茶屋四郎次郎 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 6
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1. 徳川家康 6

「では、そろそろ帰城するかの」 したがって、女狩りの嚀がひろまる程、四郎次郎の活動 四郎次郎はうやうやしく一礼しこ。 は楽になる。 「では後刻、これなる女性、城まで別に送らせまする」 四郎次郎が、供揃えを命じるために立上ると、 「待て」 「いや、それには及ばぬ。伴って戻ろう」 「と、仰せられましても、この身なりでは : と、家康は、笑いながら呼びとめた。 「まだ何そ御用が ? 」 いよいよ固くなってうつむいている阿浅をはばかって声 をおとすと、 「この女子、会うて見て、すっかり予の気に入った。茶屋 「いや、それがよいのじゃ」 が見つけて呉れた女子ゆえ、これから城内ではチャーと呼 家康は事もなげに手を振った。 : でござりまするか」 「のう阿浅、人の性根は身なりにはない。そなたの心の奥「チャー にある」 「おう、茶ッと、短く呼んだのでは情が出まい。チャーと 3 6 し」 呼ばう。文字は茶屋の茶の字に、阿部の阿の字でも書けば 2 「そなたを伴うて戻るとみんな眼を剥く。いいではない か。あちこちに、秀吉の細作どもが入りこんでいようで「なるほど、茶阿の局でござりまするか」 「そうじゃ。チャー、それでよいか」 の。家康は、ひと戦済んだと思うて、のんびりと女狩りを やっている : : : そう思わせて、秀吉に小首を傾げさせてみ そう云うと家康は珍しく、声を立てて笑っていった。 るのも面白かろうが」 茶屋四郎次郎は膝をたたいて立上った。 家康に、阿浅をす , 一めたのは四郎次郎だった。というよ家康が、鋳掛屋の後家を伴って浜松城内へ戻ったという りも、すでに秀吉の細作に顔を知られてしまっている四郎噂は、その日のうちに城の内外へひろまった。 次郎が、家康と逢うために考えたのが阿浅の仇討願いの直「 いよいよお館さまの癖が出たの。後家探しなど、も 訴たったのた。 、つほどほどになさるがよいのに」

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うして出来ているのを、土地にいながら隠さっしやる」 助かりました。いや、愕いた人出でござりまするな」 言葉とは反対に、四郎次郎に見せるために、そこにあっ 常安に導かれるままに本法寺の山門をくぐっていった。 「全く、ど偉いことをやりました。ささすっとこれへ、茶た簡単な細書きの図面を彼の前へおしやった。 「これは何でござります。この西陣のあたりに四角が一 屋どのの存知の方も見えられている」 つ、そして、この五条の川西に又一つ : 「え、わしの知った人が : : : 」 云いながら右手の幔幕の中に人ってみると、そこに盛上「ハ とこんどは淀屋が笑った。 げられた握飯の山の向うで、堺の納屋蕉が他に五六人 「応仁この方荒れたままになっているその西陣には織物町 の、これも一眼で堺の商人とわかる人たちと談笑しながら が出来、こちらの月東には、ここにもこれだけ大きな町が 茶をのんでいた。 出来ます。茶屋どの、あなたにも双方の土地は割当てる。 「これは蕉庵どので」 宜しゅう頼みまするそ」 「ほう茶屋どのか、やつばりこなたも来ていたな」 「それはもう : 四郎次郎はだんだん顔の硬ばってゆくのを覚えた。 「すると : : : すると : : こんどの供養が終ったら、すぐ 蕉庵は、四郎次郎と家康の関係をよく知っているので、 「今もその話をしていたところじゃが、これで、京の町作この図面のような町作りでござりまするか、筑前さまは り・も、つ亠工く行きき玉すわい」 「え、京の町作り、 : と、云われますと」 蕉庵は、わざと生まじめに、 「この騒ぎが終ると : : と、云うよりも、これは町作りの 「こっちを作るための供養 : : : と、云うたら筑前どのは怒 手始めとも云えますからの」 りまするぞ。あの方にとっては、することなすこと、みな : 言力とんと分りませんが」 右府さまのご遺志 : : と、ロだけではなく肚の中でもまこ 茶屋四郎次郎は、あわてて訊き返した。蕉俺は何か暗示とそう思うていられるのだからの」 するようにニャリと笑って、 「それでは、その相談に、みなさまははじめから与って居 「茶屋どのも、油断の出来ないご仁じゃ。もう町割までこられましたので」 215

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が茶屋どの、これはどこまでも皮相の皮相でござるぞ」 くなります」 茶屋四郎次郎は、いっか眼を星のようにして木の実を見「はい」 「問題はやはり光秀の武力にあり、只今の入札が語るに尽 ていた。 数字とは又、何というふしぎな読み方の出来るものであきる所となる。羽柴と明智、この何れがその武力に、堺衆 の力を加えて行くかが大きな勝敗の山となろうて」 ワつ、つ、か 0 しかも今この小娘に説かれてみると、それは一つ一つ男「 : 「宗易どのはむろんのことだが、この入札に現われた細 ざかりの四郎次郎の胸を叩くことばかりであった。 、高山、筒井などはむろんのこと、摂津茨木の城主中川 清秀などの向背も、堺衆の動きにつられて決するものと見 「茶屋どの、いかがじゃな。徳川どのへのお土産が出来はて間違いあるまい。天下分け目の戦となれば、軍糧、武器 はむろんのこと、見えない金銀の入用は並々ならぬものが せぬかな」 ある。それらは一切堺衆の助力がなくては叶わぬこと 蕉庵は四郎次郎を見やって、ちらりと鋭い眼になった。 「これで堺衆の思惑は凡その見当がつくと思うが」 茶屋はプルルと身震いした。まさに蕉庵の云うとおり、 「案外光秀への支持があったのは、光秀が右府を倒すとす信長後半の成功もそこにあったとハッキリ云えるものがあ かさず公卿衆を押えてしまったことにある。近衛の手で勅る。 「で : : : 茶屋どののお土産に、もう一つこの蕉庵が贈物を 使御差遣のことまで計ろうていることが、堺の町人衆には 仕ろうかの」 よく分っているからの」 「有難き儀に存じまする」 「すると、やはり勅使は : : : 光秀の思いのままに」 オこうなれば、み 「この入札で、堺の空気の凡そは分っこ。 「それはやむを得まいて。武力を持つものが、武力を持た なで心を協せて、なるべく庶民の難儀のないよう、時勢に ぬ者を圧迫するのだからの。さよう、光秀が安土城に入っ たところで勅使が立とう。それで一応光秀は天下人じゃ。叶うた天下人を出さねばならぬ」 5

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「仰せの通り・・・・ : 」 「それゆえ、この蕉庵はこの町の長老や会合衆を語らって、 羽柴筑前を推丁ことに相成ろう : : よいかの、ここが大事茶屋四郎次郎は、まだ訊きたいことはいつばいあった な土産になるところじゃ。 ′西屋寿徳や宗易が推しているが、それは強いて訊かないことにした。蕉庵父娘の並々な 羽柴をの」 らぬ家康への好意が分り、こちらから訊ねなくとも、急所 茶屋四郎次郎は、いっか自分の身なりを忘れ、武士まる急所は向うで必ず聞かせてくれる。 出しの真四角さで、じっと蕉庵を見上げている。 それにしても蕉庵の、家康への好意はいったいどこから 「ホホホホホ」 生れてくるのであろうか ? 蕉庵は家康の生母、於大の方とは、古い知己だといって と、また木の実の笑いが、茶屋の凝りをはぐしていっ いたが、それだけで、このような好意を見せるものかどう 「堺衆まで後押しするゆえ、徳川さまもなあおじさま」 「そ : : : そ : : : その事でござりまする。流れにさからう者養女の木の実は、実は家康とは遠い血のつながりがあ はやがて溺れる。貴重なお土産、たしかに頂戴致しましてると云っていたが、茶屋の探ったところでは、それは恨 ござりまする」 みにこそなれ、好意の原因にはなりそうもない繋りだっ 四郎次郎がホッと吐息して、丁寧に頭を下けると、 「木の実、その入札をまとめて庭で焼き捨てなされ。それ木の実は、蕉庵の妹の孫に当る。 からこれへ膳を運ばせ、そうそう、こなたの筝でも茶屋ど何でも、竹之内波太郎と云っていたころの蕉に、於国 ののお耳に入れるがよいそ」 という妹があり、その於国と、これも長島の戦のおり、信 長に切腹を命ぜられて果てた水野下野守信元との間に一女 と、答え、木の実は立って入札を集めながら、何を思い がうまれ、その子供が木の実なのだという。 出したのか、またフフフとひとりで笑った。 木の実の母は、狂った祖母於国の胎から産れ、毛利家の 家臣で卯田某の妻となったが、その良人を戦場で失うてか

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れば、われ等に異存はござりませぬ」 れはやはり交易によらねばならぬ」 としか癶、 年嵩の一人が重い口調で賛成すると、 : 、よ、つで、こざりましよ、つなあ」 「なるほど : 「これは忝けない」 「とゆうて、その交易もそう易々とはゆかぬ。小大名ども 蕉庵が四郎次郎に代って頭を下げた。 がパラバラになっていて、争うてばかりいたのでは、危く て持てる宝も見せられぬ。そこで、何とか天下を一つにせ 十 ねばとのう」 「では : : : その天下人には、筑前さまがよい : 「武将の側でいよいよ天下平定の目安がつけば、われ等も それに遅れぬよう、それそれ協力せねばならぬ。そこで平 皆さんおっしやりまするので」 茶屋四郎次郎はようやくみんなの話がはっきりとのみ込素から取引と交際のあった者での、特に懇親の契りを : となったわけじゃ」 めた。 武将同志がしきりに天下を争っている時、ここでは、ど蕉は自分でみんなに礼を云うと、そのまま四郎次郎へ うして富をふやそうかと、全く異った立場から物を見、物の説明役に変っていった。 「懇親の契りと云うても、格別面倒な申合せがあるわけで を考えている一群があったのだ。 はない。たた自分の利たけを計って、個人の讒訴はしつこ しかもそれは決して小さな力ではない。 現に、彼等の後押しがなかったら、秀吉のこんどの行事なし。それが自分を富ませることであると同時に、日本国 と同業一統を富ませること、この二つたけじゃ。そして交 も、これほど鮮やかに運び得なかったに違いないのた : 「どうであろう、茶屋どのとは古い馴染み、京のことで際はどこまでも親類並みでの」 「まことに結構なことで。その位のことならばむろん、こ は、あれこれ世話にならねばならぬ方ゆえ、ここで同志に なって貰うては」 の茶屋にも守れまする」 蕉俺が特別目をかけていると見てとって、淀屋常安が取と、四郎次郎は答えた。 「そこで、その寄々の協議が、筑前さまの京の町作りを助 りなすように云った。 けることになったのでござりまするか」 「それはもう、納屋どのや、淀屋どのの推薦なさるご仁な 217

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すすんで云いそうな桔梗の方の気性が案じられた。 杭につないで降りて来るまで、ひっそりと立っていた。 ・ : 」と、四郎次郎は耳許ヘロを寄せて、 「雨がポッポツやって来ました。まだ梅雨気味でもあろう 「ご身分の事は何もおっしやりまするな。聞いては淀屋ど 力」 「いや、大した降りにはなりますまい。さ、こうおいでなのが迷惑なされましようはどに」 桔梗の方はちらりと四郎次郎を見返して、眼もとに淋し されませ」 い笑いをうかべた。 「造作をかけて済みませぬ」 四郎次郎は先に立って土蔵と土蔵の間をぬけ、これも建 てたばかりの常安の店に近づいた。 パラバラと檜皮葺きの 二人が常安の店に入ってゆくと、 「誰じゃ」 「おお、これは夜番の方か。私は、京の茶屋のあるじ、常庇にあたる雨の音だった。 「これはこれは茶屋どの、時節柄、手代衆もお連れなさら 安どのにお目にかかりたい。お取次ぎ下され」 「ああ、茶屋さまか。ここ二三日、土蔵の米を狙うて盗賊ず、おにしいことでござりましようなあ」 淀屋常安はもう五十近い。豊かな頬と、大きな耳をもっ どもがっきまとうて離れぬゆえ、びつくりしました。さ、 て、いかにも剛愎そうな笑顔で二人を奥座嗷へ迎え入れ ご案内致しまする」 「このあたりにも盗賊がなあ」 ここもまだ木の香は新しく、商人の住居とは見えず、古 「はい。何しろ、羽柴さまご用の米で、蔵はいつばい。み 刹の書院を想わす作りであった。 なみな手分けして寝すの番でござりまする」 「結構なご普請でござりまするな」 四郎次郎はチラリと桔梗の方を見やって、そのまま用心 「いやいや、われ等の見通し、少々早すぎましたわ。もは 棒の夜番がさし出す提灯の光につづいた。 や乱世は終り : : これからは町人の世と思うたに、飛んだ ( すでにここへも秀吉の手は及んでいる : : : ) これはいよいよ桔梗の方の身分を固くかくさなければ : ・痴れ者が現われましてなあ」 飛んだ痴れ者とは、云うまでもなく光秀をさしているの って、もし訊ねられたら、自分から、明智の姫と

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したがって彼は側近では胆略ともにすぐれたお側衆、京 では上層の動きを探る高等諜者、堺では家康の調達係とい う、四つも五つもの顔を持った男であった。 むろんそれを波太郎の蕉庵はよく知っている。いや知っ ているというよりも、むしろ波太郎の感化で彼はそうなっ たのだとも云えた。 「何分にも : 「いま、その入札箱は娘の木の実が運んで来るが、その結 と、蕉庵の波太郎は、昔ながらの冷く澄んだ表情ですわ果を見るのはわしにも楽しい」 、り・ながら、 「この茶屋は、恐ろしいような気が致します」 「堺の町人どもは、うわべはとにかく肚の中では、天下人「ハハ・ : そうかも知れぬ。わが名を記さぬ入札は、神の など自由に作れるものと思うて居るからの。いや、天下人裁きでもあるからの」 とは、みんなのための大番頭のことと思うている。そし蕉庵は手をたたいて少女を呼び、 て、それは又、神道をきわめた者の眼から見れば、至極道「木の実に、入札箱をこれへと云いなされ」 云ってから又思い出したように笑った。 理に叶・、フたことじゃが : 「羽柴筑前はの、毛利家との和睦に成功したと、この町に 茶屋はそれには直接答えす、 はもう知らせがあったそ」 「して、堺衆は誰に天下を取らせるつもりでござりましょ 「え、では中国からすぐに引きあげまするなあ」 と、膝をすすめた。 「いや、もう引きあげているであろうよ。例の小西屋の寿徳 茶屋四郎次郎は、この頃すでに京の富将として、堺の町が伜な、薬種商の : : : あの小西弥九郎が、今では岡山入城 でも知られだしていたが、その内実は松本四郎次郎清延との手引きをした功で、筑前がお側に仕えている。軍糧の調 いう、立派な家康の家臣でもあり、同時に竹之内波太郎の達係に。その点、筑前は、うまく堺衆を使いおったわ」 神道の弟子でもあった。 「と、云われると、小西屋弥九郎のほかにも : ける」 客は丁寧に頭を下げて、 「肝に銘じて。主に代りまして」 と、つぶやいた。家康の腹心、茶屋四郎次郎であった。 5

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を確めてから、無言で桔梗の方をかつぎあげた。 それでもまだ桔梗は身じろぎもしなかった。 こんども又桔梗の方は、なされるままに、じっと四郎次 深窓にそだった身で、これが恐ろしくない筈はない。そ 郎を見つめてゆく。 れなのに彼女の気性は、ここでも怯えを見せることを許さ よ、つこ 0 、凡婀を云って、岸と 四郎次郎は、船べりに垂らした太し申睾イ 恐らくこの女は、荒くれた男の手に抱きすくめられ、そは反対側につけてあった小舟の中〈降り立っと、そっと中 のまま気絶することがあっても、救いを求めたり、憐れみ央に女をおろし、そのままぐいぐい櫓をおしだした。 まだ岸では、船の上の出来事に気がついてはいないらし を乞うたりはしないであろう。 。すーっと月が雲に人り、川面の星があざやかに見えは 男の手は、ムズとうしろから黒髪をひつつかんだ。 じめた。 そしてそれをうしろへ引くようにして、なよかな躰は、 四郎次郎はしばらく櫓を押すことに専念した。 荒々しく船べりへおしつけられてゆく ( 何で明智の姫 : : : と、気付きながら助ける気になったの 船客と来襲者のざわめきが遠い別世界の出来事のように 聞え、月に向けた女の唇がむざんにゆがんだ。 若しそれに気づいたら、彼はもっともっと狼狽する筈で 「自業自得じゃ。うぬのような強情な女は」 あった。大切な秘命を帯びて、このあたりを往来する身 男がひとりごとして女の上へ身を伏せかけた時だった。 で、このような危険の渦へみずから飛び込んでよい筈はな 「ぎやッ 鋭い声と一緒に男はのけぞり、いま、桔梗の押しつけら むろん、それを知っているので、一度は素早く船をおり れていた船べりへ、また一つの影がうき出た。 た。それが、なぜ小舟を見つけて再び漕ぎ戻って来たのだ 刀を口に啣えた茶屋四郎次郎であった。 つ、つ、か・ 九 四郎次郎が、まだそれに気づかぬうちに、桔梗の方から 話しかけた。 茶屋四郎次郎は虚空をつかんでのけそった男の躰を軽く 「こなたは、わらわを、どこへ連れて行こうとなさるの 蹴った。そして、うしろから突きかかられる怖れのないの 2

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「さよう」と、また淀屋があとを継い 「そのことそのこと。それには、ちゃんと実力を備えた中 「町作りは筑前さまでも、金作りの才覚はこ 0 ちがうまい央軍がなければならぬ。なあ茶屋どの、それが出来ると見 でな。人れ智慧を聞くお方ならばせねばならぬ」 てとってのこっちの動き : 茶屋四郎次郎は、危く唸りそうになった。 そう云ってから、蕉庵はまた四郎次郎に訓える口調にな っていった。 これはどちらかがどちらかを利用しているのたとも云え る。が、秀吉の手はもうそこまで及んでいたのかと思う 「国富をふやすには二つの道がある。その一つは交易、も と、彼もまた身をのり出さすにはいられなかった。 う一つは地下の財宝を掘出すこと。その方ではすでに、わ マカオ れらの同志の中で天川まで遙る遙るとおし渡っての、あの 九 地で新しい銀の掘り方、吹き分け方などを学んで帰って居 いわみ 「すると、こんどのあの紫野の大供養は、この町作りの石る者もある。その者の申すところでは石見の大森、但馬の 据えだとおっしやりまするので」 生野あたりには、無限に宝があるというのじゃ」 これは家康に聞かせておかねばならぬと思って身を乗出 茶屋四郎次郎は、、いのおどろきをかくして合槌打つのに 2 すと、納屋蕉俺はまた笑いながら首を振った。 骨が折れた。 「茶屋どのは京に腰を据えられたが、 われ等は堺の住人ゅ「では、もう天川へ出張って帰った人がござりまするの え、京の町作りだけならばのう」 「と、云われますると」 「さよう、交易には銀がいる。その銀が地下にあるのを眠 らせておく去よよ、、 「日本の土台石を据えねばならぬ時と思う故、みな蔭から 、冫 ( オしカらの」 手伝うています。むろん、こっちへもみなみな出店は作ろ : いったいそのお方の : ・ : ・名は : : : 何、何と うし、こっちの出店も、堺ばかりか、筑前、肥前のあたり申されるので」 まで、出せるように計らわねば国富は出来ぬと、寄々相談 「天川へ参って来たのは神屋寿貞、いまあとを継いでいる そうたん して居るところです」 のはその孫の宗湛 ( 号 ) 善四郎じゃ が、さて銀が出米て 「あの、筑前から肥前の方まで : : : 一 も、それで国内の流通を計るばかりでは国富は増さぬ。こ

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続心火の巻 家康が信楽に着いたのは、すでにとつぶりと日が暮れて からであった。 一つの危機を切りぬけると、道は次第にひらけるもの で、ここにはすでに先行していた京の呉服師、亀屋栄任と 茶屋四郎次郎の手が及んでいて、一行は半刻の睡をむさば り、草鞋をかえて丸柱への嶮岨な峠に立向うことが出来た。 亀屋も茶屋も、伊賀衆、甲賀衆の護衛を見て、ここで安 心して一行に別れた。 民の声 もはや、道案内には武力がある。あとはただ不眠不休の 肉体的な苦痛とたたかう事だけであった。 いや、時には無法な山賊、野盗のたぐいが、顔を出した が、これは居丈高になって、一行をはばむほどの力はなか つ ) 0 しかし家康が、その人生で最も多くを学んだのは、実 は、丸柱から河合、柘植、鹿伏莵とぬけ、鈴鹿川の川原に 沿って伊勢の海の白子浜へぬけるまでの一昼夜の旅であっ その間も、例の百姓孫四郎は、いぜんとして一行につい て来る。 彼はどうやら家康に離れがたい愛情をおばえ出している とみえ、時々家康の視線が彼をとらえると、ニコリと笑っ てうつむいた ずっと昔、まだ家康が駿府にあって、今川義元の人質で あった頃、その精神を継承させようとして訓育につとめて 呉れた執権の雪斎禅師のことを思いうかべた。その禅師が 孟子の講義の中で、 この民聴の語を深く深く味わいなされ」 幾度も言葉をかさねていったことが思い出された。 民聴とは民の声に真理を聞けという意味であった。民の 声以外に真理があると思うと、それはいっか勝手な妄想に かぶと