゃ」 再び言われて減敬は自分の方から腰をあげた。 「はて、この彌四郎とのこと。また減敬をお近づけのこと 「では、暫く次に控えて居りまする」 など。御前 ! 男と汝子は竝いまする。御前の場合は不義 彌四郎は鷹揚にうなすいて、足音の遠ざかるまで、じっ

8. 徳川家康 4

知らずに、駿河から山家三方の奪遠をゆめみて岡崎を発っ 何としても息、三郎殿を勝頼が味方に申し進め給い、 ていった家康が、何か人生悲劇の象徴に感じられる。 はかりごとを相構え信長と家康を討亡ばし給うにおい ては、家康の所領は申すに及ばず、信長が所領のう減敬は、わざわざ庭へおりて灰をこまかくふみつける と、こんどは急いで築山御殿へ出仕の身仕度にとりかかっ ち、何れとも望みにまかせて一カ国新恩としてまいら すべく候。 次に築山殿をば、さいわい、郡内の小山田兵衛と申す拭いても拭いても汗が出るのは暑さのためばかりではな 。冷たい緊張がやたらに心を刺戟するせいであった。そ 大身の侍、去年妻を失い、やもめ暮しにて候えば、彼 こへ使いに出ていた老婆がもどって来た。 が妻となしまいらすべく候。信康同心の御座候わば、 「わしはな、大事なご用を忘れていた。これから御殿へ出 築山殿を先立てて、甲州へ迎えとりまいらすべし。 減敬は、そっとまたあたりを見回して、あわてて手紙を向いて来る。留守中に、あるいは大賀彌四郎さまが、薬を とりに立寄られるかも知れぬ。が、その薬、わしが後ほど 巻き終ると、あたふたと立って火打石をとり出した。 お届けに参上すると申上げておくように」 自分への指図書を、まず焼き捨てるためであった。 そういう間も何度かかたずを呑む想いで家を出た。 まだ召使の老婆は戻らない。縁先の飛石の上に白い灰が 家から城まではさしたる距離ではなかったが、ふところ ヒラヒラとおちてゆくのを見ていると、全身へ脂汗がうい にある密書のことを想うと絶えず動悸がうちつづける。 て来た。 御殿へ着いて取次に出て来た、御前のお髪揚げ、琴女を これで築山御前と勝頼の密約は成立したのである。 勝頼は、旧領安堵を希った築山御前の申出に対して、信見たときにはがくんと膝が式台につきそうになった。 長が所領のうち一カ国を加増するといっている。甲州にお「ご機嫌にわたらせられるかの」 もう見えられる頃と、おぐしあげを済ましてお待 ける小山田兵衛の地位は、空閨のさびしさに耐えかねてい ちかねでござります」 る御前を、見栄の上からも失望はさせまい。 減敬は草履をぬぎながら、なせかプルプルと身ふるいを 「妻に謀られて生命をおとす家康どの : : : 」 「ー外にはなくて、わが足許で爪をといでいる。それを感じた。

9. 徳川家康 4

: それ等をどこかで、声高に笑ってやらねば死にきれな ( まるで自分の女房か召使のように : い妄執の鬼になっているのだ。 そ、つ思、つといよいよけいれんははげしくなって口旧しさ 御前はしずかにまたその請書を巻きだした。いまは甲州 がキリキリ心臓をしばって来る。 勢に利あらず、足助も長篠も憎い良人の手におちたが、そ ( 彌四郎め、こまかに事情を語りもせずに ) れで戦が終ったのではない。 御前はフラフラと立ち上った。そして手文庫の底から、 必ず武田勢はこの岡崎へやって来るーーーというよりも、 震える手で勝頼の請書をさがし出すと、いきなりそれを二 やはりそれは見果てぬ夢への執心であろうか。 つに型へこ、つとし、田いい直したよ、つに、また開いた。 巻きおわると、御前はそれをおし頂いた。 今度び減敬をして仰せ越され候おもむき神妙に覚え その日が来るようにと、ひそかに祈る祈りだけが、今は 候。何としても息三郎 ( 信康 ) 殿を味方に申し進め給 、、はかりごとを相構え、信長と家康を討亡ばし給うに御前の救いであった。 ( その時には彌四郎めにも思い知らせてくれようそ ) おいては、家康の所領は申すに及ばず、信長が所領のう ふたたびそれを手文庫の 生きながら煉獄にすむ御前は、 ち、何れとも望みにまかせて一カ国新恩としてまいらす ひょうえ べく候。次に築山殿をば、さいわい郡内の小山田兵衛と底にしのばせて、乾きかけた涙をふいた。 と、そこへ彌四郎を呼びにやった琴女がもどって来た。 申す大身の侍、去年妻を失い、やもめ暮しにて候えば、 琴女は、御前が、いま手文庫の底にしのばせているもの 彼が妻となしまいらすべく候。信康同心の御座候わば、 が何であるかを知っている。 築山殿を先立てて甲州へ迎えとりまいらすべし。 「ただいま立戻ってござりまする」 勝頼花押 両手を仕えて言いながら琴女もまたガクガグと震えてい 読んでゆくうちに、築山御前の眼からはいくすじとなく 涙か . こばれた。 この証文一枚に、言わば御前のすべての夢がかかってい たのた。 うら 良人家康への復讐、伯父の義元を討たれた信長への怨み琴女の眼に映った築山御前は、全身の粟立つほど凄じい つ ) 0 四 185

10. 徳川家康 4

( 戦とはむつかしいもの : : : ) と、また親吉がたしなめた。 今にして、しみじみとそれが胸にこたえる感慨だった。 「戦わずに済めばそれに越したことはござりますまい」 「が、戦わなくとも恩は恩、その恩を受けずに済む手段は冷酷といえば、これ以上に冷酷な計算を要するものはな く、むざんと言えば、これ以上に無残な決断を必要とする ないかときいているのだ」 一座はちょっと鼻白んだ。信康の生長と差出口とが、こものはなかった。 れまで団結して来た旗本の空気に、違った風を吹き込みそ高天神の城から、次々に援軍を求める密使が来ているの うで気にかかった。 に、家康の手許からは、また別に軍監の大河内源三郎政局 「几又ー のもとへ間諜を送って、小笠原与八郎の動静を探らせなけ そこへ折よく本多作左衛門が入って来たので、信康のロればならなかった。 「召連れました。藤沢直八を」 は封じられる形になった。 「挈、、フか」 「戻って参りました。大河内への使者が」 家康はゆっくりと視線を若者へ移して、 「そうか。戻ったか。よし、みなは遠慮致せ」 「どうして城へ入って行った」 「この信康も : 「そうだ。まだ戦のことは三郎にはよく分らぬ。作左、連「はい。味方が城外へ打って出る時を待ち、引揚げる時 雑兵を装って城へ入りました」 れて来い」 家康は、不快げに肩をそびやかして出てゆく信康には眼 若者は陽に焼けた額にくつきりと鉢巻のあとを残し、燃 もくれす、もう一度頭上の緑のうごきに視線を放って、何えるような眼をして片膝ついていた。 か深く考えてゆく顔になった。 みなりは今は小荷駄の人足 : : : といった姿であった。 「そうか。それでは、敵の廻し者も、城へ入れる道理じゃ 十 家康はみなが出ていって作左が一人の若者を伴って来る「仰せのとおりにござりまする」 「大河内は何と言った。織田勢の到着まで城を持ちこたえ まで、頭上を渡る風の音を聞いていた。 338