西郷吉之助 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第1巻
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1. 西郷隆盛 第1巻

吉之助が黙然としていると、清五郎は脇差をとりあげ、さっと鞘をはらった。 ひじ 俊斎がおろおろして、肱で吉之助の脇腹をつつく。吉之助は叫んだ。 「岩切、待て ! それほどの覚悟 : : : それほどの精神なら、もう責めぬ。何もいわぬ」 いっさいを水に流そう 「僕は君を責めた。だが、殺すつもりではなかった。 は、君の心のほどを僕からよく伝えておく」 「許してくれるのか、西郷 ? 」 「、もう・、 : ああ、それでよし。さあ、俊斎、行こう ! 」 何もいうな ! 肌をおさめてくれ。 立ち去りながら、心に奇妙な後味が残った。かならずしも愉快な後味ではなかった。なんたか割切 れないものが心に残る。 。もうすんだ ) ( だが、これでいし 郷中の青年たちも、吉之助のとりなしで納得した。岩切清五郎が一同の前で改めて謝罪したことに よって、この問題はまったく解決したかのように見えた。 ところが、人々がこの事件を忘れかけたある日、吉井幸輔がだしぬけに吉之助にいった。 「西郷、無参和尚が笑っていたそ ! 」 : 何を ? 」 「和尚が ? 「君が岩切清五郎を切腹させかけたことをさ。馬鹿野郎だといっていたぜ。西郷吉之助というやつは もっとできた男だと思っていたが : : 郷中の諸君に

2. 西郷隆盛 第1巻

「近藤隆左衛門殿は ? 」 「存じません」 吉之助は、何を聞かれても存じませんと答えた。竹内も気がついて、うなずき、 「いや、失礼しました。余計なことをおたずねして : : : 」 といって、あとの二人をうながし、吉之助の導くままに、」 店の街を歩きはじめた。二人は黙々とし てついてくる。吉之助のさげた提灯の光の中で、八つの草履の音がひたひたとひびく。 「西郷 : ・ : と中されたな ? 」 何か思い出したように、竹内がいった。 「はい、西郷吉之助と申します」 「では、税所篤を御存じだろう」 「よく知っております。ーー僕らの仲間の国学者です」 吉之助は思いだした。竹内伴右衛門という名前は、たしかに税所篤から聞いたことがある。平田篤 ま 胤生前の門人。篤胤死後の門人は少くないが、生前直接に教えを受けた門人は今では全国にも数が少当 海 その数少い先輩の一人として、税所篤はいつも竹内のことを敬意をもって語っていた。 章 吉之助は急にこの先輩と話したくなった。 彼もまた税所篤にすすめられて、平田派の書物をときどき開いてみるようになっていた。「古事記」第 や「万葉集」も読むだけは読んだが、まだ国学の精神というものは、茫漠として捕えがたい。 かに教えを乞いたいと思っていた際である。

3. 西郷隆盛 第1巻

録の中にある句だ。無参和尚は道元禅師の遠い弟子である。永平寺高祖の正風を伝承することを念願 として生きとおして来た。 無参もすでに如浄と同じ六十五の齢に達した。われになお不退転の志ありや否や、という自戒を野 菊に向ってもらしているのであろうか ? 庭伝いに、庫裡の方から、吉井幸輔と西郷吉之助が姿をあらわした。幸輔は無参和尚の姿をみとめ しい、小走りに和尚の方に近づいて、うやうやしくお辞儀 ると、手をあげて、吉之助に待っていろと、 をした。 「和尚、とつ。せんですが、西郷吉之助をつれてまいりました。あって下さるでしようか」 和尚は身体を起して、吉之助の立っている方を見た。吉之助は両手で袴の前紐をにぎりしめ、肩を 怒らして和尚をにらみつけていた。 「あの男か ? 」 和尚が馬鹿野郎といったと話したら、かんかんに怒って、ぜひあわせろというのです」 「馬鹿な奴だ ! 」 「つれて来てはいけなかったでしようか ? 」 「こっちに呼 , ぶがいし 。あんなところに、肩を怒らせてつっ立っていては、高麗大とまちがえられる」 幸輔が吉之助をつれて来ると、和尚はさきに立って庭の片隅の大きな平石の前に行き、石を指さし た。石のまわりには歯朶が金色に枯れている。石の面は磨かれて鏡のようになめらかであった。 「掛けるがいし ! 」

4. 西郷隆盛 第1巻

であった。 ( ふうん、あの歩きぶりは、跡を追って来たものとも思えぬ ) 不及が赤山の屋敷について、名前をつげると、すぐに座敷に通されたが、主人は先客と対談してい るところであった。大きな後姿はさっきの若侍である。 「ああ、いや御遠慮には及ばぬ」赤山靱負が引き合せた。「内輪同様のもので、西郷吉之助と申しま す。お見知りおき下さい ・ : 吉之助、こちらはお数寄屋頭山口不及殿」 吉之助はとびさがって、うやうやしく挨拶した。 「お名前はかねてうけたまわっております」 「いや、こちらこそ」不及は礼をかえし、靱負にたずねた。「やはり西郷吉兵衛殿の : : : 」 「そうそう、 いっかお話した下加治屋町の一党で、 : : : 伊地知、吉井、長沼、大久保などの伜 : : : あ の郷中には、親子ともに、奇妙に激派がそろっていて : : : 」靱負は胸をそらして笑いながら、「この とうも ~ 、 吉之助こそ激派の頭目と見当をつけ、すこしはおとなしくなるかと、嫁を世話したのだが、さつばり おとなしくならす : : : 」 「赤山様 ! 」吉之助は膝を正し、「今のお言葉、本気ですか ? 」見ると、顔色が変っている。「私をお となしくさせようと思って、嫁を世話したというのは : 赤山靱負は目で笑いながら、だが、言葉は激しく、 「馬鹿者め ! 一人前だと思っていたが、まだ人の冗談もわからぬのか」 「は↓の」 162

5. 西郷隆盛 第1巻

美しい娘たちであった。小さくかしこまって、奉行一行に酒をつぐ手つきが、どれも可憐で、しかも 不思議になまめかしい。帯の赤さと乳のあたりのふくらみが、吉之助の目を刺す。吉之助は困って、 横を向き、 ( 馬鹿な奴だ ! ) と、自分を叱った。 郡奉行は上機嫌であった。もう相当に酔っているらしく、目のふちを赤くして、庄屋と岩切清五郎 を相手にしてしきりに盃を傾ける。 : 男なら、ぐっとあけて。 「さあ、吉之助、その盃をよこせ。 いやいや、もう一杯ーー駈けっ け三杯だ。お信、西郷様についであげろ」 仕方なく吉之助は盃をさし出したが、お信の顔はなるべく見ないようにして、天井をにらんでいた。 見れば、自分が汚らわしいものになってしまいそうな気がした。 「おい、西郷 ! 」清五郎がいった。「今夜は無礼講だとお奉行が仰せられている。大いに飲もう」 「さっきも、ひどく不機嫌な顔をしていたな。何かあったのか」 「いや、なんでもない」 そのとき、三人の娘が声を合せて、くつくっと笑い出した。吉之助はびつくりして、娘たちの方を見た。 娘たちが笑ったのは、酔った奉行が冗談口をきいたからであった。 「おいおい、笑っているばかりではわからんな」奉行は髭をなぜながら上機嫌でくりかえす。「お前三 たち三人のうち、一番先に嫁に行くのは、どの娘た ? 」 娘たちは下を向いて、くつくっと笑いつづける。 かれん

6. 西郷隆盛 第1巻

春の爛けるころ、西郷家では、二つの縁談が並んですすみはじめた。 いちき 吉之助とお俊、お琴と市来六左衛門 お琴の縁談はまったく思いがけぬ人を介して申込まれた のであったが、これにも吉兵衛夫婦は異議はなかった。市来六左衛門は同じ家中の青年で、家格は低 いが、人柄は着実、家計も内福を伝えられていて、決して悪い相手ではなかった。西郷家の貧しい裏 庭にも、春の恵みはあまねいて、兄と妹の新樹の枝に、つつましくもみごとな花が咲きそめた感じで あった。 幼 まず吉之助の方の日取りが決まった。 章 名望家の赤山靱負がすすんで肝煎りの役を引き受けたのであるから、伊集院家にも異議はなかった。第 ただ、あまりに家柄の高い赤山靱負に仲人に立ってもらったのでは、後に思わぬさしさわりがあっては ならぬという考えから、正式の仲人はべつに立て、五月の黄道吉日をえらんで式をあげることとなった。 「わかってくれたか、礼をいうぞ ! ・ : 僕の気持がわかってくれれば、縁談は無理に強いなくとも ・ : 女を餌に男一匹を釣ったとあっては、赤山靱負の名がすたる。そんな詭計を用いたのでは、 お由良を取巻く奸党どもと異なるところはない。 ・ : 吉之助、嫁をとるのはまだ早いと芯から思って いるのだったら、この縁談はもうすすめないそ ! 」 「イハよ、′ハよ . : 」吉之助は真っ赤になって、吃りながら、両手をついた。「嫁も欲しいと思ってお ります。どうそ : : : 万事 : : : おまかせ致しました。 : よろしく : : : お願いいたします」 きもい

7. 西郷隆盛 第1巻

0 吉之助は肩をそびやかして、明らかに反抗の意 志を示したが、和尚の澄んだ目の光に押されて、 しぶしぶと腰をおろした。吉之助の目を見すえた まま、和尚はいっこ。 「酒に酔って、村娘の手をにぎったという馬鹿な 男はお ~ 間か ? 」 あっけ 吉之助は呆気にとられて、和尚の歯の抜けたロ を見た。 ( この坊主は齢をとりすぎて、耄けているのか ! ) 「和尚、それは違います」幸輔があわてて、吉之 助のために弁解した。「手をにぎったのは、岩切 清五郎です。西郷ではありません」 無参和尚は羅漢のような目で、キラリと幸輔の禅 花 方をにらんだ。 「どっちでも同じことだ ! 」 章 あっけ 四 吉之助は、もう一度、呆気にとられた。 第 ( 無茶なことをいう坊主だ。泥棒と警吏を同じだ という。雪も墨も区別はないのか。馬鹿野郎は、

8. 西郷隆盛 第1巻

「な、なにをいう ! 」 山口不及は危うく腰を浮かしかけた。右手は無意識に畳の上の佩刀の方にのびた。 「吉之助、ひかえろ ! 」靱負が叫んだ。「なんという軽率な : : : 言葉をつつしめ ! 」 冫しー・」 吉之助は両手を膝にかさねて、面を伏せた。 不及はやっと自分をとりかえして、 「赤山殿、あなたも、そのような噂を耳にしましたか」 「噂とは ? 」 「僕が若殿の隠密であるという : 「さあ、それは : 靱負は言葉をにごす。不及はうなずいて、 「いや、実は、そのような噂が立っているから気をつけろと、江戸表からわざわざ手紙で知らせてく れた人があるのです」 「ほほ、つ」 「西郷君までそんな噂を耳にしているとすれば、私も考えなければならない」と、吉之助をふりかえ って、「君の言葉には悪意はなかったと信ずる。誰から聞いたのか、参考のためにうけたまわろう」 「誰から聞いたわけでもありません。 : みんながそういっています」 不及は顔色を変えたが、吉之助はまるでそれに気がっかず、 おもて 164

9. 西郷隆盛 第1巻

「はいはい、貧乏も子宝も、どちらも、あなたのお蔭でございます」 陽気な笑い声が座にみちる。このように一家そろって、膳につくことは、何年ぶりかのような気が する。 「時に、お琴、お前はいくつになったな。 ・ : 十八か十九か・ : : ・」 「はい」 ? 「はいではわからぬ」 「だって、お父さま : ・・ : 」 「はつはつは、お前も立派な娘になった。そろそろ嫁のロのかかって来る頃だ」 吉兵衛はニコニコと笑いながら、わが子の娘々しい姿を眺め、こんどは吉之助の方に向き、 「吉之助、お前はいくつになったな ? 「二十二です」 吉次郎がそばから、 「自分の子供の齢を忘れたのですか、お父さん」 「忘れたわけではないが、 はつはつは、ときどき、たずねてみるのも楽しいものだ。 えば、し 、よいよ一人前た。・ 」ミとうだ、吉之助、嫁をもらわぬか、嫁を ! 」 「ああら ! 」叫んだのはお鷹である。「兄さんがお嫁なんて : : : 」 「おかしくない。長男は家を継ぐ柱だ。長男が身をかためることは、わが西郷家がかたまることだ。 : どうだ、吉之助 ? 」 妻 ・ : 二十二とい幼 九 第

10. 西郷隆盛 第1巻

村野伝之丞の屋敷が、いつの頃からか、正義党の集合所のようになっていることを、吉之助は薄々 ながら知っていた。 思いきって玄関に立ち、大きな声で案内を乞うと、取次ぎの若侍が出て来た。 「西郷吉之助です。ーー・赤山靱負様のお言葉によって参上いたしました」 「ああ、うけたまわっております。どうそこちらへ」 暗い廊下であった。庭をへだてた部屋には、明るい灯が輝いていて、たしかに人の集っている気配 がする。だが、取次ぎの侍は、その方へは案内せず、廊下のはずれの小部屋に吉之助をつれて行き、 たんけい 吉之助は短檠の灯に片頬を照らされながら、掌で額の汗をふいた。 誰かが廊下を通りすぎた。 若々しい後姿は、蔵方目付の吉井七之丞のようであった。吉井七之丞は伝之丞の実弟で、ながく江 戸にいて、斉彬の側近に侍していた。村野伝之丞はもともと吉井家の出で、長兄の吉井七郎右衛門は 屋久島奉行をつとめている。兄弟三人とも、江戸から左遷された組で、即ちこちこちの斉彬派だとに らまれている。 つづいてまた一人、見知らぬ人影が廊下を通った。そばの小部屋に吉之助が坐っているのも気がっ かぬ様子だ。 赤山靱負が姿をあらわしたのは、それから小半刻も待たされた後であった。 「吉之助、さっそく頼みたいことがある」 「しばらく、お待ち下さい」と、そのまま姿を消してしまった。 194