こちらが心に余裕のある時にはこの上なく面白い駄々ッ 折が折だけに、若い茶々姫との情事は、 子だったが、その相手をしていられない時には持て余す玩 ( またわしにも青春があったそ ! ) 具であった。相手を自分の方へねじ向けなければ承知しな そんな心の弾みを伝える。 い自我の強さをもって立向って来るからだった。 「有楽か、ずっとこれへ」 「茶々がまた、何そ申したのか」 「はい。殿下には何時に変らぬ : : : 」 「はい。聚楽第へお移りの行列には加わりとうない。ご遠 「でもあるまい。変り果てたそわしはもう」 「何を仰せやら、いよいよご血色も宜しく、お目の輝きも慮申したいと、こう言いますので」 秀吉は眉根を寄せて舌打した。 増しましたようで」 「嬉しがらせを申すな。茶々は変りあるまいの。上洛の準「ならぬと言え ! 」 「はい。それはもはや決定しましたことゆえ、ご無理であ 備は終ったか」 ろうと申しましたがきき入れませぬ」 「実は、その事で : ・ : こ きき入れさせなされ。何じゃお 「聞き入れぬではないー 「なに、茶々がことでか、それとも上洛の準備のことでか」 許がついていて」 「その、双方でござりまする」 有楽は、ぐっと胸をそらすようにしておだやかに微笑ん「と、仰せられまするが、殿下もご承知のようにあのお気 性ゆえ、いったん言い出すと有楽の手には負えませぬ」 「それで、わしに何をせよと言わるるのじゃ」 秀吉は何となくひやりとした。 「恐れながら、殿下おみずからお説き伏せ下さりますよ 北政所から心に痛い一針を打ち込まれたあとで、茶々か らまた何か言われるのはやり切れなかった。 」政所はどこまでも「妻の勤め」という説教めいた立場「わしに説けと」 「はい。有楽の手には、なかなかもって負えませぬので」 で押して来たが、茶々の方はその反対だった。 人の心を憎いほどに見抜いていて、感情と感情の隙をね有楽はそう言うと、茶々の気性は知っているではないか : と、いう風に、自分から視線をそらして膝の白扇をも らって子供らしい我儘さの矢を射かける。 0 、」 0 3
ている時も、正気なのか夢の中にあるのかよく見わけがつどうか、ただして下さるお方はありますまいか」 よ、つこ 0 「何の、ご悲嘆にくれておわす折に、そのような浮いたこ とがおたずね出来るものか」 したいこれは、どうした病いなのであろう ? 」 「ほんにああして眠ってばかりおわしたら、やがてお疲れ 「解せぬ。はし、、 カカと思うたがそうでもなし : 今でいう「日本脳炎ー」ようのものだったとも思われなされて躰は持つまいに」 そうした噂の中で、ほんとうに鶴松の脈と呼吸が、乱れ るのだが、当時の名医たちの知識ではどうにも割切りよう のない症状たった。 だしたのは八月三日の夜からだった。 熱も日によって高くなったり引いたりした。 もはや滋味を煎じこんだ薬湯も、幼い者のロは受付けな 審脈、聴声、視手紋、審外証と、当時の小児科の診断法いようになった。 では、あらゆる面からみなの意見を徴してみたのだが、誰秀吉はあれから二度やって来ていながら、三日の夜は又 も彼も首を傾げるばかりであった。 京へ戻ってしまっていた。 すると、城内の女たちの間では又、まことしやかに迷信四日に容態は急変した。 じみた噂が飛び出した。 秀吉のもとへ急使が出されたのは午後であったが、夜に 子供の病気は主として母体の先天性によるものなのだか入っていよいよ悪化、そして幼い者の鼓動が秀吉を待たす ら、鶴松の懐妊中に、茶々が誰かにひどく憎まれていたそに、あやしく乱れてひそと停ったのは五日の退潮時であっ たた の祟りではあるまいか。たとえば、茶々に二世を言い交し た男でもあったのではあるまいかというような : 「ご臨終でござりまする」 それを茶々が裏切って、殿下のお胤を宿してしまった。 曲直瀬玄朔が医師たちを代表して言うと、茶々よりも先 それでその男の執念が取り憑いているのではあるまいか。 に饗庭の局と大蔵の局が声を立てて泣き伏した。 ずほう それならば日本中の諸寺社の修法は的をはずれていること茶々が身を伏せて鳴咽しだしたのは、それから十分間は になろう。 ど経ってからたった。 「誰そそのようなお心当りが、わが君 ( 茶々 ) におわすか看護疲れのせいで、茶々はすぐには悲しみが受取れなか 354
したのではないという意味であろう。姉婿の三好武蔵守一 お吟がまだ幼女だった頃にもたしかにこの街並みにはい つばい人が流れていた。記應から推して、それは信長が入路の子の秀次を正式に嗣子に決めて豊臣姓を名乗らせ、そ 京して来た当時のことであろう。そしてその頃には、母はの上北政所には、北政所の弟、木下家定の五男 ( 後の金吾 利休の妻の宗恩などという茶人臭い女宗匠ではなくて、遊中納言秀秋 ) を正式に養子とするよう申渡したとか言う話 であった。 芸好きな松永久秀の妾であった。 実父の久秀も信長もとうに死んでいる。ところが利休居それ等の話を総合すると、日の本のことは何一つとして 士の養女となった自分はいま、思うてもみなかった万代屋思うままにならないものはない筈の大権力者秀吉が、その 実、いちばん、あちこちと気兼ねして生きている哀れな人 宗全の子の母として北野へ急いでいる。 その頃の人々は、殆んど大半死んだであろうが、この京間のような気もする : 「全く、おかしなものよ人の世は : の街には少しも変らぬような、おなじ老若があふれてい る : もう一度呟いた時に、駕ははげしい反動をうけて停っ この人波は、秀吉が死んでも、利休が死んでも、お吟やた。 「ここからは、もう駕では行けぬぞ。降りて歩め」 その子たちが死んでも、いつも平然として歩きつづけてい 声高に呼ばわっている野太い男の声を耳にして、お吟は るに違いない : 駕わきに履物をそろえさせた。 「挈、、っそ、つ」 と、お吟はロに出して呟いた。 「誰じゃ。どなたの内儀じや女衆は」 その駕わきに声の主は寄って来た。 「関白は、こんど甥御を後継にお決めなさるそうな」 今日の警備を命じられている大将株の武士らしかった。 それも又、グスリと可笑しさを誘う連想だった。 世間に茶々姫が懐妊したとか、北政所が怒ったとかいう 四 噂が立っているので、これも秀吉が噂に対する気兼ねから お吟は駕から出ると相手の前へすすんで一礼した。子供 決めたことかも知れない。 たちゃ乳母も駕をおりて並んでいる。 とにかく、そのようなことで茶々姫を「お傍寝さま」に おいご 6
かされて来たのであろう。しかし、茶々は、そのような手饗庭の局が答えないので幸斎はまた言った。 「こうなれば何も彼も申上げねばなりませぬ。実はこの幸 に乗る女子ではなかった。 斎めはほんの露払い ・ : それがしのあとから、新庄駿河守 蠅取りと蚊やりを持って帰れとは、何という手きびしい しゅんきょ 直頼さまと、稲田清蔵さま、すでに関白の御命令を受けて 峻拒であろうか : 一両日中にこれへお越しなされまする」 「さあて、これは : 「まあ、ご命令を受けて ! 」 幸斎は、饗庭の局を見返って、困じ果てたという顔でま つなぎうま 「はい。それも道中継馬をもって汕断なく送り届けるよう た嘆息した。 まかない 「お使いの面目が立ちませぬ。どちらもごもっともで。幸にと、岡崎にあられる吉川侍従さまなどにも、宿々の賄 から御馳走のことまでお指図があったようすにござります 斎には、申上ぐべき言葉もござりませぬ。お局さま、何と る。それゆえ、もしもその命令をお受け致しかねるという か助け船、助け船 : : : 」 しかし、饗庭の局も笑顔は見せなかった。はじめは、秀ようなことに成りましては、それこそ一大事 ! この幸斎 とうやらそうの首など幾つあっても足らぬ仕儀と相成りまするので : 吉だけが茶々を待っているのかと思ったが、。 ではないらしい 鶴松丸と茶々を引き離すための口実とあれば、うかつな饗庭の局はそっと茶々を見やり、大蔵の局を見やった。 茶々は案外なほど冷静だった。 返事はなし得ない。 或いはこれも、すでに秀吉の胸の中を察しきって、例の 「これ、お局さま、何とか助け船を : : : 」 と、また幸斎がいった。 」を試みているのかも知れない。 「通らぬ我儘 「では、もう道中のお支度も、殿下のご命令で終って居る 五 と言われまするか」 幸斎は悲鳴をあげていると見せかけて、その実茶々が何「それはもう、殿下のあのご気性ゆえ、それに、これが北 : などとお考えなさるのは、少々 処までこのことで強く反抗する肚かを見きわめようとして政所さまのお声がかり : いるのに違いなかった。 的はすれのよ、つに、い得まするが」 176
く、お市の方も信長もみな鶴松丸を守護して呉れる守護霊 になっているとも考えられる : そう考えるようになったのは、やはり茶々が秀吉を許す 女になったせいであろう。しかも、そうなると何時からか 茶々は、鶴松丸のためによい母であらねばならぬという、 幸斎が去ってゆくと、鶴松丸を寝かしつけた饗庭の局 平凡な生き方に集中し、そのために画策する女になってし が、足音を忍ばすようにして奥の寝所から戻って来た。 まっていた。 もうその場に大蔵の局は居らず、幸斎に出した天目だけ 茶々は上機嫌であった。 が取り残されて、西へまわった陽射が窓いつばいに当って いま日本で、いちばん大きな権力の座にある男ーーーそれいた。 を思うままに動かす力を持っている。そう思うだけで、年「旦那さま、ご汕断はなりませぬそ」 齢の差や容貌の美醜などには眼のつぶれる気持であった。 茶々はちらりと局を見ただけで脇息にもたせた躰を動か そうともしなかった。 「のう幸斎、あとの二「ロ、大切なことゆえ忘れまいそ」 「それはもう充分に」 「北政所さまは、並みのお方ではござりませぬ。きっと、 「わらわは、やはり若君第一、殿下は第二となあ」 こなた様へ、小田原へ参って殿下のお身廻りに仕えるよう 「恐れ入りました。或いは、殿下も、同じことを仰せられ : 取澄して、そのような使者を寄こすに違いござりませ るかも知れませぬ」 ぬ」 「と言うと、わらわは若君のおかげで殿下のお側に居られ「それが、どうしたと言いやるのじゃ」 るよ、フに聞えるの、フ」 「嫉妬などはせぬ。が、わらわの方がこなたの上、こなた 「はい。それは : : しかし、言葉のあや、何と仰せられてはお添寝じゃ : も、お呼び寄せなさるのは淀の君さまゆえ」 茶々はチラリと局を見やって微笑した。 「ホホホ : : : こなたも世辞が巧みになった。茶が済んだ 「それでよいではないが。お側へ行くのは北政所では無う ら、ゆっくり今日は休んで戻るがよい」 て、わらわじやほどに」 茶々はそう言うと、眼を細めてしっとりと何か思いふけ る顔になった。 しっと 180
存知か」 にあとで供ぞろいをさせてここに繰込ませるのじゃそう と、一人が寧々の手廻り品を片付けながらもう一人に言な」 そこまで聞いて寧々はわが居間を通りすぎて大政所の居 「ーーーおお知っていますとも。阿茶々さまはまだ正式にお間へ入った。 部屋さまとは決って居らぬ。それゆえお供に加われば、わ胸の中はおだやかではなかった。 れ等同様に扱われよう、それを嫌うて加わらなんだそう茶々姫を京へ召連れる : : : それだけでも不快さは充分だ ったのに、それがこんどは行列に加わらず、あとから別に 「ーーーホホホ、それはうわべのこと、裏があるのじゃそのやってくるというのだから無理もなかった。 」とによ 暫く大政所の許ですごして、話のすんだころに居間に戻 ると、寧々は老女に命じ、有楽が京へ着き次第、寧々のも 「ーー裏がある : : : と、言われると ? 」 とへ来るようにと使いを出させた。 「ーー阿茶々さまは懐妊して居られるそうな」 たね 有楽のやって来たのはそれから一刻半ほどして、新しい 「ーーーまあ ! 殿下のお胤をやどして」 いらかに燦々としてタ陽のきらめきだしたころだった。 と、一一一口、つことにも又、 ~ 袰があるとい、つ話じゃ」 「お召しなそうで、急いでやって参りましたが」 「ーーー・何を一一一口うぞえ、びつくりさせておいて」 「ーーーでも、裏にも裏のある世の中ゆえ、聞いたままをな有楽は鄭重に一礼すると、右わきの壁に描かれた狩野永 くじゃく あ。何でも懐妊している : : : そう言わねば、殿下がお許し徳の孔雀の絵に眼を細めた。 ないゆえ、殿下をだまして行列に加わらなんだという話「ほう、これは見事なものでござりまするなあ。まるで北 政所さまと妍をきそうておいでなさるようで」 「有楽どの」 「ーーーあの阿茶々さまが、殿下をだまして」 し」 いいえ、これは阿茶々さまの智恵ではない。みんな 「妍をきそう生きた孔雀のう」 有楽さまの才覚じゃそうな。有楽さまは、殿下に阿茶々さ まを奪られてひどく口惜しがっておいでなさる。それで別「生きた孔雀 : : が、どこそに居りまするか」 つ ) 0 2
れ」 主人らしい尊大さも加えて来る : 「ホホ : : : そうは参りませぬ。幸斎どのは、この城の空 それを饗庭の局も大蔵の局も、ひどく喜んでいるようだ気、何彼と見て参って殿下にお物語りなさらねばなります まい、ちょっとお目通りを許させられまするよ、つ」 茶々は答えなかった。会いたくないのである。というよ りも会って、いつもと同じ秀吉の、若君を大切に : : : そん 「申上げます」 な伝言を聞くのは煩わしいと思ったのだ。 茶々が鶴松丸の頭上で、しきりに風車をまわしてみせて「旦那さま」 いるところへ、饗庭の局が入って来た。 「何じゃ。まだ居やったのか」 「ただいま、小田原の御陣中から、赤尾幸斎どの、お便り 「こんどはお手紙の他に、何か大切なご用向きもあるご様 を持ち参じてござりまする」 子でござりまする」 「それを、こなた聞いて居るのか」 「とっか」 2 と、茶々は見向きもせずに言った。 「はい。何でも近いうちに、大坂城の北政所さまから、旦 7 那さまに、小田原へ赴いて、殿下のお身廻りの世話をする 「それは大儀、手紙を貰うておいてたもれ」 世間はすでに青葉どきに入ろうとして、この母子の居間ようお話がある筈とか : : : そのおりのご行列の打合せなど 、かい′」、つ から眺められる中庭には、海棠の花がこばれるように咲いもなさりたいご様子なれば、とにかくお目通りをお許し下 き」い・士すよ、つ : ていた。 「よに、北政一町から : ・ : ・ ? ・」 「ホホ : : : 旦那さまの、なんと又あっさりとしたお答えよ 「はい。お指図がある筈と」 う。お手紙だけではござりませぬ」 「饗庭 ! 」 「すると、何かお言伝でもあってか」 不意に茶々は、風車を抛るように投出した。 はじめて茶々は視線を局に移し、 「わらわは殿下ひとりの玩具でたくさんじゃ。北政所のお 「わらわは会うても話もない。こなた聞いておいてたも 指図などは受けとうない。そう申せ幸斎に」 つつ ) 0
「しがし、その折殿下からご内命があったゆえ、若君をと吉なことはやめてたもれ。今はのう、自信をもって争わな 申されたら何と遊ばしまする ? 」 がよい時と割切れる。北政所の仰せにも、殿下の仰せに 「渡してゆきます。心を決めました」 も、唯々として従う茶々 : : : そのような茶々が、時にはあ 「しかし、それは : ってもよいではないか」 「それでよいのじゃ。たとえ一時はお渡ししても、生んだ 「と、仰せられますると、旦那さまには充分ご勝算あって のことと : 母はわらわ : : : それにわらわは政所よりもずっと若い」 もり : 、 「それは、そうでござりまするが、お世継さまゆえ傅役を「おう、思うてよいとも。殿下のお側にゆくのはわらわ 決め、乳母とともに大坂城でお育てするが後日のため : じゃと申した筈」 などと仰せられまいものでもござりますまい」 饗庭の局はロを噤んだ。そう言われると確にそれは何よ 饗庭の局は、もう露骨に北政所を敵と決めた言い方で、 りの強みであった。 低めた声に熱を持たせて行くのであった。 小田原の陣中がどのような所か不安であったが、お添寝 むつ′一と 8 茶々は、頬から微笑を消さず、 さまがお添寝しての睦言ならば、殿下はこっちのこよない 「この勝負はのう、わらわの勝ちじゃ」 人質・ : と、、つつと . り・と一一「ロった。 「案じてたもるな」 ・これだけ 「誰にも予測出来なかった者が生れて来る : と、茶々はまたうっとりと眼を細めて言った。 で、充分自信をもってよ い。この縁の糸はのう、誰にも切「わらわの身辺を狙う者があるやも知れぬと申したいので れる筈はないのじゃ」 あろう。そのような弱い星はわらわの頭上を離れていっ 「それは : : : むろんそうではござりまするが、しかし、幸 た。わらわは強い。案するな」 運の星も時には不運な星に」 饗庭の局は、その自信が不安のもと : 「やめてたもれ ! 」 ホッと大きく吐息した。 茶々は、ちらっと狼狽のいろを見せてさえぎった。 「折角わらわの星が吉相を帯びだして来たというのに、不 : と言いかけて
1 これ、何を見ているのじゃ幸斎。役目が済んでホッとし そして、北政所の寧々にもそれを納得させようとして、 たのか」 ついに従一位を乞い受けた。 : はいツ。わず全身の力が抜けてしまいまして それ等のことが、しかし秀吉の政略や戦略のように着々 : ではこれで私はお暇を」 と成功してゆくものかどうか : ・ : まあよい。幸斎に茶菓を取らせ。それから若君 当の鶴松丸は、いっか饗庭の局の膝へ上半身をもたせて「ホホ : をご寝所へ」 コグリ、コクリと居睡りをはじめている 茶々は晴々と命じておいて、もう一度袖を口へおいて笑 つつ」 0 ( 産れ出て来るものには、何の意志もあろう筈はない。そ鶴松丸を産むまでの茶々は、幸斎と同じようにさまざま ゆすぶ れなのに、その出生がそのまま天下を揺る風波になるやもな想念に悩ませられた。 ( 自分と秀吉の間に子が出来る : : : ) 知れないのだが : : : ) あまり思いがけない出来ごとだけに、妄想は妄想を産ん そう思うと、幸斎には無心な鶴松丸の寝顔が何かひどく でいって果しが無かった。 おそろしいものに見えた。 しかし、それも鶴松丸の育ちにつれて薄紙を剥ぐように この児が産れて来なかったら、この淀の城もなく、茶々 消えていった。人間の考え方の表裏にまつわる不思議であ と寧々の反目も起らずに済んだであろう。いや、それより っこ 0 も更に恐ろしいのは、これが原因で秀吉の腹心が二派に割 はじめは「呪われた出生ーーー」という面へばかり傾いた れてゆきそうな予感であった。 ( やはりこれは、ただごとではない : 想念が、いつの間にかその逆の場合もあり得る筈と頷きだ 小谷の城の落ちる時の長政や久政の死霊が茶々に取り憑したからであった。 今までの茶々の血筋はあまりに不運でありすぎた。それ いていて、鶴松丸を産ませたような気がしてならない。 がいよいよ鶴松丸の出生でがらりと吉相に変る場合もない ( 若しそうしたところに人のカの及ばぬ裁きが隠されてい ことではない。そうなると、久政や長政の霊ばかりでな たとしたら : : : )
」′↑ナ′ 「その、コウサイメか」 「よ、よ、。ロとい、つ、 ( わ臥只い・ 茶々はまだ答えない。 「コレ、ダレ ? ・」 到頭茶々は吹き出した。子供の片言が何で発明でお賢い 鶴松丸がキョトンとした表情で幸斎のくわい頭を指さしのか。茶々にすれば常の子よりも発育が遅れて居りはすま いかと不安になっている鶴松丸たった。 せんだん こよ、こなたの、い遣 「これはこれは、何というお発明な : ・毎檀は双葉より香「ホホホ : : : もうよい幸斎、まだ若君ー ぐわしいとか申しまするが、あつばれご明君のご素質、幸いはわからぬほどに、殿下のお言伝を申すがよい」 斎めの手持無沙汰を一言でお救い下さいました」 「恐れ人りました。殿下は徳川どののご先導にて、緒戦に 堂々と山中の城を落され、箱根峠の先の湯本に陣をおすす 「わが君さま、お言葉を」 めなされてござりまする」 かたわらから饗庭の局が小声で茶々をうながした。 「何もそ、フ : : 」と、幸斎はさえぎって、 「手間どったようじゃな。ご苦戦なされたか」 「これは意外なおたずね。手間どるなどというものではご 「関白さま、表向きのお使いと言うではなし、お気楽にな されませ。私は、ただ若君さまのお笑顔を拝して参り、殿ざりませぬ。相手は松田康成のほかに北条氏勝、間宮康 下にご報告申上ぐれば済むのでござりまする。なあ若君さ俊、朝倉景澄、宇都木兵庫など、一騎当千の勇士を籠らせ て、不落を誇った城でござりまする。それを徳川どのの精 鶴松丸はびくっとして、そっと茶々の膝を手さぐりなが 鋭が、息もっかせすに攻め立てまして : : : 」 ら後すさった。 「殿下は、力攻めをお嫌いなされて湯治がてらの長滞陣 「アレ、ダレ ? 」 : と、お心を決められた由であったのう幸斎どの」 と、饗庭の局が口をはさんだ。 「はい。お父上さまのもとから参りました幸斎めにござり まする」 四 「コウサイか」 「はい、その通りでござりまする。何も殿下ほどのお方 「はいはい、そのコウサイめにて」 つ」 0