秀次 - みる会図書館


検索対象: 徳川家康 9
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1. 徳川家康 9

では公卿に再縁させられている。 しかし、わが子が産まれると、秀吉のこの構想は当然大 したがって今まで度々話にのばっている、秀吉の姉の子きく修正されなければならなかった。 後継者は鶴松として、その幼年の鶴松を、自分に対する の羽柴秀次が嗣子にあげられるべきであった。 が、正直に言って、秀吉は、あまり秀次が好きではなか秀長 : : : といった位置から従兄の秀次に補佐させることで った。姉の配偶者の三好武蔵守一路の子に産まれた秀次あった。 そこで、つとめて秀吉は、中納言になっている秀次を大 は、時折り物事を単純に割り切って、粗暴に振舞う欠点を 持っている。 切な局面に立合わせた。 秀吉の気に入るほどの人物が、そうあるとは思えなかっ 伊達政宗と交渉させたり、家康と戦旅を共にさせたり、 たが、信玄の子の勝頼が父に及ばなんだと評される以上大切な会談に 一立合わせたりして来た。 に、秀吉と秀次の間には距離を感じさせる。 すると運命は皮肉なことに三転して、鶴松の死からまた それで秀次は、今までにも何度か秀吉に叱られていた。秀次を大きく人々の胸に浮びあがらせて来たのである。 小牧、長久手の役のおりにも、附人であった助左衛門、勘 それも秀吉に老衰のきざしが見えたとなれば早急に決定 解由の両人を無惨に討死させたというので、「 以ってを要することとなる。 の他の大たわけ」秀吉の甥ならば甥ほどの分別をもって行 「徳川どの、これは、殿下湯治よりお戻りなされたら、お 動せよと、暫くは目通りも許さないことすらあった。 世継のことを申出さねばなりますまいな」 れが紀州征伐のおりの軍功や、長曾我部親和の安芸の 聚楽第の一室で、そう言い出したのは前田利家だった。 城攻めのおりの手柄などで機嫌を直し、羽柴氏を許したう いかに、も」 えでそれとなく関白の後継者としての育て方をはじめてい 「徳川どのにもご思案があられましよ、フ。承っておけば、 たのである。 われ等口を切るのに好都合でござるが」 そこへ鶴松が生れて来た。 家康は慎重に首を傾げて、すぐにはロを開かなかった。 もう少しで後継は秀次と決定し、発表する直前のことでというのは、ここでうかつに秀次の人物評などやって、あ きまず あった。 とでそれと決定したら、気拙いものが残るからに違いな 361

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もし病いが篤ければ、見舞いの言葉だけ通して帰る気 で、大谷吉継に来意を告げてゆくと、北政所は、 「 , ーーよろこんでお目にかかりましよう」 わざわざ表まで孝蔵主を迎えに寄こしてくれた。 家康は、長い廊下をお鈴口に向いながら、ふっと悔い ( これは会わなんだ方がよかったかも知れぬ ) 家康が、大坂城に北政所を訪れたのは、秀吉が、湯治に 人物の如何にかかわらず、ここで後継者を決めるとなれ 赴いてから三日後のことであった。 ば秀次より他にあるまい。その事が若し二人の間の話題に 鶴松の死で大きな打撃を受けたのは秀吉一人ではなく、 なるようなことがあり、それが洩れたら諸将は何と噂する 北政所もまた、落胆のあまり寝込んでしまっている : : : そか ? うした噂を耳にしたからであった。 秀次はいま秀吉の名代として奥州に出陣している。家康 この方の落胆は、秀吉のそれよりも美しいと家康は思っ もまたその後詰めを命じられてあったのを、こうして京へ としん た。自分の腹を痛めた子ではない。妬心の深い女性なら来ているのだ。 世間では家康が秀次のため、大奥へまで画策していると 「ーー・それ見よ」と、表面はとにかく、内心では却って小見るかも知れない。 しかし、ここまで来て引っ返すわけにはゆかなかった。 気味よく思うかも知れないところだ。それを一度は膝下で ようせい ( そうだ。それにはなるべく触れずにおこう ) 育てながら、取上げられて夭逝した鶴松のために、患うほ 北政所は、老尼の孝蔵主が家康の到着を告げると、わぎ どに悲しめるというのは、彼女の愛情がどのように磨きぬ わざ立って家康を出迎えた。 かれた美しいものであったかを証明して余りある。 供には永井直勝と鳥居新太郎を連れ、途中まで茶屋四郎 「この度は若君のご不幸にて、ご落胆のあまり病床と承 次郎が一緒であった。 わ、お見舞言上に罷り出ました」 家康は秀次をそう高くは買っていなかった。 ( 秀吉に比べて劣りすぎる : : : ) その方が家康には仕合せではないか : : : そう考えること を、今の家康は深く神仏に恥じている : 362

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「そうじゃ。そうじゃとも。そう悟れば、あの子もきっと事はあるまい。だからと言って、そのまま走らせておくの が女の道に叶うや否や。 一浮ばれよ、っそ」 「秀次はの、日本の関白にしておいて、わしは大陸へ出征 相変らず、大政所は眼を赤くして合槌を打っている。 寧々もそうしたかった。しかし、秀吉が、自分の生き方をする。まだまだ老い朽ちてよい時ではない。先頭に立って 示そうとして、走り出す、こんどの道はあまりに危く、あ進むのじゃ。そして大明国の都へ入って天子をそれへお呼 まりに長い道であった。それにしても、鶴松の死が、大陸び申す。その下で大明国の八百余州を隅々までこの手でし 出兵の決意を固める原因になろうとは何という悲しい皮肉つかり納めてやる。そうなれば、もはや秀吉は信長の遺志 であろ、フか。 の中から躍り出て、大きく世界へ跳ねるのじゃ。誰ももう 信長とその人物を比べようとするものはあるまい。この決 「すると、わが家の後とりは秀次どのと決める気じゃな」 大政所は話にさそわれて眼のふちは赤くしても、姉娘の心を秀吉にさせたは鶴松 : : : 鶴松はわしを鞭打っために生 産んだ、孫の秀次が世継になるということは嬉しくてたまれて来て : : : そして、その目的のために死んでいったの らぬもののようであった。 じゃ : : : わしはの、あれのために寺を建ててやる。あれ は、日本国の大きな栄えを計る神仏のこころの現われたっ 「そうじゃ。あれに関白を譲れるよう、帰京したらすぐに たのじゃ」 それぞれ手を打っ気じゃ」 「それがよい。何と言うても、あれの母と殿下とは、父も「上様 : : : 」たまりかねて寧々はひとひざすすめ、 母も同じ姉弟、若君が亡うなれば、いちばん殿下の血に近「若君のために寺をお建てなさること、それは申すまでも しま暫くお ないことながら、関白を秀次どのに譲る義よ、、 いのじゃ。のう寧々どの」 考えあって、後のことではいかがでござりましよう」 直接遠征のことにはふれず、おだやかな口調できり出し 答えながら、寧々はまだ、言うべき言葉を知らなかっ ) 0 ( すでに岸馬は走り出している : : : ) 九 恐らく寧々が、どんなことを言っても、もはやとどまる 6 」 0 372

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禁裏にご奉公、出で立っ総大将を秀次どのに任されるが宜 「なに、関白を譲るは待てとお言いやるのか」 秀吉は、まだ寧々が、何を言おうとして口をひらいたのしゅうござりまする」 か感付いてはいなかった。 「うむ。しかし、秀次ではの、道案内を命じてある朝鮮王 「秀次では器量が足らぬと申すのじゃな。それならば打っ への押しも利かず、大明国の兵も怖れまい。やはりここは 手はある。あれを関白にしての、内実の執権は家康に任す秀吉の千成りひさごの馬印がまっ先に打ち立たぬではます 気じゃ。それゆえ、伊達のこと、奥州のことなどで、わし いところじゃ」 はそれとなく二人を接近させてある。あれでの、家康は仲 「あ、その朝鮮王で思い出しました」 仲の器量人じゃ」 北の政所は巧みに話の端緒をつかんだ。 寧々はわざと微笑しながら手を振った。 「その朝鮮王と、宗どのの交渉のことで、わらわは気にな 「わらわが、案ずるのはその事ではござりませぬ」 ることを耳・に致して、一」ざりまする」 「それではないと : 「 1 になることとは ? 」 「はい。お笑い下さりまするな、わらわは殿下を遠い他国「宗家の先代も当主も、上様の仰せあったようには朝鮮王 へやりとう無いのでござりまする」 に取次いでは居らぬ。それゆえ仮りに案内を引受けると申 したとて、渡海の後で裏切るやも計りがたいと : : その話ならばよう知っている。裏切ってもよい 秀吉は笑いだしこ。 「案ずるな。大明国の都へな、この城の十倍ほどもある大覚悟で渡るのじゃ」 きな城を築いた上で、すぐにそなたを迎え取ってやろうわ「上様 ! 」 し」 「なんとしたそ。真剣な顔になって」 「いいえ、わらわは遠い他国などで住まうのはいやでござ 「もうほどなく、上様のご命令を受けて調査に参った島井 りまする。それゆえ、上様には、そのような所へは : 宗室どのが日本へ立戻られる頃でござりましよう」 「ワて、つじゃ。も、つ一戻ってよい語 ( じゃ」 「行くなと申すのか」 「はい。もうお年でもござりますれば、殿下は国にあって「お願いでござりまする。宗室どのが戻られるまで、事を 372

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「では、誰も昔のように、乱を企むものは無いと言われま 四 するか」 それにしても、何という北政所の考えぶかさであろうか 「もってのほか ! 」 と、家康は内心舌を捲いた。 一段と言葉に力をこめて、 彼女はここで、家康に秀次を推させておいて、呉々も向「もし企てた者があったとしても、その者を日本の敵とし 後を頼むと繰返しておきたいのに違いない。 て諸侯が許しは致しますまい。和に向う時代のそれが風で しかし、家康にはそうした答えははばかられた。見様に ござりまする。時代の風にさからうものは滅んでゆく : ・ : ・ よるとそれは大きな出過ぎたことになり、秀吉の側近の中無言でこの世を監視なさる、これが神仏の大きなご意志で に敵を作ってゆくおそれがある。 ござりまする」 ここでは特に派閥の渦に捲き込まれることは警戒しなけ 「すると、たとえば、誰が豊家を継いだとしても : ・・ : 」 ればならなかった。すでに側近の中には、石田三成を主軸「仰せまでもないこと」 とする文治派と、小姓あがりの子飼いの武将たちとの間家康は巧みに話題を転じていった。 に、次第に反目が醸成されてゆきつつある。 「それがしはただいま、秀次さま後詰めとして、奥州へ兵 その何れにくみしても、それは家康の存在をきわめて 小を出しておりまする。万々大事はないと存じまするが、加 さくするばかりだった。 賀どのに後を頼んで、殿下お帰還の前に京を発ちとうござ 「お言葉ながら : - まする」 と、家康は重々しく姿勢を正して答えた。 「と、言われると中納言の後詰めに、奥州へ向われまする 「政所さま仰せのごとく、日本の波風を鎮めるは、故右府かご自身で : : : 」 からのご理想、それを殿下が生命がけでお継ぎなされたこ 「はい。そろそろわが手勢は二本松に向けて進行のころか と、いまでは諸侯もみな骨肉に刻んで知って居りまする。 と心得ますれば、急いで後を追いまする。日本の国内だけ それゆえ、たとえどのようなことがあろうと、そのご意志は、もう騒乱の起らぬように致しておかねばなりませぬ」 に違うて国内を騒乱に導くことなど思いも寄りませぬ」 話の中へ問題の秀次の名を出して、家康は丁寧に一礼し

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ーし、いささか、わらわに、、いがかりの節がござります「たとえば、若君さまのご誕生によって、いちばん大きな るので」 ご損をなされたお方は : : : 」 茶々はびつくりしたように局の方を見直した。 「なに、若君の誕生で : ・・ : ? 」 言いかけて秀吉は顔をゆがめて舌打ちした。 「そなたは北政所でも若君を呪阻していると申すのか」 当時の女性としては無理からぬ言い分だった。病気と言 「とんでもござりませぬ ! 政所さまが何でそのような : えば何をおいても加持祈疇 : : : の風習はまだ根強く残って : 大坂表にあった間もあのように深くお愛しなされておわ いる。 したものを」 医学もこの頃はぐんとすすんで、外科などは南蛮風の西「すると他に誰があるのだ」 洋医学が入っていたし漢方も支那風、朝鮮風に日本風の加「さあそれは : 味された曲直瀬医学の基礎はさだまっているのだが、その 「あ、そなた、秀次がことを申しているのか」 ししえ、それは : 医学で原因がわからないと言われると、すぐに生霊、死「、、 霊、憑きものなどを連想するのである。 「若君が生れなんだら秀次がわしの後を継いたであろう。 秀吉は苦笑して饗庭の局をふり返った。 それで呪里しているとでも言うのか」 「なんじゃ、そなたの心当りと言うのは ? 」 「いいえ、そのような怖ろしいことは : 「死霊ではござりますまい。怨みによる生霊ではござりま 「では誰だツ」 すまいかと : 叱りつけるように言って、秀吉はそのまま黙った。饗庭 「怨みによる生霊 : : : と、いうと、若君を怨んでいる者がの局が、鶴松を呪咀しているかも知れないと案じている相 この世にあると申すのか」 手にはじめて思い当ったのだ。 「はい。上様にはお、い当りはござりませぬか」 他でもない。茶々がこの城で、鶴松の生母として秀吉の 「これこれ、そなたに訊いているのだ。わしに心当りがあ寵愛を一身にあつめるまで、今は西の丸どのと呼ばれてい るほどなら、わしの方からロにするわい」 る京極氏龍子 ( 松の丸殿 ) がいちばん深く愛されていたの まなせ 348

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「ーーー可哀そうにのう。三つまでの寿命とは : 「寧々どのはどっちじゃ。同じでは賭けにならぬが」 「わらわは、もうお元気ではあろうが、さりとて、いつも その時は涙をこばしていたが、それなり傷心はみせなか のようにお笑いなさるとも思われませぬ」 「おおそうか。それなら賭けは半々じゃ。笑うたらわらわ 大政所にとって鶴松も孫、秀次も同じ孫、幼いおりから 「祖母ーー」と呼んでなついた秀次の方に情がうつっていの勝ちじゃそえ」 るのかも知れない。 話しているところへ、お鈴口から声がかかった。 「ま、大政所さまが嬉しそうに : 「上様お成り : : : 」 孝蔵主の言うあとから、大政所はまたはずんだ声で言い そして、暮れかけた廊下の先に涼やかな金鈴の音が聞え て来ると、三人の足は期せずしてその方へ向った。 添えた。 「おおこれは : 「昔からの、諦めのよい子なのじゃ殿下は。悲しい時には ばんばりの灯の中へ秀吉の姿がポーツと浮びあがると一 が、そのために何時までもくよくよ 大声をあげて泣く : ・ : ・ としているような性質ではない。それは、わらわがよう知緒に大きな声がした。 : これはしたり : っているそえ」 「大政所もここへ来られてか。ハノ ( ・ 北政所は、素直にそれに合槌は打てなかった。彼女もま たそう思う。その点では同じなのだが、わざわざ聚楽第か 「おお殿下、お戻りなされませ。あまりこなたの傷心が深 いゆえ、都ではの、あらぬ噂が立ってしもうて」 ら大坂へやって来ている大政所と、北政所の希いは全然別 であった。 「都の噂 : : : どのような噂でござりました」 「孝蔵主はどちらへ賭けるぞ。元気よう笑うて戻るか、そ「関白殿下は、有馬でそのままご出家なされ、西行法師の しお れとも行く時のように、巡礼にもなり兼ねないような情れように諸国巡礼に向わせられるお心ではござるまいかとの 方で戻ると思うか」 「さあ : : : ? 」孝蔵主が遠慮して答えないのを見ると、大「ほう、この秀吉が巡礼になると」 「そうじゃ。それでわらわも案じられての、ここまで迎え 政所は嫁に向き直った。 つ】 0 たち

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それが秀吉に反省と同時にふしな勝負を利休に挑ませ たき、心からでごさりまする」 「フーム。すると茶道には敵も味方もない。そちの言うこる原因になっていった。 ( 憎悪とは、そもそもなんであろうか ? ) とを聞けと申すのか」 「ご採用に成る成らぬは別として、利休は申上げねば済ま ぬ儀と : こ。こし、この場に至って政宗が弁護秀吉が、小癪な奴と利休を憎悪しだしているのだから、 「わかった。申せ ! オオ 利休の胸にもそれはハッキリ反射している筈であった。 は許さぬそ」 にもかかわらず、利休は平然として自分に献策する。し 「上様 ! 私は以前から伊達さまの弁護などは致したこと よ、秀吉自身の考えに符節を合せるように合 かもその献策。 がござりませぬ。伊達政宗、茶道を知る者の眼から見て、 蒲生どのでは押えきれぬ生れつき、ご汕断なきようにと申致していた。 秀吉もすでに、このままでは納まらぬと見てとって、家 したのでござりまする」 康に誰をつけて奥州へ派遣しようかと思案していた矢先き 2 「そ、それで : ・・ : 後を一一一口え ! 」 なのだ。 「このままではあの地の騒ぎがいよいよ大きくなりましょ う。それゆえ、早急に清洲の中納言秀次さま、江戸の大納出来得れば弟の秀長をつけてやりたかった。さすれば江 言家康さまに、ご出陣をお命じなされてはいかがでござり戸移封の直後で多忙をきわめている家康も不平は言い得ま いし、伊達政宗も位攻めにあって手も足も出なかろう。 ましよう。それもただお二方だけのご出陣と触れさせず、 雪消えを待 0 て三月には上様も征伐にはせ下る : : : そう附ところが、その秀長は去年の秋から病床にあ 0 て、いま 、、かに伊達政では本復を危ぶまれるほどの重態なのだ。 け加えてのご両人さまご出陣 : : : さすれば 宗も、裏からの煽動は怖気をふるって差控えようかと存じ ( ーー秀長が行けぬとすれば誰がよいか ? ) それで、まだ言い出しかねているところへ、利休はずば まするが」 りと秀次の名を挙げて来たのである。 秀吉はその時ゾーツと寒気がした。 憎む者と憎まれる者とが、奥州のことではびたりと意見 ( 利休めは、何時の間にか、わしの心を覗いて居る : : : )

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まする」 十二 石田治部少輔の言葉に一揖して、家康は、正面上段に控 こうして秀吉は、二十日に駿府城へ入り、家康は長久保えている秀吉の前にすすんだ。 秀吉は自分で上段の右わきをあけて待った。 の陣屋から改めて城へ赴いて秀吉に対面した。 その日は雨であったし、秀吉の予定は、二十日、二十一 家康はしかし、わざと上段にはのばらすに、浅野長政と 日、二十二日と駿府に三泊して、それから清見寺へ発っこ三好秀次の並んだ少し前まで行って座をしめた。 とになっていた。 秀吉がことごとに戯れてみせている。それだけに家康も すでに富士川には船を並べ、繩手を結んで橋がかけられまたあらがわずに戯れ返してやる気であった。 ている。 問題は、このような場所での細かい動作や面子になく、 家康もまた二十日の夕方城にやって来て、秀吉に挨拶し 小田原落城以後の移封のことにあった。 たのち、翌二十一日は向後の軍評定に費し、二十二日に至 ここで、少しでも秀吉を警戒させたら、それは必ず大き って長久保へ帰ることになっている。 なお返しになってその後の備えにひびいて来よう。 それだけに家康が駈けつけた時の駿府城は、それが、秀仮りに、家康を関東に移しただけではなく、その北の奥 くるわ 州の伊達のほかに、蒲生氏郷あたりを押えに配されたり、 吉の城か家康の城かわからぬように、曲輪の内外は秀吉の 何彼につけてうるささがやり切れまい。 家臣たちでいつば、、、こっこ。 家康は、秀吉が上機嫌で先着していることを聞いて大手そんな計算はしきっている家康だけに、家康は必要以上 門から本丸へ入っていった。 に、みんなの前で秀吉を立ててゆく気であった。 秀吉のために、格別新築はしなかったが、きれいに掃除若し秀吉が、それを奇異に感じたら、これも秀吉の唐冠 されて畳替えをした大広間は、両側に並んだ秀吉の旗下た同様、家康の狂言仕立なのだと笑うつもりであった。 「これはこれは、殿下には遠路おっかれもなくわたらせら ちの軍装の派手さとともに、城主の家康が首を傾げるほど に明るく華やいだものに見えた。 れ、家康、恐悦至極に存じあげまする」 「これはお越しなされませ。殿下にはお待ちかねでござり秀吉は一瞬ポカンとした。見ていた秀次も長政も、眼を ゅう 65

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る」 「では呉々もお躰ご大切に。これでご免を蒙りまする」 そうした答えが聞けたらと田いったのだ。 北政所はまた気軽に立って廊下まで見送った。 家康が秀吉に神経質になっているように、秀吉は内心で そして、家康の姿が見えなくなると、孝蔵主に向ってしは家康を極度に警戒しおそれている。 ここで、若し秀吉の大陸出兵を思いとどまらせることの みじみとした口調で言った。 出来る者があったとしたら、それは日本中で家康ただ一人 「大納言の、言われた言葉はおそろしい」 : と、北政所は見ていたのだ。 「何と仰せられました ? そのような恐ろしいことなど一 そこで、秀次では頼りない。あなたの力が借りたいのだ 向に・ 「尼は気付かなんたか。天下を騒がす者があったら、それと言おうとしたのだが、家康はついにそれを言わせなかっ こそ敵と言われたを : : : 」 「それならばききましたが : : : それが何で恐ろしいのでご そればかりか、九戸政実を討っための出陣中を理由にし ざりまする」 て、秀吉の帰りを待たずに江戸へ引きあげると言い出して しまったのだ。 「もし殿下の後取りに器量がなくば、家来衆が納まるま 納まらずに騒げばみんなの敵 : : : あまりにまことの仰 北政所には、そうした家康の言動から二つの答えが導き せられようゆえ、おそろしいのじゃ」 出せる。 そう言うと、再び座に戻って、ひっそりと肩をおとして その一つは、家康もまた秀吉が、いったんこうと言い出 考え込んた : したら決して、説はまげないと見ていること : もう一つは、家康の心のどこかに、秀吉の失敗を待って 五 いる油断のならぬ打算がひそんでいるのではあるまいかと い、つ」と・ 北政所が案じているのは、湯治から帰ったあとの秀吉の とにかく家康は言葉どおりに、京へ戻ると留守居の前田 出方であった。したがって、若し家康から、 「ーーー大陸出兵の儀は、生命にかけてもお諫め致します利家、毛利輝元に後事を托して、急いで奥州へ向ったとい つ」 0 366