眼 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 5
368件見つかりました。

1. 徳川家康 5

きもせすに見送った。 「この町の凡その事は調べてゆきたい。高カ清長、榊原い 民のために平和が大切ゆえ告げるといった。生母の知人平太、二人にその旨伝えておけ」 平八郎忠勝は、小首を傾げたまま、 で、そして娘は淡いながらも血につながる : 「それならば、みな、あれこれと書きとめてござりまする 「松丸ツ」 力」 家康は何時になくせき込んだ声で、 「そうか。人の数はどれほどじゃ」 「平八郎を呼んで来い。忠勝を」 「よッ 「かれこれ七万二千とか」 「内、男の数は」 「誰にも知れぬように。そっと参れと」 「よッ 「はい、三万五千足らず、女の数がうえ越す由」 鳥居松丸が、小腰をかがめて廊下を出てゆくと、家康「酒蔵の家が眼立っていたが造石高は」 「六万石に及ばうかと、友閑さま側用人の覚えにござりま は、脇息に片肘もたせて、そっと両眼を閉じていった。 波太郎の蕉庵と、木の実の顔があざやかに瞼の裏でおどす」 ってゆく 「鉄砲鍛冶はどれほどじゃ」 「凡そ八百、一年に約三千挺を作り、みな橘又三郎からひ ( 光秀に事実叛心があるとせば、手兵を連れずに京へとど ろがった旨の由で」 まる信長は : ・・ : ) 「出入りの外国船の数は年に幾艘」 「殿、平八にござりまする」 「さあそれは 本多忠勝が、あわてて部屋に入って来たが、家康はまだ 「遊女の数は」 眼を閉じて、深沈と考え込んだままであった。 「まだ : 「切支丹信仰のこと。寺院の数、積荷の先々とその内容、 それに : 「平八、折角堺へ来たのだからな」 家康はまだ眼を閉じたままでばつりと言った。 といって家康ははじめて眼を開いて、 346

2. 徳川家康 5

る。 下腹部から脾腹へかけて、ジーンと熱鉄を突きこまれた なかったのだと思い、それから自分を突き伏せた作兵衛 ような熱さを覚え、もう一歩踏み込もうとした足がガグン が、なぜ信長に襲いかからないのかとふしぎに様った。 と折れて膝をついた。 眼ははっきりと見えているのに、耳はひどくたよりな それでも、まだ立とうとした。薙刀を振ろうとした。し い。どこか遠くで、 かし、それは、前面をさえぎるみどりの扉にさまたげられ「作兵衛とどまれツ」 て動かなかった。 森蘭丸の声らしかった。 御前の躰はその時すでに芝草の中へうつぶしてしまって御前は全身の力をこめて首を立て、その声の方を見やっ 6 」 0 いたのだ。 プーンと草の匂いが鼻に入り、首だけ立てて見ると中庭 一人の足軽が御前の右手の欄干に立っていま、肩から作 の芝原全体が青い水面に見えた。その水面に点々と倒れ伏兵衛を縁側へ送り込もうとしているところだった。 した敵味方の死体が睡蓮の花をうかべたように眼に映っ ( ああ、殿があぶない : 作兵衛は槍を杖にして、ひらりと縁へとびあがった。 「安田作兵衛、みしるし頂戴 ! 」 五 信長はそれでもまだ傲然と槍を突いたまま。 , 前はふしぎなものを見るように、もう一度地上へ咲し 白い綾衣の単衣に、同じく白いひとえ帯をしめた姿が、 た睡蓮の花を見やり、それから信長の方を仰いだ。 かっきりと浮出して、ふしぎな崇厳さで殺気の像を描き出 している。 ( もう引きあげていてくれますように・ しかし、信長は傲然ときざはしに片足おろして突っ立っ 微動もしない信長のかげから、いきなり一つの人影がと たままだった。 び出して作兵衛に槍をつけた。 しかも、その眼は爛々と血走って自分にそそがれてい 「作兵衛、森蘭丸を見知ってかうぬは」 躍り出したのは蘭丸らしい。 それにしても何という疲れを知らぬ蘭丸の闘志の凄まじ 御前はその眼と視線のあった時、自分の生涯は不幸では っ ) 0 332

3. 徳川家康 5

るか、明日切腹の命が下るか : : : そう思いながら生きてお「はい、何分にも家中の者が激昻致して居りますので」 わすが、そのように御前には芽出度いことに思されまする 「何のために」 力」 「若殿を死地に追い込んだは母の御前、母の御前を討取っ 「はい。芽出度いことじゃ」 て、若殿のご無念を晴そうと申す者がたくさんにござりま と、御前は言った。 する」 「わらわは家康どのの正室。子を苦しめて喜ぶが良人の楽平左衛門は思いきってそこまで言うと、またあわてて眼 しみならそれに従うて、共によろこぶが婦道であろう。のをそらした。 う平左衛門」 もう外はすっかり暗くなって、燭台の灯が時々御前の影 を揺った。 「ほほう」と御前はかすかに唇をゆがめて笑った。 平左衛門は、自分の名を呼びかけられて、あわてて眼を 「そのように危ければ、辞退するがよかろう」 そらしていった。 「ところが、大殿からお許しがござりませぬ。強って供せ 三人ともただ家康の命を告げるためだけにやって来たのよとの仰せにござりまする」 ではないらしい こんどは野中重政が、きっと御前を見据えるようにし 「われ等三人にて : : : 」 て、 眼をそらしたまま平左衛門は感情をおさえて言しオ 、どし「御前 ! それについてお願いがござりまする」 「何ごとであろうかの、この無力なわらわに」 「御前を浜松へ送り届けよとありましたが、これは至難の 「若殿ご助命の嘆願書をしたためられ、ご自害願わしゅう わざゆえ、一応ご辞退致しました」 存じまする」 「ほほう、わらわを浜松まで送り届けるが、そのように難 「なに自害せよと : 儀なことか」 御前はそれも予期していたらしく、べつに驚いた様子は よ、つこ 0 御前は相変らず、冷たい声で間い返した。 っ ) 0

4. 徳川家康 5

れそうな勇ましさ、ところがこんどは、お傍にいても息が 康は勝ち足りないのであろうか。 誰の眼にも何か不満げに、沈んでみえるのはなぜであろつまる」 「いや、これがお館のご用心じゃ。近ごろはここであのよ うな書きものをなさるか、馬に乗って村々を歩き、百姓の 「わしはこれから、どんな敵を迎えても織田殿の援けをか らずに済むだけの地カを持たねばならぬとのう。その地カ誰彼に話しかけて歩くかが仕事のようじゃ」 しさという時八十万石が、百万 「領民を富ましておけば、、、、 を持った時に、運はまたわしに笑顔を向けようで。それま では危い戦は一切さける。勢いに乗ずる代りに、家臣の中石も、百二十万石もの力を出すからの」 へ、わが眼がとどかず、埋もれてある者はないか。八十万「とにかく、われらも用心せねばなるまい」 石足らずのわずかの領地じゃ。隅々まで心して眼をとどか 家康はその頃、もう奥で風呂を命じていた。身の回りの せ、みなが裕福になるよう神仏に誓って努めてゆこうとのことはいぜんとして西郷の局、お愛の方が、かゆい所へ手 の届くように取仕切っていた。まだお愛の方に子はなかっ みんなは互いに顔を見合ってうなすきあった。 「そなたは妙な女子よ」 家康が信長に援けられたという事を、どう感じているか と、家康はよく笑った。はじめお愛の方は、遠い少年時 が言外に汲み取れた。 「おおすっかり、あたりが暗くなりかけた。忠次、ご苦労代の吉良の亀姫に見えたのが、今ではお愛の方が大きく家 康の心に人り込んで、いっか亀姫の姿を消してしまってい であった。わしもそろそろ奥へ引取ろう」 家康はそういうと心覚えをそのまま、自分のふところに それでいて家康に向って、敢て何を言うこともなけれ 納めて立上った。 ば、強い個性を印象させるというでもない。 みんなは頭を下げてそれを見送った。 その日も風呂場を出て来ると、きちんと着換えをささげ 「三方ヶ原の時とはひどくお違いなされたものだ」 て次の間へやって来た。 と、誰かが言った。 もう、そなたはそのように勤めずともよい」 「いかにも、あの時には、負け戦のあとだったが、ハチ切「

5. 徳川家康 5

が、きりりとしたがけで、味噌を焼いているのを見ると よ、つやくホッとして、 ( 勝ったのだ : ・ ( 勝った戦にしてこの淋しさは何事であろうか : と、自分にむかって微笑した。 と、九八郎は自分を叱った。死んでいった家臣のための 悲嘆ならば、一万数千を失った勝頼の悲嘆の深さは計り知「どこを歩いてでござりました。さ、召上りませ」 亀姫は九八郎の姿を見つけると姉のような母のような態 れまい よ肖えう度で、くり盆にのせた握飯と焼味噌を良人の前へ運んで来 戦っている間に感じたあの猛々しい憎悪と闘魂を冫 せて、今では悄然と山路に駒を急がせているであろう勝頼 の姿が、強右衛門の次に妙に佗びしく想い出されるのはな九八郎はゆ 0 くりと上り端に腰をおろして、 「お方も食べるがよい」 ぜであろうか。 一つつまんで、恭しくそれに頭をさげた。眼の前にいる チラチラと瞬いているあちこちの星は、山路を落ちてゆ く勝頼の位置からも、信長、家康の野陣からも、同じ星と亀姫も、かまどの火の色も、握飯も、味咐の匂いも、すべ して望めるのだという事が今夜の九八郎にはふしぎに想えてが、はじめてこの世に出会ったもののように新鮮に眼に ・映った。 てならなかった。 「戦とはおかしなものよのう」 まもなく城のあちこちに赤々とかがり火が焚かれたし いっかかたわらにうずくまって、眼の合うたびに微笑し 最初の炊出しが配られたと見え、そこここではじけるよながら握飯を食べだした亀姫にそういうと、 「いいえ、おかしなものではござりません」 うな笑い声が湧きあがった。中には、手をとり合って踊る と、亀姫ははっきりと割切っていた。 者や唄う者が出て来ている。 九八郎はひとわたり炊出しの行き渡ったと思う頃に本丸「戦いとは強い者が勝ちます。辛抱の強いものが」 九八郎はその夜、万一残敵の逆襲はないかどうかを警戒 の大台所の土間に入っていった。 そして、こうした手ひどい経験にはじめて会った亀姫して夜明けまでに三度城内を見回った。 2 8

6. 徳川家康 5

「返事をする要はない : : というのであれば斬らねばなら 相手がいぜん寝息を立てているので名倉源太郎は舌打し ぬの。折角旧主がこの城の近くまで来ているのに、会わす 「牢番、このくぐり戸を開けよ」 に死んで悔いはないか」 そう言われると大河内源三郎は無精らしく眼をひらい : はい。開けて何とするのでござりまする」 「何としようと、その方などの知ったことではない。あけ よと一言ったらあけるのじゃ」 「さてさてくどいことを申される。われらは、われらが殿 牢番の作蔵はホッと一つため息をもらしてくぐりの錠にとつねに心を通わせ合っている。三河武士が、いったんこ かぎを入れた。 うと言い出したらご念には及ばぬゆえ、いつでも斬るがよ 斬られるが恐しゅうて、九カ年の我慢がなると思うて ここが開かれる時は、つねに大河内源三郎の上に、残酷 いるのかツ」 な拷問が加えられる時 : : : と、わかっているので、牢番は 「よし、斬って呉れる ! 」 おろおろと声をかけた。 「囚人どの、これ、囚人どの、眼をさまされたがよいそ」 どうやら名倉は、ひどく自尊心を傷つけられたと見え、 名倉源太郎はくぐりが開くと、従者二人に眼くばせして「が、ただは斬らぬぞ。斬る前に広言吐いた三河武士の我 先に中へ入っていった。 慢とやらを試してくれよう。よしツ、そやつの着物を裂け」 つづいて燭台をささげた一人と、刀の柄に手をかけた一 「おう」と答えて従者は白刃の背を中にしてぐっと着物の 人がつづく 中へ差しこんだ。着物はパラリと二つに切れて床に垂れ、 「起せ ! 」と、名倉は従者に頤をしやくった。従者はいきそこから汚れきった枯木を想わす源三郎の肌がむき出され つ」 0 なり刀をぬいて、びたりと囚人の頬につけ、 「起きろ」 「寒いであろう。その背に煮えをおとしてやれ」 「、つるき、いツ」 「はツ」もう一人の従者が燭台を傾けて源三郎の頭上にか ざした。 「こやっ狸寝入りでござります」 従者の言うのにうなずいて、 ダラダラと蝋が頭から背にしたたり、そこですぐに結品 つ」 0 、」 0 220

7. 徳川家康 5

足先に城へ着いてその旨、家康に告げようとしているのに 深沈とした表情でうなずいて、 「よし・ 4 、。言昌に、大儀であった、呼び出すまで休息するよ違いない。 が、家康は、それを聞くのが苦しかった。 う申しておけ。それから七之助はすぐに岡崎へ帰るよう。 又、本多作左衛門に、申付けておいたこと、用意がよく 十 ば、これへ参れと伝えて来い」 結果がよければ二人別々に戻って来る筈はない。それに 平助が固くうなずいて出てゆくと、平岩七之助親吉は、 九八郎信昌の報告を聞いた上で態度を決したと思われるの これも、一礼してあたふたと退いていった。 はたまらなかった。 すぐに奥平九八郎信昌をたずね、何か知ろうとしている やがて大久保平助と共に、本多作左衛門が、半分眠って のに違いない。それと分っていながら家康が敢えて止めよ るような表情でやって来た。 うとしないのは、もはや親吉が、何か聞かされても大局をい 「本多さまが見えられました」 誤ることはあるまいと信じてのことであった。 家康はまだ眼を開こ 平助はそう言って退っていったが、 一人になると家康は脇息を前へすえ直し、その上へゆっ 、フとしなかった 0 くりと頬杖ついた。 開け放った庭から、妙に調節のない青蛙の啼き声がひび「殿、居眠りなされてござらっしやりまするか」 いて来る。雨の先ぶれでもあろうか。萩の花が微風にこば 「奥平信昌どのが戻られたとか、何ですぐにお目通りを許 れて、地べたの苔が紅葉したかに見えている。 しませぬ」 「そうか。事は、やはり決ったか : 「作左」と、家康はいぜん眼を閉じたまま、 家康は、もう一度自分自身に言いきかせるように呟い 「わしは明日、岡崎へ発と、つと思、つ」 て、それからそっと眼を閉じた。 「なるほど」 涙の乾いた瞼が痛く、九八郎信昌の蒼ざめた顔がはっき 作左はこくりと頷いて、 りと見えて来た。 「お供はいつでも出立出来るよう、揃えてござりまする」 たぶん九八郎は、忠次の弁疏にあきたらず、忠次より一 つぶや ノ 51

8. 徳川家康 5

「それはそれは。さすがに長谷川どの」 のは急拠本国へ向かわれる : : : と知って穴山どののあとを そう言いながら、折柄燃えあがった焚火の烙を追うよう追った様子にござりまする」 「それはそれは、穴山どのに殉死をすすめるは無理な節も にして視線をそらした。 「こなた様には、あれこれと手数をかけましたが、到頭最あると思うたゆえ、わざと黙って発って来たのだが : 家康はそう言ったあとで、また少しく声を強めた。 後まで、よみじの案内役まで、頼むことになりましたかの 「長谷川どの」 「お案じなさりまするな。これから京への道筋へは、急所「はい」 急所に、わが息のかかった者が居りまする」 「この家康、ご貴殿が士道の立派さを見ぬきましたゆえ、 「かたじけない。家康、心に刻んでおこう」 本心を打明け申そう」 「何の : : : これは右府さまがお眼がねにて、徳川どのに附「えつ ご本、いを : : : 」 けられたわれ等が勤め、どこどこまでも案内させて貰うが秀一よりも周囲の重臣たちが、一様にハッとして息をの 喜びにござりまする」 んだ。 「長谷川どの : ・・ : 」 「この家康、実は切腹は致しませぬ」 と言いかけて、また家康は考え直したように、 「フーム」 「堺は平穏でござりましたかな。光秀の手はまだ及ばずに 「右府どのご意志を思わず、取乱して追腹切っては、右府 はあの鋭いお眼をむかれ、大声で叱られよう。たわけめツ、 、い、く 「いや、すでに先手の細作どもが入りこんでいるように見よい年をして血迷うたかと」 受けました。恐らく、彼等は、徳川どのが本国へ引きあげ 家康は、はじめて眼の底にはげしい光を見せだした。 ようとなされたら、執拗に後を追ったに違いござりませ「長谷川どの、右府のお志は、天下の騒乱を一日も早く終 ぬ」 熄せしめることにござった。それゆえ、家康は、右府を討 「なるほど」 たれた光秀に、肉体は討ってのけても、志は立派に生かす 「ところが徳川どのは知恩院へ切腹に赴かれ、穴山梅雪ど実力ありと信じたら、歯を喰いしばって頭を下げて行くか 356

9. 徳川家康 5

「明智さまの次の姫は、尼ヶ崎のお城に嫁いで居られます る。ここにもご使者の往来頻りとのこと」 「尼ヶ崎に : : : 」 「徳川さまは、この堺の町をよくご存知でござりませぬ」 「はい。尼ヶ崎は、右府さま甥御の城なれど明智さまの と、こんどは木の実がはっきり言った。 家康は、女性の身で、これだけ明るく、これだけ手きび婿。もう一つは根来の衆徒が、たま薬を仕人れてゆき、そ れから、筒井順慶さまご家来衆が、あわてて堺のかくれ屋 しく物の言える女子を見たことがなかった。 敷から引上げられました」 「ほほう。するとわしは、話にならぬ田舎者じゃな」 「仰せの通りでござります。堺は国中の大事な眼鼻、ここ家康は一瞬、唖然として娘の顔を見まもった。むろんこ にあれば天下の諸侯、凡その動きは手にとるように分りまれは蕉庵が言わせているのに違いない。それにしても、こ う冷静に、的確にわきから観測されていたのでは、どんな する」 大事も堺ではかくせない。 「なるほどの、つ」 「フーム : 「どこのどなたが、幾ら鉄砲を求められたか、どのような 目的で船をどこへ廻されたか : : : 織田の右府さま、いち早家康が思わず低く唸ってゆくと、 「木の実、お疲れでござろうゆえ、そろそろ失礼すること く覇業の基を固められたも、堺をお手に納めたゆえにござ にしよ、つ」 りまする」 と、蕉庵がうながした。 家康は、この無遠慮な娘の言葉に誘いこまれて、 「はい。では呉々も : : : 父とご母堂さまとの約東と承り、 「すると、その眼鼻が、一大事を嗅ぎわけた、心せよとい 是非お目にかかって申上げましようと、父にせがんだは私 うのじゃな」 にござりまする。私も戦に飽いた民の一人ゆえ」 「いいえ、徳川さまもその眼鼻をお持ちなさるが宜しかろ そういうと、木の実は丁寧に一礼して立上った。 、つと一」 「では、後刻、酒宴のおりに又お目通りを」 「なるほどのう。で、ほかにまだ何か嗅ぎわけたことがあ 家康は二人の姿が廊下をめぐって見えなくなるまで、憐 るかな」 ねごろ 345

10. 徳川家康 5

家康の身なりは質素で、出迎えた会合衆や納屋衆より 「でも、近づかねば、この花は差上げられませぬ」 も、はるかに見劣りがするのである。 「花などいらぬことだ。いや、もし又差上げたくば、われ ( これは大した顧客ではないそ : : : ) 等の手より取次ぐが道、戯れると許さんそ」 恐らく自由港の分限者たちの眼にはそう映じたのに違い 宗久がまた何か言おうとした。が、こんどは友閑がさえ ぎった。この街で、貴賓の接待に選び出される娘たちは豪 その、いかにもくすんだ感じの家康の前へ、これも友閑家の子女で、同時に才弁ともにすぐれた外交家でもあっ の指図で選び出された、この街の娘が三人、眼のさめるよ た。それだけに友閑は、この両者の応対を微笑で見まもっ うな色彩の花東をささげて現われた。と、その花を見てギて誤りないと判断しているらしい。 グリと家康は立ちどまり、同時に家康と娘たちの間へつか いや、その他にもう一つわけがあった。 つかと割って入って、 この自由港での家康の宿舎に、友閑は、蘇鉄や、白檀で 「無礼致すな」 南蛮風豊かに造園された妙国寺をあてようとしたのに、家 眼を怒らして娘たちを一喝した者がある。 康の側近はこれを一蹴した。 身辺守護のため、道中奉行して来た、本多平八郎忠勝だ その理由は、むろん警備の手薄を案じてのことで、その ため宿舎は、奉行の役宅をかねた友閑自身の邸に変更され たのだが、そうしたことが、友閑をいくぶんいたずらつば い啓蒙者にしている形もあった。 絶えず戦乱の中に身をさらして来た者と、戦を知らずに 本多平八郎に叱りつけられて、まっ先の娘はまた澄みと 育った娘たちとが、期せずして向いあった。 おった声で笑った。 今井宗久があわてて何か説明を試みようとしたが、その 「徳川さまは、花がおきらいでござりまするか」 時にはもう、娘の一人が「ホホ : : : 」と声を立てて笑って「花のすき嫌いを言っているのではない。見ず知らずの者 が、ご身辺に近づくことはまかり成らぬと申しているの 「何がおかしい。お館に近づくな無礼者」 つつ ) 0 やかた 339