堀秀政 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 6
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1. 徳川家康 6

と、そのまま天主をおりていった。 堀秀政は、充分佐吉の先ぶれで、怒りをおそれている表 秀吉は胸をそらして、もうひとわたり天王山を仰ぎ、山情だった。 崎街道を見おろして、それからゆっくりと階段を降りだし 「戦に戦機があると同じように、政治にもそれがある。ま ごまごしていると、日本中がまた戦国に逆戻りじゃそ」 清洲会議のあと、それまで丹羽長秀のいた佐和山城に入「と仰 0 しやられるは : : : 三法師君のことで」 れてやり二十万石の大大名にしてやった上、三法師の傅役 「安土の城のことじゃよ」 という、老職並みの扱いを受けた秀政は、今ではすっかり 秀吉に、い服してしまっている。 人が右と云えば左から、左と云えば右から話をすすめて が、その秀政はいまだに三法師を、信孝の手から受取りゆくのが、秀吉の話術のあざやかな虚実であった。 得ない。それだけに、ひどく秀吉の思惑を気にかけている「丹羽五郎左にもよく申せ。坂本の城の修理など後廻しに 筮挙「十だっこ。 して、早く安土城を仕上げるようにと。そして一日も早く ( 何かあったな、秀政が来るのでは : : : ) 三法師さまをそこへ迎え取らねば、天下大乱のきざし充 秀吉は、ここではなるべくみんなの間が紛糾することを分。この爽やかな秋空に異様な入道雲がむくむくと湧いて 望んでいた。 いる。それが見えぬようでどうするのじゃ。東じゃ ! 東 紛糾すればする程、その方に関心がそれていって、秀吉の空じゃ ! 」 の仕事は容易になる。 秀政は首を傾けた。いつものことながら、秀吉の言葉そ 秀吉は二階に南面した表書院に近づくと、「エヘン ! 」 のものが、奇怪な入道雲のようで掴まえどころがない。 と大きく咳払いをして小姓に左右の襖をひらかせた。そし東の空と云えば、上杉ともとれるし、北条、徳川ととれ て秀政が一礼するのを見向きもせずに、ずかずかと上座へ ないこともない。いや、ここからすれば、柴田の前線も清 坐ると、いきなり云った。 洲も岐阜も東にあたる。 「久太郎、おぬし達はいったい何をしているのだ」 「分らぬかツ」 「何をしているのだとは : と、又秀吉は舌を鳴らした。 ) 0 782

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向う途中とあれば、この場の指揮は、この筑前がとらねば がら、眼をふきながら、すでにあとの指図にかかってい ならぬ」 「仰せの通り」 ( 確かに指図すべき人であった : : : ) 「万一ここで、この急変を敵方に知られては、われ等ここ そんな気が自然にするのは久太郎がすでに、信長なきあ で身動き出来ぬ仕儀となる。何をおいてもこの場では喪をとの秀吉の実力を認めているということでもあった。 秘して講和を結び、取って返して光秀めを討たねばなら 「往米はすべて断つよう命じたが、時が遅れ、敵に感づか ぬ」 れてはならぬ。この場で直ちに策を立てねばならぬ」 秀吉は泣きながらそう云ったが、また、久太郎秀政の心 「まことに筑前どの仰せの通り」 にそれは徹らなかった。 「幸い官兵衛好高も来合せていることゆえ、ここでみんな ( 信長が殺された : の智恵を借りよう。灯りをふやして、すっと前へ」 一「ロ葉では分っても、その実感は彼をとらえていなかっ 秀吉はそういうと、又、何を思い出したのかグックック と、声を出して泣いた。 ( そんなバカなことが : 泣きながら、考えながら、秀吉もまた信長の死をわが心 と、戸惑って、秀吉の言葉の裏の決意までは汲みとれなに納得させようと務めているのに違いない 「申上げます」 と、又、小姓が入口へ手をついた。 「久太郎 ! 」 十 「今日から誰彼の別なく、この秀吉が指図すると云った言 葉、異存はあるまいな」 小姓が告げて来たのは浅野弥兵衛がかけた網にすでに一 堀秀政が、秀吉に呼びずてにされたのは、この時が最初人、あやしい修験者が引っかかった であったが、ふしぎに秀政は腹が立たなかった。 たしかに明智方から毛利方への密使と見たゆえ、きびし く詮議中との知らせであった。 秀吉とて、感情の混乱では秀政以上の筈、それが泣きな

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田家の滅亡どころか興隆のもとにもしてみせようと、微笑 この奥方の予想は、そのまま的中していた。堀秀政は、 をふくんでいっているのだ。 翌二十二日夜明けに府中へやって来て、降伏を要求した。 「殿は、はやりわらわが女子ゆえ、心もとないと思召され 利家はあっさりとこれを承諾し、妻の阿松が久しぶりに まするか。わらわは、筑前どのが藤吉郎と申された折から秀吉に逢うて、湯づけ一椀進上したいと待ちかねている旨 の知己、奥方の寧々さまとも親しい間柄ゆえ、逢うても自を、笑い話にしていった。 然ではござりませぬか : 秀政はその事をすぐに秀吉に通じたらしい 利家は、黙 9 て二三度うなすいて、 秀吉が、今荘を発って、千成瓢の馬印を晴れがましく府 ( これは、うままにさせてみよう ) 中の城へすすめて来たのは、その日の四つ過ぎだった。 と、心で田 5 った。 すでに城内は、いっ引渡してもよいよう整頓されて、開 「ではご承知下されますなあ」 かれた大手門の前には利家父子と並んで奥方の阿松がつつ 「そなたの事じゃ。悪うはなるまい」 ましく控えていた。 「では改めてもう一つお願いがござりまする」 秀吉は、自慢の荒小姓たちを従え、騎乗のままやって来 「なに、改めてもう一つ」 て、阿松の姿を見出すと、馬を停めさせて、 「はい、筑前さまご到着の前に、堀秀政どのがご使者に参 「おお ! 」と、顔中を皺にした。 られましよう。その折に、殿よ、、 ~ しつにてもこの城、秀政 十五 どのに引渡し申そう : : と、おっしやって下さりませ」 「その事ならば、そう云わずには、済まぬことと思うてお戦勝軍の総大将と、城を明け渡さねばならぬ敗将の奥方 るわい」 「それ伺うて安堵しました。折角お迎えなさるのに、少し それが、視線の合うと同時に、どちらも「おお ! 」と、 でも疑念を起させては意味ないことでござりまする。でなっかしさに震える声で笑い交したのだ。 は、わらわも台所向きのこと、いっ渡してもよいよう、整ずらりと居並んだ前田家の軍兵はむろんのこと、秀吉の えておきましよう」 うしろへ従うた、荒小姓たちも近習たちも声をのんで立ち よ ) つつ」 0 344

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よいかの、この決定はもはや動かぬものでござるぞ」れを間題にしなかった。 世間がすべて秀吉の葬い合戦を認めている。面目にとら 最後をきびしく結ばれて、さすがの清秀もぐっと詰っ われて信孝だけが動かすに済むはすはないと計算し、わざ た。と、すかさず又秀吉は命じていった。 「中央が決定したゆえ、左右両翼もおのずと決った。左翼と評定の席でその事には触れなかった。 の山手へは羽柴秀長、黒田官兵衛、神子田正治。右の川手評定と云ってもむろんそれは秀吉のひとり舞台で、池田 筋へは池田信輝、加藤光泰、木村隼人、中村一氏。中央は信輝にせよ、その子の元助にせよ、堀秀政にせよ、ただ秀 両人のうしろへ更に堀秀政を備えさせる。したがって、筑吉の命を聞くだけであった。 秀吉は、改めてその陣容をみんなの頭に人れさせた。 前が馬廻りと信孝さま麾下は、予備隊として動く : : : さ、 右翼軍 ( 淀川筋寄 ) 池田信輝、加藤光泰、木村隼 決ったら寸刻を争うでの、電光石火、ご両所とも直ちに進 人、中村一氏。 軍、敵の進出をおさえられたい」 中央軍 ( 街道筋 ) 高山右近、中川清秀、堀秀政。 さすがに五年間、中国筋で戦いつづけて来た秀吉の言葉 左翼軍 ( 山手筋 ) 羽柴秀長、黒田官兵衛、神子田正 には、ズシリと重い筋金が感じられる。 二人は、命のまま直ちに行動を起していった。 遊撃本隊秀吉馬廻りのほか神戸信孝、丹羽長秀。 十四 そして、それが諸将に諒承されると、直ちに総軍の進発 を命じた。 高山、中川の両隊を先発させると、 「これで大河は流れだしたそ。もはや尼ヶ崎に止るべきで時に四ッ半。 あちこちで目 ( が鳴り出し、馬のいななきが高くなった。 ~ オし」 昱「さはか 空はまだ晴れきった夏空にはならなかったが、 早速諸将を広徳寺の本堂に集めて、最後の軍評定をひら なりひどく、海を渡って旗差物を煽って来る風はべっとり と汗をふくんで具足をなぶった。 前夜、また改めて堀秀政から使者を送って参陣を促し た、信孝は大坂からやって来なかったが、秀吉はさしてそ「すでに小荷駄の船団は淀川筋を理めているぞ。われらも ロ 0 100

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そんなことを云って来る勝家ではないことを知りぬいて いながら、訊ねる秀吉が憎かった。 ・恐らく、それがしの口から、筑前どのに伝えようという「第一条では : 意味でござりましよう。五カ条の覚書を認めて、それを持と、秀政は云った。 参致させました」 「修理どのは本日まで、こなた様との協定にひとっとして 「なに五カ条 : : : 溜り水にしては苦情の数が、思うたより違背したことのない点を、こまかく主張して居りまする」 も少いようだな」 「フン、はじめから云いわけじゃな。まず云いわけをして 「仰せのとおりこの五カ条、いずれもこなた様が、何彼とかかるところが溜り水らしい。して第二条は」 政治を私し、清洲会議をふみにじったとの苦情にござりま秀吉は相変らす毒舌を改めず、人を喰った表情で眼を閉 する」 じている。 「そうか。それは面白い ! 」 「第二条でよ、、 ~ しま、家中の方々に不平が起ったのは、元 はじめて秀吉の頬は崩れた。 来、秀吉と勝家の間に不和があったからではなく、清洲の 勝家から苦情が出るということは、今の秀吉にとっては、誓約が行われず、こなた様が政治を私している故たと、強 漸くにして溜り水が動きだしたほどの喜びであった。 く非難なされて居りまする」 「よし、聞こう ! その第一条からの」 「なるはど」 秀吉は脇息に身をのり出し、眼を閉じて秀政をうながし と、秀吉はまた他人ごとのように、ロをはさんだ。 「それはおぬしにあてた覚え書だからの。したが、私する 秀政は、ちらりと小姓たちを見やったが、秀吉が人払い にもしないにも、この秀吉をおいて、あれよあれよと云わ も命じないので、そのままふところから覚書を取出して、 せるだけの政治をやってのける人物があるかどうかじゃな ゆっくりした口調で読めない秀吉のためにその大意を伝えあ」 「第三条は : : : 」 秀政は秀吉の多弁を封じるようにあとを急いだ。 、 ) 0 184

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た羽柴秀長の手勢約一万をもっ・て狐塚の前面、東野に進出 決断すると盛政もまた「鬼」と異名をとった猛将だっ させ、勝家の出撃を封じておいて、みずからは、余呉湖の 「ーー・ー月の出と共に、各隊とも余呉湖のふちを西へまわっ西方に、佐久間勢の粉砕を期して追撃戦を展開するつもり であった。 て引きあげること」 「どうじゃ、月は出たが、佐久間勢は動き出したかの」 原、拝郷、それに柴田勝政、徳山等の陣地に使者をとば すと、盛政は、乗馬を引きつけ、自分もじっと空を睨んで茶日山にのばるとすぐに、北西の端に馬をすすめて、銀 いろに煙る眼下の窪地へ眼をこらした。 月を待った。 「動きだしたようでござりまする」 「ふーん。あれじゃな。尾野路山の方へ、旗を巻いて引き 月がようやく伊吹山系の北に姿をのぞかせる頃には、秀あげると見えるの」 吉もまた、一度のばって敵状の偵察に当った田上山をはせ秀吉は、荒小姓たちに取巻かれて、じっとその速度を計 下り、そのまま街道を西に超えた大岩山と賤ケ嶽の双方をつているようすだったが、 「いやはや、哀れの者よ。盛政も」 見通せる茶日山にのばりかけていた。 狐塚まで出て来ている勝家の本隊を牽制させる策戦の打 と、聞えよがしに呟いた。 合せは終って、佐久間盛政の退却を見とおし、これが動き 「よくよく若い頃の勝家に似た猪での、到頭わしのかけた 出したら直ちに追撃戦を開始するためであった。 罠にかかったわ」 とにかく佐久間盛政と、その弟、柴田三左衛門勝政の主「と、仰せられまするが、あの退きようは、整然として少 力を撃滅すれば、勝家はその手足をもがれた結果になる。 しも隙がございません」 と云って、手足に戦いをいどんでいる間に、勝家の本隊「誰だ。今、何か申したのは ? 」 に出て来られては、両面の敵に対さなければならなくなろ「はい。虎之助清正でござりまする」 「虎之助か。よく教えておくが、月の出を待って退かねば そこで、左禰山にあった堀秀政の主力と、田上山にあっ ならぬような戦はせぬものじゃそ」 」 0 3

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れ、それ以北の地は厳重に固められる。わしは引きあげ に何とするのだ」 「はい。その事についてはこう申されますので、木ノ本にぬ。引きあげぬそ」 「それではしかしお約東が : : : 」 は羽柴秀長と蜂須賀彦右衛門が残っている。また、眼の前 の左禰山には堀秀政がいる。動く時ではないゆえすぐに以「何の約東など : : : 戦は水ものじゃ。勝ったらその勢いを 利用せずに何とする」 前の行市山に兵を引くようにと : 「とにかく : : : 」彦次郎は困惑したように首をふりなが 「同じことだー・」 盛政は焔を赤々と映した眼をカッと見開いて歯がみをしら、 ながら軍扇を振った。そのはずみに、床几の脚が土に滅入「決して長追いはせぬという約東、今日の戦果はあつばれ る。 なれば、すぐにお引上げなさるよう、命令じゃと仰せられ 「堀秀政も伯父上が動きだしたら必ず動揺して木ノ本へ合ましたが : 体しよう。それを双方から攻め立てるのだ。秀政すれが何「もうよい」 でそのように恐ろしいのかと、もう一度申して参れ」 彦次郎も呆れたようだったが、盛政もまた舌打ちしてわ 「では」ギるが : きを向いた。 と、原彦次郎は、立っ代りに、又薪をたき火の中に抛り「何とも彼とも話にならぬ : : : よしツ。わし一人で明日は こみながら、 荒れ狂おう。もう行くに及ばぬ。呆れた頑固者じゃ伯父上 亠よ 「万一、山峡を出て木ノ本を攻め立て、それが落ちる前 と、その時、一度やんだ銃声が、また峰から谷へはげし に、秀吉が引返して来たのでは味方の行き場がなくなろ いこだまを送りこんだ。 う。それゆえ引っ返せと申されます」 「どこの砦じや見て来い今の銃声は」 「黙れッ ! 猿が岐阜から引返すまで、何で手をつかねて ノ」近侍の一人が、あわてて幕の外へ走り出すと、つ いるものか。今日注進がついたとして、明日引きあげの手「、ツ 配をととのえ、明後日早朝に岐阜を出発して、ここへ到着づいて、又ダダダーンと同じ轟音が暮色を裂いて聞えて来 するのはあと三日の後じゃ。それまでには長浜城を手に入る。 309

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「この雲は、ひとたび崩れると忽ち空を蔽いつくす。豪雨ばり有難がらぬ。有難がるどころか、まだ足りぬ : : : まだ : ここの道 じゃ ! 暴風じゃ ! 右府さまの功業を、一切合財押し流足りぬと不足を覚えて天下の乱れの種を撒く : 理をしかと肚に入れておけ。今まで乱世がつづいたのは、 す大洪水じゃ。分ったであろうが」 万人の希望や願いに先立つほどの偉い人物が無かったとい 秀政は、何となく頭を下げて、又そっと首をかしげた。 うことじゃ。右府さまはそれを打出された。われ等はしか 自分の用を云い出す隙がないのである。 と後を継がねばならぬ。先へ先へと、万人の希いを追越し て、あれよ、あれよと云わせねば後は継げぬ」 そこまで一気に云って、 「どうも、おぬし達は手ぬるい。天下のことはの、つねに 「よし、訊こう。おぬしが持って来た、あれよ、あれよと サラサラと流れてやまぬ清流でなければならぬ。溜り水は すぐに腐るが、流れる水は腐らぬゆえ、万人が喜んで汲み云わせる手を」 に参る。人の心を倦ましめす : : : 万人がつねに汲みに来秀政は自分の方が、あれよ、あれよと云いたくなった。 全くよく働く頭であり、よく動く口であった。 る。そのような清流で無うては政治と云えぬぞ ! 」 「では申上げまするが、これは決しい快よい清流ではござ 秀吉はまた白い歯をみせて弁じつづけた。秀政はホッと りませぬ」 佐吉がおどかしていった程、機嫌はわるくないのだと察「というと、腐りかけた溜り水か。よいよい、その水じゃ したのだ。ほんとうに機嫌のわるい時には、こんなに多弁とて、ロをつけてやったら流れになろう」 「実は、柴田修理どのから、この秀政のもとへ使者がござ になりはしないことを彼はすでに知っていた。 り・寺 ( した」 「政治が万人の希望のあとになった時はすでに敗北じゃ。 「ほう、あの溜り水は、何と云って来た。岐阜との間をあ 戦と同じことよ。あれよ、あれよという間に考えてもいな っせんして、三法師さまを、おぬしに引渡したいとでも云 い仕合せをポンポンと叩き出してみせてやってこそ万民は うて来たか」 ついて来る。が反対に、あれをして呉れ、こうして欲しい こんどは秀政が舌打して首を振った。 と云うようになっては、何をしてやっても後手ゆえ、さっ 183

9. 徳川家康 6

丹羽長秀の組下となりこの賤ケ嶽の砦を守っていたのだ 「何分にも羽柴筑前どのは、岐阜攻めに赴かれて留守と来 が、彼は、はじめから中川清秀のようにはげしい戦意は見ているのでのう」 せなかった。 「留守中ゆえ、この賤ケ嶽の陣地、渡せぬと云われるのか ッ 柴田勝政が、余呉湖の西に出てしきりに戦をしかけるの に、すすんで攻めようとはせず、却って退却の用意にかか使者の直江田又次郎は、舌打ちして問いつめる。 らせたのである。 「さあ、そこが相談じゃが、もし渡せぬと申したらどうな この空気は当然寄手に反映する。 るかの」 「ーーー・・おかしいぞ。これは砦を捨てて逃げる気らしい」 重晴は深沈と首をかしげて、いかにも未練そうに又たず そうなると、敵も死傷は避けたくなる。そこで盛政かねた。 「知れてあること。すでに高山右近は砦を捨て、大岩山の 即刻、砦を渡して引きあげるよう。さすればわれ等中川清秀も討死ときわまった。もしご辺が渡さぬとなった も追討ちはかけまい」 ら、腕すくで落すまでのこと、わざわざお訊ねなさるにも と、直江田又次郎を使者として掛合いによこしたのだ。 及ぶきい」 山頂の仮屋で使者の口上をきくと、 「と云われるが、まだ本陣の木ノ本が陥ちたと云うではな 「そ、つさの、つ」 し、丹羽長秀どのが討取られたと云うでもないでなあ」 どこか家康に似た風キの重晴は、丸い顔をかしげて考え 「では、大岩山と同じように、全滅しても一戦すると云う 込んだ。 のじゃな」 「いや、それは即断すぎる」 「なに、即断すぎると : 「われ等も些か腕に覚えの武辺者ながら : : : 」 「さよう。左禰山では堀秀政どのも見てあろうし、筑前ど 桑山重晴は、相手がじりじりするほどゆっくりとしたロのとて、知らせを聞いたらもう一度引っ返そう。その時に 調で、 は桑山重晴は、手もなく砦を捨てて逃げうせたと云われて ら、 304

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「明日一日が : 秀吉は秀勝と堀秀政が去ってゆくと、こんどは黒田官兵 「さよう。筒井、細川からはまだ挨拶はなくとも、中川清衛を呼んで、自分だけ今日から精進おとしをする旨をつ げ、老いの身を養うため、はじめて鳥肉、魚肉を山のよう 秀と高山右近からは必ず返事がある筈じゃ。さすればわが 方は、弟の羽柴秀長に黒田官兵衛、神子田正治、高山右に食膳にのせて食事をはじめた。 近、中川清秀、それにおぬしと、池田信輝、加藤光泰、木「笑うて呉れるな。頭を丸めて魚鳥を喰う。これも亡き右 村隼人、中村一氏と揃うて来る。揃うて押出したら、信孝府さまへのご孝養じゃ。体力が衰えては槍も振えぬ」 さまも必す遅れはなさるまい」 すると、官兵衛もまた、 云われているうちに、堀秀政は自分がいっか秀吉の家臣「それがしも病気あがりの身ゆえ精進落しを致しました。 、こ 0 しか 7 も ) て、れがカ ~ その代り : : : 」 か組下になっているのに気がっしオ と、しかつめらしい表情で、 も当然のように思えて来るのはなぜであろうか。 「殿同様、亡君へのご孝養を忘れぬため、名乗りの好高の ( これは、秀吉の魔術にかかった : 心のどこかでそんな気もするのだが、眼の前に頬を染ヨシの字を孝の字に改めました」 どうやらこの頃から、秀吉も官兵衛も、もはや戦に没入 め、眼を輝やかして坐っている十六歳の秀勝を見ると、そ れも消え、戦わねばならぬとする考えがだんだん心を占めし、没入した境地の中でふしぎな楽しみを楽しみたしてい る様子であった。 てくるのがふしぎであった。 二人はその夜、夜を徹して、互いに冗談口を叩きあいな 「それゆえ、久太郎はわれ等父子が覚悟のことを、すぐさ がら、戦術の研さんをつづけた。 ま大坂表へ知らされたい。わしは明日一日は寸暇もあるま いでのう」 十 「、い得ました」 明くれば六月十二日 : 云ってしまってから、これも魔術かとまた秀政は自分に この日大勢は決してゆくといった秀吉の布石と予言は恐 云った。云いながら、しかし命じられた事の大切さが心に ろしいほど的確にあたっていた。 しみ、すぐにその準備に取りかかってゆくのがおかしい。 9