蕉俺は半ばは宗室に聞かせる口調で、 ならば、案がなくもござらぬがの」 「お前さま方で、一足先に関白に会うことじゃ。どうもそ 「それを一つ、お聞かせ下さるまいか」 宗室のあとから義智は、意地も張りも忘れたように蕉庵の後の彼の地の様子が違うようだとゆうての」 「一足先に : : : 様子が違うようじゃと : の前へ両手を突いた。 「このまま宗室どのに報告されては、われわれも小西どの 「いかにも。それゆえ、まだ大軍を送る前に、われ等と小 西摂津どのをお先手にして発進させられたい。そして、わ も破滅は必定 : : : 何とそ、ご思案をお聞かせ下さるよう : この通りでござる」 れ等が無事に上陸出来るか、それとも敵対を受けるか ? その点をはっきりと見きわめた上で事を決されたい。万 一、われ等のご報告と違った結果が現れては申訳が立たぬ 蕉庵は宗義智の態度に苦々しさを感じた。しかし憎む気ゆえ、この儀、是非ともお聞き届けに預りたいとのう」 宗義智は、じっと蕉庵を見つめたまま瞬きもしなかっ にはなれかった。 誰が見ても秀吉の言行には時おり酔後の放言とも受け取た。 小西勢と宗勢とで渡海の瀬踏みをせよというのである。 れる粗大なものがあった。人物のスケールが違うのだと考 えられないこともなかったが、大風呂嗷をひろげ過ぎる性なるほどそうすれば秀吉へのいいわけは立つであろう。し かし先手をつとめる自分たちはどうなろうか : 癖と見られないこともない。 彼が考えても上陸すれば戦になるとわかっている。戦に 小心で善良で、適当に その秀吉に比べたら、宗義智は、 なれば小西や宗だけでは後詰めの来る前に全滅するに違い 小ずるい、ありふれた人間だった。 : 全滅して果てるほどならば、何もわざわざ彼の地 したがって、この程度の器量の人間を、ただに朝鮮を知ない へ行かずとも : ・ : という答えが出る。 っているというだけの理由で使者に差立てた秀吉の不用意 蕉庵は言葉を続けた。 も、責められなければならない気がする。 「おわかりかの宗どの、お前さま方は、これまで関白の言 「宗どの、若し宗室どのに、お前さまたちの顔の立つよう な報告がして貰いたかったらの : : : 」 葉をそのまま先方へ伝えては居らなんだのじゃ」 8
黒田長政、筑紫広門みな入れてござらっしやる。と、ゆう下されたそうな。それでお前さまはどうする気じゃ」 て、お前さまの顔の立たぬような時、こうしてこれを持出「それゆえ : : : それゆえ : : : ご名案はないかと、かく すほど、この宗室も無分別ではない。ここでは、とくとお 前さまの思案を聞き、その上で納屋どののお智恵を借りね「訪ねて来られたは、お前さまのご意見か、それとも小西 ばならぬゆえ、納屋どのに二人の間を理解して頂くために摂津どののご意見か」 問い詰められて又義智はどぎまぎした。小西行長と相談 出したのじゃ」 して来ていることはよくわかった。しかし、双方とも今と 義智はホッと嘆息して、ロを開いた。 「こんどのことは、ご老人に相談せすと、万に一つも狂いなっては、よい智恵も出なかったのに違いない。 「宗どの、これは対馬だけの問題ではなくなりましたぞ。 もあるまいと存じたれば : 「それで関白殿下をだまさっしやったか。殿下のご気性日本国中の難儀ばかりか、うつかりすると朝鮮から明国の 民まで苦しめる。それほどの大事に、なぜ偽りを申され を、小西どのが知らなんだと言われるのか」 た。なぜはっきりと、朝鮮王は先導など致す筈はござりま 「いいやそれは : せん。行けばすぐさま海上から戦になりましようと申上げ 義智はそれでも舅をかばおうとしながら、 なんだ。さすれば関白殿下も、そのように犠牲が多いのな 「小西どのはじめ、石田どのも、増田どのも、前田、徳 、毛利の諸公も、みなご反対ゆえ、小西どのと石田どのらばと、お諦めなされたかも知れぬ」 にて、必ずこのお企ては押えてみせると申されたゆえ「不 : : : 不覚でござった ! 」 「と言うて、今になって、お前さまを責めてみても愚痴に なるばかりじゃ。 いかがであろう納屋どの、ご名案はまだ 「石田治部どのもな ? 」 「いかにも。みなご反対とあれば、いかに殿下もご実行な浮かびませぬかのう」 「されば : ・ : 」と、蕉庵は改めて震えている義智を見直し さるまい。言わば酒の席での戯れを交えた大言壮語と : て、 「それがそうでは無かった。いよいよ全国へ動員の内命を「宗どの一人では無理であろうが、小西屋どのもご同意と 2
すかさず宗室が向き直った。 島井宗室老まいる きしよう 「お前さまは、まさか、この起請の文面をお忘れではござ るまいな」 宗室はそれを冷やかに宗義智の膝もとまで押しすすめ 声はおだやかだったが、いきなり内ぶところから取出して、それからゆっくりと口を開いた。 た一枚の起請文を畳の上へひろげていった。 「お忘れではござるまいの、この起請文のあることを」 義智は細い女のような頬をまっ赤にそめて、 「忘るる儀ではござらぬ」 一、義智として宗室において別儀あるまじきこと。 一、義智の身上、ならびに国中の儀にいたり、思い寄らぬ と、固く応えた。 事あらば、、 しささかの儀も指南あるべく候。少しも隔心 「お忘れなくば、一城一国の主の宗義智も、今日は宗室が なく申談すべきこと。 教え児じゃ。なぜ、この起請にそむいて、お前さまは、こ 一、宗室申聞かせらるること、いささかも他言あるまじきんどの交渉のいきさつをこの宗室に隠さっしやった。さ、 こと。 それから承ろう。事と次第によっては許せませぬそ」 一、宗室用所等の儀、何篇別儀あるまじきこと。 五 一、義智の家中においてしぜん宗室のこと共、とやかく申 す者あらば、やがて宗室にじっこん候て、いよいよ別儀義智はわなわなと震えだした。 なきよう申し承らすべく候こと。 蕉庵はそ知らぬ顔で、起請の方は見なかったが、恐らく 右の条々にいささかも相違あるまじく候。若し違背候わ義智は、こうした密約にひとしい文書を、他人の前で発表 ば、梵天帝釈天、惣じて日本国大小の神祇、別して当島のされたのにはげしい屈辱を覚えているのに違いない。 諸神、八幡大菩薩、天満大自在天神の神罰を蒙るべきもの それを察したのであろう、 なり。よって起請文くだんのごとし。 「案じなさるな」 天正十八年五月三十日 と宗室は言った。 宗対馬守義智花押 「わしに起請文を入れているのはお前さまだけではない。 381
していた。 「お二人にお目にかかりたいと申して居られます」 蕉庵と宗室は顔を見合せた。ここへ問題の対馬の領主宗蕉庵はよく義智を知らなかった。しかし宗室は先代の義 義智がやって来ようとは思いも寄らなかった。 調時代からよく知っている。というよりも内実は、宗家の 交易資金はつねに島井宗室の手から出ているのだから、今 恐らく義智は、島井宗室の口から、自分たちの外交のか らくりが、秀吉に露顕することを恐れて、宗室の船の着くで言えば、金融資本家と事業家の関係なのだと言ってよ のを秘かに先廻りして見張っていたのに違いない。 「よし通せ」 いや、それ以上に、宗室は、何彼と宗家の財政を内部ま と蕉庵は言った。 で立入って助けて来ている間柄だった。 宗義智は、手代に導かれて入って来ると、坐る場所にと 「供の者は玄関で待たせておけ」 きどった 0 「かしこよ、り・、ました」 手代が去ってゆくと、宗室と蕉庵はもう一度顔を見合せ商人ではない。かりにも羽柴対馬守と秀吉に姓まで許さ れた大名島主なのだ。ところが室内の二老人は、意地わる 「宗の智恵ではあるまい。これは小西の智恵じゃ」 くどちらも彼に坐る席も指定しなければ先に挨拶もしなか っこ 0 「とすると、何か切抜策を授って来ているかも知れぬの」 二人とも機嫌のわるいのは一目でわかった。 「宜しい。わしは黙っている。宗室どのの手で、厳しく叩 しゅんじゅん いてみて下され」 彼は太刀をさげて、ちょっと逡巡してから、三角型の 宗室は黙ってうなすいた。長い船旅で、汐焼けした頬骨出口の一点に背を向けて坐った。 のとがりばかりでなく、その眼までが金色の凄まじさをた 「島井どのとは別懇ながら、納屋どのには始めてお目にか たえて来ている宗室たった。 かります。宗対馬守でござる」 蕉庵はじろりとそれを一暼して、 四 「小西屋の婿どのでござるな。蕉庵でござる」 宗室も蕉庵も、宗義智が入って来るまでじっと何か思案「対馬どの」 380
「もはや、殿下を、思いとどまらせる方法はあるまい」 蕉庵はいぜんとして眼を閉じて考えている。と、そこへ 秘かな廊下の足音だった。 「誰じゃー・」 若し相手が、先導して呉れるものと信じて上陸してゆく すいか と、蕉庵が不機嫌に誰何した。 秀吉の先手部隊に、いきなり攻めかかって来たらどうなろ 「はい、為吉でござります」 それを案じての蕉庵の間いであったが、島井宗室ははげ「手代の為吉か、それならば、なぜ入って用を言わぬの しく首を振っていた。 「むろん朝鮮は明国側じゃ。日本勢に味方するような、何「実は : : : 」 と、言って、そっと障子を細く開き、 の手も打たれて居らぬ」 「こちらに島井さまがお越しのことを、ご存知の方がたず 蕉庵はまた黙った。 ( これは想像していたよりも、ずっと危いことになっていねておいでなされましたので」 「なに、わしの来ていることを : : : 」 宗室が、わざわざ訪ねて呉れたのは、秀吉に会う前に こんどは宗室がふり返った。 秀吉の意向をたたしておこうとして寄ったものと思ってい 「そうか。ここへ立寄ったことは内証にしておくように頼 たのだが、そんな生やさしい事態ではなかった。 んであったが : : : 誰じゃ、やって来たのは」 「はい。それが宗義智 : : : そう申せばわかると申されまし さすがの宗室も険しく眉根を寄せたままで黙りこんだ。 蕉庵に何か対策を考えさせようとしての沈黙なのであろた」 、フ 0 しばらくして、 「なに、宗どのが来られたと」 「はい。お供の若党一人だけを伴いまして、これもやって 「どうする、納屋どの」 小さく言ったときは、彼の口からも続けざまに嘆息が洩来たのは内証にと : れていた。 「わしに用なのか、納屋どのに用なのか」 蕉庵は目を閉じたまま重く言った。 379
殿下の手で日本が平定した、それを知らせに来たと言うた分の軍勢の先導は承知したものと思うているし、朝鮮方で は、殿下が向うの機嫌を取って交易をのそんでいると判断 挈、、つじゃ」 している。ところがこんど博多へ寄港してみれば、あの地 「それではまるで逆になるの」 「そうじゃ。そしてその次には宗義智自身で釜山へ行ってまで、もう渡海御用の船の徴発が内命されているのではな いか。そんなところへ、大軍を送りこんでいったいどうな いる。これは殿下に朝鮮王はなぜ挨拶に来ないかと催促さ るのじゃ」 れてのことらしい」 蕉庵は、思わず眼をつむって腕組みした。 「ふーむ。なるほど」 それにしても何という奇妙な事の齟齬であろうか。 「ところが、この時も義智は、王に来いなどとは言っては 居らぬ。秀吉が仲よくしたいと申しているゆえ、日本平定堺衆はむろんのことながら、側近の多くの者まで反対し ている : : : そうわかっているだけに小西行長が、これは実 の賀儀をのべる王の使者を寄こして呉れと申している」 行されることではないと判断したのはよくわかる。 「わかった」と、蕉庵は膝を叩いた。 「それですっかり読めた。昨年朝鮮から、何と言ったか或いはそれは「鶴松の死ーーー」という、思いがけない突 の、正使が黄允吉、副使が金誠一であったかの : : : 通辞の発事が起らなかったら、行長や宗義智の思惑は的中してい 玄蘇和尚にともなわれて堺に来たおりに、しきりに内輪揉たかも知れないのだ。ところが、鶴松の死で事情は急変し めしていたようじゃ。われ等はただ日本統一のお祝いに来てしまった。 それにしても、これだけ大がかりな日本の運命にかかわ たのじゃと申してな」 る出兵が、はじめからまるきり、意志の通じないままに動 「その事よ。玄蘇和尚が、何と言うてだまして帰ったか、 とにかくそのおり、殿下からは大明国〈兵を出すゆえ、先員される : : : というのは、何という不用意な皮肉であろう 、 0 導を頼むという王宛の書状を渡された筈じゃ。ところが、 しかもその責任は堺衆にも縁故のある小西行長にあると それも一向に通じておらぬ。みな小西どのの入智恵じゃ。 いうのだ : そして、又、向うから一度使いが来ているという。したが 「で、出兵したら、朝鮮では何としようなあ宗室どの」 って殿下の方では王自身でやって来ぬのは不都合だが、自 378
宗室は、木の実の汲んで出す茶を、 下の遠征など夢なのじゃ : : : 実現することではないと、策 「うまい ! 」と言ってのんでから、 を弄したのじゃな」 「宗どのだけではない。その背後にわるい智恵袋がついて「その通りじゃ。それゆえ、いい気で渡海してみなされ。 ござった」 それこそ大変な戦になる。困ったことになりましたそ」 「ほう、それは誰であろうな ? 」 宗室は汐焼けした眉間に、深い皺をきざんで一ふくつけ 、」 0 「小西摂津どのじゃ。朝鮮では、いまだに殿下の軍勢が渡 って来ようなどとは思って居らぬ。みな間に立った宗義智 と小西どののからくりじゃ」 うめ 蕉庵は低く唸いて天井を睨んだ。 「はじめ宗家からは、柚谷康広が使者に参ったのであった 思い当らぬこともない。対馬の宗義智の妻は小西行長のな」 娘なのだし、宗家はもともと朝鮮との密貿易が収入源であ蕉庵が言うと、宗室は音高くキセルでタバコ盆を叩きな 7 がら、 言わば朝鮮は宗家の大切なお得意であったのだから、そ「それがひどく彼地で不評判での。面構えの厳めしい横柄 の宗家を通じて朝鮮王に掛合わせた秀吉の方に手ぬかりが きわまる男じゃ。宗の家来のくせに、主人宗義智より威張 あったとも一一「ロえる。 っている : : : そんな噂を耳にしたゆえ、わしは杣谷をかば 「すると宗家では、向うへ、あたりさわりのないことを言 ってやった。こんど杣谷が来たのは宗家の家来としてでは うていたのじゃな」 なく、日本国の使者として京城へ来たのだから許されよ : 島井宗室はそれには答えす、 : となあ。すると向うでは怪訝な顔で、そんなことはない 「これには堺衆も大きな責任がござる。それで殿下の御前と言うのだ」 へ出る前に、納屋どのの耳にも入れておかねばと思うての「杣谷は、朝鮮王に入貢せよとその使者に参った筈じゃ 力」 「堺出身の小西どのが、われ等の出征反対を見越して、殿「それが、そんなことなど少しも言った気配はない。たた っこ 0
、フことだった。 と、北政所は孝蔵主を見返って苦笑していった。 そして 「なあ尼、上様はどのように変ってお帰りと思うぞこな 秀吉が有馬の湯治を七日できりあげ、大坂城へ戻って来た」 たのは八月十八日のことであった。 「さあ、思うたよりもお早いご帰還、湯治がよくお利きな 北政所は、大政所と秀吉の三人、母子水人らずの一夜をされたものと : 迎えるため、侍女たちを指図して膳の支度を整えさせなが 「いいえ、そのことではない。また、いつものように高笑 ら、久しぶりに胸のときめく想いであった。 いしてお出でなさるか。それとも静かにおいでなさるか ? とい、つことじゃ」 ( どんな様子で帰って来るか : すでに夫婦の関係などは無くなって久しいものだ。それ「それは静かにわたらせられると存じまする。まだ悲しみ ゆえ、男と女の感情や期待とは違うものであった。久しぶ は深くお、いにしみておわそうゆえ」 りに訪ねて来るわが子の変化を案する母親のそれであっ すると、二人のうしろで声があった。 っ ) 0 「何の、わらわは高笑いに賭けるそよ。三ッ子の魂百まで 3 じゃ。何のあの子が : 困った駄々ッ子。 ( 走りすぎていて呉れねばよいが : それは、これも待ちかねて居間を出て来た大政所であっ と言って、行く時のように眼を泣き腫し、肩をおとし て、見るかげもない虚脱ぶりでは尚更やりきれない。 適当に元気を取り戻し、適当に考えぶかく、適当に独 走力を制御していて呉れたらどんなにありがたいことか 大政所は鶴松の死にはそれほど打撃を受けた様子はなか 「わらわとしたことが、自分に都合のよいことばかり この正月、秀長が亡くなったおりには、そのまま病みつ いて立直れないのではなかろうかと思ったほどたったが、 奥へ渡らせられるのは六つごろと、表から連絡がある今度は、 つ」 0 つ」 0
る」 「では呉々もお躰ご大切に。これでご免を蒙りまする」 そうした答えが聞けたらと田いったのだ。 北政所はまた気軽に立って廊下まで見送った。 家康が秀吉に神経質になっているように、秀吉は内心で そして、家康の姿が見えなくなると、孝蔵主に向ってしは家康を極度に警戒しおそれている。 ここで、若し秀吉の大陸出兵を思いとどまらせることの みじみとした口調で言った。 出来る者があったとしたら、それは日本中で家康ただ一人 「大納言の、言われた言葉はおそろしい」 : と、北政所は見ていたのだ。 「何と仰せられました ? そのような恐ろしいことなど一 そこで、秀次では頼りない。あなたの力が借りたいのだ 向に・ 「尼は気付かなんたか。天下を騒がす者があったら、それと言おうとしたのだが、家康はついにそれを言わせなかっ こそ敵と言われたを : : : 」 「それならばききましたが : : : それが何で恐ろしいのでご そればかりか、九戸政実を討っための出陣中を理由にし ざりまする」 て、秀吉の帰りを待たずに江戸へ引きあげると言い出して しまったのだ。 「もし殿下の後取りに器量がなくば、家来衆が納まるま 納まらずに騒げばみんなの敵 : : : あまりにまことの仰 北政所には、そうした家康の言動から二つの答えが導き せられようゆえ、おそろしいのじゃ」 出せる。 そう言うと、再び座に戻って、ひっそりと肩をおとして その一つは、家康もまた秀吉が、いったんこうと言い出 考え込んた : したら決して、説はまげないと見ていること : もう一つは、家康の心のどこかに、秀吉の失敗を待って 五 いる油断のならぬ打算がひそんでいるのではあるまいかと い、つ」と・ 北政所が案じているのは、湯治から帰ったあとの秀吉の とにかく家康は言葉どおりに、京へ戻ると留守居の前田 出方であった。したがって、若し家康から、 「ーーー大陸出兵の儀は、生命にかけてもお諫め致します利家、毛利輝元に後事を托して、急いで奥州へ向ったとい つ」 0 366
「では、誰も昔のように、乱を企むものは無いと言われま 四 するか」 それにしても、何という北政所の考えぶかさであろうか 「もってのほか ! 」 と、家康は内心舌を捲いた。 一段と言葉に力をこめて、 彼女はここで、家康に秀次を推させておいて、呉々も向「もし企てた者があったとしても、その者を日本の敵とし 後を頼むと繰返しておきたいのに違いない。 て諸侯が許しは致しますまい。和に向う時代のそれが風で しかし、家康にはそうした答えははばかられた。見様に ござりまする。時代の風にさからうものは滅んでゆく : ・ : ・ よるとそれは大きな出過ぎたことになり、秀吉の側近の中無言でこの世を監視なさる、これが神仏の大きなご意志で に敵を作ってゆくおそれがある。 ござりまする」 ここでは特に派閥の渦に捲き込まれることは警戒しなけ 「すると、たとえば、誰が豊家を継いだとしても : ・・ : 」 ればならなかった。すでに側近の中には、石田三成を主軸「仰せまでもないこと」 とする文治派と、小姓あがりの子飼いの武将たちとの間家康は巧みに話題を転じていった。 に、次第に反目が醸成されてゆきつつある。 「それがしはただいま、秀次さま後詰めとして、奥州へ兵 その何れにくみしても、それは家康の存在をきわめて 小を出しておりまする。万々大事はないと存じまするが、加 さくするばかりだった。 賀どのに後を頼んで、殿下お帰還の前に京を発ちとうござ 「お言葉ながら : - まする」 と、家康は重々しく姿勢を正して答えた。 「と、言われると中納言の後詰めに、奥州へ向われまする 「政所さま仰せのごとく、日本の波風を鎮めるは、故右府かご自身で : : : 」 からのご理想、それを殿下が生命がけでお継ぎなされたこ 「はい。そろそろわが手勢は二本松に向けて進行のころか と、いまでは諸侯もみな骨肉に刻んで知って居りまする。 と心得ますれば、急いで後を追いまする。日本の国内だけ それゆえ、たとえどのようなことがあろうと、そのご意志は、もう騒乱の起らぬように致しておかねばなりませぬ」 に違うて国内を騒乱に導くことなど思いも寄りませぬ」 話の中へ問題の秀次の名を出して、家康は丁寧に一礼し