「フンとは鼻の尖で笑うた笑いじゃ。内助の功など、おぬ しに説かれずともわかっているわ」 「いやはや、小理窟の多い年寄りじゃ。それをわすれて、 「本当に眠ってしまった様子じゃの」 この彦左が小理窟を申すなどと : 作左衛門が言うと、彦左衛門はホッとしたように、 「されば、ここもと、西郷の局の仏事などで、いささか気本多作左衛門は、もうそれには取合わずに、茶屋四郎次 郎に向き直った。 疲れなされておわすゆえ」 茶屋はハッとしたように白扇の手をとめて、何を訊かれ 「彦左」 るのかと待受ける構えになった。 「なんでござる」 作左衛門はそれにも「フン」と一笑を投げておいて、 「やはり、殿は、ご落胆なされておわすか」 「殿が眠っているほどゆえ、案することもあるまいが : 「ご落胆なさらねば人ではござりますまい」 と、声を落した。 「小理窟を聞いているのではない。身にこたえておわすか 「仮りに関白に国替えの下心などあるものとして、殿を大 どうかと聞いているのだ」 「これはしたり、小理窟など申しているのではない。身に坂表へ祝儀にやったとしたら、いったい関白め、どのよう な扱いをすると思うぞ」 こたえぬ筈はなかろうと : : : 」 「さればでごギ、りまする」 「それが小理窟じゃ。こたえようにもいろいろあろうが」 茶屋は、家康の呼吸をはばかるように、 「いろいろとは、どのよ、フないろいろでござる」 「呆れた男だ。骨肉の疲れか、心の打撃か、それが傍で見「道々、あれこれと考えて参りましたが、関白はあのご気 性ゆえ、恐らくこんどなどは只々隔意なく、叙位任官のこ ていてわからぬのか」 となどお取計らい下さることと存じまする」 「それならば双方でござる。何しろ西郷の局ほど、黙々と 「なるほどの、つ」 しながら内助なされたお方はござらぬゆえ」 「もはや於義丸さまが三河の少将、それゆえお館さまには 正二位、権大納言ぐらいのことは : 「フンとは何でご、さる。ご異存がごギ、るのか」 367
かの」 秀吉はまた暫く口をつぐんで狭い茶室の中を見まわし : とも申た。 「されば : ・ : ・六十万とも言われ、百万を超えた : せ亠よー ) よ、フか一 今日は、利休の剪らせて作った竹の花入れに朝顔が一輪 「はう、百万か : : : むろんその中には士も商も農もエもあ紫いろの唇をひろげ、そのわきに生島の虚堂の墨蹟がかか るわけじゃの」 っている。 「仰せの通り、それゆえ、作ろうとすれば、どの地にどの茶碗は利休の指図で焼かせた長治郎の新作であった。 ような大寺院も造り得るわけでござりまする」 「すると、結論はこうなるの宗室。つまりこの秀吉はとに 「大寺院が造れるということは、巨城も造れるということ かくとして、この地で新しく領主となる者は、切支丹を信 じなければ信者の一揆は防止出来ないということに : 「はい、現に、南方諸地域へ、それも出来て居りますよう 「まず・、、よ、フなことになり・、よしよ、フか」 「若しもそれを弾圧すれば一揆が起る。一揆がおこった節 に、切支丹が領主の味方をするかそれとも信徒の味方とな 3 「まだ日本に出来ぬのは、大名どもが心からの信者ではな るか : : と一一一口、つ一とか」 「はじめは交易の利 : : : それを得たくて入信を装います「それは一向一揆で、充分ご経験済みのことと存じます る。ところが次第にそれはまことの信仰に変りましよ、フほる」 「一向宗は、本願寺と談判すればそれで済んだ。が、切支 「なるほどのう、かって戦乱の時代には一向宗の城域へ遁丹の総本山は日本にはない」 「されば : げこんだ百姓や流民たちが、やがて一揆の勇ましい戦士に なっていったわ」 と、言って宗室はかすかに笑った。 「それゆえ、一揆の起らぬような、立派な御治世を作られ「そのように理を追いつめて参りますると、宗教の違う ますれば、少しも意に介することはない筈でござりまするた、いかなる国とも交易は出来がたくなりまする」 「仮りにじゃ。笑うな宗室 : : : わしはそれほど小胆ではな
「されば、彼等を、まことに喜ばせようとの思召ならば、第一と評されている宗室。その宗室の言葉だけに秀吉もす 殿下おんみすからデウスにひざますかれ、政治をあげて彼 ぐには次の問いが発せなかった。 等の教えのままになさるより他には : 「双方から、相反した命令が同時に出てみなければ去就は 「なに、政治も彼等の教えのままに ? わからぬか : : なるほどの、フ」 「はい。そうせずば、彼等はいっか殿下を異端となすこ 「恐れながら、故右府さまも殿下も、その点では少々虫が と、南蛮各地よりの事情に徴して明らかと心得まするが」 よすぎましたようで。信仰と政治は別 : : : そうした何の訓 「宗室 ! 」 練もなさらずに、勝手に布教をお許しなされた。当然その し」 揺り返しは参るわけで」 「すると、わしがデウスの家臣にならねば満足せぬと言わ 宗室は事もなげに言って、静かに茶碗へ手をのばした。 れるのか」 十 「仰せの通りにござりまする」 「ではたすねるが、当今切支丹を信ずる大名どもの数も多秀吉は、しばらくじ 0 と宗室を睨むように見返して、 い。彼等は心底ではデウスの家来であってわが家臣ではな いと申すか」 宗室の言葉は、今ごろまで切支丹に対して何の対策も持 「殿下、それは難題にござりまする。宗室はご覧の通り商っていなかった秀吉のうかっさを詰るように耳にひびい 人あがりの一介の数寄者 : : : そのようなことは、切支丹のた。 命令と殿下のご命令とが利害相反したまま、同時に発され ( 南蛮との交易を望む以上、充分それは考えておかねばな た時でなければ判明致すことではござりませぬ。仮説のおらぬこと、それを今更 : : : ) たすねは迷惑に存じまする」 相手が落着きはらって茶を楽しめば楽しむほど、無言の 詰問は胸に痛い。 と、秀吉は言葉を切って茶を喫した。 そこで秀吉は、 がらりと口調を変えていった。 頑固者ーーーというよりも、恐らくその胆の太さでは九州 「そもそも、この九州での、信徒の数はいかほどであろう 326
「そのようなことを、誰が目論んでいたのでござります「新左」 し」 「いや、噂じゃ。居士も蕉庵どのも : 「おぬし達はの、堺衆が、石田さまはじめ、側近の方々 「それは、あなた : に、あまりよい感情を抱かれて居らぬのをご存知か」 「さあ : : : とんとそのような儀は」 違いましようが : ・・ : そう言おうとして、しかし曾呂利は 口をつぐんだ。相手がいよいよ真剣な表情で曾呂利の耳へ 「これは将来、きっと堺衆の不幸になろうぞ。堺衆は、 何と言うてもたかが茶堂を預る同朋じゃ。生きた茶道具 口をつけて来たからであった。 じゃ。五奉行に睨まれては行先が案じられる」 「新左どの、おぬし証人になって下され」 「今のお言葉を、居士がお聞きなされたら何と申されま 「証人に 「そうじゃ。弟は殿下が九州からお帰りなさる前に亡くなしようなあ。生きた茶道具という一一一一〔葉を : : : 」 「それゆえ困りものじゃ。人間は、おのれを低くしてすす : この宗 つ、つ 0 、、、、 カ亡くなる前に、お三さまはわしが : むところに怪我はない。喬木には風の当りが強くなろう 安が、ちゃんと離別してあったとなあ」 ぞ」 「なぜ、そのような証人がいるのでござりまする」 「いや、たとえ噂にせよじゃ、いちど殿下のお目をつけら曾呂利は額をたたいて舌を出した。 れた女子衆 : : : そのような女子衆と添わせておくはおそれ ( いやはや、こんな堺衆もいらっしやる ! ) 多い。それで死ぬ前に、ちゃんとご遠慮申上げたとなあ」 五 「それを、この私が、殿下に申上げるのでござりまするか」 「こだは頼まぬ。わしはのう、いっか又、こなたの力にも 少くとも堺衆は、新しい日本の眼であり窓であろうとし なる男じゃ」 て誇り高く生きて来た。 「ふーむ」 と、言っても、むろんこの世に武力や権力は不必要など 曾呂利が、さじを投げたように呻いてゆくと、宗安もムと、思いあがった逸脱をして来ているわけではない。 言わばこれは信長に矢銭間題で痛めつけられて以来の、 ッとしたよ、つだ。 288
積んで来たらしい淀屋船の渡し板を駈けわたって、 「船頭どの、ご存知の曾呂利でござる。御用の戻りじゃ。 頼みまするそ」 ホンとうしろから一屓を 胴の間へ飛び込もうとした時に、 : 叩いたものがある。 「あ ! びつくりさせなさる。ご覧なされ、おどろいた拍 子に、刀が鞘から川の中へ泳ぎ出すところでござったわ」 ほんとうに一、二寸鞘走った柄頭をパチンと叩いてふり 「ほう、蕉庵どのをお訪ねなされた帰り道か」 返ると、そこに立っているのは、これも秀吉の茶道衆の一 宗安は空とばけて、 人万代屋宗安だった。 「おおこれは宗安さまで。ご舎弟さまのご病気はいかがで「蕉庵どのにも久しくお目にかからぬが、相変らずおたっ しやであろうな」 、こざりまする」 と、誘いかける。 宗安はそれには答えず、 ( 油断の出来ぬ男だ : : : ) 「新左どのは又、北の政所さまのお使いかな ? 」 曾呂利は生まじめに頷き返して、 と、意味ありそうに笑っていった。 「さようでござりまするか : : : それはそれは結構でござり 宗安は万代屋の店の方は弟の宗全に譲っている。その宗 全のもとへ嫁いでいるのが今日蕉庵のもとで話の出た利休まするなあ」 居士の養女のお吟であった。 言いながら帆柱のそばに坐った。 「ご舎弟さまがひどくお悪いようなことを伺いましたが : 蕉庵どのはおたっしやかと、訊ねたのはわし の方だわ新左」 : ? それではこなた様が、蕉庵さまをお訪ねなさ 「どこで聞かれた ? 」 ~ い、あの : : : 蕉庵さまの : : : 木の実どのに途中で行きれたのではござりませんので」 うて」 曾呂利があわてて語尾を濁したのは、この宗安だけが堺 衆の中では、ちょっと気のおける存在たからであった。 「あれはーーーー石田治部さまの間者になってしもうた」 そんな噂が立っている。それで曾呂利は警戒したのだ : 284
家康はそれでよいのだと思っている。それぞれ違った欠 わって、そうなっていることを知らせてやれ」 言いながら家康は、思わずホッとため息した。聞くべき点を持つ者は、互いに牽制もし合うがまた磨き合いもする ものだった。 ものであった。ここに住居も建てずに朝日姫を京へ移した 「誰が病人とはおかしなことを仰っしやりまする。ご存知 ら、それこそそれは追い払ったことになってゆく : ・ : ・ ないのでござりまするか」 五 「知らぬの。誰が病気じゃ」 「西郷の局にござりまする」 長松丸はもう一度几帳面に一礼して出て行った。どこ か、覇気の不足を想わす歯痒ゆさの裏に、妙な冷静さと頼彦左衛門は頬をふくらましてそう言うと、 「それゆえ若君も心細くおわしましよう。ご生母は患わ 母しさも感じさせる。 れ、義母の御殿は建てて貰えぬ : : : 」 ( これからの世は、この子でよいのかも知れぬ : : : ) 長松丸と入れ違いに大久保彦左衛門が入って来た。いぜ「ふーむ」 んとして彼の表情には不満が大きくあぐらをかいている。 「と言って、あの行儀のよいお育ちゅえ、不平は仰せられ 「平助、こなたも長どのに智恵をつけたロじゃな」 ず : : : お館さまはご存知なし : 彦左衛門は聞えぬふりをして、 「平助」 「今年は病人にはこたえる気候でござります」 「なんでござりまする」 「なに。病人 : 誰が病人なのじゃ」 「もの言う時はな、もう少しわかりよう申すものじゃ。御 彦左衛門は、この駿府の城内に住まうようになってから台所の御殿は建てると申した。あとは西郷の局か : : : お愛 は、お側衆の一人にあげられているのだが、甥の忠隣とは の加減がわるいゆえ、見舞うてやれとこう申すのか」 違って、どこかに圭角があり、つとめて本多正信を避けよ 「いいえ、そうは申しませぬ。それでは主君に指図したこ うとする風があった。 とに相成りまする」 「フーム。なるほど、そうなるかの」 正信の才子じみたところが性格的に反撥を感じさせるの であろう。 「ご主君に指図はなりませぬので、時々ひとりで愚痴を申 257
はガラリと空気が変ってゆく。恐らくここで、秀長の養子ら国許へは帰れまい : : : その感情が胸いつばいに波立ちだ などにされて戻ったら、岡崎でも浜松でも、裏切者か密偵した。 家康はとみると、しきりに大きく頷きながら聞いている。 のような扱いを受けるに違いなかった。 「どうじゃ。芽出度いことのついでじゃ。もう一つ、この 果して家康は何と答えるであろうか、と、急に胸が早鐘 秀吉を喜ばさぬか」 を打ちたした。 「仰せながら : ・・ : 」 「わしは座興で申しているのではないぞ」 と、秀吉はまた言葉をつづけた。 こんどは家康はじりじりする程鈍重だっこ。 「じっと新太郎を見ていたのじゃ。二十八日の猿楽の折な「仰せながら : : : 何か、都合のわるいことがあるのか」 ど、辰の刻に始まって燭をもって終る。その間全然太刀を 「いかにも。彼が父元忠は、わが家相伝の譜代にて、時に 傾けもしなかった。膝も鉄なり肘も鉄なり。これは心も鉄は、わしの命でも、腑に落ちねば聞き入れぬ頑固者にござ あだな かねひじ りまする」 の証拠じやからの。これからは綽名を鉄肘の新太郎と言う 「ほう、では、この秀吉の申出でも、お身からは命令は出 がよいわ。どうじゃ、承知して呉れるであろう」 来ぬというのか」 「それはありがたいことながら : ・・ : 」 「と、語尾を濁されるな。宰相が娘はこの秀吉の姪、婿養 「よし、では、元忠をこの席に呼んで貰おう。わしが直々 子として家を継がせようというのじゃ。さすれば或いは、 、、まかに男子はあった筈じゃ」 新太郎の方が、忠次や康政よりも官位は上になるやも知れ所望しよう。元忠はたし力を 「はい。それはごギ、りまするが」 ぬが」 「よし、誰か呼びにやって呉れ」 新太郎は再びカーツと胸のうちが熱くなった。 いわれて家康は、楙原康政をかえりみた。 , に問いかけているのだから彼のロを出すべき 相手は家康 , 「殿下の御諚じゃ、康政 : : : 」 ところではない。 しかし、十七歳の新太郎が、最長老の忠次や、康政など家康が、即答しなかったので一座の空気はちょっと白け より上席を占めることなど思いも寄らず、もしそうなった 6 」 0 22 ノ
それだけに、彼は、彼自身のことで秀吉が、秀長の京邸そ。左衛門督は従四位下とある。、い得ておかっしゃい」 「十キッ でロ走ったことと、秀長の姫を連れ出し、すぐに又退がら せたおりの話を忘れかけていた。 「それから、康政はの」 「よッ ところが 二十八、九の両日を大坂で過し、三十日再び京へ戻って「式部大輔に叙任せられる。これは従五位下じゃそうな」 みると、なるほど内野の聚楽邸内に、家康の宿泊所が出来「ありがたき事に存じまする」 上り、昼夜兼行で普請をつとめた藤堂高虎に迎えられた 「叙任にも順序があっての、うるさいものらしい。義弟は 夜、秀吉はまたやって来て、新太郎の話にふれたしたの正三位中納一一一一〔、何れもこの五日にお沙汰があろう。ところ でさて、新太郎じゃが」 に。、、ツとすると 言われて新太公カノ 席は、藤堂高虎と家康と、酒井忠次と榊原康政の五人で あったが、 「これが今度はなかなかの大役だった。わしの目がねに狂。 「どうじゃ、気に入られたかの」 いはない。わしの小姓の中に、これほど姿勢正しく辛棒強 2 い者は見あたらぬそ」 秀吉は木の香の新しい書院造りの室内を見廻してから、 そう言ってから新太郎の方を見やり、「どうじゃ、宰相 「これでも高虎が、お許に誌められようとして、い魂を傾け の養子のこと、承知であろうな」 て奉行したのじゃ。のう高虎」 と、家康に問いかけた。 いかにも自然 ~ 、三、わが弟の家へやって来たという態度で 上座へすわった。 「気に入るも入らぬも、只今藤堂どのの、お骨折りをねぎ らっていたところで」 「それはよかった。時に忠次は、左衛門尉と申していたの」 「十、ツ をし」 「それゆえ、こんどは左衛門督に仰せ下さるよう内奏した よ」 0 新太郎はびつくりした。 どうやら秀吉は、自分を弟秀長の養子にすることを褒美 ぐらいに考えているらしい。 褒められて嬉しくないことはなかったが、ここと国許と
ていなかった。 そして、その小児のような無邪気な行動は、そのまま家「さ、お的致しましよう。もう一献」 康の胸にも赦っこ。 「おお呑もうとも ! 」 ( この爽やかさはいったい何処から来るのであろうか ? ) 秀吉は肩を離すと、手の甲で眼を拭いて、それから始め これが、柴田勝豊を養父に叛かせ、前田利家や佐々成政てテレて笑った。 : この喜びは、みんなに分けようのう家 を何の不自然さもなく心服させていった秀吉の性格の謎な のだが : : と、そこまで考えて家康はまたひそかに心で恥 「みんなに分ける : ・・ : と、一一「ロわっしやると」 「こんどお許が連れて来た重臣たちに、みなそれぞれ叙位 ここでは自分も秀吉と同じ程度の無心さにならなければ ならなかったのだ。その無心に磨かれた鏡だけが、ハッキを願うてやるぞ。酒井忠次、榊原康政など : 「ありがたい事にござりまする。そうなれば、彼等もいっ リと秀吉の像を映し出して見せて呉れるに違いない。 か大きく眼が開けましよう」 それにしても、ます尊大さが鼻に来る北条氏政などと 「それからもう一つじゃ。よいか、これでお許の重臣ども は、何という違いであろうか。 も秀吉への疑惑を解くであろう。よいか、お許はみなの前 ( やはりこれは稀有の神品じゃ : こやろう。が で陣羽織を乞うがよい。わしはそれをお許 「家康 ! わしはうれしい」 お許を九州へは出陣はさせぬそ家康」 「殿下 ! 家康もおなじでござりまする」 「それはまた、何故で」 「わしはの、いろいろと智恵のある家臣はもって居る。 が、心の底から天下を憂うる程の器量人は見当らなんだ」 「日本で平定せぬのはまだ九州だけではない。お許は、秀 「褒めすぎてはなりませぬ」 吉の留守中、厳として東の方を押えて呉れるよう : : : そう 「いやいやそうではない。天下を盗もうとする輩はいくら申したら、いちばんホッとして疑惑を解くのはお許の重臣 もあるが、天下を憂うる程のものはない : : と、これは故どもの筈じゃ。その位のことのわからぬ秀吉ではない。ど 右府さまの言葉であったが、わしはそれをお許に見出し うじゃッポであろうが」 2 ノ 4
た述懐の中には、その忍従に耐え抜こうとする : 郎にすれば家康をそれに馴染ませて置きたいための下心が あってであった。 耐えねばならぬとい、フ、覚吾と警めとがかくされている。 「いよいよそなた達の前途へも明るみがもたらされたわけ茶室の家康はもう明るかった。 じゃ。堺の町人衆はよろこんでいるであろう」 肥えた躰を窮屈そうにかがませて、形はひどくぶざまで 「はい。あちらでもこちらでも、船作りで大変でござりまあったが、それだけに素朴で、飾り気のない、別の風格が する」 滲み出ていて好もしかった。 「そちも負けるな。よいか、そち自身もな、関白家と徳川 ( やはり、これもただのお方ではない : 家とは、義兄弟じゃということを心に刻め。そして、まず 四郎次郎は、はじめの沈んだ陰気さをもう、きれいに払 今までの、心の障壁をきれいさつばり除いた上で、関白に い落している家康を改めて仰ぎ直した。 近づくのじゃ」 「美味い ! 」 し」 と、言って家康は茶碗をおいた。 「では、すぐに着換えて宿舎へ参ろうか」 器物や道具には何の関心も見せなかったが、いかにも茶 「その前に、ったない点前をお目にかけとう存じまするがを味わっているという感じが全身をつつんでいた。 こうして二人が茶室を出て、新しく作らせたのし目の小 「あ、茶か、よし馳走になって行こう。茶室も建てたか」 袖と素袍に着換えたところで、立会っている四郎次郎を手 家康はようやく気軽さを甦えらせて席を立った。 代の一人が呼びに来た。 家康はべつに気にも止めず、そのまま座敷を出ようとし 四郎次郎は自分でもホッとしながら、家康を建てたばか と、あわてて引返して来た四郎次郎が、 りの茶室に案内した。 「お館さま、ちょっとお耳に人れておきたい事がござりま これも秀吉お気に人りの千宗易の指図で建てた四畳半のするが : 侘び好みて、たふん大坂でも素の接待があろうと、四郵次 戸で言って、人払いを願うという眼つきてあった。 よみが ) 0 2 り 5