「ーー・・その葬儀、待ったと、すでに岐阜に在す神戸侍従信幽古は、「はつ」と答えて、身構えるように筆をとりあ げ、紙を睨んだ。 孝卿から故障が入っているそうな」 いや、その信孝さまとご一味なされている越前の柴 田さまは、もう佐久間玄蕃頭盛政、前田又左衛門利家、佐々 「われらは、かって秀勝とともに本能寺に、右府さまご 陸奥守成政などに軍勢を差出させ、北の庄を出発している とい、つことじゃ挈、」 生害のあとを葬い、相擁して泣いた。そうであったな秀 「ーーするとこれは、神戸侍従と、筑前どのご養子、秀勝勝」 さまのご家督争いじゃな」 秀吉が眼を閉じたままそう云うと、十六歳の信長の四子 そうした風聞がまことしやかに流布されて、やがてその秀勝は、「はいツ」と、云って、涙ぐんだ。 噂の中へ黒田、蜂須賀、浅野、大谷、神子田、仙石など 大村幽古はちらりとそのさまを見やって、すぐにさらさ の、秀吉方の部将が、それぞれ具足をつけた手勢を引きつらと筆をうごかす。 れて京洛の地に姿を現わしだしたのだから、京童の不安は 「この涙は何であったか : : : 申すまでもないことながら、 次第に重苦しい沈黙に変っていく : : こうした空気の中この秀吉が所生はもとこれ微賤なるに、右府さまの推挙を を、十月九日に、秀吉は、自身で大徳寺に赴き、万端の打蒙って、重ねがさねの恩恵に浴したること、古来にその比 ところで、なおその寵遇に加え、こ 合せを終って、馬で山崎の城に戻ると、すぐに養子の秀勝なしと云ってもよい。 おつぎまる といまは祐筆の大村幽古を居間に呼んで、 なた於次丸 : : : 秀勝をばこの秀吉が養子に下された : : : 分 「話すことがある。秀勝は、この父の言葉を心肝に刻みおるであろう、わしの涙が」 よく分りまする」 くよう。また幽古は後々のために、この秀吉が胸中、かみ「はい。 「これで、秀吉が家は、右府さまに対して同胞合体、これ くだいて記録をしおくよう」 重々しい口調で云うと、自身は脇息を前へおいて、深刻ではただ泣くだけでは済むまい。泣いているだけでは婦女 子の悲しみじゃ な表情で眼を閉じた。 「仰せの通りで : : : 」 「よいか幽古、筆紙の用意は ? 」 205
迫力そのものの姿勢であった。 九 「わし以外にそれの出来そうな者は他にないゆえ、全軍の 秀吉の言葉の裏には、こんどの一戦に誰が総大将に立っ 指揮はわしが執る。そこで秀勝」 べきだなどという、名目論は一蹴しようとする意図があっ 「こなたはわしの子であって、また主君の遺児じゃ。よい ここで、信孝か信雄か、 むろん秀吉の私心からではない。 か、光秀はこなたにとって実父の仇敵、養父にとっては主 それとも柴田か丹羽かなどと云い争っていたのでは、戦機 君の仇じゃそ」 を逸するばかりでなく、日和見している諸侯をわざわざ光 「仰せのとおり」 「まっ先かけろ ! さすがは右府のお子、筑前が嗣子であ秀側へ追いやる結果になってゆく。 いや、何よりも焦眉の急は大坂にある信孝の出方であっ ったと、今生の栄えを想わず、後の世の花となれツ」 「よッ 信孝がもしも小さな名分に拘わって、秀吉の方から自分 「わしとこなたが逡巡しては、末代まで右府の霊は浮ばれ : などと云い出されたのでは、時の空費が 士玉い」日 、。門に合わぬお子たちは仕方がないが、われ等はこの所へ挨拶に : うして、夜に日をついで戦場へ駈けつけたのだ。第一番に取返しのつかない敗因を作ってゆこう。 「しかと分ったな」 こなたが斬死、つづいてわれ等も、老武者なれど槍をとっ 秀吉はまた、半ば堀秀政に聞かせる口調で秀勝に念をお て光秀に見参する。この覚悟、しかとこなたに申渡すぞ」 云われている秀勝よりも堀久太郎の眼がギラギラと据わした。 「信孝さまとて、今度だけはわれらの采配下で働いて貰わ っていった。 「父上の仰せ、秀勝、肝に刻んで必ずお怨みを晴らしますねばならぬ。それゆえ、われ等父子はどこまでも身を捨て てかかってゆくのじゃ」 そこまで云うと秀吉ははじめて久太郎へ視線を戻した。 秀勝は、養父の語気に煽られて、きびしい表情で両手を 「明日一日が、この戦の峠でござるでなあ久太郎」 ついた。 6 」 0 っ ) 0 3
せいけんじ の栖賢寺に着陣するまでの不眠不休の進軍中、次第に兵数ぬ」 数刻にして秀吉の宣伝隊になっている始末だった。 をふやしていった。 その騒ぎの中で、秀吉は髪をおろした。 秀吉は尼テ崎に着くと、わざと指呼の間の中川、高山の 両将には使者を送らす、大和の筒井順慶と、丹後の細川藤広徳寺の和尚の手で、思いきってきれいな青坊主になる 孝に密使を送った。 これが、われ等の亡君へのお志でござる」 どこまでも信長の仇を報じ、逆臣明智光秀を誅罰すると 鹿爪らしく和尚に云ったあとで、自分でも可笑しくなっ いうロ上であった。 たと見えて、クスクス笑った。 着陣した日の夕方には、すでに堺と大坂からおびただし だいもっ 髪の毛の一筋まで、戦術、戦略のために使おうとする自 い物資が続々と運び込まれ、附近の長洲から大物の浦まで、 分の執拗な性格が、客観すると笑いを誘わすにおかないの 人と馬と、船と人とでうずめつくされた。 そしてそれらが一斉に炊煙をあげて、夜営の支度にかかであった。 ってゆくと、 秀吉はきれいに髪をおろすと、それを将兵に見せびらか すようにして、かがり火を縫い、地つづきの栖賢寺へ、養 これは、勝負にならぬそ」 百姓や町人までが圧倒されて誰云うとなく呟きだすのだ子の秀勝をたずねていった。 つ ) 0 秀勝は信長の第四子。 夜に入っても、薪船や米船はひきも切らなかった。わけ姫路から一方の大将として同行していたのだが、 ても天をこがすかがり火の勢いは人々の気をのんだ。 「秀勝、話があるゆえ、堀久太郎も呼ばせてくれ」 と、重々しく云った。 「薪を惜しむなよ。どんどん焚け」 むろんそれも秀吉の性格からだったが、同時に大きな戦秀勝は養父の頭が、きれいな青坊主になっているのを見 、ハッとしたように姿勢を正した。 略で、寺へ陣取られた栖賢、広徳の二禅庵の小僧たちまでると 「お父上 : : : それは : 「ー・・・・・ - ・景気のいい御大将だぞ。どれだけ金があるのか分ら「家臣として当然のこと。今日まで剃らなんだは、まだ葬
「利宀豕 : : : 」 「おぬし、それで二人の間が丸くゆくと思うてか」 「それとも利家、秀勝に織田家を継がさぬという誓書があ れば、修理を説き伏せる自信がおぬしにあるというのか。 「わしは書く。何本でも書く。いったんわが子として羽柴それがあれば、むろんわしは干戈は動かさぬ」 の姓を名乗らせた秀勝に、織田家のあとは断じて継がさぬ」 「筑前 ! それだけで、わしへの土産は充分じゃ」 「これからの秀吉に、個人の敵は一人もないのだ。いかに 「が、わしは利家、おぬしは欺せぬ。よいか。羽柴の姓を手きびしく刃向うて来た者も、その理を悟ればさらりと助 継がせた秀勝に、織田家のあとは取らさぬが、羽柴のまま けて重用するが、その理が分らねば、たとえ家人兄弟たり で天下は取らせるかも知れぬ」 とも用捨はせぬ。そのけじめを立てて立向うてこそ、はじ : なんと云われる」 めて天下は平定する : : と、これが右府から伝承したわし 「天下は、まだ織田家のものではなかった。右府さまのおの悟りと思うてくれ」 ホトリと 利家はいっか夜具の上に坐ったままポトリ、 志のうちにはあったが、ご連枝の中には、重臣どもの頭に もまだ無かった : : と、これで修理がうなすく男と思うて膝に涙をおとしていた。 こうしてまっ正直にその本、いを語られると、自 秀吉に、 いるか」 「ふーむ」 分もまた相手の偽れる利家ではなかった。 利家は、誰よりも勝家の肚をよく知っている。勝家は、 「うなすかなければ一戦するぞ。天下のために一戦する。 この冬だけ、異心はないと見せかけて開戦を避けたいだけ 相手に雪消の春を待たせてやってもよい。が、この心は変 のことなのだ : らぬぞ」 ところが、すでにそれは秀吉の、知りすぎるほど知ると いっか利家はきちんと両手を膝において考えこんでいる ころで、手も足も出なかった。 若い勝豊はやりきれなさから秀吉に喰ってかかったが、 231
お市の方は、あまりのことにいがしそうにな 0 て来こいため : : : それで俥の悪い羽柴もと ~ やらなんだと思 、フのか」 すると茶々は全身に反撥を匂わせてきっとした真顔にな たしかに羽柴秀勝がもとへ二番目の高姫を嫁がせては のぶかね と、叔父の信包から話のあったとき、断ったのはお市の方った。 この茶々が答えまする。母さま ! 母 「高どのの代りに、 であったが : さまの仰せには、みな、身勝手から出た歪みがござります 「お茶々どの」 「よ、 し」 「こなたも : : こなたも、高どのと、おなじようにお思い か。この母が身勝手で、秀勝どのヘ嫁がせなんだとお思い 「これは聞きずてなりませぬ。どこにこの母の歪みがある 力」 「さあ : ・・ : 」と、茶々姫はとばけた様子で首をかしげたまのじゃ。さ、それを聞きましよう」 お市の方は、血の気を無くして身をのり出した。 ま笑っている。それが一層、哀れな母をいら立たせた。 「ではハッキリと聞かせましよう。この母が、高どのの縁茶々姫も負けてはいなかった。 「母さまは実のお父上の仇敵は、羽柴筑前じゃとお云いな 談をことわったは、秀勝どのは従兄妹同志ゆえよいとし された」 て、筑前が養子になった者ゆえ許せなかったのじゃ。こな た達はこなた達の実の父御が何者に討たれたと思うていや「筑前ではないと、こなた達はお思いか」 「、こざり・亠ませぬと、もー・」 る。筑前はあの時の父の仇ではないか」 茶々もいくぶん蒼ざめて、 茶々はまた高姫と顔を見合った。 「もし、わが身達の仇があったら、それは右府さまじゃ。 この一言で充分子たちはおどろくものと思っていたの いや、筑前を仇敵と云うならばこの城の主も仇敵じゃー に、相変らずな視線を合せた二人の顔には笑いが残ってい 同じ戦に加わって、筑前はただ先手で小谷の城を攻めたも る。 「まだ腑におちぬのかツ。この母が、自分でこの城に嫁ぎの、攻めさせたは、われ等が伯父の右府さまじゃ」 、 ) 0 195
「五百石でもまだ少いかも知れぬ。なにしろ五山十刹の僧 秀吉の涙を見て幽古は思わず息をのんだ。 徒はむろんのこと、洛中洛外の褝律八宗の僧侶が雲のごと 秀勝も涙ぐんだまま、じっとこの養父を見まもってい く集るのじゃ」 る。 「雲のごとく : : : で、宜しゅ、つご、りましよ、つか」 : と幽古は思う。若しこれを策略と見てい 天真爛漫な : 「そうじゃ。幾千万か数もわからぬと書いておけ」 ったら、あまりに隙のない嫌味な構えと云うであろうが、 これは決して策略だけのものではない。その性情と頭脳と「幾千 : : : 万」 「むろん、これだけの葬儀を見るのは京童ははじめてのこ 確信とが、渾然とひとつになった至妙な境地なのだと思 とであろう、いや、それでもまだまだ秀吉が心では弔い足 う。近ごろそれが、特に神に入って来た。 りぬ。なにしろ、応仁この方の大乱に、平和への道をつけ 「わしはのう : て下された不世出の右府さまが葬儀なのじゃ。しかし、秀 と、秀吉は涙を拭おうともせずに言葉をつづけた。 「雑用として一万貫と、不動国行の太刀を大徳寺〈納めて吉がまだ微力にしてこれ以上のことはなし能わぬ。まこと に汗顔の至りと云わねばならぬ : : : 」 来た。また菩提所として建てた総見院へは、右府さま卵塔 そう云うと秀吉ははじめて大きく眼をひらいて、「その の作事料として銀子十一枚を寄付し、香花料として寺領五 十石を寄進、他に米五百石を、大坂のさる商人に申付けて代り : : : 」と、かすかに唇辺に笑いをうかべた。 「この盛儀の執行中に、つまらぬ邪魔が入らぬよう、その 買いつけさせ、諸用のために届けさせておる」 手配りは充分につけてある。醍醐、山科、舟岡、梅津、東 「あの、五百石 : : : でござりまするか」 寺、四つ塚、西の岡等の地に、黒田、蜂須賀、浅野、大 と、幽古はわが耳を疑ってきき返した。 谷、神子田、仙石等が兵を分ち遣し、万一の場合には直ち 「そうじゃ。すでにその米は続々と淀川をのばって居る。 まだまだ寄進したいものは沢山あるが、しかしこの法要に大徳寺を囲ませる手筈、さすれば蟻一匹寄りつけまい」 幽古の表情に、また愕きのいろがうかんだ。 は、どこまでもわれ等父子の独力でやりたいのじゃ。のう 秀勝は全身を固くして、身をのり出すようにしてきいて 秀勝、そうであろうが」 207
と、こんどは幽古が合槌を打った。合槌を打っことが秀貧士貧女に数等劣る畜生にひとしい者になり下る。よっ 吉のあとのロ述を誘うということをすでに幽古はのみ込んて、秀勝と共に、敢てここに故右府さまの葬儀を取行う。 でいる。それだけに口調も態度も敬皮をきわめていた。 わかったな」 「そこで、この秀吉が葬儀をせねば居られなかった事情を 「よっく、わかりまして′」ざりまする」 申し聞かせる。よいな秀勝 : : : 右府さまは、一門御連枝も「取り行う以上は、全力を尽してご冥福を祈らねばなら 少くなく、また老臣も多いことゆえ、実はこの秀吉、差出ぬ。持てるもの、捧げうる誠の限りをつくしてな」 て誤解されてはと、じっとこれまでこらえて来た。が、さ し」 て、何という云い甲斐ない世の中か。いかにそれがしが、 「よって葬儀の次第は一七日。よいか私心なく誠を傾けた 口を酸くしてすすめてみても、誰もすすんで葬儀のことを儀式かどうか、後人が見ようほどにはっきりと認めてお 取り運ぶ者が居らなんだ。無念なことじゃ ! 」 け」 そういうと、秀吉は片手で自分の額をおさえて、 「まず第一日目に当る十月十一日は転経」 「分るのう秀勝、そこでわしは今の世と睨み合せて熟考し おんてき 「はい認めました」 た : : : 昨日の親友が今日は怨敵と代り、昨日の花は今日は すでに塵芥となる。この秀吉とて、なんで明日のことが分「二日目は諸経頓写並びに施餓鬼。三日目の十三日は懺 ろう。その事に考え及ばず、下賤の貧士貧女といえども弔法、十四日は入室、十五日は闍維じゃ」 いの志あるものを、この秀吉が逡巡していて、葬儀もせず「認めましてござります」 しようざねんこう にそのまま右府さまの後追うようなことになっては、それ「十六日が宿忌。十七日が陞座拈香。つまり葬儀は十五日 こそ泉下で右府さまに会わせる顔もない仕儀じゃ。幽古、じゃ。これが秀吉に出来る限りの : : : 」 ここが大切なところじゃそ ! 故右府さまのお見出しに そういうと秀吉の閉じた眼からすーっと涙が糸をひい 預り、織田家と同胞合体の寵遇を蒙りながら、最後に一片た。 の勇気をかき、連枝老臣の思惑をはばかって、当然なすべ きよ、つだ きことをなさずに死んだとあっては、この秀吉は、忘恩怯懦 じゃい 206
報がもたらされた。 同七番手は、秀吉の弟、姫路の城主羽柴秀長。 ・「 ~ もんのすけ 越後の上杉景勝は、当然秀吉と呼応してうごき出すもの 同八番手は、大和郡山の城主筒井順慶、伊藤掃部助。 と計算し、着陣と同時に、越中松倉の守将、須田満親にあ 同九番手は、蜂須賀冢政、赤松則房。 てて自信満々の手紙を書き送らせた。 同十番手は、神子田正治、赤松則継。 「ーーー伊勢路へは織田信雄が出兵し、自分はいま、柳ケ瀬 同十一番手は、丹後宮津の城主細川忠興、摂津高槻の に出て来ている勝家を、賤ケ嶽を占拠して迎え撃つつもり 城主高山右近長房。 同十二番手は、秀吉の養子、丹波亀山の城主羽柴秀勝である。彼我の陣備えを見れば、必勝は疑いないところ、 を大将として、淡路、洲本の城主仙石秀久。 やがて敵を追って、加賀、越中まで追詰めるゆえ、能登、 同十三番手は、摂津茨木の城主中川清秀。 越中は上杉景勝の存分にまかしてよい。但し、わざわざ自 秀吉の馬廻りは、この鉄壁の備えの次に、鉄砲衆八組を分に呼応して兵を動かすことは無用であるゆえ、念のため じっこん に書添えておく」 おき、右手へ特に親しい昵近の衆、左手には小姓衆をおい 呼応して兵を動かすことは無用であやーーとは、何とい て江北へすすんでいった。 むろん、その兵数で北国軍を圧倒しているばかりでなう秀吉らしい宣伝であろうか。 こう云われては、雪消と同時に上杉勢も動かすにはいら 、彼一流の土民工作も、事前に石田三成 ( 当時は三也 ) れなくなって来るであろう。 を派して、いろいろと手を打っていた。 北国勢は必ず敗退するであろうゆえ、その時は余「大体これで勝ったのう」 秀吉は木ノ本に着陣すると、左手の賤ケ嶽と、細い山あ 呉、丹生等の百姓たちは、むろんのこと諸寺社の者も方々 に伏せていて敵を追い討ち手柄を立てるように。名ある者いの越前道を眺めやって、ニコニコと笑った。 の首を取った者には、当座の褒美ばかりでなく、諸役免除「勝家が留守になれば、加賀、越前、能登と、本願寺があ の特典を与えるであろう」 ばれ出すでなあ」 したがって、三月十七日、木ノ本に到着した時には、称 名寺その他から、秀吉の本陣へは続々と、北国勢進攻の諜 四 8
「明日一日が : 秀吉は秀勝と堀秀政が去ってゆくと、こんどは黒田官兵 「さよう。筒井、細川からはまだ挨拶はなくとも、中川清衛を呼んで、自分だけ今日から精進おとしをする旨をつ げ、老いの身を養うため、はじめて鳥肉、魚肉を山のよう 秀と高山右近からは必ず返事がある筈じゃ。さすればわが 方は、弟の羽柴秀長に黒田官兵衛、神子田正治、高山右に食膳にのせて食事をはじめた。 近、中川清秀、それにおぬしと、池田信輝、加藤光泰、木「笑うて呉れるな。頭を丸めて魚鳥を喰う。これも亡き右 村隼人、中村一氏と揃うて来る。揃うて押出したら、信孝府さまへのご孝養じゃ。体力が衰えては槍も振えぬ」 さまも必す遅れはなさるまい」 すると、官兵衛もまた、 云われているうちに、堀秀政は自分がいっか秀吉の家臣「それがしも病気あがりの身ゆえ精進落しを致しました。 、こ 0 しか 7 も ) て、れがカ ~ その代り : : : 」 か組下になっているのに気がっしオ と、しかつめらしい表情で、 も当然のように思えて来るのはなぜであろうか。 「殿同様、亡君へのご孝養を忘れぬため、名乗りの好高の ( これは、秀吉の魔術にかかった : 心のどこかでそんな気もするのだが、眼の前に頬を染ヨシの字を孝の字に改めました」 どうやらこの頃から、秀吉も官兵衛も、もはや戦に没入 め、眼を輝やかして坐っている十六歳の秀勝を見ると、そ れも消え、戦わねばならぬとする考えがだんだん心を占めし、没入した境地の中でふしぎな楽しみを楽しみたしてい る様子であった。 てくるのがふしぎであった。 二人はその夜、夜を徹して、互いに冗談口を叩きあいな 「それゆえ、久太郎はわれ等父子が覚悟のことを、すぐさ がら、戦術の研さんをつづけた。 ま大坂表へ知らされたい。わしは明日一日は寸暇もあるま いでのう」 十 「、い得ました」 明くれば六月十二日 : 云ってしまってから、これも魔術かとまた秀政は自分に この日大勢は決してゆくといった秀吉の布石と予言は恐 云った。云いながら、しかし命じられた事の大切さが心に ろしいほど的確にあたっていた。 しみ、すぐにその準備に取りかかってゆくのがおかしい。 9
利家もまた同じ立場に追いこまれそうであった。 が悟るかどうかじゃ。って呉れれば柴田家は無事、むろ 勝家が立派か ? ん信孝のもとへも、後で三人連署の誓書も届けば、おぬし 秀吉が正しいか ? も顔が立っ道理じゃ。 が、いぜん悟らねばその時は柴田の そう考えれば、そこには幾多の疑問があったが、問題は家の終り : そうした観念的なことを離れて、 利家の肩の動きが、急にはげしくなって来た。 「ーー・戦えばどちらが勝っか ? 」のきびしい現実につなが ( 何というおかしな、おのれの立場であろうか : っている。 難しい使者にやって来て、その使者の顔の立っ方法を当 そして、その答えは今や明瞭に出て来ているのだ。 の相手の秀吉に考えて貰っている。 勝家の肚を見ぬいている秀吉が、のうのうと手を拱いて ( 旧友はよいものだ ! ) 雪消を待っ筈はなく、待たねば勝家の負けであった。 そうした感慨と、戦は避けられぬという見透しとが、切 なく胸をかけめぐり、利家ほどの男も顔をあげ得なくなっ てしまった : 「わしはやはり誓書を書こう。秀勝に織田家を継がせる考 十 えは毛頭ないこと、神明はすでに照覧すみじゃ。が、それ 以上のこと : : 即ち、信孝を敵にせぬとはまだ書けぬ。そ「よく分った ! 」 れは相手の出方次第じゃ。と云うて、それをハッキリ口外利家はしばらくして、そろりと膝をうごかして、 しては、おぬしも北の庄へ顔が出せまい」 「寒い、失礼して横になろう」 「そのことじゃ」 「それがよい。背筋がひどく冷えて来た」 「それゆえ、一応ここでは、信孝に敵意のないという誓書秀吉もうなすいて夜具を肩へかけて横になった。 は、秀吉一人に書かせても意味はないゆえ、改めて、池田 小姓たちはみな次の間へ引取って、短檠の灯の燃える音 が聞えて来そうな静けさだった。 勝入 ( 信輝 ) と丹羽五郎左の三人連署で認めさせることに して来た : : : そう申して北の庄へ戻ってくれ。これで修理「おかしなものじゃ」 2