「そうでは、ないのでござるか」 それゆえこれは三河武士の用心じゃ。と、大政所に申上げ いかに 7 も」 し ゃい。三河武士こよ、、 ~ 。しつでも一分の隙もない。 「では : : : ご老人のご一存か」 かし向うに他意がなければたたの寒さよけ : : : ちっとも案 「その通り」 ずることはないであろうが」 「それはいかん ! それならば、あのような無茶なことは 「作左どの」 「なんじゃ、不服らしい顔をなされて」 「お身は、、 「兵部どの、殿ならばよい事が、作左ならばなぜいかんの しささか狂って′」ざるそ」 じやな」 「ほう、兵部どのには、そう見えるかのう」 「これは、ご老人の言葉とも覚えぬ。殿がご承知ならば、 「用心ならば殿があれだけの軍勢を連れて行かれた。それ 関白から何と苦情を言い出されても心の用意があろう。がで充分の筈じゃ、殿の命令ならば格別。威風を見せて、おた 突然では申開きはあるまい : : : 大政所を焼き殺す : : : 殿のやかに話合おうと考えておわす時、このような常識はずれ 不利が見一えるよ、フじゃ」 の暴挙で難詰の種を与えては、殿のご迷惑と思わぬのか」 「默らっしゃい」 「田 5 わぬのう」 「なにツ、黙れとは、ロが過ぎよ、つぞ」 「思いがけぬことで、狼狽なされたら、それが談合の邪魔 「過ぎぬ、黙らっしや、 し」 になるとは考えぬのか」 作左は同じことを繰返してから、 「青い」 「この城の守備を考えるはわしの役目じゃ」 「なにが青い」 「大政所のご接待はこの直政の役目じゃ」 「井伊兵部少輔直政、くちばしが青い」 「フン、 「それゆえ、すぐに焼きあげるとは言わぬ。秀吉が殿に怪 いよいよ老人の頭は狂うて居るわ」 しい振舞いをしたら焼くと言うのじゃ。おわかりか : ・・ : 旅「いや青い ! 」 の途中で怪しい振舞いを仕掛けるようならば、すぐに攻め と、作左衛門は、視線をそらして庭先から灰いろの空を 寄せる怖れもあれば、城内から内応者の出る怖れもある。 見やった。 20 つ
「そうか。すぐにここへ案内せよ」 座を、無言の動揺がおしつつんだ。 家康の言うのと、大政所が身をのり出すのとが一緒であ 「よいわき、」 と、大政所も、少なからずあわてながら、 「あの、朝日が着きましたとか。それはそれは、まあまあ 「したが、いまは安心したぞえ。朝日の間違いじゃとよう : こう言うているのじやからよいではないか。 わかった : 朝日姫の方でも同じ思いだったと見えて、みなが平伏し のう婿どの」 家康は笑いながら頷いたが、これもちょ 0 と度胆をぬかて迎える形をとりながら、その実、一様に疑惑の眼を光ら している中へ、まるで何かに憑かれたもののような姿で駈 れた形であった。 けこんで来た。 ここまで開けひろげに話されると、却って無気味になっ 「おお朝日 : ・・ : 」 て来るのも人間の弱みらしい。 「母上さま ! 」 人間に陰謀はっきものと考えている本多正信など、明ら もうあたりはほの暗かったが、叫び交した母子の眼に、 かに警戒心をかり立てられた様子で眼を光らしだしてい 見る間にきらめく露だけは、誰の眼にもハッキリと見てと る。 「のう婿どの、何も彼も正直に話し合うての、親類は仲よれた。 くせねばならぬぞえ」 本多作左衛門は、 取乱したと言えば、これ以上に取乱している姿はない。 ( これで、湧きかけた和気も帳消し : : : ) いきなり重臣の前を駈けぬけて、老母に抱きつく朝日姫 そう計算しながら、これ以上脱線せぬようにと秘かに祈 っこ 0 と、それを擁しておろおろと泣く老母と : 折よくそこへ大久保平助が、奥方朝日姫の到着を告げて「朝日 : : : 」 「母き、まー・」 来たので、みんなの関心は焦点を変えていった。 しかし考えようによれば、これほど哀しく、これほど切 「ただいま、浜松より御台所さまご到着にござりまする」 つ ) 0 ~ 93
そう言ってから、じっと天井を睨みあげて、 「では、城代もああ申しまするゆえ、忠次、これにて盃を 「あの、怒らぬところが油断ならぬそ。いよいよ怪しい証 お預り申しまする。いやはや、もうちっと座が賑わうかと しろいろ胸中に拠じゃぞ」 存じましたが、そうはゆかぬものらし、。、 自分自身に言いきかせるように呟いて肩を揺った。 ご思案がおありと見えてな」 「なんと仰せられる」 四 「いや、なに、まだ主君家康がお目にかかる前なれば、み なさまご自重と相見える。あつばれでござる。われ等もま 本多作左衛門は、黙って燭台の灯のゆらぎを見つめてい なばねば相成りませぬ。では、明夜まで、お預りを : : : 」 る。彼は酒井忠次ほどに単純ではあり得なかった。 「お先に」 このような接待ぶりでは、こちらの感情は相手へ筒抜け もはや完全に座はしらけた。 に見すかされ、やくたいもない田舎侍と笑われるだけとわ しかし、それはしらけさせるための作為が、あまり露骨 かっていた。 に見えすぎているので、却って怒気をそがれる結果になっ しかも尚お、忠次を制そうとはせず、自分もまたわざと こ 0 皮肉を言い添える : : : が、その実、彼の思案は忠次とは全 「さらば、お先にご免を蒙る」 く違ったところにあった。 「お先に」 「作左」 浅野長政を先頭にして、使者たちが若侍にみちびかれて 忠次は作左衛門も自分とおなじ意見なのだと信じこん 立ってゆくと、忠次はひょろひょろとそれを見送り、 「だめじゃ。六、つばり , じや作 ~ 左」 「あれでも怒らぬ。いよいよ怪しいであろうが」 置物のガマのようにむつつりと坐っている作左衛門のそ「そうじゃなあ」 ばへ戻って来て舌打しながらあぐらをかいた。 「わしは、今だから打明けるが、はじめから考えあって両 「怒りくさらぬ。怒りおったら、滅茶苦茶にしてやろうと家の縁組に賛成を装うたのじゃ」 「装うた : 思っていたが、怒り帰らぬ : : : 」 : と一一一一〔わっしやるのか」 で、 141
見入った。 を深めてい それなり姫は、新御殿から戻って来ず、途中で老女が二 度容態を祝宴の席へ知らせて来た。 彼等がそれそれの立場から、どのような感情を抱こう 気はついたが熱は高くて起き出し得ない旨を告げて来たと、この哀れな朝日姫と家康の再婚は、民衆にとって一つ のである。 の勝利でなければならなかった。 当然それで祝宴はおひらきになるものと、大坂から来て家康はそれを感じているのかどうか。 いる女房たちは思ったらしい もし感じているとすれば、これは二人の間を寿ぐ祝宴で 「お見舞い下されましようならば、仕合せに存じまするはなくて、歴史の前進に一点の光を見出す、勝利のための 力」 祝宴に通するものだが : 伊藤丹後の母が二度目にそっと囁いたが、家康は、 織田有楽が、扇をとって舞いだした。 「案外、やわな出来よのう」 彼は、この婚姻の意味するものと、朝日姫の哀しい宿命 そう言っただけで、席を立とうとしなかった。 とを最もよく知る者の一人であった。 この事は、附いて来ている大坂方の女たちをひどく不快 そもそもこれは唐の太子の賓客白楽天とはわがことな にさせていったし、徳川家の家臣たちをも憤激させた。 「祝言の夜ではないか。少し位の不快を言いたてて引籠る さても是より東に当って国あり名を日本と名づく とは我儘千万な」 急ぎ彼の土にわたり 日本の智恵をはかれとの宣旨に任せ 「いかにも、今からこれでは思いやられまする」 ただ今海路におもむき候 : 家康はそうした言葉が耳に入っても、別に姫のために弁 護もしなかったし、女たちに家臣の感情の説明もしなかっ この場合却ってそれは双方を昻ぶらせる結果になる。 宴は、双方にけわしいものを秘めたままで、次第に酔い 136
ない不枠者で : ・・ : 」 ところでござりまする」 木の実のすすめる座布団を膝の前にして、茶屋は丁寧に 四 一礼した。 ここでも茶屋四郎次郎は、妙にちぐはぐな狼狽に心を刺 「いや、いまその不粋者の話でのう茶屋どの。誰がいった された。 天下一の不粋者であろうかと、その品定めをやりなが ら、石見どののしらべを聞いていたのじゃ」 ( 蕉庵どのが太鼓の稽古を : : : ) その事ではどこかでホッとしていながら、その和気の中「これはいよいよ恐れ入りました。さしすめ、それは私で へ全く違った空気を運び込もうとしている自分がやりきれござりましよう」 よ、つこ 0 すると宗易の娘で、いまは万代屋宗安に嫁いでいるお吟 「ど、フぞこちらへ」 が、明智の方を見やってホホホ : : : と笑った。 手代は長い廊下を次第に太鼓の音に近づいて、 明智の方は、茶屋を見てハッとしたようだったが、すぐ 「京の茶屋さまをご案内申上げました」 冫顔いろは平常にもどっていた。 すると太鼓の音はやんで、代りにドッと明るい女たちの 恐らく、過去の記應にある人と似ているがそうではない 笑いであった。 と、思ったのに違いない。 「茶屋どの、さあお人り下され。何も気遣いのない方々ば 「これ、そのような時に笑うな」 かりじゃ。わし迄、若い女子衆に混って、太鼓の稽古での と、蕉庵が言った。 「茶屋どのは、ひどい羞かみ屋でのう、気になさる。 「これはご無沙汰致しました。折角おたのしみのところへ しいえ、別にもうその点では、極め付きの不粋者ゆえ一 「まあまあ、固苦しい挨拶はぬきにして、さ、木の実、こ 茶屋が言いかけると蕉庵は手を振った。 もっ のおじさまも仲間にしよう」 こなたなどではない。 「それはのう、もう決ったー 「恐れ人りました。風流だの、芸ごとだのとは、全く縁のともっと大物じゃ」
る。その辺、、 しささかなりと、お耳にせられなんだかの」 「いっこうに聞いては居りませぬが」 「むろん日本人が奴隸として他国へ売り渡されているのを茶屋四郎次郎は、なぜともなしにゾーツとした。ひどく 知った怒りもあろう。が、関白の家来であるべき大名が、誠実らしく見えたかと思うと、すぐまたこの薄笑い 切支丹の檀那となってそのような悪業の片棒をかつがせら怒ったかと見れば泣き、傲岸かと思えばひどくへりくだる。 れているというのは、関白としてたまらぬことであろう。 ( これはふしぎな七つの顔をもったお人じゃ ) そうは思われぬかの」 そう思うと、茶屋はまたあわてて正信の真意がどこにあ 「それは、あのご気性ゆえ、たまらぬことでござりましょ るかを追いかけてみなければならなかった。 うなあ」 秀吉が、正信の言ったように切支丹の信仰に制限を加 「と、言うて、一方、信仰のことまで彼れこれ口を出されえ、伴天連たちを国外へ追放したとして、それがいったい る大名衆の不満もまた少くはあるまい」 徳川家に何のかかわりを持っというのであろうか ? その 「仰せのとおりで」 辺のことになると茶屋はまた、雲を掴むような疑間の中に 3 「わしがこなたに気をつけて居て頂きたいのはその辺りの投出される。 ことなのじゃ。前例は幾らもある。一向宗徒のさわぎ、日 と、すぐまた、それを正信の眼は敏感に映し取った様子 蓮宗徒のさわぎ・ : これは信長公も、われ等の主人も散々であった。 苦い経験を嘗めさせられて来ていることじゃ。その同じこ 「そのお疑いはもっともじゃ」 とが、関白の治世にも起りつつある : : : と、すれば、これ さながら茶屋が、それをすでにロにしたかのような推断 はわれ等として、決して見のがしてよい事ではない。おわの仕方で正信は声を低めた。 かりかの茶屋どの」 「お館やこなたの言われるよう、徳川家が、つねに関白 正信の頬にはまた、第四の笑いが薄気味わるく浮き上っを、日本のためという大きな善意を踏まえて監視してゆく ていた。 とすれば尚更のことじゃ。つねに相手の持っ : : : 或いは将 来持っことのある敵に対しても、充分に眼が行届いて居ら
て、何を命するのでござりまする」 茶屋四郎次郎は、次第に自分が観察者の位置から身をす 「さして命するがほどのことはござりますまい。女子とい べらしてゆくのを感じた。 うものは、九分九厘まで、男の手がつけば寵を争うて常軌 ( かようなところで、怒ってみたところで : : : ) を逸してゆくものじゃ。それだけでよい。それだけでの」 そう思いながら、胸のむかっきは押え得なかった。 「と、たけでは、まだ腑に落ちませぬ。それからどのよう 「すると、その持ちかけ方なり、周囲の空気なりは、本多 筋道はひらけてゆくので」 どののお手で別に作り出される。それゆえ、この茶屋に : やつばり、わしの思案には追いつけぬと見えは、浅井の姫と張りあえるような嫋女をご奉公に : る。そうなった時に、それ、美しい若者を浅井氏の側に侍かように仰っしやりまするので」 らすのじゃ。しかし、これはそこ許の手には及ぶまい。 「おわかりなされましたかの」 に人を選んでやろう」 「よく、わかってござりまする」 「なるほど、すると浅井の姫は、その若者と不義をする : 茶屋はすかさず調子を合わせておいて、 : そんな淫らな性質をもっている : ・・ : と、こうご覧なされ「しかし、これは、お引受けはなりかねまするようで」 まするので」 そう答えた時には、自分で自分の唇がゆがんでいるのが : 茶屋どの、そこが少し違うたの。世の中にかくよくわかった。 べっ淫らな女子だとか、特別操正しい女子たとかがあると 本多正信はニャリとした。かさにかかって何か言い出す お思いなさるな。女子は女子、男は男じゃ。周囲の空気、 : そう思っている茶屋の気負いをあっさりとかわして、 持ちかけ方、それに、決った男への不満があるかないかで「お引受け下さらぬと言われる。そのわけをお洩し頂けよ すぐに常軌を逸してゆくものよ」 、つかの」 そう言うと、正信はまた眼を細めて茶屋の反応を待っ と、意外なほどに神妙だった。 「そのわけは人間の性根にかかわることかと存じまする 力」 「性根に・ 五 386
りかねぬ。おそろしい士風でござるこれは : 今から世の中に引き出して、人になれさせておかねばなら 「いや、心強いことで」 ぬ」 茶屋四郎次郎は、ようやく一座の圭角がとれて来たの「人になれさす : : : まるで暴れ馬のようなことを仰せられ で、ホッと大きくため息した。 る」 「わしも、ただ、そうしたことを耳にしましたゆえ、不意「暴れ馬ではないと思うのか。その方たちに乗っている 打ちではと存じていらぬことを申しましたようで」 と、どこへ突っ走るかわからぬゆえ、わしも仲々無心にも 「松本どの」 なれぬわ。のう茶屋」 はい。これでもうすっかり安堵を」 家康はそう言うと、破顔して小姓を呼び、 「いらぬことではござらぬそ。わざわざご下向下された値 「湯づけの支度を」 : いざ 打は充分にござった。少くともこの彦左衛門には : と、みんなのために命じていった。 と言えば殿は北近江に、ご老体は清洲から岐阜までおいで 九 ある気とわかったからの」 「そう仰せ下されば、わしも面目が立ちまするが」 湯づけの接待をしてくれると聞いて茶屋四郎次郎は、急 「そうなれば、この彦左はさしずめどこまで出て行くべき に空腹をおばえていった。 か。やはりこれは大坂城までまっ先に乗りつけねば相成る そう一言えば、すでに八ッ ( 午後二時 ) を過ぎようとして まいて。ワッハッハッ、 ノ : : : おかげで、覚悟が決まりまし いるのに、今朝から何も食べていなかった。 たわい」 熱心に情報の交換を みな昼食はぬきにして、とにかく、 「平助」 しあっていたのだ。 「では、殿のお、いはもう動かぬか」 家康は笑いを納めて、 ポツリと作左衛門が言い出すまで、茶屋はもはや話は済 「こんどの上洛にはその方も伴うことにしよう」 んだもののような錯覚を起していた。 「一番乗りをさせて下さりまするので」 「動かぬ。が、案ずるな。また関白はそのような無理は言 「そうではない。作左の頑固さに手を焼いたゆえ、そちは 376
「なに、五十歩百歩だと」 家康が立つものか。作左 ! よくこのことを心に刻みつけ 「さよう、有、いは無、いに通じ、無、いはまた有心、そうであ ておけ」 「フーム」 ろうがご老体」 「ただわしがお愛の生き方に訓えられたと申したのは、こ 「禅坊主のようなことを言うな。人間には最後まで闘志が : には、どのような堪忍もしようと申した の日本の為め : ・ なければならぬ。闘志第一と申上げたのだ」 のじゃ。この堪忍をそちの申した闘いに置きかえてもよ 「その闘志は、しかし : い。のう茶屋」 と、彦左衛門は生まじめに茶屋を見やって、 「天下第一等のことのために燃やす闘志でなければ匹夫の 「しかし、関白もまたわしと同じお志 : : : それゆえこれ勇になる。そこでご主君は天下第一等のこと以外は心にか は、今とやかく申すことではない。人事は尽してある。そけぬ。つねに無心でいようと仰せられている」 れゆえ無心に祝儀に参ろうと申している。国替えなど匂わ「平助 ! 」 したら、それは国の不為めとたった一言でよい筈じゃ。そ「まだお怒りかご老体は ? 」 うであろうが平助」 「お手前、この年寄に説教する気か」 「説教したとて、聞くご老体ではない」 「では、いまの能書、誰に向って申しているのじゃ」 「これはしたり、独り一一一一口で、こざる。ひとり一一一一口とい、つもの 家康に話しかけられて、彦左衛門はニャリとした。よう やく彼にも、家康と作左衛門の話の奥に、何があるかがわは、大体自分の納得のために申すもの : : : これ、相わかっ たか平助 ! 」 かりかけた。 自分に向ってそう言うと、彦左衛門はニャニヤしながら 「すると要するに : と、彦左衛門は、双方を押えるような身ぶりでロをひら茶屋の前で手を振った。 「松本どの、これでござるからの。関白が、うかつなこと など口になさると、蜂の巣を叩きこわしたようなことにな 「殿の仰せも、年寄の話も、五十歩百歩のようで」 375
「フン、何の腹も痛まぬ鼻薬だからの」 「聞いて居られたのならば、作左の意見を申述べまする。 「それに或いは、長丸さまにも、叙位のうえご元服のこと作左は、ここで祝儀など申しに、わざわざ上洛はせぬがよ など」 いと存じまする」 「なるほど、於義どのが秀康と関白の名乗りの秀の字をお「なぜじゃな」 し頂いている。長丸君もそうなろうのう。いずれにしろ、 「相手は、あれこれとカラ恩を売る気なのじゃ。秀吉など 腹の痛まぬカラ恩売りじゃ」 に権大納言も中納言も頂くには及びますまい。自分の腹は そう言ってから作左衛門は、傍の彦左衛門に向っていっ 少しも痛まぬのじゃ」 「作左」 「平助、殿を起せ。われ等のことではない、 , 御家のこと 「なんでござりまする」 「こなた、大納言が肩に重いか」 そう言われると彦左衛門は、家康の耳許に口を寄せて、 「これは妙なことを言わっしやる。秀吉などにそのような 腹の痛まぬ恩を・ : ・ : 」 と、途方もない声で怒鳴った。 「待て作左。向うも腹は痛まぬが、こっちも貰ったとて貰 わぬとて、さして邪魔にも重荷にも成らぬものじゃ」 「と、言わっしやると、殿は行く気じゃな」 「そうじゃ」と、家康はあっさり頷いて、 家康は、そっと眼を開いた。眠っているのではなく、か と言って起きているというのでもない。 「秀吉だの関白だのとこだわるな。日本のために九州が片 みんなの会話はそのまま聴覚を通って来ているのだが、付いた。そのお祝いを禁裏へ申上げに行く : : : ただそれだ けのこと」 それに感情をかき立てられることはなくて、充分休養はと っているという、ふしぎな近ごろの仮睡のとり方だった。 「そうして、そのあとでぬき差しならないように圧えつけ 「殿 ! みなの話をお聞きなされましたか」 る。茶屋の心配が殿にはおわかりないと見える。もし国替 「おお、あらかた聞いて居る」 えなどと言い出されたら : : : 」 368