と、こんどは幽古が合槌を打った。合槌を打っことが秀貧士貧女に数等劣る畜生にひとしい者になり下る。よっ 吉のあとのロ述を誘うということをすでに幽古はのみ込んて、秀勝と共に、敢てここに故右府さまの葬儀を取行う。 でいる。それだけに口調も態度も敬皮をきわめていた。 わかったな」 「そこで、この秀吉が葬儀をせねば居られなかった事情を 「よっく、わかりまして′」ざりまする」 申し聞かせる。よいな秀勝 : : : 右府さまは、一門御連枝も「取り行う以上は、全力を尽してご冥福を祈らねばなら 少くなく、また老臣も多いことゆえ、実はこの秀吉、差出ぬ。持てるもの、捧げうる誠の限りをつくしてな」 て誤解されてはと、じっとこれまでこらえて来た。が、さ し」 て、何という云い甲斐ない世の中か。いかにそれがしが、 「よって葬儀の次第は一七日。よいか私心なく誠を傾けた 口を酸くしてすすめてみても、誰もすすんで葬儀のことを儀式かどうか、後人が見ようほどにはっきりと認めてお 取り運ぶ者が居らなんだ。無念なことじゃ ! 」 け」 そういうと、秀吉は片手で自分の額をおさえて、 「まず第一日目に当る十月十一日は転経」 「分るのう秀勝、そこでわしは今の世と睨み合せて熟考し おんてき 「はい認めました」 た : : : 昨日の親友が今日は怨敵と代り、昨日の花は今日は すでに塵芥となる。この秀吉とて、なんで明日のことが分「二日目は諸経頓写並びに施餓鬼。三日目の十三日は懺 ろう。その事に考え及ばず、下賤の貧士貧女といえども弔法、十四日は入室、十五日は闍維じゃ」 いの志あるものを、この秀吉が逡巡していて、葬儀もせず「認めましてござります」 しようざねんこう にそのまま右府さまの後追うようなことになっては、それ「十六日が宿忌。十七日が陞座拈香。つまり葬儀は十五日 こそ泉下で右府さまに会わせる顔もない仕儀じゃ。幽古、じゃ。これが秀吉に出来る限りの : : : 」 ここが大切なところじゃそ ! 故右府さまのお見出しに そういうと秀吉の閉じた眼からすーっと涙が糸をひい 預り、織田家と同胞合体の寵遇を蒙りながら、最後に一片た。 の勇気をかき、連枝老臣の思惑をはばかって、当然なすべ きよ、つだ きことをなさずに死んだとあっては、この秀吉は、忘恩怯懦 じゃい 206
て、出来ることがあったらすることです」 「でも、それはお母さまや、お姉さまにお任せします。そ 茶々姫はまたウトウトと眠ってゆく高姫が憎らしくなつの代り決めたことには従いますから」 「高どの ! 」 て来た。 ( この人はお母さまと同じように、どんな運命の波にも身 到頭茶々姫は怒ってしまった。まだ艶冶さはなく、整い を任せ得るというのだろうか ) すぎた顔が、そのため一層きつく、近より難い感じであっ 「高どの」 呼んでみたが返事はなく、軽い寝息がもれて来た。 「ではこなた、決めた事には従いますね」 茶々姫は又腕をのばして、キュッと鼻をねじあげた。 「従いますとも、仕方がない」 「痛いツ。まあひどい事をなさるお姉さま」 「では、すぐにこの城を、こなた一人で脱け出すがよい」 「えこの吹雪の中を : : : 」 「高どのは、私にばかり考えさせて、ずるいとは思わぬか そばめ え」 「そうです。そして、京へ行って筑前の側女になるがよい」 「まあ、ひどいことを : : : 」 物云うたびに、まっ白な息がそのまま夜具のえりで小さ な水の玉になってゆく。それを荒々しく掌で撫でて、 「側女になった上で、どのような事があっても、私たち親 「起きましよう。こうしている間も私たち親子四人の破滅子四人の生命は取らぬ。必す救い出して迎え取るという誓 の時が近づいているのです。覚悟だけはハッキリと決めて書を書かせてみるがよい」 おかなければ」 「お姉さま、本気でそのようなことを : : : 」 「それごらん。出来ないであろうが」 茶々姫が起き上ると高姫もしぶしぶと起きて夜具の上に そのようなこと : 「それは : 坐った。 「どう騒いでみても仕方がないから、私はお姉さまのおっ 「それゆえ、従いますなどと云わぬものじゃ。こなたと私 しやる通りに致します」 は一つ違い、母上さまには相談しても無駄なこと。達どの 「それは、無責任な甘えというもの、叶わぬまでも考えはまた幼い。さすれば私の話相手はこなた一人、よく考え 271
伴って来たのが気にいらぬと云われるのか」 とを申している。これだけハッキリとした義戦に、この筑 「知れたことではないかツ」 前が、肝胆相照したお身たちから人質を取ったなどと言わ 秀吉はまた怒鳴り返した。 れては末代までの笑いものじゃ。お分りかの、この筑前が 「第一、人質をと考える心が水臭い。われ等と、こなた衆カーツと逆上しかけたわけが」 「なるほど : の間は、そのような間柄ではよもあるまい。双方ともに、 : これは、われ等が間違うていた。いかにも 亡君のご無念を晴らすことで火の玉になっている筈、人質人質は引っこめよう。のう右近どの」 清秀がそういうと、右近は無言でうなずいた。 などは早々に城へ帰されるがよい」 ふーむ」 この方は何という秀吉の煽り方の巧さかと、チラリと感 清秀が全然虚をつかれた形で思わず右近をかえりみる付いた様子であったが、しかし、秀吉はそれにも再考の余 と、右近は眼顔でうなずいた。 地を与えず言葉をつづけた。 「なるほど、これはわれ等が誤りだったのかも知れぬの。 「いや、分って下さればそれでよい。もともとご両所のか これは並みの戦ではなかった」 けつけられるのを待っていた筑前だからの」 「知れたことじゃ。帰る城を持たぬわれ等に何の人質ぞ。 秀吉はもう何事もなかったような淡々さで、すぐふとこ むろんご両所とも、われ等と共に勝利か、死かの覚悟はあろからの一枚の手控えを出した。 る筈じゃ」 「よいかの、采配はこの筑前が預る。まず全軍二万五千と そう云ってから秀吉はがらりと声の調子を変えて、 みて、これを三隊に分けて進もうと思う。左翼は山手、中 ただいまもの、細川家から誓書が参ったがの。あれだけ央は中手道筋、右翼は川手にわけて本日直ちに進発する。 光秀と親密な藤孝までが、嫁の御前は山中に監禁し、光秀一刻遅れるとそれだけ相手の数も殖えるでの。ところで大 とは義絶の上、父子ともに髻を断って義を正されている。 切なはこの中手道筋、ご両所はどの道を進まれたがよいと 田 5 、つか・な ? ・」 いや細川だけではない。筒井順慶がもとからも使者があっ た。この度びの葬い合戦、名分の上からも断じて光秀には 息つく間もない言葉の奇襲にあって、 味方は出来ぬとのう。中国の毛利一族も鉾を納めて同じこ 「中手道筋の先陣は、この高山長房が仕る」
於義丸はこの時もう十歳になろうとし、父を見ると両手す。多数の人々の意志を無視して動くことは、悠久に流れ る歴史の本流にあらがうことで、いかなる力の持主もやが を支えて、帰陣の祝いを述べていった。 て自滅し去るという必然の理がありそうであった。 「無事にご凱陣、お芽出度う存じまする」 家康はその面から、信長に詰腹切らせられた長子の信康「於義、さ、菓子を取らそう」 を連想し、その信長も、そして、信長を討った光秀もすで そう云って、じっと自分の動作から眼も離さずに控えて にこの世にないことに、今更のごとく暗然としていった。 いる本多平八郎忠勝に、 「於義、ここへ来てみよ。父が、つむりを撫でてやろう」 「平八、飲め」と、笑ってみせた。 「まだこれからも戦は続こうが、あせらぬことじゃな、浮 家康は、わが子の頭を撫でながら、この次には、秀吉世のことは」 と、兵をつれて越前からやって来る柴田勝家とが、また夥平八郎忠勝は、それでも視線をそらさず、ぐっと堅く盃 しい血を流し合いそうな予感がしてならなかった。 の酒をふくんだ。 8 「そなた、坂本城の光秀が妻子の最期のさまを想うていた 1 「武人のつね、敢て想おうとは致しませぬ」 信長歿後の二十日間は、光秀と秀吉の生涯を決定した 「そうか : : : わしにはまざまざと見えるような気がする。 が、同時に家康にとっても又、その生き方の規範を決めさ せる重大な機縁をなした二十日間であった。 光秀の長男の十兵衛光慶は、丹波の龜山で病んでいた筈、 この二十日間に家康は、薄々ながら歴史の流れを感じ取これもはや十四歳ゆえ覚悟も出来ていたであろうが、坂本 つ ) 0 城におかれた妻女はかれこれ四十七八にもなろうか : : : 次 それは人間の意志のままに作られる流れであると同時男の十次郎は十二、三男の自然は十一、一女があってこれ 一人の権力者の恣意には断じて従わぬ流れのようでもは九ツ、末子の乙寿は八歳と云うことじゃ。これら頑是な あった。 い者が、母の袖にすがってのう : : : 」 この場合の人間の意志とは、最も多数の人々の意志を指 そう云うと、珍らしく家康は眼をつむって、傍の於義丸 力」
秀吉が、或いは別居幽閉だけでは納得せず、斬れと云い そうな気がしてたまらなかったのだ : 「よしよし。よく分る。夫婦の情愛は別のものじゃ。この 「二人の仲は、人も羨む睦まじさと聞いていたのに、光秀筑前など、敷藁の上に薄べり敷いて、清洲の長屋で婚礼し めが、とんだことを仕出かし居ってな。この秀吉に攻めらた寧々じゃが、この間中の、あの忙しい陣中でも時折り夢 れて、半日持ちこたえる力もない癖に、天下を狙うなどとに見たほどじゃ。日本一の夫婦仲を羨まれたそこ許たち : 大それた : ・ : 分る。分る ! 」 秀吉はそう云うと、節くれだった指で眼頭をおさえた。 与一郎忠興は、いっかうなだれてじっと涙をこらえてい っこ 0 興はギクリとした。 桔梗のために泣いて呉れた武将が秀吉の他にあったであ ( 秀吉はこれほど深く人情を解す大将であったのか : ワつ、つ、か 0 の大将のためならば : : : ) みどり児はまだ頑是なく、召使われた腰元どもまでが、 若い忠興の胸は、いっかその感動でいつばいになってい。 主殺しした者の娘という汚名に気を兼ねて、他人の前ではる。 泣かなかった。 「与一郎、では、この辺でお暇申そうかの」 ( それなのに秀吉が : : : ) 藤孝がしずかに云った。 「筑前どのはご多用にわたらせられる」 と、秀吉は云った。 藤孝もまた、すでに信長の後継者は秀吉と、改めて思い 「今しばらくじゃそ。我慢せよ。よいか、いますぐ許した返しているのであった。 とあっては、秀吉が、偏頗をやった、与一郎の身びいきを 十三 しすぎたと非難される。それゆえ、今暫く謹慎させておけ ・ : 何の罪が姫にあろうそ。右府さまの葬儀が済み、この 細川父子を送出すと、秀吉は、蜂須賀彦右衛門と黒田官 秀吉に、真正面から難癖つける者がないと見きわめたら、 兵衛を呼んで茶をのんだ。 てまえ すぐに謹慎を解こ、つでのう」 点前はあれからずっと秀吉に従っている大村幽古で、幽 へんば
位置を確め、それからの退き戦じゃ。・ハ力な奴めが : ・ : 」することが、秀吉の心を乱す最大の神経戦 : : : と、心ひそ かに踏んでいたのた。 ロではそう云いながら、しかし、その夜のうちに、手配 。糸かく命じていった。 岐阜の方も抛っておけない事情にある。そこで秀吉は、 盛政を 無事に引きあげさせるためには、秀吉勢の右翼、引っ返せば退かれ、出て行けば叩かれる : : : これを二三度 羽柴秀長と、堀秀政の両隊だけは、身動き出来ないように 繰返されると、はじめてカーツとして真正面から勝家に立 この方面へ釘付けておいてやらなければならない。 向って来るか、さもなくば何か口実を設けて和平を云い出 それが戦略的にどのような意味を持つかと云うことなすか ? ど、もはや考えてはいなかった。 そう見ぬいているので、再三、再四、佐久間盛政に、引 間題は秀吉と一戦して、 揚げを命じたのだ。 うぬの下で生きるよりは、こうして死ぬ男だおれ しかし盛政はついに功をあせって過ってしまった。盛政 よ、ハ刀かっこ、 が、素直に引きあげてさえ居れば日和見の諸将もまた、じ っと陣を張っているより他になく、陣を張って居れば、そ 3 一泡吹かせてハッキリとそれを相手の胸に灼きつけてゆ けばよかったのだ。 れはそれだけで充分、味方の威容の見せかけにはなったの もし、この方面の指揮を秀吉が取っていたら、恐らく勝 勝家は、夜明けから正午まで采配を握ったまま野陣の床 家は、陣頭に立ってこれに挑みかかっていたに違いない。 ところが秀吉は、この方面を堀秀政と弟の秀長に任せ几で深沈として味方の敗報を聞いていた。 そして、前田勢の戦場離脱の知らせを聞くと、始めて床 て、自分は盛政の方へ行ってしまった。 めんじゅいえてる それだけに、何度「あのバカめがツ ! 」そう云っても云几を立って毛受家照を呼びよせた。 「今日は、わしの、不運な死に方をする日になったそ」 い足りない気持であった。 勝家には、秀吉の癖も戦術も、盛政よりはずっとよく分家照はしばらく頭を下げたまま答えようとしなかった。 かっている。 それだけに、秀吉の留守に叩いては退き、叩いては退き
ぬ。世間にはやはり、主君の仇を報ずる葬い合戦でなけれ 四 ばならぬ」 また暫く二人を忘れたような沈思がつづいて、 彦右衛門を先頭にして福島市松、小出播磨守、三好武蔵 「よしッ 守などが浴室にかけつけて来たときは、秀吉は肌着だけを そう叫ぶと、秀吉は三度び浴槽に身を沈めた。 つけて、傲然と流し台に腰をおろしていた。 いっか湯気と共に窓がほのかに白みだしている。 すでに、あらゆる場合に備えての自問自答は終ったらし 時折馬の嘶きは聞えたが、人間どもは殆んど全部が疲れ 。名人の碁に見るように、きびしく一手ずっ先を読ん た仮睡に身を任せているようだった。 で、読みつくすと疾風のように動いてゆく 「殿、湯がさめませぬか」 むろんそれは彼が生命をささげて傾倒して来た信長から 得たものであったが、同時にまた、彼も持って生れた、緻 「いま少し熱い湯を汲みこみましようか」 密な頭脳と放胆な性格のいよいよ磨き出されて来た姿でも 、や、いらぬ ! 」 あった。 云ってから秀吉はすーと浴槽を出て、こんどは自分で自「武蔵」と、彼は、まっさきに姉婿の三好一路に声をかけ 分の躰を入念に拭き出した。 「これで、心が澄んだ。垢もない。夜が明けようとしてい 「わしらは、尾張の百姓だったな」 る」 しかにもその通りで」 「仰せの通り」 「生れた時は素ッ裸であった。お袋さまもその事はご存知 「佐吉、市松が見えぬようだな。呼んで来い。平馬、そちじゃ」 は蜂須賀彦右衛門に、金奉行、蔵奉行を連れて来いと云 「それはもう、この上ない出世と、この城を見てお喜びで え。おお、ここへじゃ。寝ていたら起して来ればよいのだ」 」ギ、りました」 秀吉はそう云うと、 : と一笑して、楽しそう 「喜ばせようとて云っているのではない。わしはもう一度 に股間の男の象徴を拭きにかかった。 裸に帰るそ。いま、金蔵に金はどれほどある ? 一 ) 0 6 8
そんなことを云っていた姉だけに、父が信長を : : : と聞白な指でつまんで見せた。 かされた時のき方は想像にあまりある。 「教会で知りあった堺の娘御たちが呉れたので、そのまま ( と、云って、私ならば自害など : : : ) 胸にかけて来ました」 斬られるにしても、繩を打たれて引き立てられるにして「ほう、堺の娘御たち : : : というと、どなた様でござりま も、生きれるだけは生きて考え、考えたままを誰かに伝えしような」 たに違いない。 四郎次郎は、いよいよ光秀の娘とわかると、その娘が、 ( やはり姉は弱かったのだ : いま何を考え、何をしようとしているのかが無性に知りた と、桔梗は、つ。 くなって来た。 父が信長に叛くというようなことは、姉や自分の知った 。しこれを呉れたのは、たしか納屋蕉庵どのの御、 ことではない。彼女たちは父に諫言出来る立場になく、信木の実さまとか云われました」 長の意志のままに嫁がせられた人形にすぎないのだ。 「それはまた奇縁でござりまする。私は納屋さまへ出入り その人形が、父の行為に責を覚えるということすらすでの者で」 におかしいのに、自害をすれば、父の悪業を認めたことに 「そうでしたか。それならば、仲よしの宗易さまのお娘御 なるではないか。 もご存知か」 「もし、お女中、こなた様は切支丹をご信仰でござります「は、。あの、おぎん様のことで」 るか」 「そうそう、みな、濶達なよい娘御たちであった」 じっと水面にきらめく小波を見ながら考えている桔梗 「そのことでござりまする。さすがは日本一の堺の津に育 に、四郎次郎はまた話しかけた。 った方々だけあって、ひどく開けてござらっしやる。それ に比べると、さっき話の出ました、尼ヶ崎の奥方さまなど 四 は、哀れなものでござりまするな」 「よ、 0 、、 え、まだ洗礼は受けて居りませぬが : 四郎次郎がさり気なく話題を思う方向へそらしてゆく と、桔梗は答えて胸にかけた小さな銀の十字架を、まっ と、桔梗はちかりと相手を見て、すぐ冷静に片頬へ笑をう 6
古が 「よしよし」秀吉は子供のようにうなずいて、 この筑前が、どの 「お疲れではござりませぬか」 「二人とも次の間で聞いて居るがよい。 茶碗をおくのを待って秀吉にたずねると、秀吉は眼を細ような応対をするかとな。よし、一ぶくしたゆえすぐに会 めて胸をたたいた。 おう。これこれ佐吉、筒井父子にこれへと申せ」 彦右衛門と官兵衛はさがっていって、あとへは秀吉と幽 「鍛え方が違う。なみの人間どもとはのう ! それとも、 ・古が残っこ。 その方が参ったかな」 「しいえ、あまりご無理を遊ばしてはと」 「幽古、この筑前の応対は千変万化、いや、まことに眼覚 「幽古、疲れぬ秘訣はな、仕事を楽しむことじゃ。しかしましいものがあるそ。黙ってな、釜に向って聞いているが 疲れたら代ってよいぞ。堺の茶人たちに、もはや近畿に乱よい」 はない。安堵して又無事でも楽しもうと知らせてやってお「はツ ; 、月題の筒井順慶を連れて来た。なる そこへ石田佐吉カ卩 ほどそのうしろには十二三歳の少年が従っている。 そう云ってから官兵衛と彦右衛門に、 「さて今度は筒井順慶だが、順慶は、人質を連れて来て居「やあ、順慶か。よく来たのう」 順慶は、投げ頭巾をかぶったままニコニコと秀吉に近づ るであろうな」 「はい。養子の定次を伴って来て居りまするが、仲々鼻息 「思いのままのご戦功、まことに芽出度いことで : : : 」 は荒いようで」 云わせもあえず秀吉はさえぎった。 「ふん、弱みを見せまいとしてであろう」 「こんどの手柄は、充分殿も認めて居ろうと、自分で申し「黙れッ順慶」 「はっ : : : 何と仰せられたので」 て居りました。大和へ光秀から使者のあった節、ポンとこ 「隸いのままの戦功とは、おぬし、この筑前を揶揄して居 れを蹴りつけて、それから洞ケ峠へ出向いていった、あの 微妙な駈引きは筑前どのならば、よくお分り下さる筈たなるのか」 「これはしたり、心の底から、驚嘆したゆえに、ありのま とと」 151
そう云って使いを出すと、漸く雨があがって来たので、 して歩いたのが四月十三、四日ごろ。 かくて、両軍決戦の期は、じよじょに新緑を身につけた勝家は馬廻りの者に命じて仮屋の前に幔幕を張らせ、馬印 を立てさせて自分もそこへ出ていった。 美濃、近江の天地をつつんだ。 雨が降ったり、夜になったりしては身動きも出来ない山 又山の要害だけに、晴れたらひとわたりあちこちの陣を見 廻ろうと思ったのだ。 賤ケ嶽 ところが、幔幕の中の床几にかけて、たんだん青い空を ひろげてゆく雲のたたずまいを見ているうちに、 「行市山の陣屋から、佐久間盛政さまご兄弟が見えられま した」 その日勝家は、起き出すとすぐに矢立を取って一書を認 と、近侍が告げて来た。 め、北の庄の城内に残っている中村文荷斎のもとへ届ける 「なに兄弟でやって来たのか」 ように命じた。 「はい。それにもう一人、山路将監どのを召し連れて居ら 柳ケ瀬の陣屋で十七、十八、十九日と、止んでは降り、 降ってはやむ雨の若葉を見ているうちに、お市の方はとにれまする」 かく、三人の姉妹は早く処置しておいた方がよいと思い出「ふーん。よし、将監や安政は後でよい。盛政たけ人れと 云え」 したので、その旨を認めたものであった。 北の庄からの注進で、細川忠興の水軍が日本海から海岸「かしこまりました」 勝家は近侍が出て行くと、何ということなくニャリと頬 浴いにあちこち放火して歩くという。むろんこれは威嚇に すぎないと睨んでいたが、それならば、それで、姉妹は忠が崩れていった。 会って聞かないうちに、玄蕃盛政が何のためにやって米 興の手に渡してやるのが一番よいと考えたからであった。 たのかがよく分るからであった。 「これを文荷斎に渡してな、わしはまた無事で退屈してい ( あやつも、この雨で退屈して、どこかの砦を攻めさせろ と女どもに告げて来い」 296