笑っ - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 6
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1. 徳川家康 6

「十 ( 、 0 「あの、このお方さまが : : 、 > 何でも織田の右府さまが都でお討たれなされたと 「そうじゃ」と、家康が笑って口を出した。 又こうなると国中が乱れてゆく。いっそ乱れのない土 「ここ三日、髭もそらねば髪も結わぬ。さそむさかろう地へ移って行こうかなどと、他愛のない愚痴話でござりま が、わしが家康じゃ」 オが」 「これはこれは」と、八兵衛はうろたえてまた顕空に向き 「乱れのない土地へのう」 「キよ、 0 、 直った。 : ししっそお館さまのお住まいなさる、浜松のご城下 「して、この八兵衛にご用とおっしやるのは」 へ移住のことでも願い出てみてはなどと : : : 百姓や漁師に 「庄屋どの、実はお館さまは旅の途中での、これから三河は、また、それぞれの願いや愚痴がござりますもので。は へお戻りなさる。わしも成岩村の当院本寺、常楽寺までお し」 伴しようと思うが、こなた様ひとつ、道案内をして呉れま 「なるほど、そうであろうの」 し力」 顕空はチラリと家康を見やってから、 「成岩村まで : : : それはお易いことで」 「いや、早速のご示引かたじけない。では、この場でお館 八兵衛はそう云ってから ) また家康をしげしげと見直しさまに斎を進じ、すぐに出発致しまするゆえ、道案内のこ と、宜しゅ、つ頼みまする」 「さよ、つで、こざりまするか。このお方さまが : 家康は黙って八兵衛の支度に立つのを見送った。 「と、いわっしやるところを見ると、お館さまのお噂は、 ( そうか、ここはすでに、母の久しく住んでいた阿古居に 庄屋どのもお耳になされてか」 近い土地であったか : : : ) 「それはもう」と、八兵衛ははじめて顔いつばいに笑いを ここまで辿りつけばもう三河へ着いたも同じこと。この 、つ、かべ宀に あたりの民が、自分の膝もと近くに住みたいと希うことも 「阿古居の奥方さまのお子さまと : : いや、それより今日あながち世辞とは思えなかった。 も浜でお噂が出たところでござりました」 「百姓、町人の愚痴か : : : 」 「ほう、どのようなお蹲であったかのう」 やがて顕空の運ばせて来た湯づけを摂り、庄屋の八兵衛 、 0 7

2. 徳川家康 6

五カ国というと大譲歩のように聞えるが、備後のほかはま ような幸運な男に出会うたのが運負けと、早く気づく軍師 だ毛利の領地ではない。明日、安国寺恵瓊に会うたら和議 が毛利方にはいないのか」 「ところが : はならぬと一蹴しておけ」 : 」と、官兵衛はまたすべる馬のあがきを立 直しながら、 官兵衛はフフフと笑った。 「では、どうあってもこの高松城に立籠る、清水宗治以下「向うには、向うの思惑があるようで」 を引渡せというので」 「どんな思惑だ。おれの運に勝てるとでも思っているの 「そうだ。つべこべ掛引していると、五千の城兵が飢えてか」 ゆく。餓えたあとでは勘定が合うまいがと一番ここは強く 「つまり、殿以上のお方がもう一人いる。そのお方がやっ 出てくれ。こなたもだが、安国寺も掛引のつよい奴だ。わて来てからの方が、交渉はしよかろうと考えているよう しはこれが毛利の最後の肚とは考えられぬ」 こんどは右側の蜂須賀彦右衛門が笑った。 「それは右府さまがことだな」 「先方でもそう云っているでござりましようて」 「さよう、そして右府さまと交渉してから譲った方が、憎 「なんと云うて居る」 い筑前の顔をつふしてやれるというわけで : : : 」 官兵衛はそう云うと行手に立って入道雲を見やって意地 「羽柴筑前とは又、何と掛引の強い男かと」 わるそ、つにニタリとした。 : それはそうじやろ。向うもこうしておれが どっしり腰をおちつけて、水攻めまでやるとは思うていな かったに違いない」 「全く、思いきったことをなさる。ご覧なされ。二百町歩「ロに毒を持った男だ」 の大池の中で、無事に立っているのは城へ通する道路の並秀吉は大形に顔をしかめて官兵衛を睨んでから、 木ばかりた。 人家も屋根を浮かしているし、小さな森や林「向うがその気なら、こっちは何時まででもねばってや は水草に変っている」 る。なあに、右府さまが来られたとて、おれの云うことは 「それゆえ、この辺で手を打てと申しているのだ。わしの通ってゆくわ」 9

3. 徳川家康 6

「では、そろそろ帰城するかの」 したがって、女狩りの嚀がひろまる程、四郎次郎の活動 四郎次郎はうやうやしく一礼しこ。 は楽になる。 「では後刻、これなる女性、城まで別に送らせまする」 四郎次郎が、供揃えを命じるために立上ると、 「待て」 「いや、それには及ばぬ。伴って戻ろう」 「と、仰せられましても、この身なりでは : と、家康は、笑いながら呼びとめた。 「まだ何そ御用が ? 」 いよいよ固くなってうつむいている阿浅をはばかって声 をおとすと、 「この女子、会うて見て、すっかり予の気に入った。茶屋 「いや、それがよいのじゃ」 が見つけて呉れた女子ゆえ、これから城内ではチャーと呼 家康は事もなげに手を振った。 : でござりまするか」 「のう阿浅、人の性根は身なりにはない。そなたの心の奥「チャー にある」 「おう、茶ッと、短く呼んだのでは情が出まい。チャーと 3 6 し」 呼ばう。文字は茶屋の茶の字に、阿部の阿の字でも書けば 2 「そなたを伴うて戻るとみんな眼を剥く。いいではない か。あちこちに、秀吉の細作どもが入りこんでいようで「なるほど、茶阿の局でござりまするか」 「そうじゃ。チャー、それでよいか」 の。家康は、ひと戦済んだと思うて、のんびりと女狩りを やっている : : : そう思わせて、秀吉に小首を傾げさせてみ そう云うと家康は珍しく、声を立てて笑っていった。 るのも面白かろうが」 茶屋四郎次郎は膝をたたいて立上った。 家康に、阿浅をす , 一めたのは四郎次郎だった。というよ家康が、鋳掛屋の後家を伴って浜松城内へ戻ったという りも、すでに秀吉の細作に顔を知られてしまっている四郎噂は、その日のうちに城の内外へひろまった。 次郎が、家康と逢うために考えたのが阿浅の仇討願いの直「 いよいよお館さまの癖が出たの。後家探しなど、も 訴たったのた。 、つほどほどになさるがよいのに」

4. 徳川家康 6

: それは知らぬ」 ぶまいかと存ずるが、名案あらばその智を愚僧にお貸し下 と、官兵衛は鋭い視線を陽の照りだした樹間にそらし 癶、れ一 「と云われると、貴僧は承知したが、毛利方では絶対に承て、 「人には人それぞれに持って生れたご運がござるよ」 服せぬと云われるか」 「ほう、ご運が無ければ、諦めなさると云わっしやるの 「いかに、も」 力」 「やむを得ぬと思、っている迄。しかしこのご連は、ひとり と、黒田官兵衛は大きく云った。 「ここは天意がいずれにあるかを試すところ。貴僧ひとわが方の御大将だけのご運ではない。そのまま毛利、吉 小早川の三家のご運にも連なるもの : : : のう安国寺ど つ、御大将に会うて下され。そして、それがしに申したと ころをそのまま、御大将にお告げ下され。それで御大将にの、凡そ談判不調となれば三つの場合しか無い筈じゃ。そ の一つはわれらの御大将が破れて自滅してゆくか、それと 思案があるかないかがご運の決まるところだ」 も毛利方の三家が地上から姿を消すか、もう一つは共に斃 れて誰かが漁夫の利を占めるかじゃ。そうハッキリ分って いながら毛利方がどこまでも武門の意地にこだわるとあれ 恵瓊は改めて官兵衛を見直した。 ーオしさ、お供申 ( それにしても、何と思いきったことを口に出来る男であば、この決をとるのは御大将より他によよ、。 つ、つ、か・ 恵瓊は一瞬総身の寒くなるのを感じて口をつぐんだ。 若し恵瓊が秀吉に逢って、秀吉に名案がないと分ったら 官兵衛の言葉の無造作さは、無責任な放言ではなくて、 どうする気なのか : ( 責任は官兵衛になくて秀吉にある : : : と、この男はそらすでに底の底まで計算して肚を決めているものの放胆さと うそぶ 分ったからであった。 嘯く気なのであろうか : 「官兵衛どの、ではこなた様は、御大将にご名案ありとお「お供申しましよう」 しずかに云ってこんどは恵瓊が低く笑った。 考えなされて居られるのじゃな」 3 4

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「まあそのようなもので」 望見される。 「よし、・米いツ」 「あの山々が、すっかり紅葉するまでにはのう」 と、秀吉は中央に戻って城の造りまで安土を真似た座敷 と、秀吉は上機嫌で黒田官兵衛をふり返った。 ここは秀吉が新しく築いた山崎の宝寺の城で、まだ木のの中央にどっかと坐った。 「うつかりすると、北条氏直までが家康めに喰われそう 香は新しく壁土の匂いも生々しかった。 力」 黒田官兵衛は相変らず、笑っているような居ないよう 官兵衛はすぐには答えず、不自由な足を引きずるように な、曖味な表情で、 して秀吉の前へ行くと、黙ってふところから、一枚の地図 「これはまことによい眺めで」 問われたこととは全くべつのことを答える。 と、ぎっしり人の名を書きつらねた紙をひろげていった。 今日やって来ると、いきなり、眺めがよいから見せてや「ふーん。これは北条氏直と家康、それに上杉景勝の入り ろうと云って、秀吉は小姓も連れすに、二人でここへのばみだれた対陣図か : 身をかがめてひとわたりそれを見わたしてから、 って来たのである。 「官兵衛 : : : 」 「この分では、北条め、家康に和睦を申込むな」 「あれが思い出の街道でござりまするな」 「まず、この十一月までかと」 「街道などはどうでもよい。どうじゃ、勝家は、やはり、 「ふん、年内いつばいは持たぬか」 家康のもとへ、しげしげ使者を送っているであろう」 それから、もう一つの人名に眼をおとして、 「読んで呉れ。四角の字が多い」 官兵衛はちらりと秀吉を見て、こんどはハッキリと笑っ ていった。 官兵衛は、うなずいて、読みはじめた。 「ここから見ると、街道を通る人が豆のように小さく見え それは家康が七月三日、浜松から甲信をめざして出発し ます」 て以来、自分の配下に加えた甲州武将の重だった者の名で フ家康は豆ではない。わしは小さく見すぎていると云うのあった。 ・アな」 それに依れば、武田家の親族衆はむろんのこと、信玄の 176

6. 徳川家康 6

うして出来ているのを、土地にいながら隠さっしやる」 助かりました。いや、愕いた人出でござりまするな」 言葉とは反対に、四郎次郎に見せるために、そこにあっ 常安に導かれるままに本法寺の山門をくぐっていった。 「全く、ど偉いことをやりました。ささすっとこれへ、茶た簡単な細書きの図面を彼の前へおしやった。 「これは何でござります。この西陣のあたりに四角が一 屋どのの存知の方も見えられている」 つ、そして、この五条の川西に又一つ : 「え、わしの知った人が : : : 」 云いながら右手の幔幕の中に人ってみると、そこに盛上「ハ とこんどは淀屋が笑った。 げられた握飯の山の向うで、堺の納屋蕉が他に五六人 「応仁この方荒れたままになっているその西陣には織物町 の、これも一眼で堺の商人とわかる人たちと談笑しながら が出来、こちらの月東には、ここにもこれだけ大きな町が 茶をのんでいた。 出来ます。茶屋どの、あなたにも双方の土地は割当てる。 「これは蕉庵どので」 宜しゅう頼みまするそ」 「ほう茶屋どのか、やつばりこなたも来ていたな」 「それはもう : 四郎次郎はだんだん顔の硬ばってゆくのを覚えた。 「すると : : : すると : : こんどの供養が終ったら、すぐ 蕉庵は、四郎次郎と家康の関係をよく知っているので、 「今もその話をしていたところじゃが、これで、京の町作この図面のような町作りでござりまするか、筑前さまは り・も、つ亠工く行きき玉すわい」 「え、京の町作り、 : と、云われますと」 蕉庵は、わざと生まじめに、 「この騒ぎが終ると : : と、云うよりも、これは町作りの 「こっちを作るための供養 : : : と、云うたら筑前どのは怒 手始めとも云えますからの」 りまするぞ。あの方にとっては、することなすこと、みな : 言力とんと分りませんが」 右府さまのご遺志 : : と、ロだけではなく肚の中でもまこ 茶屋四郎次郎は、あわてて訊き返した。蕉俺は何か暗示とそう思うていられるのだからの」 するようにニャリと笑って、 「それでは、その相談に、みなさまははじめから与って居 「茶屋どのも、油断の出来ないご仁じゃ。もう町割までこられましたので」 215

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「これで、充分によい眺めを楽しませて頂きました。で では、早速に堺に参って豪商どもをなにしては、これにてご免を蒙りまする」 来い。小西弥九郎もむろん遣わすが、智恵ではおぬしがす「行くか。大儀だのう官兵衛」 秀吉は階段の降り口まで送って行って、ポンとうしろか っと上だ。もはや、右府さまの百カ日争いでもあるまい。 堂々と大徳寺で葬儀を取り行う準備にかかろう。寺も建てら官兵衛の肩を叩くと、 「ワッハッ、ツ、 . : 」と、又入った。 てな、誰も真似の出来ぬようにするには相当な金がいる。 そして一層下に控えている小姓に、 しつかりとなにして来ぬと、足りなくなるぞ」 「もう少し下界を眺めているゆえ、上って来るに及ばぬ 官兵衛はそれを聞くと、生まじめな顔になってこくりと 大声で喚いておいて座敷へ戻った。 「その準備が整うたら、あとは大丈夫で」 こんどは笑ってもとばけてもいなかった。 秀吉はまたニャニヤととばけた顔になって、 羽柴筑前守秀吉のもう一つの顔、気むずかしげで神経質 「大丈夫と思わぬで、動く男か、黒田官兵衛が」 に見える、光る眼をじっと宙に据えて廻廊へ出て行った。 「と、仰せられると官兵衛は人のよくない男のようでござ この九月十二日に秀吉は、信長の実子で、わが養子の秀 りまする」 「そうじゃな。まず敵に廻したなら、酢でも味咐でも喰え勝を喪主として、大徳寺で信長の百カ日忌をやった。この 事で、たぶん信孝か勝家から、何か云って来るであろうと ぬ奴だ。そうそう、それから、戻りに、大坂へ廻っての、 淀屋常安に、望みどおり米相場はや 0 てもよいと云 0 て来予期していたが、何も苦情は出なか 0 た。後にな 0 て探っ 何れ、大坂に、右府さまご遺志を継いでこのわしが日てみると、勝家は勝家で、信長の死後、信孝の命で、勝家 本一の城を打建ててやる。堺と並んで大繁昌疑いなしと申に嫁がせられたお市の方の名で妙心寺において供養をし、 信孝は岐阜で、信雄は清洲で、それぞれ何かやったようだ しておけ」 ゆっく 「よくお気の廻ることで」官兵衛はそう云うと悠りと左足った。 そうなると、別に新しく苦情のきっかけを作ってやら から先に立った。 179

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「すると : : : 女房どののご実家は明智方、婚家はご右府さ 「もし、こなたが、明智の娘であり、丹後の細川さまに嫁 ま方と、いわっしやるのか」 いでいるお身であっても、目的なくば旅はなさるまい。な 「こなた、それを知って居ると思うたが」 ぜ、堺を出立して、危い道を京へお向いなさるのじゃ」 「とんでもないこと ! 」 「それはのう、二つのことが確めてみたいばかりであっ 知っていて助けたとなったら、それこそわが身ばかり か、主君にまで、どのような誤解が及ぶか分らなかった。 「二つのこと : : と、いわっしやると ? 」 「そう : : : 知るまいなあそれは : 「かりに明智どのをわが父として : : : 」 相手は敏感に四郎次郎の心を読みとって、 桔梗の方は、半ばひとり言、半ばは四郎次郎の覚悟を促 「それゆえ、無事に旅した方がよいのかどうか、わらわに す口調であった。 は分らぬと云うたまでじゃ。武士の義理を云い立てて、首「父が何を考えて、右府さまを討ったのか ? 右府さまの を討たれに戻って行く : : : 義理というは、それほど価値。 かようなお方一人を斬りさえすれば、この世が正されるもの あるものかど、つか : と田 5 、ったのかど、つか ? ・」 「お前さまは恐ろしいことをいわっしやる。武士から義理「そう思うて斬ったといわっしやったら : ・・ : 」 を除いたら何が残ろう」 「笑うてやります。そのような浅はかさでは、斬って斬ら 「それゆえ、恐ろしい女子と分ったら、どこへ捨てても、 れて乱世は永劫につづきますると、笑うてやります」 どこで斬ってもよいとこなたに告げている」 「ウーム。それが一つで、もう一つ確めたいといわっしゃ あざやかに言い返されて、四郎次郎は、もう一度そっとるは ? 」 あたりを見まわした。 「父のもとから丹後へ赴き、良人に一言訊いてみたい : ( 自分は、どこかで、この女に心ひかれていたのではある「何とお訊ねなさりまする ? 」 きしカ・ 「父へ味方するは無駄なこととすすめた上で、良人にわら 「女房どの : わを何とするかと。逆臣の娘ゆえ、首を討って差出すと云 四郎次郎は自分の妄想をふり切るように、 われるか、それともわが身の生命乞いをしてくれるか ? 」 7

9. 徳川家康 6

れほど大きな衝撃はなかった。 じめな敗戦であった。 ( 果して、いまの自分に、家族の居る坂本の城まで落ちて敗戦だけではなくて、盟友たちにも見放された孤独感 が、ギリギリ、いに爪を立てた。 ゆく体力があるであろうか : そう思うあとから、信長の顔が見えたり、秀吉の顔が見 ( いったいこれはどうしたのだ : えたり、勅使として安土へやって来た吉田兼見卿の顔が見わずか二刻足らずの戦の間に、五十五年の光秀の生涯 は、凄じい速度で、まっ暗な深淵に転落していったのだ。 えたりする。 「殿 ! ご決断下さりませ」 悪夢と云ってこのような悪夢があるであろうか。 と、勝兵衛はまた語気を強めた。 信長の短慮を怒って兵を挙げた筈の光秀が、信長よりも 遙かに短気で、遙かに無思慮であったことを、まざまざと 九 思い知らされたのだ。 「もはや、味方は総崩れ、藤田勢の押し太鼓も、三宅藤兵 信長には、弔合戦をする家臣があり、幾人かの子供も残 衛が陣鉦も聞えなくなってござりまする : : : それに」 っていた。しかし光秀がここで死んでいったら何が残ろ 1 と、云って勝兵衛はうなだれて坐っている進士作左衛門 と、村越三十郎に眼まぜをして、 弔合戦をする家臣の代りに、賊名が残り、婿たちにまで 「洞ケ峠にあった筒井順慶が軍勢、俄かに山を降って、淀裏切られた嘲笑と、一族抹殺の悲劇が残って行こう。 方面の味方に挑戦して来たとの報せもござりました」 ( 短慮だった : : : 例えようもなく短慮であった 「なに順慶が : ・・ : 」 信長の冷酷さを憤って、自ら招いたこの十余日の底知れ 光秀は、思わず眼を怒らせて、次には、咽喉笛から風のない辛労。不眠不休のこの努力を、信長のために捧げてい もれるような声で笑った。 たら、どうなっていたであろうか : ノノ ( ・ : : あれのやりそうなことよ : : : そうか到頭順慶少くとも賊名の下で一族を殺さなければならないような めが : みじめさにはなってはいまい。 歯牙にもかけないと云ったように笑ったが、しかし、こ ( わしの計算は始めから誤っていたようだ )

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「さよう」と、また淀屋があとを継い 「そのことそのこと。それには、ちゃんと実力を備えた中 「町作りは筑前さまでも、金作りの才覚はこ 0 ちがうまい央軍がなければならぬ。なあ茶屋どの、それが出来ると見 でな。人れ智慧を聞くお方ならばせねばならぬ」 てとってのこっちの動き : 茶屋四郎次郎は、危く唸りそうになった。 そう云ってから、蕉庵はまた四郎次郎に訓える口調にな っていった。 これはどちらかがどちらかを利用しているのたとも云え る。が、秀吉の手はもうそこまで及んでいたのかと思う 「国富をふやすには二つの道がある。その一つは交易、も と、彼もまた身をのり出さすにはいられなかった。 う一つは地下の財宝を掘出すこと。その方ではすでに、わ マカオ れらの同志の中で天川まで遙る遙るとおし渡っての、あの 九 地で新しい銀の掘り方、吹き分け方などを学んで帰って居 いわみ 「すると、こんどのあの紫野の大供養は、この町作りの石る者もある。その者の申すところでは石見の大森、但馬の 据えだとおっしやりまするので」 生野あたりには、無限に宝があるというのじゃ」 これは家康に聞かせておかねばならぬと思って身を乗出 茶屋四郎次郎は、、いのおどろきをかくして合槌打つのに 2 すと、納屋蕉俺はまた笑いながら首を振った。 骨が折れた。 「茶屋どのは京に腰を据えられたが、 われ等は堺の住人ゅ「では、もう天川へ出張って帰った人がござりまするの え、京の町作りだけならばのう」 「と、云われますると」 「さよう、交易には銀がいる。その銀が地下にあるのを眠 らせておく去よよ、、 「日本の土台石を据えねばならぬ時と思う故、みな蔭から 、冫 ( オしカらの」 手伝うています。むろん、こっちへもみなみな出店は作ろ : いったいそのお方の : ・ : ・名は : : : 何、何と うし、こっちの出店も、堺ばかりか、筑前、肥前のあたり申されるので」 まで、出せるように計らわねば国富は出来ぬと、寄々相談 「天川へ参って来たのは神屋寿貞、いまあとを継いでいる そうたん して居るところです」 のはその孫の宗湛 ( 号 ) 善四郎じゃ が、さて銀が出米て 「あの、筑前から肥前の方まで : : : 一 も、それで国内の流通を計るばかりでは国富は増さぬ。こ