というのに決っているわ ) 「伯父上、入っても宜しゅうござりまするか」 「おう入れ。山路将監が味方に寝返ったのであろう」 「仰せの通り」 彼は草摺を鳴らして入って来ると、 盛政は、全身にあふれる精気を扱いかねている様子で、 「雨はあがった ! 好機がやって来ましたぞ」 「あの藤吉猿が、又、何か企んでいるとでも仰せられます 昻然と胸を張って、ポンと一つ頑丈な胸を鉄扇でたたいるか。あとに残った人数はわれ等と大差なし。北国の鬼柴 田が、細川忠興すれの、背後からの小細工を怖れていま撃 て見せた。 って出なんだら、岐阜への顔が立ちますまい」 「あせるな盛政。こんどの戦は根くらべじゃ」 鬼柴田と異名を取ったお方にしては慎重す「早まるなと申して居る」 勝家は顔をしかめて舌打した。 ぎる。が、こんどは動かすに居られませぬ」 「誰が細川すれを怖れていると申した。ここではな、落着 「山路将監が手土産だな」 「いかにも秀吉めは、巧々と信孝さまの誘いに乗って長浜 いているほど得と、見きわめての事だと思え ! よいか 城を出て行きました」 万一筑前が、本気で岐阜を攻める気でも、この二三日の雨 つづきでは、必ず揖斐川は氾濫していて渡れまい。さすれ 「なに、筑前が長浜城を出ていったと : 「よ、 岐阜勢は申合せの通り、清水の稲葉一鉄、大垣ば岐阜には取りつけす、大垣にとどま 0 ている筈じゃ」 の氏家直通め等が領地へ出て来て火を放って廻った。これ「大垣にとどまって居てもよい、大垣から引っ返して来る を見ると秀吉めカンカンに怒って、自慢の荒小姓どもをは迄には、こっちは長浜を必ず陥れて見せまする」 「それがあせりじゃ。長浜城よりこの地が遙かに守りよ じめ、二万の兵を引具し、十六日に長浜城を出て行ったと もし筑前が、揖斐川を渡ったと分ったら、その時には ござりまする。撃って出るならば、今が好機、ご決断なさ 動いてもよい。それまでは辛棒せい」 い , 亠よせ」 こんどは盛政が舌打した。 「ならぬ ! 」 「えならぬとは : 意外な答えに盛政はムッとして床几へかけた。 297
そして、九日には秀吉は、自身兵を率いて近江へ人って 「利家どの」 「よ、 来たのである。 し」 出兵の口実は、伎早にある信孝のことをこのままにはし 「わしは怖いのじゃ。筑前どのがお情け受けるが怖いの じゃ。わしだけなりと、頑な : : : 頑愚な父の味方でいてやておけぬゆえ、信孝を京へ迎える為めだと称している。 しかし世間ではそうは噂せす、勝家との不和は依然解消 利家は、ホッと嘆息して、無表情に入口へ控えた家臣にせず、まず、まず長浜城を攻めるための出兵であろうと語 り合った。 云った。 「供揃えの用意を」 秀吉は、九日に山崎の城を出ると、瀬田、安土に守兵を 入れ、十一日には堀秀政の居城、佐和山城に入って、十二 五 日には勝豊のいる長浜城をさっさと囲ませてしまった。 勝豊はさすがに唖然として二の句が継げなかった。まだ 1 勝豊の予感は的中していた。 秀吉は、利家を通じて、秀勝に織田家相続などはさせな利家が越前に戻っていって、父の勝家とどのような話にな じっこん ったかその連絡もっかない間に、 秀吉は、弟の小一郎秀長 いこと。将来は互いに和平人魂に致すべき旨の誓書を与え て帰しながら、彼等が十一月四日に山崎の城を出て、利家をもって長浜を囲ませ、横山城の修築にとりかからせたの たちは越前へ、勝豊は近江の長浜へ出発すると、そのあと を追うようにして、自身は京都へ出てゆき、四、五日と両しかも別にすぐ開戦の様子もなく、自身は、十六日に美 濃の氏家直通の居城、大垣城に人って、ここで信孝の家臣 日にわたって丹羽長秀を招いて本圀寺で会談した。 何を相談したかは云うまでもなかろう。 堂々と、秀吉に降服するよう、工作を始めたのだ。 この 恐らく秀吉のことゆえ、勝家などは問題ではない。 ( いったいこれはどうする気なのじゃ : 場合、日本の乱れをふせがねばならず、その為めの手を打攻められたら叶わぬまでも華々しく抗戦して、父と生死 を共にする気であったが、囲んだままで別に何事も仕掛け つのに、誰に遠慮があろうそと、頭から長秀を押えていっ たのに違いない。 て来ないとなると、悪少の中にいるような気味悪さであっ よ ) 0
かつもく 故、よく刮目して書く要がある。それにあの人みしりの強のがよく分った。 そうした点では他のことでの淡白さと全く違った、」し い三法師さまが、秀吉だけにはかれる。笑えば嬰児もな つかしめ、怒れば鬼をも戦慄させる。ここらが秀吉の面目ぎな執拗さをもっている秀吉だった。 秀吉は、翌二十八日、三法師は信孝に預け、腹案どおり でもあろうかの」 大抵の者は、これほど露骨に自分を褒め得るものではな三宿老と誓書を取交して、さっさと長浜へ引きあげ、直ち い。が、秀吉は、他人を褒める時も無邪気であったが、自に城地引渡しの手続をとった。 その時の母や妻との対面も又秀吉ならではの傍若無人さ 分を褒める時にも一向に遠慮はしていなかった。 「私心のみじんもないものには、つねに神仏の感応があるで、 ものでの。いや、見上げたものじゃ」 「やあ、これはお袋さまじゃ 心の底から自分で自分に感心していた。 彼は野瀬の大吉寺に秘んでいた奥方の寧々が、老母とと 「さて、見上げついでに、もう少し働いておかねばのうもに長浜へ戻っているのを見ると、いきなりその母を背負 って部屋中をおどりまわった。 「やれやれ、お寧々も無事であったか。これで筑前も心の 彼はその夜、あまり声が大きいのでハラハラしている黒 田官兵衛に、楽しそうに云った。 重荷をおろしたわい。お寧々、これからじゃぞ。そなた 「官兵衛、見てござれ。きっと信孝が、柴田修理に、お市に、日本中の大名の領地をな、思うままに分けさせる。そ どのを押しつけるそ。いや、押しつけるか押しつけぬかの時が来たわい来たわい。もう少しの辛抱じゃそ」 それは、まるで十七八の若者そのまま、妻を擁して涙を で、信孝の不平を計る秤になる」 のぶかね お市どのとは、信長の妹で、いま、織田信包のもとで三流したり踊ったりした。 人の娘たちと静かに暮している浅井長政の後家、小谷の方むろんそれが秀吉の全部ではない。 長浜には奉行として浅野長吉 ( 後の長政 ) を残し、七月 のことであった。 八日には山城、丹波をはせめぐって新領を手中に納め、十 官兵衛はただ笑っているだけで答えなかったが秀吉がい まだに小 / 谷の方に子供のような関心を捨てきれないでいる一日にはもう京都に帰って、本圀寺に陣を構えると、早速 747
山崎 亠局 ムロ 宀一丁 亠 - 旦 大坂 郡山 賤ケ嶽の戦参考図 内中尾山 柳ケ瀬 谷山 林谷山 別所山 ^ △左山 中谷山 天神山ゑ野 堂木山中之郷 裃明山 月リ 岩畸山 . 大岩山 木之本 賤ケ嶽・ 長原 長浜 - 関ヶ原
「いや、それはご辞退致しまする」 その時には、父は越前、この勝豊は長浜にて、それぞれ討 勝豊はきつばりと手を振った。 死と、お告げ下され」 「この上筑前どののご好意を受けるは心苦しい。父も北の 「これはまた割切りすぎた仰せ方」 庄で案じて居りましようほどに、一刻も早よう」 「いいや、まだ足りませぬ。その場合の戦には決して、他 「その事でござるが : 人の助力を頼むなと仰せ下され。丹羽や堀どのはむろんの 利家は晴れ晴れとした表情で、 こと、負けると分っている戦ゆえ、たとえば、利家どの 「昨夜、筑前どのと枕を並べ、あれこれ語り合いました も、金森、不破どのも、決して語ろうては下さるなと : が、和平の見通し、この利家に思案もござれば、一応ご安勝豊が申した由をお告げ下され」 堵あられたい」 利家は渋い顔になってちらりと二人と顔を見合せ 「和平の見通しが : : : 立ったと、云われまするか」 恐らく病気のせいであろう。閃くような鋭く尖った感受 「いかにも」 性が、ざくりと、心を ) んぐって来る。 「、いもとない」 ( これは、耳には痛いが真実かも知れぬ : : : ) 勝豊は、わざと憂いを濃くみせて、 「とにかく、この利家には、利家の田 5 惑もござれば、それ 「それがしの見通しはちと違いまする。父に逢うたら、わをよく述べた後、ご伝言も、またお耳に入れておきましょ が見通しも取次ぎおかれたい」 「勝豊どのの見通しは」 「そう願いたい。それがしは、これより即刻長浜へ立ち帰 勝豊は、蒼白な面を、ぐっと引緊め、 り、とこうの命令あるまでに籠城の用意を仕る。勝豊は」 「筑前どのに膝を屈して、わが家の安泰を計らせませと と、云って顔をそむけると、 「勝豊は、父上の意のままに生死仕ると : 「さあ、それを申したのでは : 「分りました」 「では供揃えの用意を」 「嘘はなりませぬ ! この場になって何の遠慮があろう。 「折角のお薬を、待ちませぬか」 はっきりとお告げ下され。万一膝を屈すること叶わずば、 240
軍勢が動きだしたゆえ、近々に戦となろう。その時期は改る。したがって、岐阜からどのような使者がやって来る か、当方がどのような応対をするか、みな筑前どのには分 めて打合せるが、長浜も岐阜と呼応して旗挙げするように って居りましよ、フ」 と」 「分っているゆえ、戦は出来ぬというのじゃな」 「それで、 : それで、そち達は何と答えたのじゃ」 「呼応して旗上げすれば三日以内に落城かと」 再び勝豊の頬は紅をはいたような鮮かさに変っていた。 「云、つなツ」 勝豊はそう云ったが、後の言葉は続かなかった。彼自 勝豊のきき方が激しすぎたので寿昌はちらりと半右衛門身、この老臣たちとどこかで同じことを考えているからた つ、 ) 0 を見やって、 「恐れながら 」と、又半右衛門は云った。 「ご病中ゆえ、すぐにお受けは致しかねまするが、快方に 「この城はもともと筑前どのが築いた城。どの砦の、どこ 向わせられたら、早速その旨言上、協議の上でとこうのご 5 に何があるかは、われ等より却って筑前どのがよくご存 2 返事をと」 : そのような大事を、なぜわしの耳に入知。これは、北陸から攻め寄せる敵に備えた城にて、北か 「その方たちは : ら寄せる敵に強く、佐和山、大垣と囲まれては手も足も出 れずにおくのだ」 ぬ城でござりまする」 「殿 ! 」と、こんどは半右衛門 「これはお叱りを覚の上で取計ろうたことでござります「半右衛ツ」 「、よ、ツ し」 る」 「では、秀吉めこの城を、父に叛かせよとて、勝豊を人れ 「叱られるを覚悟の上で : : : 」 ーしこ使者に参られた岡本良勝どのが、すでに、これておくと申すのじゃな」 「殿、お体に障られまするぞ」 は無理じゃと洩らされましたほどで」 寿昌は、半右衛門よりも、労りのない態度で、 「無理とは何が無理なのじゃ」 「横山鹹の修築は出来上り、この長浜は囲まれて居ります「三日と待たず落せる鹹を、攻めもせずに薬を届けられ
筒井順慶の軍勢は、大和へ引きあげて、しばらく休養し たら一転して、まず弱い岐阜から先に各個撃破で衝くべき ながら後命を待っこと。 だと云っているのであろう。 細川忠興勢は、本国へ引きあげて、水軍をもって越前の ( しかし、その必要があるであろうか : ここで充分、北国勢を圧迫しながら、信孝の進攻に備え海岸に上陸作戦を取行すること。 そしてそれぞれの軍勢が命令のとおりに動きだすと、さ る手だてはありそうなのに : まざまな噂があちこちに飛びだした。 そんな考えがみんなの頭にあるので答える者はなかった いったい、御大将は、何を考えて居られるのであろう のだし、秀吉もまた、その辺のことは知りすぎるほどによ な。わしには二つとも合点がいかぬ」 く知っていた。 「よし、わしの肚は決った。みなみな、しかと砦を守れ「いや、合点がいかぬことはない。大和へ筒井勢を帰され たのは、滝川一益に備えるため。細川勢を帰されたのは、 うしろへ従って来ている堀秀政を見やって、秀吉はしず北国勢の背後を衝かせるためではないか」 「しかし、眼の前に北国勢を控えて、何も大和〈休養に帰幻 かに馬を返した。 「わしはいったん長浜の城へ入って休養し、それから岐さずとも : 「そうではない。滝川一益は名うての曲者。それに御大将 阜を叩いて来る。留守中に、決して勝家にあなどられる よ が本隊をひきいてこの地に来られたので、その備えはひど そして、その夜は堀秀政の陣屋へ一泊して、翌日、更く手薄になっている。これと、岐阜勢とが一つになった ら、それは大したカになろうからの」 に、天神山の西方高地、文室山に至って敵状を視察すると、 自身の手で、配備図の上へ点々と距離を書きこんだり、妙そうした噂の中で、秀吉自身もまた長浜城へ「休養ーー」 な記号をしるしたりして、そのまま、さっさと木ノ本の本と称して引きあげたのが三月二十八日。 筒井順慶の大和帰着が四月四日。 陣へ引きあげた。 そして、勝家の出兵と呼応して信孝も兵を動かし、清水 引きあげると間もなく、敵も味方も首をかしげる命令が ドされた。 城の稲葉一鉄、大垣鹹の氏家直通等の領地に出撃して放火
傅役は堀久太郎秀政、その安土のすぐ近くにある長浜城「こたびの軍で徳川どのも、対島まで大軍を動かしてござ るが : は、宿老第一の柴田勝家のために、あっさり明け渡すとい : 」と秀吉はまた楽しそうに笑った。 うロ上の抜目なさはどうであろうか。 「徳川どのはあのままあのまま。それで決して異議を申さ もしこれに不服をとなえたら、 「ーー・家格第一の宿老と思えばこそ、三法師君のご身辺にれる人ではない。こちらに喰い入って、各 ~ 方の所領を狭 め、ご気分を削ぐよりは、東で拾いものをしたが得と、 ある筑前が本領をお渡し申すのでござるそ」 手酷しく喰ってかかる伏線の用意がまざまざと感じられちゃんと計算の出来る人じゃ」 「なるほど : る。 「それより、一刻も早く安土の城を再建し、その城に三法 「ご異存はないようでござるな」 師君をお迎えして、織田の備えの揺ぎなきを天下に示すが と、秀吉は云った。 「では、改めて信雄さま、信孝さまにご同席願うて、この第一でござる。それ迄は三法師君は、岐阜城内の信孝さま 旨、新領宛行状に認めさせる事と致そう。丹羽どの、ご両の許にお預け申すとして、安土の築城、これを最も急がね ば : : : 柴田どの」 所をこれへ」 丹羽長秀は、さすがにすぐには立たなかった。 「筑前は明日すぐにも長浜城を、お身さまにお渡し申す。 「宜しゅうござるかな。ご異存は : 「異存はござらぬ。右府さま亡きあとの押え、これで万全快くお受取り下さるように」 これで丹羽長秀は席を立って、信雄、信孝を迎えにいっ でござろうゆえ」 た。二人にむろん不平はあったであろうが、この時も秀吉 池田勝入がすぐに応じた。 「筑前どの、この長秀は他に一つ、心にかかることがござの快弁は彼等に口を開かせなかった。 るが」 前後を通じて約二刻 ( 四時間 ) 、事によったら激論の末 に、刃傷沙汰にも及ぶのではと思われた清洲会議は、朝の 丹羽長秀は、あまりに飽気なく決定するのが、勝家に気 陽がやがて正午になるような順調さで、八ッ半には、集っ の毒に思える様子でロをはさんだ。 144
た勝利がもたらされている。 イについて来ていた一柳直末が云うと、 しかもその勝利は去年の六月二十七日の清洲会議のおり 「これで柴田勢も殆んど全滅であろうよ。それにしてもた から、めんみつに組立てられた筋書の通りであったと知るわけた修理どのじゃ。この敗戦が見透せぬとはのう」 者が、秀吉以外に何人あったであろうか。 加藤光泰が合槌打っと、秀吉はいつになく渋い表情でわ いまは越前の北の庄さして、みじめに敗退しつつある勝きを向いた。 家は、秀吉の居城、長浜をあっさりと譲られた時、やがて 「さすがに鬼柴田じゃ。妙なことを口走るな」 そこを拠点とされての、今日の慘敗を連想していたであろ「 : : : それにしても、わが力を知らず : : : 」 「止せと云っている。これが、わが力を知らぬ者の戦の仕 秀吉が長浜を勝家に譲 0 たのは、このあたりの地理も人ぶりか。知りすぎるほどに知 0 ていて意地を貫く : : : 手強 情も知り尽していて、勝家との決戦場としては最も有利ない戦であったそ」 場所と睨んだからであったが、 それを勝家も、その子の勝光泰と直末は顔を見合せて黙ってしまった。 豊も逆に秀吉の譲歩と受取っていなかったであろうか : これもすっかり汗と埃にまみれて、眼ばかり光っている おなじ去年の十一月三日に、山城〈勝家の使者として赴秀吉の横顔に、いつもと違 0 た哀愁のいろの動きを見たか いた、前田利家、不破勝光、金森長近等が、ここではいずらだった。 れも巧妙に戦場を離脱して、決して秀吉に弓を引こうとし 「理を説き、利を与えて動く者はいささかも布くはない。 なか 0 た事実を、勝家は、どう考えながら落ちのびているが、その何れをも取ろうとせず、遮二無二意地を貫こうと であろ、フか : する者ほど厄介なものが又とあろうか。直末、黒田官兵衛 秀吉は、馬を狐塚の、勝家の陣跡にすすめ、そのあたりの許へ使して呉れ」 に散乱しているおびただしい屍体の山を見ると、ふとま 「は : : : 黒田どのの許へ : : : 」 た、毛受兄弟の割腹していた林間のありさまを思いうかべ 「みんなで力を協わせて、すぐにこの屍体を一カ所に集め ていた。 て葬ってやるように。それから里人たちに命じてな、敵味 「さすがは御大将の采配、大勝利でござりまするな」 方の区別はいらぬ。傷ついてまだ息ある者には、簑、笠な 334
秀吉は床儿をはなれて、居間にしている書院へ通ると、 「薄茶でござりまする」 「茶をひとっ貰おうかな」 「おお、かたじけない」 幽古の渡す茶碗を作法どおりに受取って、ふっと無心に 陣中へ伴って来ていたお噺衆の幽古に云い、それからも 茶の中へおのれを溶かし、音をたてて啜り終ると、 う一度、 「蜂須賀彦右衛門と、黒田官兵衛に、今夜は食事を共にし 「そんな・ハ力なことが : ようと申して来い。まだ自分の陣には戻るまいでな」 と、喚いて首をかしげこ。 あたりはまだ明るかったが、 すでに地上から木影は消え茶碗を返してから小姓の方をふり返った。 大谷平馬が心得て立ってゆく。 て、室内へは風炉の前にすわった幽古の茶筅の音がかるく ひびいている。 秀吉はそれから、しばらく庭の暮色に見入った。 すでに蝉は鳴きゃんで、だんだん黒すんでゆく樹間を涼 信長と光秀の性格の差は秀吉にもよく分った。 信長が鋭い直感力でいつも結論を先にするのに、光秀はしい風がわたって来る。 ふと長い陣旅の感傷が胸もとをかすめていった。 ネチネチと筋道にこだわった。 すでにこの身は播州姫路で五十六万石の太守となり、織 それだけに両者が同じことを眼ざし、同じことを話して 田家の御譜代では、柴田修理亮勝家の次に位置し、西国探 いながらよく途中でぶつかりあった。 ( しかしそのような感情の衝突ぐらいで、謀叛を企てたり題の要所におかれた身であった。 自分に実子のないところから、主君信長の第四子於次丸 するほど・ハ力な光秀ではない ) いま於次丸は羽柴秀勝と名乗って近江 いま、信長を倒すということは、光秀が信長にとって代を迎えて養子とし、 って天下を治める自信の裏付けがなければ出来ないことの長浜にあり、八万石の家中を秀吉に代ってきりもりして いる ( やつばり嘘だこれは : : : ) したがって親藩でもあり、双方を合せると六十四万石と いう大身であったが、秀吉自身は家族を長浜へ残したまま そう思うと、ニセ盲の細作ひとり、斬れといったのが大 人気ない気もして来る で、文字どおり席の温まる暇もない戦陣ぐらしであった。 2