「知れたことじゃ。おなじ戦をするにも、秀吉が妹一人、 らぬのだから真偽を嗅ぎ出す手だては、使者のロうら、態 人質にとった上での戦の方が有利になる」 度から窺い知るより他にあるまい」 そっとあたりを見廻しながら声をおとしてそう言うと、 「それで、お前さまは、怒らせようとなされたのか」 作左衛門は視線もそらさすに、 「すると、作左はそうでは無かったというのじゃな」 「それなら、二人質にとった方がよろしゅうござろう」 「それがしは、虫が好かぬゆえ、好かぬままに扱うただけ でござる」 と、呟くように答えた。 「それはいかん。それでは掛け引きが無さすぎる。わし は、まことの大政所を寄こすつもりならば、彼等はきっと 「いかにも。こんどの使者は、秀吉の母御を岡崎へ寄こす 腹に据えかねて怒りだす : : : と、そう思うて探りを入れて ゆえ、殿を上京させよというのに決って居る」 みたのじゃ」 「作左 ! 」 「それで、お前さまは、偽せものを下すつもりに違いない 2 と見て取られたのでござるな」 「おぬしは人が好すぎるそ。それでは、わしの言う意味が 「そこまでハッキリはせぬ 。ハッキリはせぬゆえ、こなた わかって居らぬわ」 に意見を訊いているのじゃ」 「き、よ、フで、こざろ、つかの」 作左衛門は直接それには答えず、 「そ、フじゃとも。わしがいよいよ怪しいと申したのは、そ の秀吉が母御という女性のことじゃ。よく考えてみるがよ「偽せ者と、わかったら、何となさるご所存で」 はじめてきびしく視線を燭台からそらしていった。 都には御所づとめをした年かっこうの似た老婆などは 「知れたこと。殿の上洛を止めねばならぬわ」 掃くほど居ろうぞ。この三河で誰がいったい秀吉の母御、 「止めて、その後は ? 」 大政所の顔を見知って居るのじゃ。誰も知るまいが」 「今が戦いどきじゃ。妹一人質にとってある」 「それは知らぬ。ただ一人を除いてはの」 「その一人は御台所 : : : が、御台所ははじめからそれを一言 そこへみんなを寝所へ案内した若侍たちが、後片付けに い含められて嫁いで来ていたら何とする。つまり誰も見知戻って来たので、作左衛門の方から先にムツツリと席を立
に入ろうとはしなかった。 けて築きあげたわが家の家風を紊されてはたまらなかっ 「治部どの、さ、ずっと近う」 「はツ、しかし、まだ出陣の手配りで、あれこれご用もご ( そうじゃ、思いきった手を打たねばならぬ : : : ) ざりますれば : 十 「でも、そこでは話がならぬ。入ってたもれ」 たんけい 三成は小首を傾げて微笑した。 石田三成が寧々の部屋にやって来たのは、室内へ短檠の 「何か密談でもござりましようか」 灯が入ってからだった。 「されば、腰元たちも遠慮させてある。こなたの智恵が借 元来寧々は三成が好きではなかった。 浅野長政の誠実さにくらべて、三成にはどこかに油断のりたいのじゃ」 ならぬ、剃刀を掌で弄ぶような危さが感じられる。 「智恵 : : : 智恵ならば、政所さまの方がずっとお持ちであ それだけに、大切な相談はいつも長政にするのであったらせられる」 言いながら二、三歩膝行して、 何か思案の相手になると三成の方がたよれそうな気が 「恐れながら、阿茶々どのの儀ではござりますまいか」 と、生まじめに言った。 この小男の頭脳の冴えは素晴らしく、それだけ不澄に見 えることもあったが停滞することがなかった。 先を越されて、寧々はいやな気がした。この男のこれが 三成の方でも、自分が寧々にあまり好かれていないのを欠点なのであろう。勝気そろいの旗本衆の中で、時々これ 感じとっている。機嫌を取り結ばうとするよりも、むしろをやるので清正や正則などに嫌われる。 「すると、こなたもご存知か」 胸をそらして対抗する風があった。 「はい。もはや表にはだいぶ知れ渡って居りますようす ( たかが女子の才子ではないか : そんな風に内心では嘲笑しているのかも知れない。 「お呼びだそうで、伺いましたが」 「誰がそのような噂を立てるのであろう。わらわはこれは 三成はきちんと一礼して嗷居ぎわに坐ると、すぐに室内噂だけ : : : 噂だけとって居るが」 こ 0 246
「そして、春が来れば、足りないものは足りないままに、 た気の弱りから、うつかり甘えて口に出してしまったらし しかし力を尽して咲き出まする」 「ふーむ。するとこなたは、それを手本に生きて来たと申 その様子が察せられるだけに家康は、もう一度促さすに すのか」 いられなかった。 「はい。そうすることが、お館さまのため、若君さまのた 「お愛、こなた何か言いたい事があるのじゃ。いや今まで もあった。、、、、 よい。こんどめと思うて心の戒めに : : : それゆえ、さっきのことはお聞 カそれをじっと押えて来た き流し下さりませ」 だけは聞いてやりたい。申してみよ」 家康は、思いがけないお愛の言葉に、思わすこれも桜の お愛の方は、まだ怖えたように黙っている。 「水臭いそお愛、こなたはたしかにお願いがあると申した枝を見直すのだった。 なるほど植物には餓えても渇いても意志表示の自山はな 舌じゃ」 顧みられてもみられなくとも、ひっそりと咲き、ひっ 「お館さま : そりと実って、しかも渇きが募れば黙って枯れる : 「おお、申すか。聞こう」 ( この女はそうした生き方を、心の戒めとしていたのか 「このまま何も聞かずにおいて下さりませ。お愛はうつか り、今日まで守って来た心の戒めを、破るところでござり 家康は、この時ほどお愛がいじらしく、哀れに見えたこ 亠ました」 とはなかった。 「なに、戒めじゃと : ( 植物のこころで生きて来た女 : : : ) いいえ、桜ばかりでは 「はい。あの桜の花のように : しかしその女もやはり人の子だった。ふと口をすべらし ありませぬ。もろもろの木々や草花のように : て、それを恥じる悲しく慎ましい女だったのだ : 「わからぬ。何のことじゃ ? 」 「お愛、そう知ってわしは尚更きかねばならぬ。こなたの 「木々や草花は、どのように辛いこと、して欲しいことが たった一度の願い : : : きかぬうちはここを起たぬそ。さ、 あっても物は言いませぬ」 申してみよ。な。家康の方からそれをこなたに望むの 「それはそうじゃ、、 264
は政い なよ し と すは数秀視茶みい数執所正た数そのな怖 すいう るい正吉線々ん笑正らま直 。正れ首にれ る のを姫ないがぬでに とッ ! はもで三て とと 家 額庭だのがそぞ差申 静少も た 康 にのっ眼みこと下す か々狙で 、木たはだま うはと 臣こハ は か危 カ石。キしで三れ ののツ ツに茶ラて言る ぶお 者事キ と し、 ま とう々リいう 。れ ・・て ん考 がだリ 癇つ姫とっと だ そは 、けと でえ 筋しはそた 有 は申 れ 居な がて、の ゆっ 楽 うゆす主 座 とれ 秀確げ えの か の きくぐに 上示 差 申て 吉か得 の 打 静 上。又注 洛威 出 をでる せは 解 寂 怖 ば違 す ツが はで よう れざと ンれ を す 茶 た るざ を いよ てりは とる ぬ ク のま と のう と ス かで 人し家 り や す 数ょ康 澄 と 決し し しよ や わ の し、 申他 てう か し し て っ あ 臣 く わ が 頂 や 礼大 家 のは だ じ が せかせ 秀やむぬあとそぬし数仰 上秀 弥ー る通う 。か正せ 洛吉 正どの た じか岡しはの もく小 。は兵む のは て。崎、茶通 上低 数楽娘 怒衛 り 奇 とあそに大碗り のく 正しは じい秀 態 はるれは政のに を 申かを、所景ご 押 な やら吉 とめ 返 上聞本さ色ざ しの ん け多まにり て 事 げ はた し、思、 ば作お、ま じ か の ね 安左身さす ま わ ゃ 堵衛のりる し ま し ま す し門上げ が て の 出 も な る よがにな 方 チ そ ら ぬ カ が ひ れ り万を と で の と 無 なま々や たす粗り じ し、 かれ相な あ 々 か と や る 姫 らばはが ろ と も 申 っ 申 ら を と 見 す 上 左ざ そ ど る ま 何ま れ の つ か 「はい。打解けるか否かは上洛の上のこと」 数正は静かに応え、音をたてて茶をすすった。 175
な緊張ぶりであった。 新太郎はビグリとして前髪の顔を立てると、思いつめた 「こなたは、上洛すればわしの身に危害を加える者がある : と、思うておるのか」 表情で上半身を揺った。 「いいえそうは思いませぬ」 「お先に休むなど思いも寄りませぬ」 「ほう、すると、わしが朝まで起きて居れば、こなたも寝「ならば、何もこなたが、それほど硬くなって案ずるがほ どのものはあるまい」 ぬつもりか」 「いいえ、それだけではならぬと思いまする」 「お館さまー いよいよお館さまは、ご上洛なさるのでご 「なに、それだけではならぬ : : : ? 」 ざりまするなあ」 「そうじゃ。そちも聞いていたではないか」 「はいツ。お館さまは、さっき、、こ城代に、そちはまだ 「お願いが′」ギ、りまする ! 」 わしの思案の半ばしか分って居らぬそ。とおっしやりま した」 : 固くなって、何事じゃ」 「ほう、それを聞いていたのか」 「この新太郎にも、是非ともお供をお許し下さりまするよ 「私はその意味を考えました。そして父の言葉を思い出し 工した」 「ふーむ。なぜじゃな」 「もしご上洛と決ったら、お館さまの太刀持ちとして、お「なるほど」 傍を離れてはならぬ。そのことを必すお願い申してお許し 「たとえばご身辺に、何の危さもないと致しましても、私 を得ておくよ、フにと : は、やはりお側へきびしく坐っていねばなりませぬ。相手 に、さすがは徳川家の者ども、一分の隙もない心構え : 「誰が申した ? 父の元忠か」 と、それを見せておくだけで、必ず後々のお為めになる : それに、この新太郎も、そう思いまする」 : 父の申したことは、この油断ない心を養えよとの意味 家康は笑顔を納めて、ゆっくりと新太郎に向き直った。 躰はすでに大人であったが、ただ一基の燭台に照し出さであったと察しました」 れた思いつめた表情の若さは、音を立てて折れそうな蒼白家康はちょっと上眼になり、それから暫く黙って相手を 153
それにしても石田三成の態度はまた、何という冷くとり 「治部、なぜ答えぬのじゃ。わらわには、こなたの気心が 澄した高慢さであろうか。 知れぬ。有楽どのが肉親の姪を愛しんでいた : : : それを上 いや、それでなければ、わらわをそね 「ーー・政所が、おききなさるゆえ、やむなく申したまで様が横取りした : む者がわざわざ阿茶々を上様に押しつけた : : : 確かにそう そんな冷笑が眼の奥にありありと感じられ、寧々の苦悶申した筈。それが少しもこなたの気にはかからぬのか。困 ったこととはひびかぬのか」 と狼狽を的確に見定めているようであった。 「政所さま、気にかからぬとは、三成、まだ一度も申上げ 「そうか、治部の眼にはそう見えるか」 寧々は次第に昻ぶる感情に勝てず、 ては居りませぬ」 「すると、こなたも阿茶々のことはそのままにしてお 「では、、いにかかっていると言われるか」 「十、 0 しかし : : : 世の , 甲には、どのよ、フに、いにかかるこ て、わらわに反省させるがよい : : : そう考えておいでなの とがあっても、又、思い案じてみても、何ともならぬこと が多 - 、つごギ、りまする」 「これは心外なことを」 三成はいぜん、自分と相手の感情の間にハッキリと一線「何ともならぬ : : : すると、こなた、前々からこうなるこ をおいた冷やかさで、 とと案じて居たと言われるのか」 案じては居りました。 ; 、 力事が事だけに、上様 「ムは、ただお訊ねに、田 5 うままを答えたまででござりま する」 に若輩が予想をかざしてご意見もならず、有楽どのに掛合 いもなりませなんだ」 「答えたままで済むと思うか治部」 「と、仰せられると : 「それならば、尚更出来たあとの事にも思案があろう。わ 「こなたほどの者が、奥の紊れ : : : いや、奥の風波の立つらわのこなたに訊きたいのは、こなたの冷笑ではない。後 ことなど、さしたる事ではない。わらわが見ぬふりをしての始末じゃ」 居れば、それで済むことと : : : お思いか」 「政所さま ! 」 三成は苦々しげに顔をそむけて答えなかった。 次第に三成も寧々の感情に捲きこまれて頬を赤く燃えそ 249
「、も、つよいわ六、。ノノノ・ : こなたの躱し方は見事なもの辺を守る意味もあってのご同行 : : : と、心得まするが」 「そうではない。世間の噂はの」 「どんな噂でござりまする」 宗安も、曾呂利と並んで、きちんと膝をそろえてから、 「わしが弟の嫁に、石田治部さまを通じて居士のもとから 「時に新左どの、わしはこなたに頼みがあるのじゃが」 お三さま ( お吟 ) を貰いうけた。それが殿下のお気に召さ 「へえ、万代屋さまが、このあたくしに : 「そうじゃ。こなたは殊の他に関白さまのお気に入り。こぬという噂なのじゃ」 「ほう、それは初耳で」 んどの九州行きに、なんでこの宗安だけお伴が叶わなんだ か、それをひとっ探ってみては呉れまいかの。何がご機嫌曾呂利は大形に眼をむいて宗安をふり返ったが、腹の中 では、この質問の意味はわかり過ぎるほどにわかってい を損じたのか ? 」 曾呂利は薄く色づくタ空を見上げたまま、 宗安は、利休居士を取巻く茶道衆の中では、ちょっと薄 「それならば、よくわかって居りまするが」 と、かんたんにいなした。 手な野心家たった。 「ほう、こなたには分っているのか」 それだけに、利休に取入ろうとして、お吟を万代屋へ貰 「何もご機嫌を損じたというほどのことではない。利休居えまいかと申人れた。お吟を自分の妻とし、利休の親類に 士に、茶道三名召連れると仰せられましたので、宗及、宗なることで出世の道をと考えたものらしい。ところが、利 薫、宗無と居士が人選なされたまででござりまする」 休はお吟の気性が、はげしすぎるから宗安とは合うまいと 「その人選じや新左どの」 言って断った。 お吟は利休の実子ではない。利休の二度目の妻の連れ子 「宗無どのが行くほどならば、なんでわしのお伴が叶わぬで、実父は信長のために滅された松永弾正大夫久秀だっ のか。いや、世間に妙な噂が立っているのでの」 た。つまり、松永久秀の側室だった猿楽大夫宮尾道三の娘 「き、よ、つで、こギ、りまするか。宀小無さまは、ご ~ 仔知のよ、つに が、久秀の死後二人の子を連れて利休の後妻に嫁いで来た 酒造家育ちとはいえ兵法が出来まする。それで居士のご身わけなのである。 っ ) 0 285
「お召により、鳥居彦右衛門元忠、まかり出でてござりまご返事は出来ぬ。こなたは腑に落ちねば、わしの言うこと する」 も聞かぬ男 : : : そう申上げたら、殿下は、直々お掛合いな 新太郎は康政のあとから、父の彦右衛門の、これはまた さると言わっしやる。こなたの思いのままを申上げよ」 甲羅の堅い沢蟹のような姿を見ると、もう、どのような事家康が言うと、秀吉は笑いながら手を振った。 。、 , 起っても靼く寺いと , 次、いした。 「いやいや、思いのままに答えよというのではない。強っ 相手の秀吉が目の前にいるのだから、家康との打合せはての所望、承知せよと申しているのじゃ」 しよ、つがない。 新太郎は、思わず又息をつめた。 秀吉は、藤堂高虎との話を中止して元忠をふり返ると、 五 「おお、よくぞ来られた彦右衛門。実は、こなたに所望が あっての」 鳥居元忠の表情に、むくりと怒りのいろが動いた。 彼もまた作左衛門に近い型の男であったが、彼ほど深く 3 「それがしに、あの殿下から : : : 」 秀吉の心情など、そんたくしようとしなかった。相手の身 「そうじゃ。所望とゆうても品物ではないぞ」 になって考えすぎると、身動き出来なくなることをよく知 「はて、何でござりましよう。われ等に」 っている。 そう首を傾げてもわかるまい。実はの、こな 「これは、田 5 いがけないことを仰せられる」 たの伜、鉄肘の新太郎を、わしが所望したのじゃ」 「が、承知したと申すか彦右衛門」 「えつあの新太郎を」 秀吉もすかさず言った。むろん元忠の顔にうかんだ怒気 元忠はじろりとわが子を一暼して、その視線を、そのま よいぶかしげ・に宀豕康に移していった。 に気付かぬ秀吉ではない。たしかに気付いて居っての催促 「一兀忠、殿下はひどく新太郎がお気に召されてな」 と、新太郎にもよくわかる言い方だった。 家康はとみると、さすがにちょっと上眼になって息をこ らしている。 「宰相どのの婿養子にと望まれておわすのじゃ。婿養子に 且つ、迷惑な仰せにごさります 「近ごろ、ありがたく、 して後を継がせたいとなあ : : : したが、これはわれ等にも
′、、もない」 「な、なんとなされました本多さま」 「突然そのように仰せられると : しかし正信の答えはない。 「いやいや、さすがはお館の目がねに叶うた茶屋どの、こ まるで平伏でもするかのように低く頭を垂れて、かすか れで正信も安心して大事を打明けられまする」 に肩をふるわしている。 な、なんとなされましたので ? 」 茶屋は再び唖然とした。 「本多さま ! どうやら今までは正信の試問で、ほんとうの目的はこれ から先にあると一一一一口、つことらし い。いよいよ出でて、いよい 「どこそお加減でも : : : 人を呼びましようか本多さま」 よ奇怪な性格の持主と言うべきだった。 「いやいや、誤った ! わしがあやまった : 正信は神妙に指尖で眼頭をおさえてから、もう一度頭を その時になって茶屋四郎次郎は、本多正信が泣いている 下げた。 のでは ? と、はじめてそれに気がついた。 「お館さまより、こなたの人物については、いろいろ伺う ( しかし、何のために : 8 て居りながら、正信は、この目で確めねば安心ならぬ不遜 3 と、考えて来ると、いよいよわからなくなって来る。 すぐさっきまで、あれほど言いたいことを言いまくってさを持っていました。許して下され」 いた相手が、不意に両手を突いて泣きだしたのだから無理「本多さま、まずお手をおあげ下され。茶屋四郎次郎、ご 返事に困りまする」 もない 「いや、聞きしにまさるご心底 : : : 改めて申上ぐるまでも 「ったー ないことながら、今までの話は水にお流し下され」 正信はもう一度呻くように言って、上躰を起した。 「茶屋どの、許して下され。お館さまのご信任厚いこなた 「そして、これから正信の申すことに、遠慮のないご意見 を、試そうとした正信の疑い深さを許して下され」 が承りたい」 「と、言われると、あの茶屋を試そうとて」 正信は三度人が変ったかに見える、ふしぎな誠実さを見 「、いにもない浅井の姫のことなどあれこれ申してみまし オ ! わしの小さな智恵など及ぶべせて言葉をつづけた。 た。申しながら恥入っこ
がら、心の中では二人を比べて、この秀吉が勝つものと決 ち、それから黒髪を手にまいて部屋中を引きまわしていた めて居るわ」 それほど今目の前の茶々姫は小癪な大人になりきって見「そ : : : それは、何のことやら ? 」 三度同じ目に会うとい えた。 「こなたが白状しているのじゃ ! うのは、秀吉の力が立勝っているということじゃ。もし家 茶々は勝ち誇ったように言葉をつづける。 康の方が強ければ、こなたは喜んで嫁いで行って、家康と 「上様にも、何ともならぬお人があったのじゃ。ホホ : ともにこの秀吉を計り、両親の怨みを晴らせる筈じゃ。そ 大政所さまを人質にした上、上洛して来たら、わらわを息 うであろう。ところが、それは嫌じゃとい、つ、するとこの 子の嫁に進ぜよう : : : そのようなことを言うてご機嫌を取 秀吉には歯が立たぬと、こなた自身言うたも同じじゃ」 結ばねばならぬお人があったのじゃ」 秀吉はそこまで言うと、脇息の表に節くれ立った指の爪 「でも茶々は生きています。人形ではござりませぬ。そんを立てて片手を伸した。 : 徳川家へは 7 「よし、許してやる。こなたの思うままに : なみじめな、上様の土産ものなどになりますものか。いい え、言われるままになっていたら、やがてまた上様に滅ば嫁がせまい。その代りここでこなたの身の振り方も決めさ せる。こなた自身で秀吉がいちばん怖れている者は、家康 されるのじゃ」 とこの茶々じゃと申した。よもやそれは忘れまい」 「阿茶々」 「あ ! 」と、茶々は悲嶋をあげて身をすさらせた。秀吉の 「おわかりでござりましよう。茶々の心は」 「こなた、父も母も、わしに討たれた : ・ : 徳川家へやられ眼にかってない狂暴な光りが宿って燃えている : て又討たれるのは嫌じゃと申したな」 五 「仰せの通りでございますもの」 「よし、その一言で、胸の怒りはおさまった」 茶々の反抗は勝気な娯にありがちな一種の遊びであっ 「なんと仰せられまする。その一言で : : : 」 た。相手は怒らぬものと計算して、甘えと媚びを見せなが 「そうじゃ。こなたは、秀吉が家康の機嫌を取ると申しなら、次第に年齢の差や身分の差をちちめてゆく。そして、