「むろんのこと。いつでもお相手を」 長政は地だんだ踏んで、 不破河内は長政が父の降服など信じていないと知ってい 「われ等が若し虎御前山へ赴かなんだら何とするぞ」 て、平然と嘘をついたというのであった。 そうなると、長政は、この鶏卵を想わす男に肚の底の底河内ははじめてぐっと表情を引きしめた。 とのとは思うて居りませぬ」 「最初からお出なさる備州。 まで読み切られていたことになる。 「なにツ ? それを知っていながら、われ等をここまで案 相手が落着きはらっているので、長政の血潮は逆流し 内したと申すか」 「備州どの : ・・ : 」 「小癪な。では父は山王丸で切腹召された。それをうぬは と、河内はまた声を柔げた。 知っていたのだな」 「ご存分に武将の意地を貫きなされ、姫たちは、そうした 「むろんでござります」 立派な父の子と、御大将が誇りを持たせて育てましようほ 4 河内はいぜんとして表情も変えなかった。 2 長政は、もう一度低くうめいた。 この時ほど、信長と、そしてその腹心の緊密さを羨しく 河内に淡々と答えられて、長政はせき込んだ。 感じたことはなかった。 「するとうぬにわれ等を欺せと命じたは信長か」 彼等はすでに長政が何を考え、何を希ってこの戦にのそ 河内はゆっくりと首を振った。 「御大将は、ただ備州どの父子を助ける手だてを : : : と仰んでいるかを掌を指すように知っていたのだ : 父が降服したなどと言って来た河内の裏をかいて、赤尾 せられたのみ」 曲輪の味方と合併、はなばなしく葬い合戦をする気で山を 長政は薙刀をカまかせに大地へ突いて、 降った長政の肚を : ・ 「その後の指図を誰がしたのだ」 : 知っていたのか」 「それがしと羽柴どのでござる」 「守備の味方が怪しみまする。まずーー・」 「欺いた報い、覚悟はよいな」 、一 0
武将と武将の意地を言い立て、何の考えもない者まで犠 長政はふたたび胸をそらして粛々と下りにかかった。 牲にしてよい筈はなかった。 すぐうしろからついて来る冷静そのものの不破河内に、 ( 父はすでに死んでいる : : : ) 何かはげしい言葉を浴びせてやりたかったが、それも今は 長政は、それを悟った瞬間に、父の意地から自身の意地 空しく想われた。 へ一歩すすめた。 ( 父が信長に降参していったなどと、たわけたことを口に 妻も助けよう。姫たちも助けよう。一人でも多く家臣小 して : : : ) 者を助けよう : 長政は、河内の口上などを信じているのではなかった。 どのようなことがあろうと信長の前に引据えられて生命乞しかし、そうした長政の肚を誰も知る者はない。当の不 いをする父ではないー・ーーそれを骨身にきざんで知っていな破河内は、うまうまと長政をだましおおせたつもりであろ う。のつべりとした無感動な表情でいっか長政と肩を並べ がら、信じたふりをしたのは、 ている。 ( 父はすでに自害した ! ) ( こやつをどこで叩っ斬ろうか ) 河内の言葉の裏から、生きてはいないと たからであった。 長政は松明の火が河内の横顔をあおり出すたびにそれを 田 5 った。 ( 父は死んだ : ・ そうなると、ここで頑是ない姫たちゃ、戦う意志のない 味方の軍兵を道づれにすることは長政の男の意地が許さな それに何よりも長政をおどろかせたのは、長女茶々姫の 言葉だったと言える。 「・ : ・ : まだ討死しなかったの ? 」 そう言われた時に、長政は、眼の前がまっ暗になってい った。これほど痛烈な神の戸がまたとあろうか。 っこ 0 、ハッキリ悟っ 一行は、すぐさっき、お市の方と幼い姫たちの通ってい った京極曲輪へかかっていった。 こんども羽柴秀吉は長政を出迎えた。勝ち誇った攻撃軍 の大将という気取りはなくて、どこまでも主人信長の一族 に対するといった態度で、 「備州どの、奥方と姫たちは、無事に虎御前山へお着きな 2
が立った。誰に立つのかわからなかった。信長でもない。 されましたぞ」 と言って自分に対しての憤怒でもなかっ 父にでもない。 と、ささやくように告げた。長政は不覚にも眼頭が熱く 、 ) 0 よっこ 0 強いて言えばこの天地への人間のあり方にたまらない いら立ちを感ずるのだ。 父の意地はよくわかり、自分の執るべき道も決めていな そのいら立ちがついに不破河内の上へ爆発したのはこれ がら、 もすでに敵の手に渡った山王丸曲輪のわきを通りすぎて、 ・ : ) と、しみじみ感じた。 ( 時勢は移った : ・ 意地に死に、意地に生きるいかつい武人の常識に、八方赤尾曲輪へ近づいた時であった。 赤尾曲輪へはまだ味方が立籠っていた。 破れの信長や秀吉の生き方が取って代りつつあった。 ひんしゆく 守将赤尾美作が、きびしく久政の遺志をついで、ここを しかもその中には、顰蹙すべき殺伐な非人道さと、思い 死所と決めている。点々とかがり火が樹間の闇を赤く染め がけない人情とが、あやしい度合いで交錯している。 しん 比叡山を焼き払い、虐殺の限りをつくして、全日本を震ていた。 らせつ かん 撼させた信長は、まさに悪鬼であり、羅刹であったが、そ「河内どの」 の信長が、こんどの小谷攻めで見せた手心は、まるで別人長政は、落着きはらっている不破河内をふり返ると、 「お身はこの長政を、みごと欺し終わせたと思うて居るの の感があった。 力」 長政は秀吉を見た時に、 不破河内は、ゆっくり長政を仰いで微笑した。 父はど、つしているか ? 」 「思いも寄らぬこと。備州どのは、われ等などに欺かれる 思いきり嘲ってやりたかったが、秀吉にはその隙がなか っこ 0 お人ではない」 「なにツすると、以前の口上は」 「備州どのの、ご通行に手違いないよう、虎之助、そち、 「野州どの ( 久政 ) ご降服と申さねば、奥方や姫たちのお 山王丸までお送り申せ」 命を救い参らす術がござるまい」 加藤虎之助に言いつけて、敬虔に礼を尽した。 長政は一礼して秀吉の陣中を通ると、またムラムラと腹長政はカーツと大きく眼を剥いて思わす薙刀をとり直し げ - いけ , ル だま 3 2
「あ : : : こなた様は」 「羽柴秀吉にござりまする。途中はお案じなく。おお、姫 相変らず、感情を表に見せぬ不破河内が、鶏卵を想わす たちもご元気で」 円満さで長政をうながすと、長政は、かすかに唇をゆがめ 秀吉はそういうとこばれるような笑顔を松明の光にうかて河内に応えた。 せて、 「では名残り惜しいが山を降ろう」 「ご心中、お察し申す」 「通れ ! 」 長政はまた唇をゆがめて笑いながらうなずいた。 と大きくあごをしやくった。 すでに長政に従うものは百余人。あとはいったいどうな 運命の行列はふたたび羽柴勢の堵列の下をしゆくしゆく ったのか ? と動きたした。 もう山王丸曲輪に近くなって、渓流の水音がかすかに耳斬死したものもあろうが、降った者、逃げた者の数はそ に入って来た。 れより多いに違いなかった。 河内の計らいで、長政も、長政に従う者も武器はそのま ま持っていた。 落花の匂い 織田方の注進が一行より先に、両者衝突のないよう、そ れそれの指揮者のもとへ飛ばされた。 夜はすでに三更に近かった。行列のうしろにはかつぎを かむった女たちが、十六七人いそいそとして続いている。 門を出て、一段下の矢倉の前まで来ると、長政は思わず 浅井備前守長政は、お市の方と姫たちの松明が京極曲輪 のかがり火の中に溶けてゆくのを見すまして手勢をまとめうしろを振返って、父祖三代、住みなれた小谷城の本丸を 、 0 、 ) 0 仰し まだところどころに灯は動いていたが、夜空へそびえた 本丸を敵の手に渡し、彼もまた山をくだって虎御前山の 信長の本陣におもむく約東だからであった。 まっ黒な屋根は、何かを長政に語りたげに見えた。 231
ご飯にすでに毒が入っていたと田 5 ったらしく、 ごめんなさいー 茶々も死にます。お 「ごめんなさいー 「お方はこれへ。他の者は座をはずせ」 母さまと、こ一粕に一死にますから」 お市の方は懐剣から手を放すと、われを忘れて茶々姫を長政は自分と同じ位置に信長の軍使、不破河内守を請じ 入れると沈んだ声でみんなに言った。 抱きしめた。 茶々姫も高姫も連れ去られた。 ( これほど嫌がるものを道づれにして、それで果していい お市の方は燭台越しに良人を見やって、あやしく胸のさ のだろうか ? ) 子供の行く末を憐れんで道づれにしようとしたのは誤りわぐのを覚えた。良人はむつつりと口を結んで、時々視線 を虚空に据えてゆくのである。沈着な長政にはめずらしい でなかったろうか : 泣きぐせのついてしまっている館のうちは、この出来事ことであった。 こ、またはげしく鳴咽の塔に変っていった。 「奥方さま」 をきっかけレ あしおと と、とっぜん不破河内が、直接お市の方に話しかけた。 と、その時ふたたび廊下に跫音がして、 お市の方は良人をはばかって。 「殿と軍使が連れ立ってこれへ見えられまする」 藤掛三河と木村小四郎とが、ひどく昻ぶった表情でやっ とロ、こもった。 て来た。 「備前守さま、いよいよわれらの乞いを容れられ、この城 「え ? 殿と軍使がつれ立って」 「はい。すぐにおとりかたづけを」 を捨てられて虎御前山へ赴くことになりました」 侍女たちはあわてて膳や菓子を次の間へさげていく。 「御前さまのおん前で言うこと、嘘いつわりはございませ と、入れ違いに、長政と不破河内がやって来た。 せいたい 長政の表情は出てゆくときと違って、額から唇まで青黛ん。奥方さまも姫君たちとご一緒にお立退きのご用意願わ しゅ、つ一仔じまする」 を塗ったようにまっ蒼だった。 お市の方はわが耳を疑った。あわてて視線を良人から河 8 2 2
一一、、 7 」匚一・レい、、こっこ ・・「し / オ ! 負けてはならぬ ) 一行はまた歩きだした。 死を飾るというのではなくて一人の人間の性根をその死 長政はじっと黒い空をにらんで赤尾曲輪とのわかれ路へ にちりばめてゆかねばならぬと長政は思った。 かかると、黙って道を左へとった。 長政が、最後の反撃を命じたのは、その翌朝の六ッ ( 六時 ) 右へゆけば、そのまま虎御前山の信長の本陣へ通するの 前、朱塗りの薙刀を縦横に舞わせながら長政は三度び寄手 である。 の中へ斬って出た。 不破河内はそうした長政を止めようとしなかった。 ( 備州どのの死は妨ぐるに及ばぬ ) 四 父の死を知って信長に降服する長政ではないことを、信 織田勢も波の寄せるように、人れ代り立ち代り赤尾曲輸 長も、秀吉も、河内もはっきりと知っている。要はお市の 方とその姫たちの助け出せる口実を長政に与えてやれば足を攻めたてた。 そして、その一波が寄せるたびに、浅井勢の損害は眼立 りるのだった。 った。討死する者、傷ついて捕虜となるもの、逃亡を企て 赤尾曲輪では、長政の不意の下山にびつくりしたり歓声 る者、降服するもの : をあげたりしこ。 浅井長政は、そうした混乱の中を、居間へ引きあげる 「殿 ! 大殿は昨日ついに : 「無念でござりました ! 」 そこここにまどろみかけていた軍兵 一がいっせいに起き直「和尚は居られぬか。和尚をこれへ」 と呼び立てた。 って、曲輪の内外は急にざわめき立って来た。 今も地上の争いをよそにして、秋の空は無限に澄んでい 長政はそうしたざわめきの間を一人々々にうなずきなが る。微風にさらさらと萩がゆれて、季節はずれの蝶が一 らゆっくりと奥へ通った。 まだ河内や、姫たちゃ、父の久政や秀吉の顔などが流星つ、のどかに飛んでいた。 きえ 木村太郎次郎が、長政の帰依している雄山和尚を案内し のように瞼の裏でうごきつづけていた。 いよいよ赤尾曲輪を死所とすべき運命は確定した。 ( 信て、あわただしく入って来た。刀の柄にべっとりと血のり 235
りと頭を下げただけだった。 者の姿を見ていた。 「その事ならば、居合す者が、ロを揃えて申しましたが、 長政の留守中にも、こうしたことがあったのに違いな 。お市の方があわてて袖で顔を蔽っただけではなく、気河内どのは一向に」 「帰る気配はないというのだな」 がつくと、次の間からも、その先からも、侍女たちの歯を 「是非ともお耳に入れねばならぬ大切なことがあると申さ 喰いしばって泣く声が、しずかに楼にあふれて来た。 れまして」 「お方 : : : 」 「分っていようが、それは、われらに帰順をすすめる : ・ : その他に何もある筈はないのだ」 「お茶々は、討死して行く先に極楽浄土のあるのを知らな いっか燭台が運ばれて、あたりはすっかり夜になってい いらしいの」 そういってちらりと長女をうかがったが、五歳の抗議者た。 お市の方も、姫たちも、長政の声が大きくなったので、 は眉ひとっ動かそうとしなかった。 ( これでは、いざという時、お市の方の手には負えぬ : : : 」不安そうに太郎次郎と良人を見比べている。侍女たちの中 そうだ。その時には、ここを最後まで守備させる木村太には、もう平素とおなじ明るさの者は一人もなかった。 郎次郎に命じて刺させずばなるまいーそう思った時、当死を決した館ーーーというよりも死なねばならぬ館と知っ てしまっては、こうなるのが自然であろう。何も知らぬと の木村が、 「織田方の軍使不破河内さま、、ずっと客殿でお待ちかね言えば、次女の高姫と、乳母に抱かれている、二歳の達姫 でござりまするが」 だけであった。 と、入側の端へ両手をついた。 「恐れながら」 太郎次郎は胴丸の草ずりについた枯葉の千切れをとりな 四 がら、 「軍使には会わぬ。三河にそう告げよと命じた筈じゃ」 「今夜は、このまま矛を納めるゆえ、と申されましたが」 吐き出すように長政は言ったが、 こそ「何のために納めるのだ。遠慮はいらぬ、夜襲して来いと 木村太郎次郎は、。 2 2
長政はそう言う妻を凝然と見まもり、不破河内守は、し 内、河内から良人へと泳がせながら、 きりにうなずいていた。 : 寺 : 」とで、一ど、い・、一よしよ、つか」 「それは : : : それは : 「お方 : : : 」 「用意をせよ」と、こんどは長政が吐息まじりに、 「いやでござりまする。私や姫たちはこのままここで : 「事情は変った。山王丸のお父上は、もはや虎御前山の、 信長どのの本陣に赴かれたそうな : 「お方 ! 」と、急に長政の声はとがって、 「こなた、それでは、お父上が信長どのの手にかかっても お市の方ははじめて良人の沈欝の原因を知った。 よいとい、つのか」 ( それにしてもあの頑なな舅の久政が : : : ) 「えっでは私たちが山を下らねば : 信じられるよ、つでもあり、信じられないよ、つでもあっ 「お父上の生命にかかわる。のう、聞きわけて、姫たちを て、うかつに感情は見せられなかった。 連れてひと足先に山を下ってくれ、この備前もすぐに参る」 9 その混乱を察して長政は、また呟くように、 長政はそう言うと、 「お父上も、こなたや姫たちが憐れになってお心を変えさ せられたのに違いない。この長政もすぐに行くゆえ、こな「藤掛三河、木村小四郎、両人でお方と姫たちを虎御前山 に込るよ、フ」 た達は先に参って、無事な顔を父上に見せるがよい」 きびしい声で命じていった。 お市の方はちらりと茶々姫のむずかった顔を思い出し た。全身で、両親の決めた死に反抗する幼い者の不安な顔 を : : : と、ロではぜんぜんそれと反対の言葉が、せきを切 「でもそれでは : ったように流れだしてくるのであった。 もう一度お市の方が言いかけると、 「いやでございます ! せつかく心を決めて、この小谷山 の土になろうと : : いやでございます ! 今さら生き恥を「急がねばならぬ」長政はきびしい声で叱りつけた。が、 、らしに・ : この市は信長の妹ではございません。浅井備すぐそのあとでは声をおとして、 「な : : : お父上がお待ちかね : : : 信長どのも待って居られ 前が妻でござりまする」 つぶや
「この秀吉に、浅井、朝倉の攻めを仰せつけられとう存じ ずもって策謀の根を断つが第一と心得まする」 まする」 竹中半兵衛も同じ意見とみえていぜん薄眼を閉じてい 「この信長に攻めるなというのかおぬしは」 る。 「御大将はただご出陣あれば、それがしと半兵衛とで、必 信長はフフフフフと笑いだした。 「そうか、藤吉の肚もわかった ! で、そのあとは何とすず両者の連絡を断ち、戦を有利に仕ります」 : 」信長はとっぜん大きく笑いだした。 る ? 」 「将軍を京から追った後は、河内、摂津の掃除をいたしま「猿め、この信長を労り居る。よし ! 信長の心は決っ た。乱世の精が欲する血潮、思うさま大地に吸わしてやろ する」 、つよ」 「河内、摂津の掃除が済んだら : ・ 「と、仰せられると、すぐに京へ引返されまするか」 いっか信長も眼を閉じていた。信長が訊きたいのは、い 「たわけめ ! 」 ま暮色のなかにとけ込もうとしている小谷の城を何時攻め 信長ははじめてたたきつけるように秀吉を叱りつけた。 るかとい、つことだった。 すでに準備は出来ているが、・ 五 末の妹お市の方と三人の姪は住んでいるのだ : 「これはこれは」と秀士ロは頭をかいた 秀吉は敏感に信長の心を汲みとったらしい。 「やつばりお叱りを喰ったわい」 救いようのない乱世に、新しい秩序を打ち立てようとい う信長。信長のその仕事に賭けた肉親の犠牲はあまりに大「藤吉ッ ! 」 きかった。弟信行を斬り、庶腹を罰し、わが子はそれそれ信長は、秀吉よりむしろ半兵衛に向き直って、 敵中に送って、いままた何の頑是もない姪たちまでを乱世「今は四月 : : : 麦のみのりの大事な時じゃ」 「なるはど : は生贄に欲している。 「麦刈りをすまし、田植の終る頃まで、義昭、じっと我慢 「その次には : の出来る男と思うか」 秀吉はっとめて明るく、 いぜんとしてその城に、
これも死を決して、黒糸おどしの鎧に金襴の袈裟をかけ、 と、怪我するぞ」 雑兵は一歩とびすさって、屋内にすでに事きれている二朱ぬりの大薙刀をひっさげて望楼へ立っていた。 つの屍体と一つの首を見つけると、あわてて槍をひいて家山すそからわき上る霧が、だんだん視界をうすれさせ、 の中へかけ上った。 京極曲輪が敵の手におちたのは分ったが、その下の山王丸 ころがっている首を久政の首と、思い込んだのに違いなや、赤尾曲輪はどうなったか知るべくもなかった。 とにかくこの小谷山に浅井家三代の武人の意地をとどめ その間に鶴若は庭石に腰かけて、おのれの腹に刃をあてようという悲願の戦だった。それも歩一歩と終りへ時をき ざんでいって、すでに父の久政はその屍を敵の土足にまか そして鶴若の体ががつくり前へのめった時には、もうあせているのだが、完全に連絡を断たれているので、それも ここでは知り得なかった。 たりは敵味方でいつばいだった。 かんせい こうして乱世の業火は久政や、福寿庵や鶴若太夫の死な 不意に足もとの入りみだれた喊声がやんだ。 どには一片の感傷も示さずに、いよいよはげしく燃えひろ またしても軍使がやって来たらしい。 がってゆくのであった。 長政は小手をかざして舌打した。 手勢六百を五隊にわけて、敵の近づくたびに一隊ずつ討 って出させていた。その一隊の間を鶏の卵を連想させる、 運命の使者 丸く色白な信長の軍使が落ちつきはらって、曲輪の門へか かって来るのが木の間越しに見えたのだ。 ふわかわちの すでに一昨日から三度もここへやって来ている不破河内 かみ 守であった。 寄手の攻撃は当主長政の立籠る本丸へも間断なくつづけ人間にはそれぞれ苦手があるものだった。撫でるとつる られた。 りとすべりそうな、声音までがまるい感じの河内守は、実 すでに七ッ半 ( 午後五時 ) になろうとしている。長政は直そのものに見えながら、何としても長政にはやりきれな 」 0 2