織田 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 5
74件見つかりました。

1. 徳川家康 5

ていた。 そのままうなず 使番はふっと首をかしげて訝しんだが、 三番手の小幡上総介信貞が、赤ぞろいの騎馬武者をまた いて駆け去った。 しても馬防柵の前へ落花のように散らして退くと、四番手 こうして、左馬之助信豊が柵面へ激突してゆく頃に、五番 の武田左馬之助信豊の軍勢がうごき出した。 手の魚鱗備えの中からはずれて真田兄弟と土屋昌次の一隊 よろ これは母衣も具足も黒で固めた一隊で、鉄の集団のよう がこれまた敵の左翼に猛然と襲いかかった に結東していた。 もはや生還は三人の念頭にはなかった。 相手に鉄砲がなければ、おそらくこの勝頼の従弟は、そ 彼等は、柵ぎわで一斉射撃をあびたが、立ちどまりも、 の武名をこのあたりに轟かしたに違いない。 リ返しもしなかった。 最右翼に控えた馬場美濃守信房は、この時はじめて金鼓第一の柵は破られ、相手の弾込めする間に第二の柵に殺 を鳴らして雁峰山の麓から織田勢の左翼めざして動き出し 到した。しかし柵は三重だった。第二の柵を破って、三番 目の柵にたどりつこうとする時に、まず兄の真田源太左衛 織田勢はこれを見ると、すぐ足軽の一隊をくり出して、 門が、虚空をつかんで馬から落ちた。 また、棚の前まで誘き寄せようとかかった と同時に北方の森長村から迂回して来た柴田修理亮勝 しかし信房は、この織田勢をみとめると、すぐに進撃を家、羽柴秀吉、丹羽五郎左衛門長秀の遊撃隊が、真田兄弟 中止して、使番を呼び寄せた。 と土屋昌次の一隊に襲いかかった 「その方は、真田源太左衛門信綱どのと、兵部昌輝どの、 ここでも鉄砲は突撃路をひらく有力な先導者だった。ダ それから土屋右衛門尉昌次どのの陣まで使して呉れ」 ダンとあちこちの草むらから煙りがあがって西に流れた。 まだ若い使番の上田重左衛門はその時信房の頬に澄みと そして、第三の柵にとびかかった真田勢と、土屋勢はそ おった微笑のあるのを見てとった。 こで全く潰滅してしまっていた。 「仰せ、かしこまって」 もはや土屋昌次の姿も真田昌輝の姿もない。 「よいか。わしは考えるところあって、これより兵を前に ただ馬場信房だけが、この光景を、森かげー こ馬をとめ すすめぬ、ご貴殿たちは進んで手柄をされるようにと」 て、非情な眼でじっと見ていた。

2. 徳川家康 5

さまお手許の密書は、おぐしあげの琴女と奥に居られる喜 「なんでまた大殿は、左衛門尉さまなどを遣わされたの 力」 乃の姉妹が、お手討なされた小侍従を通して、内容こまか 「重政 ! 」 く岐阜へ書き送ったと見るべき節がござりまする」 こんどは信康が沈黙した。 「そなた、何か心当りがありそうじゃの」 今まで自分一人のことと考えていたのが、母の身にも及 「よ、ツ 0 全くなくはござりませぬ」 びそうになって来たのだ。 「と申すと、この信康に何か疑いのかかることがあると一一一口 「すると、母の内通にこの信康も加担したとの疑いであろ 、つのか」 、フかの」 「′」ざりまする」 「いいえ、そうとは思われませぬ」 と、重政は、小さく答えてうつむいた。 野中重政はゆっくりと首を振った。 「ほほう、それは訊きたい、何であろうの」 「これから内通の怖れがある : : : と、思われた故でござり 「築山御前さま、甲州へ内通の儀にござりまする」 「それは : : : それは申すな。過ぎ去ったこと、遠いことで「なに、これから内通のおそれがあると。たわけたこと 「が、その遠いことが再び生きたのではござりますまい 「と、仰せられても、御前はいまだに織田を仇敵と、若御 か。長篠以来、しばらくひっそくしていた勝頼が、また活台さまの前で呼ばれまする。それに密書には、織田、徳川 滾に動き出しました」 の両家を滅した上は勝頼より殿に、織田家の所領のうち一 「、つー↓も」 国を贈ると書いてござったように伺いました。それゆえ同 「殿 ! あの頃の密書はみな、右府さまの手許に届いて居腹と言い立てる所存ではござりますまいか」 り・まする」 信康はまた黙った。 「まさか、そのよ、フなことが : しまだに信康の前でも織田家を罵る 事実、母の御前は、、 「ないと思召したいは人情でござりましようが、築山御前のをやめなかった。 145

3. 徳川家康 5

ぬばかりの勢いであった。 の第一は、そちたちの律義な武勇であった。何ごとにもわ 戦に勝った日の翌日、つまり五月二十二日に、長篠城をしを立て、上下一つになって一糸もみだれぬこの強さ・ 守りとおした奥平九八郎をころみつ坂で引見した時の光景 これがなければ、織田勢の援軍は来なかった。来なければ など、いまだに家康の眼にも、いにも残っていた。 滅んでいる。いや、それよりも三河勢の強さとして、そち 「おお鬼の子め、よくそやった。そなたの性根、信長生涯たちの並々ならぬ律義な武勇がなかったら、織田殿はただ 忘れまいぞ。よいか、褒美にわが名の信をつかわす。今日見捨てるだけではなく進んでわれ等を攻め滅していたであ から貞昌を信昌と改めよ」 ろう。援けて何の益もないのだからの : : ・第二の勝因は運 そして、奥平家の一族七人、家老五人にそれぞれ盃を取であった。運は寝て待ってよいものではない。わしが、わ らせていった。 が結ぶべき相手は武田にあらず、北条にあらずとさとり、 手柄の者、名誉の者に、名乗りの文字を与える例は少く境を接した織田どのと結んだことに運があった。遠交近攻 ない。九八郎も感動に身をふるわしているのがよく分っ の考え方からすれば、わしと織田殿とはとうにどちらかが 滅んでいなければならぬ筈。それが織田殿は西、わしは東 しかし、信長のそうした態度のうちには、家康をはばか と結んで来たのがよかったのだ。しかしその運は将来も、 る気配は完全に消え失せてしまっていた。 ( 実力で、いつわれ等につきまとうていると思うてはならぬ。そこでわし か家康を押えて来る ) 生涯決して主は持つまいと心に決は、わしの行くべき道、歩くべき策をこう考えた : している家康。それをよく知っていて、三河の親類と呼家康はもう一枚、また心覚えをめくって、ふっときびし んでいた信長だったが、やがて一人の命令者として家康のい顔になった。 上に君臨して来そうな気がしだしたのはその時からだっ 五 みんなの眼は、家康の顔に吸いよせられたように集って 家康は更に心覚えを記した紙をめくりながら、 「人間はの、勝った時に、なぜ勝ったかを調べ忘れる。そいた れでここに自戒の意味で記してみたのじゃ。こんどの勝因武田勝頼を半死半生の目にあわせておきながら、まだ家 8

4. 徳川家康 5

ここから長篠城までは約一里。 門どのお許し下さるか」 途中で馬を弾正山まですすめてみると、足もとの連子川 強右衛門はそれに笑って答えようとしたが、もはや声は へた 出なかった。 を距てて、幾重にもかさなりあった森の深緑の向うから、 相手の武士は矢立をとって懐紙に強右衛門の最期を写し餓えにせまられた長篠城の鼓動がそのまま自分の胸に伝わ ている。 って来るようだった。 しばらくじっと小手をかざして東の空を見ていると、 場所は有海ヶ原の山県三郎兵衛の陣屋の前で、すでにタ 「殿、遅くなりまする。織田の殿がお待ちかねでござりま 陽が血潮の紅を反映しだしたころであった。 鳥居元忠がうながしたが、 家康はうごかなかった。自分 智略戦略 が、ここからただこうしてじっと見ているだけで、長篠城 へは眼に見えないある力が通ってゆく ・ : そんな気がして 立去りがたい家康だった。 「殿 ! あの腰の重い織田の殿が、ここまで出て来たので 家康と信長の連合軍は鳥居強右衛門のあとを追うかたちはござりませぬか」 しだら で岡崎を発ち、牛久保を経て設楽ヶ原に到着のたのは十八 「分っている」 日の昼であった。 「分っていたら待たせてはわるい。参りましよう」 到着すると取り敢えず信長は極楽寺山に、家康は茶磨山「元忠 : : : そなたは織田殿の腰が、なぜあのように重かっ に本陣をおき、すぐに落合って最後の軍評定にかかる必要たか分っているのか」 があった。 家康はまだ視線を東の山から森へ据えたままで、 家康は、楙原小平太康政と鳥居彦右衛門元忠をつれて仮「織田殿はな、こんどの戦では、心から、わしの役に立と 本陣を出ると、そろそろ西へまわった陽射の中を極楽寺山うとされて、それで仲々動かなかったのじゃ」 の信長の本陣へ向った。 元忠はそれを聞くと、眉をしかめて舌打した。 れんご

5. 徳川家康 5

康は岡崎城へ入って酒宴をひらいていた。 したる意味もないのに昻然と盛上るくせに、その反対の場 むろん、それは岐阜からやって来る信長を待ち、その進合は、これ又意味もなく悄然と消えて行くものだった。 路を警戒しておくためであったが、この酒宴の時には、ま家康が戦の最中に酒宴をやることは珍しかった。が、 大 だ信長が果して岐阜を出発したかどうかはわかっていなか勢悲観 : : : と見てとると、 つ」 0 「案ずるな。必ず来る。それより今宵は一献汲もうか」 家康は必ず来ると信じていたが、重臣たちの意見はまちと、言い出したのだ。 まちだった。 「必す参ると、お館は、言い切れますか」 「来るであろうと思うが、この前の高天神城の時とおなじ酒宴位ではまだ士気は振わぬと見てとった本多平八郎が ように、わが兵を労さぬことを考えているのではあるまい ロ添えした。家康は、、かにもおかしそうに笑った。 力」 「この期におよんで出て来ぬような織田殿ならば頼るに足 そ、つ一言、フ者があるかと思、つと、 らぬ。頼るに足らぬということは恐れるにも足らぬという 「いや、来はすまい」 ことじゃ」 と、はっきり悲観論をのべる者もあった。 「恐れるに足らぬとは ? 」 「織田家の兵は、数でこそ武田家に立ちまさっているが、 「長篠はひとりで救うておいて、尾張美濃と頂ける道理で 新参者が多くて実力はござりませぬ。それは戦場が長篠とはないか。織田殿はそのように事理の分らぬ方ではない。 いう山岳地帯では、いよいよ織田勢にとって不利、その計妄想せずに一献傾けよ」 算のわからぬ信長公ではない。恐らく来はしますまい」 そう言ったあとで、ともすれば悲観論にくみしそうな酒 こう言われると、そんな気もすると見えて、はじめは強井忠次に、 引に、単独で長篠救援を主張していた者までが、沈鬱に考「これ忠次、こなた自漫の蝦すくいでも踊らぬか」 え込んで行くのであった。 と、明るい声で命じていった。 ひょうきん 士気、流行のたぐいほど、凡そ剽軽なものはなかった。 「殿 ! 」 「なんじゃ」 誰かが強がったり、どこからか流行しだしたりすると、さ えび

6. 徳川家康 5

土へ居城をすすめてゆく。よいかの、織田どのを疑うので 家康はここ数日、居間にこもって、こっこっこれに可か はないそ。若し万が一、援軍の来ぬ場合 : : いや、その織 書記していたのである。 田勢がもし敵に回った場合 : : : その時にも崩れぬ用意がわ 「鉄砲の数が、織田勢三千七百、わが方八百。双方合してれ等にあるか : 四千五百。この武器で倒し得た武田勢は凡そ一万二千。一 家康はそこでまたちょっと眼尻に笑皺をきざんでみんな を見やった。 挺の鉄砲は約三人ずつの敵を倒している」 家康はそういうと、またおだやかにみんなを見回して、 四 「これがわずか八百のわが方だけの鉄砲であったらどうな ったか。仮りに三人ずつを倒し得たとして二千四百」 家康の観察によれば、古来から現在まで、戦に負けた方 みんなシーンとした表情で、家康のあげる数字に耳をか が滅んでゆくのは当然ながら、勝った方もまた、遠からず たむけている。 必ず破滅をみとっているのであった。 「しかし、あの一万五千の敵勢と混戦を演じていったら、 勝利と有頂天とは避けがたい人間の習癖らしい 味方も恐らくそれ以上討たれていたに違いなく、それでは その眼で見ると、家康には、信長もまた勝ちすぎたよう 総勢八千の味方に全然勝利は予想出来ない破目になる。よ な気がしてならなかった。 いか、これがわれ等の実力であった」 勝っとおごる。おごるとは横暴の別語、武田勝頼の今度 そう一言うと、こんどは家康よりも先に忠次がウームと大の敗因は高天神の戦に勝った時に芽生えていた。その同じ きくため息した。 芽がもし家康の内部にあってはと、家康は勝利の日から残 「わしは決してみなの働きが足りなかったというのではな酷なほど冷静に自分の実力の計算にかかっていたのだ。 い。が、織田勢の援けがなければ、勝敗は逆になったと申 信長はその反対だった。 しているのだ」 勝ちに乗じて、一挙に天下布武の志を遂げようとしだし 「たしかに」と、小平太が考え深い表情でうなずいた。 ている。 「その織田どのが、いよいよ大下を握る時節は到来と、安 いや、こんどの勝利さえすでに計算に入っていたと言わ

7. 徳川家康 5

し」 と、家康は静かに聞いた。 「織田どのは、それに信康が同意していたと申したのか、 五 それとも信康はかかわりないと申したのか」 急き込んで訊いてゆきながら、家康は自分で自分に腹が 「第五は : 立った。 と言って忠次は、そっと拳で眼をぬぐった。 ここまで言われたのでは、何を言っても所詮は愚痴であ 広間のうちはさほど暑くはなく、時々涼しい風が吹きぬ っ 6 ) 0 けてゆくのだが、忠次の背にはぐっしより汗がとおってい 信長は、三河の機嫌もとらなければならなかった尾張美 「若御台徳姫さまに、つづいて姫君のご誕生あったを不快濃の国主から今や、天下を治めねばならない責任ある人間 に思われ、男子を得るためとて妾をおき、事毎に若御台をに、立場を変えて来ているのだ。 以前の信長は徳川家にとって尾張の親類であり、美濃の 折檻なされたこと : 親類であったが、今では天下人、そうした立場で臨んで来 「・次は」 「若御台つきの腰元小侍従が、三郎さまに諫言したをお怒たのにちがいない。 りなされ、斬り捨てた上にて両手をもって口を引裂きまし天下人としての信長の眼から見ると、岡崎の三郎信康 は、性格も、血筋も、行跡も、頭脳、力量も、甚だ好もし たること」 くない人間に映じていったのだ。 「・次は」 勇気分別では武田勝頼に劣り、血筋では織田家を仇敵と 「築山御前についてでござりまする。その一カ条は、勝頼 に密書を以て内応し、織田・徳川の両家を滅亡なさんと計ねらう今川氏の血をひいている。 行跡には組暴の行い多く、重臣からも領民からも思慕さ り・しこと」 れるに至っていない。 コも、フよいー・」 その信康が万一、父の家康と不和になり、武田勝頼とで 聞くに耐えなくなって家康はさえぎった。 も結ぶようなことがあったら、それこそ三河以東の日本の 「御前が謀叛を企てたというのであろう」 731

8. 徳川家康 5

「と、仰せられますると、あの手紙を証拠に、どなたをお「ふつつか者はよく分って居りまする。が、ふつつか者に は、ふつつか者の婦道がござりまする。こればかりはどい 責めなされまする」 止って下さりまするよう」 「それもうぬには分っていようが」 「ならぬ ! 」はじめて信長の声が大きくなり又小さくなっ 信長が歯をむいて舌打した。 「お方はマムシの娘であろう」 いえ、只今は違いまする。右大臣信長の妻にござりま「織田の上総ならばのう、姫の婿は三河の親類、どこまで も結東して、互いに生残ってゆかねばならなかった。が、 する」 右府ともなれば、その思案はつねに天下になければなら 「小賢しいことを : ・ : こ 信長は、御前の表情が、蒼白に硬ばって来たのを見るぬ。この道理の分らぬお方ではあるまい」 と、こんどは頬を崩して笑った。 「よいか。わしが岐阜の城から、何一つ持出さず、尾張と 9 「あの手紙でのう、おれは家康に信康を斬らせる決心をし 美濃の国を添えて信忠に遣わし、裸になってこの城へ移っ たのじゃ。御前にそれが分らぬ筈はよもあるまい」 た心は、もう岐阜の信長ではないぞと、われとわが心の置 「分るゆえに、おとどめ申しまする」 き方を変えようためじゃ。岐阜の信長なれば、わが子ゅ 御前の声も弾き返すように鋭かった。 「もはや、殿は織田の上総ではござりませぬ。右大臣信長え、わが婿ゆえ、わが親類ゆえと仕置の悪さに眼もつむろ みだ 公がわが一の姫の婿を、事を構えて斬ったとあっては、後う。が、安土の信長は違うのじゃ。天下を紊す奴、国内平 定の邪魘する奴は、わが子であろうと婿であろうと容赦は 後までも大きな瑾になりましようそ」 出来ぬ。お方にその道理がわからぬは、お方がいまだ岐阜 信長はもう一度頬を崩して、 の女房どもで伸びぬ証拠と思わぬか」 「小賢しい : 」と、あざ笑った。 濃御前はしばらく強い眼をして信長を見上げていたが、 「お方は、いまだに織田の上総が女房どもじゃ。伸びが足 やがて立って手文庫の底から一東の手紙を取出して信長に らぬ。伸びが足らぬぞ」 」波した 0 しかし濃御前も譲らない。

9. 徳川家康 5

( 何という人の好い・ ( 信長はそれを知っていて、わざと腰を重くして来た : : : ) 他人の戦と思えばこそ、仲々動かなかった信長。その位と家康は判断しているのだが、果してそれは当っている のことは徳川勢は足軽の端まで見ぬいているというのに。 、刀レ」、つ、刀・ 「織田殿はな、武田勢がわれ等の到着を知って、さっさと「殿、今日は強引に織田の殿にお当りなされ」 長篠の囲みを解き、決戦を避けて甲斐へ引き上げるのを怖 うしろで又元忠は念を押した。 れている」 「ばかな事をつ」と元忠は反撥した。 「そうなれば、もつけの幸いと、それで幾晩も岡崎へ泊ら 信長の本陣では、元忠の言葉どおり、すでに諸将が居並 れたとおばされませぬか」 んで家康の到着を待っていた。 家康ははじめて元忠をふり返った。 織田信忠、忠雄の二子をはじめとして、柴田勝家、佐久 「こなたまで、そう田 5 っていたのか」 間信盛、羽柴秀吉、丹羽長秀、滝川一益、前田利家と集っ 「それに相違ござりませぬ。それゆえ、急いで参って、是て、一応も二応も策戦をこらしたあとらしかった。 が非でも決戦させるよう評定せねばなりませぬ」 まだ幔幕をはりめぐらしたばかりの草の上へ、信長だけ しようぎ 「そうか。そなたまでのう・・・・ : 」 が床几をおいて腰かけていたが、家康を見るとすぐに、 家康は微笑をうかべてそういうと、べつにあとの説明は 「三郎殿は ? 」と、信康の姿のないのをいぶかしんだ。 しなかった。言われるままに馬首をめぐらして、それから 「ただいま、松尾山に本陣を作りかけて居りまするゆえ、 極楽寺にむかった。 あとで決定したことだけ知らしてやりましよう」 故信玄の戦術の中には「隠れ遊びの術」と唱える退き方「徳川どの」 があった。 信長は、自分のわきの床几を指さしながら、 敵味方の兵力を冷静に計算して、味方に勝算なしと判断「甲州勢は、いよいよ決戦をしかけて来るものと決りまし した時には、さっさと敵に待ちばけを喰わして引きあげてたそ」 ゆくのである。 家康はちらりとうしろに控えた鳥居元忠と榊原康政に微 6

10. 徳川家康 5

家康はいちど急ぎかけた足をゆっくりと以前のそそろ歩「は : きに直して、そのまま居間の庭先にまわっていった。 「これから始まるのじゃ。して、織田殿は相変らずお元気 万千代はいぜん無言で、ひっそりとついて来る。 力」 家康はきちんと庭下駄を沓ぬぎの上に揃えて脱いで、 : ここに、出発に先立ち、信長さまの興行された れんが 「大六、どうであった。大儀であったの」 連歌がござりまする。これを : : : ご覧下されませ」 すでにそこへ通って、真っ四角に坐っているお使番に声 「ほほう、連歌をやられてご出発か。どれどれ」 をかけた。 家康は平助の取って渡す紙片をひらいて声を立てて読ん 「お館さま ! 明日信長さまご親子、この岡崎にご到着のでいった。 予定にごギ、りまする」 松高く ( 松平・徳川の意 ) 「そ、フか」 たけたぐひなき朝かな 信長 何気なく答えはしたが、 一瞬、家康はぐっと息が胸に詰 「たけたぐひなき」の下に括弧して ( 武田首なき ) と記 してあった。 「それで兵数はどれほどかの」 家康は笑って次を読んでいった。 「二万にござりまする」 しろうは見えぬ卯花かさねて 久庵 「それは又、ご造作をかけたものじゃ」 入月も山方うすく消えはてて 紹巴 「は、ツ、これで : : : これで : : : 」 小田 ( 織田 ) はさかりになびく秋風信長 挈う言うと、大六もまた、たまらなくなったと見え、 「なるほどのう、松高く、武田首なきあしたかな。四郎は きなり袴の膝をつかんで面を伏せた。 見えぬ卯花かさねてか」 「はい。入月も山方 ( 甲州 ) うすく消えはてて、織田はさ もう酒宴も閉じたと見えて、大広間の方も以前の静けさ に戻っていた。 かりになびく秋風 : : : その意気はすでに敵をのんでござり まする」 「大六、そちの気持はわかる。が、これで終ったのではな いぞ」 家康ははじめて大きく口を開けて笑った。 っこ 0 くっ 8