「、い得ました。そのつもりで曳かせて来た馬がござる」 「利家どの、分って呉れるであろうな」 「それからもう一つ : : : 筑前の軍勢がやって来たら、お身 「いや、こなたさまに意地と云われるのが、この利家には は先陣を引受けて、北の庄を攻めて呉れぬか。それが筑前 いちばん恐ろしい」 ノノノ : : : そう云えば、いつもそれで苦しめとおした。 の疑心をのそく第一の手だてになろう : : と云うて、その それゆえ、最後には : : : のう、分って下され」 ためばかりではない。改めて名は云わずとも、落城となれ 「修理どの : : : この利家にも意地はあると思ばされませぬば落命させてはならぬ者がわが身の城には住もうておる。 力」 これを秘かに落させるゆえ、彼等が無事に筑前の本陣へ行 きつけるよう計ろうて貰いたいのだ」 「ふー」 利家はもう、何を云っても聞き入れる勝家ではないこと 「利家にも意地はござる。利家は朋友はむろんのこと、他 人も裏切りとうはない。まことを尽して生きて来たと思いをった。 城と共に落命させてはならない者とは、云うまでもな たい ! それゆえ、最後にもう一度と、思うているのだが く、信長の妹お市の方と、その連れ子三人の事であろう。 そこまで云うと、とっぜん勝家は汗で汚れた手をあげて ( そこまで考えているのでは : : : ) さ , えぎった。 「最後の頼み、きき入れて呉れるであろうなあ」 「やむを得ぬこと。承りました」 「もうその事には触れぬとしよう。お身の心は分りすぎる 「これで、思い残すことはない。では湯づけを」 程に分っている。それより、われ等が最後の願いをきいて 「、い得ました」 は呉れぬか」 利家は自分で立っと、すぐ近侍を城内へ走らせた。そし 「最後の願いとは」 て野陣へ持参する三段重ねの塗籠を取寄せさせると、町家 「湯づけの接待に預りたい」 の庭をひらかせて、そこで勝家に弁当をすすめた。 「お易い御用でござる」 「それからもう一つ、今宵のうちに北の庄の城へ入れる騎供廻りのためには別に握飯が運ばれて来たようだった が、その接待中には勝家の笑い声はもれたが、利家のそれ 馬を一頭」 3 3
蔭を選って点々と警備している。 け、きびしい円陣を作ってゆく ( 殊に依ると、利家は、勝家の退路を邀して討取る気では この様子を見て、前田家の警備の者もあちこちに走りだ あるまいか : 近臣たちの中には、秘かにそれを憂える者があったが、 九 勝家は、街道が城下へかかると、ふと馬を停めて柴田弥左 衛門をふり返った。 敗惨の将に、夏の烈日はむざんすぎた、片側蔭に入って 「利家に逢ってゆこう。おぬし城へ参ってそう申せ」 も、あたりの白さが、あまりに眩しく強すぎる。その白さ 弥方衛門はびつくりして、さえぎった。 に照し出されているせいで、人も馬も、鎧も武器も尾羽打 「それは、おとどまりなされませ。さっさと戦場を離脱し枯らしたみじめさを深めてゆく。 た前田父子。このような味方のさまを眺めたら、何を企て その中で、じっと床几にかけたまま勝家は自分を見捨て るか分りませぬ」 て、先にこの府中の城へ引きあげた前田利家を待つのであ 「城へ参ってそう申せ・わしが是非とも告げておきたいこる。 とがあると」 「おお、やって来られた」 「でも、それはあまり : ・・ : 」 「やはり具足をつけたままだぞ。油断すな」 「床几 ! 」 城の方から三十人あまりの近侍を従えてやって来る利家 勝家はそう云うと、いきなり馬を降りて、大戸をおろし は、すでにひと息いれ、馬も代えたと見えてその姿にみち た町家の片側蔭に、つかっかと歩いてゆく。 た活気はかくだんの差であった。 「では、どうあってもお逢いなされまするか」 「これは修理どの、よう御無事で」 ロげておかねば意地の立たぬことがある。早く行け」 馬をおりると、利家は太刀持だけを従えて、つかっかと そして、近侍のささげて来た床几に腰をおろすと、再び勝家の前にすすみ、設けの床几へ腰をおろした。 また、むつつりと虚空を瞶めてゆくのであった。 「この上は、一時も早よう北の庄の城へお引取りあるよ 近臣たちは万一の場合を想って、みな、勝家に背を向う。それがし、及ばずならず、この地において筑前を待ち 336
て「意地」であった。 秀吉はすでに背後を衝こうとしている。その秀吉に立向 どうして戦国の終熄を計るかではなくて、どうして秀吉わず、東野の堀の陣に駈け入って斬死する気に違いない。 に、屈さない一つの気魄があるかを知らしめてやりたいと ドドドーツとまた堀秀政と、羽柴秀長の先手から銃声が とどろいた。 いう火を噴くような執念だけであった。 「殿 ! もはや、お考えなさる時期は刻々に過ぎて行きま「殿 ! お待ち下され ! 殿 ! 」 す。ご決断なさらねば将士が去就に迷いまする」 毛受家照は、自分もあわてて馬にまたがり、勝家のあと 「馬を曳け ! 」 を狂ったように追っていく : と、突然勝家は怒号した。 四 そうだ。それは六十余年の生涯を戦場から戦場ですごし て来た老武者の、悲しく迷った怒号であった。 勝家はうしろも向かず、おめきも、名乗りもしなかっ 「旗差物を鞍におけ。馬は鬼鹿毛がよい。家照、与左衛た。 、諫言は無用じゃぞ。それ見よ、堀の陣で鉄砲を射ちだ この時の人数は、すでに脱走する者が相ついで、七千の したわ。急げ馬を ! 」 本隊が全部で三千あるかなきだった。 そして、そのまま幕をくぐって外へ出た。 それだけに、自分の背後へ続く者を見るのが恐しかった 太陽は真上で燦々ときらめき渡り、青葉には爽やかな東のに違いない。 風があたっている。 進撃を開始した堀勢は、充分に相手が動揺しだしたと見 勝家は小者の曳いて来た逞しい馬にひらりとまたがるてとって動きだした時だけに、 この反撃は意外であった。 勝家の後に続いて、砂塵を捲いて出て来たのはせいぜい 「許せよみな」と、はじめて声を和げた。 五百騎もあったろうか。しかしそれは見透しのきかぬ山峡 「今生で何も酬えぬ。あるはただ詫びばかりじゃ。生きての道いつばいの大軍に見えていった。 は会わぬ。さらばじゃ」 「退くな。押し返せ。敵の人数は知れてあるそ。押し返 ぐっと手綱をしばって、馬首を南に向け変えた。 せ」 3
そうなると、改めて賛否を問うと、三法師側の五に対し ( わしの手で光秀を討っていたら : : : ) 「そうか。三対一では、この勝家が譲らなければなるま て信孝側は二。 一人で反対しては、それこそ私曲になるからの。 いや、そのような空気になれば信孝も当然辞退を申出るい。 ので、表面は六対一で、完全に勝家の孤立になる : ・ さすがにこだわりなく笑っては見せたものの、その頬が 「そうか : : : 五郎左どのも、三法師を立てるがよいという 硬張りそうで、あわててお坊主を手招いた。 ご意見か」 もりやく 「されば、三法師どのを立てて堀久太郎秀政を傅役として「これ、台子の間あたりで休んでいよう、羽柴を起して来 、。のことは、羽柴の意見のままに決った。続いて光 附けておく。そして、政治は三法師ご成人の日まで、われし彳 等宿老四人、京都にそれそれ代表者を差出し、協議の上、秀が遺領その他のことで相談があるゆえと申せ : : : そう申 せば、腹痛には香薫散などよりずっとよく効く筈じゃ」 取行うように決めてはいかがでござろう」 お坊主は、うやうやしく一礼して大広間を出ていった。 長秀がそういうと、 なるほど秀吉は、勝家の云うとおり台子の間へ、布団を 「賛成でござる ! それが正論であり、妙案でござる」 気持そうに昼寝をしていた。 嗷かせて、いい 即座に池田勝入が応じていった。 「もし、筑前さま、筑前さま : 「すると、羽柴もその事に異議はないのだな」 お坊主がゆり起すと、 勝家がチグリと刺すような皮肉を云うと、 「ウ : : : ウウーン」 「いや、それはわれ等の意見、筑前どのはご存知ないこ 秀吉はゆっくりと両手をのばして、 「決ったか後とりの儀は」 と、丹羽長秀がすかさず云いわけする。 筑前さまご意見どおりに決まりましたゆえ : : : 」 云いわけするほどだから、もはやこれは、三者の間で充「は、、 「分っている。分っている。柴田修理どのが起して来いと 分了解がついているに違いあるまい。 勝家は、今更のように、自分の進出の遅れた事が口惜し云ったのだな」 ー刀イ けろりとした表情で起き上って、もう一度大口あいて、 つつ ) 0 139
位置を確め、それからの退き戦じゃ。・ハ力な奴めが : ・ : 」することが、秀吉の心を乱す最大の神経戦 : : : と、心ひそ かに踏んでいたのた。 ロではそう云いながら、しかし、その夜のうちに、手配 。糸かく命じていった。 岐阜の方も抛っておけない事情にある。そこで秀吉は、 盛政を 無事に引きあげさせるためには、秀吉勢の右翼、引っ返せば退かれ、出て行けば叩かれる : : : これを二三度 羽柴秀長と、堀秀政の両隊だけは、身動き出来ないように 繰返されると、はじめてカーツとして真正面から勝家に立 この方面へ釘付けておいてやらなければならない。 向って来るか、さもなくば何か口実を設けて和平を云い出 それが戦略的にどのような意味を持つかと云うことなすか ? ど、もはや考えてはいなかった。 そう見ぬいているので、再三、再四、佐久間盛政に、引 間題は秀吉と一戦して、 揚げを命じたのだ。 うぬの下で生きるよりは、こうして死ぬ男だおれ しかし盛政はついに功をあせって過ってしまった。盛政 よ、ハ刀かっこ、 が、素直に引きあげてさえ居れば日和見の諸将もまた、じ っと陣を張っているより他になく、陣を張って居れば、そ 3 一泡吹かせてハッキリとそれを相手の胸に灼きつけてゆ けばよかったのだ。 れはそれだけで充分、味方の威容の見せかけにはなったの もし、この方面の指揮を秀吉が取っていたら、恐らく勝 勝家は、夜明けから正午まで采配を握ったまま野陣の床 家は、陣頭に立ってこれに挑みかかっていたに違いない。 ところが秀吉は、この方面を堀秀政と弟の秀長に任せ几で深沈として味方の敗報を聞いていた。 そして、前田勢の戦場離脱の知らせを聞くと、始めて床 て、自分は盛政の方へ行ってしまった。 めんじゅいえてる それだけに、何度「あのバカめがツ ! 」そう云っても云几を立って毛受家照を呼びよせた。 「今日は、わしの、不運な死に方をする日になったそ」 い足りない気持であった。 勝家には、秀吉の癖も戦術も、盛政よりはずっとよく分家照はしばらく頭を下げたまま答えようとしなかった。 かっている。 それだけに、秀吉の留守に叩いては退き、叩いては退き
そうした感慨が誰の胸にもかくされていて、つい 打先々の谷では、消え残った深雪を割っ て山中に向い、 ( く ぶかくなっているのであろう。 てすすませた。 母の琴が終ると、茶々姫は明るい表情で勝家に話しかけ そして三月三日には、二番手の佐久間盛政の加賀衆が北 の庄を発し、つづいて前田利家の能登、越中衆がこれに続た。 「お待ちかねの春がやって来ました。お芽出度う存じます 勝家自身は八日、北の庄を発する準備を完了して、そのる」 「おおそのことじゃ。ここらでひとつ、筑前に、目にもの 夜奥で酒宴をひらいた。 集る者は、勝家とお市の方を取巻くようにして権六郎と見せて呉れようそ」 「岐阜や伊勢へは連絡はついたのでござりまするか」 その夫人、お市の方の三人の姫、それに府中、金沢、 勝家はその質問をきくと、何度も大きく首を動かしてう 松、大聖寺等の人質たちであった。 なずいた。北陸勢が勝つなどと思うている茶々姫ではな 5 「お方、ひとっ琴を聞かせて頂こうかの」 い。それが、このような訊き方をするのは、勝家の口か 曾っての吹雪の城は、窓外に春風を迎えていたが、ま ら、 梅も桃も桜も蕾は固かった。 「ーー・自信はあるぞ」そう云わせて、母に最後まで希望を 「はい。ではお耳を汚しまする」 持たせようというのであろう。それが妙に勝家には嬉しか お市の方がつりがね窓を背にして、静かに爪を絃にふれ てゆくと、勝家は満足そうに眼を細めてお市の方の姿に見つた。 「岐阜の信孝さまにも、滝川一益にも連絡はついている。 入った。 そうだ。それはどこまでも弾奏を聞く人の表情ではなそれに、近江、甲賀の山中長俊が伊賀衆をひきいて呼応丁 るし、長浜城の奪取にも褒美をかけた」 く、愛おしい者の姿に見入っている姿である。 今夜は、そうした母と義父の態度に、姫たちは反撥を見「褒美を : : : どのような褒美でござりまする」 せなかった。 「うん、事なく乗取って渡したものには金子百枚と知行七 千石、又、この勝家の兵が五里以内に迫った時、本丸に去 ( これが刎れになるのでは : : : )
と、文荷斎から、弥左衛門、若狭と視線をうっしていっ 戦は早朝らばじまった 6 寄手の勢はもはや、城門を破 て、 って躍り込むより他にない。 「落ちたいものは、この天守から消えてゆくよう、男たち そこここで白兵戦が繰り返され、ついに侵入して来た一 も遠慮はいらぬそ」 隊は、この天守閣の入口にとりついた。 「よッ 時に、五ッ半 ( 午前九時 ) 「筑前は夜明け前から、総攻撃をはじめるに違いない。そ もうその頃には、天守の上に一人の女性も生き残っては よ、つこ 0 し学 / 、刀 / れゆえ、眼ざめた時、この場に残ってある者は、猶予なく この勝家が刺し殺す。よいか、分ったのう。弥左衛門 お市の方は合掌したまま、しずかに勝家みずからの手で 刺されていったし、女たちは、それそれ刺し違えたのち、 きびしく云い放っと、勝家は再び立って中に人った。 柴田弥左衛門や、小島若狭に介錯されて死んでいった。 もはや足許もみだれていなかったし、眼もカッと活きて こうして、昼すぎにこの天守の三層以上に残った者は、 来ていた。 勝家の意地に殉じようとする精兵約三百足らず : 屏風が立てまわされた。小袖を携えて、侍女たちがあわ やがて、その三百と二層まで侵入して来た寄手の間に、 てて横になった勝家の躰にそれをかける。と、間もなく、 狭い階段をめぐって地獄の争闘が展開された。 屏風のうちからは耳なれたいびきの音がもれて来た。 十五 お市の方はそれを聞くとはじめてホッと吐息をして、そ のまま静かに屏風のうちへ入った。 寄手が三層にとりつくと、柴田勢は歯をむき出して追い こうして、その夜、ここを去った者は、側室づきの少女はらった。しかしそのたびに新手と人れ代って羽柴勢は押 四人だけ。 返す。 かんせい そして夜がほのばのと明けかけて、愛宕山に、貝や陣鉦城の四方を幾重にもとりまいた寄手の戚声は、つねに侵 の音がかしましくひびきたした時には、この天守は女たち入勢をはげますのに引替えて、柴田勢は七人減り、十人減 つ 0 のとなえる唱名の声でいつば、だっこ。 370
はいつばいであろうゆえ」 弾丸よけの竹東をかつぐ者、とざした門の内に杭を打込 「では、われ等も、母さまと共に、なあ高どのも達どのもむもの、かがり火の用意に走る者、炊出しの支度にかかる そして 「はい。すぐに支度を致しまする」 二人の妹は、もはや、姉の話の行きがかりなど忘れてし 小島若狭と中村文荷斎とが、脚絆にわらじをつけ、笠を まって立ちあがった。 持たせられた、勝家の娘二人と、利家の娘を連れてお市の 続いてとどろく銃声が、すっかり彼女たちを狼狽させて方の居間へやって来たのは、もう家の中が暗くなってから しまった故である。 であった。 お市の方は、遺品をそれぞれの身につけさせると、自分「御台所さま、約束の姫たちを連れて参りました。文荷斎 でも身支度にかかっていき、その頃から城内の空気は一変どのが乾門までお供致しまする。いざお出ましを : : : 」 していった。 そう云った時には、お市の方も、三人の姫たちも、薄暮 勝家の命で、惣構の守備は撤し、予想のごとく、二、 一一一の窓に寄り添うようにして、夜空をこがす放火の焔を見つ 3 の丸で全員が籠ることに決ったからだった。 めていた。 いったん城に入った老幼男女と廓内の長屋に住んでいた 「あ、それから、殿はもう、どなたにもお目にかからぬ。 士卒の家族が、次々に城を出されていった。士卒の妻子は堅固でお暮しあるようにとのお一言葉でござりました」 幾らかの金銀をめぐまれて、良人や父を残したまま、親類「承わりました。では若狭どのから、殿へ、呉々も宜しゅ 縁者をたよって離散しなければならなくなったのだ。 最初西南にあがった火の手は、日の暮れ方には十数カ所「かしこまってござりまする。乾門の外にはもはや前田家 を数えるようになり、それが落日のあとの夜空を呪わしく の者が参って居りす筈、若狭は、これにてお別れ致します 彩りだした。 る」 二、三の丸の廓内は日が落ちてもまだ忙しく動きまわる 「ご大切に。と云うてもなあ : ・・ : 」 人の影で息づまるようだった。 「さらばでごギ、りまする一
た勝利がもたらされている。 イについて来ていた一柳直末が云うと、 しかもその勝利は去年の六月二十七日の清洲会議のおり 「これで柴田勢も殆んど全滅であろうよ。それにしてもた から、めんみつに組立てられた筋書の通りであったと知るわけた修理どのじゃ。この敗戦が見透せぬとはのう」 者が、秀吉以外に何人あったであろうか。 加藤光泰が合槌打っと、秀吉はいつになく渋い表情でわ いまは越前の北の庄さして、みじめに敗退しつつある勝きを向いた。 家は、秀吉の居城、長浜をあっさりと譲られた時、やがて 「さすがに鬼柴田じゃ。妙なことを口走るな」 そこを拠点とされての、今日の慘敗を連想していたであろ「 : : : それにしても、わが力を知らず : : : 」 「止せと云っている。これが、わが力を知らぬ者の戦の仕 秀吉が長浜を勝家に譲 0 たのは、このあたりの地理も人ぶりか。知りすぎるほどに知 0 ていて意地を貫く : : : 手強 情も知り尽していて、勝家との決戦場としては最も有利ない戦であったそ」 場所と睨んだからであったが、 それを勝家も、その子の勝光泰と直末は顔を見合せて黙ってしまった。 豊も逆に秀吉の譲歩と受取っていなかったであろうか : これもすっかり汗と埃にまみれて、眼ばかり光っている おなじ去年の十一月三日に、山城〈勝家の使者として赴秀吉の横顔に、いつもと違 0 た哀愁のいろの動きを見たか いた、前田利家、不破勝光、金森長近等が、ここではいずらだった。 れも巧妙に戦場を離脱して、決して秀吉に弓を引こうとし 「理を説き、利を与えて動く者はいささかも布くはない。 なか 0 た事実を、勝家は、どう考えながら落ちのびているが、その何れをも取ろうとせず、遮二無二意地を貫こうと であろ、フか : する者ほど厄介なものが又とあろうか。直末、黒田官兵衛 秀吉は、馬を狐塚の、勝家の陣跡にすすめ、そのあたりの許へ使して呉れ」 に散乱しているおびただしい屍体の山を見ると、ふとま 「は : : : 黒田どのの許へ : : : 」 た、毛受兄弟の割腹していた林間のありさまを思いうかべ 「みんなで力を協わせて、すぐにこの屍体を一カ所に集め ていた。 て葬ってやるように。それから里人たちに命じてな、敵味 「さすがは御大将の采配、大勝利でござりまするな」 方の区別はいらぬ。傷ついてまだ息ある者には、簑、笠な 334
慎 の 応天 け たれ 官 え秀ハす神 ら仰 た家 重 そ ば む あ と蕃 お ら は で し なれ秀 . ろ 兵れ し ら っ 士 、る 山 せ ク ) 、砦て と 長 云渡 衛 め金 は 三者 の ぬ 、そ 長冫 に 聞 が通た子 の わ すは に の く 動 百浜あ こ見出籠 分 も れ な も た 、と の枚城 っ佐 る ぬ来 き と る と で に者 ' 蜂 は じ た久そ じ い ま て と に 須 莫は か間 ゃ七 や フ ご賀光 オょ 千大 も だ 。玄 か め か る る 非蕃 官な味 よ 正石カ 自 けな 石な と て う勝火 身 常 賞も 方 は る だ て は 、案 でわ事 と 典 や も 小 衛 と の は風ず を柴 く は し態 中 の 秀 じ を が る っ の と フ か 田 の か 事代起 宀め捲な 。け勝 よ ら は と し、 実 り は そ の て ろ か し し、 考 て敵 佐 岐 ポ て修 か つ が 阜宀 る家 久 る で ン は 寸 と は理 え 方 せ平 も は 内 。臣 と い し、 が膝戻野 赴ぬ の ま 自 応無 玄 ど 腑 者事 か け じす重 も 蕃 を る も へ の 木 に叩わ出 や ま す が に の の 現手そ ま る い た ノ そ と す 本 や わ にれ 聞 内 る を も れ た 入レ 間そ と 吹 に く 0 よ は何 か彼 、軍は帰秀る ま 。よ で と分 い っ の と ず蕃 な れ 彳皮 . あ左さ い フ せ の い の し、 ら 官 ッ ゆ 心れ 禰ねは に る か ろ て は は は た し のや胆 0 よ 石 : 官 そ 大 っ 山 で そ と フ は し、 、動ろ 石 を の な のれ て の っ っ 寒勝こ こ 堀 き総を 山 自 狭 も あ き た し、 か家 が も 秀 大軽 間 の ら り 。や は と が た り 攻は が大そ 田、ら つ肝将 く し術 で撃左 切 は聞 お 分 ら っ が る の に い 筈て め中 よ を な き け り 戦 許山 い 秀流 じ ま い る に と る で つ の 落こ の す る 長 し 故 や て に は し の 山 筈堀 、て 。も じ ち な が 右 た じ秀 そ じ わ お 府 やた く や政れ岐 。よ な て敵 や れ . る がゆ フ ぞ ま ま が と ぇ を で 。す 大 じ か ま の 、落 ぇ 岩 にあ わ る や 与 彳 ! 2 弖它、 し っ に 残ずれ の掛 り が て が つ動 、岐 中け て 揺 は地実阜 は よ 、す な では城 清来 く 佐 似 る大 秀 る 久 。事泡逆衝 が て の 292