怪しく映じていたと一一「ロえば、言えぬこともない。が、そ族に及ぶとか」 の反対に、どこかで、家康は、数正の出奔を待ち受けてい ・ : 家成や老尼などが、何で数正の出奔を知るもの たようでもあった。 か。一人を失うて血迷うては人の笑いを招こうそ」 ( ここで、ひと思いに秀吉の内懐へ飛びこんで、向うの内「では、ご一族にはお構いなしと : 「罪なき者を罰しては、家中の東ねがつくまいが」 部から働きかけてくれるものがあったら : : : ) しかしそれは、頑固に義理を重んじ、そのゆえに三河武「では、岡崎城のご城代は ? 」 「それは老臣どもと相談の上じゃが、そちにも思案があろ 士の名を得て来ている彼の家中では望むべきことではなか うゆえ、その折に申せ ! 」 どこまでも素朴に律義に、がっちりとした団結をもって「お館さま ! 」 押し進もうとしている家風が、小策を弄すという印象のた 「なんじや改って」 めに崩れ去ったら、それこそ庇の眺めを思うて柱を抜くの 「お人払いを願わしゅう存じまする」 愚にひとしい。 「ほう、まだ大切なことを言わすにおいてあるのか。よ それたけに、数正の前で、ふとそれを匂わしそうにな し、みな、遠慮致せ」 り、あわてて自重したことは二度や三度ではなかった。 その声で、小姓や童坊たちは燭台の丁子を切って次の間 へさがっていった。 「とにかく夜が明けましたら、動き出さねばなりませぬ。 そろそろ外は白みかけ、湖面に風が立ちかけている様子 必す家中に石川どのと同腹のものもあろうかと存じますれ であった。 ば、内々のお指図承っておきとう存じまする」 「ふーむ、まだ、他に大事なことを考えおとしているかの 「お館さま ! 正信には、腑におちぬことがござります 「ふーん」 「恐れながら、石川どのご一族の処置は ? 」 「家成や、老尼がことか」 「お館さまは、石川どのの出奔を、さしてお驚きなされま 「はい。何分にもこれは謀叛でござりまする。謀叛の罪はせぬ。いいや、お驚きないのはご沈着なご気性ゆえとわか つつ ) 0
ちに大唐 ( 明国 ) から苦情が出て、それこそぬきさしなら 響を起させた。 ぬことになろう。 よし ! 」と、秀吉は言った。 「ーーでは出兵は思いとどまろう。その代り義調は、朝鮮「恐れながら、殿下のお目がねは、少々ゆがんで居られま 王をわしの許へ入貢させるよう、この儀しかと申付くるすようで」 「なに、わしの眼がねがゆるんで居ると」 そ」 : と、さっき仰せられま 「はい。堺衆の狙いがわかった : 瓢簟から駒が出ると言うことがあったが、宗義調は、自 分の私交易の密利を守ろうとして、秀吉の心をほんとうに 見破られては具合がわるいかの」 朝鮮へ向け変えさせてしまった感がある。 「そうではござりませぬ。堺衆の狙いが、いちばん殿下の 利休はそれを怖れていた。 利に叶い、日本の利に叶う。堺衆は殿下のもとで発展を考 「ーー・ー高麗から大唐まで手に入れるか」 えて居りますれば、さようなお言葉はお慎しみ遊ばされた その後もしばしば秀吉はそれを口にする。したがって、 ここで秀吉に、更に魅力ある玩具を与えてやらねば : : : そ方がよろしかろうと存じまする」 「なるほどわかった , 小さな皮肉などは、曾呂利に任そ れが師父をもって自任している利休居士の目下のあせりで 、つ力」 あった。 「仰せの通り、殿下のお目は、もう少し高い所に向けさせ 十 られまするよ、つ」 「したが、宗は憎い奴よのう。自分の利を守ろうとして、 秀吉の得ている情報などより、堺衆の方が遙かにくわし わしに出兵するな等と : : : 」 く世界の事清に通じている。 「そこまでお見透しならば捨置かれるが宜しかろうと存じ 高麗との交易などは、せいぜい宗義調一人を喜ばす程度 南方を通じての交易路は、呂宋、安まする」 の利益であったが、 「いや、ただ捨置いては癖になる。それゆえ、安国寺恵瓊 南、シャム、天竺からヨーロッパ全体に通じている。 しかも高麗は、少しく日本がその地に根を張ったら、直に申付けて、宗父子に、博多まで参っているように命じて 31 ]
「さればご趣味はなんであろう。嗷島の道にもご堪能であぬご様子にござりまする」 「まあ、そのようなご器量人でござりまするか」 ろ、つか」 「さあ、それは存じませぬ」 「というと、或はいよいよ姫君のお気に添わぬやも知れぬ : 天下人はむごいものとお決めなされておわすはどに 思いきり無愛想に答えて茶を喫し終る頃から、数正は、 再び自分を取り戻した。 数正はそこでまたふと笑って、 ( このままでは、退出もならぬ : : : ) 「難しいものじゃ。殿下ほどのお方がお偬れなされる相手 考え方の距りすぎる相手ゆえ納得するかどうかは別とし に、女陸も惚れる : : : とは参らぬもののようでござりまる て、彼は彼の意見をはっきり述べておくべきたと気付いた のだ。 すなあご老女どの」 そう言うと改めて朝日姫に視線を移して数正はハッとな さもなければいよいよ姫は、わが身を儚いものに決め、 つ ) 0 両家の行手を暗くするに違いない。 姫の眼に、かすかながら光 : : : と見える生色が甦って、 「どのようなお方 : : : と、仰せられてもお答えに惑います るが、当今、関白殿下を除いては、天下第一のご器量人、自分を見つめているのではなかったか。 すかさず数正は朝日姫に向き直った。 に、こギ、り・ましよ、フか」 「まあ : : : そのような : 「お方さまに、もう一言だけ申上げ、数正、退出致しとう 「さなくば、殿下が、わざわざ姫君を下されてわが義弟と存じまする」 なさる筈はない。すべて殿下のお目がねに叶うたことゆ え」 そこまで言って、数正は、はじめて頬へ微笑をみせた。 「一面から見まするとたしかに天下人のなされ方はむごい 「殿下のお考えでは、ご兄弟で天下のことをご処理なさろもの : : : しかし、そのむごさがすべてではござりませぬ。 うおばし立ち : : : これをおいては姫君の婿はないとお目を何卒この点ご理解下されまするよう : : : 数正は男ゆえ、殿 つけられた : : : しかし、それが姫君にはお心に添わせられ下のお心に立入ることが出来まする。殿下のお心の中に
も、その利休が師父気取りでいるなどとは思ってもみなかあわてて話を切支丹に移したのだが むろん秀吉がそうなるには原因があった。 しかし、師父をもって自任している利休の方はべつであ この太平寺へ陣を移すと間もなく、対馬の島主、宗讚岐 守義調の許から、佐須調満、柳川調信、神谷康広の三人が 彼は、彼の目に映る秀吉に、絶えずハラハラと心労して使者としてやって来て、秀吉に、妙な情報をもたらした結 いる。秀吉の失敗はそのまま堺衆の目的の壊滅を意味し、果であった。 日本の発展に響いて来る : : : そう固く信じているからであ 正直に言ってそれまでの秀吉の「朝鮮出兵ー・ー」は、彼 っ一 0 一流の国内向けのカラ宣伝にすぎなかった。 いやもう一つ、二人に共通する性格の類似が、絶えずど その宣伝をどうやら宗義調は真に受けたものらしく、前 こかで無意識のうちに二人を竸わせているという点も見落記三名の使者を寄こして、 してはなるまい。 「ーー・・・・何とそ朝鮮出兵の儀は、思いとどまり下さりまする それは一口に言えば、どちらも「後世に名を残そう ! 」 と、言わしめた。 と、気負い立っている点であった。 「ー・朝鮮王には決して叛意はなく、関白殿下に楯つく意 秀吉は、不世出の英雄とし、新日本の救世主として永遠 に神の座にあろうとし、利休は、茶道とそれをめぐる文化志など毛頭ござりませぬ。われ等親しく往来し、よく存じ て居りますれば : の道の上で同じものを目ざしている。 そうした立場に立って見ている利休の眼に、近ごろ気に この時も、利休は側にあってフフンと心で笑っていた。 かかってならないことが一つある。 宗讚岐守義調の肚など、堺に育った利休にはハッキリと見 それは秀吉の目が、島津問題の解決が、近づくととも透せた。 、次第に、南方から高麗の方へ重く傾きかけているとい ( 宗め、自分でひとり占めしている交易がダメになるもの 、つことだった。 だから : : : ) それで彼はいま、高麗ものの茶碗を出したことを悔い、 ところがそうした使者の言葉は、秀吉の心に全然逆の反 っ」 0 っ一」 0 310
かったかも知れない。有楽よりも数正が、何程か人物が上た。 「こなた、家康を見限って参ったとのう」 なのだ。 いかにも冷静そのものと言った物腰に、ふと悪戯心をそ これは関白殿下が間違うたわい。あの二人、どちら に禄を余計呉れるかと問われたら、やつばり数正に余計やそられて、秀吉はからかいかけた 「見限ったのではござりません」 りたくなるからの」 秀吉は、そう言って二十三日に、禁裏への献上物のこと数正は、諸大名列座の中できつばりと言った。 「人には、人それそれの見識なり、生き方なりがござりま で大坂城へ赴いたついでに、数正に対面することにした。 する。徳川家では、この数正の志を仲し得ないと存じまし 有楽をあっさりといなした数正が、秀吉に向って何とい たゆえ、心を残して退去致したまででござります」 うかは、秀吉にとっても興味のある問題だった。 「わしも堺で、仲々頓智頓才のある者どもと出会うて来列座の将武はいっせいに数正へ視線を向けた。噂のよう に、家康を裏切って来たものとすれば、何程かの悪口は当 た。数正めはどの程度かの。鞘師のソロリ新左と智恵比べ 然聞けるものと予期していたらしい。 でもやらせてみるか」 「ほう、すると、そちは、いまだに家康の偉らさは認めて 石田三成にそんな冗談を言いながら、はじめは例の自慢 いると言うのだな」 の接見所で、両側にずらりと家臣たちを並べて引見した。 むろんこんな場所で、数正が何も言わないことは万々承「仰せまでもござりませぬ」 と、数正は応えた。 知の上であった。 「恐らく家康は関白殿下にさして劣らぬ人物 : : : とは存じ ただ新関白の威を示し、牢人数正の顔いろを見てやるだ まするが、人は運不運がござりまする : : : 」 けで、これも又充分に楽しかった。 「なに、運不運じゃと」 : 、ツとして顔いろ変えると、 秀吉カノ 「はい。家康不運にして、勇猛無双の士は数多く持ちます 接見の間での数正は、きちんと折目正しく挨拶しなが ! 、つこ莱子もなかつるが、天下の見える家臣に恵まれませぬ。そのため、去就 ら、さして動揺も見せなかったし、聟」オオ
決してケチな高利貸ではない。 秀吉はそれを聞くと満足そうにうなずいて、 秀吉の探らせたところでは、対馬の太守、宗義智の貿易 「時に宗室、こなたは切支丹のことは知らぬかな」 資金は殆んど彼から出ていたし、肥前勝尾山城主、筑紫上 茶を点てながら利休がチラリと上目になった。 「はい。わたくしも仏教信者ゆえ : : : 深くは存じません野介広門などは、宗室に幾度も起請文を書かされているほ どで、大友家の内部をはじめ、大村、松浦、有馬など、切 噂ならばいろいろと」 「わしは折角こうして九州を平定し、日本の繁栄の礎を据支丹にかかわりある大名たちのことも知悉しているとわか ったからであった。 えて戻るのじゃ。こなたたちが喜んでくれたと同じよう しかもその妻は、鉱山業の始祖とも言うべき神谷宗湛の 切支丹の者どもも喜ばしてやりたいのじゃが、それに 妹なのである。 はこの上どのような事がよかろうかの」 そこで秀吉は、わざわざ島井宗室を選んでその意見を聞 「切支丹の者を喜ばせるには : こうとしたのに違いない 「そうじゃ。同じ日本人じゃ。喜ばしてやりたいからの。 さもないと、わしの政治が片手おちになる。喜ばせる急所「こなたは仏教信者と申したが、所謂在家の狂信者ではな 3 ムこ淫するなかれ さそ、つじゃ。たしか、信するはよいカイー ~ 、 は何であろうかの」 秀吉は、しんけんな眼でそう言って、こんどは自分の方ときびしく家訓しある由、定めし切支丹にもくわしかろ からチラリと利休を見やっていった。 う。秀吉に訓えてくれぬか」 「切支丹を喜ばせる手だて : : : ? 」 九 宗室はもう一度慎重に首を傾げて考えてから、 「その儀は甚だ難しかろうかと存じまする」 秀吉が島井宗室を呼んで、このような事をたずねるのに は、幾つか理由のあることだった。 」と秀吉は軽く笑って、 島井宗室はみすから「僧にして俗、俗にして僧 称しているが、表向きの生業は造り酒屋、裏面ではこのあ「容易なことならば、わざわざこなたに尋ねるものか。ど のように難しいか申してみやれ」 たりをおさえている金融業者の大立物であった。
で、お許の心境から聞くとしようぞ」 : 笑ってしまってからハッとなった。 「心境 : : : 敗れたわれらに、それをお訊ねなされまする ( まだ早い ! ) 力」 この陣屋に降を乞わせに遣わした家臣の河野通貞を引見 「おう、聞きたいものじゃの。島津はどの者が、何でこれした秀吉は、 「ーー島津の出様次第じゃ。とにかく参れと、申伝え まて無益の戦を繰返したそ」 義久はその言葉の終らぬうちに、 そう言って一分の隙もないきびしさだったという・ : ・ : そ 「心境はただ口惜しく存じまする ! 」 語気を強めてそう言って、それからふっと笑っていつれを思い出したのだ。 っ】 0 秀吉は案のごとくキラリと鋭く眼を光らし、すぐまたさ 「筑前どのご下向あるとも、何ほどの事やあるべき。薩州りげなく団扇をうごかしだした。 義久はいんぎんに言い出した。 のうちは昔よりいまだ一人も他国の者を入れたることな 「まさか国人どもが、あのようであろうとは存じませなん し、目にもの見せてと存じましたがやり損じました」 だ。無理は何時の世にも通りませぬようで。なにとそわが : 関白というのを忘れていたの島津。筑前ならば こなたのよい戦相手であったかも知れぬが、身は関白身はご存分に」 四 「御意、御旗先を見たる国人ども、残らす頭を下げてわれ 等に背き去り : : : 」 敗者として勝者の前へ出て来たのだ。わるびれずに詫ぶ ・ : 」と声をべきことを詫びた上で、島津家の存続を計らねばならぬ : そこまで云うと、義久ははじめて「ハ 立てて笑った。 : そう思っていながら、目の前の瘠せたこの小男一人のた この笑いは自嘲ではなかった。胸に詰ったこだわりが、 めに、頼朝以来の島津家の誇りが : : : そう思うと義久の気 は遠くなりそうだった。 何ものかに吸い出されるよう、自然に出て来た思いがけな い笑いであった。 ここでこだわればこだわるほど秀吉に軽ろんじられる。 302
いて、それ以上は思案の及ばぬ小心者でござりました」 「そうであろう。無ければならぬ筈じゃ。申して見よ」 秀吉は半ば感心したような、半ばからかうような笑いを「数正を、まことお拾い下さろうとなれば、活してお拾い 唇辺にただよわせながら、しすかにうなすいた。 願いたし」 「数正」 「むろんのこと。死屍を召抱えても詮ないことじゃ」 し」 「数正は、天下のため ! ただこれ一筋に生きとう存じま する。こうして出奔した以上、徳川家の家臣でないことは 「わしがこなたを分相応の大名に取り立てようとする : むろんの事ながら、関白殿下の家臣でもありたくござりま よしカ しかし、わしの側近の者は、それを喜ぶまい」 せぬ。家臣ではないが、殿下を通じて働くが、天下のため 「さあ、それがしには、とんとその儀は : 「いや、喜ばぬのじゃ。わしが、家康の送り込んで来た間ならば何時にても生命をささげて立働く : : : そのような自 諜を、それとも知らずに召抱え、これに大禄を遣したと思由な立場でお拾い下されば、禄は妻子の糊口をみたすだけ で充分にござりまする」 、つであろ、つ。ど、フじゃその儀は : 数正はムッとした。 思いきってそう言うと、何故か数正は、からりと心が晴 考えないことではなかったが、それを言われることは、いれわたった。 外だっこ。 ( それでは、数正の真の姿とはほど遠い : 「恐れながら、そのようなご懸念がござりましたら、大名思うことを思うままに言い得た歓び。 それは数正自身が、びつくりするほど爽やかな清風をお などになさらぬが宜しゅ、フ′」ざりましよ、つ」 のれに返して来るものだった。 「そうか。それで、よいかのう」 「何じゃと、誰の家臣でもない自由じゃと」 「申上げまする ! 」 「なんじゃ」 「はい、言うならば天下のための家来、天下のためと言う 「気がっきましたー この数正に実は望みがあったこと道の、無二の忠臣でありとうござりまする」
に笑ってみせた。 「これが、望みであった。右府以来の、われ等ののう」 茶屋四郎次郎は、わざと家康の言葉は耳に入らぬものの 「そのお言葉 : : : 神仏が、どのようなお心で聞かれまする よ、フに一一 = ロいつづけ・た。 力」 「京の市民が喜んでお館さまをお迎えする : : : まことにこ 「聚楽のご普請は、どうじゃ、い つごろ出来上りそう れは、咸 ~ 慨休いことに、こざりまする」 「清延、この普請は、幾らかかった ? 」 「されば、これはまだ、来年の夏を越えまするかと : 「は ? いや、なに、黄金十枚がほどにて」 「来年の夏か : : : わしも考えねばならぬ」 「ふーん。甲信の地の、城主の御殿の普請よりはるかに贅「と、仰せられますと ? 」 を尽して居るわ」 「御台が哀れじゃ。聚楽の新邸が出来上ったら母御 : 「恐れ入りました。お館さま、お立寄り下さると承りましや、大政所と一緒に住まわせてやらねばなるまい」 たので」 茶屋四郎次郎は、ちらりと上眼になって家康を見やった 「 - 延」 が、すぐに視線を膝におとして答えなかった。 し」 家康の心境があまりにハッキリと胸にとおって、答える 「天下のことは、定まったのう」 言葉がなかったのだ : 「そうご覧ぜられまするか」 ( これがわれ等の望みであった : 「わしがこれだけの人数を連れて入って来ても、市民の怖 そう言った天下の平定は、そのまま、家康が自分を戒め れぬ世になった : る声でもあった。 「仰せの通り : : と、存じまする」 天下は平定したが、それは家康の手に依ってではなかっ 「そして、わしの入洛を祝う盃台が、続々と宿舎に届けら た。これから家康には、秀吉という宿敵に対する忍従の日 れる。関白は、やはり並のご仁ではないわ」 が、悲願の達成と並行してはじまろうとしているのだ 家康はそう言うと、フーツと嘆息して、それからわすか そして、朝日姫を母と一緒に住まわせよう : : : そう洩し 204
オここでは相手に膝を屈 もはや、家康の肚はほば分っこ。 と、思い当った風であったが、若い井伊直政は、 「恐れながら、その儀には、われ等、反対でござりますしたと見せかけて、何か得ようというのであろう : その得ようとするものの正体が、彼には全然分らなかっ 眉をあげて真向から家康を睨んで来た。 「恐れながら、世間から、家康は北条父子に膝を屈したと 「反対とは ? わしの、い掛けに、足らぬところでもあると まで言われて、いったいどのような利が、当方にござりま いうのか直政は」 しようや。その儀、念のため伺いおきとう存じまする」 「先方から黄瀬川を距てて対面 : : : と、申出て来る以前な らばいざ知らず、向うもその気で居るところへ、当方から家康は、それを訊くとちょっと不機嫌な顔になって、み わざわざ川を越えて三島の旅館に赴いては、父子の威に恐んなを眺めまわした。 れて膝を屈したと言われましよう。それでは末代まで、御「直政も、分らぬかそれが : : : 」 家の瑕瑾になりまする」 「は、榊原どのと同じく、まだ思い当りませぬが」 「若いのう、まだ康政も直政も」 それを聞くと家康は、柔くうなずいて笑った。 「直政がそう思うほどならば、これは、ぜひとも川を越え て行かすばなるまいて。手紙は浜松で認めさせて来てあ「こうしたことはいちいち説かれずと、思い当るところが る。正勝、これを持って、すぐに氏政の許へ使いするよう無ければならぬ。しかし : : : 分らぬとあれば、分らぬまま で出向くわけにも行くまい。よいか、よく、いにとめて覚え その頃氏政は、もう領内めぐりの途中で、沼津の近くまておくがよいそ」 「よッ で出て来ているとわかっていたのだ : 「わしは、関白秀吉には、まだ一度も頭を下げなんだ。そ れは見て居てわかって居るであろう」 「仰せの通り : : : 実はそのお館が、なんで北条父子には : と、それが不審でうかがいました」 意外な家康の言葉に、こんどは楙原康政がじりじりと一 膝のり出した。