出来 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 9
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1. 徳川家康 9

ら来ることじゃが」 家康は少し離れている松平康元を手招きながら声をおと 家康は、もう一度一座を見廻して、それから傍の鳥居新した。 とっくに 太郎に眼くばせした。 「ここが大切なところじゃぞ。関白が外国に敗れ去り、わ 新太郎は心得て立ち上み」、広間の廊下〈見張りについ しが先陣してかの地に屍をさらしていったら、いったい誰 が天下を治めてゆくぞ。それこそ再び国内は麻のごとき乱 「関白は天下を統一すると、きっと朝鮮へ兵をくり出す : れになろう。それゆえわしは喜んで東に避けた。江戸の地 : そうせねば居れぬお方と睨んだからじゃ」 が荒れ果てているのを寧ろ神意と感謝して居る。ここへ町 「なるほど」 造りせねばならぬ。小田原の残党狩りをして一揆の起らぬ 「しかし、朝鮮に兵を出せば、どうして殿は、東へ移ると ようにせねばならぬ。にしい ! 手は離せぬ : : : そのよう 利益なのでござりまする」 に関白が運んで呉れたというは何という仕合せであろう 高カ清長の質問は、いつも言葉少なであったが的を衝 か。関白みすから、朝鮮出兵に全力を尽せと、わしに強い みんなは、全身を耳にした。 得ぬ立場を作って下された : : よいか、そうした今度の江 2 「わしの調べた範囲では、朝鮮のうしろには大明国がつい戸入りゆえ、城構えはいちばん後廻しじゃそ。まだ出来 ている。この戦、関白の思うように勝てはせぬ。この事はぬ、まだ出来ぬでいかねばならぬ。策ではない ! 関白の 堺の長老どもも、みな案じているところじゃ」 選んで呉れたわしの運じゃ」 広い天井をかすかに以がわたっている。 「しかし、それ等の意見を訊くお方ではない。いや、うか つに諫言すれば、却って意地になられるお方じゃ。そう一一一一口 うては讎りあるが、下賤の出ゆえ僻みがきびしい。近く利恐らく家康は、この事だけは胸につつんでおきたかった 休居士とも争おう : : : そんな情報すら入っているほどじゃ のに違いない。 : よいかの、その朝鮮の戦に、われ等が若し西にあった 「ーー天下を監視する」 ら、否でも、まっ先駈けねばなるまい : そう言うだけで、秀吉への反感が押えきれたら、この事 ひが

2. 徳川家康 9

長とも違いイ 言玄にも謙信にも無いものを持っている。む出ず、また出兵の名分も相立たぬ。名分が立たねば狂兵 : ろん秀吉とは対照的な鈍重さと誠実さを感じさせるし、今 : ・狂兵を許してはわれ等僧侶の存在も無価値になる。万一 の日本で家康は眼の放せない人物の随一だった。 のおりの決意は貴僧にもござろうのう」 その家康が、ひどく冴えない苦悩のいろを顔いつばいに存応は呆れて天海を見直した。 見せて戻って来たのだ。 「相変らす単刀直入、鋭いことを言わっしやるの」 「それを言えぬほど、指導力を失うた僧侶ならば、無用の 方丈に通されて茶が出るのを待ちかねて、天海はまたロ を開いた。 長物じゃ」 「存応どのが気付かぬとはおかしい。あの顔いろはただの いかにも」 「菩提寺を預るうえは、大納言への教化力は充分無ければ 旅の疲れではない。旅の途中で、何かご心痛のことに出会 ならぬ筈」 われたのに違いない」 そこまで言って天海はもう一度笑った。 「そうであろうか。とすれば : : : やはりこれは関白殿下の 「ど、つも、わしはモノを一一一口いすぎますかの、つ」 大陸出兵かも知れませぬのう」 「いやいやさにあらず。久しぶりにその鋭鋒にふれたいば 「大陸出兵となったら、大納言さまはどうするとご想像な かりにお呼び申したのじゃ。宜しい。愚僧には愚僧の考え さるかの」 「むすかしいところじゃ。まだ国内は、完全に一つになり もあるが、とにかく早々に一度貴僧、大納言さまに会うて 切っては居らぬからの」 みて下さらぬか」 ・ : 完全に一つになりきって居らぬゆえ、関白殿下「会うて、又モノを言いすぎても苦情は無いか は、内の不平を外に向けて圧倒的に一つにしよう : : : そう そのようなお心の狭いお方ではない。そう 考えているのに違いない。問題はそこでござるて」 じゃ。明日、早速ご城内のご都合を伺うてみるとしよう」 「なるほど : どうやら存応は、もうすっかり家康に魅せられているロ ぶりだった。 「しかし、これは大納言さまとして、賛成出来ることでは 心を一つにして当れば、それて勝てるという答えも 2

3. 徳川家康 9

に残るものは怨みか憎しみ。きびしく実行すればするほど発言としか考えられないのだが、それにしても、二人の仲 かしつくりしない点を指摘されたのは不快であった。 怨みと不幸は深まるばかり : : : しかし、次の相対は根本か ら違うて来る」 と、天海はまた笑った。 「なるほど、その違いをハッキリと教えて呉れぬか」 「関白の話はご不快のようでござりまするな。それがおか 「例えばここに筆がござりまするなあ」 しいのでござる。筆と紙が出会うてさえ書物が産まれる。 「、つむ。箏がの、フ・・・・ : 」 「その筆が、筆としての使命を果すためには紙が入用でご関白ほどのお方と、大納言はどのお方が出会うて、双方と ぎりまする。筆が紙と反撥するのが無以前の対立。筆が紙も相手を邪にし合うというのではてんで話になりますま を認めて両者のカで書物を産む : ・ : ・この理を悟って歩くのい。それがしならば、お二人が出会うた奇縁を生かして、 が第二の相対でござりまする。いや、これも大納言には或この世でもっとも貴重な、大切なものを産み出しまするが る面で充分ご実行のこと。たとえば主あって臣ありと悟っなあ」 た上で家臣を労る : : : が、それも相手が関白となると、ま家康はため息して、無理に視線を天海に戻した。天海の だご実行は出来ますまい」 言葉の理が、そうさせずにはおかなかったのだ : 家康は、渋い顔をして脇を向いた。 「この世で、最も貴重なものとは : 「言うまでもなく、この国の平和でござりまする」 「それが、大切と思えばこそ案じもするのだが」 「筆と紙、筆と紙 : ・」 こんなところで、いきなり関白が出て来るとは思わなか と、天海はまた言った。 った。家康はいま、その事でしきりに、いを悩ましている。 はじやけんしよう 「邪魔にしたり、破邪顕正を考えたりしてはなりませぬ。 家康が在京中、それとなく諫めてきたにもかかわらす、 秀吉は、彼の旅中に大陸出兵のことを決定して、有無を言それでは争いが二重三重になるばかりじゃ。関白が外へ兵 いよいよ内を堅めていっ を出すほどならば、大納言は、 - わさぬ手段を講じた。 しかし、その心労は、天海にわかる筈はなく、不用意のて、もし関白が外で敗れを取られても内〈はひびかぬ構え

4. 徳川家康 9

待っ間がたまらなかった。 四 すでに総攻撃の命が下って、家康もまた婿のために計ら 城内の逸り立っている若武者たちの中で、いちばん評判 う余地が無くなったかも知れない のよくないのは松田憲秀だった。 ( もしそうだったら何とすべきか : 一夜鹹の出来上る前であ 0 たら、みんなで気を揃えて討景気よく主戦論をふりまわす隠居の氏政の前で、何時も 0 て出る方法もあ 0 たであろうに、今とな 0 ては士気は半評定を長びかせ、うやむやに決戦を延ばさせて来た張本人 はこの老臣と噂されている。 ばも揮、フまい : 「・・・ーーあれは臭いぞ」 やがて上田朝広の陣屋から、思いがけない人物が朝広と 小田原評定などと敵に悪口言われる原因は松田どの 同道してやって来た。 にある」 上方口をまとめている筈の重臣松田憲秀だった。 まさか敵に内通しているのではあるまいなあ」 2 二人はあわてて床几を立って迎える氏直の姿を見ると、 そんな囁きを氏直も耳にしたことがあ 0 たが、氏直は却幻 きびしい声で近侍に周囲の見まわりを命じた。 ってそれを頼りにしていた。 「よいか、 大切な話がある。誰も近づけるなツ」 そして、上田朝広は、これも東方の見張りをつとめる位 ( 血気だけで済むことではない : 五万石、十万石の小身ならばとにかく、五代この地から 置にとまって、氏直の前に膝まずいたのは松田憲秀ただ一 関八州を押えて来ている北条家なのた。軽々しい行動は避 人であった。 けねばならない : 氏直は憲秀の半白の鬢と、額にういた鉛いろの汗を見た しかし、その憲秀の口から、裏切否定の言葉が聞けなか とき、一瞬にして事態を察した。 ったので、氏直はカーツと一度に逆上した。 「憲秀 ! 裏切ったなツ」 「よよッ 「何のために、お許は : : : わしの前に出て来たのじゃ。そ 憲秀は、否定する代りに、片手を土についたまま、はげれから申せツ」 「殿 ! おそれながら、すべては終ってござりまする」 しく肩をふるわしたした。 びん

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まま暮せるように殿下がお取計らい下さろう。それがわか 「よい。手に入れると同時に、さっさと ~ 川さまにおやり なされました。殿下の大腹中にはみな舌を捲いて居りますれば何でわらわに、行くの行かぬのと我儘が通せよう。日 本のためにお働きなさる殿下 : : : 行かねば済まぬ : : : そう 納得したと申上げてたもれ」 「石垣山とやらに、大坂や京にも劣らぬ大きな城を築く 幸斎はもう一度膝を叩いて舌打ちした。 のじゃとか聞いて居るが、それもほど無う出来上るのじゃ さか 安堵した : ・ いうよりも、それは賢しい女達になぶ 「玉、 0 られた忌々しさの比重の方が大きかった。 しこれは何分にも山の上の大工事、まだ出来上りは とにかく淀の君と大政所の間には到頭世にあり勝ちな 致しませぬが、すでに、石蔵も御台所も出来まして、住う 「女の反目ーーー」が産れている。 に事は欠きませぬ。利休居士なども、今は湯本の山中に小 しかも、その反目の中であれこれと小策ばかり楽しむよ 庵を結ばれて、蠅が居なければ小田原も悪くはないぞなど と、韮山竹を伐り出させて花筒などの手すさびに時を過しうに育っていったら、いったいどんな才女が出来上ってゆ くであろうか : て居られまする」 秀吉の考え方は、幸斎ばかりかお伽衆の中で誰知らぬ者 「それ聞いて、どうやらわらわも安堵しました」 もない。 「いいえ、安堵致しましたのは、私の方でござりまする」 恐らく秀吉に鶴松丸が生れていなかったら、すでに三好 「幸斎どの」 秀次が後継に決っていたであろう。それが、思いがけなし 鶴松丸の誕生から大きく揺れ出しかけている。 「こなた殿下に、わらわが、顔いろ変えたと伝えてたも れ」 「ーーー天下人の後継ぎともなれば、人物をよく見きわめた 上でなければのう : : : 」 「顔いろ変えられた : : : あれも、まことで ? 」 それは、鶴松丸がどんな人間に育つであろうかという疑 「何んで嘘であろうぞ。大政所のお手許に、若君を連れ去 問よりも、立派なものであって呉れるようにというひたす ろうための手段 : : : と、思うたゆえに顔いろ変えた。が、 事情を聞けばそうでは無さそうじゃ。戦が終れば又母子のらな希いに変っている。 178

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上したか を一にしている。いや、それも利休が黒田孝高や家康のよ揄した。 うな熟練しきった武将というのならばとにかく、たかが茶「そちは、大した軍師になったの。黒田如水も裸足で逃げ 道衆の身でありながら、その見識では秀吉を抜こうとす出そうて。しかし余計なことは考えるな。皺がふえるぞ」 る。 そして、さっさと遠ざけてあった小姓やお伽衆を呼び込 何よりも小癪なのは、彼は彼なりに、茶道を通じてふしんで相手のロを封じてしまった。 ところがそれから更に二つの不快な出来事が秀吉の上に ぎな諜報網を持ち、連絡路をもっているということだっ 重なった。 その一つは正月二十二日に至って、弟の秀長がついに死 憎い ! 憎いがしかし天下のことは忘れていない。秀吉 : と、言えば言い得去してしまったことであり、もう一つは朝鮮から帰って来 のために絶えずよかれと考えている : るところに、この憎悪と憎悪の対立には、世のつねのそれた島井宗室が、秀吉の許へ伺候して、諸大名列座の中で、 「大陸出兵は、お取りやめ下さるよう」 と変った一点があるようだった。 ( 或いはこれは夫婦の間のいさかいのようなものかも知れ彼の地の事情をこまかく述べたうえで堂々と反対したこ とであった。 秀吉は火のようになって怒った。 どちらも相手を認めている。心の底では愛してさえ、 「誰がそちに、そのような指図がましいことまでロ出しせ る。その癖互いに許せないのは、相手により以上の完璧さ を求めて、それのみたされないことにじれ合っているのでよと申した。分を超えた奴め、そちはただ見て来たあの国 退れッ ! 」 の事情を申せばそれでよいのだ。退れッ , は、な、かザつ、つ、か ? ・ こ、しばらく利・休 そして、その宗室が秀吉の前へ出る前 ふとそうした反省をしだしたときから秀吉は更に強く利 と不審庵で密議したと聞いたときには、 休を意識しなければならなかった。 ( もはや、利休めは許しておけぬ ) むろんその時も、 何度となくわれとわが身に言いきかせた。 「ーーー尤もだ。わしもそう思うている」 うなず 素直にそう頷く代りに、冷笑じみたあしらいで相手を揶 しわ 272

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う。それが一国一家の中に巣喰うと滅亡の虫に変る。誰も武田勝頼は、失地の回復を目ざして長篠に出て来なかっ 彼もを仮想敵として動いてゆくゆえ、いつの間にか周囲が たら滅びはしなかったろうし、今川義元も上洛を急いでみ でんがくはざま まことの敵に変る。いまの北条家にはその形がなくはなずから田楽狭間に討たれに出ていったも同然だった。考え よく心を静めて故事と思い合せてご覧なさるがよい。 てみると、 亡ぶるものはの、大抵この妄想の虫のため、すすんで動い ( 北条氏が、何を好んで関白と戦うのか : て滅んで居る。じっと守勢をとって滅びたものは一人もな そうした疑いが氏直の心に芽生えだした。秀吉の召に応 じて、自分か父が上洛し、天下統一に協力するといった なぐるみ 氏直はそっと床几に腰をおろすと、そろそろ色づき出しら、上野の奈胡桃城のことなど間題ではなかったのだ。 た桜の葉の間から、深く澄んだ秋空に眼をやった。あたり ( するとわれ等は、この僧の言う被害妄想の虫につかれ は嘘のように静かであった。 て、意味のない滅亡の動きを始めているのかも知れない ) 「随風どの」 小声で呼びかけると、随風は細く眼を開いた。 氏直が改めて随風に視線を向けたときには、随風は並ん「父が最も案じて居るのは、上洛すれば秀吉は、そのまま で床几にかけたまま、コグリコクリと、居睡りはじめていわれ等を取籠めて殺してゆくか、さなくとも国替えは免れ まいと見て居るが、これも妄想だとお身は言いやるか」 ( ただの僧侶ではない : しかし随風は答えなかった。聞いているようでもあり睡 自分に危害を加える者などありようが無いと信じきっ っているようでもある。 て、木の間もる光の中に「安心ーーー」そのものの座を作り「答える要は無いと言われるのじゃな」 出している。 そう言えば、確につつましく守勢を整えて滅んだ者は歴「戦えば、徳川どのも、わが家には味方せぬ : : : と、年さ 史になかった。時風を察せず、みずから敵を求めて動いたれたなあ」 者が滅んでいち。 100

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の機嫌など取る気にはならぬ。間題はただ相手の出兵を延 ばさせるため : : : それゆえ、決して上洛せぬなどとは言わ ぬがの」 「源三郎、算盤を持て」 「こうしてあれば、そのうちには業を煮やして出兵して参居間〈戻 0 て机の前で汗をふくと、氏政はそれでも、侍 い - きしよ、つ」 女たちを遠ざけておいて領役帖を開いていった。 「はツ、用音はよろしゅ、つ一」ギ、います」 と、氏政はまた侮ったふくみ笑いで、くるりと階段の下「よいか。武蔵が三百三十八カ村」 へ向き直った。 「はい。三百三十八」 「暑い ! おりて算盤でもいじるとしよう。来い源三郎」 「相模が三百五十九カ村」 し」 「はい。入れました」 「どうだ。そちは、ほんとうに羽柴が怒って兵を出すのは「伊豆が、百十六カ村」 何時ごろになると思、っそ」 「百十六 : ・・ : 」 「さあ : : : この、秋でもござりましよ、つか」 「下総が三十八カ村」 「いやいや」氏政は首を振って、 「三十八カ村」 行月から催促が参ったら、こんどこそ参上すると言って 「上総、上野、下野で八カ村。しめて幾らじゃ」 やる。さすれば正月までは無事、出兵は早くて来年の陽春「はい。、 ノ百五十九カ村にござりまする」 じゃて」 「八百五十九カ村に三十人すつの兵を出させると幾らにな 「それまでには、当方も充分軍備は完了致しまするなあ」 「そうとも。もはや農兵も訓練しだしてから足かけ三年に 「八百五十九カ村に三十人ずつ : : ・二万五千七百七十人に なる。小田原勢の総動員の強さを見せてやれるそ」 、こギ、りまする」 氏政は、幾分あぶなげな足どりで階段を下りながら、そ「五十人すつ出させると幾らになるかの」 げ ; ルき の言葉はどこまでも衒気にあふれたものであった。 「はい四万二千九百五十人となりまする」 1 : っ

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のことにつき、不都合なことを言いふらしているそうな が、こなたそれを知ってあるかと、思いがけない難題でご ざりました」 これで話は済んだ。女子衆もわかったであろうの」 「あの、あなたさま : : が、不都合を言いふらしたと」 眼を細めてお吟を見やる蕉庵に、お吟は蒼白な顔ながら ねや ハッキリと返事をした。 「はい。お吟が、殿下の閨へご奉公に出るほどならば、舌 を噛み切って死んでみせると : ・ 「おっしやるよ、つに、生きとおしまする」 「それがよい。ではこれが当分の別れの宴じゃ。木の実は 「なるほど、京童の間に、そんな噂も無くはござりませな お膳を、そしてお金どのは、こなたの見たお吟の死を、茶んだが : 屋どのにお物語り申すがよい」 「たぶん治部さまも、そうした咋に困りきって見えられた のでござりましよう。その噂が事実かどうか : : : 事実であ 木の実が立ってゆくと、 ろう筈はないゆえ、その噂を打消すためにも、お吟をお側 7 「あれは、居士が切腹して初七日のころであったとのう」 へ出すように : : : そう申されたのでござりまする」 と、蕉庵は、お吟をうながした。 「ほう、ありそうなことでござりまするな」 茶屋四郎次郎は姿勢を正して全身を耳にした。 「母は困り果てて、その折、お吟はもはやこの家には居り お吟の死の日 と、いうのだから、その日の前後に聞ませんとご返事申上げたのでござりまする」 お吟は、ちらりと蕉庵を見やって又言葉をつづけた。 いておかなければならない大事な出来ごとがあったのに違 蕉庵は薄く目を閉するようにして聞いている。 し / し お吟は会釈して茶屋に向き直った。 「その時には、治部さまは小西さまと顔を見合わせ、困っ たことじゃと、仰せられたままでお帰りなされました」 「それは寂しいタ暮でござりました。とっぜん堺の家へ小 「困ったこと : 西さまと治部さまがお見えになったのでござりまする」 「はい。その意味は、あとになってわかりました。堺衆が 「ほう、あの石田さまが : 「はい。そして母の宗恩に申しまするには、お吟は、殿下みな利休と心を合せて、殿下の大陸出兵に反対している。

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ているのじゃ」 つきに過ぎない。それだけに、これはうかつな返事は出来 よ、つこ 0 秀吉は、その頃から機嫌を直したようだった。 「大納言、聞いておくりやれ。治部めはのう、わしが耳に 「参りました。何とも家康には、思案がっきませぬ。やは したくないことばかり報告しくさる。利休めが、富田と柘りこれは、殿下のお智恵を拝借せねばなりますまい」 植を使いにやったおり、このように不遜な態度であったと 「そうか、考えっかぬか」 か、このように不吉なことを申したとかのう」 「はい。何分にも、木像の磔という一方のご処置が凡慮を 「なるほど」 抜きすぎて居りますので」 「、ツ、ツ、 「それで予も怒った。そして、それならば大徳寺がわるい ( : ・ : そうか。よし、ではこう致せ清正」 ゆえ、大徳寺を叩っこわせと申したのじゃ。するとこわす「はツ には誰をわしたらよろしゅ、フ、こざりましよ、フかと聞きく 「古渓和尚めは、利休に貰うた青茶碗を大切に所蔵してい さる。これでは話は壊れるばかりじゃ」 る筈じゃ。寺を壊しに来たと申してな、その青茶碗を出さ 「仰せの通り」 せるのじゃ」 「そこで腹立ちまぎれに清正が宜しかろうと申したら、清「 : 正めがまた、本気で壊しに行く気で居る。ハッハッ、・ 「よいか。そして和尚が取出して参ったら、その茶碗を縁 案ずるな。お身のおかげで怒りも納ったわ」 へ叩きつけて割ってやれ。そして、これで利休めを増長さ 「ありがたき儀に存じまする」 せた、わるい寺を壊したそ : : : そう申して戻って来い」 「そこで大納一言、お身ならば大徳寺を何とするぞ。とにか 「なるほど、これは御名案 ! 」 く木像は引きおろして磔にしてやったのじゃ。しかしその清正よりも先に家康が、感嘆したように盛上った膝を叩 木像を人もなげに飾らせたは大徳寺、大徳寺をそのままに してはおけまい。お身ならばどう決着をつけてゆくそ」 「木像を磔にして人の生命に代え、茶碗を割って寺院一つ 逆に秀吉に間いかけられて、家康は生まじめに首を傾げをお救いなさる。家康、よい土産を頂きました。そこがま ことの、こ仁政に、こざりましよ、つ」 た。そもそも木像の磔などと言うことが、秀吉好みの思い 297