「武節の城に、われ等が同志、減敬どのが居られると思うそれぞれ松平一族のいる小城を一つずつわけよう。 城持ちになった上で、またその後の策は考えることに が、もし減敬が居らなんだら、近くの村にひそんでいて、 しての」 下条伊豆どのに会って貰いたい」 「して : : : して : : : その密使には」 三人は顔を見合せてうなずきあった。 「三人のうち、誰がよかろうかの」 「して、密使の用は ? 」 彌四郎にもう一度顔を見渡されて、三人はそれそれ息を 八蔵が膝の拳を固くしてうながすと、 つめて小さくなった。 「ます重ねられよ」 彌四郎はいよいよ落付きはらって、自分で三人の盃をみ「八蔵、おぬしに頼もうか」 「さあ、それがしではちと : たしていった。 カ城持ちになる 「荷は重いぞ。誰にしても重い荷じゃ。・ : 「これは大切なこんどの計画の点睛でござるそ。よいか か、それとも生涯年貢米の鼠追いで終るかの境地でござる 「その書面は拙者が認めるが、それを減敬か下条伊豆に渡そういったあとで、彌四郎は懐紙を出して三つに裂いた 「くじびきといたそうかの。それならば異存はあるまい」 したのち、勝頼公の誓書を頂いて参るのだ」 裂いた紙を彌四郎がより出すと、三人はいよいよ小さく 「勝頼公の誓書を ? 」 「さよう。無事に徳川家を滅したる後は、岡崎城とその旧固くなった。 領、われらに下しおかれるもの也という誓書じゃ」 「岡崎城と旧領を」 三人はまた顔を見合せてうなすきあった。 くじは作られた。 三本のうち、一本だけが少し短く紙の先が千切ってあっ た。それをひいた者が密使に立つのである。 彌四郎は三人のおどろく顔がおかしかった。 「よいかな、それで拙者は岡崎城のあるじ、お身たちにも 三人三様、こわばった表情だったが、わけても八蔵は心 115
腹を立てた様子もなく、 になったら何とするぞ」 「口先ばかりと言ったがわるければ、冷たい人と言っても 「え : : : 明日はまた早い。話は朝になさんせ」 よい。自分に用のある時はチャホャ言うが、用のない時に 「いや、今夜聞きたいことがある。不精をせずと眼をさま は挨拶しても知らぬ顔じゃ」 八蔵は少し語気をつよめて言って、ため息した。もう又「用のある時はチャホャ言うが : 八蔵はそこまで言って、思わずべロリと下唇を舐めて黙 おつねの寝息が耳に入ったからであった。 ってしまった。 「やはりこれは長屋の隅で果てる女だ」 冷然として築山御前を斬らねばならぬと言った彌四郎の 「え : ・・ : 何か言いましたか」 表情が思い出されたのだ。 「起きろとい、フのだツ」 「まあ : : : どうしたのじゃ。とっぜん大きな声を出して」 いや、そればかりではなく、愚かしい女房の眼にさえそ 「そなた、十人、二十人と家来を使うようになったらどうう映じたと言うことが、何かぬきさしならぬ大きな意味を すると訊いているのだ」 持ちだしたのだ。たしかに冷くないとは言い得なかった。 「十人、二十人と : ・・ : 」 不用になれば捨て、邪になれば斬る。 八蔵が何となく割切れない気持だったのはその辺の冷た おつねは怪訝そうに首をかしげた。 さにあったのではなかろうか : 「お前、また大賀さまに何かおだてられて来たと見える。 「寝ろ寝ろ」 おきなされ、あのお方は口先ばかりのお方じやほどに」 何ということなしに八蔵はまた女房を叱った。 はっきり言って、それでももそもそと起き直った。 「おかしな人じゃな。起きよと一一一口うゆえ起きたのに」 四 「朝が早いわ。寝ろ寝ろ」 おつねはべつにさからいもせず床に入った。 「なに、大賀どのが、口先ばかりの人じゃと、小賢しいこ とを吐かすな」 こんどは八蔵も何かに追い立てられているように子供を 八蔵は女房を叱りつけたが、起き直ったおつねはべつに はさんでおつねと反対側へ躰を入れた。 356
( 人を使う者は、みずから手本にならなければ : : : ) いまだに忠世を若さまと呼び、なっかしそうに手を拭 いつも口にも出したし、、い掛けても来ているので、今日 いて玄関へまわっていった。 も、せっせと井戸端で子供の肌着を洗っていた。 「これはこれは、若さまには、もはやお館さまのお供で長 女中はみんなで四人、その他に彌四郎の妾の於安が 篠へご出陣のように伺って居りましたが : 忠世はその妻女から目をそらすようにして、 それだけに女たちは、お松の洗濯をいつも止めようとす「どうだ、子供たちは変りはないか」 るのだが、ハッと気がつくと、もう盥の前にしやがんでせ 言ってしまって、いよいよ当惑していった。 っせと手を動かしているお松であった。 「はい。お蔭さまで、私も子供も、無事にぬくぬくと過し しかもお松の洗ったものと、ほかの女たちの洗ったものて居りまする。みんなお館さまのお蔭でござりまする」 とでは、白地の冴えがちがっていた。 「そうか : : : 子供は幾人であったかの、こなたの」 「 , ーー・奥さま、世間体もござりまする。洗いすすぎは私ど これはいけないと、心の奥で狼狽しながら、忠世はまた 9 妙なたずね方をして、式台に仕えたお松の指を見てしまっ 3 三河奥郡二十余力村の代官をつとめ、家老にあげられてた。 いる人の奥方がと、雇人たちが言うたびに、お松は笑いな評判のしつかり者、昔忘れず、いまだに自分で水仕事を がら手を振った。 すると噂されているお松。その指が噂どおりに赤くぬれて 私は、貧乏な足軽の家にうまれました。それを忘れいるのを見ると、忠世はぐっと胸が詰った。 ては罰が当ります」 しかし以」 眼から鼻へぬけるといった型の才女ではない。 今日も空模様を気にしながら、六七枚の肌着を洗い終っ こか山竹のような弾力と、寒紅梅を想わす健康な女ざかり て、もう少しですすぎ出そうとしている時に、下僕の一人の色香が感じられる。 、大久保七郎右衛門忠世の来訪をつげて来た。 「はい。子供はみんなで六人でございます」 「え、山中の若さまが : お松はのびのびとそう答えてから、 「あいにく、 若い頃、山中の大久保家に仕えていたことのあるお松 王人は会所へ参って居りまするが、とにかく、 が」 おくごおり たらい
この家は外からきびしい見張りがつけられているし、そから得体の知れない怒りが、湯気のように立ち迷って来る のどれ一人にたずねても、きようのことは知りすぎるほどのを覚えた。 に知っている。 ( 彌四郎の馬鹿めがつ。あの悪党めが : 粉々にちぎってやりたい憤怒をおさえて、忠世はすーっ ( たれかに聞いてくれればよいが : : : ) と立上った。 そして、良人の不心得をわびるといって、自害をしてく : とひそかにった。 「あいさつはよい。さ、乗物が待っている。急ごうそ」 れたら : し」 ( 彌四郎は贈いやっ : : : だが、お松は : : : ) と、幼い声が、われ劣らじと気負ってはじけた。 お松の自害が潔ければ、その子たちのために計ろうてや 「お松 ! 」 る手が、まったくないというでもないが : 忠世は歩きだすと、むらむらとお松にまで腹が立った。 しかし、それは忠世の空しい希望にすぎなかったり あるいはお松は、忠世のいった謀叛の一語を聞き逃して六人のうち二人は妾腹の子だという。お松がありふれた小 2 3 いるのか、それとも戦国の刑法のきびしさを、小者の家に者あがりのしっと深い女であったら、この妾の子二人は、 あるいはどこかへ生母とともに逐電して身を隠しても、根 生れたせいで知らなかったのか : が足軽あがりゆえと、だれも大して問題にはしなかったで 謀叛となると、いずれの国、いずれの家中でも妻子一 あろうのに・ 族、あげて梟首か獄門の極刑と決っているのに。 「手間どりました若さま、お供申上げまする」 「そなたはむごい女丈夫じゃ、いや : : : そなたは : お松は以前と同じ明るさでそろぞろと六人の子供を連れ「は、何と仰せられました」 「よい、よいから早く乗物に乗ってゆくのだ」 て客間に戻って来てしまったのだ。 忠世は、強くしかりつけて玄関へ立った。 十三歳の長男を頭に、よちょち歩く末の娘まで、そし て、その六人が、順に並んで、 四 「おじ癶、ま、よく、 いらせられました」 お松が、これはただ事ではない 忠世の前へ両手をついてあいさっしたとき、忠世は全身 し」 と、感じたのは三の
「というと、妾腹の子も養っているのだな」 あとの二人は : : 」と、正直に答えてから、 「でも、そう思っては済まぬ、みなわが腹を痛めたもの 「わかったわかった」 忠世は自分で言い出しておきながら、聞くのが辛くなっ てあわててさえぎった。 「彌四郎も、もう側女の一人や二人、持てる身分になって いたのだからの」 「よい。 ~ 羽糶いこと : : と、思わなければなりませぬ」 「分った : : : 思わなければならぬのだな、こなたによ し」 「こなた、子供は六人あると申したの」 お松はまたニコニコと頬を笑み崩して、 客間へ通ると忠世はまた言わでものことを言った。 「身分の低いわれ等夫婦を、このようにお取立下されたお ( こんどこそ ! ) 館さまのご恩、決して忘れては済まぬと、心の戒めのしる と、何度か心をはげましながら、お松の明るすぎる顔をしに、私は生涯、馬の飼料と水仕事は、誰の手もかりすに 見ると、言葉があらぬ方へそれるのたった。 やり通す覚悟で居りまする」 それほどお松の表情に影はなく、自分を幸運と信じきっ 「大殿のご恩を忘れぬためにのう」 ている素朴な感謝が、動作の節々にあふれていた。 「はい。お館さまが戦場にあられるのに、私どもが骨折り 「はい。六人と申上げました」 をきらっては罰が当りまする」 「みな、こなたの腹を痛めた子か」 「妻女 : : : わしはこなた達を、よい夫婦、似合いの夫婦と 「はい。そう思って、有難く育てて居りまする」 思うていたが : : : やはりおぬし達も大殿と築山御前のよう お通り下さりまするよう」 「そうか、実はの、ちと折人ってこなたに話があるので 久は 忠世がそう言うとお松はいそいそと自分で立って洗足をと、 とって来た。 忠世はそのすすぎに足をひたして、自分の手が細かく震 えているのに気がついた。 ( 何も知らぬのだお松は : : : ) せめて、何かの噂でも耳にしていて呉れたらよかったの に、そう思いながら息をつめて客間へ通った。 380
しい緑の暗さが部屋の中へ、そのまま息づまる静けさを運前から夫婦の間へのびてゆく中蕩の風を防ぎたいと苦心し て来た小侍従だったが、もう小侍従の胸一つに納めきれな び込んだ。 むろん部屋の中の二人はそれに気づかなかったが、このい事態になっている。 ふすま 小侍従は顔いろ変えて徳姫の居間に駈け込むと、「お人 時、次の間の襖のそばをそっと離れた者があった。 払いを : : : 」と、言って、手にした盆から菓子を落した。 手に菓子をささげた徳姫附の腰元、小侍従であった。 小侍従はどうやら二人の痴態以前の争いを立聞いたもの 五 らしい。足音をしのばせて廊下へ出ると、そのまま震えな 「どうしたのじや小侍従」 がら庭へ出て、本丸の奥の方へ駈けだした。 行々 : いぶかって、二人の侍女と乳母を遠ざけると、自 ( 恐ろしい、何という恐ろしい人たちであろうか : 今まではただ、良人に顧みられない中年女の、大胆な痴分から小侍従のそばへ寄って来た。 「築山御殿に、何か変事でもあったのか」 態としか考えていなかった。 小侍従にそうきくと、またあたりを見廻して、 ところがそれは、ただの不義ではなかったのだ。そのう : このままには ) 翁まないことが起 . りまし 「恐しいこと : しろで敵と手を握りあっている事実が、織田家から附けら れて来ている小侍従にははっきりと分っていた。 と、震えながら徳姫に、見てきたままを告げていった。 ( 初孫の姫を殺せなどと : : : ) これはもはや、黙っていてよい事ではなかった。 徳姫は一人の子の母になって、すっかり大人びていた。 小侍従は小走りに廊下を徳姫の居間へ急ぎながらそう思信長によく似た眉根に鋭さが加わって、それが一種の凄艶 さを添えている。 「これは岐阜のお館へ、お知らせせねばなりますまいか 最近、信康の寵は眼に見えてあやめに移っている。その ために、何時も淋しげに子供をあやしている徳姫を見ると と小声で下から見上げると、 小侍従は自分のことのように悲しかった。 しゅうと 「お待ち : : : 」と、とどめて唇をかんでいった。 それでわざわざ徳姫こ代って姑の機嫌をとり、築山御 315
場合ではないと思った。 今朝まではそれでも罪人としての麦飯が給されたが、こ「待てツ、待たぬか。おれの言うことを : : : 」 だがその時には商人風の男はゴリリとひと撫で撫でて、 れらは食もたたれる。食をたたれて果して幾日生命が保 つものか : さっさと、フしろへかくれてしまった。 そう思っている時に、つかっかと旅人らしい商人風の男 がすすみ出て来て、 「この極悪人め、それ、引きぞめをしてやるわい」 彌四郎は歯を喰いしばって痛みに耐えた。運わるくはじ そういうといきなりのこぎりを取って彌四郎の首にあてめから飛んだお天気者が飛び出して来たものだ。 よ、つとした。 このような奴には人間のあり方も、理窟も、道理もわか らない。わずかに皮膚が破れただけで済んだのは仕合せだ 「待てッ ! 」と、彌四郎はさけんだ。 ったと思った。 「極悪人とはそも誰をさして言うそツ」 「さ、誰かあとを引かぬかい。この極悪人を、このままに 3 竹のこぎりを手にした三十がらみのその男は、呆れたよ しておいては三河の顔よごしじゃ」 うに見物人をふり返った。 「何とまあ、こやつは、大切なお殿さまの首を狙うて、自誰かが又叫ぶと、こんどは十七八の若者が、怒った猫の ような眼をして、いきなりペチャッと草履の先で彌四郎の 分を善人だと思うて居るそえ」 頭を蹴った。 するとすぐに群衆の中から一人の百姓が応じていった。 六十がらみのみるからに善良そうな老人だった。 「たわけ者 ! ぶ : ・・ : 無礼であろうツ」 「フン、偉そ、つに吐かすない」 「わしもな、そ奴が代官だった時には立派な人と思うてい と、若者はこれもみんなを見返りながらロを尖らした。 たのだが、いやはやとんだことでの、つい先だって、自分 「恩も義理も、親子の情愛も知らないものは畜生じゃ。無 のために妻子が処刑されるのを、笑いながら見て通った 礼があるかい亜党めが」 そ。そ奴は鬼じゃ ! 血も涙もない畜生じゃ」 「そうであろうとも。それゆえ引きそめをわしがしてやる こんどは泥だらけの足をテンと彌四郎の頭にのせて乱れ
とまた言った 6 「はい男ではござりまするが : 「ではござりまするが : : ? 作左、男だったら、はま らねばならぬぞ」 どなた 「はばかるとは何方をでござりまする ? 」 「またとばける。とばけたおやじだその方は。薄々にはお 愛からも聞いているゆえ、心せよ」 思いがけない作左の答えに、 「ほほう、するともう殿はお愛どののもとへお通いなされ 「また戯れる : ・・ : 」と眉をしかめて、しかし、家康はすぐ ましたので。それは早手廻しな」 また真顔になっていた。 「これ、ざれ言を申すなというのに。のう作左」 「双子か作左 : ・・ : 」 「仰せのとおり、男二人、いちどに産れましてござります 「予は築山どのもふびんな女と思うて居る」 「これもまた意外なこと ! 」 「ふーむ。二人であったか : 「世の中には愛そうとして愛しきれぬ女子がある。その一 「殿、すぐにご城内に迎えとり、ご兄弟の序列、ご命名の 人じゃ。あの女は」 ことなどお取計らいのほど」 「さよ、つで、こざりまするかな」 むつ ) と 「会えば必ず喰ってかかる。睦言よりも怨みがつねに先立「ふーむ」 っては、女子は自分と同等以上の男は持てぬ。反撥し合う家康は首をかしげてもう一度ため息すると、 「おどろかす奴等だ。生れてくる時から : : : そう言えばな と男は短気、世間のこと、戦のことで忙しいゆえ、短気に みの腹ではなかったようじゃの」 なるものと、女子の方で知らねばならぬ」 「殿 ! すると、この作左に、築山御前〈そう告げよと仰「殿、お二人ともまさか姫では育てられますまい。作左は そのような殿のお心遣いが気に喰いませぬ」 っしやるので」 「いやそうではない。そういう女子ゆえ、はばからねばな るまいと言っているのだ。ことによったら当分女子で育て 。かておくがよいかも知れぬ。だが、たしかに男なのじゃな」 家康がそ、フい、つと、作左は神妙にこくりとして、 「はい、たしかに男と男、一人ではござりません」 195
出した。 そうになった。 「ご喜捨いたす」 「武田方はおやめなされ、これはの、いま大きな落日のあ 「これはご奇特な、こなたの前に幸運がおとずれますよと。きらびやかに見えたは信玄という陽のおつるタ映えで あったのじゃ。いや、それに第一こなたとは性が合うま 「坊さま」 い。こなたはこなたの正直さをよく知って使って呉れる者 「なんじゃの、遠慮はいらぬぞ。何なりと仏意をお明かしを主に選ばねばならぬお人じゃ」 申そうで」 そう言っているところへ、また一人、この百姓家の軒に 「かりに、拙者が、これから主取りを致すとしたら、どな立った者がある。 たがいちばんよかろうかの」 「山路に迷い、雨にうたれて困っている者、一夜の宿を願 「ああそのことならばさっきも申した。この三河では徳日 われまいか」 三河守家康。家康どののご家中ならば誰でもよいそ」 その声に入口を振返って、八蔵は思わず、 八蔵はちらりと上眼で随風を見やって、思わずホッとた め息した。徳川の家中のまた者 : : : ではなくて、八蔵重秀と、首をすくめてうつむいた。 はその家康に直接仕えている身ではなかったか : 「徳川家をのぞいたら、誰がよかろう」 「というと、こなたは、徳川方を脱走して来られたのか」 入口に立った男も先客の二人を見ると、ハッとしたよう ヾこつつ ) 0 「いやいや」と、八蔵はあわてた。 「ただ、いに決めかねることがあるゆえ伺ったまでのこと」 年齢は二十五六、身なりは針や小間物の行商人と見せか ひくまの 「さようさのう、家康どののご家中でなくば、美濃へとんけていたが、家康が曳馬野 ( 浜松 ) 攻めのおりに雇入れた で織田家であろうの」 伊賀衆の一人にまぎれもなかった。 「武田方は : : : 拙者には不向きであろうか」 八蔵は小さくなって炉の灰をならしながら主婦と客の応 随風ははじめて八蔵の心をさぐりあてて、思わず失笑し対に耳をすました。 178
こでひとまず武田勢を勝たせ、無用な浪費をさけさせて、 がらわが顔の、どこかが妙に硬ばってゆくのを覚えた。 百姓町人を艱難から救いあげるが他日のためと計算したの だ。どうじゃ、この大賀彌四郎の心境、いくぶん七郎右に 通じたか」 「そうか、おぬし、このおれがことまで案じていて呉れた 忠世はその場へ片膝つき、ぐっと太刀を握ったまま、あのか。ワッハッハッ、、 これはおかしい」 まりのことに二の句がっげなかった。 忠世が腹をかかえて笑ってゆくと、彌四郎はムッとして 万一の時には殿も若殿も家来にして救うてやるとは、何視線をそらした。 という性根の不逞々々しさであろうか。 「所詮七郎右は、この彌四郎の心のわかる人物ではなかっ ( これはやはり、事の破れに乱心しているのだ : : : それでたようだ」 なければ、このように自分に不利なことをぬけぬけと口に 「おおそうらしい。おれがな、わざわざここに入って来 してゆく筈はない ) て、うぬの雑言を黙って聞いてやったは、うぬの女房子供 「そうか。よく分った」 があまりに哀れゆえ、何とか人らしい一言がききたいから 3 と、忠世は、、 であった。。、、 しつか怒りを苦笑にかえて、 カうぬには毛程も人情はない。何にも知らぬ 「するとうぬは、世にも珍らしい義人であったのだな。民女房子供を、うぬの野心の犠牲にして、少しも悔いぬ人非 人だったわ」 百姓の辛苦を救おうとして武田方へ寝返ったのだな」 「そ、フじゃ」 彌四郎はもう忠世の方を見ようとせず、 彌四郎はうなずいた。 「七郎右は、お松を離縁せよとでも言いたいのだろう」 「民百姓だけではない。出来ればおぬし達の生命もな。お「そうよ。離縁してあればお松は助かる。お松が助かると ぬし達は、まださつばり世間の見えぬ、殿の家畜じやほど なったら、大ぜいの子供のうち、一人二人は生命乞いもし 冖」の、つ」 てやる気で、わざわざここへ入って来たのだ」 こんどは忠世が大声で笑う番だった。これはもはや、笑しかし彌四郎は依然として取澄したままたった。 うより仕方がない : : : そう思いながら然し、忠世は笑いな 「七郎右も馬鹿な男た」