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検索対象: 徳川家康 5
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1. 徳川家康 5

どこかでしきりに鶯が鳴いている。 そろあたりが暗くなりかけた時であった。 たいまっ 雨になったら、それこそ眼もあてられぬ旅であったが、 「これ、松明をともせ。灯りを惜しむな」 幸い今日もよく晴れて四方の山なみがあいたいと霞んでい勝頼は自分の乗馬を曳いて来る供廻りの者に弾けるよう る。 な口調で言ってから、 「ワて、つか : : もう落人になっていたのか」 「御前、もう案することはない。小山田信茂がもとから迎 「は、何と仰せられました ? 」 えが参ったぞ」 昻ぶりきった様子で妻の前へ立ちどまった。 手をとっている侍女に、御前はもう一度柔かい声で言っ , 前はただよい出したタ靄の中へ陶器のような無表情さ 「舌には聞いていました。戦に負けると落人になるそうで立っていて、すぐには答えようともしなかった。 「案じたであろう。無理もない。つつじが崎の館では戦え 「えっ ? それは : : まことのことで : : : 」 ず、たのしみにして来たこの城は、まだこの通り出来上っ 「まことらしい」 てはいなかった。奉行どもめ、予をたばかって、報告して 御前はまるで他人ごとのようにだんだん色づく西の空を来た半ばも工事は進んでいなかったのじゃ」 見上げて眼を細めた。 勝頼はその工事の停滞が、民生の疲弊にあるのを知って いるのかど、フか 0 「その方がよいかも知れぬ。負けてしもうたら戦はない。 戦がなければ女子は殿御のおそばに居られよう : : : 」 「とにかく急がねばならぬ。女たちは歩き馴れぬことゆえ またすぐ近くの野梅の花かげから、澄んだ鶯の声が聞え辛かろうが、このまますぐに岩殿へ出発しよう。案ずるこ とはない。道中は灯をふやし、行列の前後はきびしく警護 させようほどに。それに、敵も夜道はかけまいでなあ」 「上さまー・」 「御前、これに居られたのか」 勝頼の言葉のきれ目で、不意に鋭、、 突きさすような御 勝頼が、ま新しい城門をくぐって出て来たのはもうそろ前の呼びかけだった。 236

2. 徳川家康 5

「は、。灯りを持参一致しましよ、フか」 失せまして・・・・ : 」 「りて、つか : 「いや、それには及ばぬ。今宵は十四日、月が出るであろ どこで斬られたのじゃ。岡崎でか」 「それが : : 」と、暫く口ごもってから、 う、窓を開けてくれぬか」 言われるまま於初が窓を開いてゆくと、 「浜松へ護送の途中、富塚とか申すところの由にござりま する。いいえ、斬られたのではござりませぬ。若殿の生 「おお、木犀の匂いがする。おかしなものだのう」 命乞いを大殿に遊ばされ、ご自害なされたと、承りまし と、信康は笑った。 「こうしたことが起るまでは、ついそ花や月には気づか なんだが、楽しみは又、思いがけないところにあるもの 信康はそれを聞くと、つと立って窓辺へ歩み寄った。 涙を見られるのが辛くもあったが、母の自害を信じかね 於初の生家の吉良氏は今川氏と同じ足利氏の出であつる気持もあった。 た。それだけに今度の事件は多感な十五歳の少年の胸に悲 ここへこうして起居するようになってから、信康には、 劇として感じられているらしく、 はじめて両親の悲劇の原因が分って来たような気がするの 1 「若殿 ! 」 声をふるわせて呼びかけると、 ( どちらも性格がはげしすぎた : 「もう、かくしてはおけませぬ。母の御前は去る月の二十 父はいかにも戦国の男らしく用心深い根づよさを持ち、 九日、この世を去られた由にござりまする」 母は女の立場に執着して一切自我を曲げなかった。 「なに母上が先月二十九日に : その何れが正しいかは信康にきめかねることでもあった ただちか 「はい。それを忠隣どのに聞かされたのは、この十日のこが、二人をそうさせた裏には、育って来た世界の相違がは と」 つきりと感じられる。 「そうか : : : 十日から四日間、こなたは一人で胸におさめ ( 父のように育てられたら、父のようになるであろうし、 ていたのか」 母のように育てられたら大抵の女は母のようになるであろ ・ : 若殿のご胸中を察しますると、申上げる勇気も もくせい ・ 6 ) 0

3. 徳川家康 5

「その方、亡国踊りにうつつをぬかし、衣裳の醜い百姓をを、徳姫の告口からと思いこんでいる証拠であった。 斬り捨てた覚えはないか」 信康はやがて放心したように坐り直した。 「それは : : : それは、その者が、この三郎の命を狙ったゆ「今、おさからいあってはなりません。この場はひとまず 大浜へ : 「申すな。鷹狩の帰途に何のとがもない僧侶を馬の鞍に結親吉が信康の耳もとでささやくと、信康はみどり児のよ うな素直さでこくりとした。 いつけて殺したのは誰であったぞ」 「さあそれは、もはやお詫びの済んだこと : 「では、大浜へ発っとしよう」 「榊原小平太に雁股の矢を向けた覚えはないか。尾張から 「それがよろしゅ、フござりまする」 ついて参った小侍従を手討ちにした覚えは : : いやそれだ 「今日は八月三日であったの : : : 奥方にも姫たちにも会わ けではない。武田勝頼に内応し、築山殿とともにこの家康ずに参ろう。わるい日であった」 を討とうと計った不届者。親吉。信康を引立てえ」 また岡本平左が号泣しだした。 「あっ ! お父上 ! お父上 ! それはあまりな : : : お父誰もまともに信康を見得る者はない。その間を信康は、 魂のぬけた人のようにゆらりと立った。 だがその時には、すでに家康の姿はそこにはなく、野中「みなに心配かけた。が・ : 騒ぐまいぞ。この上父上を怒 重政と、平岩親吉とが、信康の両手にすがって泣いていた。 らせては相ならぬ」 列座のうち、顔をあげているものは本多作左衛門たご 信康の眼には家康が立腹しているとしか映らぬらしく、 人。それも、じっと天井を睨みあげて、はげしい感情をお立上るとじっと軒の雨音に耳をかしげて心をしずめる様子 であった。 さえている。 不意に、岡本平左衛門が、声をもらして号泣しだすと、 五 家康について来ていた松平家忠は、 「若御台はむごいお方じゃ ! 」 近侍が信康の出発を知らせて来ても家康はしばらく身動 と、しばりだすようにつぶやいた。みな、みなこの悲劇きもしなかった。 159

4. 徳川家康 5

たえた泣き笑いの顔であった。 たのか」 「大殿が、お待ちかねでござりまする」 「いきなり妙なことを仰せられまする。この三郎が、父上 をないがしろにしたなどと : 「よし、案内致せ」 : そのようなお戯れ 信康が大広間へ入ってくるのを家康は、正面の上段からを : : : 当分戦らしい戦もないゆえ、大浜で、しばらく釣り か鷹野でもせよというのであろうか。それにしては、お父 水のように見おろしていた。 「お父上、お出迎えも致さず : : : 」 上のみなりの仰々しいこと」 信康はその父を睨みあげるようにして坐ると、こんどは「控えよ信康」 家康は、うろたえてゆくわが子を見るにしのびず、 不意に言いようもない悲しみに襲われた。 一座はシーンとしてしわぶきする者もない。上座に坐っ 「親吉、重政、小平太、早々に信康を大浜へ移すのじゃ。 ていた本多作左衛門が、半ばひとりごとのように、 よいか信康、違背はならぬぞ。大浜にて沙汰を待てツ」 「本日より、当岡崎城の留守、この作左が仰せつけられま そう言いすてて立とうとした。 「お待ち下されツ」 そう言うとはじめて家康はロをひらいた。 と、信康は切り割くように呼びとめた。今まで笑ってい 「三郎信康、その方儀、今日限り、この城を追放、当分大た顔が見苦しいまでに引きつり、眉尻も唇辺の肉もヒグヒ 浜にて謹慎申付くる」 クと震えている。 あらゆる感情をおしころした巨石のような言葉であっ 「覚えがないとでも申すのか」 「はい、、こざりませぬ ! 」 それを聞くと信康はカーツと眼を剥いて父を見上げた。 信康はたたき返すように答えて、膝で二、三歩追いすが っこ 0 四 「この三郎は、お父上の子でござりますに」 「黙れツ」 信康は不意に大声で笑いだした。 もはや自分の感情を自分であっかい兼ねた若者の、うろ家康の眼は赤くなって、じっと信康にそそがれた。 っ】 0 158

5. 徳川家康 5

と、家康は手綱をくりながら、 信康は、それでもまだ、自分の身の破滅が来たとは田 5 っ 「日本のために、生かしておけぬと言われる右府の心を汲ていなかった。たとえ一時の誤解はあっても、信長は舅で んで、わが子の城へ攻入るのじゃ」 あり、浜松には父がいる。誤解をとくため、あれこれと交 渉をつづけて行くうち、必ずわが身の潔白は立つであろう 「そのようなことは聞きとうござりませぬ」 「わしも言いたくない、言いたくないが、それが事実なのと信じていた。しかし、母の築山御前の場合は、そう簡単 には行くまいと思われた。 ・ : 作左、油断すまいそ。二人でな、初陣の日のように 用心深く、気を引緊めて、必すおくれを取るまいぞ」 今にして思うと、減敬もあやしかったし、大賀彌四郎と 作左衛門はそれを聞くと、自分から馬首をめぐらして行母との連がりもあったと見える。 列の後へはなれていった。 野中重政のいうとおり、もしも母へあてた勝頼の書状の そう言えば、あの一途な三郎信康、或は、信長の不当を写しなどが、信長の手中に入っていたのでは、いかなる言 鳴らして、父と一戦する気にならないものでもなかった。 いわけも無駄に隸えた。 城下をはなれると雨はたんだんはげしさを増して来た。 ( そうだ、これは直接母にただしておかねばならぬ : : : ) 信康はその日も、午前中は馬場ですごし、午後になって 小雨の中を築山御殿へ出かけていった。 御前の侍女はあれからすっかり変っていて、出迎えたの はお早とい、つ小娘だったが、信康を見ると、ホッとしたよ うに、御前の居間へ案内した。 何か叱言を言われていたらしい。 酒井左衛門尉忠次が、岡崎を素通りしてそのまま浜松へ 「母上、お加減は ? 」 戻っていったということは、ひどく信康を不安にした。 , 前はまだ起き出したばかりと見え、居間の中央に毛氈 「これは、おれの考えているよりも悪い事情にあるかも知を敷かせ、鏡を立ててかねをつけていたが、 れぬ」 「おお、これは三郎さまか。珍し い。さ、早くあたりを取 追放 154

6. 徳川家康 5

きもせすに見送った。 「この町の凡その事は調べてゆきたい。高カ清長、榊原い 民のために平和が大切ゆえ告げるといった。生母の知人平太、二人にその旨伝えておけ」 平八郎忠勝は、小首を傾げたまま、 で、そして娘は淡いながらも血につながる : 「それならば、みな、あれこれと書きとめてござりまする 「松丸ツ」 力」 家康は何時になくせき込んだ声で、 「そうか。人の数はどれほどじゃ」 「平八郎を呼んで来い。忠勝を」 「よッ 「かれこれ七万二千とか」 「内、男の数は」 「誰にも知れぬように。そっと参れと」 「よッ 「はい、三万五千足らず、女の数がうえ越す由」 鳥居松丸が、小腰をかがめて廊下を出てゆくと、家康「酒蔵の家が眼立っていたが造石高は」 「六万石に及ばうかと、友閑さま側用人の覚えにござりま は、脇息に片肘もたせて、そっと両眼を閉じていった。 波太郎の蕉庵と、木の実の顔があざやかに瞼の裏でおどす」 ってゆく 「鉄砲鍛冶はどれほどじゃ」 「凡そ八百、一年に約三千挺を作り、みな橘又三郎からひ ( 光秀に事実叛心があるとせば、手兵を連れずに京へとど ろがった旨の由で」 まる信長は : ・・ : ) 「出入りの外国船の数は年に幾艘」 「殿、平八にござりまする」 「さあそれは 本多忠勝が、あわてて部屋に入って来たが、家康はまだ 「遊女の数は」 眼を閉じて、深沈と考え込んだままであった。 「まだ : 「切支丹信仰のこと。寺院の数、積荷の先々とその内容、 それに : 「平八、折角堺へ来たのだからな」 家康はまだ眼を閉じたままでばつりと言った。 といって家康ははじめて眼を開いて、 346

7. 徳川家康 5

「十、ツ 「九八郎、よいか。おぬしはなにも知らぬでよいそ。た 「もしそれが、そちの口から言い憎くば、わしはまだ何もだ、馬を届けに参った体に致せ」 知らぬことにしておいてもよいそ。そちたちが浜松へ帰っ 二人が立ってゆくと、家康は又ばんやりと考え込んだ。 てみると、何も知らぬわしが、信長どのへ進上する名馬が 九 手に入った。もう一度すぐに曳いて行くように : : : そう命 じたと言うがよい。何も知らずに浮々としているゆえつい 忠次と信昌がさがっていって、四半時もすると、次の間 言いそびれた。何とそいま一度、三郎がこと考え直してはで野太い作左の声であった。 、。相分ったか、わしの心が」 一さる、まいかと一一「ロ、つ・もよし 「殿、入ってもよろしゅうござりまするか」 「十、ツ 「作左か、入れ」 忠次はそう言ったあとでもう一度、苦渋にみちた表情で作左衛門は、昨日とは打って変ったもの静かな動作で人 押し返した。 って来ると、木綿の袴をなでるようにして坐った。 「それでも尚、信長公、おきき入れない時は : : : 」 今日は昨日はど風がない。開け放してある庭の青葉が、 忠次は、いったん言い出した信長が、忠次の弁解などに強い陽差に息をひそめているようだった。 耳は貸すものかと考えているらしい。 「殿、もはや事は決着しましたなあ」 くっと怒りがこみあげた。 「使いは無駄だったというのか」 それが分ると、家康は、。 さえもんのじよう 「ただ今、両人を見送って参りましたが、左衛門尉、はじ 「その時には、お受けするよりないと、始めから申してい めから弁疏の心はござりません」 るのが分らぬのかツ」 「よッ 「わしにもそう見えたが、やはり・・・・・こ 「急いでゆけ。曳いて行く馬はすでに九八郎に命じて用意 「まさか、あれだけの男が、女子の怨みで、あらぬことを させてある。そちとて子供は持っていよう。とこうの思案ロ走ったとも思えぬが、何か三郎さまへの不平を自分で漏 したのかも知れませぬなあ」 は途中でせよ」 「かしこまりました。ではすぐに引返して参りまする」 「なに、女子の怨み : : : とは、何のことじゃ」 おなご 736

8. 徳川家康 5

立になりそうな気配はなく、今日はこのまま乾いて暮れてすぐに次の間いを出した。 ゆくのであろう。 「どうしたのだ。忠次か、忠世から、何か言って参ったの 力」 「殿 ! 」 家康がもう一度、信康からいま、福松と名づけたみどり 「はい。両人とも、顔いろ変えて立戻り、ただいま本丸で 児まで、ひとわたりわが子の顔を思いうかべて歩いている殿を待って居りまする」 ところへ、い っ放れていっていたのか、せかせかと作左が 「両人とも顔いろ変えて : ・・ : ? 」 戻って来て、ひどく昻ぶった様子で声をかけた。 「殿 ! ついに信長め、大きな難題を持ちかけましたそ」 「何だ作左、おぬしらしくもない、何かあったのか」 「石山の本願寺でも攻めよと言って来られたのか」 「なかなかもって、そのようなことではござりませぬ。お 「殿 ! 信長めが、ついに牙をむき出しましたそ。もとも 愕きなされまするな。岡崎の三郎さまを : : : 」 とあ奴は狡猾無類な猛獸なのだが」 言いかけて作左は顔いつばいに憎悪を見せ、 「たしなめ作左、何というロの利き方をするのじゃ」 そうは言ったが、家康の表情もサッと鉛をはいたように 「わしには言えぬ。早う両人に会うて下されツ」 曇っていた。 家康はその一言で、ぐさっと胸を刺されたような気がし どうやら彼がひそかに恐れていたことが事実となって現 他人が驚いたり昻奮したりすると、わざととばけた落付われて来たらしい。 「挈、、つか・ き方を装うのが本多作左のくせであった。 その作左が眼を血走らせ、唇辺の肉をビクビクと震わせ 空を仰いでつぶやいたまま家康はもう何も言わなかっ ている。 た。とりわけ急ぐでもなく、狼狽の様子も見せない。だん いや、それよりも、近ごろの信長が、何となく家康のこだん肥りかけて丸味をました額に、しっとりと汗がにじん ころに気になる影をおとしていたせいかも知れない。 で光っていた。 きびしく粗暴な言葉づかいをたしなめておいて、家康は 本丸へ人ってゆくと、もう空気はがらりと変っている。 128

9. 徳川家康 5

「と、仰せられますると、あの手紙を証拠に、どなたをお「ふつつか者はよく分って居りまする。が、ふつつか者に は、ふつつか者の婦道がござりまする。こればかりはどい 責めなされまする」 止って下さりまするよう」 「それもうぬには分っていようが」 「ならぬ ! 」はじめて信長の声が大きくなり又小さくなっ 信長が歯をむいて舌打した。 「お方はマムシの娘であろう」 いえ、只今は違いまする。右大臣信長の妻にござりま「織田の上総ならばのう、姫の婿は三河の親類、どこまで も結東して、互いに生残ってゆかねばならなかった。が、 する」 右府ともなれば、その思案はつねに天下になければなら 「小賢しいことを : ・ : こ 信長は、御前の表情が、蒼白に硬ばって来たのを見るぬ。この道理の分らぬお方ではあるまい」 と、こんどは頬を崩して笑った。 「よいか。わしが岐阜の城から、何一つ持出さず、尾張と 9 「あの手紙でのう、おれは家康に信康を斬らせる決心をし 美濃の国を添えて信忠に遣わし、裸になってこの城へ移っ たのじゃ。御前にそれが分らぬ筈はよもあるまい」 た心は、もう岐阜の信長ではないぞと、われとわが心の置 「分るゆえに、おとどめ申しまする」 き方を変えようためじゃ。岐阜の信長なれば、わが子ゅ 御前の声も弾き返すように鋭かった。 「もはや、殿は織田の上総ではござりませぬ。右大臣信長え、わが婿ゆえ、わが親類ゆえと仕置の悪さに眼もつむろ みだ 公がわが一の姫の婿を、事を構えて斬ったとあっては、後う。が、安土の信長は違うのじゃ。天下を紊す奴、国内平 定の邪魘する奴は、わが子であろうと婿であろうと容赦は 後までも大きな瑾になりましようそ」 出来ぬ。お方にその道理がわからぬは、お方がいまだ岐阜 信長はもう一度頬を崩して、 の女房どもで伸びぬ証拠と思わぬか」 「小賢しい : 」と、あざ笑った。 濃御前はしばらく強い眼をして信長を見上げていたが、 「お方は、いまだに織田の上総が女房どもじゃ。伸びが足 やがて立って手文庫の底から一東の手紙を取出して信長に らぬ。伸びが足らぬぞ」 」波した 0 しかし濃御前も譲らない。

10. 徳川家康 5

寒い風が斬りこむように肌を撫でて、濡れているまっ毛 がチグリと痛んだ。 「殿 : : : お先に : : : 」 どうせ一度は、みな死ぬのだと無邪気に思い、そのまま あやめは闇の中へ消えていった。 家康にとって雌伏の期間であった、天正四、五、六年の あやめが、奥庭の、こんなところでよくと思えるほど低三年間は信長にとっては完全にその覇業の基礎を固めさせ い松の枝に、さがって死んでいるのを見つけたのは信康だ た、破天荒な活躍期間であった。 っ」 0 わが築城史に前例を見ない壮大さで安土城は完成し、そ 夜があけると、信康はもはや、父にまさった武勇を希うの掌握する領土は、大和、丹波、播磨を加えていって五百 この城の主であった。 万石におよび、位は正二位にすすみ、官は内大臣を経て右 かわや 彼はあやめは厠へでも立ったのであろうと思い、起出す大臣に昇っていた。 とすぐに馬場へ出て行こうとして、一枚あいている雨戸の かって鎌倉に幕府を築いた源頼朝は右大将、平重盛は内 すきから細く霜の降りこんでいるのを見つけ、 大臣で終っているので、安土城が完成し、その天守閣に移 「誰じゃ、このような所を開けておいたは」 った天正七年五月十一日には、信長の官位は頼朝、重盛の 鋭く言いながらふっと庭先を見やったのだ。 上になっていた。 一瞬彼の眼は地上すれすれに下ったまっ白なあやめの足 といって、信長の持って生れた性格は変りようがなく、 おどろ に釘付けられたが、 愕いて走り寄って来る侍女を見ると、 その日信長は、惟任日向守となった光秀を従えて、出来上 そのまま胸をそらして廊下を表へ去っていった。 った天守のさまを、次々に見てまわっていた。 いちばん下は高さ十二間あまりの石土蔵になっていて、 その上に七階の建物があたりを圧してそびえていた。 入道雲 - 一れとう 114