京 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 8
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1. 徳川家康 8

こう腹が決ってみると、六人の使者への嫌がらせや皮肉 る。なお、控えとして西尾の城へは大久保忠世を入れてゆ などは、あまりにみみちい小ささで、話にも何にもならな それだけ備えてあらば異存はあるまい」 っこ 0 ・ : なあ酒井どの」 「何の異存など : ・ 対談は昨夜の三の丸でのそれとは、まるで違ったおおど 「おう、それだけ思いきった備えならば、苦情の言いよう もあるまいて」 かな明るさで続けられた。 「では、大広間へ使者を」 家康が、始めから上洛を既定の事実として、秀吉からの 家康に命じられて席を立ちながら、本多作左衛門はまた書面に眼を通すとすぐに、日取りのことを切り出したから であった。 しても腹の底から笑いがこみあげてくるのであった。 いちいち他人の意表をつこうとする秀吉。 「大政所さま、大坂のご出発は十月十日から十三日までの その秀吉に対してあまりに地味で歯痒いほどの家康だっ 間、さすれば岡崎ご到着は凡そ十八九日ごろかと心得ます た。それがこんどは入費を惜まずケタはずれの備えで上洛るが」 しよ、つとい、フ : 浅野長政がそう言うと、家康はかんたんに頷いて、 その一言で家中の不安はからりと晴れたが、おそらく秀「ではわれ等の上洛は、二十日と決めましようかの。大政 吉も、これを知ったら狼狽てて備えを立て直さねばならぬ所さまご機嫌を伺うて、すぐさま出発。京へ着くのが二十 四五日 : : : 二十六七日には大坂表で関白殿下にお目にかか のではあるまいか。 いかに大きなことの好きな秀吉でも、二万で京へ繰込まれよう」 聞いているうちに、本多作左衛門は次第に胸が熱くなっ れては戦慄せずには納まるまい。その上岡崎へは生母を、 浜松へは妹を取られているあとだとしたら : 考えように依っては、これは一つのぬきさしならぬ恫喝家康の姿が、この時ほど鬱然とした巨樹に見えたことは とも言える。小胆な相手ならば、これだけで気死するかもなかった。 知れなかった。 ( なるほど、これは相当な腹袋じやわい ) こ 0 十 149

2. 徳川家康 8

「宰相々々 ! わしはな、鹿爪らしく待って居れなんだ。 がある。 よいか。これは微行じゃ。殿下のおしのびじゃ。そう 「あっ・ じゃ。われ等はな、兄弟水人らすで酒を汲む。大坂で正式 と、みんなは息をのんで、思わず小さい刀に手をかけ 対面はまた別じゃ。家来衆は別室へ案内して、ここへは膳 てあぶ 「なんと言うことじゃ。手焙りも出て居らぬ。さてさて気を二つ頼むそ」 それはまるで突風の吹きつけるようなあわただしさで、 の付かぬことよ。これこれ長盛々々」 それから始めて家康を振返ってニッと笑った。 続いて駈けこんで来て、平伏したのはさっき一行をここ「徳川どの、許されよ。みんな喜んであがって居るの へ案内して来た奉行とはっきり分ったが、立ちはだかってじゃ」 大声で喚きたてる人物が秀吉だとわかるまでには数分かか っ一 0 「何という気の付かなさじゃ。京の気候はの、浜松などよ家康は、相手の笑顔に吸いこまれそうな魅力を感じなが ら、しかし、突嗟に笑い返せなかった。 りすっと冷えるを知らぬのか」 「よッ 不意打ち : : : と言って、これほど妙な不意打ちはなかっ た。秀吉が京に居るとは茶屋も言わなかったし、秀長も言 「すぐに火を、灯りを、それから膳も急いで」 わなかった。べつに大坂に居るのかとただしたわけではな 「かしこ士从いました」 「大政所が、向うでこのような扱いを受けたら何とするかったが、京に居るものとは田 5 っていなかった。 ぞ。心尽しが足りぬ。親切が足りぬそ。それから宰相を呼二十七日に大坂城で対面 : : : そう日程を聞かされた時か ら、家康は、京での秀吉を意識の外へおいていた。 べ」 「よッ その秀吉が、いきなり目の前へやって来て突風のよう に、俄雨のように、あたりの空気を引っかきまわし、当然、 増田長盛が急いで駈け去るのと、入れ違いに秀長がやっ 作左衛門のことでカンカンになっているものと思い込まさ て来た。 、 ) 0 209

3. 徳川家康 8

信長が本能寺に倒れた天正十年五月の京見物のおりの空 これは敵意はないようだの」 いかにも。よほど厳しく秀吉に命じられているもの気とは、人も大地も町も空も違ったものに見えた。 家康は予定のとおり、通出水下ル町にある呉服御用の茶 と見える」 「ーーーみなみな、大切な関白の妹婿 : : : 本気でそう思いこ屋四郎次郎の館に人り、ここで警備を三千人にして、あと は出迎えた秀吉の代理、宰相秀長の指図でそれぞれ寺院に んでいるのかも知れぬそ」 いやいや、そう簡単に心を許されな。相手は秀吉と分宿せしめた。 この人数は、京童の眼にはよほど実数より多く映ったも い、つ曲亠須じゃ」 そうした道々の会話も、大津街道は粟田口から京へ人っのと見え、多聞院日記には「ーー、・家康六万余騎にて在京 : : 」云々と記されている。 て、両側に群れて迎える民衆の表情を見た時には、何か出 家康は茶屋の館に入ると、新調の衣服をささげて出て来 しぬかれたような気分になった。 た四郎次郎に、 どの顔にも何の警戒も感じられない。文字どおり安心し 「何彼とご苦労であったなあ」 きった見物人の表情で、それが口々に家康の行列の立派さ その表情は決して明るいもの おだやかに声をかけたが、 をたたえている。 群衆の中には公卿衆の密行もまじり、それ等は或いは三ではなか 0 た。 「ご無事のご入洛、なにより大慶に存じまする。ただい 河武士とおなじ或る種の危惧を抱いての見物かも知れなか ま、京中の公家、寺院等から、今宵の宿所、宰相さまのお ったが、彼等もまた何となくホッとした様子であった。 恐らくそれは、信長時代には無かった空気であろう。こ邸に、お祝いのため盃台ご持参の使者が、続々と市をなし れだけの軍勢が京へ入って、しかも市民がいささかも恐怖て居りまする」 のいろを見せなかったということは : そう言うと、家康は渋い表情でひろびろと新築された四 郎次郎の屋敷を見まわしながら苦笑した。 家康の眼に映った京の街は活気にあふれていた。 「おぬしらしくもない事を言うそ。それはみな、秀吉を敬 聚楽と大仏殿の二大工事に加えて、あちこちに町造りが うてのことではないか」 続いている。 203

4. 徳川家康 8

「それはもう、かくべつ、本日出立せねばならぬというほ茶屋は内心小首を傾げた。 どの急用もござりませぬゆえ」 京にあるお使番の小栗大六から、茶々姫が秀吉の側室に : とい、つ一」とがど、つして 「そうであろう。何のおもてなしも出来ぬが、京の小栗大あがると言う知らせがあった : 六から、聞き捨てならぬ情報がとどいて居る。それについそれほど大切なことなのであろうか ? て、茶屋どののご意見をぜひともなあ」 「聞き捨てならぬ情報が : し」 「そうじゃ。浅井長政どのの遺児、茶々姫が関白の側室に 「その方は、われ等ご主君の恩義は忘れて居るまいな」 あがるとい、フ : : こなたも少しはお聞き及びであろう。も 「それはもう : しそれが事実ならばの、これは大した吉報じゃ ! 」 言いながら茶屋四郎次郎はムッとした。 何を考えているのか、本多正信は浮々と話しながらわが ( 今更何を言い出すのか : 家の玄関を入っていった。 こなたなどより、わしの方が、ずっと深く家康を知って いる : : : そうした反感を、しかし、茶屋はグッと押えた。 ( それもこれも、家康のためを想うてのことであろう : : : ) 本多正信は茶屋を伴ってわが居間へ通るまで、なぜかひ「ならば申すが、ただいま徳川家と関白家とは、表面懇親 どくはすみ切っていた。 を結びながら、その実、喰うか喰われるかの大事な瀬戸ぎ 「客人じゃ。大切な京からのな、はじめは内談があるゆえわじゃ」 誰も通すな。用が済んだら手を鳴らす。それまでにご歓待「なるほど、さようでござりまするか」 の馳走の用意を致しておけ。手を叩いたら膳をな、銚子を 「それゆえ、軽々しく聞いてはならぬ。わしの言うこと 添えて : : : 」 は、ご主君の申すこと : いや、ご主君も申しかねている 歩きながら、用人や妻女に命じて、居間で二人だけにな ことを申すものとご承知ありたい」 ると、急に人が変ったかと思われるほど、謹厳なものごし 「かしこより・ました」 になっていった。 「と、ます念を押しておいての、許して下され。それほど 382

5. 徳川家康 8

「そうじゃ。天下は取っても孝行ひとつ出来ぬようでは意まが会いに行くと、人れ違いに婿がこちらへやって来る。 味があるまい。とゆうて、天下人の一族には、世間の眼が来れば必す、兄弟手を取りあって、天下のことをやって行 くよう計ろうて見せてやる。家康とて、わしのこのきれい 光って居る。百姓町人の仕方はならぬ。そこで智恵じゃ。 な心がわからぬ筈はないからの。そこじゃ ! そこでわし わざわざ浜松へやった嫁、淋しいからとて呼び戻すわけに は、お袋さまがあのように朝日に会いたがっているのじゃ は行 / 、よい」 から、この次には朝日の方から会いに寄こして呉れと言え 「それはのう : : : 」 「それゆえ、お袋さまを会いにやる。よいかの、お袋さまるであろうが」 「なるほど : : : それは : : たしかに」 は大政所じゃ。その大政所が、世間からは人質だの、殺さ く : : : むろ「それゆえ、これは、朝日を迎えに行く旅じゃ。おわかり れようのと蔭口されながら思い詰めて会いに行 ん危いことなど起りようはない。いかなる不心得者が現わであろう。いったん京へ呼び返したら、あとは聚楽でとも れようと、この関白が、急所々々に打ってある絶対安全のども住める。一度心を許し合えば家康とて度々京へ来ねば ならぬ。関白の義弟じやからの。その義弟の正室が、母の 布石を破れるものではない。徳川の家中の八九分までは、 居る京へ住もうてどこが悪いぞ。そうなればお竹とやらの : よいかのお袋さま」 わしの味方じやからのう。、、 どうじゃお袋さま。これが殿下の智恵とい 手カ届くカ : : : 「のい」 うもの : ・・ : しこが、決してまだまだ他言はならぬ」 「とにもかくにも、天下の大政所が会いに行くのじゃ。は そういうと秀吉は、そっと母の右手を執って、甘えた表 るばると三河の地までなあ」 情で頬につけた。 「ほんにの、フ : 「心ある者は、母と子との情を想うて涙を流そうそ。何と いう切ない親心であろうかと : どんな場合にも、秀吉の行為に嘘はない。母を説くに 言っているうちに、秀吉は、だんたん自分の言葉に酔っ も、大敵に当るにも、つねにそれは子供のような体当り て、眼のふちまで赤くしだした。 「よいかのお袋さま。ここが大切なところじゃそ。お袋さで、てれることなどみじんもない。 ノ 62

6. 徳川家康 8

新太郎は、また、わかったようなわからないような混迷そう一言うと眼に一抹のわびしさを宿して、家康は厠へ立 つつ】 0 を覚えて口をつぐんだ。 まだ邸内は、明朝の出発準備でごった返している : : : 新 茶屋に命じたことの内容は、次第に理解されだしたが、 親しむために、浜松よりも遠い駿府に住み、朝日姫を京へ太郎は、あわてて家康のあとを追った。 帰すという意味は解しかねた。 そのようなことをしては、却って秀吉が怒りそうな気が 観察者 するのだが : 「新太郎、明日は早いぞ。休もうかの」 「、ツ し」 「しかし、これで無事に済んだわ。御台も大政所も勤めを 果した : 家康が帰ってゆくと、京の空気も大坂の空気も一変し 3 2 「こなたも果した。作左も果した。こなたの父も、康政も、 武将たちの眼は、あげて九州征伐の支度に向け変えられ 直政も : : : そして、これから全く違うた新しい日がやって たが、市民の間では逆に緊張はゆるんでいった。 来るそ」 もはや、安心しきって正月を迎えられる。そう言えば、 市中は戦支度の軍費で湧き立つような活況を呈しながら、 「 : : : で、′ギ、り・亠よしよ、つか」 「家康は関白の義弟 : : : 家臣ではないが番頭格になり下っ誰もその戦の結末を案する者はないようだった。 秀吉の宣伝の巧妙さにもよるのだが、家康の率いて来た 。天下のためになあ」 大軍が、敵ではなくて味方の後詰めであったと理解出来た 「その代り、内からしかと天下を見守る。言わば関白の大市民たちの安堵は大きい。 「これでハッキリと決ったわ。関白さまに、また丈夫な腕 それをしかと腹に入れぬと、新しい日の 目付、 が一本増えられた」 ご奉公はなりかねるそ」

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めて、 にはりつき、その背のあたりに山茶花の花が一輪ういてい る。 「船では乗りきれませぬ ! 」 すでに冬の近い感じであった。 家康はチラとその方を目でたしなめた。 「人数は三千ほど。馬もあれば陸路を参ると致しましよう ( 動いてはならぬ : : : ) これから、あの鯉のよ、つにしばらくじっと 0 力な」 「お館さまは、お気付きなされませぬか」 「、い得ました。ではそのつもりで」 秀長の応対があまり素っ気ないので、家康もちょっと持「何を ? 」 てあました。 「宰相のそぶり : : : おかしいとは思いませぬか」 ( この空気では余程秀吉は怒っているのに違いない : 「尓 ) 、は、おかしいと田い、つのか」 「腑におちませぬ。言うことはいちいち好意 : : : である筈 五 の言葉なのに、ひどく冷く、よそよそしい」 「まあよい、考えすぎるな」 : と、思いながらも、家康は、作 怒るのも無理はない : 「何か、企んでいるのでは : 左衛門を責める気にはなれなかった。 「たわけたことを。企むのならば、われ等が京へ人る前に 「これまでとはだいぶ様子が違うようで」 企むわ。京へ人れて騒いでは、内野も大仏殿もフィになろ 阿倍正勝に話しかけたのは、 何も知らない本多正信が、 、つスん」 秀長と長盛が膳部の用意に立ってからであった。 「なるほど、しかし、心は許せませぬなあ」 「そうじゃ、何となくこだわる様子じゃ」 と、その時だった。 「何かあったのではあるまいかの」 「と、なると、大坂へ、三千で行くのは考えものかも知れ廊下にあわただしい足音を耳にして、みんながハッとロ を閉じたとき、 ませぬなあ」 家康は黙って庭の泉石を見ていた。夕方になって、気温「これツ、もう暗いではないか。灯りじゃ灯りじゃ」 が下って来たせいか、澄みきった水底で、びたりと鯉が砂大声で呼ばわって、そのまま座嗷へ駈け込んで来たもの 208

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いったんこうと田 5 ってやり出すと、相手が思いのままに邸に、聚楽と名づけたもそのことじゃ」 なるまでは、ただひたすらに突き進む。その意味ではふし 「そうじゃ。聚楽というは楽しみをあつめると書くの ぎな一個の変質者とも見えた。 じゃ。やれやれこれで決った」 「納得なされたのうお袋さま。これはお袋さまで無うては 秀吉はそこで改めて秀長をかえりみて、 出来ぬことじゃ。他の誰にも代りはならぬ。一度大政所の 「宰目、・ とうじゃ。さすがにわれ等が母者であろうが、よ お袋さまが行ってござれば、次にはお袋さまが、朝日に会 いたがって憑うた : : : そう言うても呼び戻せる。向うに大し、有楽たちがもたらした例の予定をお袋さまに」 と、あごで命じた。 きな借りが出来るからの。それで、呼び戻してからいろい 大政所はホッと大きくため息して寧々を見やった。その ろ話を聞いたうえ、たしかに婿の家康に不都合ありときわ まったら、その時こそわしは殿下じゃ。これは京へ呼びつ眸が赤くうるんでいる。 けて、どのような成敗もなるであろうが」 「嫁女 : : : 」 「上様よ」 し」 「上様がああ言わっしやる。大丈夫、間違いはないそうな」 「まだ、何かご不審かの」 「わかりかけた : : : わしも、上様の母親じゃ」 「では、この上ともにご用心を頼みましよ、つ」 : と、わ 「そのことよ。ここの道理のわからぬようなお袋さまのお「これでよい。行きましよう。朝日を迎えの旅 かればのう」 腹から、この殿下が生れるものか」 「わらわも、それ承って、さすがは上様と、感じ入りまし 「したが、何うなされた ? 」 「ほんに、上様の智恵はのう」 「わしが岡崎へ着いてからのことは、間違いのう : : : 」 「これこそ、大仏殿より、聚楽より、ずっと大きな日本一 「わかった ! わかった ! 間違うて呉れと頼まれても間 もとはと言えば、お袋さまも朝日も、みでござりまする」 違いようはない。 な楽しゅう暮せるようにと思うてしたこと。京の内野の新そう言う母の前へ、秀長は神妙に一枚の書付をひろげて 163

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恐らく細川夫人の考えもそこにあるのに違いない。それ ( やはり卓抜したカが背後になければ平和はない : そう思ってみると、茶屋にとっては秀吉よりも家康が頼なればこそ、切支丹の信者の木の実を徳川家の大奥へなど れる気がした。 という夢も描いてみたのであろう。 と、言われればそれまでだった わが田こ水をリく : : : じりじりと照りつける七月の陽射の下で、茶屋の足は急 もろ 秀吉の言動の中には何かしら危ない脆さが感じられに早くなった。船で京へ戻って、そのまますぐに家康のも る。 とへ出発する気になったのだ。 家康の方から秀吉に戦を仕掛けることは万々あるまい。 ( 家康に、木の実の話をしたらどんな顔をするであろう 秀吉は勝っとわかれば、時には側近のロ車にも乗りか ねない気がするのだ。 北の空にむくむくと入道雲がふくれだしている。 ( そうだ ! 関白殿下もこれだけ大きくなられると、さま ざまな寄生虫がつく筈だった : 一人と一人では理解しあえる事柄も、周囲に誰れ彼れの 思惑がわずらわしい、蜘蛛の巣を作りだすと、思いがけな い結果を招かぬものでもない。 茶屋は歩きだした。 歩きだすと、もう心は決っていた。 関白の留守中は、大坂へ集められている諸将の奥方たち 「ーー家康のために忠勤を : : : 」 にとって退屈な日々だった。 そんな気持ではなくて、三成から聞いたこと、細川夫人それそれが木の香の新しい大きな屋敷に住まいながら、 の言葉など、そのまま報告しておく気になった。 内実はやはり「人質ーー」として見張られている。 それがわかっているだけに、中には殊更美々しく装って ひとり茶屋たけではなく、秀吉と家康を争わせてはなら これみよがしに寺社詣りをする者さえあった。 ないと言うことは、堺衆はじめ、京の商人衆から公家、僧 侶と、みなひとしい願望なのだ。 むろん多くの人々はきびしい暑さに辟易しながら、ひっ 男と女 347

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それだけに、彼は、彼自身のことで秀吉が、秀長の京邸そ。左衛門督は従四位下とある。、い得ておかっしゃい」 「十キッ でロ走ったことと、秀長の姫を連れ出し、すぐに又退がら せたおりの話を忘れかけていた。 「それから、康政はの」 「よッ ところが 二十八、九の両日を大坂で過し、三十日再び京へ戻って「式部大輔に叙任せられる。これは従五位下じゃそうな」 みると、なるほど内野の聚楽邸内に、家康の宿泊所が出来「ありがたき事に存じまする」 上り、昼夜兼行で普請をつとめた藤堂高虎に迎えられた 「叙任にも順序があっての、うるさいものらしい。義弟は 夜、秀吉はまたやって来て、新太郎の話にふれたしたの正三位中納一一一一〔、何れもこの五日にお沙汰があろう。ところ でさて、新太郎じゃが」 に。、、ツとすると 言われて新太公カノ 席は、藤堂高虎と家康と、酒井忠次と榊原康政の五人で あったが、 「これが今度はなかなかの大役だった。わしの目がねに狂。 「どうじゃ、気に入られたかの」 いはない。わしの小姓の中に、これほど姿勢正しく辛棒強 2 い者は見あたらぬそ」 秀吉は木の香の新しい書院造りの室内を見廻してから、 そう言ってから新太郎の方を見やり、「どうじゃ、宰相 「これでも高虎が、お許に誌められようとして、い魂を傾け の養子のこと、承知であろうな」 て奉行したのじゃ。のう高虎」 と、家康に問いかけた。 いかにも自然 ~ 、三、わが弟の家へやって来たという態度で 上座へすわった。 「気に入るも入らぬも、只今藤堂どのの、お骨折りをねぎ らっていたところで」 「それはよかった。時に忠次は、左衛門尉と申していたの」 「十、ツ をし」 「それゆえ、こんどは左衛門督に仰せ下さるよう内奏した よ」 0 新太郎はびつくりした。 どうやら秀吉は、自分を弟秀長の養子にすることを褒美 ぐらいに考えているらしい。 褒められて嬉しくないことはなかったが、ここと国許と