極編 京 義信 晴信 ( 信玄 ) 信繁ー信豊勝頼ー信勝 ー信綱 ( 逍軒 ) 信盛 ( 仁科氏 ) 々 佐 信実ー信俊 の 杉上杉氏 ( 勧修寺家より ) 嬲重房ー : ・ ( 四代略 ) ・ : ー憲定 ( 長基 ) 憲基 ( 信元 ) 義憲 ( 翳む 入 徳周 並日直 ニ二ロは 馘ー憲実 ( 長棟 ) ー周晟 憲忠 系→ 房顕Ⅱ顕定 ( 可諄 ) 武田氏 ( 武田冠者、清和源氏より ) 義清ー・ : ( 十四代略 ) ・ : ー信繩信虎 ( 穴山氏 ) 信友 = 憲広 憲政Ⅱ輝虎 ( 鎌信 ) Ⅱ景勝 ( 羽前米沢 ) ー定勝 佐々木・六角。京極氏 源雅信ー扶義ー成頼 ( 佐々木氏 ) ー : ・ ( 三代略 ) ・ : ー秀義 ( 宇多天皇孫 ) 泰綱ー頼綱ー時信 ( 六角氏 定綱ー信綱 ー氏信 ( 京極氏 ) 義清ー泰清ー頼泰 ( 監治氏 ) ー貞清ー高貞 氏頼ー満高ー満経ー久頼ー高頼ー定頼ー義賢 ( 承禎 )- 義弼 満信、氏 示満 ( 黒田氏へ ) 宗綱ー貞宗Ⅱ高氏 ( 道誉 ) 秀綱ー秀詮 高秀詮 高久 ( 尼子氏へ 持高 持重 高光ー持光持清ー勝秀政光—政経ⅱ高清 高ー高秀ー高吉高次ー忠高Ⅱ高和 高知ー高三 ( 但馬豊岡 )
「一段は ? 」 「信玄公、ご逝去と決った場合でござりまするか」 「年齢にござりまする」 「そうだ。そう決った時だ」 「それがしならば、やはり喪をかくして、いったん兵を本「あと一段は」 「性急さに、こざりまする」 国へ引きあげまする」 : 」と信長は笑った。 半兵衛が答えると、信長の問いはいよいよ鋭く、 「性急ならば、おれの方がずっと上だわ。で、軍師として 「なぜ喪をかくすのだ。かくす要が、どこにある半兵衛」 「家康どのがなみの大将ではござりませぬゆえ。と言うのは喪をかくして、あとの処置はどうするそ」 は、さほど戦上手ではなかった家康どのに、戦とはいかな「人は自分の器を知らねばなりませぬ。まず喪をかくして るものかということを、信玄公ことごとく訓えてしまいま本国へ引揚げ、駿河は捨てて、甲信二国をしつかりと固め まする」 した。それゆえもしご逝去を知られては無事に本国への引 「勝頼がそれを聞入れなかったら何とする ? 」 揚げも叶いませぬ。これ理由の第一」 「その時は、武田家の滅ぶる時 : : : 残念ながらそれがしは 5 「理由の第二は ? 」 「信玄公の上洛を待ちわびている諸侯の足並がいちどに崩お暇を乞うてしりそきまする」 「冷い奴め ! 聞いたか藤吉、半兵衛は汕断がならぬぞ」 れ、お館さまの力がぬくべからざるものに相成りまする」 「他にまたあるか ? 」 信長は笑いをとばしたあとで、 「第三には、いまは心服している山家三方はじめ、家臣の「藤吉、こんどはそちじゃ」 中には嗣子勝頼どのではと、離れる者があとを断ちませぬ」 「分った ! 」 「そちが、家康の軍師であったら何とする」 信長は叫ぶように言って、 「まず信玄どんの生死をたしかめます」 「間諜でも入れるというのか」 「なるほどおれでも喪はかくす。次に、四郎勝頼はいかな 秀吉はヘラへラと笑った。 る器量とこなたは踏むそ」 「敵の軍師の肚をいまききましたでな、この秀吉はまず山 「父に劣ること二段」
カ信玄自身はここで悠々と勝利の軍略をめぐらしてい うごいているとみると、あるいは仕掛けて来るかも知れ たのである。 ぬ。それそれの陣をまわって汕断なきよう、きびしく申付 問題は織田信長のあり方であった。 け・てつくがよい」 三方ヶ原で勝利をおさめると、信玄はまず、伊勢の北畠 勝頼が日に一度、戦況報告にやって来るたびに、必ず 具教に密使を送った。そして、武田と北畠の同盟をかため 「汕断なきよう」という言葉が出た。 ておいて直ちに、信長の五罪をかそえ、平手汎秀 ( 長政 ) ( 油断こそはあらゆる物事の崩れのもと ) 信玄の眼にうつる勝頼には、まだその点で危げが感じらの首を贈ってこれに絶交を宣していった。 信長は正月の二十日に、わざわざ一族の織田掃部を三河 れた。 冫】。こした。ョ直ロ。 , 1 キ部よ言玄に対して異心のないことを弁解こ 勝頼が帰ってゆくと、信玄はしばらく薄眼をとじたまま れ努めたが、 信玄はこれを受付けなかった。 黙って肩を揉ましていたが、 そして、直ちに将軍義昭に織田討伐の兵を起すように要 「今日は二月の十六日か」 請していったのである。 思い出したようにつぶやいて、 将軍義昭は、信玄の思いどおりに兵をあげた。した。、つ 「今夜もたぶん月がよいな」 て、織田勢にはもはや家康のもとへ援軍を送るなどの余裕 「は ? 何と仰せられました」 「いや、ひとり、ことじゃ」 は全くなかった。 と、またロを閉していった。 信玄はまた薄眼を閉じたまま、「フフフ」と笑った。 若い家康の狼狽と切歯が眼に見えるようであった。 五 家康とても凡将ではない。彼は一月の末に至って信玄の 信玄は肩の凝りの快くほぐれてゆくのを全身で味わって戦略に気付いたようすであった。 要所々々に放ってある間諜の報告によれば、家康は二月 世間ではあるいは信玄が、野田城ひとつを取りかねて、 の始めに、三たび密使を越後の上杉謙信のもとへ遣わした じれきって三河に滞陣していると思うかも知れない。 形跡があった。
月はいよいよ冴えを増し、山も谷も木々も城も、今宵かるかも知れぬと計算し、きちんとそれに備えていながら、 思わず腰をうかしてしまった。 ぎりの美妙な調べに聞きほれているようだった。 ( 何という未熟さぞ ! ) 恐らく芳休は、みずからも双眸に露をわかせて吹いてい われを叱ってふたたび几床に掛け直そうとして、信玄の るのではあるまいか 信玄の臉のうらに、十三歳の初陣から五十二歳の今日に巨驅はよろよろッと前へのめった。 右半身 : : : というよりも右の腰から足へかけてツーンと 至る人生の、もののあわれがしみじみと去来した。 はげしいしびれが走り、ガグンと膝が二つに折れた。 月がかげつた。 信玄は狼狽した。そのままのめってゆく上体を右手で支 あるいは笛が雲を呼んだのかもしれない。 と、その瞬間にダダーンとあたりの谷と山と川と大地えようとしてハッとなった。右手もまた感覚をなくしてい る 0 信玄は後頭部に異様な鈍痛をおばえながら、右頬をそ に、百目玉のとどろきがこだました。 のまま地べたへ突いていった。 小姓が太刀を投出して、甲高い声で信玄に走りよった。 すぐさっき、一度床几を据えさせた椎の木のあたりであ やしい悲鳴を耳にして、信玄ははじかれたように床几を立「方々、お館さまが、鉄砲に : : : 鉄砲に当りました」 つ ) 0 「たわけ、何をうろたえているのだ鉄砲に当ったのは予で はない。誰か警護の者じゃ。見て参れ」 言おうとして、信玄の歯はガチガチ鳴ったが、それは言 葉にはならなかった。 床几を立った瞬間に、信玄はむらむらッと腹が立った。 唇がしびれてだらだらとよだれの流れるのがわかる。信 動かざること山の如く : たとえ百雷が落ちかかっても、 カ右半身が地べた 愕くことのない心。その心を鍛え出そうとし、みずからも玄は左手をついて立とうとあせった。 : 、 へ根が生えたように重く、あせると急に胸元へ嘔吐がこみ 鍛えだしたつもりの信玄だった。 川中島の本陣へ謙信に斬り込まれた時でさえ、彼は床几あげた。 グワッ 何か吐いた。食べもののようでもあり黒い血 を立たなかった。それが今宵は、鉄砲を打ちかかる者があ
「あと、二日のうちと存じましたに、只今開城と決りまし あるいはその内容は、、 しま、徳川、織田の両軍を救い得 るものは、謙信よりほかにはないと、虚心に援兵を求めてた」 坐る前に早口に言った。 いったのかも知れない。 が、北国の春はまだ深い。富山で頑強な一向信徒の反撃「そうか。それはよかった。して菅沼新八郎は ? 」 信玄は認め終った書状を祐筆の手に渡しながら、眉毛一 にあっている煎信からの援兵も間にあうはずはなかった。 筋動かさず、くびれた顔をかるくゆすってうなずいた。 「・も、つよかろ、つ。木になった」 信玄は鷹揚に侍医に言って、それから祐筆に、 「硯を」と一一一一口った。 ししがき いよいよ三河を発進する。その前に、本願寺光佐へ書を「新八郎は、本丸のまわりに鹿垣を結えて、押込めてござ 送って、浅井長政や将軍義昭に一向宗徒の味方が近畿一帯りまする」 山県昌景が一礼すると、 に蜂起するゆえ、信長除去に全力を尽すよう、その親書を 「手荒にするなよ」 認めるためであった。 信玄はもう一度柔く言ってから、 信玄はすらすらと筆を走らせた。 「城はその方の手で、明朝即刻に」 肩を揉ませながら考えた文案だったが、それに盛られた 「はツ、して陣払いは ? 」 軍略は、前面の敵に身動き出来ない信長のうしろから、と 「明日午後になろう。信長が待っていようでの」 どめを刺そうとするものであった。 昌景はハ、、、 / と声を立てて笑った。 書き終って、おだやかな微笑をもらしたとき、ふたたび 「ひどい計算違いをいたしました」 仮屋の前に訪う人の声がした。 「誰が ? 」 「山県三郎兵衛でござる。お目通りを」 「お館も、そして信長も」 信玄は小姓をかえりみて、軽くあごをしやくった。 信玄は、片頬をゆがめて苦笑した。そう言えば甲府を出 三郎兵衛昌景は小さな肩をゆするようにして入って来る 発するときの信玄は、たしかに少し計算違いをしていた
乾されたのだが、こんどは金掘り人足に地下へ濠をうがた れ、信玄公より改めてのお指図にござりまする」 家康はわざとそれにかかわりのないようなことを言っせて、井戸の水脈を断っという : 窮することのない信玄の戦法に家康はゾーツと肌の粟立 っ想いであった。 「信玄公には持病がおありだとのう」 「信玄公はご念の入ったことをするの」 相手の顔色がかすかに変ったように隸えた。 「はい。それで菅沼新八郎と松平与一郎さま両人の生命に 「胸がわるくて、時々血を吐くと聞いているが、長滞在で 代えて、籠城の諸士が助命を能満寺の僧をもって申入れま 弱られぬか」 「私めはお側にないので、その辺のことは存じませぬ。た 「いつのことだ」 だ、このたびの使者の口上、申し渡されまするときには、 「十一日のことでござりまする」 至極壮健に相見えました」 「してその後は ? 」 「して使者の口上は ? 」 「信玄公はこれを許され、ご両人を城内の二の丸に押しこ 「城内とのご連絡なく、細かい事情をご存じないと存じま めて、それから言葉を尽して甲府への随身をすすめまし する故順を追って申述べまする」 「菅原新八郎が降ったというのであろうが」 「キよ、 0 しかしこれは、信玄公甲府より金掘人足を呼び寄「それでついに降ったと中すのか」 せまして、城内の井戸に一切水の湧かないよう計らいまし使者は半白の眉毛の下でかすかに笑った。 「いっかな降伏いたされませぬ。毅然として首討てと仰せ た故、やむない仕儀と存じまする」 られる。そこでわれ等が主人菅沼伊豆と作手の奥平監物入 「なに、金掘りを呼んで井戸を乾したと申すのか」 道、段嶺の菅沼刑部の三人にて、信玄公に生命乞いをいた さすがの家康も唖然として使者の顔を見直した。 しました」 十一 「なるはど : 「いかにすすめても志を変えぬ二将、この二将の生命と、 二俣城では天龍川の井楼の下に筏を流しかけられて水を
「もしそうした場合、いったい相手は世間に何と触れさせ 戦に勝敗があるのとおなじ正確さで、人に生死はっきも 亠ましよ、つか」 のだったが、家康の運命のきわまったかに見えた一瞬、と 「それは : : : 鳳来寺でしばらく病いを養うと言うに違いな っぜん当の相手の信玄が倒れてゆく : : : そんな偶然が果し てあり得るものであろうか ? 「三左 : : : 」と呼びかけて家康はまた黙った。得体の知れ「ではこの三左、鳳来寺へそれを探りに参りましようか」 ない昻ぶりが、彼の五体を刺戟して、うかつに口を利くと家康は首を振った。反対なのではない。が、それを探っ てみても恐らく真相はつかめまいと思ったからだ。 声がもつれそうだった。 つねに蔭武者数騎を引連れている信玄、恐らく信玄が死 もしこれが事実ならば、人生の厳粛さに、頭を垂れて弔 うべきだが : : : そう思いながら、今の家康にそのゆとりはんでいても、病床にはその一人が臥っているであろうし、 よ、つこ 0 筆蹟をまぎらすための祐筆も用意されているに違いない。 むしろ間諜はその眼で信玄を見、信玄の認めた真蹟を見 陰鬱な空のはしがめくれて、そこから青い空がのそいた せられて、いよいよ迷いを深めるだけであろう。家康はっ ような気がしてくる。 いっと床几を立った。 いや、ここで汕断したら、その青空はすぐ又雨に塗りこ められて、やがて家康を押し流す豪雨に変らぬものでもな 「三左」 「よ、 をし」 「よいか。誰に も一一一口、つな」 ( 早まるな ! 早まってはならぬ : : : ) 「お館さま」 「それはよく心得て居りまする」 「その方はな、これからすぐ村へくだって、武田方が何と 家康が黙っているので三左衛門はまたはばかるようにロ を開いた。 触れさせるか、念のためにそれを調べよ」 「よっ 「たとえば信玄公がお果てなされていても、武田方ではひ た隠しにかくすのではなかろうかと存じまするが : 「よい。打け・つ」 「うむ、それはわしも思、つ」 「では、ごめん下さりませ」
「私めからもお願い申しまする。この儀よくご勘考下さり 山家三方より浜松へ差出しおきました人質とをお換え下さ まするよう。わけても松平与一郎さまは、お館さま六歳に るよ、つにと」 て駿府へ差送られまするときからのご近習と承って居りま 家康はフフフと、思わず笑ってしまった。 その人質が、こんどの戦で必ず物言う時があろうと、秘する」 家康はわざと大きく顔をしかめた。 かにそれは浜松を出発させてあったのだ。 「すると、信玄公はそれを許され、その方を使者として人「出すぎた口上。信玄公はわれ等がためには表裏あるお方 ゆえ、われらはこのまま手勢を引連れ、人質を警護しなが 質換えを申し越されたのか」 ら広瀬川の河原に赴く。それでよくば承知しよう」 「ご賢察のとおりにごギ、りまする」 使者はおだやかに顔を垂れた。 「ならぬと言ったら何とする ? 」 「生命にかけて、そのお申出の通るよう信玄公に言上いた 家康がそういうと相手の顔いろは、また微かに変ったよ しまする」 うだった。 ( 何かあった 「よし、では即刻に計らおう。元忠、使者を途中まで送っ と、家康は思った。 てやれ」 「その時には私めは笑って腹切るばかりにござりまする」 そして、二人が出てゆくと、家康はまた小首をかしげ 「笑って腹切ると、趣旨が立たぬそ。それは誰への申訳て、コトリコトリと床几のまわりを歩きだした。 ( どうも腑におちぬ : ・・ : ) 「幽閉されているお二方へ一分が立ちませぬ」 十二 「二人に会って来たのか」 「はい。お二人とも信玄公のお情に落涙してござりまし人質換えば早急に行われた。 どちらも二千にあまる軍勢にまもられて、広瀬川の河原 た。お館は信玄公の心を動かすほど毅然と戦って来られた にやって来た。 二将をお捨てなされまするか」 城内へはすでに山県昌景が入っているのだし、もし信玄 「まだ捨てるとは申して居らぬ」
れると考えたら何を触れさせるかわからない人じゃ。 ; 三左衛門は、おそるおそる戸板のかげに入っていった。 : そち、わざわざそれを申しに来るには、何か信じられ 「無礼な男だ。何た用は ? 」 「よい。それが・ る節があるのであろう。噂の出所を申してみよ」 三左衛門は家康の裸身から眼をそらしながら、 「敵の大将信玄さま、陣中にお果てなされたという噂でご 三左衛門はまぶしそうに家康の臍のあたりから視線をあ げて、 ギ、りまするが」 「それがし、籠城中に、何とそして信玄公を討取る手たて 家康の声が思わずハッとうわずった。 はないものかと苦心いたしました」 「ふーむ。それで」 十三 と、申しましても、これはかかって 「甲斐の軍の強さ 家康の生涯を闇黒にぬりこめそうな信玄。三十余年の辛信玄公お一人のカ、これを倒すが根を断っことと : 「くどいー 軍略の釈義はよせ、噂の出所を訊いているの 酸を粉々に砕こうとして行手に立ちふさがる巨石ーー・その 相手が陣中に果てたという噂はあまりに大きい。 「恐れながら三左もそれを申上げているのでござります 「三左 ! 」 裸のままで、家康は、なみの三倍はあるといわれているる。籠城の城内に伊勢山田の生れの者にて、村松芳休とい 大ふぐりを蔽いもせず眼を怒らしていた。 う笛の上手がござりました」 「その噂、どこで耳にした。うかつなことを申すと許さぬ 「その笛の上手が、武田方から訊きだしたというのか」 そ」 「まず、お聞き下さりませ。その者が夜毎、戦のあとで吹 「はい。それがしもこの噂、ひびくところの大きさを考えく笛を、敵も味方も聞きほれたと思召せ。三左はそれに眼 て、一族の者にも口外はつつしみました」 をつけました。信玄公も箱をなさると聞きましたゆえ、わ 「その事じゃ。策謀自慢の信玄、これによってわれ等が士ざと本陣へ聞える位置へ芳休を誘い、同じ場所で、同じ時 気をそげると計算するか、あるいは織田どのを汕断させら刻に毎夜吹かせました」
「は、はい。仰せのとおり、こまかく見まもってござりま「待て三左 ! 信玄公は入道せられて十カ年間精進潔斎を 誓われたと聞いている。それが何で魚鳥の類を食される ? する」 その点をたずねてみたか」 と、身をのり出した。 「訊ねましてござりまする。信玄公は胸に病いを持たれ、 「それがしが鉄砲を放ったのと陣中がざわめきだしたのと は同時、それから八方へ騎馬武者がとび、それが数をふや陣中でもつねに医者を召しつれました由、その医者のすす めにて、軍旅の間は潔斎をとき、薬餌として日々魚鳥を召 して戻って来ました」 「ふーむ。そして夜が明けると人質換えの使者が来たか上られたげにござりまする」 「ふーム」家康はまたしばらく腕を組んで、 「それから、その百姓は ? 」 「いいえ、夜が明けると、すぐに山県三郎兵衛が、小さな 「十、 0 俄かに人々の騒ぐ中に、お館さまが鉄砲で打たれ 肩を怒らせて入城いたしてござりまする」 : と : という声をたしかに聞いた : た。鉄砲でうたれた : 「わかっている。その方の見た場所と、家康の見た場所と つづいて、ぐったりと動かぬ信玄公を二人の侍がかつぎあ は同じではない。それでそちは何とした ? 」 げ、二人の医者がうろうろと附添って仮屋の中にはこびこ 「それがしは、あの一発で、信玄公を討取ったとは思いま んだが、たしかに亡くなられていたようだと」 せぬ。が、たしかに負傷はされたかと存じまする」 三左衛門はそこまで話すと、家康の顔色をうかがうよう 「まだ決めるは早い。陣中で亡くなったという噂はどこで にして言葉を切った。 聞いたのだ ? 」 「山県勢入城のおりに小荷駄をはこんで参りました千秋の 十五 百姓にござりまする」 「その百姓の申したままを」 家康はギラギラと眼を光らし、三左衛門を見据えたまま 「はい : : : その百姓は、信玄公の召上がる鶏を持参してそで考えこんだ。 あり得ないことではない。と、いって、うかつに信じら の夜陣中にあったところへ轟然と一発、鉄砲の音を耳にし れることでもなかった。 てきもをつぶし :