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検索対象: 徳川家康 5
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1. 徳川家康 5

「なに、着物をかえていると。律義な男だ」 信長はかたびらの胸をはだけて、長谷川竹にひかせた高 それから眼の前の配備図をゆっくり巻いて、カ丸の手で 松城の配備図の上へ身をのり出しては時々みずから朱を入 誓書棚へそれをおかせたときに、 れていた。 愛「青山与総、たたいま立戻ってござりまする」 そばには森蘭丸、カ丸、坊丸の三兄弟の他に、小川 「ご苦労、して、光秀は坂本城へ引きあげたか」 平、高橋虎松、金森義人などの小姓たちが居流れ、そのう しろに、わざわざ御前へ呼び出された、津田源十郎、賀藤「はい、本早朝、一族を引きつれ、出発致してござります 兵庫頭、野々木又右衛門、山岡対馬守などの壮年組も、時る」 「そうか。ではハゲめ、二カ国の加増で、ようやく機嫌が 時額の汗をふきながら控えている。 治ったのだな : : : 神経のこまかすぎるも扱いにくいもの 「よいか充分に留守は心してな」 じゃ・ 信長は何かべつなことを考えているといった独言に似た 言いかけて、信長は、急に鼻翼をふくらませ、 つぶやきで、 「本丸へは、津田、賀藤、野々木、遠山、世木、市橋、櫛「青山、その方が入って来てから、妙な匂いがするよう 田が詰めて留守するよう、また二の丸へは蒲生、木村、雲じゃな」 と、自分のかたびらを嗅いだり、顔を横にふったりし 林寺、鳴海、祖父江、佐久間与六郎、それに福田、千福、 丸毛、松本、前波、山岡と、充分心して備えを怠るな」 「おかしな匂いじゃ、魚の腐ったような」 「ははツ」と、みんなは声をそろえて答えたが、信長は、 「恐れながら : : : 」と、与総は自分も眉根を寄せて、 それも半ば耳に入らぬ様子で、 「移り香があまりにひどいゆえ、衣服をかえて参りました 「青山与総はまだ戻らぬか」 と蘭丸に言った。蘭丸はすぐに立上って居間を出てゆが、まだ肌着に残っていたものと見えまする」 「何の移り香だ。これは」 き、やがて急ぎ足にもどって来た。 「はい。日向守家来ども、残肴をあちらこちらに捨てて参 ' 「ただいま立戻られ、汗の通したお召物をかえて居られま りましたので、堀どのと計ってそれを取片づけ、とり取え 6 」 0 300

2. 徳川家康 5

「そうか。待っていました」 聞かぬどころではなかった。 はじめて御前は暮色の空から眼をはなして、 徳姫が信康の生命乞いに自分を安土へやって呉れるよう えんさ 「すぐに会います。これへ」 にと、家康に泣きすがった話がひろまると、家中の怨嗟は いぜんとして、冷たく澄んだ表情のまま室内へもどって 御前一人に集中していった。 上座にすわった。 「ーーあの立派な若殿を誤ったは、御前なのじゃ」 とも 「みの女、そろそろ暗くなろう。灯りを点すがよい」 いったい何を考えて甲州へ内通などしたものか」 慎しみのないお方ゆえ、減敬めの手管にかかり、色そこへ重政を先頭にして三人がやって来た。 に迷うてこの始末じゃ」 「ーー色に迷うてわが子を滅す、これこそ悪妻、悪母の手 「今年は、いつにのう秋の歩みが早いようで」 本じやわい」 そんなことを口々にささやき合うばかりか、みの女の姿野中重政はそう言うと、ちらりと上目で築山御前を見や を見かけて、 「今日は大殿のお使いゆえ、座を改むるが至当にござりま 「ーーあの、人でなし、まだ自害もせなんだかや」 つけつけとそう訊ねた足軽さえあった。御前が自害しするが、私事にわたる話もござりますれば、このままで結 て、勝頼に内応したのは、わが一存と申開きをしてくれた構にござりまする」 と言い添えた。 ら、信康が助かりはすまいかと考えている者が少くない証 拠であった。 築山御前はすぐそれには答えなかった。 みの女が運んで来た燭台の灯で、ポーツと室内の明るく 「申上げます」 今はただ二人だけの侍女の一人、あずさが御前と、みのなるのを待って、 女のうしろで声をかけた。 「大儀であった。この瀬名は家康が正室ゆえ座は改めるに 「ただいま、野中重政さま、岡本平左衛門さま、石川太郎及びませぬ」 三人は思わず顔を見合せた。 左衛門さまご同道にてお見えにござりまする」 17 /

3. 徳川家康 5

と、笑う代りにため息した。 いかにも、その白旗にござりまする」 滅ぶる者と興る者。 と、事もなげに答えた。 眼に見えない何ものかがそれをきびしく裁いてゆく。 九八郎は首をかしげた。 あまりにかな勝利が、九八郎には却って薄気味わるか つつ ) 0 「その白旗をどうして、そちの組下がかついでいるのじゃ」 ( いったいこの勝利から何を学べと言っているのであろう 「この彌之助が拾ったのでござりまする」 「なに、重代の旗をそちが拾ったと」 「全く勝頼という大将、どの面さげて甲州へ戻ってゆく気 「はい。それがしの拾った時、側に居りました梶金平が、 ゃあやあ勝頼、命おし か。一万五千、ほとんど全部失ったげにござりまする」 敵の旗奉行にこう言いました。 さに遁出す途中とは言いながら、先祖伝来の旗を敵に渡す「案するな。信州へ入って行けば海津の高坂弾正だけでも とは何、ことじゃ」 八千の兵は持っているわい」 「ふーむそのようにドてていたかのう」 九八郎は彌之助を渡し口まで送っていって、しばらくそ こに立尽した。 「慌てる段ではござりませぬ。それでもさすがに旗奉行は 羞しかったと見え , ーー愚か者よ。その旗は古物ゆえ捨てた昨日までずらりと対岸に陣取っていた敵のかがり火がな くなって、滝川の面にはチカチカと星が映っている。 のじやわい。べつに新しい旗がこの通り、ここにあるぞと 申しました。ところが金平も負けては居らすーーなるほど九八郎は何故か胸がつまって、呼吸が苦しくなって来 武田家では古物はみな捨てるのじゃな。馬場、山県、内藤 「鳥居強右衛門、戦は勝ったぞ。もはやどこにも敵は見え などの老臣も、みな古物ゆえ捨ててしまったのか : ぬぞ」 すると、こんどは聞えぬふりをして逃げて行きました」 九八郎は小声で呟くと、不意にはげしく、肩を揺って男 そう言って彌之助はおもしろそうに笑っこ、、、 泣きに泣きだした。 「そ、つか。そのよ、つにの、つ」 丿ルわ

4. 徳川家康 5

「存じませぬ : ・・ : はじめて伺いました」 と、言いかけて、信康はひどくあわてた。自分に逃亡を 「そのおりのお父上の顔、いまでもハッキリおれには見えすすめた、洩らしてはならぬ人の名を、思わず口にしてし る。はじめは怒ったようにこの信康を見据えられ、やがてまったのだ。 眼を赤くされて首を振られた。お父上は、この世のこと 「いや、その : : : 逃亡をすすめた者は : : いま死ぬは大死 は、秩序第一、和合第一と考えられ、時にきびしく私情をと申すのだ。生き残って後に備える事こそ孝、ともおれに : が、おれにはそうは考えられぬ。ここを逃亡す 殺すくせがある。おれは又強って頼んだ。この信康が弟言った : と、すでに名乗りを済ました者、お父上がお許しなくば、兄れば行手は敵地、いやでも一度は勝頼に会わねばならぬ。 弟は、また離れ離れにならねばならぬ。われ等兄弟を哀れ勝頼に会うたら安土の舅が抱いた疑念は、事実ではなかっ たと、後日に何の証拠も残せぬ : : : わかるか於初」 と思召さば、何とそ : : : と。すると、あの父上が、いきな いっか於初は両手の拳を膝に立てて泣いていた。 りおれが肩をつかんでお泣きなされた。が、言葉はいぜん に、信康を逃亡させたいと考えて きびしかった。そちがそのように申すなら、と、於義丸を彼もまた、心のどこか いたことに気付いたのだ。 呼び入れられたが、膝には乗せず、たった一言、そちはよ い兄をもったぞと、仰せられただけであった : : : わかるか そのためには、父家康への反感を煽らなければと、そん 於初、そのようなお父上ゆえ、こんどのことでは、病の床な意識もあったらしい にも伏される筈 : : : この信康は、母を殺し、父を苦しめて「それゆえなあ於初、この信康に、両親のことを言うでな ・ : 不孝な子であったそ」 いそ。信康はの、いまにして信康の信じた道を、しつかり いっか月は山の稜線を離れて、主従の影をくつきり縁の歩もうと心に思いさだめたのだ。逃亡して大久保父子に累 端に描いていた。 を及ばし、父を疑わせ、わが身の潔白を曖昧にするは愚か なことと気付いたのじゃ」 「若殿 ! お許しなされて下さりませ。私は愚痴にござり ました」 「それそれ、だんだん月が澄んで来たぞ。涙をふいて、大 「のう於初、信康とて、この城を逃亡すれば生き残れると 思わぬでもない。忠隣はそれを : : : 」 あお 190

5. 徳川家康 5

「お父上、右府さまのもとより上使、青山与総どのが見え そう言い放って、さっさと次の間へ出て行った。 られてござりまする」 「もはや来られた : と、明るい声で告げていった。 と、光秀はもう一度沈痛に吐息してみんなの顔を見てい つ」 0 「電光石火が、上さまご作戦、よいかの、われ等の心はす 光秀の長男光慶は、この時まだ十四歳だった。 でに決っている。どのようなご難題を蒙ろうと騒いでは相 どこかに繊弱さを見せてはいるが、しかし明るい感じの成らぬぞ」 かたぎめ 美少年で、誰からも隔意なく敬愛されていた。 それから殊更ゆっくりと立上り、肩衣の襟を正して客間 その無心な笑顔は、時が時だけに、一層一座の不安を深へむかった。 めた。 客間では信長のお使番、青山与総が、ニコニコと笑いな 「上使が : ・・ : もう参られたか」 がら扇を使っていた。 「はい、お父上は、今日、ご本丸の階段から落ちられまし 「日向守さま、今日はひどい目に会われましたそうで」 たそうな」 光秀は苦々しげな表情できちんと、下座へすわって挨拶 「御上使が、そのようなことを言われたのか」 「おけがはなかったかと案じたり笑ったりして居られまし 「殊のほかの暑気、御上使には、ご苦労に存じまする」 た。ご本丸の階段はよく磨かれてはあるが、お父上のお頭相手はそれを軽くうけて、 ほどなめらかではない筈なのにと言われて」 「これはこれは。どうも安土には時々思いがけぬ落雷がは 「たわけ者 ! 」と、光秀は渋い顔して叱りつけた。 やりましてなあ」と、また笑った。 「戯れごとは男のロにせぬものと、あれほど訓えてあるで「して、御上使のおもむきは」 「落雷お取り消しにござりまする」 光慶はそれでも尚笑顔をおさめず、 「えつ、落雷お取り消しとは ? 」 「上使が、そう仰せられましたゆえ、お取次ぎまで」 「惟任五郎左衛門さま、森蘭丸さまご両人のおとりなしに

6. 徳川家康 5

「三郎はただいま二股城に移してござる。と、申すは岡崎 入った 0 で、酒井忠次の所業にあらぬ怨みを抱き、騒ぎ出そうとす 浜松の西北に建てさせた築山御前の仮りの住居が出米上 る者があるゆえ、万一を想うて移したもの。また築山殿ったのは二十四日。ここへ御前を幽閉して、 は、浜松へ呼び寄せ、わが身みずから窮命の所存でござる」 「ーー、築山どのは逆上、狂乱致してしもうた」 家康は、そう答えながら、築山どのなど斬るものかと、 そう言って、天寿だけは全うさせようというのが家康の わざと眉をしかめていた。 考えだった。 「すると築山御前は、まだ岡崎にそのままおわすのでござ 家康は二十六日に至って岡崎へ使者を送った。 りまするか」 「築山どのを、浜松に護送すること。大切な罪人ゆえ、道 「そのままではない。竹矢来を結え、居間を牢舎に致して中過ちのなきよう、特に岡崎より、野中五郎重政、岡本 ござる。浜松へ引取るべき牢舎が出来上るまでの処置とし平左衛門時仲、石川太郎左衛門義房をして警護せしめるよ てのう」 その時もお使者は小栗大六だった。 信長の使番は、それでひとまず安土へ帰っていったが、 もはや処断は遷延を許されない所へぎりぎりと追いつめら大六を岡崎へ出発させると家康は急に悪寒とめまいをお ばえた。 れてくるのであった。 「信康は相変らずか」 めつきり秋気が冴えて来て、朝夕の大気の冷えが身にこ 家康はその後も度々人を派して、信康の動静を報告させたえ、風をひいたのであろうと思ったが、 臥床に入ると全 身の節々がぬけそうにだるかった。 ( どうやら、これは疲労であったと見える : : : ) 二股城はすでに敵勢力との境界線にあたっている。 かって病気を知らないほどの家康も、こんどの事件だけ そこから一歩山岳地帯にふみ出せば徳川方の手は及ばな いといってよい はよほど骨身にこたえたらしい いまでは西郷の局と呼ばれているお愛が、枕辺をはなれ ( 信康め、自分でもまた、何故助かろうとしないのか ) 眠ると家康は、時に大声でうわ じりじりと奇蹟を待っているうちに、ついに八月も下句ずに看護しているのだが、 ) 0 175

7. 徳川家康 5

さえ、また戦いとなったら召上げられる。それゆえ先手をよりなかった者の、勝手のちがった戸惑いが哀しく四人の . 打って : : : 」 顔に浮んだ。 「蓆旗を立て、領主の米蔵を開いたのじゃな。まさか、同「その方たちがこんどの頭か。名は何というぞ」 じ苦しみを舐めさせられている、他村の百姓どもを襲いは家康は、黄金を十両すっ四つ地面にならべてゆきなが ら、 すまいな」 「なに、他村の : : : 」 「何れ、天下が治まり次第名乗って出よ。必ず力になって これが二度目の楔になって、彼等がちらりと自責の視線やろう。今日はこの金と墨附きをつかわしておくゆえ、一 を交えたとき、家康はすかさず又言葉をつづけた。 揆の群の中から三十人ほどを選んでの、道案内に立たすが 「仲間は守れよ。よいか、織田どのは討たれたが、このまよい。長谷川どの、書きものの用意を」 ま乱世には相成らぬ。わしの軍勢十万のほか、中国へ赴い 言われて長谷川秀一があわてて矢立を取出すと、 ている羽柴筑前が十数万も直ちに近畿へ引返そう。それま 「行先は、宇治の田原の山口藤左衛門光広がもとであった での間のみだれじゃ。武将に代ってな、よく仲間を守っての。さて、その方の名から順に」 やれよ。さ、褒美を取らそう。忠次、黄金をこれへ持て : 家康は、例の返り血を浴びた男を自信にみちてうながし 榊原小平太は、この時ほど、妙な気持になったことはな っ一 ) 0 忠次が、言われるままに金袋をはこんで来ると、四人の この掛け合い、千に一つもまとまるものかと、鯉口を切 表情はおかしいほどに変っていった。 って控えていたのに、家康にうながされると、 いずれも善良な稼ぎ人に違いない。 「へえ : : : わしは、大石村のま : : ま : : : 孫四郎で」 一人があわててまっ先の一人の袖をひき、あとの二人 打って変った従順さで答えたのをきっかけに、 は、それをかばう形で、ヒソヒソと何か私語してゆく。強「わしら、桜谷の関兵衛で」 ししとび 圧されて忍従するか、反撥して狂いまわるか、二つに一つ 「わしは、鹿飛村の彌六、またこれは田上の六左衛門でご 370

8. 徳川家康 5

がら、うしろに従っている板坂ト斎をかえりみた。 「わしはこんどの出陣が、これほど幸先よいものになろう とは田 5 っていなかった」 「みな、ご隆運の印でござりましよう」 とぎしゅ・フ 父の法印とともに信玄のお伽衆をつとめて来た侍医のト 斎は、うやうやしく笑った。 「正直に言うとな、わしは家康めが長篠城へわれを裏切っ た奥平九八郎を人れたと聞き、これを捨てておけぬと思う たのじゃ」 「、こ尤もに ~ 孖じまする」 「ところで今では当初の考えとはがらりと思案の規模が変 って参った」 勝頼は楽しそうに朝の陽を仰ぎながら、端麗な横顔に夢 こうこっ を追う者の恍惣さをにじませて、 甲府の春はまだ浅かった。 「淡路の由良に遁れてあった足利義昭公から急遽上京ある 四周の連山は山ひだに消えやらぬ雪を光らせ、庭はいっ ように : : : そう言って来られるまでは、わしがただ家康め ばいの霜柱であった。 を : : : と、事を小さく考えていたのだ」 その霜柱をふんで、勝頼は城の内外に結集した軍兵を見「それが、大事なご上洛戦に変りました」 てまわった。 「おお、お父上が生涯の希いであったご上洛の戦にのう」 人も馬も、彼の目には逸りきった頼母しいものに見え 「たぶんご尊霊も地下でおよろこびでござりましよう」 「そうであろうとも。将軍義昭公は、家康はじめ、家康の 勝頼はひとまわり城内を歩いて奥庭から居間に近づきな母が生家、刈谷の城主水野信元のもとへも、越後の上杉へ 颶風の巻 っ ) 0 緒戦 はや もっと ながしの

9. 徳川家康 5

「これ満月ツ」 の上のそれと同じであった。 「十 6 、ツ し」 「ええ放せツ、こやつは許せぬ狸じゃ」 「とばけた返事だ。盃を取らす。これへ来いツ」 「いいえ、いいえ、そのようなことはござりませぬ。この すが 「キ、ツ 子は、あやめに甘えて、縋っているのでございます」 菊乃はホッとしたようだった。出された盃を頂くように 「たわけたこと。こなたは人が好すぎるわ」 「いいえ、そうではござりませぬ。この子の頼るはあやめして、しんけんな顔でぐっとそれを一気に飲んだ。 : 」と信康は笑った。 だけ : : : それゆえ、あやめに手伝わして貰うてと : すぐ心がロに出たのでござります。これ、菊乃、こなたも相手の乾し方で機嫌が直ったのではなく、この小癪な小 娘を、辟易させるもう一つの手を考えついたからであっ お詫びを」 おび 菊乃は丸い眸を一層まるくして怯えていたが、これは、 「そうか。そちは正直に、田 5 うままを言ったまでだったの あやめのように腑におちぬままでは詫びの言えない性質ら 力」 しく、すぐに頭は下げなかった。 「殿 ! このあやめに免じて : : : 新春でござります。芽出「はい 「それはおれが短気であった。折角素直に、おれの子を産 度いよい日でござりますれば」 もうと言うこなたを叱ったりしての」 「ウーム」信康はその一言でようやく怒りを押えていっ 「いいえ、いいのです」 決して、菊乃への疑惑がとけたのではなく、正月早々か「許してくれるか」 ら、また父に叱られるような詰らぬ事を起してはと、あや「はい 「では産んで貰うよう頼むかどうか、おれの方でも決めね うく自省していったのだ。 ばならぬ。なあ、みんなそうであろうが」 「よし、ではあやめは、この満月を、見たままの小娘だと しかし誰も答える者はない。信康はひとりでまた意地わ いうのじゃな」 るそ、つにニタリとした。 「それに相違ござりませぬ。お許しなされて下さりませ」 へきえき 109

10. 徳川家康 5

まもっていた。 それが四十九歳で絶体絶命の死の前に立たせられてい 信長はまなじりをあげて蘭丸の消えていった方向と、ある。あまりに虚勢を張りすぎても悲しかったが、取乱され たりへ散った敵味方の死骸をにらんで、呼吸を整えてい たら更に悲しい。 「上さま ! 」と、呼びかけて、御前はまた、 公卿やお数寄屋衆や、切支丹のパテレン達などの前にあ 「殿 ! 」 る時の信長は、なぜか水におとした油のように浮いて見え と親しい昔の呼び方に変えていった。 たが、いまこうして、血ぬられた鎌槍を突いて立った信長「おもしろい生涯でござりました。この濃には」 は、争闘の雄叫びと溶けあって、あるべきものが、あるべ 「なに」と信長はふり返って、 き場所に立っている感じであった。 「うぬは、おれと一緒に死ぬ気か」 「殿はご無念でござりましようなあ。光秀ずれにこのよう ( 信長はやはり武将だったのだろうか : : : ) いや、と御前は首を振った。 充分に、乱世経綸の才に恵まれた生れつき。それなれば 意地のわるいきき方だった。返事によっては生涯の笑い こそとにかくここまで世人を瞠目させ続けて来ているの納め、 ) 0 「ーーー・信長とはそのようなお人でござりましたか。はじめ しかし : : : と御前は思う。乱世の英雄は必ずしも平和なて正体を見せられました」 時世の英雄ではないようだ。 大声で笑ってやる気の御前であった。 恰度、濃御前が、無二無三に暴れまわる若い信長の妻で 「ー・・・ー・肉親の兄弟を斬り、婿を斬らせ、家臣を追った猜疑 はあり得ても、右大将の妻ではなかったように : の果が、そのご最期でござりまするか」 御前は、大きく浮いては沈む信長の胸の中で、いま、ど そう言ったら或いは信長は、手にした槍で御前を突き伏 のような感慨がうず巻いているかを知りたくなった。 せてくるかも知れなかった。 ; 、 カ御前もまた音に聞えた美 どんな場合にも弱音を吐かなかった信長。 濃の蝮の娘なのだ。突かれながら笑いつづけて死んでやる 人生は五十年と口癖のようにいっていた信長。 気であった。 327