織田家 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 6
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1. 徳川家康 6

「利宀豕 : : : 」 「おぬし、それで二人の間が丸くゆくと思うてか」 「それとも利家、秀勝に織田家を継がさぬという誓書があ れば、修理を説き伏せる自信がおぬしにあるというのか。 「わしは書く。何本でも書く。いったんわが子として羽柴それがあれば、むろんわしは干戈は動かさぬ」 の姓を名乗らせた秀勝に、織田家のあとは断じて継がさぬ」 「筑前 ! それだけで、わしへの土産は充分じゃ」 「これからの秀吉に、個人の敵は一人もないのだ。いかに 「が、わしは利家、おぬしは欺せぬ。よいか。羽柴の姓を手きびしく刃向うて来た者も、その理を悟ればさらりと助 継がせた秀勝に、織田家のあとは取らさぬが、羽柴のまま けて重用するが、その理が分らねば、たとえ家人兄弟たり で天下は取らせるかも知れぬ」 とも用捨はせぬ。そのけじめを立てて立向うてこそ、はじ : なんと云われる」 めて天下は平定する : : と、これが右府から伝承したわし 「天下は、まだ織田家のものではなかった。右府さまのおの悟りと思うてくれ」 ホトリと 利家はいっか夜具の上に坐ったままポトリ、 志のうちにはあったが、ご連枝の中には、重臣どもの頭に もまだ無かった : : と、これで修理がうなすく男と思うて膝に涙をおとしていた。 こうしてまっ正直にその本、いを語られると、自 秀吉に、 いるか」 「ふーむ」 分もまた相手の偽れる利家ではなかった。 利家は、誰よりも勝家の肚をよく知っている。勝家は、 「うなすかなければ一戦するぞ。天下のために一戦する。 この冬だけ、異心はないと見せかけて開戦を避けたいだけ 相手に雪消の春を待たせてやってもよい。が、この心は変 のことなのだ : らぬぞ」 ところが、すでにそれは秀吉の、知りすぎるほど知ると いっか利家はきちんと両手を膝において考えこんでいる ころで、手も足も出なかった。 若い勝豊はやりきれなさから秀吉に喰ってかかったが、 231

2. 徳川家康 6

中心の輿望があつまり、それだけ秀吉の所謂「信長の遺志 ねばならなくなる。 黒田官兵衛は、勝家と家康の提携を気にしていたが、秀の継承」は遅れることになるからだった。 お市の方は柴田勝家の正室になっているし、この上、甲 吉の心配しているのはむしろ、清洲の信雄と家康の接近だ っ一 ) 0 斐、駿河を手中におさめた家康の眼が西に向って来るとな 北条氏と徳川氏が和睦するとすれば、信雄が何彼と仲介ると、もはや一刻の猶予も出来ない。 の労を取りそうな気がする。 家康は最初まず、信雄の不満を聞くであろう。が、彼の そうなって、和睦が成立し、正面の敵がなくなると、家性格から考えて、二人を争わせるようなことはせず、必ず 康の眼は当然西へ向けられて、信雄の不満から織田家の内信孝との間のあっせんに乗出して来そうであった。 紛に耳を藉すに違いなかった。 そして、信雄信孝の両人で三法師をもり立てることにな ると、勝家や一益は向うの味方であったし、いま秀吉の威 四 をはばかって迷いつつある者も、みな向うの味方になる怖 いま織田家の内部で、直接間題になっているのは、岐阜れがある。 の信孝が、清洲会議の決定に従わず、相続者の三法師を、 そうなると秀吉の立場はまことに妙なものになってゆ 言を構えて手放さないことであった。 この事は信雄にとっては甚だ面白くないことになる。三自ら立てた三法師を、まんまと相手に利用され、主君の 法師を擁して三男の信孝に織田家を継がれたのでは次男の報復を成しとげたという、あの立派な大義名分までが、逆 に、天下を狙った陰謀と云う事にもなりかねなかった。 信雄の面目はまるつぶれ : : : と、考えているのに違いな 秀吉のもう一つの顔がむき出されたのはそのためだっ したがって信雄信孝兄弟の間は、日に日に険悪さを加えた。 ているが、秀吉は又、彼等と違った立場から三法師と信孝秀吉はしずかにこんどは北の回廊にまわって、京都の空 を早く引離さなければならなかった。 に視線を放った。 ここもまた、日 信孝の手に三法師がある限り、勝家、信孝の側に織田家 丿と田野のひろがりの向うに幾重にも山脈 180

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その一歩々々が楽しく、寸刻々々が、前進であると同時た秀吉は、二十五日清洲城に入ると、 「これはおかしい。無理が出示って虫がさす」 に、つねにそれは至妙な慰安であったのだ。 楽働ーーーは決してその人を疲労に導かず、逆にいよいよ何を考えているのか、脇腹をおさえて眉をしかめ、床を 躰力も精神力も鍛え太らせてゆく。その意味では彼の働きのべさせてさっさと寝てしまった。 はそのまま芸術家の三昧境における努力に通じ、トレーニ ングを終ったスポーツマンの歓喜に似ている。秀吉は四十 七年の生涯で、身を持ってその「楽働ーーー」の効を会得秀吉につづいて、二十六日には、北陸の戦を早くに切り あげ、柴田勝家があたふたと清洲城へ入って来た。 し、これを処世の哲学としていたのだ : 丹羽長秀はそれ以前に信孝とともにやって来ていたし、 その秀吉が、何故清洲をめざしたのであろうか ? 池田信輝は秀吉につづいて入城していた。 清洲城は信長の次男信雄の居城である。 ここで、滝川一益が着すれば、織田家の宿老は全部揃う 信雄は三男の信孝と異腹であって、年齢は同じであっ かんな た。したがって織田家の後を継ぐべき者は、二男の信雄のだが、一益は引きあげの途中、武蔵神流川 ( 埼玉県 ) で北 か、三男の信孝かと、必ず紛糾を来すことは分りすぎるほ条氏直に戦いをいどまれてまだ清洲についていなかった。 どに分っていた。 「あとの仕置きは寸刻を争う。滝川の到着は待つまでもあ 人物から云えば信孝に覇気があり、信雄に親しみ易い美るまい」 と、柴田勝家は云った。 点がある。しかしその実力にさしたる違いはない。 そこで信雄を心に描くものも、信孝を頂こうとする者「みなそれぞれ当面に敵を持ちながら、蹴散らしてやって も、必ず後継決定の場へははせ参ずる筈であった。 来ているのだ。羽柴に腹のエ合はどうかと聞いて来い。 そしてその決定の場には織田氏発祥の地、清洲が選ばれあまり悪くなければ、揃うて相談をはじめねばならぬ」 宿老上席の勝家の意見で、二十七日四ッ半 ( 午前十一 るに違いなかった。 したがってここは秀吉の第二の出発点となってゆく。第時 ) 、ついに織田家の後継決定と、遺領分配の大会議は、清 一の竸いの場で、見事偉功を立ててその実力を天下に示し洲鹹の本丸大広間で開かれることになった。

4. 徳川家康 6

「さよう。それゆえ、明智ではいやじゃが、細川ならばと 「案ずるな、おぎんどのは始めから天帝のお妃じゃ」 いう皮肉かも知れぬ。次は羽柴筑前守秀吉」 「まあ : : : お妃ではなくて、お子でござりまする」 「実力から申せば、まだまだ出て来なければならぬお方か蕉庵はもうそっちを見ようとせす、 「次はまた光秀じゃ。そして、んどは三法師、その次 「次は羽柴 ~ 吼 ( 則宀寸」 が、あ、また高山右近が出たの」 し」 「よ、、し、「 ( して、一」ざりよする」 「次も羽柴筑前 : : : 次も羽柴 : : : 次は織田中将信雄、次は 茶屋四郎次郎は、そっと額の汗を拭った。 毛利輝元」 わが主人の家康が、これだけ視野のひろい堺の町人か 「毛利 : : と、思うお方も、この街には居るのでござりまら、ただ一票しか期待されていないのかと思うと、それが するか」 ひどく心外だった。 「それは居よう。或いは、中国を引きあげる際、秀吉の背武田氏は無く、北条、上杉氏も下向いている現在では、 後を衝いて、これに勝っと思うているのかも知れぬ」 駿、遠、三のほかに、甲斐から信濃へわたる家康の実勢力 「なるほど」 は、優に織田氏に次ぐものであった。 「次はまた織田中将信雄 : : : 次は千ノ宗易」 それが光秀へはすでに四票、秀吉へは五票出ているとい そこまで読むと木の実が声をあげて笑いだした。 いぜんとして一票なのである。 「次にまた明智 : : : 次は宗易、次は神戸信孝 : : : 」 五 二十九票を次々に読みあげて、 「しめてみて下され茶屋どの」 「何がおかしいのだ木の実は ? 」 蕉庵にそう云われた時には、 「でも宗易おじさまが天下を取ったら、私のお友達のおぎ こ求はど、つなさるかと田い、って」 明智光秀 五示 羽柴秀吉 五票 蕉庵も笑った。 織田信雄

5. 徳川家康 6

人眼をうばう桔梗がよい」 ぎぎなされましたか ? 」 そうした話は四郎次郎の耳にも入っていた。 ( やつばりそうだ ! ) と、四郎次郎は思った。 今から三年前、天正七年の二月のことである。 織田信澄は信長の弟武蔵守信行の子であったが、やはり信長はよほどこの姫が気に入っていたと見え、光秀の丹 明智光秀の娘を妻に娶っている。 波攻略と並んで、細川父子が丹後を押え、田辺城に入ると 間もなく、 光秀には実の娘が三人、養女が三人あった。 その一人は織田信澄の妻となり、もう一人は細川与一郎 「ーー・日本一の婿に日本一の嫁、幸の上の仕合せじゃ」 忠興の妻、あとの二人は、筒井順慶の子の伊賀守定次と、 妙な仕合せの重ね言葉で嫁がせたという話もひろく聞え 川勝丹波に嫁いでいる。 たこと。 その四人の中では細川家へ嫁いだ姫が、容色才気ともに もし、これがその忠興夫人の桔梗の方とすれば、ここで すぐれて信長にひどく愛されていたということだった。 は必ず、肉親の姉妹の、織田信澄の奥方の安否を気づかう むろん細川家へ嫁がせたのも信長の命であった。 筈であった。 信長は安土の光秀の屋嗷で、はじめてこの娘を見た時 「さあ、その ~ 墫はまことで、こギ、りましよ、つな。もともと信 澄さまは父の信行さまを右府に斬られて、怨んでいると思 「 , ー・・・・おや、お濃がいるそ ! 」 われているお方ゆえ」 と、眼をみはったそうな。 四郎次郎はさりげなく答えると、 「ーー血筋もひいていようが、これはまたよく似たもの 「それでは尼ヶ崎の殿は、二重に疑われて生命をおとされ だ。お濃が美濃から嫁いで来た頃そのままだ」 たことになりますなあ : : : 奥方は逆臣の娘ゆえ」 かつぎの女はそういうと、ふっと眸をそらし、すきとお そしてその娘が顔かたちばかりでなく、才気も気性も群 をぬいているのを知ると、 った頬をタ陽に向けて悲しげにまたたいた。 「ーー・・・光秀、これは、そちにはすぎた姫、そうだ今日から そちの家紋をそのまま桔梗と名を改めよ。秋の千草の中で しあわせ 2

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が、あれのいうように致したらどうなると思うかおぬしは」 それなのに、一存で都の近くに城を築くとは何事か。 堀秀政はまっすぐ秀吉を見返したまま答えない。 もし、わしが、筑前の領内、姫路の近くに築城してのけて 「みんなで家康を助け、北条氏を滅したらどうなるかと訊も、黙って筑前は見すごすかどうか。この儀だけはこのま いているのだ。勝家の計算ではまず家康を助けておいて、 までは済まされぬと」 後でこの秀吉に当らせようというのであろうが、これは全「なるほど」 然逆になるそ、家康は勝家ほどバカではない。まず自分で秀吉はちょっと真顔になって、 大きく肥えてから、わしに当るよりも、手近で楽な方へ出「そちがわしならば、何と答える久太郎」 てゆくわい。手近で楽な : : : といったら、これはこの秀吉秀政はしぶい顔になってまた黙った。 ではなくて、勝家の領地の越中、加賀から越前じゃ。寝ト 「そちにわしの腹は分ろう。わしが、何のためにここへ城 ポケて、わざわざ自分の首を自分でしめるにも及ぶまいとを建てたのか、それをそのまま云ってやるがよい」 申してやれ」 「それをそのままとは ? 」 云われてみればなるほどと頷ける。 「そのままよ。分って居らぬのか久太郎にも」 が、それにしても、とかく織田家筆頭の勝家を、こんな 「王城の地を守護するためでござりましよう」 に手酷しく罵ってよいのであろうか。これでは妥協の出来「むろんのことじゃ。が、ただ守護するためだけならば、 るところも出来なくなる。 わしで無くてもよい筈じゃ。ところが残念ながらわしのほ それを案じながら、秀政はまた言葉をつづけた。 力に人がない。各自が自分の領内のことでいつばいで、文 「第五条に、まだ、あと書きがござります」 句は云うても、余力はないのだ。その意味では、みな寝と 「自分の身を滅す葬い合戦の、そのまだあとにか」 ばけてしもうている。そこでやむなく、故右府さまのお志 はい。これだけは是非ともはっきりさせたいのだと書きを思うて、この筑前が王城の地の万一に備えた。この志の 添えて : : : 筑前はいったい、 何と思うてこの山崎の地に築わかる者は、さよう、いまでは家康ひとりかも知れぬ」 城したのか ? むろんこれは織田家のご領内、誰が誰に 「ではあの徳川どのはこの事を : : : ? 」 やったわけでもなく、誰が叛乱しそうだという事態もな おどろいて訊き返すと、秀吉はケロリとした表情でうな 186

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利の士風が、やがて、四度、五度の乱を招こう。折角のと 「仰せはよく分った ! 」 ころ故、貴僧ここでもうひと奮発、何とか当方の面目を立 と、彦右衛門は太い眉尻をきりりとあげた。 てては呉れまいか」 「すると、毛利方ではもはやこれが譲歩の限度、こちらが 「というお願いは、この恵瓊がしたいところでござるよ」 拒絶すれば全軍一丸となって決戦すると云われるのじゃ 恵瓊はねばり強く、微笑したまま合掌した。 「天下には勢いというものがござる。その勢いに乗り得る 「そのことも、度々申上げたつもりでござったが」 「しかし、城兵五千を水中の孤城に餓えさせるは無謀の上ものと、乗り得ぬ者がござっての。三度、四度と攻められ て、辛じてわが家を失わぬ程度のものにどうして中央が狙 の無謀と思うが」 われよう。以前からも申すとおり、こんどの事は時の勢い 「蜂須賀どの」 に乗り得た者が、乗り得ぬものに仕掛けた戦、それゆえ、 「なんでござる」 「ご貴殿はいま無謀と仰せられた、無謀と云えば、そもそ功は急がずとも自然に天下の形は定まろう。ここのところ を噛み分けられて、よく御大将を説いては下さるまいか」 も戦そのものが無謀ではござるまいか」 ししつかあたりは明けかけて、燭台の丁子 夏の夜は短、。、 「仏者の言でござるなそれは」 「いかにもそれがしは僧侶ゆえつい抹香臭うなるやも知れが赤く長くのびていた。 : ここで、五カ国を手に入れ、高松の小城ひとっ助 ぬが : 四 けて戻ったとて、それが織田どのの覇業に何程のさわりに 「おお夜があけかけた : なろう。それで毛利方は自然織田家の下風に立っことには 蜂須賀彦右衛門は、相手の言葉に一々理を感ずる自分が 相成るまいか」 もどかしくもあり切なくもあった。 「いや、仲々もって」 ( まこと恵瓊の云うとおり : ・・・ン と、彦右衛門も屈さなかった。 「右府さまの中国攻めはこれで三度、ここで又しても曖昧しかし事情は信長の死によって、一変してしまってい な講和をしては、御三方はとにかく、敗北したと思わぬ毛る。ここでは是が非でも恵瓊を説き伏せなければならない

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同三法師 ので」 同信孝 「いや、そうでもない」 細川藤孝 蕉は又言下に首を振った。 高山右近 「光秀が、細川父子を味方にすると、これもすでに七票、 千ノ宗易 それに筒井順慶が一票を加えれば八票となる。この数字は の順序で、家康はいぜんとしてあと六人の中の一票組でふしぎなものでの、それがそのまま力に変り勝敗を決する ものになってゆ - く。かり・に、Ⅱ。 あった。 丿とのに一票ある。これが 織田一族の七票と合すればこれも八票」 それを茶屋が読みあげてゆくと、蕉庵は、 茶屋四郎次郎はギグリとして、 「おもしろい ! 」 と、感に耐えたように膝をたたいた。 「いったいこの、わが殿に一票人れたは、どなたでござり 「これは決して堺たけの声ではない。 この中に日本中の民ましような」 : 」と、蕉庵は笑った。 の声がかくされていると判断して、この町の人々はそれに 「それは、娘の木の実であろうよ」 従って動いてゆかねばなるまいて」 「と、云われると、やはり天下を争うものは明智と羽柴 と、なるのでござりまするか」 「いや、そうではない」 「のう、木の実、そなたであろうが、徳川どのに入れたの 、蕉庵はさえぎった。 「明智、羽柴の五票すつより、織田一族のものが二票多「はい。徳川どのを味方にしたお方が、次の天下を取るお い。中将信雄の三票と、三法師と神戸の二票ずつを合せる方と、わざと一票別に入れました」 「フーム」 と七票になるであろう」 「なるほど : : : すると、やはり右府さまのあとを、ご舎弟と茶屋は低く唸った。家康の支持者が、この小娘一人で か嫡孫に継がせよという声がいちばん多いことになりますあったというのは、何かひどくがっかりしたような、しか 5

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そう云って座につくとすぐに、勝家の養子勝豊に眼を移何か夢を見ているようでもあり、又、昔からこうなる筈 の人であったという気もする。 「おう、聞きましよう。秋の夜は長いでのう。こん夜は飲 、「わざわざご苦労千万、 「そこ許は病中と聞いてしたが、 が案することはない。修理どのに和平の心があれば、事はみ明し語り明そう」 それで済んでいる。この秀吉に異存のあろう道理はないで 「有難き仰せ。それを聞いて、利家も使いした面目が立ち の。とにかく芽出度い。支度させてある。今日はゆっくり まする。が、まず修理どのの御心中は : 過していって貰おう」 「修理どののご心中は : 不破勝光と、金森長近は、一瞬きよとんとして顔を見合 「決して羽柴どのに敵意はなく、只々織田家向後の安泰に あること、この利家がしかと確かめてござりまする」 「それそれ、それで無うては叶わぬことじゃ、右府さまの 恐らく最初から、この前の手紙の箇条書きに似た、きび しい詰問に会うものと思っていただけに、あまりに当が違殊遇をうけたこの筑前にも、それ以外のことは何もござら いすぎたのた。 ん。織田家の安泰 : : : とは、内の争いを止め、右府さまの 「不破も金森も大儀であった。いや、わしも何とそして修 ご遺志を果す ! これ以外に何があろう。そして、その一 理どのやご一族との間の不和は避けたい一心じゃ。修理ど道だけが、亡君の指さす道と分ったら、この秀吉のなすこ のが、利家どのはじめ、方々を寄こされたは、この秀吉のと一切、明鏡に写した如く、からりとお分りある筈じゃ。 まごころが通じた証拠、いや、このような嬉しいことはなのう又左どの、昔からこの猿は、陰険の気など毛ほども持 、。佐吉、早よう膳部をこれへと申せ」 ち得ぬ性分じゃ。万事が青空に輝く日輪のごとし : お寛ぎ下され、そしてあれこれと昔語りじゃ、昔語りの中 利家は、それでも律義に両手をついて、 には、右府さまのご遺志が又、キラキラと輝いてござるで : 」と、秀士口に云った。 「ますこの利家が存念から : 彼が大千代の幼名を又左衛門と改めたばかりの頃、突如のう」 そこへ大ぜいの小姓と侍女たちが膳をささげて入って来 として信長の前に現われた「猿ーーー」が、今では、おのず る。 から利家に言葉を改めさせる貫禄を身につけている。 っ一 ) 0 2 2

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細川藤孝父子を呼び出して、生まじめな表情でこれに対面「本日ここで無事に再会出来るのも、亡きご主君のお引合 していった。 せでござろう。筑前あれより、疾風枯葉をまくの勢いにて、 直ちに明智を誅罰し、近江を平らげ、美濃にすすみ、尾張 に入って、ついに去月二十七日、清洲城にて織田家向後の 三法師の擁立、遺領の分配の二つが済むと、秀吉にとっ仕置きをきちんと正しく定めてござる」 「まこと、筑前どのならではのご精力、藤孝、感じ入っ て、次の大事は細川父子の心を完全に掌握することであっ て、居りまする」 : こんどの事は戦で云えばほん 細川父子がはっきり味方と分ってゆけば、その隣りの丹「いや、それはまだまだ : 羽長秀は、いよいよ秀吉を裏切り得まいし、大和の筒井順の矢合せ。これでは亡きご主君の霊は慰められぬ。故右府 さまのご遺志は国内の統一にござった。天下に兵乱なき日 慶も、計算高く秀吉に忠誠を誓って来るに違いなかった。 を迎えたい : : このご一念に尽き申す。そこで、ます織田 それに細川父子は、何と云っても名門の出で、京におい ての公家関係には充分に利用しなければならない存在だっ家の旧領に事なき様に取計らい、そこで直ちに右府さまの ご葬儀をの : : : これが大切なことでござるそ。これによっ 彼は本圀寺の客殿で二人を引見すると、しばらく無言でてその後の天下統一に、右府さま御霊が乗り移られる、右府 なび さま御霊が乗り移れば、天下はたちどころにこれに靡くこ 眼をうるましていた。 別にやましい空涙ではなく、この二人を是が非でも自分と、掌を指すがごとしでの」 に惚れさせようとする政治的な意志とは、全く違った懐し だんだん言葉が脱線して、彼自身の野心がむき出しにな さであった。 っている。が、それに気付いているのか居ないのか、そう 「やあ、これはこれは藤孝どの : : : 」 した些事にこだわる神経は秀吉にはないらしかった。 しばらく感慨無量の面持でじっと相手を見つめていた 「おお、それから忘れていたそ忘れていたそ」 思い出したように膝をたたいて、 ま、いったん口を開くと、その感動と別の意志とがひとっ ーこよ見通しでご 「ご父子の志は、余人は知らず、この筑朝、て になって流れるように口を衝いた。 こ 0 148