三方ヶ原ではさんざん信玄に翻弄された家康が、半歳あ 敵の城兵がしきりに攻撃にそなえ、城内の守勢をととの まりでついに主導権をとりもどしていったのである。 えているときに、彼は、ふたたび大井川を渡ってさっさと そうした元亀三年 ( 天正元年 ) の夏 吉田城に帰っていた。 吉田城にもどると長篠附近に放ってあった伊賀衆や里人岡崎三郎信康は父家康の命によって信州から岡崎へのも たちを招いて敵情をこまかに訊くと、すぐに自身で、長篠う一つの攻入り口を、足助、武節と北進してゆくために城 を出た。 城外へ馬をすすめた。 この初陣の補給を受持つ大賀彌四郎は、信康を岩津まで 信玄の病気か卒去かで、少なからぬ打撃をうけている武 田勢を奔命に疲れさせ、家康の健在をかた印象させるた見送った。 勇み立った信康は、殆んど彌四郎など眼中にない様子 めであった。 で、彌四郎が岩津の仮陣へ挨拶にゆくと、 家康駿府へ現わる。 「彌四郎、無理をするな」と声高で言った。 家康長篠に現わる。 「まず足助城を陥すのだが、足助城には甲斐の下条伊豆が 家康、岡崎に現わる : ・ 家康がわが子信康に出陣を命じたのは、そうしたたんげ立籠っている。何の伊豆ごとき、信濃と甲斐からはこびこ いすべからざる動きをもって、山家三方衆を圧服しようとんだ兵糧をうばい取って、その方には苦労はかけぬそ」 : これで甲州勢も思い知りましよ、フ。 「お男ましい限り : する一連の策戦のためであった。 信康を城から出す : : : ということは家康が岡崎に後詰め駿河の出口は封ぜられ、吉田の前面の二俣、長篠は危機に ひんし、この足助、武節の道をふさがれては、甲州勢は手 しているものと考えるのが常識だった。 、家康はその裏をかいて、長篠城外に姿をあらわすも足も出ませぬ。彌四郎は岡崎にあって、ひたすら勝報を どうと と、直ちに、社山、河台島、渡島と、二俣城をとりまく三お待ちいたしまする」 オオカともすれば笑いが唇辺に出そ 言葉だけは鄭重どっこ。、、 カ所に向い城を築きだした。 うで彌四郎は困った。 したがって敵の眼は、駿府、吉田、岡崎、長篠、浜松、 二俣と、めまぐるしく注がれなければならなくなった。 108
らなかった。 ので」 「すると : : : すると若君は岡崎城がおちたと知って降参な 八蔵は思わずせき込んで、ハッと自分のロをおさえた。 さるのであろうか」 五 「さあ : : : 」 「若君はどうなるとは ? 」 彌四郎は小首を傾げてあいまいに笑った。 彌四郎はわざととばけた表情できき返した。 「それは本人の器量次第、降ったがよいと思うか、それと 「岡崎城は敵の手中におちている : : : まさか引っ返して、 も斬死か切腹か : : : 」 ここはおれが城じゃと、泣きわめくわけにも参るまいが」 「降参しても、そのまま岡崎城は若君にくれまいかの」 「しか 1 し : 「それも分らぬ。器量次第じゃ。いずれにしろ、小谷甚左 八蔵は乾いたロをしめしながら、 衛門、倉地平左衛門とはよく打合せをせねばならぬ。城下 「あのご気性ゆえ、そのまま降るとは思われぬ。必ず一戦へ着いたら、おぬしそっとそれがしのもとへ集るようにふ 3 すると思、つが : れてくれ」 それほど阿呆ではあるまい。城の中には母や妹彌四郎はそう言うと、また空を見上げて晴れ晴れと笑っ が人質になっている。いや : : : それでも一戦をと引っ返し たら、その時には武節の城から追討ちをかけられて、おそ 小谷甚左衛門、倉地平左衛門、それに山田八蔵を加えた らく岡崎まではたどり着くまいて」 三人が、すでに彌四郎の腹心になっていた。 八蔵はまた何か言いかけて口を噤んだ。 城下へ着くと、彌四郎は八蔵とわかれてわが家へ入っ それほどこまかく手筈がついていようとは知るよしもな 子供のように喜び勇んで進んでいった信康の顔が眼先岡崎から姿を消した減敬からはまだ何の連絡もない。 でチラチラしてゆくのだ。 が、彌四郎の計算では、彼は、いまごろ、武節の城にある ( これでおれも世に出られる : : : ) はずだった。そこで勝頼に連絡し、信康が武節に襲いかか そう思うあとから、何か空怖しく、震えはなかなか止まる頃に、信康の軍をかわして足助へ向ってすすんでくる。 こ 0 こ 0
して、のこぎりびきにせよというのだ : 「すると浜でのこぎり引きになされまするので」 ただ聞くとこの上ない残酷な刑罰だったが、それを家康 家康は依然として宙を睨んだまま首を振った。 「彼奴の欲する通り、岡崎から浜松の領民どもに、あやつは笑っている。 の姿をくまなく見せてやるためだ。浜松へ着いたら、再び「どうだわかったか七郎右」 また促されて、はじめて忠世はポンと一つ膝をたたいた。 岡崎へ引き戻せ」 「すると、生きうめにして竹のこぎりを添え、通行人に処 ここに至って忠世は小首を傾げずにいられなかった。の こよあったが、今どき刑させるのでござりまするな」 こぎり引きという残酷な処刑は昔話冫。 「りて、つじゃ」 見たことも耳にしたこともなかった。 「若し万一、通行人の中へ、彌四郎の恩を想う者がある時 ( 殿はほんとうに怒ったのだ : 十 3 そう思ったとき、家康ははじめて視線を忠世に移した。 「その時は、助けるであろうなあ」 「わかったな。よいか。これからが大切なところじゃ。よ く覚えておけ。岡崎の町外れまで曳きもどったら、そこで家康ももう一度微笑して、 あやつを生き埋めにするのじゃ。首だけ出しての、そして「通行人が助けるか、それとも憎んで引き殺すか、彌四郎か 高札に、こやつを憎いと思う通行人は、ひと引きずつ首を家康か : : : それゆえ家中の者に見張らせるには及ばぬそ」 「よッ 引いて通れと書き、そばに竹ののこぎりを添えておけ」 忠世は思わず両手を突いて、 そう言うと、家康ははじめてニコリと笑っていった。 ( さすがは殿 ! ) と、声がつまった。 五 「早速、岡崎へ立帰って、お指図通り手配仕りまする」 忠世は家康の居間を出ると、そのまままた岡崎へ引きか 忠世にはしばらく家康の真意がわからなかった。妻子は えした。 念志ヶ原で磔に。 そして、侍牢から大賀彌四郎が、裸馬にのせられて引出 それを浜松へ引立てる途中で彌四郎に見せてやれとい されたのはそれから二日の後であった。 う。そして浜松から岡崎へ引戻し、岡崎郊外で生きうめに 394
と叫ぶよ、つに一一一口った。 あとは信濃と三河の国境いで、密使の山田八蔵重秀が、 足助の城をすてて武節にこもった下条伊豆に密書を手渡せ「なに、うぬは気狂いだな」と眼をむいて「勝頼公がこん な山奥の小城に居ると思うか」 ば事足りる筈であった。 ところでその山田八蔵重秀は、いま、ようやく信康の隊「では : : : では、下条伊豆守どのに」 列をさけて足助の城門にたどりついたところであった。 「伊豆どのはまだこの城には来て居らぬわ」 しぐれ 「しからば減敬どのが居られましよう。岡崎から引きあげ 昨日までからりと晴れていた空が、今日は細かい時雨に 変っている。天候に支配される山国の気温は、急に冬をむられた医師の減敬どのが」 いよいよもって怪しい奴だ」 かえたほどの肌寒さで、しきりに家郷の妻子のことが思わ「なに岡崎だと : れた。 いっか八蔵の周囲へは番卒の手槍の垣がつくられてい 「誰だツ」 城門に近づいて、番卒に声をかけようとしたとたんに、 いきなりうしろから見張りの武士に一喝された。八蔵はど きんとして、その場に膝を突くと、 ここにも一つ、大賀彌四郎一派の不運な誤算があった。 「お願いの者でござりまする」 彌四郎も山田八蔵も減敬が無事に甲州へ立ちもどり、勝頼 と一一「ロってしまった。 を案内してこの道筋へ出て来ていると信じていた。 ところがその減敬は、信康の命によって野中五郎重政に 相手はそれを聞こうとせず、 「城のまわりをうろうろする怪しい奴め、その方のあとを斬られ、その首は岡崎城の一隅へひそかに埋められてしま っている。 ずっとつけて来た拙者に気がつくまい」 体格は八蔵ほどあり、槍を握った拳の大きさは、八蔵以 したがって、この山城の兵が敵地へ入っていった一間諜 上、それが頬ひげを喰いちらし、眼をいからせているのでの名など知っている筈はなかった。 八蔵は気押されまいとして、 「減敬どのでござりまする。ご存じありませぬか。勝頼公 の秘命をおびて、岡崎城内にあった減敬どのを」 「武田勝頼公にお目通り申したい ! 」 つ」 0 171
勝頼は大きくうなずいて、腰の火打袋から小さな香木を して詫びて来た。 とり出した。 そして 勝頼自身の岡崎攪乱の策も着々と功を奏して来たし、野「三郎兵衛、これを焚け。香でも聞きながら軍使の帰りを 田城へもいま、最後の軍使が開城をすすめに派遣されてい待っとしよう」 る。 「かしこまりました」 昌景は消えかけた焚火の火にそれをくべて、 「無駄ではなかったのう三郎兵衛」 「さて、信長はいずれを取るか。若君は何とおばされます 勝頼が微笑を消さずにそういうと、うしろで山県昌景が フフフとった。 「いずれを取るとは ? そちの話は時々飛ぶぞ。予にはわ からぬ」 「家康はこんどこそわれ等が力を骨身にこたえて知ったで「家康は、信長こそわが味方と信じ、われ等のお館もま た、いざと言えば信長は、お館に味方するものとお信じな あろう」 勝頼が笑いながら床几にもどると、山県昌景はまた笑っされて居りまする」 「よいではないか。そのうち岡崎の城に入って、これでも : と申し送ったなら、利には敏い信 われ等に従わぬか : 「何がおかしいのだ三郎兵衛」 「いや、人間の考えることはみな同じと、それが可笑しゅ長、たとえ本心はどうあろうと、敵対の念は消えうせよ 、フござりまする」 「カ : : : 力でいくと仰せられるのでござりまするなあ」 「みな同じとは ? 」 「これは三郎兵衛の言葉らしくもない。カ以外、この戦国 「家康はこうして決戦を避けながら信長の援軍を待ってご ざるし、われ等がお館は、信長が怖れて援助を断念する日に何があろうそ」 「と、仰せられると、岡崎鹹は、あれも力攻めでござりま を待ってござる。考えていることはいずれも援軍」 するか」 そのことか」 2 3
ていった。 は眼をかがやかせてうなずきつづけた。 信康の姉までを贈ってわが地盤を固めようとしている家親の慾目かも知れない。が、 決して凡庸な出来とは思え なかった。 康。その家康の足元で、怪しい火がくすぶりつづけてい る。 勇ましさでは却って父にまさっているかも知れぬ。 それを黙って見ているのは耐えられない恐ろしさであっ ( 鍛え甲斐のありそうな子ぞ ) ひそかに思いながら、 「姫さま。しばらくお休みなされては」 「今年は三郎に初陣さしようかの」 「いや、も、フしばらくこ、つしていよ、つ。ほらあのグイを打 そういうと、信康は顔中を笑いにして答えた ち込むっちの音、あれがひびくたびにややが動く。ややの 「吉田の城へやって下されお父上 ! 」 お城が出来ると、胎の中で気負っているのかも知れぬ」 家康は高らかに笑った。 開け放った縁から流れ込む風が産毛のように柔かかっ 「吉田の城でもし敗れたら何とする。岡崎が裸になってゆ くではないか」 「いいや、岡崎にはお父上がござればよい。信康は、お父 上に笑われるような戦いはいたしませぬ」 「三郎 : ・ : はやるものではない。そちの前冫 リこよ長い春秋が あるであろう」 「と、仰せられまするが、十五歳の時は、信康生涯に二度 とは、こギ、りませぬ」 家康は本丸南やぐらの上に立って風呂谷から籠崎、船小 家康はハッとしたようにわが子を見直した。 屋と指さしながら信康に、戦略の説明をつづけていた。 、初陣は守備ではならぬ、攻めて見るの 万一敵が南から攻めよせて、菅生川にかかった橋を扼し だ。吉田、岡崎の二つの城を背にして、戦法自慢の甲州勢 た場合 : : : の仮想のもとにあれこれと説いてゆくと、信康とどれだけの戦が出来るかやらせて見よう。さ、やぐらを っ ) 0 「」 0 暗雲動く 7
「武節の城に、われ等が同志、減敬どのが居られると思うそれぞれ松平一族のいる小城を一つずつわけよう。 城持ちになった上で、またその後の策は考えることに が、もし減敬が居らなんだら、近くの村にひそんでいて、 しての」 下条伊豆どのに会って貰いたい」 「して : : : して : : : その密使には」 三人は顔を見合せてうなずきあった。 「三人のうち、誰がよかろうかの」 「して、密使の用は ? 」 彌四郎にもう一度顔を見渡されて、三人はそれそれ息を 八蔵が膝の拳を固くしてうながすと、 つめて小さくなった。 「ます重ねられよ」 彌四郎はいよいよ落付きはらって、自分で三人の盃をみ「八蔵、おぬしに頼もうか」 「さあ、それがしではちと : たしていった。 カ城持ちになる 「荷は重いぞ。誰にしても重い荷じゃ。・ : 「これは大切なこんどの計画の点睛でござるそ。よいか か、それとも生涯年貢米の鼠追いで終るかの境地でござる 「その書面は拙者が認めるが、それを減敬か下条伊豆に渡そういったあとで、彌四郎は懐紙を出して三つに裂いた 「くじびきといたそうかの。それならば異存はあるまい」 したのち、勝頼公の誓書を頂いて参るのだ」 裂いた紙を彌四郎がより出すと、三人はいよいよ小さく 「勝頼公の誓書を ? 」 「さよう。無事に徳川家を滅したる後は、岡崎城とその旧固くなった。 領、われらに下しおかれるもの也という誓書じゃ」 「岡崎城と旧領を」 三人はまた顔を見合せてうなすきあった。 くじは作られた。 三本のうち、一本だけが少し短く紙の先が千切ってあっ た。それをひいた者が密使に立つのである。 彌四郎は三人のおどろく顔がおかしかった。 「よいかな、それで拙者は岡崎城のあるじ、お身たちにも 三人三様、こわばった表情だったが、わけても八蔵は心 115
「その合図を待って、勝頼公みずから岡崎へご出陣ありた 四 い。いや、城攻めをせよと申すのではない。途中でそれが 彌四郎の妻女が、若党とともに膳をささげて出て来たと しが道案内に立とうと心得る」 「なるほどのう」 きには、減敬はもはや神妙な医者にかえって、彌四郎の首 「夜に入って大手前へ到着し、殿が長篠攻めの陣中より帰すじに鍼を打っていた。 : これは声高にそれがしが城内へ触れようと打合すべきことは完全に打合せた。 城されたと : 、い得る。そこで勝頼公は粛々と入城なされば、一兵も損ず家康のこれからの動きは逐一わかっていったし、彌四郎 ることは、こざるまい」 の戦略は減敬が考えてもまさに至妙と称するに足りた。 減敬はそっと庭の明るさに眼をそらした。すでに暮色は信康を初陣に出したまま一兵も血ぬらすに岡崎城を手に うす紫から黒に変って、厩の屋根に星がチカチカと見えだ 入れる。家康にとって岡崎城は心のよりどころであり兵糧 した。まだ出て行くには少し早い。減敬はまた膝をすすめ倉でもあった。 これを占領しておいて、あわよくばその子信康も質にす 「すると、その時には信康どの、われ等に同心されているる。 こうなってはいかに強情我慢な家康も、甲斐の膝下にひ とのご計算であろうか。あのご気性では、たとえ入城され れ伏すより他になくなろう。 たあととて一戦せずばやまぬお方と心得るが」 「お待ちなされ。もう一つ手土産」 「ほんとにひどい暑さで。さ、おひとっ」 足軽だったときの習わしで、彌四郎の妻女はみずから減 「ほほう、これはまた鄭重な」 「されば、その折には、それがしから殿にすすめて、若君敬の前へ銚子をささげていった。 には必ず初陣をおさせ申そう。年若ゆえ初陣は武節か足助「これは恐れ入りました。奥方さまのお酌では罰があたり : とすればこれも留守ゆえ間題はござるまい」 まする」 減敬は大形に手を振って辞退した。その代りに飯だけは 彌四郵はとろりと言って眼を細めた。 四たび替え。 100
いる岡崎の一隊か粛々と吉田城へむけてすすんでいき、彼 くれがた は、その翌々日、五日目の昏方に味方の筈の領民のため に、 ) いに動脈を引き千切られて死んでいった。 400
の回し者とは : 「お濃、兵助が何か話があるという。湯をとらせ」 着換えをととのえて待っている濃姫にそう言いすてて縁言いかけて夫人をかえりみて、 「お濃、これは姫の嫉妬ではあるまいかの」 側へあぐらをかいた 「何だ兵助」 夫人はちょっと首をかしげたまま黙っていた。 「ほかでもござりませぬが、岡崎の奥から、ちと聞きずて「おぬしにも覚えがあろう。姫はまだ子供じゃ。もし嫉妬 : してそのあと であったら叱ってやらねばならぬが : ならぬ便りが参って居りまする」 「なに徳姫のもとから。よし聞こう」 「姫さまには、まだ何もお気づきないと申されました。 そこへ濃姫が手ずから茶をささげて入って来た。 が、あやめと同腹と思われるはその父減敬と申す医者の由、 また医者を通じて家康様御台所が、ひそかに甲州へ気脈を 通ずるおそれがあり、ご汕断なきようにとの知らせにござ 信長はちらりと夫人をみて、 り・寺した」 「お濃、おぬしも聞け。岡崎に何かあったそうじゃ」 「岡崎に : : : 」 猪子兵助はそこまで言って夫人をみるとまぶしそうに瞬 夫人は信長と猪子兵助を等分にながめながら、四、五尺 すさってそっと膝に手をかさねた。 「配下の口上、そのままに申しまする」 兵助は縁に両手をついたままで、 「おお、申してみよ」 「城中の小侍従と申す腰元から、それがしの配下への連絡「家康様と御台所のおん仲わるく、御台所は医師の減敬と によりますると、三郎信康さまの側女、あやめと申上ぐるやらを、ひそかにご寵愛、目にあまるものあり、と : : : ご お方が、甲州の間者のようだと申しまする」 ざいました」 「なに、信康が側女をもったと」 ノ」信長 「なに、御台所が医師と通じて : : : ワッハッ、ツ、 は豪陜に笑いとばした。 信長は思わず声高に言って苦笑した。 「そのようなたわけたことがあるものか。で、それだけか 「非難もなるまい。おれにも覚えのある事だ。しかし甲州 8