勝頼 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 4
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1. 徳川家康 4

あたらねばならぬ。 勝頼は浜松城内の兵数をおよそ二千と踏んでいた。した がって馬籠川を押し渡れば、すでに勝利はわがものという 要は決戦を急ぐことにはなくて、勝利の力を蓄えること にある。 ( いや、それを教えてくれたのも、信玄であった 答えが出る。 恐らくいままで家康が討って出ないのは、長篠、岡崎と そうした感懐でじっと満を持している家康のもとへ、 兵を割きすぎて勝算が立たないためと考えた。 「馬籠川の岸まで来て、敵は急に進軍を中止いたしまし そう考えて来れば、一万五千のうち、八千を越えた甲州 勢はまさに勝利の好機に恵まれたこととなる。 そういう注進が届いたのは午の刻 ( 十二時 ) 近くであっ 「時刻もすでに正午に近づいてござりまする。旗本にこの こ 0 あたりで炊さんを許されましては」 家康はきまじめな表情でうなずいた。 勝頼はほおを崩して笑った。 「よし、われらもここで腹ごしらえをするとしよ、フ」 「腹がへっては戦はできぬか、よかろう。だが急げよ」 同じ時刻 「かしこ亠より・亠よした」 ま 4 ま ( 未明に見附を発した勝頼は、馬籠川の手前の橋場までや こうして勝頼自身も馬をおり慢幕を張らせたときであっ って来ていた。 た。天龍川の上流から吹きおろす木枯に乗って不思議な喚 相変らず木枯は激しく野面をたたいていたが、急行軍声が聞えて来たのは : で、彼も彼の旗本も、ヨロイの下は汗でいつばいだっこ。 家康が早暁に城から出した十一隊の伏勢がいよいよ陽動 「まだ家康め、城から討って出た気配はないか」 に移ったのだ。 橋場の手前の松原に馬を停めて勝頼は旗本先手の跡部大「はてな ? 背後からのようだが」 炊に昻然といった。 と、勝頼は近侍の運んだ弁当を前にして首をかしげた。 「いまの声は味方であろうな」 大炊も耳をすます顔になって、 「馬籠川を一気に押し渡って浜松の城下へ火を放て」 「まさか掛川の城から追って来るはずもなし : : : 」 304

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四 「貞能でも、貞昌でもないと言うのか」 勝頼はおふうの動作の、普通以上に緩慢なのを見ると、 無性に気がいら立った。 貞昌の奥方で人質になっていた当時とまるで人が違うよ 一一つに田んた。 よくこんな百姓娘みたいな小娘に、うまうまと欺された ものだと、今更のように自分の人の好さが悔いられた。 げて見たりした。 おふうはゆるやかに首をふったあと、 勝頼はそれを眼を放たず眺めている。 「大殿も、殿も、はじめは却ってとめました」 「おふ、つ」 「なぜ停めたのだ」 し」 「このふうが可哀そうだとおっしやって」 「そちは十五歳だったな」 「それをすすめたのは誰なのた」 「私の実父でございます」 「いったいそちは誰の娘だ」 「そちの実父の名は」 言いながら勝頼はふたたび脇息のそばにもどって頬杖っ 「忘れました」 「そちが貞昌の妻でないのなら斬っても無駄であった。助勝頼の美しい眉が、またビクビクとけいれんした。 けて親のもとへ送りとどけてやる。いったいこの計略は誰「忘れたとは言わぬ気だな。よし、それは問うまい。で、 5 その方の実父は何といってすすめたのだ」 が立てた ? 貞能かそれとも貞昌か」 おふうはばんやりと勝頼を見上げて、またゆるく首を振「武田家は信玄公で持っていたのだと言いました」 勝頼は、傍にいる家臣の手前、そこで質問を打切ること は出来なくなった。 ( ここにも伏兵があった ) と、思いながら、この伏兵に鮮かに勝ってみせねばなら ぬ気がした。 : 」と、勝頼は笑った。 「こなたは正直に物言う娘だ。父信玄はこの城内で病を養 って居られるが、よいよいそのあとは ? 」 つ、」 0

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いったりした。 ( 戦場で斃れなければ病魔が斃す ) 勝頼はその夜、自分の行為を戸をあげて嘲笑うおふうの ( 百年と生き通した人がどこにあるのだ ) 夢に脳まされた。 そして、夜が明け放れるにつれてその考えはだんだん強 おふうは勝頼に、どうだ、私の方が勝ったろうーーーそう 烈なものとなり、起出すとすでにいつもの勝頼に戻ってい 言ったり、あれ位の事で、私の怨みが消えるものかと言っ たりした。 「徳川すれに妨げられて、父の遺志が継げなかったと言わ 父以上の猛将とみずから誇るほどならば、なぜもっと強れては、末代まで不肖の子と笑われる : : : 」 くないのだ。なぜほんとうに、土民も敵もふるえ上らせて勝頼が朝食を摂っているときに、大炊がやって来て、勝 見せないのだと罵った。 頼に耳打した。 いや、それだけではなくてやがておふうは、勝頼が誰よ 上民をあつめた今朝の人夫たちの働きが昨日とまるで違 っているというのであった。 りも愛している十九歳の小田原御前を、いまに自分と同じ 運命におとし入れて見せてやると言い残して、夢の中から 「やはりお仕置は大成功でござりました」 消え去った。 「挈、、つか」 夢は五臟の疲れという : 「それに、もう一つ、昨日の日暮れのお情も」 ふしど 暁近い陣屋の臥床で勝頼は、しばらく眼をつむったま と、声をおとして、 ま、さまざまな想念の去来に身をまかせた。 「あの百姓が、その者を案内して来たのでござります」 全身にべっとりと汗がういて、それが乾くまでにすっか 勝頼は大きくうなずいて、 り外は明るくなった。 「膳を片付けよ。通せ」 ( 胸に病いを持った父も、よく寝汗を訴えたが : 小姓と大炊に命じたっ そう思うと、殺す者と殺される者の距離がひどく間近に すでに日は仮屋の縁先に当っていたが、まだ霧は霽れき 感じられ、それはやがて全然恐怖と逆な思案を導き出してっていなかった。幾重にもめぐらした柵のうちには一株の 四 282

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めに家業をなげうって働かされている百姓たちの反感を買 勝頼が声をかけたのはその時だった。 ったのでは遠征はつねに失敗と説いた父の言葉も思い出さ 「そちは勝頼を大阿呆と言ったな」 れた。 「、つん、一一一一口ったと、も」 「これ、助右衛門とか申したな」 相手はもう一度肩をそびやかして、 「そうた日近村の助右衛門だ」 「大阿呆でなけりや、おらを褒めるか亡骸を向うに送りと 「その方はなかなか仏心を持っている」 どけてやるかすらあ」 「なんたって ? 」 「りて、つか・ 「その女の亡骸はかついでいって手厚く葬ってやるがよ 勝頼はふっと黙ってまた一歩すすんだ。 し」 斬り捨てたい怒りと、斬ってはならぬという声なき声と 「じゃ、おらを斬らねえのかい」 が、彼の胸であやしくからみあいだした。 彼が土民を慴伏せしめようとした処刑は或いは逆に反感「勝頼はな、もしそちを斬ったら怒るだろう。褒めて見のつ 2 がせと言うだろう」 を昻ぶらせたかも知れなかった。 「そ : ・・ : そ : : : そりやほんとうでごぜえますか」 「そうか。大阿呆でなければ、そちを褒めるか」 「知れたことだ。おらあ、あんまりむごいゆえ、この女子「さ、あとをよくならして運んでゆけ。花を供えたそちの 心にめんじて、それ、これを渡しておく。途中で見とがめ の亡骸だけ、村へ担ぎもどって葬ってやろうと思ったの だ。それが甲州勢の罪業消滅になるばかりか、それを見てられたら、これを見せて通ってゆけ」 そう一言うと、勝頼は、腰から小さな薬籠をとって百姓の 見ぬふりした勝頼様は情のあるお方と言われる。そうすれ ば村から呼び出されて使われている百姓どもも、安心して足許に投げてやった。 そして百姓が膝ますいてそれを拾う間にくるりと踵をか よく働くと思わねえか」 えすと、 「なるほど : 「大炊、来いツ」 勝頼の心の中で、ついに声なき声が怒りに勝ちかけた。 あとをも見すにその場をはなれた。 たしかにこの百姓の言うのも一理と思えて来た。戦のた , ートでつふく

5. 徳川家康 4

そう言うとこんどは房の大炊をかえりみて、 しえ、小さくはござりませぬ。勝っためには見のがす 「この密使、湯づけを振舞うて本人の申す場所まで送って べからす、突くべき急所でござりまする」 甚左は、 いよいよ急きこんで、小さな眼をしきりに瞬かとらせ」 「はツ、ではご案内仕ろう」 せた。 二人が去ってゆくと、勝頼は腕を組んでもう一度舌打ち 「すでに築山御前は大賀さまの思いのままに動きまする。 これと計って次々に徳姫さまをなぶりまする。さすれば、 大賀彌四郎からは、この前なぜ武節まで来てくれなかっ 姫の御不満は織田のお屋形に筒抜け : : : わが愛姫がいじめ たのかと不満をのべ、長篠で決戦となれば、当然また信康 られているとわかれは 。、、かに織田のお屋形とて : ・・ : 」 も出陣するであろうから、その時には前の打合せのとお 左が唇の両わきに白い唾を乾かせて言いつのると、 り、岡崎を先に衝かれたいと書いてあった。 「控えろ ! 」 何と言っても岡崎は家康にとって穀倉であり、根の城な 5 と、苦々しげに勝頼はさえぎった。 8 のだ。ここを衝いて占領し、万が一の、織田の援軍を喰い 「そのようなことは改めて説明はいらぬことじゃ」 とめなければと、書いてあった。 し」 書いてあった限りのことでは正しかった。 「築山どのはおたっしやか」 「はい。近ごろは少しお気が弱まりました : ・ : と、家中で織田の援軍に三河侵人の機会を与えてはならない。その ためには中国、四国の兵を京へのばらせたり、本願寺の信 は見て居りまするが、これも大賀さまのご計略、大事をさ とられまいとして、そのように見せかけて居るのでござり徒を煽ったり打たねばならぬ手は幾つかある。 まする」 ( それなのに彌四郎は、嫁いじめの手が有効たなどと : : : ) そう考えて来ると、いちど勝頼の心耳にひびいた、人間 勝頼はまた舌打した。 「大賀彌四郎は、よくよく策略をめぐらす男だ。まあよ本来の声はあとかたもなく消え失せて、性来の闘魂がこれ に変った。 密書のおもむき、勝頼はしかと承知したと戻って伝え

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カ信玄自身はここで悠々と勝利の軍略をめぐらしてい うごいているとみると、あるいは仕掛けて来るかも知れ たのである。 ぬ。それそれの陣をまわって汕断なきよう、きびしく申付 問題は織田信長のあり方であった。 け・てつくがよい」 三方ヶ原で勝利をおさめると、信玄はまず、伊勢の北畠 勝頼が日に一度、戦況報告にやって来るたびに、必ず 具教に密使を送った。そして、武田と北畠の同盟をかため 「汕断なきよう」という言葉が出た。 ておいて直ちに、信長の五罪をかそえ、平手汎秀 ( 長政 ) ( 油断こそはあらゆる物事の崩れのもと ) 信玄の眼にうつる勝頼には、まだその点で危げが感じらの首を贈ってこれに絶交を宣していった。 信長は正月の二十日に、わざわざ一族の織田掃部を三河 れた。 冫】。こした。ョ直ロ。 , 1 キ部よ言玄に対して異心のないことを弁解こ 勝頼が帰ってゆくと、信玄はしばらく薄眼をとじたまま れ努めたが、 信玄はこれを受付けなかった。 黙って肩を揉ましていたが、 そして、直ちに将軍義昭に織田討伐の兵を起すように要 「今日は二月の十六日か」 請していったのである。 思い出したようにつぶやいて、 将軍義昭は、信玄の思いどおりに兵をあげた。した。、つ 「今夜もたぶん月がよいな」 て、織田勢にはもはや家康のもとへ援軍を送るなどの余裕 「は ? 何と仰せられました」 「いや、ひとり、ことじゃ」 は全くなかった。 と、またロを閉していった。 信玄はまた薄眼を閉じたまま、「フフフ」と笑った。 若い家康の狼狽と切歯が眼に見えるようであった。 五 家康とても凡将ではない。彼は一月の末に至って信玄の 信玄は肩の凝りの快くほぐれてゆくのを全身で味わって戦略に気付いたようすであった。 要所々々に放ってある間諜の報告によれば、家康は二月 世間ではあるいは信玄が、野田城ひとつを取りかねて、 の始めに、三たび密使を越後の上杉謙信のもとへ遣わした じれきって三河に滞陣していると思うかも知れない。 形跡があった。

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文、下は地理、天下のこと一切は掌をさすように存じて居 「フーム」と、また八蔵はうなった。 「では、拙者の大望は、暗雲にさえぎられて成らぬと言わる」 「ふーむ」と、また八蔵はため息して、 れるのか」 「ではお坊さ亠ょに伺、つがの : ・・ : 」 「これこれ所縁の人、そう簡単に広大無辺の仏意を割切る 一おう、何なりと」 ものではない。事の成らざるが却って慈悲の場合もある」 「この戦、いずれが勝とうかの。甲斐の武田と三河の徳 そう言うと随風ははじめて頬をくずして、 「しかし、よい人相じゃ。底に仏心をたたえ、つねにみ仏 「ああそれならば、もはや語るに足りぬ間題じゃ : の加護ありときまった人相じゃ」 って、こなたが、いずれの被官かわしは知らぬ。味方が負 「加護がのう : 「さよう。それゆえ決してくよくよせず、これがみ仏の道けると言われたとて、それに腹を立ててはならぬぞ」 「それは、十分わかってござる」 。と信じた、正しい方向へ、つねに心を置き直してすすむが 「なにしろこれはみ仏の声だでのう。よいか、み仏が仰せ 腹が出来ると随風はもう押えきれない多弁家にもどってられる。勝ちは徳川方じゃとのう」 それを聞くと八蔵の顔色は蒼ざめた。 「何で徳川方が勝つのであろうか」 彼にとって、この素朴な田舎侍一人、言いくるめるのに 「信玄公の死は確実、勝頼と家康とでは器が違う。人相、 何の苦心もいらなかった。 : いやいや、それ以上に大切な、ここ数 行き暮れた旅の森。却ってよい相手を得たと思うと、ひ骨相みなちがう : とりでに舌がうごいてゆくのである。 代の父系母系の仏心の量が違う : : : これが大切なのじゃ。 こんじよう 「とにかくのう所縁の人。ここで二人がこうして出会うた 今生の盛衰すべてはここで決する。と言って凡俗の眼には 機縁はよく活かされねばならぬ。この随風と会うて語る機むろん見えぬが : 会というは、ざらにはない。愚僧の一語々々はそのままみ もはや随風の舌は、自分でもとまらぬほど回転をはじめ 仏の声でござるそ。遠慮のう何なりときくがよい。上は天ている。 175

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「では、ご機嫌にわたらせまするよう」 「請書、だれの」 「勝頼さまの請書、この身を甲州へ迎えとって小山田のも築山御前は刺すような眼をして彌四郎を睨んでいたが、 彌四郎は御前の狼狽や怒りなどケロリと忘れた落着き方 とへ嫁がせようという、あの : ・・ : 」 で、ゆっくりとまた庭をめぐって出ていった。 「御前 ! 」 彌四郎は眉をあげて唇をゆがめて舌打した。 「お言葉をつつしみなされ。そのようなこと、この彌四郎 築山御前はこまかく全身をけいれんさせながら虚空をみ は存じませぬ」 つめていた。 「えっ ? 何とお言いやる。あの請書のことを」 いつもみずみずとした皮膚が、今日いちどに四つ五つも 「シーツ。さてさて困ったことを仰せられる。戦には勝敗 がござりまする。この後はとにかく、今は長篠はじめご当老けたようにゆるんで見える。 それにしても何という人をあなどった彌四郎の態度であ 家の勝戦、負け戦とならば大将として生命をおとさぬもの つ、フ、か 0 でもない」 「と言われるといっそう心にかかる。では勝頼さま、ご戦すでにこの御殿に心はなく、勝頼からの迎えを待って夢 を甲州へ通わせていた御前であった。 死という噂でも」 ( 手廻りの品々までそれとなく、まとめて用意していたの 彌四郎はびしりときびしく膝をたたいて、 「もはやこのことではお話は致しませぬ。時機をお待ちな 戦にはたしかに予測を許さぬ事態がある。勝っ筈の甲州 さるがよい」 軍が旗いろわるく、予定の地点まで出て来られぬというこ そういうと、また空へ視線をむけて、 「今日の空は日本晴れ、そろそろ本丸で御酒下されの時とはありそうなことだった。 だからと言って、大賀彌四郎が、あのように冷たく自分 刻、どれ、若殿のご元気なお顔を拝して来ようか」 うっとりとつぶやいて、それからきちんと御前に両手をを突きはなすというのは何という思いあがった仕打ちであ つ、つ、か 0 ついた。 ! 34

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ますれば」 信康はひざをたたき、体をゆすって笑った。 「なるほど、やはりそなたもそうか、ハ、 「こんどはな、必す長篠城へやって来る」 れはおれが負けた。いや負けたのではない、実はおれもみ 彌四郎はキョッとして、 なと同じ考えだがみなの心を試してみたのだ」 「それが、どうして若殿に・ 彌四郎は何のたわけた小伜が : : : そう思いながら、うや「わからぬかのう、いよいよお父上が長篠城〈奥平九八郎 うやしく頭を下げた。 を入れたからだ」 「それでホッと致しました。さすがは若殿にござります「なぜ、奥平貞能どのが入ると甲州勢は長篠〈まいるので 一」さり・寺 ( しよ、つ」 四 「これはうかつなことをきく。奥平父子は一度勝頼に味方 したもの、それをのめのめ長篠城へ生かしておいては勝頼 「ときに大賀、その方つぎに勝頼はいずれから現われて来の名目が立つまいが」 ると思、っそ」 「と、仰せられますると、大殿さまは、それをご計算のう 3 信康はまた楽しげに言葉をつづけた。外ではしきりに えで長篠城 : : : 」 木枯が吹きすさび、霜のまま雪にでもなりそうな気配があ 「いわでものこと ! 」 ったが、内では火オケの火が若い信康のほおにたくましい と、信康はうなすいた。 赤味を投げておこっていた。 「いよいよここで甲州勢をひきつけて、足腰立たぬほどに 「浜松か武節か長篠か、それともまた美濃へでも攻め入るたたくのがお父上の計略じゃ。天正三年は、おもしろい年 か、そちの判断ではいずれと思うぞ」 になろ、フそ」 「されば、まず浜松かと心得まする」 彌四郎は感に耐えた面持で、 彌四郎はそういって、ちらりと一座の人々の顔色をうか 「そう仰せられると、眼の開けた思いがいたしまする。な つ」 0 るほど奥平貞能どのを長篠に」 「はつはつは、これは大間唔いじゃー・」 そういいながら、心の中では ( これで勝った ! ) と、自

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の旧領をば、そのまま信康に賜わりなん。又、わらわの 相手がそれをふところへ入れると、 ことは御被官の内にて然るべき人の妻となし給うべきか。 「信玄公ご逝去の噂があるが」 この願いごと叶え給わば堅き請文賜わるべし」 「いや」と相手は首を振った。 減敬はその手紙を見たときに自分の計らいの成功を喜ぶ 「ご病臥中でござる : : : では、また」 ざる屋はすーっと表へ出ると、近くに触れ声をひびかせよりも、女心のあやしさに身震いを感じたものだった。 て去っていった。 今日の手紙はその返事である。 信玄は事実、四月十二日、信濃の駒場で生命をおとして減敬は自分への指図書を神妙に読み終ると、それを巻い いたが、その死は家中のものにも固く秘められていたのでてふところへ収め、つぎには勝頼から築山御前へあてた請 ある。 文をひらいていった。 なぜか心がふるえて来て、この暑さに肌が粟立っ想いで 減敬は小首をかしげるようにして、また奥の八畳間へ戻 っていった。 あった : 届けられた密書のうち、一通は減敬へあてたものであ り、もう一通は、築山御前へあてたものであった。 減敬は用心ぶかく立上り、空咳しながら縁から厠までの考えてみると戦いほど罪なものはないと減敬は思った。 ぞいてみて、それから封を切っていった。 築山御前の妬心をついに家康への報復にまで燃え狂わせて 勝頼からの命によって、築山御前の手紙をとどけさせた いったのである。 その返事と指図書であった。 「そうまでしても勝たねばならぬのが戦ーーー」 その折の築山御前の手紙はいまもハッキリと減敬の頭に 減敬はひとりごちながら勝頼の親書に眼をおとした。指 残っている。 図書の中に、その方も見ておくようにとあったからたっ 「ーー信康はわが子なれば、如何にもして、武田の御味方 になし侍りなん。徳川、織田の両将はわらわ計らう手立候 今度び減敬をして仰せ越され候おもむき神妙に覚 え矣。 えば、かまえて失い申すべし。こと成就のあかっきは、恵 6