考え - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 7
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1. 徳川家康 7

し」 と考えた : : : その考えの中に、女心の切なさをご存じない 「こなたはさっき、戦国の習いじゃと言われましたなあ」節はあっても、不幸を願う心などみじんもあってよいもの 「言いました。それゆえ、女の仕合せなどは : 力」 「お待ちなされ ! 」 そこまで言って、寧々は急に眼を輝かせて、声をおとし 寧々はきびしくさえぎって、 「その戦国はもう終りじゃ。大将軍であられた室町御所は 「これはなあ、こなた様ゆえ打明けまする。誰にも口外な ご零落なされて、あるか無きかのお姿ながら、こなた様のさりまするな」 兄が関白職につかせられて、はっきり天下をお取りなされ「というは : た。それゆえもはや戦国ではござりませぬ」 「上様のご本心じゃ。わらわは、堺衆を集めた席で洩れ聞 「じゃと申して、まだお指図に従わぬ者も : : : 」 きました。上様のお志は、もはや日本国にあるのではござ 「それは無くはありませぬ。それゆえ、こなた様を家康どりませぬ。大明から天竺、南蛮〈飛んでおわすのじゃ」 ののもとに嫁がせ、三好どの、秀長どののご一族に、家康「えつあの大明から天竺へ : どのの力を加えて天下をお治めなされるご存念、何で、家「そうじゃ。このまま国の内で、小さな争いに明け暮れて 康どのを敵になさるお心などあってよいものか。それはこ いたのでは、南蛮人に世界中が荒らされよう。それを救う なた様の考え違いじゃ」 が、まことの関白、世界の関白におなりなされと、堺衆の 手酷い : と言いたいほどの口調で言って、再び寧々は 言上に、大きく頷いておわしたのじゃ。お分りであろうか 朝日どの : : : さすれば上様は、やがて日本にご在国はなさ 「ホホ : : : 年上のこなた様に姉ぶったカみよう。堪忍してるまい。その折りに、日本の関白をお任せなされて誤りな 下され。なあ朝日どの。でも : : : やはり言わずに居られな いお人は : : : そう考えて、家康どのに白羽の矢を立て、こ かったのじゃ。上様が何でこなた様の不仕合せなど願われなた様の婿に : : : と、お考えなされたのじゃ。これはなあ、 よう。家康どのは、誰の眼からも上様に次ぐ海道一の弓取まだまだ他言はなりませぬそ」 りじゃ。その弓取りを、たった一人の妹ゆえ、婿にしたい 一瞬、朝日姫はポカンとした表情で、よく動く兄嫁の唇 3

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「あれほど言うてあったのに、まだ岩崎城など : 酒井忠次、それに猛将本多忠勝の三人が、ロを尖らして激 勝入がぐんぐん進んで居さえすれば、家康もそれを追っ 論の最中だった。 て、充分決戦は伸ばせたのだ : : : そう思うと、肚の底から 「では、それがしの意見には従われぬと言われるのか」 腹が立った。 「従わぬとは言わぬ。が、考え落ちがあるというのじゃ」 が、すぐ次の瞬間には、そうした感情にこたわること 猛り立っている本多平八郎忠勝に、石川伯耆守数正は、 は、百害あって一利のない事を悟った。 苦りきった表情で相対していた。 「その勝入を出してや「たはこの秀吉じゃ。よし、勝入を酒井忠次は、時々舌打しながら、等分に二人を睨みまわ している。 救いながら叩け家康を : : : 徹底みじんに叩きつぶせ」 さらりと心の方向を転換し、それに向ってすぐに全力を いずれも兜だけは着けていなかったが、厳重な武装をし 打ち込めるのが秀吉だ 0 た。その意味では秀吉の気分転換ていて、何か言うたびに床几がきしんだ。 は、さながら名人の剣の変化によく似ている。 「なに、おれの考えに、考えおちがあると。こいつは聞き ここで秀吉はまず、堀尾、一柳、木村の三隊を長久手〈すてならぬ。どこが足りぬ。さあ言え数正 ! 」 急行させ、これを池田勢救援にあたらせておいて、自らは 家康攻撃勢として出発した。 その総勢は三万八千。 石川数正は、年長者らしい落付きで、 敗戦を、そのまま勝利にみちびかなければ止まない秀吉 「みな殿のお考えのうちにあったことじゃ。平八どのはそ の性格と気性であった。 れを思わぬのか」と、切り返した。 「何はともあれ、家康の旗本を引きつつめ。包んだ上で一 「殿が、池田勢を追っていったと気がつけば、筑前が更に 人も余すな。敵はもう戦い疲れているが、味方は新手なのそれを追 0 てゆく ・ : その位のことを考慮に入れぬ殿では ない。うかつに大山城など攻めて見さっしゃい、収拾出来 その頃に ぬことになろう」 家康の留守を預っている小牧山の本陣では、石川数正と 「ええツ、歯がゆい " 216

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「たたいまのお言葉、われ等主君を監視するなど、もって 「ーーー・三人で秀吉を刺して来いと一言ったろう」 の他と心得まするが」 その一言は、三人の胆をいちどにんで引千切った。 ( ことが洩れたのではない。そのような当推量で、他人の 秀吉はとばけた表情で脇思から身をのり出した。 度胆を抜くのが秀吉の癖なのだ : 「ではおこと等は、この秀吉と違った考えをもっていると 三人が三人とも、よくそれは分っていながら、突嗟に言でも申すのか」 葉が返せなかったのだ。 「われ等は、信雄が家臣にござりまする」 「恐れ乍ら、今のお言葉は : ・・ : 」 「戸惑うな義冬、それゆえ秀吉と同じ考えだと申すのじゃ しばらくして浅井田宮丸が口を開いた。 よいか、その方たちは故右府さまに、信雄を誤まらせぬ 「われ等にはとんと合点のゆかぬお言葉でござりまするよう呉々も内命されて居る筈じゃ。この秀吉とて直接信 が、もう一度 : : : 」 雄に付けられはせなんたが、同。 し兄弟の一人を養子に貰い 「合点が行かねば訊き返すな」 うけ、織田家とは親類となった身なれば、信雄が身代に別 秀吉は軽くいなした。 状ないよう、、いを砕いてやるのがどこが悪い。あれは、そ 「わしはのう、おこと等三人がわしと心を協せて信雄を監 うした人の情義を解さず、うつかりすると、三人で、秀吉 視していて呉れるゆえ、安心しているのじゃ。 が、この世を刺せなどと、無思慮なことも言い出しかねぬ男ゆえ、 人の値打ちの分らぬ者ほど厄介なものはない」 共々に相談して、よく見まもってやらねばならぬと思わぬ 「恐れながら : のか」 こんどは津川義冬だった。秀吉の言葉をそのまま聞き捨 そう一言うと秀吉はまた、大口あいて無邪気に笑った。 てに出来なかったのだ。 「いや、その心配が無いようならば、これに越したことは 「ー・ーーわしと心を協せて、信雄を監視する : ・・ : 」 ない。何れにせよ、ここまで信雄を連れ出して参ったのは そんな言葉が万一信雄の耳に人ったら、それこそ士道はおこと等が手柄、決して秀吉は忘れては居らぬそ。さ、盃 立たなくなると田 5 ったらし、。 を取らそう」 6

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第二陣へは、長谷川秀一、細川忠興、高山右近の五千三 からのう ) したがって、家康が本気で信雄と心中する気のないこと百。 第三陣へは中川秀政、長浜衆、木下利久、徳永寿昌、小 などは、はじめから見抜いていた。 川祐忠の六千二百。 ( ーーー勝てる戦ではないと分っていながら信雄の後楯をす ・ : ) 第四陣へは高畠孫次郎、蜂屋頼隆、金森長近の四千五百。 る。家康もやはりわが目で天下を見得ぬ男であったか : 秀吉の考えでは、家康が、その胸中にはさまざまな謀計第五陣は、丹羽長秀の三千。 を蔵しながら、ついに信雄との情誼にこだわり、感情に負第六陣が秀吉の本隊で、これを六段に分ち、ま 0 先に蒲 生氏郷の二千に甲賀衆の千名を附して右に備え、左には、 けて動かなければならなくなったものと思っている。 前野長康、生駒親正、黒田孝高、蜂須賀、明石、赤松の諸 それたけに、一度手ひどく連合軍を叩くことで、すぐに 隊を合せて四千をおき、次に堀秀政と越中衆、稲葉貞通の 大勢は決してゆく。恐らく家康は、自慢の将士の温存をは かって、不利と見れば、早々に三河へ引きあげ、そこで改五千五百。三段が筒井定次の七千。四段が羽柴秀長の七 千。五段には自慢の荒小姓と鉄砲衆の合計四千八百五十を めて和議を申人れて来るに達いないと判断していた。 おいて、次に旗下四千の中央に秀吉は馬をすすめ : 今度こそは位攻めが最も大きく物言うとき : 第七陣の後備えが浅野長政と、福島正則の千八百。 この一戦を鮮かに勝ち得たら、上杉、北条はむろんのこ 総勢六万二千百五十という大軍を、八万と称して近江か と、中国の毛利も、四国の長曾我部も、自然に秀吉へなび ら美濃路へひたおしに押し出した。 いて来るのは知れきっていた。 そして、大坂を出発して四日目の二十四日に、本陣は岐 それほどの家康ゆえ、池Ⅲ勝入や森長可だけでは、どう なるものでもないと、はじめから計算していただけに、そ阜城に到着し、その日のうちに第一陣は木曾川を渡って犬 山城と、その南方二十五町の五郎丸へ先行して、まずその の陣備えの仰々しさはかって無いものであった。 第一陣へは、木村重」加藤光泰、神子田正治、日根野威風で東軍を圧倒しようとしたのである。 弘就、同常陸、山田堅家、池田景家、多賀常則の合計六千 を先発させ : 147

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「あ : : : 」と、数正は、危く声を洩しそうになった。 「わかるであろう数正、秀吉をいつばいはめてやるのじゃ。 万一戦になるようたったら、その方がよいではないか」 「 : : : して、殿の方は ? 」 「これもいつばいはめてやれ」 作左衛門は、そこでまたグンと鼻を鳴らして、 「秀吉の方で大坂城へ出て来いという条件はひっこめた。 それゆえ、断わっては角が立ちすぎる。この縁談はまとめ ますると : : : 仕方がないゆえ、殿と家中の者はおれが欺 す。秀吉の方は他の者では欺せぬぞ」 「フーム」数正は思わす唸りを発して作左衛門を見返し た。それにしても何という三重、四重底の複雑な肚を持っ た男であろうか。 「その妹というのを貰うておいて、それからゆっくり駄々 をこねる。戦は避けるがの。すると天下の猫どもを、今よ り愕かせてやることは出来ようでなあ。そして、うまく尻 か納まらなくなった時には、殿も秀吉も知らぬこと。これ は数正、おぬしとおれとで引ツかぶればよいではないか。 どうせ二人たけは、まともな出世は望むまいと申合せた間 数正は、いっかそれに、不同意などは唱え得ない立場に 追い込まれて、 「なるほど、それは一つの手じゃ」 「それゆえ、早く諦めるなと申したのだ。秀吉の妹を抱き 込んで、それからひと騒ぎさせておいて、握り合う手はい つでも握れるからの」 「作左 ! おぬしはひどい男じゃなあ」 「なぜだ。この腹黒さも、早く天下を平定したいがゆえの 策略、われらはその人柱と思わっしゃい」 「そんな考えがありながら、散々この数正をじらしくさっ 「フン、それが順序だ。順序を踏まぬと、中々おぬしが呑 み込まぬ。よし、では決った。今日はこのまま帰って呉 れ。二人の話がうまく出合うたと思われてはならぬゆえ、 酒も湯づけも出さぬ」 「おう、分った。では、わしは、縁談の儀、確にまとまり ますると、大坂へ手紙を出すぞ」 作左はコクリと頷いて、それから荒々しい声で手を鳴ら 「数正が戻るそうな。玄関を出たら塩でも撒いて浄めてお 妻女がおろおろと入って来て、数正の方へ続けざまに頭 を下げた。 348

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い出し、信雄の機嫌を損じるまでもないと遠慮したのオ したがって重孝も酔わなかったし、津川義冬も酔わなか 「よいよし」 った。浅井田宮丸だけはすっかり酔って、時々、ふっと自 耨雄・はあっき、りと ~ いた 分の考えを口走った。 「今日はこのまま酒宴として、評定は明日から致そう。今 「ーー , ・困ったことでござるのう。このままでは船は山への 度こそは是が非でも勝たねばならぬ。それゆえ、その方た ばりまするそ」 ちは特に、筑前が軍略の弱味はいすれにあるか ? どこに 乗する隙を見出すべきか ? それらの事をこまかくきわめ しかし、それも周囲が酔っていたので、信雄の耳には人 て、みなによく聞かせてやってくれ : : : いざ開戦となれらす、とにかく三日は無事に済んだ。 ば、酒 , 宴もなるまい。ムマ日はこれから無礼冓として、上下 そして四日には当然重大な評定がある筈と、三家老はそ なしに過そうそ」 れとなく発言の順序などを相談しあっていたのだが、その 日も評定は開かれなかった。 あまりにあっさり言いかわされて、重孝はふと不安にな 正午すぎになって、 ( これは何かたくらんでいるのではあるまいか : 「ーー評定は明五日とするゆえ、本日は各自で、それそれ 意見を取りまとめておくように」 十三 奥へ人ったまま出て来ない信雄のもとから小姓頭が告げ 三日には、ついに何も言い出す機会はなかった。戦が始て来た。 まれば、それそれ定められた部署へ配置され、こうしてみ「こんどはお館も余程慎重のようでござるな」 んな顔の合うことはあるまい。それゆえ今日は無礼講で過控えの間で顔が合うと、津川義冬はそう言ったが、岡田 せと言われると、岡田重孝はじめ、他の二老臣も直接反対重孝は、そうは思わなかった。 は出来なかった。 「これは少々ばかり反対など申上げてみても、お聞き人れ 信雄が家康の援助を得て、秀吉と一戦しようとしているない証拠のように思えるが」 ことは既定のことだったので、敢て開戦反対のことなど一言 「いや、そうではあるまい。口先では取て反対せずとも、 つ、 ) 0 は ) 0 9 8

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入りし、予に大坂まで出て参れなどと無礼なことを申すの「予はな、秀吉が、何のために突然会見を申出たか、その 大坂まで出て参れと申せば、予を家来と思うている証心事を怪しむのじゃ。何か企んでいるのではないかとなあ 拠ではないか」 ・ : 大坂の築城が出来上れば、天下へ号令の支度は出来 「恐れながら : た。支度が出来れば邪魔になるのは、この信雄 : : : 信孝は 信雄の声が高かったので、津川義冬は、そっとあたりを亡く、三法師は頑是ない幼童なのじゃ」 見廻した。 重孝と義冬はまた顔を見合せて、それから固くうなすき 「それはお館さまの考え過ぎではござりますまいか。と、 合った。 申すのは秀吉めは、どこまでも清洲会議の決定どおり、三 法師さまを織田家の跡目と考えて居るゆえの、うかつな放 言であったのではござりますまいか」 どうやら信雄は、新しく出来上った大坂城へ使して来 「放言か、あれが、心にもないことを、うかつに言う秀吉た、この三老臣を疑っている様子に見える。 力」 そのことは、津川義冬にと、っても、岡田重孝にとっても 「はい。秀吉にはそのような軽々しいところがござります心外であった。いや、浅井田宮丸とて同じであろう。 とにかく秀吉は、 る。それゆえ、お館さまに、大坂表へ出て参れとは少しく 筋目が違いませぬか : : : そう申したところ、あっさりとそ「ーーー信孝どの最後の模様も伺いたいし、出来上った新城 れを認めて、この三井寺まで出て来て会見となったのでごもお目にかけたいゆえ、信雄どのに一度大坂城へやって来 ざりまする」 るよう、すすめられたい」 三老臣を通じ、書面で促して来たのであった。 「予にはそれが不服なのじゃ。三井寺まで出て参るほどな 信雄はこれを聞くと激怒した。父の信長が二十年かかっ らば、なぜ安土の城まで来ぬ。安土で三法師どの同席の さんたっ 上、話すべきことを話すが筋とは思わぬか」 てやりとげた仕事を、僅々一年の間に、簒奪し去った秀吉 信雄にきびしく言い張られて、岡田重孝と津川義冬は困が、ついに自分に臣礼を執らせようとして迫って来たのた ったように顔を見合せた。 と考えると、眼のくらみそうな憤怒であった。 5

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「分らぬお父上じゃ」 ざります」 「その考えを申してみよ。火を放って、われ等に何程の得「何じゃと元助 ! 」 「わしはお父上に背水の陣を布かせたいのじゃ。いや、そ があるのだ」 「父上は、こんどの敵を、光秀や柴田修理の場合と同じにれが事実いまの池田勢のおかれている位置なのじゃ。うし ろには負け戦を知らぬ筑前どの ~ 目冫ー 、『こよそれ以上に冷やか 考えておいでなさる」 「光秀や修理より弱いとは思うて居らぬが。強いと思う心 な徳川どの。その両者にはさまれて、土民の味方など恃ん は戦に禁物じゃ。それを臆病風とわれ等は言うぞ」 でいてどうなるものか。四周すべてこれ敵 ! その覚悟を うながすためにすすんで火を放った。悪いかお父上 : : : 」 「これはしたり、われらが軍略では、敵の強さを知ること は、臆病風ではなくて、用意のもとでござりまする。今まで 十二 はいつも筑前どのは位攻めで勝たれた。しかし今度はそう は行かぬ。しかも、筑前どのもまた敵を甘く見てござる」 勝入はしばらく呼吸をつめて元助を睨んでいた。まだ怒 「筑前どのがはく見ていたら、その方意見を具申したらよりの渦は胸にあったが、いまそれを元助に見せてはならぬ いではないか。火を放って土民の心を失う必要がどこにあという自制もあった。 るのだ」 冷静に聞いていたら、元助の言葉には一理も二理もある 勝人は冷静に理詰めでいったつもりであったが、元助ような気がする。 は、それだから話にならぬと言う風に頭を振った。 たしかに秀吉は負け戦を知らぬゆえ、他人には冷酷なと 「こちらから意見を上申して訊き入れる筑前どのと思されころがあった。家康の戦上手は充分に知っていたし、先陣 まするか。それこそ却って鼻の先で笑われて、すぐにも撃して来たわが勢が、そう易々と勝てるとは思っていなかっ 破せよなどと仰せられる。そうなったら、池田勢は敵の餌た。 《食じゃ」 それにしても、元助が言うような、放火までしてわざわ 「それゆえ火を放ったか : : : 分らぬ。そのような言い方でざ局面を悪くしてゆく必要がどこにあろう。 十 5 「納得出来ぬ」しばらくして勝入は吐き出すように、 124

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「かりにも家康が子を、この秀吉が、日本一の大坂に迎え 取って養子とするのだ。世間への聞えもあれば、充分に用かった。 意の上で披露したい。何日にお連れ下さるか、それだけ伺「隼人 : : : 」 うて立帰り、早速お支度を : : : と言うて戻れ」 秀吉は、あわただしく脳裏でその計算をつづけながら、 「ではもう一つ・ ノイと素直に自身で連れて 「そなたの考えでは、家康は、、 - 「、つるさいの、何じゃ」 来ると思、フかど、フじゃ」 と、、いとは反対のことを言った。 「その時に、家康どのご自身で送って来い : : : とは、 いでも宜しゅうござりまするので」 「恐れながら、その儀は : 秀吉はギグリとして、またわきを向いた。 「分るまい こなた達に分る筈はない。家康はな、心中で は、ああありがたいお計らいと、われ等に感謝するであろ 万一大坂城へ うが、家中の者の中には、それは無用心 ! 津田隼人の問は、いちばん鋭く秀吉の肚をえぐった。 赴いて、そのまま斬られでもしたら何とする : : : などと言 人質 : : : と言い出してあることを、養子に譲歩して折合 い出し、反対する者がきっとあろう。それゆえな、向うが う気になったのは、むろん家康を大坂城へ呼び出そうとす断った場合には、こう致せ。家康は病気で来れぬとなあ、 る下心があってのことであった。 よいか、病気も病気、大病じゃそ。それゆえ、治ったらば 家康さえ大坂城へやって来て秀吉に挨拶してくれたら、改めて参るという態にして養子の行列は軽々しくならぬよ 仮りに「養子」と名目は変っていっても諸侯はこれを「人う致して欲しいと、こう申せ」 「よく相分ってござりまする」 質」と解するに違いなく、その点では些かも秀吉の権威は 「もはや、ききたい事はないか」 損われない。 しかし、秀吉が「人質」を「養子」と譲歩し たにもかかわらず、家康は、。 せん大坂へやって来ないとな「伺いたいこと、すべて、肚に入ってござります」 「よし、では急いで行くように」 ると、人質を拒まれたのと大差ない不面目になってゆく。 そう言ってから秀吉は、何を思ったのか、 いま、津田隼人に「その通りだ」と答えたら、隼人はす くに「送って来ぬと言われた時は」と、きき返すに違いな 264

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そんな風に、、いで聞こうとしていないのがよく分った。 : ・と分っていながら、説かずに居られぬ立場の寧々であ 「朝日どの」 り、幸運すぎる寧々でもあった。 「ーー・政所さま、朝日どのは、食を減らして、そのまま日 「こなた様は、考えつめて居られますなあ」 向どのの後追うつもりではござりますまいか。侍女たちの 話によれば、殆んど食事を摂りませぬそうな」 「人間にはどうにもならぬ気持はあるもの。では、いっそ 寧々の妹で、浅野重継の妻になっているお彌々が、そっ わらわから上様に、こなたの思案を取次ぎましようか。わ と耳打ちして呉れたことがある。 お彌々に言われるまでもなく、寧々はその心配を、姑のらわはこなたを怒らしてしもうたような」 朝日は又チラリと視線を寧々に戻して、 大政所にもよく聞かされていた。 それでわざわざ居間を、大政所と寧々の双方から見張れ「無駄でござりまする」 と、沁み人るよ、つに吐自 5 した。 るよう、同じ局の間において、折ある毎に気を引立てよう 「無駄とは : : : 上様がきき入れぬという意味であろうか」 と努めているのであった。 「はい。上様は、もはや、昔の兄上様ではござりませぬ」 しかし寧々も女のことゆえ、自分の嬉しさ、得意さはっ つみ切れず、時々ふっと気がつくと、気性に任せて押しつ寧々はっとめて柔かく、 「それはのう、何と言うても関白という、重いご身分にな 日寸こすぎていることがある。 けがましい説彳 ~ らせられたゆえ」 今も、それに気付いて口を噤んだ。 「それゆえ : ・・ : 何も申しませぬ。お、いのままに : ・・ : でも、 朝日は出された茶を取上げて、ばんやりと動かぬ庭の青 病には勝てませぬ」 葉に視線を投げていた。 「ほんに、その躰ではどうなるものでもない」 夏瘠せ気味のせいもあろう、今まで、年よりずっと若く 見えたのが、急にふけて影が淡くなっている。寧々の言葉寧々はわざと抗わずに合槌打って、 を、 「何よりも健康が第一じゃ。 しっそ上様にお願いして、有 馬へ湯治にでも参りましようかなあ」 ( また始まった : : : ) 395