この天嶮を征服して、いきなり野牛門を破ろうという甲「はツ、弓勢は」 州勢の計算は一見甚だ無謀に似て無謀ではなかった。 「いらぬ。これで勝ったわ。ワッハッハ ここからもし敵を城内に入れるようなことがあったら、 敵は岸にあがると、いきなり崖に熊手をかけたり、綱を 緒戦から味方はその信念をたたきつぶされてしまうのだ。 投げたりして岩壁をのばり出した。 誰も彼もが、ここだけは渡れるものかとたかをくくって そうした動作は甲州勢のもっとも得意とするところであ いたのである。 り、やがて二本の生命綱が垂直に中腹の足がかりまで登り 口を作っていった。 「ああ続々と渡って来る。殿 ! 」 と、また誰かが言った。 「殿 ! もはや敵が : ・・ : 」 九八郎は石のように動かない。 「待て待て」 彼にしても、これは全く思いがけないことであった。こ九八郎はかるくおさえておいて、うしろへやって来て待 の敵が野牛門に仕掛けて来る頃には、東、西、北と、外の機している八十挺の鉄砲隊をかえりみた。 「よいかあの綱一本に三十人ほどすがって来たら、二発打 敵も、必ず動き出して来るに違いなく、はやり切っている 味方は、彼の命令あり次第、すぐにも斬って出るであろつのだ、一発は上からまっすぐ全的に射よ。一発は綱を切 う。が、もしそうなると緒戦から大乱戦になってゆき、勝るのだ。おびえて的を外すでないそ」 そう言いながら、狙いのはずれた場合のために、一本に 負はせいぜい二、三日で決してゆく。 三組ずつの火繩の点火を命じていった。甲州勢は城内が意 ( あせるなツ ! ) と、九八郎は自分を自分で叱っているのだが、その苦悩外なほど静かなので、中腹のくばみまで綱がかかると、す は決して外へ見せてはならない時であった。 ぐさま九八郎の予想どおり、次々にこれにすがってのばり はじめた。 敵の先手が、こっち岸に渡りついた時、九八郎ははじめ「さ、よく狙えよ」 九八郎は大きな声も出さずに、サッと片手をふっていっ て大声で笑っていった。 「鉄砲隊を、これへと申せ」
領地を侵蝕して来るのである。 が、敵の計画だったが、 焦慮の勝頼には、それは的確に感 勝頼はその三面作戦の三方で、ことごとく善戦しようとじとれていなかった。 するのであった。というよりも、すでに三面に迎えた、敵 こうした事情の中で、勝頼が、木曾の福島城にある木曾 の何れとも妥協出来ない、切ばつまった憎悪が彼をとりこ左馬頭義昌が、織田家に寝返ったという知らせを受取った のは、二月 ( 天正十年 ) のはじめ。 にしてしまっていたといった方がよいかも知れない。 八方へ放してあった目附の一人から、 戦略上の問題よりも、それはむしろ、彼の心の問題だっ 「たしかに織田家へ、左馬頭より密使を送ってござります こうなると、支配下の諸将への出兵要求は当然苛酷になる」 そう言われた時、勝頼は手もなく敵の術中に陥ちてしま らざるを得す、それが加速度的に領民の疲弊を深めた。 しかし、その焦慮の年が暮れ、天正十年の新春を甲府でった。 すでに、その時期が来ていたのかも知れない。 迎えた勝頼は、まだ闘志にみちていた。 「なに、左馬頭が、この武田家を裏切ったと : 冬の間に兵を休め、陽春ともなれば、越後の上杉景勝と 結び、石山 ( 大坂 ) 本願寺の徒を動かして、充分にわが憎彼はいきなり癇筋を額に見せて、 「よしツ、陽春になってはあとがうるさい。ムマのうちに叩 悪を三面の敵に叩き返せると計算しているからだった。 き潰そ、フ」 しかしその計算は敵側にもあった。 つつじが崎のわが居間で、近臣も遠ざけずに言い放っ 敵側の怖れるのは、天嶮の甲州へ引っこもり、悠々と民 を養って満を持す勝頼だった。 新羅三郎以来、連めんとしてこの地に武田家が続いて来木曾義昌は、義仲十四世の源氏であり、勝頼にとっては たのは、彼等が中央の覇者などを思わず、次第に実力の蓄妹婿に当っていた。 積を計りながら、しつかり大地に根を張っていたからに他 ならない。 それだけに何とかして勝頼を遠く誘き出そうというの つ」 0 同じ源氏の出であり、妹婿にあたる木曾義昌が信長に気 230
築山御前はもう一度、おうむ返しにつぶやいて、それかを経て渡っている。それがわれら母子謀叛の証拠と風聞さ れているそうな。そのような覚えが母上にござりまするか」 ら甲高く笑いだした。 一瞬、築山御前の顔からはサッと一度に血の気がひいた。 「ホホホ : : : 浜松の父上には、いっから信長ずれの家来に 「覚えあらば、あるとハッキリお聞かせ下され。その上で なったのじゃ。わが女房や総領を、斬れの切腹させよのと 差出がましい無理を言われて、それで黙っているのか。ホ思案せねばなりませぬ。他の誤解ならばとにかく、父にそ むいて敵方へ内応したと言われては、この信康の一分が立 ちませぬ」 「母上」 「ホホホ : : : 」と、また御 ~ 則ははじけるよ、フに夭いだしこ。 「なんじや三郎どの。それでは父上は、一戦すると答えら れたのであろう。こなたの許へは徳姫という人質もあるこ「覚えがあると申したら、三郎どのはどうする気じゃ」 「では、事実母上は : 「請書を取った覚えはある。それもこれもみな敵をあざむ 6 「母上 ! 」 「その決心がっかぬようでは武将ではない。三郎どのもすく策略じゃ」 「敵をあざむく策略とは」 ぐにご用亠思なさることじゃ」 「彌四郎や、減敬を、敵方の廻し者と見たゆえ、われらも 信康はたまりかねて、ビシリと自分の膝を打った。 「その儀について、母上に伺っておきたい事がござります同心したと見せかけたまでのことじゃ」 信康はじっと母を睨んだまま、わなわなと震えだした。 敵をあざむく策略 : : : そのようなことの出来る母ではな 「潔よく一戦するためにか」 かった。とすれば、その証拠を取られたこの哀れな母を救 「その決定は後のこと。母上は勝頼へ内応の誓書を送り、 う道があるであろうか : 勝頼から請書をとられた覚えがござりますか」 と、連れて来ていた小姓が次の間へやって来て、 コんつ」 「安土にその写しがあると申されまする。母上のおぐしあ「申しあげます」と、両手を仕えた。 げ、琴女の手から、妹の喜乃に渡り、喜乃から小侍従の手「ただいま、浜松より大殿さま本丸へご到着の由、平岩親 る」
忠次が二人の前へやって来て片膝つくと、信長は手を振信長を見やった。 家康はいぜんとして薄眼を閉じて聞いている。 って、二人残った近侍を遠ざけた。 折角の妙案、どこから洩れてもならぬゆえ叱っ 「忠次、もっと近くへ来い」 「よッ たのじゃ。許せよ忠次。実はな、この信長、その夜討には 「さすがは徳川どのの片腕、さっきの策戦、信長心から感自分で行きたいほどなのじゃ。のう徳川どの、あたら手柄 を忠次に取られてしまう。惜しいことだそ」 服したぞ。実はの」 家康は、こくりと頷いて忠次に、 「陣中といえども仲々油断は出来ぬのだ。ついこの間も甘「鉄砲隊五百 : : : しつかりやれよ」 利新五郎と申す敵の間者がまぎれ込んで来ていての、これ「ははツ は、わしが、見事に逆に使うてやった。それゆえ、敵は必「気づかれぬように」 す決戦を挑んで有海ヶ原へ出て参る。だが、出て参った敵「心得ました」 がわが方の最初の一撃にあって、これはいかぬと気づき、そ「では、それがしもお暇して、早速あれこれと諸将に手く のまま引きあげたのでは漁は少い。そのために、何かよい ばりを致しまする」 : と、しきりに考えていたところじゃ。 策はないものか : 家康が丁寧に一礼して立上ると、信長は無遠慮にその肩 決戦の日の早暁、鳶の巣山の砦を乗っ取る、いや見上げたをたたいた。 オカ夜襲はの、敵に洩「ポッポッ馬防柵の杭打ちの音が聞えだした。ハッハッハ じゃ。一一 = 口一長ほとほと咸 ~ じ入っこ。 : 、 ・ : ・・・えも言われぬよい音たのう、川どの」 れては成功せぬ。それで諸将の前ではわざとその方を嘲っ かくして、織田徳川の軍議は決った。 たのじゃ。よいか、明日一日は柵の打込み、その方は明晩ひ と、同じ夜に、医王寺山の武田勝頼の本陣でも、宿将重 そかに行動を起して、敵が有海ヶ原へ出て来た時に鳶の巣 山を乗っ取れ。よいか、その方に鉄砲隊五百をさすけよう」臣たちが額をあつめて、いくさ評定をひらいていた。 百目蝓燭をたてつらねた仮屋の中はまるで蒸風呂へ入っ 「そ : ・・ : そ : : : それはまことでごギ、りまするか」 たような暑さで、諸将の顔はテカテカと油汁に光っていた。 忠次は、あまりのことにキョロキョロと家康を見やり、
ってうごきはじめている 6 と、次は八百あまりに減っていた。 「よし、これで信玄公への面目も相立った」 それがまた三隊に分れて斬り込み、更に陣を後方へひい 織田勢はこの時、丹羽五郎左衛門の一隊から再びはげした時には六百、三度び斬込ませて退いた時には二百に減じ く挑んできた。 ていた。 信房は陣頭に立ってこれを迎えた。 もはや勝頼の旗下の目印である大文字の小旗は緑の中に と、その時にはもはや信長の本陣からも総攻撃の命は下かげを没して見えなくなっている。 り、織田勢の南から東に、大須賀五郎左衛門康高、榊原小 信房は更に四度目の逆襲を敢行した。彼自ら陣頭に立っ 平太康政、平岩七之助親吉、鳥居彦右衛門元忠、石川伯耆て、縦横に馬を駆り、近づく敵を突き伏せてゆくうち、 かみ 守数正、本多平八郎忠勝など徳川方の勇将が、先を竸ってつか味方は二十人ほどに減っていた。 戦死した者のほかに、手負いも、逃亡者も、投降者もあ 柵外へ斬って出ていた。 「一人も逃がすな。眼の前の敵を蹴ちらし、勝頼の首級をつたであろうが、昨夜までの味方の威容を考えると、悪夢 の中に取残された感じであった。 あげ・よ」 「も、つよい引相物げよー・」 馬場信房の一隊はその前へ立ちふさがって攻撃の的にな 彼は、自分に続く二十騎あまりの旗本に告げ、彼自らは 何を思ったかいきなり馬を乗りすてた。 五 戦っては退き、退いては戦っているうちこ、、 冫しつか猿橋 にほど近い出沢の丘までやって来ていた。 信房は手兵を三隊に分けて近づく敵の中へ斬り込ませ あたりには生いしげつた夏草と、それを動かす風と光が そしてそれが押し寄せる敵の中に姿を消すと引きあげのあるだけで、近くには敵の影は見えなかった。 信房は草むらの上にあぐらを掻いて、はじめて全身の疲 法螺を鳴らした。そのたびに少しずつ陣を後方にひいて、 労を意識した。兜をぬいでしばるようなえりあしの汗を拭 勝頼には近づけまい作戦だった。 はじめ千二百あった手兵が、一度斬込みを敢行させるきながら、ふと信玄の幻を臉にえがいた っ一 ) 0 ほ - つきの 9
追手門の南、家老屋敷の地中から弾正曲輪の下まで来た この上は兵糧攻め」 時に、地中の甲州勢はパッタリ、城内の兵と地中で出あっ と、甲州勢の軍議は一決し、城の四方へことごとく柵を っ ) 0 めぐらし、川の中へは幾重にも繩を張りめぐらして、それ 「あっ土の中にもいやがった ! 」 に鈴をつけるという厳重さで包囲してのち、再び凄烈な兵 金掘人足の一人が胆をつぶして叫んだ時に、その突破口糧の奪取にとりかかった。 めがけて五、六挺の鉄砲が放たれた。 こうして城兵が兵糧蔵のある瓢曲輪を捨てて、本丸へ引 たったそれだけで、ここでも敵の意図はみじんに砕かれきあげなければならなくなったのは五月十四日。 その夜、敵の手におちて炎々と焼かれてゆく兵糧蔵を、 そしてその翌日の暁方こよ、、 冫。しよいよ西北に陣取った一九八郎をしばらく黙って本丸の矢倉の窓から眺めていた。 条右衛門大夫信龍の一隊がこんどは大手門間近に高い大 十 やぐらを築きあげ、城の中へ矢の雨を降らせようと試み 武田勢も、この小城ひとつに、これほど時を割かせられ この時には九八郎は笑いもしなかった。彼はこうした場ては気が気であるまい。 さくやく 合のために、鉄砲五十挺分ほどの炸薬で、今の大砲のよう が、兵糧のある瓢曲輪まで敵の侵人を許してしまった長 な大筒を作らせてあった。 篠勢の打撃は大きかった。本丸に運びこんだ兵糧は四日分 朝空にそびえたった敵の大やぐらが、まだ一筋の矢も放に足りなかった。 たぬうちに、大筒は火を吹いて、あっという間に、このや奥平九八郎は兵糧蔵の燃えおちるのを見届けて矢倉をお ぐらを朝霧の中へ吹きとばしてしまっていた。 りると、本丸へ集っている将兵の前へ、床几をはこばせて、 が、いずれにしろ一万五千対五百の戦であった。 「灯りをふやせ」 と、近侍に命じた。 四方から試みた作戦のいずれもが失敗と知ると、敵はい よいよ総攻撃に移って来た。 がらんとした大広間に、わずか二、三本の燭台を立てて誰 、、ぎよ 急いで攻めようとすれば兵を損ずるばかりと悟って、 も彼もが押しだまっている。このままでは、潔く斬死を : っ ) 0 つ」 0
「ウーム」 信長は、片足を縁からおろしてもう一度猛々しい唸り声 信長は妻の声が聞えているのかいないのか、いぜんとし を発していった。 それは茶壺いじりをしたり、蹴まりに見入ったりしていて中庭の出口をきびしく睨んで立っている。 る右大将の声ではなくて、血を見て奮い立った猛獣のうな濃御前は、もう一度声をかけようとして考え直したよう りであった。いつの間にか山田彌太郎と大塚彌三郎の両人に首を振った。 この闘いなれた猛獣は、誰に注意されなくとも、躍りか が、いずれも前髪をみだし小鬢から血を流しながら、駆け かる時は躍りかかり、退く時は退いて決して誤ることはあ て来て、これも又遮二無二敵に向って行った。 るまい 敵はドッと庭の外へひきだした。 たちばら もし奥へ退く間がなかったら、ここでこのまま立腹切っ 信長はいぜんとして敵を睨み返す面魂で立っている。 縁の端につられた蘭燈の灯が、そうした信長と、玉襷にてゆくかも知れない。 2 その猛々しい性根で訓練された若獅子たち、これはまた 3 鉢巻して大薙刀をかかえた自分の姿とをおばろに照し出し ている : : : そう思った時、濃御前は、ふっと胸が熱くなり、何という生一本な強さなのか。それぞれがすでに草に伏し たぎ 忘れかけていた良人への愛情が沸るようにのどもとへこみて這いまわるほどの手傷を受けていながら、何十倍かの敵 をまた中庭から押し出してしまったのだ。 あげた。 ( 夫婦だった : 人影のなくなった中庭へ、ひょろりとした足どりで一つ いちど闘争の場にのぞむと、文字どおり生死を超えて闘 うことしか念頭にないこの偉大な猛獣を、ついに誰の手にの影がもどって来た。 「蘭丸どのの仰せ : ・・ : 少しも早う : ・・ : 」 も渡さなかったのだ : それは、いちばん手傷の重い高橋虎松の声であった。 「殿 ! そろそろご用意なされませ」 御前ははじめて自分の声が、ある感情にふるえているの またよろよろと一歩すすんだ。手にして大刀が曲ってい に気がついた。
ものと、いつの頃からか信じきっている。 : もう出来上ったのでござりまするか」 「新府のお城は : 御前の化粧が終り、室内へ香のかおりがただよい出すと、 「まだ出来上っては居りません。荒壁がついたばかりかと こんどは御前は、琴をはこばせ、酒盃の用意を命じていっ聞きましたが、敵の進軍いよいよ急にて、ここにあっては こ 0 危いゆえ、新府の城をふせぐことに軍議一決致しました。 「もう、いつお出でなされてもよい、それにしてもお成りすぐに立退きの御用意下さるよう」 の遅いこと」 「敵 : : : 敵というと、あの、戦に敗れたのであろうか」 自分も愛し、愛されていると信じている若い御前には、 小首を傾けて訊く御前の表情は、まだあどけない十七八 良人の遅いのが怨めしかった。 の姫の顔であった。 「また誰彼と家臣たちが、つまらぬ事を、いつまでも申上 四 げているのであろう。なあ、みなの、お待ち申上げている こころも汲まず」 太郎信勝は、敗れたのかと訊ねられると、思わずはげし 待ちわびた御前が琴の前にすわって音締めをしらべだし く舌打し、しかし、思い直したよ、つに、怒りをかくした。 た時であった。 「御前はなにごともご存知ない。まだ敗れは致しませぬ が、この城では、敵は防ぎきれませぬ」 取次も待たずに、太郎信勝が、まっ蒼な表情でつかっか 「そのように大勢で攻め寄せまするか」 と廊下をわたってやって来た。 「はい。徳川、織田、金森の三軍、おそらく五万ともなり 「御前 ! お父上からの口上をお伝え致しまする」 亠よしよ、フか」 「上様からの : : : 何であろう」 そういってから、少しじれたように、 「明、早朝、この城を立ちのき、新府の城に移りまするゆ え、みなみな身の回りのものを取りかたづけて置きますよ 「それに、小田原勢も加わったら、六万になるか七万にな るか : 「では、上様は、今宵はここにお越し遊ばされぬか」 御前には五万、六万という兵数などは、ただ多いという はじめて御前は琴から手を離して信勝を仰いでいった。 3 2
と、笑う代りにため息した。 いかにも、その白旗にござりまする」 滅ぶる者と興る者。 と、事もなげに答えた。 眼に見えない何ものかがそれをきびしく裁いてゆく。 九八郎は首をかしげた。 あまりにかな勝利が、九八郎には却って薄気味わるか つつ ) 0 「その白旗をどうして、そちの組下がかついでいるのじゃ」 ( いったいこの勝利から何を学べと言っているのであろう 「この彌之助が拾ったのでござりまする」 「なに、重代の旗をそちが拾ったと」 「全く勝頼という大将、どの面さげて甲州へ戻ってゆく気 「はい。それがしの拾った時、側に居りました梶金平が、 ゃあやあ勝頼、命おし か。一万五千、ほとんど全部失ったげにござりまする」 敵の旗奉行にこう言いました。 さに遁出す途中とは言いながら、先祖伝来の旗を敵に渡す「案するな。信州へ入って行けば海津の高坂弾正だけでも とは何、ことじゃ」 八千の兵は持っているわい」 「ふーむそのようにドてていたかのう」 九八郎は彌之助を渡し口まで送っていって、しばらくそ こに立尽した。 「慌てる段ではござりませぬ。それでもさすがに旗奉行は 羞しかったと見え , ーー愚か者よ。その旗は古物ゆえ捨てた昨日までずらりと対岸に陣取っていた敵のかがり火がな くなって、滝川の面にはチカチカと星が映っている。 のじやわい。べつに新しい旗がこの通り、ここにあるぞと 申しました。ところが金平も負けては居らすーーなるほど九八郎は何故か胸がつまって、呼吸が苦しくなって来 武田家では古物はみな捨てるのじゃな。馬場、山県、内藤 「鳥居強右衛門、戦は勝ったぞ。もはやどこにも敵は見え などの老臣も、みな古物ゆえ捨ててしまったのか : ぬぞ」 すると、こんどは聞えぬふりをして逃げて行きました」 九八郎は小声で呟くと、不意にはげしく、肩を揺って男 そう言って彌之助はおもしろそうに笑っこ、、、 泣きに泣きだした。 「そ、つか。そのよ、つにの、つ」 丿ルわ
信長の武装の早さはこのあたりまで聞えていたが、九八虫は、いったん覚悟のきまるまではおかしいほどに「死」 郎貞昌はその反対だった。ゆっくりと、あの紐、この紐ををおそれる。 うなず しらべていって、楽しむように結んでゆく。 しかし、その「死」に何ほどか、頷ける理由を見出す が、いったん支度が出来ると、それからの命令は峻烈をと、こんどは放胆になり過ぎた。 きわめた。 生死一如などと悟りすましたことを言って、充分に生き 畳という畳はすべてあげさせ、襖はきれいに取外させ得る時にさえ死を執らせようとするものだった。 武田逍遙軒の手勢が野牛門の外の激流を渡ろうとしてい 万一敵に石火矢のたぐいを放たれても、すぐに火の消せるのを発見した時の奥平勢がそれであった。 るよう、建物内のいずれでもつねに太刀の振れるよう、煙「殿、いよいよ仕掛けて来ましたそ」 硝蔵のまもりと、鉄砲隊の移動は、いつでも出来るよう、 本丸の玄関前に張られた幔幕の中へ、そう知らせに来た 飲用水の使用をきびしく節するよう、その指図は詳細をきのは奥平次左衛門勝吉、 わめた。 「われら手勢をすぐって河原へおりて、敵に一泡ふかせま その日は敵はどこからも戦の火蓋は切って来なかった。 しよ、つか」 「旅の疲れをいやしてござるようだの。こちらは、退屈し九八郎は叱る代りに眉根を寄せた。 て力が余って困っているというのに」 「次左衛門、おぬし、気は確かかの」 しかし翌八日になると城の南に陣取った、武田逍遙軒の「何と仰せられます ? われ等は、まず敵の荒胆をとりひ 軍から動きはじめた。 しご、つかと申したまで」 い ! 」九八郎は立ち上って、すぐに野牛門の 武田勢は、この天嶮の要害にどこから手をつけようかと「黙らっしゃ 考えて、ついに南を選んだらしい。 方へ歩きだしながら、 「正面の絶壁は高さ二十間、それを下るまでに、どれほど 十四 の犠牲が出ると思うのじゃ」 人間の心の底には、つむじ曲りの熏がすんでいる。この「戦に犠牲はっきもの、せいぜい十五、六人も失う覚悟な 2