考え - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 5
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1. 徳川家康 5

「三郎はただいま二股城に移してござる。と、申すは岡崎 入った 0 で、酒井忠次の所業にあらぬ怨みを抱き、騒ぎ出そうとす 浜松の西北に建てさせた築山御前の仮りの住居が出米上 る者があるゆえ、万一を想うて移したもの。また築山殿ったのは二十四日。ここへ御前を幽閉して、 は、浜松へ呼び寄せ、わが身みずから窮命の所存でござる」 「ーー、築山どのは逆上、狂乱致してしもうた」 家康は、そう答えながら、築山どのなど斬るものかと、 そう言って、天寿だけは全うさせようというのが家康の わざと眉をしかめていた。 考えだった。 「すると築山御前は、まだ岡崎にそのままおわすのでござ 家康は二十六日に至って岡崎へ使者を送った。 りまするか」 「築山どのを、浜松に護送すること。大切な罪人ゆえ、道 「そのままではない。竹矢来を結え、居間を牢舎に致して中過ちのなきよう、特に岡崎より、野中五郎重政、岡本 ござる。浜松へ引取るべき牢舎が出来上るまでの処置とし平左衛門時仲、石川太郎左衛門義房をして警護せしめるよ てのう」 その時もお使者は小栗大六だった。 信長の使番は、それでひとまず安土へ帰っていったが、 もはや処断は遷延を許されない所へぎりぎりと追いつめら大六を岡崎へ出発させると家康は急に悪寒とめまいをお ばえた。 れてくるのであった。 「信康は相変らずか」 めつきり秋気が冴えて来て、朝夕の大気の冷えが身にこ 家康はその後も度々人を派して、信康の動静を報告させたえ、風をひいたのであろうと思ったが、 臥床に入ると全 身の節々がぬけそうにだるかった。 ( どうやら、これは疲労であったと見える : : : ) 二股城はすでに敵勢力との境界線にあたっている。 かって病気を知らないほどの家康も、こんどの事件だけ そこから一歩山岳地帯にふみ出せば徳川方の手は及ばな いといってよい はよほど骨身にこたえたらしい いまでは西郷の局と呼ばれているお愛が、枕辺をはなれ ( 信康め、自分でもまた、何故助かろうとしないのか ) 眠ると家康は、時に大声でうわ じりじりと奇蹟を待っているうちに、ついに八月も下句ずに看護しているのだが、 ) 0 175

2. 徳川家康 5

うなずいて、 ず、徳川さま宿舎を、堀どのお屋敷に移しましてござりま する」 「今日一日じゃ。粗相のないようにの。明日は総見寺でお 「なに、ハゲの家来が残りものを濠へでも捨てたと申すの目にかかると : : : そうじゃ、その方もう一度家康が許へ参 力」 って、光秀が粗相を詫びて来ておけ。何分にもお人好しに て、出陣と決ると、あの始末 : : : そう言ったら家康も笑っ 「それゆえ、大宝院のまわりは腐臭がはげしくて : : : 」 て忘れてくれるであろう」 恐る恐る与総がそこまで言うと、 「ワッハッハッハ・ 「すぐに行っておけ」 と、信長は半裸の躰をゆすって笑った。 「呆れたハゲだ。自分だけ嬉しがって、この暑気を忘れて 発ちくさった。それにしてもひどい匂い : : : 家康も、これ「なぜ立たぬ。まだ何か申すことがあるのか」 「はいつ、実は日向守どの : : : 」 には閉口されたであろう」 「ハゲが、ど、つしたのじゃ」 どんなに怒られるかと、ビクビクしていたところなので、 「日向守どのご自身のお考えはとにかく、ご家中の者は、 青山与総は、思わずホッとして額の汗を拭いていった。 このたびの役替え、ひどく不満の様子にて : : : 」 ハノハハ分って居るわい。あやっ等は胆の小さな女子の ようなところのあるものども。それゆえはじめは讒言と 「これが並みの時なら許せぬところじゃ。これでは市中が 鼻持ちならぬ臭気であろう」 か、左遷とか嫉妬じみた妄想をしたであろうよ。それが あておこの 分っているゆえ、戦が終れば二カ国宛行うと申聞かせたの 「まあよい。あわただしく出陣用意の中の接待、家康にじゃ。今ごろはもはや機嫌が直ってどう手柄しようかと夢 は、この信長がよく詫びよう。で、宿はすぐに久太郎が屋中になっている。案ずるな」 「さよ、つで′」ギ、り↓よしよ、つか」 敷に移したか」 「そうであろうかと言って、昨夜そのことをそちが申渡し 信長は、何を考えているのか、案外なほど、あっさりと 301

3. 徳川家康 5

に出向いて武田勢に一番槍をつけたのう。こんどもまた勝二人が乾すと、すぐにまた侍女に酒を注がせて、 頼が出て来ているというが、両人が留守では家康どのも困「さて、これは他人には聞けぬことゆえ両人にたすねる ろう。もう普請も終った。早々に帰国して、しつかり固めが、予の婿信康の風評、家中で余りよくないと聞いたが、 を頼まずばなるまい。そうだ。予もきようは寸暇を見出し なぜであろうかの」 たゆえ、別杯を取らそうかの。これ、御前、酒の用意を」 二人は杯のかげでちらりと顔を見合せて、 こう上きげんにいわれては、濃御前も反対はできなかっ 「恐れながら、いまが血気の盛りゆえ、そのようなことを 申すものがあるのではないかと存じまするが」 御前は侍女を呼んでそれを命じた。 用心深く答えたのは忠世であった。 呼び出された二人はいよいよ恐縮して堅くなっている。 「まことに武勇すぐれさせられ、ときどき陣中ではわれら 何よりも右大臣とヒサ突き合せ、奥方の居間で杯を頂くとのような年寄りまでもしかりとばす。それでそのように、 い、フよ、つなことが、たまらなくまぶしいのだ。 蔭ロするものがあるのではござりますまいか」 恐らく家康とて、このような親しさを示されたことはま と、忠次があとを引取った。 だあるまい 「ほほう、その方たちまでしかりとばすか」 「おことたちは徳川家の柱石じゃ。この後とも、家中の仕 「はい。ご武勇ではたしかに親まさりと、みなみなうわさ 置きを、しかと頼んだそ。さ、忠次から杯を」 しあっておりまする」 「はつ、数ならぬ身をそれほどまでに : : : 有難くちょうだ 「ふーむ。それは頼もしい。さ、杯を重ねるがよいそ」 いいたしまする」 と、また酌を促した。 杯は二合人りの朱塗りであったが、それを受けて、忠次 の骨張った手はかすかにふるえていた。 「さ、次は忠世、そちの入った二股城は敵に近い。気苦労 忠世も忠次も、信長の胸中に信康をのぞこうとする考え も多かろう」 がひそんでいようなどとは思いも寄らなかった。 「身に余るお言葉、ではちょうだいを」 彼等はいずれもわが身の光栄に感激し、信長の言葉を逆 122

4. 徳川家康 5

「急くな」と、家康は手をあげて、 と、あれがわッと押して来るぞ」 「そうとも。万一手向いしたら、みな殺しにして通ってゆ「落着いて話してみよ。わしはよく話を聞いた上で、その 方たちへ褒美を取らそうと言っているのだ」 「なに褒美だと : 「早く持物全部を出せ。急ぐのだこっちは」 この一言は、彼等のいきり立っている心へ、ふしぎな楔 まっ先のにつづいて、あとの二人がまた肩を揺ってわめ きつづける。この勢いで江州の瀬田近くからこのあたりまを打込んだ。 で、自分たちが何をしているのか、よく考えもせずに狂い 彼等が全身をふるわして喚き立てているのも、やたらに まわって来たのに違いない 刃物をふり廻すのも、結局は長い間忍従を強いられて来た 家康は、わざと間をおいて、 者の劣等感にほかならない。 「その方たちは織田どのに怨みがあるのか、領主に怨みが家康は冷たくそれを見ぬいているらしい。そして集団心 あるのか。また、その怨みはどのような怨みであったか申理の裏をかき、彼等の中からまず打算と理性を導き出そう 9 してみよ」 として試みているのにちがいなかった。 「そうだ。わしは、駿、遠、三、 三カ国のあるじ。武将と と、小声で言った。 「なに、何と言ったのだ。侍らしくもない。よく聞えぬいうはな、民をさまざまな乱暴者の手から守ってやるのが この身のっとめ : : : 」 「それで褒美を出すと : : : ごまかされるな。こやつは、質 「その方たちを、苦しめたのは誰であったかと訊いている のわるい弁巧ものじゃそ」 のだ。苦しめられたゆえ怒って蹶起したのであろう」 「それはそうだ。そうに決っている」 「待てツ」と、又家康はたしなめた。 「で、相手は、誰だ。見事に討取ったか」 「民の難儀を救うが武将のっとめゆえ、改めてその方たち 「おう討取ったとも。もうかれこれ首は百になるわい、そに訊いているのだ。不平のもとは年貢であろう。年貢はど ういううぬの首も討取ろうか」 れほど取られたのだ」 煽り立てるように言う相手へ、 「七三じゃ、三分の取前で喰えるものか。いや、その三分

5. 徳川家康 5

信康をどこかへ連れ去っては呉れまいか : と、書いてあった。 その連想を家康は心で恥じた。 それらの事は当然予期していたこととて、別 ~ う ( 未練なツ ! ) きびしく自分を叱りつけて、また馬をすすろはなかった。 めだしたが、一度心に浮んだ想像は執拗に彼の胸で明滅し その日も家康は使番の小栗大六を呼んで、 「三郎はどうしていやった ? 」 と、さりげなく訊ねた。 小栗大六は大浜と西尾の間を往復して、信康の様子をつ 家康は西尾城へ九日まで滞在した。 ぶさに家康の耳に入れていたのである。 「十 6 、 0 、 いや、それは滞在というよりも、滞陣というにふさわし 。ししささかも変ったところはなく、居間を一歩も出 かった。武装もとかずに弓、鉄砲の衆を引きつれてじっとずにご謹慎なされてござりました」 四方を押える備えで過していった。 「そうか」と、家康はため息した。 降りつづいた雨は七日の午後に至ってようやく止んだ 自分の命令はきびしくみんなに守られている。当然安堵 してよい筈だったが、 それが却って物足りなかった。 が、その七白の夜が、家康にとってはいちばん心の騒ぐ、 焦慮の一夜であった。 誰かが家康の胸に秘めているある想像を察知していて、 信康をどこかへ連れ去って呉れないかという、考えてはな あれ以来、信康の命乞いをして来る者は誰もなかった。 すでに家康の決意が牢固としてぬくべからざるものとの印らぬ考えがいつも心底から消えなかった。 大浜は海辺なのである。陸上の備えはきびしくしてあっ 衆を、きびしく上下に与えていったせいであろう。 たが、何者とも知れす、海上から夜陰ひそかに小舟でやっ その間に信長からの詰間状につづいて、こちらから届け ていった信康処断の手紙の返事がもたらされた。それにて来て、信康を攫っていったとなれば切腹の命は宙へ浮く。 その間に徳姫のあの切ない心情が信長に通じていった さように父、臣下にまで見限られぬる上は是非に及ら、或いは信康は死なすに済むのではなかろうか : 明日は切腹を命じよう ) ばず、家康の存分次第になさるべきこと」 ( いや、考えまいー 、にら こびくとこ 772

6. 徳川家康 5

福島城から再び急使が信長のもとへ飛んだ。直ちに援軍 脈を通じたとなり、勝頼がそれを処断しかねたとあって を送られたいという使者であったが、それは同時に、信長 は、及ばす影響は大きいと勝頼は考えた。 が、ひそかに待ち望んでいた好機の到来でもあった。 勝頼は直ちに出兵のふれをまわした。 「ーーよし、われ等と結んだものを見殺しには出来まい。 半ば感情にかられたこの面目維持のための出撃が、いよ この信長自身で救援に赴くゆえ安堵するように申伝えよ」 いよ彼を危地へ追い込む原因になろうとはさすがの勝頼も 信長は使者を返すと直ちに、飛騨の金森長近と浜松の家 考えられなかった : 当時すでに福島城の木曾義昌は信長のもとへ人質を送康のもとへ急使をとばした。 信長自身は信濃から兵をすすめ、金森長近は飛騨から、 り、勝頼の憤怒を計算にいれてしきりに使者が信長のもと 家康は駿河からと、三方から勝頼を攻め立てようというの へ往来していたのである。 その原因は言うまでもなく勝頼の課して来る軍役の頻繁であった。 この急使を受けて、家康は更に駿河の穴山梅雪のもとへ き、にあった。 一年として、民を養う暇もなく、春夏秋冬絶え間なく戦使者を送った。 「ーー・すでに、武田家の前途も決定したゆえ、この家康に にかりたてられたのでは、いかに戦国とは言え、自滅のほ 降服するよ、つ」 かはなくなろうーーーそう考えて生き残るための戦いから、 勝頼が小さな面目にこだわって木曾へ出撃すると言いだ 生き残るための降服随身に政策を変えていった義昌だっ したその一石は、見る間に中部日本全体へ大きな波紋の渦 をひろげていったのだ。 これはひとり義昌だけの間題ではなかった。 足許の甲府城からさえ逃亡する軽輩小者が現われ出した 義昌処断のために出兵すると聞かされて、駿河にあった のを、しかし誰も勝頼の耳にはいれなかった。 穴山入道梅雪も、 勝頼は、自分の命令は、それぞれ正確に諸将の間で実行 これで武田家は滅んだ : ・ と慨嘆し、彼も又生き残るために、家康への随身を考えされるものと信じ、みずからは旗本一千あまりをひきつれ て、甲府城を出発した。 だしていた。 231

7. 徳川家康 5

は山猿どころか肝に毛の生えた一匹の猛虎であったと言っ てよい : 」と、彼は笑った。 わが愛姫をここへ送込んで来ている限り、家康の援軍は「姫は、わしがいとわしいのであろう」 かならすやってくる : 「いとわしい : : と言ったら何とする気じゃ」 いや、もし又その援軍がとどかず、高天神城のように悲「何もせぬ。女子とはそうしたものじゃ。やがてそれに気 運の立場にたたせられたとしても、家康を怨むことはすま付く」 いと九八郎はハッキリ覚悟もしてあった。 「それ・ : ・ : それとは何のことじゃ。、 しとわしい」 「それとは : 亀姫と自分がそろって城と運命を共にしなければならな : この九八郎が、お方の父御のお眼がねに叶 い時 : : : その時には笑って死んで見せてやる。少くとも父 うほどの、あつばれな男であったことに気付くというの の武名を汚すものかと口癖のように言いもした。 じゃ。わしは、お方と父御を、同じ値打ちの人間とは考え その裏には彼の亀姫に対する愛情の勝利が大きな支柱にぬ」 なっているのだが、彼自身はそれに気づいていなかった。 そう言うと、さっさと部屋を出ていった。 そう言えば亀姫は、彼がこの城でいちばん最初に迎えた姫はあまりのことに、その時は返す言葉がなかった。 大敵であったと言える。 言わば、それが二人の間の戦い開始ののろしとなり、姫 はじめから婿の九八郎を山猿のたぐいと軽蔑しきって、 は奥の女子どもの、誰彼なしに唇をゆがめて言いふらし 最初の日などは、終日ロを利かなかった。 ねや 初夜の契りの閨では、 「わらわは、たとえ舌噛み切って果てても、殿に添い臥し は致しませぬ」と。 「ーー腹痛がするゆえ、一人でおいてたも」 そう言って、同じ部屋から九八郎を追い払った。 しかし九八郎はいっこう平気で、夜になると近侍を引連 これが世のつねの感情家であったら、おそらく全身をふれて姫の居間へやって来た。そして、食事をここでとり、 るわせて激怒するところであろう。が、そう言えば九八郎武辺話に夜をふかして、 と、固く信じているからであった。 ひめ おなご

8. 徳川家康 5

「それがしに切腹仰せつけ下さるよう」 「お父上は、われ等の心をよく知ってござるゆえ、そう 半蔵はまた同じことをくり返した。 た、ただ三郎は静かに腹切ったと、それだけ告げればよ 「どうやら大殿の心が汲めず、大しくじりをやってのけた : そう仰せ直されました。その時われ等はまだすぐに 様子、切腹のお許しがのうてはロが動かぬ」 ご生害とは気がっかず、いささか油断しあるうちに、いき 「半蔵 ! 」と、家康の声はとがった。 なり左下腹から右へ一文字に刀を引いて : : : 」 おえっ 「取乱してはならぬ。訊ねることに答えるのじゃ。その方半蔵は大きく口をゆがめて、必死で嗚咽をこらえていっ が参った時、三郎は何としていたぞ」 「すでに切腹のご決心、われ等のカでは動かしがとうござ 「すでに : : : すでに : : : 万事は終った。この上苦しめては と、それがし心を鬼にして : : : ご介錯申してござります . り・士ました」 る」 「忠世は何も申さなんだか」 「はい。忠隣どのへのお言葉によれば、万一敵の手に落ち家康はまた顔をそむけたままうなずいた。 ることがあっては、わが身の潔白、後の者に示しようのな 「して、遺骸は、何としたそ」 い一」とと・ 「大久保どの父子と相談の上、城外のたつみに葬り、ひそ かにご供養申上げてござりまする。殿ー たとえ如何なる 家康はふっと顔をそらして、大きく一つ頷いた。 はげしい気性の信康だった。信康の眼を据えて考え詰め事情があるにせよ、主君の嫡子に刃をあてたこの半蔵、何 とそこれにて切腹を」 て行く様子がまじまじと見える気がした。 「ならぬ ! 」 「そうか。後の世人に潔白を : : : 」 「最後に仰せられたは、われ等、天地神明に誓って一点の 「と、言うはなぜであろう、天方山城はすでに高野山に遁 やましさもないこと、大殿に呉々も申上げるよう : 世してござる。これではこの半蔵の一分が立ちませぬ」 仰せかけて、いや、それにも及ばぬと、前言を打消されま 「ならぬ ! 」 と、また家康は叱りつけた。 した」 「それにも及ばぬとは : 「その方も親吉と同じような事を申す。よいか、三郎一人 200

9. 徳川家康 5

そういうと、重政の言葉など聞こうとせずに、あたふた その日は朝になって雨はあがっていたが、まだ道筋はぬ と、街道を東へ去った。 れたままだった。 番所へ着くと、足軽は重政の馬を預りながら、 「すぐさっき、奥平九八郎信昌さま、安土より浜松へと声 をかけてお通りなされました」 平岩七之助親吉は、あのまま浜松の城にとどまって、安 土へおもむいた酒井左衛門尉忠次と奥平九八郎信昌の帰り と、報告した。 を待っていた。 「なに、奥平どのが : : : 一人で先にか」 甲州勢はあれから間もなく、まだ徳川勢を早急に撃破し 「はい。従者二名、ひどく馬を急がせまして」 得ないとさとって、いったん駿河から引きあげていってい こ。家康はその機会を巧みに捕えて、すぐさま、小田原の 重政はがつくりとして床几に掛けた。 奥平信昌一人が先に戻るのではすでに凶報と決ったも同北条氏へ密使を送り、今川氏の旧領を、北条、徳川の二氏 じであった。 で配分しようと外交交渉をはじめているらしかった。 信昌は事態の急を、一刻も早く家康に告げようとして通織田家との間に一つの危機が訪れかけている。そうした って行ったのに違いない。 時に若し勝頼から信康を狙われてはと、心痛をかくして画 ・ : 」策してゆく家康が、親吉にとってはたまらなく悲しいもの ( それでは、左衛門尉どのも、岡崎には立寄るまい : に見えた。 重政の不安は適中していた。 おんみつ 今日もその指図やら、戻って来た隠密の報告やらで、家 信昌よりも二刻ほど遅れて、馬を急がせてやって来た忠 康の居間へは朝から接見の来客がつづいている。 次は、大橋の番所に重政の姿を見ると顔いろを変えた。 それ等の客のとぎれるのを待って、親吉は、また家康の 重政が信康の命令で、自分を斬りに出ているのでは : 前へ出ていった。 と、感じたらしい 「大殿、お考えはまだ決りませぬか」 「騒ぐでないぞ。今度びは急いで浜松へ立戻る。浜松から すでに季節は盆をすぎていたが、今年の暑さは執拗だっ 追って沙汰があろうゆえ、騒ぐでないそ」 147

10. 徳川家康 5

「身を守るは刀だけと田 5 うな。黄金一枚で一つずつ、二度「はツ はそれで生命を拾うて行こうと思え」 一同が声をそろえて答えると、家康ははじめて視線を長 谷川秀一に移していった。 一同ははじめて家康の心を悟って顔見合せた。 「一枚使うたらすぐ忠次に申出で、つねに二枚は用意して「お聞きの通り、旅の心得は申し渡した。さて、どの道を おけ。それから : : : 」 どう通るが無事と思われるか、そこ許のお考えが伺いたい」 「恐れ入りました」秀一は涙を拭いて、 と、言って家康は、本多忠勝をふり返り、 「残りはその方、忠次と共に宰領し、決してわしの傍を離「差出た申条ながら日向守は名うての戦略家、その上女子 のように細、いにござりますれば、すでに、徳川、明智の両 れてはならぬ」 者の戦は矢合せに入ったものと、ご承知あって臨まれた 「、い得ました」 「出会うた敵が、一人二人の百姓、乱破のたぐいであってい」 も、あなどって刀は抜くな。それそれの才覚で、金銀を与言いながらふところから一枚の地図を出してひろげてい えて通るがよい。また : : : 三十、五十という隊をなした者った。 どもが現われたら、直ちに、忠次か、数正か、平八を通じ 十五 てわしに知らせ。これは、直々わしが扱おう」 言われるままにみんなは頷き、その間を、酒井忠次が金みんなの眸は期せずして秀一のひろげた図面の上に集っ を分配して廻った。 「みんなに金が渡ったら、改めてもう一度申しておく」 誰も一語も発さなかったが、家康の本心が、殉死になく 「よッ て帰国にあると知り、見えない活気がひたひたとみなぎり 「よいか。みなはわしの供して京へ入り、知恩院で一度は 「日向守は、細心の上にも細心ゆえ、紀州路も、山城、大 死んだと思うがよい。死んだものに短慮はない。堪忍 じゃ、堪忍だけが通行切手と、固く心にきざみ込め。みな 和路もみな手配りはしておりましよう」 みな分ったか」 「しかにも」 3