信長は決してあのまま怒りを納めたのではなく、家康を に至り、羽柴筑前守の指図に任すべき者也。 眼の前にして、いったんは、やむなく光秀に接待させ、ひ 池田勝三郎殿 そかに次の機会を狙っていたのだ : 同三左衛門殿 ( それは対して、自分はいったいどう応えてゆくべきであ 堀久太郎殿 つ、フ・か 惟任日向守殿 光秀は、家康には挨拶せず、そのままわが屋敷へ引きあ 細川刑部大輔殿 中川瀬兵衛殿 屋敷では、左馬助はじめ、治左衛門、十郎左、伝五郎、 高山右近殿 但馬といった連中が、廻状の写しを取りまくようにして、 安部仁右衛門殿 苦りきった沈黙におちていた。 塩川伯耆守殿 「到頭、出陣と決ったらしいの」 信長花押 光秀がっとめてみんなの感情を刺戟しまいとして上座へ 光秀は静かに見終って、 坐ると、四王天但馬守が、 「この廻状、べつに但馬が立腹するにもあたるまいと思わ 「ルスー これをご覧なされませ。この廻状の書きよう : れるが」 あまりにご当家を踏みつけたなされ方」 「殿 ! 」と、こんどは藤田伝五郎だった。 ぐいっと写しを光秀の膝元につきつけて、パ リリと大き 「殿は明智一族の御大将でござりまするそ。当明智家の命 く歯を噛みならした。 、近江、丹 を奉ずる者としては、京極、朽木の両家のほか 「但馬、歯を噛むな」 波に無数にござりまする。信長公ご譜代中で当家にまさる 光秀は小さく言って、その写しを燭台にかざしていっ は越前北の庄で七十五万石の柴田修理亮勝家どのよりほか にはござりませぬ。その名門の名を無官小身の池田や堀が この度備中の国後詰の為め、近日彼の国へ出馬すべ下位に書かれ、あまっさえ、成上り者の秀吉ごときが指揮 きもの也。これによって、先手の面々我よりさきに彼地下に入れと言われて、それでお腹が立ちませぬか」 296
き、はじめて殿が、わらわにとってどのように無くてはな家康はたまりかねて、しばらく顔をそむけ、姫たちが居 らぬお方であったか : : : それに気付いてござりまする」 間に置き忘れていった手まりを見つめていた。 家康はサッと軍扇をひらいて顔をかくした。 「舅御さま、まさか殿を特にお憎しみではござりますま 徳姫の言葉には少しの飾りもないと分ると、人生の哀し い。殿は、舅御さまのお噂をせぬ日とてはござりませぬ。 殿のご孝心に免じ : : いいえ、姫たちゃ、わらわを哀れと い皮肉が、いよいよ切なく感情をゆすぶり立てる。 「お願いでござりまする。わらわを安土へやって下さりま思召し、何とぞ追放、お赦免下さりまするよう、この通り せ。生命にかけても、殿の潔白を立てて来とう存じまする」でござります。この通りで : : : 」 五 「はい。お許し下さりまするか」 「いいや、こなたはどのような噂を耳にしたか知らぬが家康は、ひたむきに嘆願する徳姫を見ているうちに、 の、こんどの事は右府の仰せではない。この家康が一存 ( 何ももはや言うことはなくなった : : : ) そう思い、心の底から人間が哀れになった。 ちゅう 「えっ ? ではあの舅御さまの : ・・ : 」 ここへやって来るまではわが子を誅さねばならぬ父親の 「そうじゃ。それゆえ安土へ行くに及ばぬ」 悲しみを軽率な嫁に思い知らせてやりたい感情もなくはな 徳姫は一瞬、茫然として家康を見上げ、それからこんど かったが、それは暁の霧のように消えていった。 は狂ったように頭を下げた。 ( 軽率なのは決して徳姫ひとりではなかった : 「それならば尚のこと。わらわに免じて、殿をお許し下さ 信康も自分も、築山御前も信長も、それが人間である限 りませ。舅御さま、この通りでござりまする。殿が、舅御り、絶えす過誤と悔恨の間を切なく往復しあうものらしか さまにご謀叛など : : またきっとご親子の間を割こ、つとすっこ。 「舅御さま、お願いでござりまする。姫たちに免じて、何 る悪者どもの企みに違いござりませぬ。近ごろの殿は未明 のご鍛錬から夜寝るまで、一分の隙もないご精励ぶり、妻とそ殿を : : : 」 のわらわが一番よく存じて居りまする」 家康は大きく頷いて立上った。 170
ここから長篠城までは約一里。 門どのお許し下さるか」 途中で馬を弾正山まですすめてみると、足もとの連子川 強右衛門はそれに笑って答えようとしたが、もはや声は へた 出なかった。 を距てて、幾重にもかさなりあった森の深緑の向うから、 相手の武士は矢立をとって懐紙に強右衛門の最期を写し餓えにせまられた長篠城の鼓動がそのまま自分の胸に伝わ ている。 って来るようだった。 しばらくじっと小手をかざして東の空を見ていると、 場所は有海ヶ原の山県三郎兵衛の陣屋の前で、すでにタ 「殿、遅くなりまする。織田の殿がお待ちかねでござりま 陽が血潮の紅を反映しだしたころであった。 鳥居元忠がうながしたが、 家康はうごかなかった。自分 智略戦略 が、ここからただこうしてじっと見ているだけで、長篠城 へは眼に見えないある力が通ってゆく ・ : そんな気がして 立去りがたい家康だった。 「殿 ! あの腰の重い織田の殿が、ここまで出て来たので 家康と信長の連合軍は鳥居強右衛門のあとを追うかたちはござりませぬか」 しだら で岡崎を発ち、牛久保を経て設楽ヶ原に到着のたのは十八 「分っている」 日の昼であった。 「分っていたら待たせてはわるい。参りましよう」 到着すると取り敢えず信長は極楽寺山に、家康は茶磨山「元忠 : : : そなたは織田殿の腰が、なぜあのように重かっ に本陣をおき、すぐに落合って最後の軍評定にかかる必要たか分っているのか」 があった。 家康はまだ視線を東の山から森へ据えたままで、 家康は、楙原小平太康政と鳥居彦右衛門元忠をつれて仮「織田殿はな、こんどの戦では、心から、わしの役に立と 本陣を出ると、そろそろ西へまわった陽射の中を極楽寺山うとされて、それで仲々動かなかったのじゃ」 の信長の本陣へ向った。 元忠はそれを聞くと、眉をしかめて舌打した。 れんご
濃御前は笑って、答える代りに着換えの指図をしていっ こ 0 「そちのことを世間ではバケモノだと申しているぞ」 「はい。私も時々そのような陰口を耳に致しまする」 信長がさえぎっても濃御前はいっこうにひるまなかっ 「女子はな、三十三を過ぎたら、もはやそっと隠れて、わた。 が身の生を楽しむものじゃ」 他のお側衆や女房たちは信長のこの一喝でいつも口を噤 「はい。でも、まだ私は二十代でござりまするから」 んで引きさがり、そのために却って後の処理は手間どるこ 濃御前は、事実、年齢の分らぬあやしい若さで、昔を知とになり勝ちだった。 らぬ都の人々からは、せいぜい三十あまりにしか見られて「うるそう思召されてもまだまだ後が : : 」と、濃御前は よ、つこ 0 同じ調子で指をくり続ける。 あしよう みなせ 中には侍女頭位に考えている公卿もあったし、当然側室「西園寺亜相のお次が三条西、久我、高倉、水無瀬、持明 おおまち 3 と見ている者もあったが、御前はそのようなことなど少し院、庭田の黄門、観修寺の黄門、正親町、中山、烏丸、広 までのこうじ も気にかけていなかった。 橋、坊城、五辻、竹内、花山院、万里小路、中山中将、冷 おんみようのかみ 「宮内法印どのも留守ゆえ、明一日ご機嫌伺いに参上の公泉、西洞院、四条、陰陽頭 : : : 」 卿衆の名を控えさせてござりまする」 「分った : 「誰々じゃ。都もよいがそれがうるさい。今日も山科まで信長はまた大喝した。 大ぜい出居ってじりじりしたわ」 「京中の公卿の虫干しではないか」 「はい。近衛殿、同御方御所はじめ、九条殿、一条殿、一一「仰せの通り」 しようごいん たかっかさ あすかい 条殿、聖護院殿、鷹司殿、菊亭殿、徳大寺、飛鳥井、庭田、 と御前は微笑した。 田辻、廿露寺、西園寺 : ・・ : 」 「もはや梅雨に入って居ります。それゆえ、明日のご接待 、ガ ~ 劇が指をくってゆくと、一一「ロ長よ一川、、こ、 。・オカくさ、んぎつ は茶菓だけに致すよう、お坊主衆に命じておきました」 っ ) 0 「出過ぎた指図だ。。、、 カそれにしても戦には機のあること おなご 「もうよい ! 勝手に致せ」 にしのとういん
和合というはふしぎなものであった。信康が徳姫と睦も 近づくと親吉は馬からおりて声をかけた。 、フと心掛けるようになってみると、徳姫の方もまた、あっ 「おう、この鹿毛はまだまだ力が足りぬようだ。乱戦とな けないほど簡単にこだわりを捨てて来た。 っては、いもとない。尤もまだ若いせいもあろうが」 「ーーー殿、お許しなされて : : : わらわは殿を憎んだことが 信康は改めて振返りもせずに、汗に濡れた馬の前足をさ 」ざりました」 すりながら、 閨の中で、思い出したように詫びたりする總姫は、かっ 「これから川へ乗り入れて洗うてやろうかの」 「ルメ : ての日のあやめよりも素直な女に見えたりした。 ( ーーーおれは武将の子であった。わき目はふるまい。まだ 「なんだ。あとでひとつ、うわあごへ焼きごてを入れてみ あれこれ、父に劣りすぎている ) て呉れぬか。素姓はよい。名馬の素質はもっている」 「ル又 : そう思い、あれから酒も節して、夜は武辺噺に熱中し、 昼はきびしい鍛錬に没頭している信康だった。 親吉はもう一度呼びかけて、それから何かロごもった。 あえ 信康は、馬の喘ぎが荒くなりすぎたのを見て、ひらりと 「用があるのか親吉、駿河へ出陣か」 地上におり立った。 「いや、ちと、気にかかることを耳にしましたので」 信康の視線が自分の上へ来てとまると、親吉は思いきっ 「いくじのない奴め、まだいくらも駆けておらぬそ」 平首をたたいて馬に話しかけているところへ、これも騎 たようすで信康を見返した。 乗の平岩親吉がせかせかと近づいて来るのが見えた。 「気にかかる事とは ? 」 すっかり空は晴れて、頭上へぬぐったような青空がひろ「それで、それがしはこれから浜松へ往んで来ようと存じ がり、ぐっしよりと汗のとおった肌を、涼しい風が快くな まする。殿 : : : 殿は何か、酒井忠次どのに怨みを受くる覚 でて通った。 えはござりませぬか」 「左衛門尉に怨みを : : : そのような事があるものか。陣中 の口論は口論ではない。互いによかれと思うて意見を闘わ すは評定のつねのことじゃ」 「殿、ご精が出ますなあ」 139
家康はそれに眼をそむけるようにして上座へ歩くと、太「いいえ ! 」 郎左の据える床几に腰をおろした。 と、徳姫は身をのり出した。 「よく降る雨じゃの、つ姫」 「噂によれば安土の父から、殿にあらぬ疑いがかかってい る由、殿の潔白は、わらわがいちばんよく知って居ります 「こなたももうお聞き及びかも知れぬが、実は、三郎めに る。姫たちのため、すぐ安土へ赴いて申し開き致したく存 不都合のかどがあっての、この城から追放したぞ」 じまする」 「あのう : : : そのことに就いて、舅御さまにお願いがござ 「なに、では三郎がために安土へ行くと言われるのか」 りまする」 「はい、それが妻のっとめ : ・・ : と、すぐさっき気付きまし 徳姫は蒼白な顔をあげて、それからあわてて両手をつい 何卒お許し賜わりまするよう」 つ」 0 「そうか三郎がために : : これはわしが悪かった。ちと合 「何とぞ、私を安土へやって下さりませ。お願いでござり点違いであった」 まする」 「舅御さま、殿は決して悪いお人ではござりませぬ。短気 家康はじろりと太郎左と顔を見合った。姫が身の危険をにお怒りなさることはあっても、曲ったことなど露ほども 感じていると思ったのだ。 致しませぬ。それに姫たちには優しい父、わらわには、天 にも地にも代えがたい、たった一人の良人にござりまする」 四 家康の眼はだんだん大きく見開かれ、まわりが赤くなっ 「姫、こなたは内府が一の姫、決してこなたに誰も手もふていった。 「丐ル れさせぬゆえ案ずることはない」 家康はっとめて不快な表情をさけ、おたやかに言いきか し」 せる口調であった。 「こなたは、なぜ、もう一二年前に、その気になって呉れ 「いすれ、内府から、こなたの身について、お話があろなかったのじゃ」 う、それまではこのまま城に層ることじゃ」 : 正直に申上げます。殿をご追放なされたと聞 つ」 0
ここでも雨音は次第に高くなっていったが、気温はぐん一大事は、三方ヶ原の合戦のおり : : と、存念して居りま ぐん上って来る様子。 したが、こんどはそれ以上、危いことに思いまする」 季節の颱風がはこんで来る雨かも知れない。そう言え「分った。では、すぐに築山御殿へ、矢来を組ませての、 ば、だんだんあちこちの風音が大きくなった。 一切出入りを禁じてくれ」 昨日まで信康の居間であった書院に黙然と坐っている 「そのお手配はもう済みました」 と、家康は、生れて三十七年間の人生が、すべてむざんな 「そうか。では、徳姫の身辺を固めさせよと言うのだな」 悪夢のように想えて来た。 「はい。そのお指図は殿がなさらぬと、若殿の家来どもが ( いったいどこに、 このみじめな今日の原因があったので納まりませぬ」 あろうか : 「そうであった。石川太郎左を呼んでくれ。わしから直々 申付けよう」 自分と築山殿の不和のためとは思いたくなかった。 その不和の原因ならば今川義元が織田信長の手に首を渡家康はそう言ったあとで、 したことにあった。といって、信長がこれを討たなかった 「この雨、秋出水になりそうな降り方になって来たが : ら義元が信長を討っていたに違いない : 首をかしげて外をのそいて、 この世のことは、あらゆるものが、原因となり結果とな 「作左、わしは徳姫も決して斬らせぬ。その代りに、築山 って永遠に流転してゆく悲嘆の連続だというのであろう 殿も斬らせぬそ」 「それは、何の意味でござりまする」 「どちらも、憂き世の波にもてあそばれた哀れな女子、カ これも木像のように、書院の入口に坐っていた本多作左を持たぬ者など討つは武将ではないと悟ったのだ」 が声をかけた。 「分りました。殿のお心 : : : では太郎左を呼んで参ります 「そろそろ日が暮れましようで」 「分っている。が、作左、悪縁というのはあるものじゃのう」大広間ではまだ誰も立去っていなかった。 「殿お一人にあるのではござりませぬ。この作左、御家の彼等はみな、家康が、これほどきびしく、これほど性急 160
立になりそうな気配はなく、今日はこのまま乾いて暮れてすぐに次の間いを出した。 ゆくのであろう。 「どうしたのだ。忠次か、忠世から、何か言って参ったの 力」 「殿 ! 」 家康がもう一度、信康からいま、福松と名づけたみどり 「はい。両人とも、顔いろ変えて立戻り、ただいま本丸で 児まで、ひとわたりわが子の顔を思いうかべて歩いている殿を待って居りまする」 ところへ、い っ放れていっていたのか、せかせかと作左が 「両人とも顔いろ変えて : ・・ : ? 」 戻って来て、ひどく昻ぶった様子で声をかけた。 「殿 ! ついに信長め、大きな難題を持ちかけましたそ」 「何だ作左、おぬしらしくもない、何かあったのか」 「石山の本願寺でも攻めよと言って来られたのか」 「なかなかもって、そのようなことではござりませぬ。お 「殿 ! 信長めが、ついに牙をむき出しましたそ。もとも 愕きなされまするな。岡崎の三郎さまを : : : 」 とあ奴は狡猾無類な猛獸なのだが」 言いかけて作左は顔いつばいに憎悪を見せ、 「たしなめ作左、何というロの利き方をするのじゃ」 そうは言ったが、家康の表情もサッと鉛をはいたように 「わしには言えぬ。早う両人に会うて下されツ」 曇っていた。 家康はその一言で、ぐさっと胸を刺されたような気がし どうやら彼がひそかに恐れていたことが事実となって現 他人が驚いたり昻奮したりすると、わざととばけた落付われて来たらしい。 「挈、、つか・ き方を装うのが本多作左のくせであった。 その作左が眼を血走らせ、唇辺の肉をビクビクと震わせ 空を仰いでつぶやいたまま家康はもう何も言わなかっ ている。 た。とりわけ急ぐでもなく、狼狽の様子も見せない。だん いや、それよりも、近ごろの信長が、何となく家康のこだん肥りかけて丸味をました額に、しっとりと汗がにじん ころに気になる影をおとしていたせいかも知れない。 で光っていた。 きびしく粗暴な言葉づかいをたしなめておいて、家康は 本丸へ人ってゆくと、もう空気はがらりと変っている。 128
( 何という人の好い・ ( 信長はそれを知っていて、わざと腰を重くして来た : : : ) 他人の戦と思えばこそ、仲々動かなかった信長。その位と家康は判断しているのだが、果してそれは当っている のことは徳川勢は足軽の端まで見ぬいているというのに。 、刀レ」、つ、刀・ 「織田殿はな、武田勢がわれ等の到着を知って、さっさと「殿、今日は強引に織田の殿にお当りなされ」 長篠の囲みを解き、決戦を避けて甲斐へ引き上げるのを怖 うしろで又元忠は念を押した。 れている」 「ばかな事をつ」と元忠は反撥した。 「そうなれば、もつけの幸いと、それで幾晩も岡崎へ泊ら 信長の本陣では、元忠の言葉どおり、すでに諸将が居並 れたとおばされませぬか」 んで家康の到着を待っていた。 家康ははじめて元忠をふり返った。 織田信忠、忠雄の二子をはじめとして、柴田勝家、佐久 「こなたまで、そう田 5 っていたのか」 間信盛、羽柴秀吉、丹羽長秀、滝川一益、前田利家と集っ 「それに相違ござりませぬ。それゆえ、急いで参って、是て、一応も二応も策戦をこらしたあとらしかった。 が非でも決戦させるよう評定せねばなりませぬ」 まだ幔幕をはりめぐらしたばかりの草の上へ、信長だけ しようぎ 「そうか。そなたまでのう・・・・ : 」 が床几をおいて腰かけていたが、家康を見るとすぐに、 家康は微笑をうかべてそういうと、べつにあとの説明は 「三郎殿は ? 」と、信康の姿のないのをいぶかしんだ。 しなかった。言われるままに馬首をめぐらして、それから 「ただいま、松尾山に本陣を作りかけて居りまするゆえ、 極楽寺にむかった。 あとで決定したことだけ知らしてやりましよう」 故信玄の戦術の中には「隠れ遊びの術」と唱える退き方「徳川どの」 があった。 信長は、自分のわきの床几を指さしながら、 敵味方の兵力を冷静に計算して、味方に勝算なしと判断「甲州勢は、いよいよ決戦をしかけて来るものと決りまし した時には、さっさと敵に待ちばけを喰わして引きあげてたそ」 ゆくのである。 家康はちらりとうしろに控えた鳥居元忠と榊原康政に微 6
侍女たちは毎日のことなので、挨拶も、手洗いだらいの 運び方も、うしろに廻って髪を梳くのも、鏡立てをはこぶ のも、ひどくきまりきってそっけない感じであった。 以前には、それでももったいないと思ったのだが、長篠 「あ : : : 夜が明けたな」 信康はふと隣りに堅くなって眼を閉じているあやめを見の戦いで武田方が大敗したと聞かされてから、それがひど ると、 く気になりだした。 「ふん、他愛なく寝こけているわ」 武田家のゆかりの者と感付いていて、それで疎まれだし そっと褥を出て、そのまま廊下を表へ戻ってゆくのであたような気がしきりにする。 化粧を終って食事を済まし、火桶の前へすわった時で これも何時ものことながら、ふしぎと言えばふしぎであった。 あった。眼の覚めた瞬間からまるで人が変って、どんなに侍女のお勝が、冷たい切口上で築山御前の来訪を告げて 寒さのはげしい日でも、すぐ的場へ走っていって、片肌ぬ来た。 いで弓の稽古からはじめるのだった。 「御前がこれへ 乗馬も決してかかさなかった。ただ変るものと言えば或そんなことはかって例のないことだけに、あやめはすっ る日は槍であったり、ある日は太刀の打込みであったりすかりあわてていた。 るだけだった。 今までは用があれば向うできっと呼びに寄こす慣わしで あった。 ( いったい夜の殿がほんとうの殿なのか、それとも昼が ( 何であろうか はじめ、あやめはよくそれを考えたが、今ではその双方「とにかくこれへお通しなされ」 が殿なのだとようやく納得しだしていた。 そう言った時にはもう築山御前は、次の間との境のふす あやめは、信康の足音が消えると起出して、二人っけてまを開かせて立っていた。 貰っている侍女を呼んだ。 「あやめどの、暫く見ぬ間にあでやかになられたのう」 全身を固くして息をつめた。