居り - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 9
353件見つかりました。

1. 徳川家康 9

ように育てようかと戦陣の間でうっとりと想いを馳せたり「懐妊しているとすれば : した : : しかし、それは育たなかった。寧々は泣いた。あ秀吉は、これもまた眼を宙に据え直して、 「輿の旅はよくないそうな。水子になって流れるおそれが れは、二度ともう自分が懐妊出来ないことを知っていたか も知れない。女というものはそう言うことにはひどく敏感ある。仮りに阿茶々がそれを知って嘘を申して居る : と、しても、ここは黙ってきき人れておかねばなるまい」 なものじゃ。それでな、わしは自分よりも寧々が哀れにな って、右府さまに頼んで秀勝を養子にしたのじゃ。このま わずら 「どうじや有楽、いや、お身にも、この秀吉の気はわかる まおいては寧々が患いっこうと判断しての : : : そのわし : しかし " まい」 に、五十を過ぎて子を恵まれる : : : こりや : じゃ。信じられぬ ! 」 「しかし、これは、寧々にはうかつに聞かされぬことじゃ。 有楽はふたたび視線をそらして、静かに扇子を開いたり あれは嫉妬ぶかい女子ではない。側室のことまであれこ 閉じたりしている。 : とな カ子供が出来た : れ、わしに助言するほどじゃ。。 : ( これは自分の答うべきことではない : そう思って、つとめて秀吉の述懐のさまたげをすまいとれば問題は違うて来る」 「それは、うかつにお聞かせなさらぬ方が宜しゅうござり しているかのような様子であった。 ましよ、つな」 「有楽 ! 」 「よッ 「そ、フじゃ。、つかつにの、フ、わしの靼万きが大きいよ、つに、 あれの愕きも大きかろう」 「こなたはど、つ田 5 、つぞ」 そう言いながら秀吉は、これですっかり「頂上。ーー」へ 「何を : : : でござりまするか」 「阿茶々がことじゃ。阿茶々の一一戸うことを聞いておいてやたどりついたという、ふしぎな淋しさから解放されて、羽 の生えたような、昇天しそうな昻ぶりの中にさまよいだし るより仕方があるまい」 「殿下の思召のまま・ : : と、お答えするよりござりませているのに気がっかなかった。 ぬ。ただ有楽が止めたのでは、姫が納得仕りませぬので」 8

2. 徳川家康 9

「そうか。すると巧いことを言うて褒美が望みの乞食坊主りまする」 かも知れぬが : 「変って居る : : : 」 言っているところへ、下手の木戸から一人の人足風の男 と、氏政は氏直を振り返って、 が、両手をいましめられたまま、二人の近侍に引立てられ「では、このまま聞こうかの右京大夫どの」 て入って来た。 「御意のままに」 なるほど僧侶たったかも知れない。頭髪はすべてが三、 「よし、では随風とやら、何が話したいのじゃ。気のおけ 四寸に伸びて栗のいがのように立っている。背は決して低る者は居らぬ。申してみよ」 くはなく頑丈な肩は武士だと言っても通りそうだった。 「申上げます」 年齢はちょっと見当がっきかねる。ただその眼だけは、 随風はコグリとして庭石に腰をおろした。 しぎに深く澄んでいた。 「お二方は、このようなたよりない備えで、大坂と戦う気 じきとう 「その方か、わしたち父子に会いたいと申したのは。直答 かどうか、まずそれが伺いたし : 許す。まず、名から申してみよ」 五 すると相手は柔い身のこなしでそり気味に立ったまま、 「名前は随風、時々漂泊が病いの困った万年学生にござり 「なに、このような頼りない備えじゃと」 まする」 随風と言う怪漢の最初の言葉を氏政はききとがめた。 「ふーむ。人払いをして、何か話があると申したそうじゃ 聞きとがめるのが当然だった。 の」 内心自慢で、わざと間諜を見遁してやるほどの小田原の どなた 「十 6 、 0 しかし、その必要がないとお考えならば、何誰が備えを、相手は軽く一笑していったのだ。 同席されてもわしの方には一向に不都合はござりませぬ」 「随風とか申したの」 「どうじゃ。害心はないと見たゆえ、繩を解かせようか」 「は、、風のまにまに放浪致しますのでそれをそのまま名 「ご無用に願います。こうして腕を縛られて居ればとて、 に致しました」 「その方、やはり羽柴が廻し者か。そうであろう」 舌は自在、こなた様の方にご不安を与えるは不本意にござ 9

3. 徳川家康 9

「こなたの智恵などは、どうせ悪智恵じゃ。無にならっし今日までに辿り米った匪根のほどが刻み込まれて居る。こ やれ。それがこなたの言わっしやる祖師のお心以前に、必れをわが身から手放すのじゃ。五十金、百金にも替えがた : いや、わしの側からの惜しみはよそう。譲られた ず杖を曳かねばならぬ日暮れの道じゃ」 、とぐ↓っ 「ならば、この光悦の考えなど、まだ取るに足らぬと言わ人々が、この価値を見出す響緒はの、残念ながら金高にか っしやるのか」 かって来るのじゃ。大金出した品とわかれば必すこれを珍 「さあ : : : わしは言わぬ。が、 茶は、そうこなたに囁きか重して、後々までもその美の価値を見て呉れよう : : : 関白 けはせなんだかの」 の代にも、その次の次の関白の代にものう」 そう一言うと、何時か利休は眼をうるまして、そっと手作 「光悦どの」 りの茶さじに頬を寄せていた。 「な、なんでござりまする」 「こなたが、、、 とのように逸っても関白を思いのままには出 2 来ぬものじゃ、若ししてみても、それで終りなどというも光悦はまだ相手の説をそのまま鵜呑みには出来なかっ 1 のではない。 一人の関白の次には又別の関白が、その次に はまた別な : ・ : と、決してこの世は果しはない」 人には人それそれの執着があり、そのためには極度に自 分を主張しようとするものなのだ。 かんそう 「それゆえ、祖師日蓮も、三度諫争して通らすば山に籠っ仮りに利休が自分の執着を正しいものと信じきって生き てあとの工夫をなすべきものと、潔く身延山に籠られた由ていたとしても、それはもう一つの「世間の鏡ーーー」にど を聞いて居る。よいかの、わしが三両金よりは五両金下さ う映じてゆくかであった。 るお方に手すさびの品を贈る : : : そう申したのは、その後 利休はしばらくして、サラリと茶さじを投げ出した。 の工夫に嘱するものじゃ」 「まだ納得出来ぬ顔のようじゃの」 「な : : な、なんと言わっしやりまする ! 」 「いかにも」 「いかに手すさびとは一一「ロえ、この小品の中にはの、わしの 「どのところが気に入らぬのじゃ。遠慮はいらぬ言ってみ はや 6 」 0

4. 徳川家康 9

板倉勝重は眼をかがやかしてうなずいた。 「では、かたじけなく」 「石出氏、さ、もう一つ重ねられよ」 「石出どの、その美禄、舌にのせてよく味わって見るがよ 石出帯刀と呼ばれた武士は、もう一度そっと自分の太刀 いぞ」 の位置を見やって盃を差出した。 「ふーし」 いっか太刀は以前の場所より又三尺ほど板戸のきわに引 「こなたはひと暴れ暴れて見せたら、その方が却って召抱かれている。 「旅のご僧の話、ご冗談にしても仲々味のある仰せ方、わ えられるおりの値が上る。そう考えているかも知れぬが、 れ等も深く訓えられました。のう石出氏」 それは拙策じゃそ」 勝重に言われて帯刀はため息した。 「そのよ、フなことは : 「いや無ければそれでよい。それよりはの、小田原の残党次第に肩の張りがやわらぎ、眉の険気がとれかけてい らつば や、野臥り、乱破のたぐいに顔の利くこなたじゃ。こなたる。 の手で彼等を説き伏せ、江戸の治安の柱になろうと肚を決「しかし、板倉どのと、石出どのが、この地でお出会いな 3 されていようとは思わなんだの」 めたらどんなものじゃ。もはや弓弦を鳴らし、太刀をかざ 天海は眼を細めて、 して暴れ狂っていてよい時代ではない。それに又、こなた 「これも言わば徳川どののご運の強さからと田 5 われるが : ・ 達がどのように暴れて見たところで、帰る所の無くなった 三河武士が、この地を捨てて引きあげてゆく筈もなし、結・ : この天海が保証してよいのう。江戸の前途は洋々とひら けてゆくわ」 局は多くの仲間を討たれて身を破るがおちじゃ」 「さよ、つで」ざろ、つか」 「ご念には及ばぬ。この天海は随風と名乗っての、日本中 「それよりは、この吉相をそなえた土地が、京、大坂にま さる繁華を身につけたおり、石出帯刀も、不逞の輩をおさの人から町、町から城と見て来ている。どうじゃの板倉ど えて、この江戸造りに尽した大恩人と言われる方が神仏のの、石出帯刀を、お許の手でご推挙なさらぬかの。これは 心に叶うぞ。のう板倉どの」 いったん迷いを吹き払うと、お許に負けぬ義理堅さを持っ

5. 徳川家康 9

れ」 主人らしい尊大さも加えて来る : 「ホホ : : : そうは参りませぬ。幸斎どのは、この城の空 それを饗庭の局も大蔵の局も、ひどく喜んでいるようだ気、何彼と見て参って殿下にお物語りなさらねばなります まい、ちょっとお目通りを許させられまするよ、つ」 茶々は答えなかった。会いたくないのである。というよ りも会って、いつもと同じ秀吉の、若君を大切に : : : そん 「申上げます」 な伝言を聞くのは煩わしいと思ったのだ。 茶々が鶴松丸の頭上で、しきりに風車をまわしてみせて「旦那さま」 いるところへ、饗庭の局が入って来た。 「何じゃ。まだ居やったのか」 「ただいま、小田原の御陣中から、赤尾幸斎どの、お便り 「こんどはお手紙の他に、何か大切なご用向きもあるご様 を持ち参じてござりまする」 子でござりまする」 「それを、こなた聞いて居るのか」 「とっか」 2 と、茶々は見向きもせずに言った。 「はい。何でも近いうちに、大坂城の北政所さまから、旦 7 那さまに、小田原へ赴いて、殿下のお身廻りの世話をする 「それは大儀、手紙を貰うておいてたもれ」 世間はすでに青葉どきに入ろうとして、この母子の居間ようお話がある筈とか : : : そのおりのご行列の打合せなど 、かい′」、つ から眺められる中庭には、海棠の花がこばれるように咲いもなさりたいご様子なれば、とにかくお目通りをお許し下 き」い・士すよ、つ : ていた。 「よに、北政一町から : ・ : ・ ? ・」 「ホホ : : : 旦那さまの、なんと又あっさりとしたお答えよ 「はい。お指図がある筈と」 う。お手紙だけではござりませぬ」 「饗庭 ! 」 「すると、何かお言伝でもあってか」 不意に茶々は、風車を抛るように投出した。 はじめて茶々は視線を局に移し、 「わらわは殿下ひとりの玩具でたくさんじゃ。北政所のお 「わらわは会うても話もない。こなた聞いておいてたも 指図などは受けとうない。そう申せ幸斎に」 つつ ) 0

6. 徳川家康 9

「おお、勝手にさをて頂きまする。居士 ! 」 茶碗はどうやら、今、戦場にある古田織部正の焼かせた てんしようぐろ 「天正黒ーー」らしい。 「まだ何か用があるかの」 それをそっと光悦にすすめてから利休は言った。 「それではこなた様は、茶の道を通じて、関白をお導きな 「どうじゃな、新しい茶碗を高く売りつける、金ばかりが さろうという、以前のお志は捨てられたのじゃな」 まいさおう 「いいや、以前も今も、格別変ったつもりはないの」 目あての売茶翁じゃという悪口は聞かなんだかな」 「と、仰せられると、以前からそのようなお志は無かっ 「聞いては居るが今日までは : : しかし、これからは〔信じると一一一口わっ た。祖師日蓮が鎌倉で辻説法なされたおりのような、激し「信じなかった : しやるか」 いご気性はお持ちなかったと言われるのじゃな」 勢い込んで光悦がそこ迄言うと、利休は舌打ちして笑い光悦は答える代りに掌の中の茶と茶碗を賞味しようとあ せっていった。 「こわやの、怖わやの。今日蓮が何を言うやら : : : さ、湯 ( 若い ! ) と言われた一言が無性に彼をいら立たせる。果 たぎ が沸って来た。鎮魂のために一ぶく点てよう。まず、気をして自分の怒りは軽卒だったのか ? それとも相手の世故 しずめて、それからあたりを見直しなされ。な : の汚れが、こっちの若さを瞞着しようとしているのか : それにしても茶の美味さはまた、何という意地のわるさ 利休は光悦の怒りを無視して、弟子の運んで来た風炉ので彼の味覚を引っかきまわして来るのであろう : ・ 前に坐った。 利休はとみると、もう意地のわるい三白眼になって、一 燭台を引寄せて茶器を調べだすと、さすがに光悦にはロ碗の茶が光悦の内部に、どうした変化をもたらすかと、そ をはさむ隙は与えない。 れをじっと見まもっている様子であった。 まさに「鎮魂ーーー」の茶であろう。ふくさを捌く手許か光悦が茶碗をおくと、利休は言った。 ら、目も心も時空の中に溶けこんで、あるのはただ暮れお「どうじゃな、心が洗えたかな」 「さ、それは・ ちた谷間の静寂だけであった。 ふろ まんちゃく 190

7. 徳川家康 9

かって見て見ぬふりをしているのに違いない。そこへもう よりも後に残ってみなの後生を葬う女子じゃ。安心なさ 一人秀吉の憎しみを受けているお吟を送り込もうというの れ」 だから、もしそれが秀吉にわかったら、それこそ前田家は 「それで、私に頼みとおっしやりますると」 かくま 「実は、この女子のゆかりの者が、いま加賀に住うて居じめ、右近もお吟も、それを匿った蕉庵も、逃亡させた茶 る。そこまでこなたに送り届けて貰いたいのじゃ」 屋も光悦もみな迷惑は免れまい。 「あのお吟どの : : : ではないお金どのを」 「どうじゃの、お引受け下さるかの」 しゅんじゅん 「そうじゃ。こなたは本阿弥光悦と懇意の筈、光悦はまた 蕉庵は茶屋が逡巡していると見てとるとぐっと語調を ひいき 加賀の宰相にはご巓屓を受けている筈じゃ。その宰相の茶重くした。 堂にのう、等伯 ( 高山右近 ) という方が居るをご存知であ「互いに人を活すために心を砕いて来たわれわれじゃ。利 ろ、つ」 休居士も、それなればこそわが身を殺して道を守ったのだ 「はい、それはよく存じて居りまするが」 と思われぬかの」 「それはもう : 「その等伯どのの許へ光悦を通じて送りとどけてはしいの 「それならばご承知下さろう。居士の生きてある間だけ利 茶屋四郎次郎は、改めてまたお吟と木の実を見比べた。 用して、死後は知らぬと見捨てたのでは、とても武将と太 木の実はニコニコと笑っていたが、さすがにお吟の頬は刀打は出来まい。武将よりはわれ等の方が、少しはましな 道を歩いて見せねばのう」 硬ばっている。 その筈だった。切支丹大名のゆえをもって領土を召上げ そういわれると茶屋はもう否めなかった。 られた高山右近大夫は、これもまた秀吉の敵であり石田三 : たしかにお引受け申しました。本阿弥どの 成の敵ではなかったか。 もおカ添え下されましよう」 一気に言って微笑を返した。 それがいま前田家で、髪をおろし、等伯と名のって茶道 で捨て扶持をもらっている。 秀吉もむろんそれは薄々知っているのだが、 不家をはば 306

8. 徳川家康 9

秀吉の真意はすでに見抜いている。何かで自分を罰そうは触れない。 としているのだ。が、ここでうかつな返事をすると、大徳 寺院の木像や彫刻は言わば一種の飾りにすぎない。 寺の長老たちまで巻き添えを喰いかねない。その点で秀吉 がって、誰もがくぐる欄間などに、獸もあれば虫も彫られ ている。茶道を志した人としての利休の姿が、そうしたた はどう考えているのか ? それを咄嗟に計りかねたのだ。 「どうじゃ。ハッキリと許さぬのに建てたか。それとも許ぐいのものとして飾られたところで、何の不都合もなく、 したか ? その点が大切なところじゃそ」 もし又とかくの噂もあれば、さっさと取除けさせましよう 「されば : : : 差支えなかろうと、この利休、ハッキリ承諾と言えばそれで済むことだった。 してやってござりまする」 ところが秀吉は、もはや、利休の予想したままには打込 「そうか。では、そちが承知して建てさせたのじゃな」 んで来なかった。 秀吉の声はいよいよ薄気味わるく静かになった。 「理由は改めて説明せすともわかるであろう。こなたの土 足の下を勅使にくぐらせる気かと言うのじゃ」 五 「その儀につきましては : 「まあ待て、こなたの心はようわかって居る。わしは了解 「治部も宮内法印も聞いたであろう。大徳寺の長老たち ま、利休の恩に感じて木像を作らせた。それを山門の楼上しているのじゃ。ところが、世間ではこれをこなたの罪よ に飾ることは利休も許した : : と、事情は明瞭になって来りもわしの罪として数え立てている。関白が利休を甘やか たわ」 したが原因、利休すれにかような無礼を許すほどゆえ、や 秀吉はそう言ってから、又利休に向き直って、 がて秀吉も、清盛入道や北条氏のような僣上沙汰に及ぶで 「実はの、あのことで公家衆が大騒ぎを致して居るのあろう。捨ておけぬことじゃと噂しておる。そうであった な宮内法印」 利休は黙って秀吉を見上げていた。 「仰せの通り」 ぞ - つじようまん それが「不澄ーー」とか「増上慢・ーー」とか言われた と、前田玄以が答えた。 ら、一気に言い返すつもりであったが、 「ここまで話せば利休はも、フようわかっている筈じゃ。よ 秀吉はまたそれに とつ、・、 281

9. 徳川家康 9

が、本気になって立向うほどの敵ではござりませぬ」 「わらわは、お傍へは参れませぬ。こなたからそう告げて と、幸斎は言った。 たもれ」 すると、すかさず茶々は、 「これは、幸斎困り入りました。淀の者を迎え取れと、そ 「ご陣中で、殿下のご不自由なされておわすものは、蚊れで寄こされた使いにござりまする」 と、蠅と、虻だと申したの」 今度は、 「よく、こ ~ 仔じで : : : 」 「ホホホ : : : 」と、一死君が夭った。 と、幸斎はびつくりした。 「それでは、その蚊と、蠅と虻の多い山の中へ、若君をお 「蚊やりと蠅取りを用意しあるほどに、 こなた届けてたも伴い申せとおいやるのか」 「いいえ、それはその : ・・ : 」 幸斎は、額を叩いて感心し、 「では、若君を残して来いと仰せられるか ? 」 「さあ、それが : 「恐れ人りました。淀にあっても殿下のご身辺はお見通し のようで。しかし、殿下がご不自由なされておわすのは、 「幸斎、持って廻ったいい方はおよしなされ。それはみ 蚊と蠅と虻だけではござりませぬ。もう一つでござりますな、北の政所さま、わらわの手から若君を取り上げようた めの策謀と思わぬか。正直に申すゆえ、よく心に刻んでお 饗庭の局がわきからロを出して、 くがよい。わらわは、殿下のおそばより、こうして若君の わが 「それは、心づかなんだ。何であろう」 そばに居るのが希いじゃ。腑に落ちたか、腑におちたらそ きまじめ 幸斎はその視線の下で、生真面目に嘆息した。 の話、重ねてわらわの前ではすまいそ。立ち帰って、殿下 「申上ぐるまでもなく、淀の君さまにござりまする。殿下 にそうお告げなされ。身の廻りの世話をするだけの女子な は、朝夕ご不自由な小姓相手のお暮しで、淀の君さまの名ら、子のない女子がたんとある筈」 前が五、六たび、出ぬ日はござりませぬ」 幸斎は、激しい茶々の語気にあって、血の気を失って震 淀君は、手の甲を口にあてて笑いかけたがすぐに止めえだした。 おそらく、秀吉から例の楽天的な嬉しがらせの言葉を聞 れ」 775

10. 徳川家康 9

「賢すぎるほどと、思うて居りまする」 しゅ、つ存じまする」 寧々は思いきってそう言った。そう言うことが関白太政「いやいや、人間に賢すぎるということはない。男にせよ 大臣の正夫人である自分の雅量であり、理性でなければな女子にせよ、賢いに増したことはない。がこなたに比ぶれ ばやはり阿茶々は一段と劣って居る。それはやむないこと らないと、どこかで悲しく命じているものがある。 じゃ。こなたが優れすぎて居る」 「身分に応じた扱いをの」 寧々が、ひやりと鋭く、 秀吉は、声をはずませて身をのり出した。 ( わらわは大坂へ帰ろう ) そう思い定めたのは、無邪気な追従を良人の口から聞か された時であった。 寧々は、又しても笑うより他になかった。 やはり寧々には大坂城が、秀吉の人生の頂上の城であ 悪戯を許された子供そのままの秀吉が、腹立たしくもあ り、そこにあってこそ自分は秀吉の正妻であり得るのだと るがいじらしくもあった。 反省された。 「身分相応と言えば、どのような扱いがよいかのう」 「ではとにかく、この大奥の局をひとっ阿茶々のものと決 「それは殿下がお考えなされませ」 「うむ、阿茶々はあれで仲々勝気な、それだけ賢さも持 0 めてや 0 ての、有楽に大坂から呼び返させるよう手配をし た女子じゃ。おそらくこなたに次いでわしの、いに叶うであよう。あれは決してこなたに楯つくようなことをする女子 ではない」 ろ、つ」 秀吉は寧々の気持の変らぬうちに、例の強引さで一気に 「又笑うのか。笑うな、わしは、いつも正直にものを言う押しきろうとあせっている。 「よいかの、こなたの事もの、わしはよく考えてあるの て居るのじゃ」 じゃ。まずこの聚楽第に主上の行幸を仰ぐこと。そして次 「ホホ : ・・ : あまり正直ゆえおかしくなりまする」 にはそのお礼として、こなたの名で禁裏において御神楽を 「では、こなたの眼には、阿茶々は賢くない女子と映って せんげ 奉納すること。そのあとで禁裏からこなたに従一位の宣下 いるのか」 5