「はい、そのようなことで」 「長政、寧々は、何が気に入らぬのじゃ ? 」 「いかにも秀吉は、他人を愕かせ、他人を奮い立たせるた 不意を突かれて長政は「あっ」と言った。 めに生れて来たのじゃ」 ( 事は済んだ : 「なるほど」 そう思ったのは長政の早合点で、どうやら秀吉は三成に 「百姓の子から天下を取った。それがいま、日本中に戦を 聞かせたくないため、わざわざ答えを装ったものらしい 「お許の顔に、気にかかることがあると書いてある。秀吉無くする根本策を思案中じゃ」 の眼は節穴ではない。何を言われて来たのじゃ」 「これからもし戦があるとすれば三つの場合が考えられ 「はツ、それが、少々・・ : : 」 る。その一つは、誰かが秀吉の命に従わざる時 : : : しカ 「言い憎いことを申したか。嫉妬か因は ? 」 し、これはもはや問題にはならぬ。誰も秀吉の討伐勢に歯 長政はゆっくりと首を振った。 の立つ者はない。さすれば原因は二つにしばられる」 「では、わしのやり方が派手すぎると申すのか」 長政は小首を傾げたままじっと秀吉を見上げていった。 「いいえ、それだけでも : 「ふーむ。すると、何か大名どもの中に気にかかる動きで寧々も彼には想像の出来ない鋭敏さがあったが、秀吉もま た、何を言おうとしているのか、まるきり掴みようのない もあると申すか」 「それが、殿下ばかりへのご不満では無うて、われわれ側飛躍を見せる : 近の無能に対する叱声とも」 「なに、みなの無能に対する : : : 」 おどろ 「よいかの長政」 「はい。殿下のなさることは、一にも二にも人を愕かそう となさることばかり。愕かすより他に能はないのか。それ秀吉は一段と声をおとして、さとすような口調になった。 「二つの原因の、その一つは、島津と大友のような大名ど でお側の者の役目が立つのかと仰せられました」 もの所領争い。これはいつでも戦になり得るからの。もう 秀吉はフフンと鼻の尖で笑った。 一つはあらぬ煽動者のおだてに乗ってする領民どもの一揆 「そのよ、フなことか」 もと
もう一つ、家康の着想には外部的な大きな意味があつりが : : : 」 家康がそこまで言うと、秀吉はまたドスンと家康の肩を ロ」し / 何と言っても関東は源氏の地盤、いまだに家系の中へ、 「同じじゃ。江一尸 ! 」 その恩顧を銘記している荒武者が多い。 それ等をおさえて立つうえに、 四 「ーーー徳川氏は新田源氏ぞ」 大将になるべきものが時を得て、所縁の旧地に君臨する家康はホッとした。 秀吉に自分と違った着想があり、それを強いられること のだという宣伝は、決して小さな影響ではない : そうした着想を持っ家康だけに、 になると、ここでは抗い得なかった。 ここでは特に鎌倉の地 名を警戒して、秀吉にわが構想を悟られまいとするのであ 父祖代々で培った東海の地ならばとにかく、今まで何の つつ ) 0 ゆかりもない関東の地へ乗り込めば、当初は、北条氏の残 「偉い ! 鎌倉はすでに時代遅れじゃ。水軍がこのように党をはじめとし、四方はみな敵と思わねばならなかった。幻 発達してはのう」 その中で、秀吉と争うようなことがあってはそれこそ永 「仰せの通り : ・ : が、さて、それでは何れの地がよいかと遠に秩序は立つまい。 なると、俥々もって決しかねまする」 秀吉は、家康の手腕が関八州を治めるに足らぬと見てと 「フフ : そ、フかの。わしには一つ、ここそと思、フとこ ったら、直ぐさま裏で煽動者に変るであろう。現に佐々成 ろがあるが」 政は、九州の新領で、一揆を理由に取潰されたうえ、自害 してのけている。 「はい。家康にも、全然無くはござりませぬ」 「どこじゃ。それを言いあって見ようではないか」 家康がホッとすると、秀吉はいよいよ上機嫌にはしゃぎ 「はい。京に対する大坂のように」 「さすが大納言 ! 江戸とは見上げたものじゃ。あの地は 「京に対する大坂のように : 「鎌倉に対しては、隅田川、荒川の出口にあたる江戸あた京に対する大坂と全く同じ。絵図で見てよくわかる。陸か あらが
蕉俺は半ばは宗室に聞かせる口調で、 ならば、案がなくもござらぬがの」 「お前さま方で、一足先に関白に会うことじゃ。どうもそ 「それを一つ、お聞かせ下さるまいか」 宗室のあとから義智は、意地も張りも忘れたように蕉庵の後の彼の地の様子が違うようだとゆうての」 「一足先に : : : 様子が違うようじゃと : の前へ両手を突いた。 「このまま宗室どのに報告されては、われわれも小西どの 「いかにも。それゆえ、まだ大軍を送る前に、われ等と小 西摂津どのをお先手にして発進させられたい。そして、わ も破滅は必定 : : : 何とそ、ご思案をお聞かせ下さるよう : この通りでござる」 れ等が無事に上陸出来るか、それとも敵対を受けるか ? その点をはっきりと見きわめた上で事を決されたい。万 一、われ等のご報告と違った結果が現れては申訳が立たぬ 蕉庵は宗義智の態度に苦々しさを感じた。しかし憎む気ゆえ、この儀、是非ともお聞き届けに預りたいとのう」 宗義智は、じっと蕉庵を見つめたまま瞬きもしなかっ にはなれかった。 誰が見ても秀吉の言行には時おり酔後の放言とも受け取た。 小西勢と宗勢とで渡海の瀬踏みをせよというのである。 れる粗大なものがあった。人物のスケールが違うのだと考 えられないこともなかったが、大風呂嗷をひろげ過ぎる性なるほどそうすれば秀吉へのいいわけは立つであろう。し かし先手をつとめる自分たちはどうなろうか : 癖と見られないこともない。 彼が考えても上陸すれば戦になるとわかっている。戦に 小心で善良で、適当に その秀吉に比べたら、宗義智は、 なれば小西や宗だけでは後詰めの来る前に全滅するに違い 小ずるい、ありふれた人間だった。 : 全滅して果てるほどならば、何もわざわざ彼の地 したがって、この程度の器量の人間を、ただに朝鮮を知ない へ行かずとも : ・ : という答えが出る。 っているというだけの理由で使者に差立てた秀吉の不用意 蕉庵は言葉を続けた。 も、責められなければならない気がする。 「おわかりかの宗どの、お前さま方は、これまで関白の言 「宗どの、若し宗室どのに、お前さまたちの顔の立つよう な報告がして貰いたかったらの : : : 」 葉をそのまま先方へ伝えては居らなんだのじゃ」 8
上半身を乗り出すようにして右手をふった。相手が答えら 「いいや、それは慎しみましよう。お二方のご迷惑になっ れない立場にあるのを知っていて、そうしなければいられてはなりませぬ」 ないほど嬉しかったのだ。 「もうおひと方は ? 」 「細川忠興さまと、古田織部正どのじゃ」 「あ、そうじゃ。娘が来て居りましたな。いや、ご好意忝 実際、ここまでこうして見送りに来て呉れるというのは けのうござりまするが、これにはもう充分名残りを惜んで 並大抵の好意ではなかった。秀吉を激怒させ、上使にやっ来ました」 ののし て来た富田、柘植の両人を罵り返した利休なのだ。いや、 「よし、船を出せ」 その他にもう一人、恐らく意地わるく利休を監視している と、信能は部下に言った。底の浅い川船は底を撫でなが 石田治部少輔の眼が光っているに違いないのだ。 らとも綱を解いて動き出した。 ( さすがに細川さまじゃ ! ) まだ見送人は双方とも立ったままで、その距離は次第に これはただに茶道への理解だけで出来得ることではなかひらいてゆく。 った。治部何するものそ ! そうした剛愎な勇気を必要と 利休の眼にじっくりと涙が湧き出したのはタ陽がかげつ幻 することであった。 た時からだった。 乗物は川岸で停った。 お吟は二人をはばかって、船着場の上手の堤をうごかな 依然として二つの人影はタ陽の中へ立ってじっと利休を 。先ずお吟が見えなくなり、やがて細川、古田の二人の 見つめている。 姿も視野から消えた。 利休は静かに渡し板を踏んで屋根船の中に坐るまで、二 こうして利休が堺へ下ってゆくと、その翌日、問題の木 もどりばしはりつけ 人の他に娘のお吟もまた来ていることを忘れていた。 像は聚楽の大門の戻橋で磔に処された。木像の磔という かたじ 「忝けない。何よりのはなむけを頂きました」 のは前代未聞のことなので、その前は身動きならぬほどの 見物人だったが、それと同時に、秀吉は加藤清正を遣わし 「お会いなさるかな ? 」 背を向けたまま、堺まで護送してゆく上杉家の岩井信能て、大徳寺をも取りこわすようにと命じるのだという噂が 立った。 が声をかけた。
を狙って切支丹の衆徒が都にまぎれ込んで来ているというような感じであった。 のも噂 : : : かくべっ真剣に考える必要はなかろうと、乳母 むろんお吟の前には、亡夫の兄の万代屋宗安がつつまし と子供を馬場のはずれの堺衆のたまりに残してお吟はそのく控えている。 秀吉はフンと鼻を鳴らした。 まま松林の中を一周しだした。 どこでも釜音が立ちだして、自慢の名器が佗びを竸って そして、そのまま行き過ぎるのかと思っていると、すぐ また戻って来て二、三歩入った。 せいぜい二畳ほどの席が多く、地葺の茶屋を構えて松笠 お吟はその秀吉の視線を全身に感じた。 や松葉を焚いている風流な地下の者も目に立った。おそら く丁寧に見ていったら、諸大名から公家、大商人と十日間 でも見尽せまい。それをあっさり見てもどった頃には、す秀吉は、お吟を見すえたままで全く別のことを言った。 「宗安、あれが珠光の投げ頭巾じゃな」 でに関白の四つの席では茶事がはじまっていた。 からもの それが終ったのが九ッ半 ( 一時 ) 。それからこの前代未聞 三畳の茶席の壁ぎわに飾った珠光遺愛の唐物の茶入れ、 の催しの主、関白秀吉の一巡がはじまった。秀吉は、みず投げ頭巾の肩衝のことであった。 から茶をふるまった家康はじめ、公卿や大大名を引きつれ「お目にとまって、仕合せに存じまする」 「ふん、珠光ほどの茶人が、あまりの見事さにかむってい て、一つ一つ気軽すぎる笑顔で見ていった。 そして堺衆の構えた一角へやって来ると、お吟の控えてた頭巾を投げた : : : それで投げ頭巾と言うのだそうじゃ いる万代屋宗安の席の前に立ちどまった。 お吟は平伏したまま、しかし、もう、秀吉の身なりはす「はい。 珠光はわれわれにとりまして茶の太祖、その珠光 が、ご臨終のおりに、、 つかり見てとっていた。 こ遺弟の南都興福寺の尊教院宗珠さ 背のあまり高くない秀吉が、紫の頭巾に萠黄の小袖、金まに、わが忌日には円悟の墨蹟をかけ、この投げ頭巾を用 かたぬ いて、手向けの茶とせよと申残されましたよしの品にござ の桐を縫取った赤の肩衣をかけ、綾錦の袴をつけて脇差ば かりの軽装でいるのを見ると、何か玩具の人形を見ているりまする」 もえぎ
今この時ぞ天に投げうつ 説いて下され」 茶屋ははじめ辞退した。 と、認めてあった。 彼はすでに家康の内命をうけて行って断られて来ている からだった。 人生七十の長きを生きて大法を会得することは難かった 「しかしこんどの使いは最後の使い : : このままでは居士が、今や悟りの名剣を揮って明暗両頭を断ちきり、無位の の身の破滅ゆえ、わらわが見かねて口出したと言うてたも」真人に成りおおせたそという、気負い立った気概を示すも のであった。 寧々は秀吉が助ける気なのだとは言えず、どこまでも、 寧々と大政所が秀吉に頼んでやるゆえ案じるなという態に 茶屋四郎次郎はしばらく黙って紙片と利休を交互に眺め 「こうして茶屋が堺の七堂ガ浜に利休を訪れたのは二月二 もはや何を言っても無駄とわかった。利休はついに秀吉 十二日、利休はなぜか渋い表情で茶屋を迎えた。 との対立で、自分の茶の佗びの世界を鮮明に浮き上らせよ 「またやって参りました。こんどは、大政所さま、北の政うと決心してしまっている。 所さまご両所の内意を蒙ってでござりまする」 「わしはただ使いに参りましたものゆえ、この事だけを申 座敷へ通ってそう言うと、利休は、それには返事をせず上げまするが : 「聞くのは辛いが、 一小 . り - 寺しよ、つ」 「お目にかけましようかな。辞世の偈と歌が出来ました」 「北の政所と大政所さまのご両所が、必す殿下にお詫び申 し、取りなしてあげようほどに力を落すなと申されまし 無造作に立って机の上から一枚の紙片をとって来て示し 「お詫びか : : この利休、今更に詫びる気など は毛頭ござりませぬ」 軽く一笑して利休は再び座を立った。 くとっ りきし 人生七十カ囲希咄 わがこのほうけんそぶつぐせつ 吾這宝剣祖仏共殺 ひっ 提さぐる我得具足の一の太刀 300
る」 「では呉々もお躰ご大切に。これでご免を蒙りまする」 そうした答えが聞けたらと田いったのだ。 北政所はまた気軽に立って廊下まで見送った。 家康が秀吉に神経質になっているように、秀吉は内心で そして、家康の姿が見えなくなると、孝蔵主に向ってしは家康を極度に警戒しおそれている。 ここで、若し秀吉の大陸出兵を思いとどまらせることの みじみとした口調で言った。 出来る者があったとしたら、それは日本中で家康ただ一人 「大納言の、言われた言葉はおそろしい」 : と、北政所は見ていたのだ。 「何と仰せられました ? そのような恐ろしいことなど一 そこで、秀次では頼りない。あなたの力が借りたいのだ 向に・ 「尼は気付かなんたか。天下を騒がす者があったら、それと言おうとしたのだが、家康はついにそれを言わせなかっ こそ敵と言われたを : : : 」 「それならばききましたが : : : それが何で恐ろしいのでご そればかりか、九戸政実を討っための出陣中を理由にし ざりまする」 て、秀吉の帰りを待たずに江戸へ引きあげると言い出して しまったのだ。 「もし殿下の後取りに器量がなくば、家来衆が納まるま 納まらずに騒げばみんなの敵 : : : あまりにまことの仰 北政所には、そうした家康の言動から二つの答えが導き せられようゆえ、おそろしいのじゃ」 出せる。 そう言うと、再び座に戻って、ひっそりと肩をおとして その一つは、家康もまた秀吉が、いったんこうと言い出 考え込んた : したら決して、説はまげないと見ていること : もう一つは、家康の心のどこかに、秀吉の失敗を待って 五 いる油断のならぬ打算がひそんでいるのではあるまいかと い、つ」と・ 北政所が案じているのは、湯治から帰ったあとの秀吉の とにかく家康は言葉どおりに、京へ戻ると留守居の前田 出方であった。したがって、若し家康から、 「ーーー大陸出兵の儀は、生命にかけてもお諫め致します利家、毛利輝元に後事を托して、急いで奥州へ向ったとい つ」 0 366
長とも違いイ 言玄にも謙信にも無いものを持っている。む出ず、また出兵の名分も相立たぬ。名分が立たねば狂兵 : ろん秀吉とは対照的な鈍重さと誠実さを感じさせるし、今 : ・狂兵を許してはわれ等僧侶の存在も無価値になる。万一 の日本で家康は眼の放せない人物の随一だった。 のおりの決意は貴僧にもござろうのう」 その家康が、ひどく冴えない苦悩のいろを顔いつばいに存応は呆れて天海を見直した。 見せて戻って来たのだ。 「相変らす単刀直入、鋭いことを言わっしやるの」 「それを言えぬほど、指導力を失うた僧侶ならば、無用の 方丈に通されて茶が出るのを待ちかねて、天海はまたロ を開いた。 長物じゃ」 「存応どのが気付かぬとはおかしい。あの顔いろはただの いかにも」 「菩提寺を預るうえは、大納言への教化力は充分無ければ 旅の疲れではない。旅の途中で、何かご心痛のことに出会 ならぬ筈」 われたのに違いない」 そこまで言って天海はもう一度笑った。 「そうであろうか。とすれば : : : やはりこれは関白殿下の 「ど、つも、わしはモノを一一一口いすぎますかの、つ」 大陸出兵かも知れませぬのう」 「いやいやさにあらず。久しぶりにその鋭鋒にふれたいば 「大陸出兵となったら、大納言さまはどうするとご想像な かりにお呼び申したのじゃ。宜しい。愚僧には愚僧の考え さるかの」 「むすかしいところじゃ。まだ国内は、完全に一つになり もあるが、とにかく早々に一度貴僧、大納言さまに会うて 切っては居らぬからの」 みて下さらぬか」 ・ : 完全に一つになりきって居らぬゆえ、関白殿下「会うて、又モノを言いすぎても苦情は無いか は、内の不平を外に向けて圧倒的に一つにしよう : : : そう そのようなお心の狭いお方ではない。そう 考えているのに違いない。問題はそこでござるて」 じゃ。明日、早速ご城内のご都合を伺うてみるとしよう」 「なるほど : どうやら存応は、もうすっかり家康に魅せられているロ ぶりだった。 「しかし、これは大納言さまとして、賛成出来ることでは 心を一つにして当れば、それて勝てるという答えも 2
て真実の同化ではなかった。 どちらも利休にとっては苦手の人物。それをわざと房に したがって茶の道に絶対を求めてゆく利休と、われこそおいて、秀吉は、彼等もまた秀吉とおなじ不満や怒りを持 絶対と自負する秀吉とは、はげしく廻りながら近づく二つ っているのだぞと見せかけ、利休を威圧するつもりであっ の独楽で、早晩必ず打つかり合わねば済まぬものと見てと っていた。 むろん本気で怒っているのではない。次第に自分と張り しようふく その二つがついに打つかり合う時が来た。 合う利休を、愕ろかせ、磨伏させれば足りる軽い気持であ つつ ) 0 むろん秀吉の方では、利休のような考え方はしていな 「不都合 : : : と、仰せられますると ? 」 ( 寸暇が出来た。ひとっ利休を懲してやれ ) 利休は、生まじめな表情で首をかしげた。 そんな気持だったのだから、この勝負は立向う二人の間 「又、何か、お気にさわることを仕出かしましたので : : : 」 かなり大きな支度の相違があったと言える。 「とばけるなツ」 利休の方は厳しく鎖かたびらを着こんで真剣を磨いてい 秀吉はもう一度威猛高に一喝した。 るのに、秀吉の方は襷もかけず、竹刀一本をとって無造作 「そちは、今もってお吟のことを頬かむりじゃ。お吟の返 に道場へおり立った感があった。 事は何としたぞ」 天正十九年二月十一日 「お吟のこと : : : あれは、ご冗談ではなかったのでござり 奥州のことで不都合のあった木村吉清父子の封の没収をましようか」 命じたあとで、秀吉は利休をわが居間へ呼びつけた。 「なに、冗談 : : : そちはあの節何と申した。お吟が承知す 「利休、こなたは不都合な痴れ者そ ! 」 れば、そちは喜んで差出すと申した筈じゃ」 「上様、あれが、若しお戯れでないとすれば、利休改めて 申上げたい儀がござりまする」 席に居合せているのは石田治部少輔と前田玄以であっ 利休は待ち構えていたように、 「本年は信長公が本能寺にお果てなされてから、足掛け十 ) 0 しな 274
お吟はそっとあたりを見まわした。 と、また彼女の前へ、ポツリと一つの人影が立った。 「お案じなさるな。関白の行手は警戒してあるが、通った あとはご覧の通りじゃ。それゆえ、それがしが警備してい その時ばかりはお吟は、自 5 がとまったような気がした。 まぎれもない今朝の噂の主、高山近大夫 : : : その人たつると思われてもよいほどじゃ」 「右近さま ! 」 たのだ。 「シーツ、その名ははばかりがござりまする。私めはさる 田舎大名に茶事をもって仕える南ノ坊等伯、そうお覚えお き下され」 高山右近はふしぎな身なりをしていた。 「して : : : その南ノ坊さまが、ここへお越しなされました 水いろの出頂頭巾に十徳姿、ひなびた力者の数寄ものと 言ったいで立ちで、ニコリとお吟に笑って見せたが、そのは ? 」 眼は笑っていなかった。 「お願いがござっての。四半刻 ( 三十間分 ) ほど、それが むろん供の者もなければ連れもない。 しのために時をお貸し下さるよう」 それにしても、噂が事実ならば、彼の失踪はもはや都に 「四半刻ほど : 知れわたっていて、みんなが鵜の目鷹の目で探している筈「この茶会の葭垣を出て、東へ二、三丁参ると北へ行く」 であった。 道がござる。その小道の右側に小さな茶店がござればそれ それが、秀吉のすぐあとから、とにかく笑顔をつくってまでお越し願いたい」 「さあ、それは : 入って来たのだから、お吟はわが目を疑わずにいられなか つつ」 0 「幼なじみが生命をかけての頼み、ご承知ありしものとし 「お吟どの」 てお待ち申す」 そう言うと、右近はまた、入って来た時とおなじ唐突さ 「それがしが、ここで頭巾を投げたら、こなたはなんとなですーっと外へ出ていった。 さりまするかな」 お吟が子供たちを一足先に仮寓へ帰して、一人で右近に 6