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検索対象: 徳川家康 6
345件見つかりました。

1. 徳川家康 6

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2. 徳川家康 6

「十、ツ し」 するがよいと思、つ力」 「月の出を待って進むのとは事が違う。進むのならば、、 し秀吉はいかにも楽しげに、荒小姓の一人々々へ話しかけ ま、その方たちが味おうているようこ、、 レしよいよ凛々と勇る : 気は湧く。が退くのでは、いかに整然と見えても心の中は 四 寝乱れ髪じゃ。必ずどこかで破綻を来す。時にいま、何刻 ′」ろじゃ」 片桐助作は、用心ぶかく小首をかしげて考えて、 「もはや、八ッ ( 午前二時 ) に近いかと思われまする」 「かく敵が移動して居りますからは、味方も秘かに賤ケ嶽 「今、答えたのは誰だ」 へ移って待ち、夜の白々明けに、いっせいに襲いかかるが 「市松 ( 福島正則 ) でござりまする」 宜しかろうかと存じます」 「市松は、あの速度で、夜が明けるまでに何程退けると思 「なるほど、今すぐには掛らずに、賤ケ嶽の北へまわって うて見たか」 待てというのだな。虎之助はどう思うそ」 「されば、夜の白々明け迄には、せいぜい賤ケ嶽の左、堀秀吉に、再びわが名を呼ばれて清正はぬ 0 と巨躰をのり 切まで位かと心得ます」 出した。 「堀切へ出てくればしめたものじゃが、堀切近くには誰が 「助作が所存、悪しからず」 居たかの」 「悪しからずか。虎が答えはち切って投げるようだの。市 「盛政が弟、三左衛門勝政でござりまする」 しんが 「では盛政の殿りは誰がっとめると思うぞ。おう、そちは 「一隊は助作が申すように北の山ぎわに進んでおき、一隊 兵助 ( 石川 ) か、兵助、意見をのべてみよ」 いますぐに追尾して、敵の胆を夜のうちから冷しつづ 「はツ、やはり原彦次郎どのであろうかと、みなみな話合ける。勝ち戦に遠慮は無用と心得まする」 って居りましたところで」 「よろしいー・」 「なるほど、さして予の意見と違わぬな。助作 ( 片桐且秀吉は膝をたたいてぐるりと馬廻りの者をふり返った。 元 ) そち、あの引きあげ方を見て、われ等は何刻から追尾「市松が説を採って、直ちに敵を追尾しながら、一隊は、 318

3. 徳川家康 6

ら け て ら殿聞屋使申れ 光な そ が充彼 て そ の 秀に の番上 こ秀分 と 秀 が た ん 坂れ い て に ツ主 う床 吉熟 か な 矢日 本な は げ は と て は ク ) し、 、几烏 と慮決 勝 額 ! 人 ま ら で の 、早 に帽 し 何 が あ 自 を に ご せ た へ 斎 々事腰 嚇わ っ分重 て 寺 あ し 退 で け彼 四 怒 し 藤 っ き じ を のね に か た の は た り が 。運た将 城 に利 やお ら な と の 血近三坂 0 は ろ し 叩上 管江 、は が本 す し た は の と 決御な の と た て ロ い 度 う引上城 頼 し 」方 ま 雨 て塚 き む き み と しこ た 斎 ゆし を あ あ 入 ん ナ、 ざら 藤 く 陣 が る な し、 利 場を ま よ り お っ の す と ま ま と す た つ が ま と と で る 聞 も で き る る め よ が び く る の 決 決 が く ら め 光 戦 見は と は て 秀 を た わ さ し か ろ 彳皮 押河 る だ ハけ使 、て利 。あ そ 手 け引鋭 こイ可・ の カ ; ほ ロ し 渡両斎 ま 安 ほ引 の じ 上 のれ の ハ の り 威 っ隊藤 て こ者 は ま と で っ や 、妙下 力は た申 が勢最 そ と を 使 せ て で ハ し、 、早 さ を 敵天 。Ⅱ匕 力、 の よ 町 ズ に は の の王柴線 と れ 示お ま つなれ と人 く や く ど予 ま し 食官 ム ま 中 山 て る 堅 た な 日 は ・ヘ 、出 に利 と聞・ す ん お ま く も の と に は 申 す代 か阿て刻 だ光 き る 伝誓に な を て か閉来ん 三秀す捨 よ が 衝 つ 申 て敵今 ばて が ナ っ た で 0 よ の て フ ロ は朝 て の お し 出 上 き かな と の 動 ら そ おわ 申 ッ と じ い の館れ よ 揺 が す 兵下 っ っ よ ぬ や 方 た鳥 く に ら る た 総 が分 見 り羽 ら連 が はが の 、ひ主 、絡軍 が だ と で ッ の 光 却 直 の光オ と と人 か を れ 反 と指秀 秀 都京 ち ま 省 に り 揮 も てず充 が し、 、は つ 士 円 し 坂分 は ら 当 明松 自 た の 本 入礼 ん に た 方 る 変 田 身 寺 の の明 れ物 に ら 障 、で 川 で城智 と ぬ を で を並 ぬ る ゆ携 も と にが は は 107

4. 徳川家康 6

申そうか。うかつなことを口走って、ご身分をられます 「こなた様も以前は名ある武士であろう。この身の願い、 るな」 きき届けてはたもらぬか」 : と云われますると」 「と云われると、この上生き恥を重ねよとか」 「願い 訊き返して、四郎次郎は、はげしい悔いに胸を噛まれ「云うまでもないこと。お強くなられませ」 四郎次郎は一層語気を強めていって、 泣くのをやめてひたと自分に据えた眼は、相手の絶望を ( なぜこのようなことを云うのか : ふっと自分が番かしかった。 残るくまなく語っている。 或いは、この類い少い美貌の烈婦に四郎次郎ほどの男 「斬ってたもらぬかこなたの手で」 案のごとく、桔梗の方はすっと座敷に入って来て、びた も、すっかり魅されてしまったというのだろうか。 ( それでもよい : りと坐って合掌した。 たんけい と四郎次郎は自分に答えた。 短檠の光りを受けたその横顔は、神々しいまでに澄みと 「生き恥になるかならぬかは、これからのこなた様が生き おってふしぎな気品にあふれている。 : 殺して殺されて、は例の 父を批判し、世のうごきを察することの出来るのが、こ方で決りまする。なあご内儀 : ・ ないことではない。応仁この方悲しく続いた乱世の姿なの の女性の不幸を一層哀れに深めているらしい だ。それゆえ、この茶屋なども、平和の光りが見え次第、 「お願いじゃ。強がってみても所詮は女子 : : : 生き残って 世の悪罵に耐えて見しようとしたは、思いあがった誤りら刀を捨てて町人になり、意味なく散った敵味方の霊を弔お うと、堅く、いに決めて動いている : : : 」 こなた様も、亡き右府さまか羽柴どのに、ゆかりの ある方であろう。せめてものお清に、この首討って、明智 そこ迄云うと、ついに桔梗の方は声もなく泣き伏した。 の娘が、父の無謀を詫びて逝ったと : 「泣かれませ。心ゆくまで泣いたら、せめてこなた様だ 「ならぬ ! 」四郎次郎は半ば自分を叱る口調で、 けでも生き残って、何が争いの根であったか、じっと見き わめておやりなされ。意味もない争いの犠牲に散るより、 「なりませぬ」と、くり返した。 それをよく見きわめて、迷うている霊を弔うのが、まこと 「死ぬほどのお方と見たら、何でわしがここまでお伴ない 、 ) 0

5. 徳川家康 6

岐阜に寝返るよう、信孝から密使をうけていたのである。 かれたものよこの秀吉は。さ、では、みなの者、兵糧は途 秀吉は、むろんそれを知 0 ていた。知 0 ていながら些か途でみなを待 0 ている。木ノ本まで息もっくまい。走りな も間題にしていない磊落さで、 がら食べ、走りながら呑み、走りながら天下を取ろうそ。 「さて、氏家どの、いよいよこれで天下はこの秀吉の手の思いめぐらせば、故右府さまの田楽狭間の大勝利のおりが 、っちに一転りこんだ」 こうであった。小姓どもも、今度こそは思いのままに手柄 と又例の宣伝にとりかかった。 をしよれ。よし、では出発の用意をしようぞ」 「おかしなものでのう、出水までがこの秀吉の味方をす 空はからりと晴れて、しきりに鳶を舞わせている。そろ る。予定どおり今朝川を渡っていたら、まさか明朝までにそろ青葉東風の匂いをかざして、葉裏をひるがえす風と光 柴田や佐久間を討ちのめすわけにもいかなんだであろうに が爽やかだった。 なあ。それが、ご覧の通りじゃ。とゆうて、わが手勢三秀吉は全軍の閲兵を終ると、加藤光泰、一柳直末等、数 万、みな引きつれて行ったのでは、おことが心細かろう。 騎の近臣を従えて、本隊に先行、風のように城門を出てい 2 3 柴田の首をはねて立戻るまで、当城に一万五千、堀尾吉晴った。 に附しておいて参る。万一、信孝が出て参ったら、よきほ時に七ッ ( 午後四時 ) 少し前であった。 どにあしらいおくよ、フ」 十三 「はツ」と、答えて、氏家直通はまたあわただしく視線を 、つ′」かした。 秀吉は馬を煽って、長松、垂井と一気にかけた。そし すっかり秀吉に肚の底まで見ぬかれているような気がして、関ヶ原にかかろうとするところで、第二の注進に道で て思わず背筋が寒くなった。 出会った。 「聞くとおりじゃ。吉晴、しかとここの留守を致せよ」 中川瀬兵衛清秀の戦死と、佐久間盛政の進出を知らせに 「十十ッ 来たのである。秀吉は馬上でこれで聞くと、 「天気はあがる。川は渡らぬ。佐久間は出て来る。武装は「瀬兵衛、許してくれ」 出来ている : : さてもさても幸運の神に取り憑 と、大声で虚空をおがんオ よ」 0

6. 徳川家康 6

「なに解しかねることが : : : それはそれは、この秀吉の言 ってもこれを押えて修理どのに協力丁る。協力せずに敵対 葉が足らぬのであろう。どのような点か遠慮はいらぬ、明すれば、故主のご遺志を貫くを妨げ、不忠の者となるゆ ら六、まに由・さ、れよ」 え、修理どのとて許しておけまい。ただこれだけのことで 秀吉は、むしろ待っていたと云わぬばかりに身をのり出ござるよ」 大胆な秀吉の言葉に、金森、不破の両人が仰天している 「されば : さまが、勝豊には痛いほどハッキリと感じとれた。 勝豊はわざと味方の三人は見ずに、冷やかに、居並ぶ秀前田利家だけは黙って、盃を口にはこんでいる。 吉側の旗本たちを眺めやって、 恐らく彼は、あとで秀吉と二人だけになり、ゆっくり勝 「われ等養父が心中に、万が一不平 ( 、リよ希えど、お手前さ家を納得させる方法について語り合うつもりに違いない。 まご行動のうちには納得出来ぬふしがある、としたら、何 しかし、勝豊には、その二人だけの談合の結果ももう分 とな六、れましよ、つ」 りきっている気がした。 6 「ほ、つ」と、天乃士ロは、、 し力に 7 も宀外・挈つに、 秀吉は初志を曲げて、ここで養父に譲るつもりは全然な 2 「その時には、そこ許が、子としてよく利害をお説きなさ い。秀吉は天下を取る。勝家はそれを認めて、協力者とし るがよかろ、フ」 て幕下に立つか、それとも戦って破滅を招くかの二途より 「利生ロ : ・・ : と、仰せられると」 ないと、秀吉自身が、はっきりと前途を読みきっているの か / 刀る : 「秀吉は信長公のご遺志を頂き、天下平定の他に私心な し。それゆえにこそ山崎の決戦にも勝ち、その後もそれそ秀吉は、又みんなに酒をすすめた後、勝豊の額にじわじ わと浮いてくるまっ蒼な汗を見ると、 れ手を打って、今や、その目的達成の実力を蓄え終った。 「のう勝豊 : : : 」 これは修理どのにもよくお分りある筈 : : : よいかの」 いよいよ親しげに声を落した。 「もし仮りに立場を変えて、修理どのが、光秀を討伐し、 「こなたは若い ! 分ってくれよう。この秀吉はの、右府 まこの】に並 今の秀吉が立場にあられたら、この秀吉、幾分の不服はあさまに見出され、右府さまに育てられた。い

7. 徳川家康 6

し、汚れない神の声でもあるような気持であった。 「その理由は」 「木の実」 「羽柴さまの五票が万一 : : : 織田一族と和して事を行えば 十二となり、半ば失うても八・五となります」 「わしはそなたの見識をほめてやる。実は、わしにも入札 「ほほう、しかしその算用は少しずさんではないかの木の せよと云うて来たら、やはり總川どのと書く気であった。 実。 かりに、光秀の五に、細川の二、筒井の一に高山右近 が、わしには入れさせなんだからの、あの曾呂利め」 の二が加わったら幾つになる。十になるではないか。八。 あだな 曾呂利というのは鞘師の新左衛門の綽名であった。彼の五では十に及ぶまい」 作った鞘はソロリ、ソロリと刀身が出入して、全く音をた 「いいえ」木の実は明るく首を振って又紙片を見詰めてい つつ ) 0 てないと自慢し、自分で自分の綽名をつけて、わが腕のほ どを吹聴している。 「羽柴さまの五は、細川、筒井、高山などを押え得ると踏 たぶん今日の入札で、戯れ歌を入れていったのが、このんでの五。それゆえ、その半を味方になし得れば、羽柴ど 曾呂利であろう。 のは十となり、逆に明智どのは八・五となりまする」 ( 誰が天下を取ってみても同じことさ : 「すると、ここは羽柴の器量次第か」 いう意味で。 「いいえ、やはり徳川さまをお味方にせねばなりませぬ。 「そこでなあ木の実、そなた、その入札の数にもとづき、 とい、フより、 5 川さまがお味方している、っちに、光秀を倒 今後の見透しを話してみよ。茶屋どのにはきっと参考にな さなければ、羽柴さまの天下は来ず、却って世は再び戦国 ろ、つほどに」 となりましよう。これは戦国になる : : と踏んだのが、こ の戯れ歌の一、宗易おじさまの二、高山さまの二、筒井さ 木の実ははっきりとした声で答えて、茶屋の手から紙片まの一などにまざまざと現われておりまする」 を受取り、しばらくじっと首をかしげて算用をしていっ 「すると、その人々はどうせ戦乱の世になると見て、天下 の取れぬ人の名を挙げた : ・ : と、木の実は見るのじゃな」 「これはやはり羽柴さまの勝かと存じます」 「はい、その数に合せて、羽柴さまより、明智さまより多

8. 徳川家康 6

と病 明 る 四 の た と う 3 ー 1 の岐す者当家 と さ の家 四 いを し、 面 康は の郎 の ず か阜れ と と 手 ーよ は茶次 郎 は、 がたそ明 葉は に の し、 う敵そ あ 三体一屋郎 を の智 を そ で に の し、 焼 し そ る ー険こ す 千 見家こ子 の にも 左 の と利 つ康 てれ兄 な る足も家 の馬 き れ と 信 策に用 払 も と康 も と ら め も は信助 だ 、も . に謀な を 答 分ず ん る と の つ 父 、彳申 の家り ・怖え 、と不 ば信何 よ が で つ 、れ と ず 必合審 か雄 と 灰カ 退 っ の て は 尸 で偉信児い秀て 云燼焼 い ず。 に り げ の 吉焼ま は業 な 城 し つ メ、 の 事 は 参 が つを暴 リ帚、 だ が の の い く フ に手オ 織象入 法 ら そ り た計挙せ と つ 田徴鹹師 な と じ の ま に で し し し、 る渡 家だ を っ あ の ま せた か あ め な 舌 っ 警手 。る れ と の ま ねろ ぬ と る か レ ) た 戒冫 ば何 名捨 。見 ち の て 劇 途宀 し わ を 信か 城 女 し て た ん 恐雄考 た の土 を た て 土 て 紛 ん お坂城 る れ の く 糾 て 焼 本 を か の て ひ の を 焼 き城あ ま ど は し、 免身 タた な ま い た た ク ) し、 ・つ さ 約オ れ 内 名 あ と つ ま か の ′つ つ 、よ 安仰 は茶 か信騒そ し越 。やし は る わ ば は は ん ど東カ せ れ 、 . 屋 ぬ長動 い な し、 さ 土 れ が 劇 し 、炎 の ( こ享 ら に 上カ と て ノ ) は 迄固 と こ事上通は い光果三野 ら 引 た ぬ 。ん り か柴 は っ 、秀て 利 っそ も に 七 め の 茶な 織 に江 に光 し信 田 を と ら と の 安専秀分 も 孝滝勝 っ 日 し し て 、川家 、が り な て 土 . め 討か の り 城出 ど ゆ を く 丹 の も た 兵 秀 ま 所渦羽 充 ま す ネー 来た に く ね Ⅲ」 はそ途すす 領 紋五 分 る れ も を で ま 行 を る のを郎領 てす め ひ と そ る右 配 士也 け な ひ左 き の し、 っ 府 分ろ の な く と を ん フ 手 、捨れ れ だげ ん も さ て 等 筈 ま だ よ け た の て か て 跡 行 が じれ か ら て は の で 示 間 で も や く ん 0 よ 。わ し 題 が れ た せ に で 簡 て を で し れ ど か の い民 つろ来 ら し、 つ ク ) が も な っ る っ に な た 角 た る い ら よー の 決 っ を あ と 返 せわ か は は 124

9. 徳川家康 6

「すると : : : 女房どののご実家は明智方、婚家はご右府さ 「もし、こなたが、明智の娘であり、丹後の細川さまに嫁 ま方と、いわっしやるのか」 いでいるお身であっても、目的なくば旅はなさるまい。な 「こなた、それを知って居ると思うたが」 ぜ、堺を出立して、危い道を京へお向いなさるのじゃ」 「とんでもないこと ! 」 「それはのう、二つのことが確めてみたいばかりであっ 知っていて助けたとなったら、それこそわが身ばかり か、主君にまで、どのような誤解が及ぶか分らなかった。 「二つのこと : : と、いわっしやると ? 」 「そう : : : 知るまいなあそれは : 「かりに明智どのをわが父として : : : 」 相手は敏感に四郎次郎の心を読みとって、 桔梗の方は、半ばひとり言、半ばは四郎次郎の覚悟を促 「それゆえ、無事に旅した方がよいのかどうか、わらわに す口調であった。 は分らぬと云うたまでじゃ。武士の義理を云い立てて、首「父が何を考えて、右府さまを討ったのか ? 右府さまの を討たれに戻って行く : : : 義理というは、それほど価値。 かようなお方一人を斬りさえすれば、この世が正されるもの あるものかど、つか : と田 5 、ったのかど、つか ? ・」 「お前さまは恐ろしいことをいわっしやる。武士から義理「そう思うて斬ったといわっしやったら : ・・ : 」 を除いたら何が残ろう」 「笑うてやります。そのような浅はかさでは、斬って斬ら 「それゆえ、恐ろしい女子と分ったら、どこへ捨てても、 れて乱世は永劫につづきますると、笑うてやります」 どこで斬ってもよいとこなたに告げている」 「ウーム。それが一つで、もう一つ確めたいといわっしゃ あざやかに言い返されて、四郎次郎は、もう一度そっとるは ? 」 あたりを見まわした。 「父のもとから丹後へ赴き、良人に一言訊いてみたい : ( 自分は、どこかで、この女に心ひかれていたのではある「何とお訊ねなさりまする ? 」 きしカ・ 「父へ味方するは無駄なこととすすめた上で、良人にわら 「女房どの : わを何とするかと。逆臣の娘ゆえ、首を討って差出すと云 四郎次郎は自分の妄想をふり切るように、 われるか、それともわが身の生命乞いをしてくれるか ? 」 7

10. 徳川家康 6

とがうるさいし、といって、毛利方の申出をきびしく拒ん で城兵を乾干にしたのでは、あまりにも大人気ない。 と、官兵衛も譲らなかった。 : ) と、経い会話のうらでは絶えす鋭く 「右府さまのおいでなさる前に戦を終らせておいた方 ( 何とか名案が : 思案している秀吉だった。 が、」わ毛。柄で、一」ギ、り・士へしよ、つ・が」 、ま、彼の本陣のおいてある石井山の、の 「というと、ここで安国寺に、一歩譲れというのか官兵衛 その秀吉が、し 亠よ ばりにかかろうとする一の木戸の柵門のそばに、しいそ 「譲れとは申しませぬ。が、つねに相手に希望を持たせてぶりの人影を見つけたのだ。 ・これが掛引のコツだと申上げてい この一の木戸は山内猪右衛門一豊が守備している。が 交渉をつづけてゆく : : ・ その猪右衛門の軍兵たちも気づいてはいないらしい。まる るので」 「ワッハッ、ツ、、 これはよい。まさにその通りだ。さすで飛ぶような足どりで街道筋からやって来て、捌門に近づ くと、急によたよたと病人のような足どりになった。人が がに黒田官兵衛は智者だわい。まさにその通り : 「また始まりました殿のおだて癖が。何だか襟すじがムズ変ったのかな ? と、田 5 ったのだがそうではない。 「殿、何を見て居られますので」 ムズして来た」 「シーツ」と、秀吉はうしろ向きに石田佐吉をさえぎつ しかしその時には秀吉の眼も頭も、全然官兵衛の上には よ、つこ 0 て、 「ほほ、つ、あれは亡目目じゃ。杖をついて居る。さっきは確 何分にもその時日を費しすぎたこんどの戦であった。清 水宗治のたてこもる高松城へは、足守川、長良川の二川をかかついで走っていたが。よし、捕えろ、あやつを」 自分自身で、若い頃に充分経験をつんでいるので、これ せきとめて大きな湖を作り、一切外界との連絡は断ってし は細作と秀吉にはすぐに分った。 まってあるが、長良川の向うの日差山には毛利の吉川 それにしても何と無用心な男であろうか。盲目を装うの 早川の二軍が、三万の大軍をひっさげて救援にやって来て いるのである。 ならば、どこどこまでも盲目で旅をすべきなのに、人が居 黒田宕兵衛の云うとおり、信長が西下して来たのではあないと見てとると眼をあいて走るようでは心細い 、いみ、く 2