「切腹と分っては行く方がござりますまい」 がよかろうかと訊ねられた時には : 「まず無いであろうの」 そこまで言うと数正はギロリと鋭く四郎次郎を見返し 「とゆうて、わざわざ筑前どのの許迄お祝いに赴き、向うて、 が来いと言われるのに、その儀は : : と、お断りも出来か「何者の名を挙げてお答えなさる気じゃ」 ねましよ、つかと」 : 」ちょっと息をつめて右手を出して指をくり、 「それは出来る」 「井伊どの、榊原どのでは、まだ若すぎて、筑前どのがご 不凅で′」ギ、りましよ、つし」 と、数正は、陽焼けした頬に皮肉な笑みをうかべて、 「それで : : : 」 「それは出来るが、 にべもなく断って来る程なら、相手の 感情を傷う点で、始めからお祝いなどに行かぬがよかった 「本多どのでは、ちとはげしすぎまするし : : : 酒井、大久 という結果になろうの」 保さまでは、この前の信康さまのこともあるゆえ、お引請 「そうなったのでは話になりませぬが : けはなされますまいし」 茶屋も思わず眉を寄せて苦笑した。 「それで : ・ : ・」 「相手はそれで、捨置くお方ではござりませぬので : : : 」 「私は、やはり、あなた様と、本多作左どのの名より他 「されば、その点でのう : 挙げるお方がござりませぬ」 「ご城代さま ! 」 四郎次郎はそこで又、相手の肚を見透そうとしてじっと 息をこらしていった。 「妙案があるかな松本氏に」 「いいえ、妙案などのあろう筈はござりませぬ。が、これ 五 は、お祝いの使者も出さずに済むことではないように考え まするので : : : 」 石川数正は、黙って庭先を見やったまま、暫く答えよう 「わしもそれは、同じことじゃ 力さて、誰が使者に行としなかった。 くかとなると : その様子が、ひどく手応えのない感じなので、茶屋四郎 「この茶屋は、なみの者では済まぬ。お館さまに若し、誰次郎は言葉をつづけた。 そこな 0 ヾ、、 2
彼の眼は、眼の機能を失って映ずるものの識別が出来なか ったのだ。 ワーツ、ワーツと、人声だけは耳に入るが、それが、ど の方角から近づくのか、どの方向〈動いているのか皆目見前方十二、三間の木立の間で、 「三好孫七郎の御内、白井備後 ! 」 当はつかなかった。 こう名乗った秀次の旗本に、敵の一騎が乗りかけるよう そうなると、気負った下知の声も出す、叔父の荒小姓、 にして突きかかって来るのが目に入った。 加藤虎之助清正が、戦いのはじめには相手の顔も見えねば ( あ、さっき、ここから駆け出していったのは備後であっ 人数も分らぬもの、ただ遮二無二相手にぶつかるだけと語 っていたのが思い出された。 ちらりとそれを思ったとき、敵は槍を頭上にかざすよう が、その遮二無二ぶつかる相手が、いったいどこに居る な構えで、 のかそれすら分らない。 「水野惣兵衛が家中、米沢梅干之助 ! 」 「推参ッ ! 」 と、一人の味方が、秀次を守護していた輪の中から脱兎猛々しく吠え立ててパッと備後とぶつかり合 0 た。 とたんに、「ウーム」と断末魔のうめきをあげて、一人 のように前方めざして駆出していった。そのことで、 が馬から落ちてゆき、狂奔した馬はそのまま、右手へ矢の ( 敵は近い ! ) ように逸走していった。 と、本能的に思い、いきなりすらりと刀を抜くと、 ( 備後が討たれた。これは容易ならぬ戦になったゾ ! ) 「太刀を : ・・ : 太刀を納められませ。今、馬を : : : 」 いざ馬へ ! 」 「孫七郎君 ! 行手〈立ちはだか 0 て籠手を叩いたのは田中吉政だ 0 再び急き立てられて、秀次は、小姓頭の田中吉政から手 「御大将と雑兵とは違いまする。太刀を納めて、早く馬綱を受取り、夢中で馬に乗 0 ていた。 馬に乗るとふしぎに恐怖はなくなった。 「吉政 ! 」 その頃になって、はじめて秀次は、あたりが見えだし 「十 5 、ツ た。しらしらと夜は明けはなたれているのに、それまでの つ」 0 199
にサッとあやしい殺気が走った。 覧じろ。必ず猿めに買収されて戻って来る。うつかりする 自分の主人をタコと言われ、御家も売りかねないといわ と御家もともに売りかねまい。いや、さほどでなくとも、 : とんだ弱音をれては、金内とても同じ三河の血をひく武士た。相手と刺 恐らく長丸さまを人質に差出そうなどと : : と、思ったのかも知れない。 吹いて、足許を見られて戻るゆえ、この作左は反対すると違えても : その様子をジロリと見やって作左はまたずけずけと言っ 申して来た。虫の勢いでな」 金内の膝の両手はいっか固く拳になって小さくぶるぶるた。 「おぬしは、わしの伜に、わざわざ負けて呉れたそうじゃ 震えだしている。 「とにかく : が、この年寄りに、そのような労りはいらぬそ。早く碁盤 を山国さっしゃい」 と作左はまた言葉をつづけた。 金内は、次の瞬間、つと立って碁盤を運んだ。その動作 「わしは反対じゃが、殿は遣すお気持らしい。それゆえ、 わしのこなたに申した通りを戻って数正に告げてくれ。そに、まだ蒼白い怒りとの闘いがまざまざと感じられる。 して、自分で出て来て直接殿に頼まずとも、こんどはお召 二人の間へびったりと盤面をおくと、 が参るであろうとな : : まさか、殿と喧嘩もならぬ。わし 「ご老人は白でござりまするか、黒でござりまするか」 容赦はせぬという尖りが口調に出てしまった。 はあのような軟骨ではと思うても、殿が命じるのならば、 ただ毒付いているだけのことよ。今日はもう遅い。明早朝「フン」と、作左はあざ笑った。どこまでも意地わるく相 に発ってゆくがよい。そうそう、こなたは、碁を打っそう手を試すのが、今ではこの年寄りの趣味になってしまった 感じだった。 じゃの。その碁盤をとって呉れ。飯までに一局囲もう」 そう一「ロうと、作左は無遠慮に、・ 震えている相手へあごを「おぬしまず好きな方をとれ。わしの碁はの、相手によっ しやくった。 て白になったり黒になったりする朞ではない」 金内はまたびくりと肩をうごかしたが、 しかしそこで彼 の肚は決ったらしい また訊くことが残っている。腹を立ててよい時ではない 碁盤を取れと言われて、一瞬だったが、渡辺金内の表情
「お骨を折らせまする」 分らぬ。戦だったら大変なことになろうぞ。わが首を探さ と小さく言い添えた。 ねばならなくなるわ : : : 」 「骨など折らぬ」 そう一言うと作左は血相の変っている仙千代を好もしそう に見やって、 「骨などは、わざわざ折らぬと申したのだ」 「嘘じゃ。戦場と碁は違う。碁などあまり強い奴に、戦の 相手は作左の気持をはかりかねて、そっと首を傾けてゆ 上手な者はない」 く。碁で負ける手を考える時の顔がこれであろうと作左は そう言い直して部屋を出かかり、又、 田 5 った。 「於仙 」と、わが子をふり返った。 「さて、あれこれ考えたが、 数正はわるい事をわしに頼ん 「その方も、若し忠義競べ、我慢竸べを、この父が命じた だわ」 ら、どんなに苦しくともやるであろうな」 「何とおっしやります。わるい事を」 山千代はむっとした表情のまま、 「さよう。わしは始め、こなたに言われたとおり、こんど 「それがしは母上の子です」 の使者、石川数正をお遣し下されと言う気であった。ご前 と、答えた。 へ罷り出るまではな」 「臍曲りめ。うぬは、この作左より母の方が辛抱強いと思 「なるほど : うて居る。まあよい。母の子ならばあとへは退くまい」 そのまま待たせてある質素な八畳間の座嗷の前へ歩を運「ところが御前へ出てみると、何としても思うことがロに 出ぬ。それで、数正を使者にやる儀は、この作左が大反対 じゃと一言うてしもうた。困ったものよのう、わしのロも : 「エヘン ! 」と、一つ咳払いしてから襖をあけた。 「これはお戻りなされませ」 相手は一瞬、ぎくりとし、それから射ぬくような眼にな 石川数正の使者渡辺金内は、まだ三十がらみの、いか にも無表情な男であったが、丸い膝を揃え直して挨拶するり、じっと作左を見つめたした。
しだス・ は志段味、水野、篠木、柏井方面へ潰走中で、時刻はすで でに、長久手へ着いているのに、どこにも敵らしいものの に正午をすぎていた。 姿が見えなかったからであった。 本多平八郎忠勝は、したいに冷静さを取戻した。 ( これはあの鹿めに一杯喰わされたかも知れぬ : : : ) 自分を相手にしない秀吉の急行が、何を意味するかが分本多忠勝が、あのふしぎな挑み方で、わざわざ自分を長 って来たのだ。 久手へ誘い出したのではあるまいか ? という疑念であっ ( 秀吉め、ただ一筋に殿との決戦を求めている : : : ) そうなれば、忠勝もまた道草など喰っていられる場合で もしそうだったら、家康は、その間に池田勢を追って、 十 5 よ、つこ 0 秀吉とは逆に小牧の方向へ、退くと見せて進んでいったこ 少しも早く家康の本隊に合して、秀吉の大軍を迎え撃たとになる。 なければならない。 ( もし留守を衝かれたら、どうなろうか ? ) 「ようし、先に廻 0 て、待ち伏せしてやる。鹿の餌食を覚智略に長けた秀吉だけに、一度疑念が湧きあがると、そ 悟の上で、ゆるゆるとやって米いツ」 れはそのまま自分を縛る繩になった。 忠勝は悪罵を投げて、真昼の陽の下で、ぐんぐん秀吉勢彼は、稲葉一鉄を声高に呼んで、性急に敵状の偵察を命 を抜きだした。 じていった。 せいぜい五百騎あまりのこととて、その進退は軽捷たっ 秀吉はいぜん相手にならず、矢田川をわたり草掛をすぎ 恐らく秀吉の生涯で、これほどひどく目算のはずれた戦 て、ついに本多勢を見失った。 ははじめてだったに違いない。 銃声はしだいに少くなり、重なりあった四囲の緑に、う 小癪な本多忠勝の挑戦に、じっと肚の虫をおさえ、まっ ららかな晩春の陽が嘘のように静かにあたっている : しぐらに目ざして来た戦場へ、敵の姿が無かったのだ : ( これはおかしい・ 秀吉は、再び彦右衛門の伜の蜂須賀家政と、日根野弘就 秀吉が、小首をかしげたしたのは九ッ半 ( 午後一時 ) 。すに偵察を命じた。 2 2
かって、熱い手が数正の手汽にそっとからんでいた。 女ははじめ刺すような眼をして、じっと数正を見つめて 「いや、見れば見るほど、よい器量じゃ。これは又とない いたが、やがてじよじょにうなたれた。 贈物を頂いた。こなたをわしに下さると仰せられたは、む ( 数正は、伜の嫁に下されたと思いこんでいる : : : ) ろん筑前さまであろうな」 そう分ると、相手はまだ押し返して来れるほど娼性を持 「よ、 ってはいないようだった。 「よしよし、必ず国許へ伴うて、伜が嫁女にして取らそう。 「分ったらそれでよい。今夜はそなたの気ままに致せ。こ いや、これはありがたい土産が出来た ! 」 こに居るもよし、退って休むもよし : : いや、よい土産話 「あのう、それでは : が出来て、わしも楽しい」 「と、ゆうて、今すぐには連れて行けぬ。三河者には三河女は、再び顔をあげた。が、その顔はもはや怨じる顔で 者の仁儀があっての」 も媚びる顔でもなくなっていた。 おそらく、どこかでホッとしているのであろう。 数正は、いっかタラタラと背筋へ汗を這わせていた。 数正の唇辺にふと微笑が湧きあがった。 ( ここで、相手に口を利かせては一大事 : : : ) ( いかがでござるな筑前どの : : : ) そう思うだけで、頭のシンがカーツと熱く燃えてくる。 「よいか。こなたから、このわしが、どのように喜んでい たかを、筑前さまによく伝えてくれ。本来ならば、このま ま伴うて帰りたいところじゃが、それではご好意に甘えす ぎる。いずれ城普請のおりには、それがし再びお使者に参 ろう。そのおり、きっと筑前さまの御ために、何か一つ手 柄して、それから大手を振って伜が許へ伴おう。分った ここは、西国巡礼十四番の札所、近江国滋賀郡、近松寺 の、それまで、こなたを筑前さまのもとへ預けておく。よ ・ : 分ったのの西北五丁、高岡の上に建った三井観音堂の境内たった。 いか必すその気で、心づよく相待つように : すでに季節は冬に人って、落葉樹はみな裸であったが、 残 月
: と、これは決して殿の不名誉にはなりますまいかと存剛愎に相手の乞いをお容れなさるが得策かと心得まする」 じまする」 「すると、そちは、それに賛成じゃと申すのじゃな」 「むろん何程かの化粧料は持参させるでござりましようゆ 「殿は、ご同意下されませぬか」 え、城内に別にひと曲輪造らせてお住わせになる : : : それ 「四十三歳 : : : 」 も天下のため、御家のためとお考え下されば、虫の居所も 家康は、もう一度つぶやいて、それからはげしく舌打し納まりましよう。いや : : : ただ於義さまのお身代りに、 っちも人質をと、それだけお考え下されてもよい事で」 瞼の裏に、若さを枯らした哀れな老婆の幻影がうかんで「数正 ! 」 「↓よ、ツ 来て、それが堪らなく不潔な気がしてならなかった : 「わしは、、 しま、秀吉に妹を無理強いされているような気 九 はせぬそ」 「と、仰せられますると : 数正は、又身をのり出すようにして、 「こなたに、石川数正に、喰べとうもないやき餅を、無理 「殿は、わざわざ事を面倒にお考えなさらぬが宜しゅうご強いされてゲーゲー言っているような不快な気持じゃ」 ざりまする」 「これはしたり、相手は、秀吉という、何を考え出すかわ 「なに、わざわざ面倒に」 からぬ相手 : : : 殿の方にも、それだけのお覚が無うては 「は、。相手の恥になっても殿の恥にはなりませぬ。この 叫わぬことでござりまする」 場合、年などは、」 って殿より上が宜しいほどかと心得ま 「というがな、何をするか分らぬ相手ゆえ、汕断はならぬ する」 と考えたことがあるのか数正は」 「フウム」 「汕断がならぬとは、妹を嫁がせておいて攻め寄せるとで 「正室として迎えなされた上は、ゼヒご寵愛なさらなけれも申しまするか」 ばならぬと言うではなし、人質にとったおつもりで、ここは 「攻め寄せはすま い。こっちに備えがあるからの、つ。しか 339
細くして、黙っていよと合図をした。 「いや、於義さまのご気性が、万人にすぐれているゆえ申「これツ、作左どの : : : 」 すのだ。のう於義さま、宜しゅうござるなあ。自分が怖ろ 数正は黙っていさっしゃい。 この爺はまことの しい芋は、必す相手も怖ろしいのだ。ただ、気性のすぐれ事を告げているのじゃ。秀吉などは信長公のおかげで大き た者はその怖ろしさを相手に見せぬ。それゆえ相手は、こな顔をしておるものの、お父上とは比校にならぬ臆病者 っちの怖さを見抜けず、これは自分よりも遙かに大胆な、 じゃ。それゆえ、於義さまをそばに呼び寄せ、万一の時に 立派な者と思いこんで感心もし頼りもする。修業が積んでは人質にせねば安心がならぬなどと、小さな事を考えるの 何事も怖くなくなるまでは言わば人生は我慢くらべじゃ。 じゃ。それを哀れんでお父上は、於義丸さまを大坂へやら その我慢の強い者が早く怖さを知らぬ勝れた大将にならっ っしやる。胆の太さがまるで違っている。お分りでごさり しやるのた。よいかの、いかなる時にも、秀吉が家来ども 寺しよ、つか」 などに、臆病者と見られ侮られてはなりませぬそ」 「なるほど」 まことに奇怪な教亠冂、、こっこー、 オオカこの傅役の教育はすでに と、於義丸はまた神妙にうなずいて、 義丸の身内に芽を吹いていると見え、 「では、秀吉どのと、この於義とでは、どうであろうか 「侮られるものか ! 」 の」 於義丸は昻然として応じた。 ・ : 」と、作左衛門は鬼面に縦横の皺をきざんで快 「だが爺、これは念のためにききおくのだが、お父上と秀げに笑った。 吉とでは、いずれが大胆であろうかの」 「さよう、うつかりすると、於義さまが負けるかも知れぬ 「え、お父上と秀吉じゃと : なあ」 作左は唇をゆがめて、 「というと、わしは足軽大将ほどの者か」 「比べものになるものかソ それゆえ負けさっしやるなと言うのじゃ。秀 と、吐き捨てるように言った。 吉が家来どもなど、その又ぐっと下ゆえ眼中におくには当 「お父上が総大将ならば、秀吉などはせいぜい足軽大将らぬ。どこまでも秀吉を相手にして、これを怖がらせてや 27 /
追いすがって来た勝入の家臣が、わきからいきなり躍り 「うぬツ、来いツ」 こんどは勝入のすぐ脇で声がして、一人の武者が脱兎のかかった。 相手はそれをパッと伏せてかわしておいて、そのまま槍 ように警衛の輪を破って、勝入に走りよった。 「池田信輝勝入どのと覚えたり、見参 ! 」 を、次に近づくもう一人ののど輪をめがけて投げつけた。 「ウーム」と、一人は突き立った槍をつかんでのけそり、 十二 先に斬りつけた家臣が、再び伝八郎に斬りかかった。 勝入の眼が、ちらりと相手の上に移ったとき、その武者伝八郎直勝は、また目にもとまらぬ早さで、太刀を抜き ながらかわしていった。かすかに音はしたが白刃はふれ合 は、前かがみに辷るような姿勢で、眼の前まですすんでい ) 0 わず、次に二人で構え合った時には、伝八郎の左手の人さ し指からタラタラと血が流れていた。 ( よい姿勢だ ! 勝っ姿勢だ ) いや、指はすでに無くなっているのかも知れない。 そう思いながら勝入は、 白刃をふれ合わなかったのは、天晴れだと勝入は思っ幻 「何者じゃ。名乗れツ」 声だけは放図もない大声で叱咜した。 「家康が旗本、永井伝八郎直勝 ! 」 ( こやつめ、まだ人を斬る気で、太刀の刃こばれをふせい 「うむ、天晴れな若者、来るかッ : でいる : : : ) はじき返すようにそう答えたが、膝も立てず、差料も抜「やあっ ! 」 、よ、つこ 0 , 刀 / ー刀子 / と伝八郎がふんごんで、こんどは斜めに勝入の家臣をな ぐりつけた。 恐らく相手の眼には、勝入の姿が不動の巨巌にも見えた ことであろう。 「ウーム」と、断末の呻きが低く尾をひいて、次には白 槍をつけたままじりりッと横にまわりながら、額の汗を刃はまっすぐ勝入に向けられていた。 たたくようにして籠手ではらった。 これだけの荒い行動のあとで、相手の息はみだれていな 「おのれツ、殿に何とするそ ! 」 。玉のような汗を噴かせて眼も、唇もびたりと据わって っ ) 0
「おぬしの肚はケチじゃ。計算に違いは無うても、大事な 「なに、腰抜けじゃとこの数正が」 骨が一本足りぬ」 「そうじゃ。腰抜けも、時にとっては必要じゃ。よいでは 「なに、骨が足りぬと ? 」 「そうじゃ。おぬしには、小牧、長久手の戦の意味がハッ 「聞き捨てならぬ。どこが腰抜けじゃ。さあ言え作左ッ ! 」 まこ「数正 : : : 」 キリとは分って居らぬ。あの時殿は何と言われた。い こで秀吉を倒すと、わし一人で天下の諸侯を敵にせねばな 作左衛門はいよいよ皮肉な落着き方で、 らぬと言われた。それゆえここは秀吉にみんなの相手をし 「おぬし、信長公の死後、あれたけ早く、諸侯が秀吉に尾 を振ったは、何のせいと思うそ」 て貰うておこうと言われた : 「それは秀吉の実力じゃ。実力がすぐれているゆえここで 「それを、この数正が聞き違えて居るとでも思うのか。よ は是携するが : いか作左、勝った戦でありながら、相手に花を譲ったは、 みな後のことを深く考えての殿の堪忍じゃ。それゆえ、潮「黙らっしや、 作左は大きく相手の言葉をさえぎって、 時を見計ろうて提携すべきだと言っている : : : 相手が義弟 として出て来て呉れ : : : よいか、於義さまはご養子、正室「実力ある秀吉ゆえ、うかつに提携を急いではならぬと言 それで出ていって、あれこれ政治のことにカうのじゃ。敢て戦はせぬでもよい。が、秀吉に易々と亡ば は秀吉が妹、 : よいかこ を協せておきさえすれば、秀吉の死後自然に天下は殿のおされたり、尾を振ったりする人物ではない : : と、これは、小牧、長久手の戦の意味が分ればこ こが大切な要なのじゃぞ。日本中の武将どもはみな秀吉と その立策とは思わぬのか」 いう虎の前では猫であった。家康も少し大柄たったがは : と、思い込まれてしもうたら、秀吉の死後、素直に 「思わぬ思わぬ」 本多作左衛門は、あっさりと、手と首をいちどに振っ天下が殿の手に人ると思うか。猫同志が、あちこちに蜂起 して、再び乱世になる恐れありとは思わぬのか。よいか それゆえここでは日本中の猫どもがひれ伏す中で、家康た 「おぬしの話を聞いていると、やつばりそれは骨扱きじゃ。 、、ツキリとそ、つ けは斃ではないが龍であった : いや、腰のつがいが外れている、腰抜けかも知れぬ」 345