左衛門 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 5
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1. 徳川家康 5

「そうか。待っていました」 聞かぬどころではなかった。 はじめて御前は暮色の空から眼をはなして、 徳姫が信康の生命乞いに自分を安土へやって呉れるよう えんさ 「すぐに会います。これへ」 にと、家康に泣きすがった話がひろまると、家中の怨嗟は いぜんとして、冷たく澄んだ表情のまま室内へもどって 御前一人に集中していった。 上座にすわった。 「ーーあの立派な若殿を誤ったは、御前なのじゃ」 とも 「みの女、そろそろ暗くなろう。灯りを点すがよい」 いったい何を考えて甲州へ内通などしたものか」 慎しみのないお方ゆえ、減敬めの手管にかかり、色そこへ重政を先頭にして三人がやって来た。 に迷うてこの始末じゃ」 「ーー色に迷うてわが子を滅す、これこそ悪妻、悪母の手 「今年は、いつにのう秋の歩みが早いようで」 本じやわい」 そんなことを口々にささやき合うばかりか、みの女の姿野中重政はそう言うと、ちらりと上目で築山御前を見や を見かけて、 「今日は大殿のお使いゆえ、座を改むるが至当にござりま 「ーーあの、人でなし、まだ自害もせなんだかや」 つけつけとそう訊ねた足軽さえあった。御前が自害しするが、私事にわたる話もござりますれば、このままで結 て、勝頼に内応したのは、わが一存と申開きをしてくれた構にござりまする」 と言い添えた。 ら、信康が助かりはすまいかと考えている者が少くない証 拠であった。 築山御前はすぐそれには答えなかった。 みの女が運んで来た燭台の灯で、ポーツと室内の明るく 「申上げます」 今はただ二人だけの侍女の一人、あずさが御前と、みのなるのを待って、 女のうしろで声をかけた。 「大儀であった。この瀬名は家康が正室ゆえ座は改めるに 「ただいま、野中重政さま、岡本平左衛門さま、石川太郎及びませぬ」 三人は思わず顔を見合せた。 左衛門さまご同道にてお見えにござりまする」 17 /

2. 徳川家康 5

も、小笠原彦三郎も、森川備前も孕石和泉守も朝比奈彌六 郎も松尾若狭守もみんな死んだ。 そして前後九年を要した高天神城の争奪戦はついに再び その日の戦が、如何に凄烈をきわめたかは後になって分 ったのだが、その時の「首帳」には徳川方の諸将の討っ家康の勝利となって終りを告げたのである。 いや、高天神の城の勝利は決してこの局地だけの勝利で た、名ある武士の首の数が左のように記録されている。 はなく、武田勝頼の運命に大きなかかわりを持って来るの 百七十七大須賀五郎左衛門 百三十八鈴木喜三郎、同越中守 とにかく再びあたりが静けさを取戻すと、牢番の作蔵は 六十四大久保七郎右衛門 ( 忠世 ) おそるおそる坑道を這い出していった。 四十一一酒井左衛門尉 ( 忠次 ) 源三郎はいぜん頤の下で合掌したまま坐りつづけてい 四十一楙原小平太康政 る。 四十石川伯耆守 やがて五、六人の足音が、高い話声をひびかせてや 0 二十六石川長門守 て来た。 二十二本多平八郎忠勝 二十一本多彦次郎 「足かけ九年前の捕虜がいまだに生きているというのだ」 「誰であろうかの」 十九鳥居彦右衛門 十八本多作左衛門 「早く案内せい。これこれ暗いぞ。灯りを点せ」 その物音で源三郎は眼を開いた。 総数六百八十八とあるのだから雑兵、小者を加えたらそ もはやそれが味方であるとは分りすぎるほどに分ってい れはおびただしい数となり、あたりの谷は首のない屍体でた。 埋めつくされたといってよかった。 「さ、ここでござりまする。この格子のうちで」 作蔵は、自分が敵方の牢番であったことなど忘れたよう 城将栗田刑部と、その一族はむろんのこと、岡部帯刀も に声をはずませている。 岡部丹波も、三浦右近大夫も、油井嘉兵衛も、名倉源太郎

3. 徳川家康 5

その憎悪はよく分るし、何の力もない御前のことゆえ聞重政、こなたも知る通りこの信康、父に叛いて武田勢〈内 流しておいたのだったが、或いはそれがぬきさしならぬ不応する心などありようはない。おれは必すこの身で、父へ も舅御へも申開きはしてみせる。案じて事を荒立てるな」 幸を招いたのかも知れなかった。 「その儀はしかと : 「そうか。おれはその母の子でもあったか : 「よし、さがっていてくれ」 すぐ軒下でまた一匹油蝉が火のついたように鳴きだし 重政は信康の頬にも唇にも血の気のなくなっているのを 見ると、これは一大事と思いながら、 「若殿にもお案じなされまするな」 と、笑顔を見せずには立てなかった。 「実は、その他にも、い当りがござりまする」 「この重政、自身で左衛門尉どののお帰りを待ち、つぶさ がつくりと首を垂れていった信康を見ると野中重政は、 に事情を確めまする」 痛ましそうに顔をそむけて言葉をつづけた。 信康は答える代りに、じっと宙を見据えて何か考えてい : と、申しまするは、酒井左衛門尉どの、心の中で は、築山御前をひどく危ぶんで居られたことにござりまする様子だった。 こうして、岡崎城には、表面静かな日がそれからも暫く つづいた。 「危ぶんでは、いたであろう」 もう家臣の誰彼は、みなこの噂を耳にして、どうなるこ 「若殿にもお分りでござりましよう。左衛門尉どのは御前 とかと自 5 をひそめている。ただ築山御前と、臣だけには を、いっか徳川家へぬきさしならぬ禍をもたらすお方 : と、眉根を寄せて、われ等に洩したこと再三。その左衛門誰も聞かせる者はなかった。 「今日も、御前は、若御台さまを訪れて、殿に側室をおす 尉どのが申開きに赴いたとて : : : 」 すめするよう強談されたそうな」 「 7 も、つよい」 控えの衆の話を耳にはさんで鹹を出ると、野中重政は、 信康はたまらなくなって重政の言葉をさえぎった。 やはぎ 街道筋を矢矧の大橋のたもとまで出向いていった。 「とにかく忠次や親吉の戻りを待つより他はあるまい。が 」 0 146

4. 徳川家康 5

信長は決してあのまま怒りを納めたのではなく、家康を に至り、羽柴筑前守の指図に任すべき者也。 眼の前にして、いったんは、やむなく光秀に接待させ、ひ 池田勝三郎殿 そかに次の機会を狙っていたのだ : 同三左衛門殿 ( それは対して、自分はいったいどう応えてゆくべきであ 堀久太郎殿 つ、フ・か 惟任日向守殿 光秀は、家康には挨拶せず、そのままわが屋敷へ引きあ 細川刑部大輔殿 中川瀬兵衛殿 屋敷では、左馬助はじめ、治左衛門、十郎左、伝五郎、 高山右近殿 但馬といった連中が、廻状の写しを取りまくようにして、 安部仁右衛門殿 苦りきった沈黙におちていた。 塩川伯耆守殿 「到頭、出陣と決ったらしいの」 信長花押 光秀がっとめてみんなの感情を刺戟しまいとして上座へ 光秀は静かに見終って、 坐ると、四王天但馬守が、 「この廻状、べつに但馬が立腹するにもあたるまいと思わ 「ルスー これをご覧なされませ。この廻状の書きよう : れるが」 あまりにご当家を踏みつけたなされ方」 「殿 ! 」と、こんどは藤田伝五郎だった。 ぐいっと写しを光秀の膝元につきつけて、パ リリと大き 「殿は明智一族の御大将でござりまするそ。当明智家の命 く歯を噛みならした。 、近江、丹 を奉ずる者としては、京極、朽木の両家のほか 「但馬、歯を噛むな」 波に無数にござりまする。信長公ご譜代中で当家にまさる 光秀は小さく言って、その写しを燭台にかざしていっ は越前北の庄で七十五万石の柴田修理亮勝家どのよりほか にはござりませぬ。その名門の名を無官小身の池田や堀が この度備中の国後詰の為め、近日彼の国へ出馬すべ下位に書かれ、あまっさえ、成上り者の秀吉ごときが指揮 きもの也。これによって、先手の面々我よりさきに彼地下に入れと言われて、それでお腹が立ちませぬか」 296

5. 徳川家康 5

: などと言う者が出て来そうであった。 さりますと、それたけ言え」 近ごろではすっかり九八郎の気持をのみこんで、いつも 「お断り致しまする」 な芋なた 軽口をたたく亀姫も、鉢巻きをしめたまま薙刀をかかえ 「なに、何と言ったのだ、翼でもなければ城は出られぬと かたず すが て、良人が何と言い出すかと縋る眼をして固唾をのんでい 申したのか。それならば策はなくはない。東北の搦め手か る。灯がふやされ、みんなの顔が見分けのつくほどになるら川の中へもぐるのだ。水面にはみな綱を張りめぐらせ、 鈴をつけてあるゆえ渡れぬが、河童で参ればよいのだ。そ と、九八郎は笑いながら言った。 の方水練は達者ではないか」 「食糧蔵をとられたのう」 「お断り致しまする」 その言い方が、いかにも玩具を取上げられた子供のよう な口調だったので、松平親俊がフフッと笑った。 「何だと、おれの聞き違いではあるまいな」 「あと三日と少し : ・・ : 土を喰う覚悟で、五日かの」 「お断り致しますると申したので」 「五日はもっ亠よい」 「ほほう、その方、泳ぎを忘れたか。まさか敵をおそれて と、伊昌が言った。 のことではあるまい」 「また、織田の殿が、援軍を出ししぶっているのではある次左衛門は子供のように頭を振った。 寺 ( しか」 「何の ! 敵を恐れねばこそお断り致しまする。もはや城 九八郎はそれを聞かぬ風を装って、 の運命は五日ときまり、殿をはじめみなが討死した時に、 この次左衛門勝吉だけ城の外にあったら世の人は何と申し 「おい、次左衛門はどこに居るぞ」 と、奥平次左衛門勝吉を眼でさがした。 ましよう。あれ見よ、天正三年の長篠の戦に、落城を目前 「ここに居ります」 に控え、命惜しさに城を逃げ出した腰抜けはあれよと笑わ 「おお、そこにいたか、その方、城をぬけ出して大殿のもれまする」 とへ参れ」 一瞬一座はふしぎな緊張がみなぎった、九八郎が、この 次左衛門の断わり方にどう出るか ? 「何しに参るので」 「援軍を下されなどと言うには及ばぬ。あと四、五日でご これは一見ひどく勇ましい言葉のようで、その実士気を

6. 徳川家康 5

「その方、亡国踊りにうつつをぬかし、衣裳の醜い百姓をを、徳姫の告口からと思いこんでいる証拠であった。 斬り捨てた覚えはないか」 信康はやがて放心したように坐り直した。 「それは : : : それは、その者が、この三郎の命を狙ったゆ「今、おさからいあってはなりません。この場はひとまず 大浜へ : 「申すな。鷹狩の帰途に何のとがもない僧侶を馬の鞍に結親吉が信康の耳もとでささやくと、信康はみどり児のよ うな素直さでこくりとした。 いつけて殺したのは誰であったぞ」 「さあそれは、もはやお詫びの済んだこと : 「では、大浜へ発っとしよう」 「榊原小平太に雁股の矢を向けた覚えはないか。尾張から 「それがよろしゅ、フござりまする」 ついて参った小侍従を手討ちにした覚えは : : いやそれだ 「今日は八月三日であったの : : : 奥方にも姫たちにも会わ けではない。武田勝頼に内応し、築山殿とともにこの家康ずに参ろう。わるい日であった」 を討とうと計った不届者。親吉。信康を引立てえ」 また岡本平左が号泣しだした。 「あっ ! お父上 ! お父上 ! それはあまりな : : : お父誰もまともに信康を見得る者はない。その間を信康は、 魂のぬけた人のようにゆらりと立った。 だがその時には、すでに家康の姿はそこにはなく、野中「みなに心配かけた。が・ : 騒ぐまいぞ。この上父上を怒 重政と、平岩親吉とが、信康の両手にすがって泣いていた。 らせては相ならぬ」 列座のうち、顔をあげているものは本多作左衛門たご 信康の眼には家康が立腹しているとしか映らぬらしく、 人。それも、じっと天井を睨みあげて、はげしい感情をお立上るとじっと軒の雨音に耳をかしげて心をしずめる様子 であった。 さえている。 不意に、岡本平左衛門が、声をもらして号泣しだすと、 五 家康について来ていた松平家忠は、 「若御台はむごいお方じゃ ! 」 近侍が信康の出発を知らせて来ても家康はしばらく身動 と、しばりだすようにつぶやいた。みな、みなこの悲劇きもしなかった。 159

7. 徳川家康 5

と、家康は手綱をくりながら、 信康は、それでもまだ、自分の身の破滅が来たとは田 5 っ 「日本のために、生かしておけぬと言われる右府の心を汲ていなかった。たとえ一時の誤解はあっても、信長は舅で んで、わが子の城へ攻入るのじゃ」 あり、浜松には父がいる。誤解をとくため、あれこれと交 渉をつづけて行くうち、必ずわが身の潔白は立つであろう 「そのようなことは聞きとうござりませぬ」 「わしも言いたくない、言いたくないが、それが事実なのと信じていた。しかし、母の築山御前の場合は、そう簡単 には行くまいと思われた。 ・ : 作左、油断すまいそ。二人でな、初陣の日のように 用心深く、気を引緊めて、必すおくれを取るまいぞ」 今にして思うと、減敬もあやしかったし、大賀彌四郎と 作左衛門はそれを聞くと、自分から馬首をめぐらして行母との連がりもあったと見える。 列の後へはなれていった。 野中重政のいうとおり、もしも母へあてた勝頼の書状の そう言えば、あの一途な三郎信康、或は、信長の不当を写しなどが、信長の手中に入っていたのでは、いかなる言 鳴らして、父と一戦する気にならないものでもなかった。 いわけも無駄に隸えた。 城下をはなれると雨はたんだんはげしさを増して来た。 ( そうだ、これは直接母にただしておかねばならぬ : : : ) 信康はその日も、午前中は馬場ですごし、午後になって 小雨の中を築山御殿へ出かけていった。 御前の侍女はあれからすっかり変っていて、出迎えたの はお早とい、つ小娘だったが、信康を見ると、ホッとしたよ うに、御前の居間へ案内した。 何か叱言を言われていたらしい。 酒井左衛門尉忠次が、岡崎を素通りしてそのまま浜松へ 「母上、お加減は ? 」 戻っていったということは、ひどく信康を不安にした。 , 前はまだ起き出したばかりと見え、居間の中央に毛氈 「これは、おれの考えているよりも悪い事情にあるかも知を敷かせ、鏡を立ててかねをつけていたが、 れぬ」 「おお、これは三郎さまか。珍し い。さ、早くあたりを取 追放 154

8. 徳川家康 5

ていた。 そのままうなず 使番はふっと首をかしげて訝しんだが、 三番手の小幡上総介信貞が、赤ぞろいの騎馬武者をまた いて駆け去った。 しても馬防柵の前へ落花のように散らして退くと、四番手 こうして、左馬之助信豊が柵面へ激突してゆく頃に、五番 の武田左馬之助信豊の軍勢がうごき出した。 手の魚鱗備えの中からはずれて真田兄弟と土屋昌次の一隊 よろ これは母衣も具足も黒で固めた一隊で、鉄の集団のよう がこれまた敵の左翼に猛然と襲いかかった に結東していた。 もはや生還は三人の念頭にはなかった。 相手に鉄砲がなければ、おそらくこの勝頼の従弟は、そ 彼等は、柵ぎわで一斉射撃をあびたが、立ちどまりも、 の武名をこのあたりに轟かしたに違いない。 リ返しもしなかった。 最右翼に控えた馬場美濃守信房は、この時はじめて金鼓第一の柵は破られ、相手の弾込めする間に第二の柵に殺 を鳴らして雁峰山の麓から織田勢の左翼めざして動き出し 到した。しかし柵は三重だった。第二の柵を破って、三番 目の柵にたどりつこうとする時に、まず兄の真田源太左衛 織田勢はこれを見ると、すぐ足軽の一隊をくり出して、 門が、虚空をつかんで馬から落ちた。 また、棚の前まで誘き寄せようとかかった と同時に北方の森長村から迂回して来た柴田修理亮勝 しかし信房は、この織田勢をみとめると、すぐに進撃を家、羽柴秀吉、丹羽五郎左衛門長秀の遊撃隊が、真田兄弟 中止して、使番を呼び寄せた。 と土屋昌次の一隊に襲いかかった 「その方は、真田源太左衛門信綱どのと、兵部昌輝どの、 ここでも鉄砲は突撃路をひらく有力な先導者だった。ダ それから土屋右衛門尉昌次どのの陣まで使して呉れ」 ダンとあちこちの草むらから煙りがあがって西に流れた。 まだ若い使番の上田重左衛門はその時信房の頬に澄みと そして、第三の柵にとびかかった真田勢と、土屋勢はそ おった微笑のあるのを見てとった。 こで全く潰滅してしまっていた。 「仰せ、かしこまって」 もはや土屋昌次の姿も真田昌輝の姿もない。 「よいか。わしは考えるところあって、これより兵を前に ただ馬場信房だけが、この光景を、森かげー こ馬をとめ すすめぬ、ご貴殿たちは進んで手柄をされるようにと」 て、非情な眼でじっと見ていた。

9. 徳川家康 5

「十、ツ 「九八郎、よいか。おぬしはなにも知らぬでよいそ。た 「もしそれが、そちの口から言い憎くば、わしはまだ何もだ、馬を届けに参った体に致せ」 知らぬことにしておいてもよいそ。そちたちが浜松へ帰っ 二人が立ってゆくと、家康は又ばんやりと考え込んだ。 てみると、何も知らぬわしが、信長どのへ進上する名馬が 九 手に入った。もう一度すぐに曳いて行くように : : : そう命 じたと言うがよい。何も知らずに浮々としているゆえつい 忠次と信昌がさがっていって、四半時もすると、次の間 言いそびれた。何とそいま一度、三郎がこと考え直してはで野太い作左の声であった。 、。相分ったか、わしの心が」 一さる、まいかと一一「ロ、つ・もよし 「殿、入ってもよろしゅうござりまするか」 「十、ツ 「作左か、入れ」 忠次はそう言ったあとでもう一度、苦渋にみちた表情で作左衛門は、昨日とは打って変ったもの静かな動作で人 押し返した。 って来ると、木綿の袴をなでるようにして坐った。 「それでも尚、信長公、おきき入れない時は : : : 」 今日は昨日はど風がない。開け放してある庭の青葉が、 忠次は、いったん言い出した信長が、忠次の弁解などに強い陽差に息をひそめているようだった。 耳は貸すものかと考えているらしい。 「殿、もはや事は決着しましたなあ」 くっと怒りがこみあげた。 「使いは無駄だったというのか」 それが分ると、家康は、。 さえもんのじよう 「ただ今、両人を見送って参りましたが、左衛門尉、はじ 「その時には、お受けするよりないと、始めから申してい めから弁疏の心はござりません」 るのが分らぬのかツ」 「よッ 「わしにもそう見えたが、やはり・・・・・こ 「急いでゆけ。曳いて行く馬はすでに九八郎に命じて用意 「まさか、あれだけの男が、女子の怨みで、あらぬことを させてある。そちとて子供は持っていよう。とこうの思案ロ走ったとも思えぬが、何か三郎さまへの不平を自分で漏 したのかも知れませぬなあ」 は途中でせよ」 「かしこまりました。ではすぐに引返して参りまする」 「なに、女子の怨み : : : とは、何のことじゃ」 おなご 736

10. 徳川家康 5

た。肥満して来た家康の首すじには、あせもが赤くただれすまい。時遅れてはなりませぬ。何とそお願い、おきき入 れのほど : かけている。 「七之助」 「七之助か」 ようやくほっと一息した感じで、家康はふところの汗を家康は、汗をふきおわると、両手を突いている親吉から 眼をそらすようにして、 拭きながら、小姓たちをさがらせた。 「わしはの、おぬしの切腹は許さぬことにしたそ」と、軽 信康の事となると、まだ表立っては家臣に何も聞かせよ く一一一一口った。 うとしない家康だっこ。 「えつそれは、なぜでござりまする」 「左衛門尉どのの帰りが遅いは、事のうまく運ばぬ証拠と 「わしは武将じゃ。わしのために斬られた者、生命をおと 存じまする。この上は、強ってこの親吉のお願い、おきき した者が無数にある。分るかの七之助 : : : そのわしが、わ 入れ願わしゅう存じまする」 が子の命を助けたさに、六歳の人質のおりから、熱田、駿 「待て待て、いま汗を拭いてからじゃ」 府と、ずっと苦楽を共にして来たその方を、切腹させたと 言いながら家康は、 あっては、明日から神仏に手も合わされぬ。のう許してく 「おぬしも不運で気の毒だった」 れ。こなたの心根に、両手を合せて泣いているこの家康 : と、しみじみ言った。 : 無理はもう言わずにおけ」 親吉は、忠次と信昌が、ハッキリと信康の助命を拒絶さ そういわれると、親吉はふいに全身を固くして号泣した れて戻って来る前に、自分の首を持たせて本多作左衛門 、石川家成を信長のもとへ遣わしてくれと、再三、再四した。 家康に願い出ているのであった。 「右府さまのご不審が、たとえ何カ条ござりましようと 、もり・め、く も、それは若者にあり勝ちな過ち、みな傅役として附けら れて来たこの親吉の罪でござりまする。右府さまも、この 親吉の首をご覧ぜられたら、必ず、お命までもとは申しま この親吉は : : : 大殿を怨みまする」 「大殿 ! 親吉はまだ子供のように泣きじゃくりながら、 「大殿には、この親吉の心が、まだ分らぬ ! 」 148