意見 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第10巻
52件見つかりました。

1. 西郷隆盛 第10巻

有志はたたちに藩へ帰り、同志をまとめて、大阪または伏見で久光を待ちうける。有馬新七の一党は 久光の供廻りに加わって上京する。供廻りに加われないものは脱藩して、一挙に参加する、という盟 約が結ばれた。 「つまり、そ ういうことになったのですが」 村田新八は言った。「先生は真木和泉守の意見書は読まれましたか」 「読んた」 「有馬新七、平野国臣氏の意見書もお読みになりましたね。みんな同じことを言っています。つまり、 われわれの意見は完全に一致したわけです」 「豊後の小河一敏氏が、西郷さんは賛成でしようかと、しきりに気にしていましたので、もちろん、 賛成だと答えたら、それで千人力だと大喜びでした」 「何ツ、おれがいっ賛成だと言った。 : : : 新八、おまえはあわて者ではない。だが、考えがたりぬそ」 もくろ 「有馬や平野や真木和泉などの意見は、四年前にわれわれが目論んで、みごとに失敗したのとまった く同じ計画だ。古いというのではなしド、 、。司違っているというのでもない これを実現する実力をとも なわねば、かならず失敗し、無用な犠牲を出す。 : おれの見るところでは、久光公は決して有馬や 平野が思っている方向には動かぬ。動かそうと思う方が無理だ。器がちがう。斉彬公とは器がちがう のだ。 : 動かぬものを動くと言ったら、人をあざむくことになる。他藩の同志をあざむくことにな

2. 西郷隆盛 第10巻

ししどさまのすけ くまわれていた。藩邸留守居役宍戸左馬之介が半ば公然とこの一党を庇護しているところを見ると、 参政の周布政之助や江戸にいる桂小五郎の内諾を得てやっている仕事にちがいない、と森山の報告で あった。 薩摩屋敷の浪士は日に日に人数を増して、今は二十八番長屋に収容しきれないほどである。まず京 都から追われた田中河内介親子、千葉郁太郎、藤本鉄石、清河八郎、安積五郎、伊牟田尚平、久留米 の原道太ほか六名、豊後の小河一敏の一党約二十数名、筑前の平野国臣、秋月の海賀宮門、ほかに名 前は不明だが、肥後藩の有志数名。 土佐藩の動きは目下のところ分明でないが、武市半平太が坂本竜馬、吉村寅太郎などを使って、長 州の久坂玄瑞一派とかたく結び、義挙の準備をすすめている。その他、水戸、越前の浪士、民間の平 田門人の動きも軽視できぬ、と村田新八は報告した。 一見して、まことにさかんな景況であった。これに久光のひきいる千五百の精兵を加えれば、天下 と、そう考えるの のこと将に成らんとすと豪語しても、かならすしも楽観に失するとは言えぬ。 宿 が普通であろう。事実、若い村田新八のみか、分別ざかりの森山新蔵まで、この景況を目の前に見て、 の すっかり昻奮していた。年来の宿望は旬日の後に達成される。いよいよ命の捨甲斐のある日が近づい阪 たのだ、と口に出して言った。 だが、吉之助の考えは、おのすから彼らと異っていた。四年前の吉之助であったら、一も二もなく七 第 村田や森山に同感したであろう。平野国臣、真木和泉、有馬新七の意見に無条件に賛同し、行動を共 にしたにちがいない。何故なら、彼らの意見は二、三の枝葉の点を除けば、四年前の吉之助の意見と まさ

3. 西郷隆盛 第10巻

と、吉之助は答えた。 宍戸左馬之介は伴もつれずに、ふらりと吉之助のかくれ家にやって来た。もう六十に手のとどく齢 頃だというが、でつぶりと肥って、血色のいい、齢よりひとまわり若く見える元気な老人であった。 ほそい糸目が相当な斜視で、それがかえって愛嬌をそえている。態度は重厚で、しかも役人らしい嫌 味はなく、学者で歌人だという評判にそむかぬ気品もそなわっていた。吉之助は一見して、これは信 頼できる人物だと思った。 初対面の挨拶が終ると、余計なことは言わず、宍戸左馬之介はすぐに用件を切り出した。 「実は、薩摩屋敷の諸藩の有志のことじゃが、だ、ぶ集っておられるようだ、元気者ばかりが : 「何か貴藩に対して御迷惑なことでも : : : 」 「いや、決して、決して : : : 今のところ何もない。迷惑や面倒が起るなら、お互いにこれからじゃ。 御存じの通り、わしの手元にも国許から押上って来た若侍数十名と他藩の有志家の若干名を預ってい る。この連中が薩摩屋敷の諸君としきりに往来するので、町奉行の目が光る。奉行の目はべつに怖く 宿 ないが、若い諸君があつまって何を仕出かそうとしているのか、私にはさつばりわからんので困っの 阪 ている」 大 とっぴょうし 「おわかりにならぬのではないでしよう。突拍子もないことをやらかしそうなので困っておられるの 章 七 でしよう」 第 「これは、はっきりと物を申される人じゃ。なるほど、その通りで、今日も実は長井雅楽を斬ると一言 い出して、どうしても聞かぬ。長井雅楽とは私も大いに意見を異にしているが、意見がちがうからと

4. 西郷隆盛 第10巻

の仕方が結論だけを相手に投げつけ、説得ということをしないので、聞く者には、禅問答のように聞 えたり、もっと悪い場合には、勢いにまかせて我をはっているような印象を与える。だが、西郷とい しようとく う男は決してそんな男でない。西郷の無私はほとんど生得のもので、しかもその天来の素質が斉彬、 東湖など天下第一級の人物の薫化をうけて、相当な磨きをかけられている。常に天下の大勢を観し、 大局に着眼して、私心をのぞいた立論を行う心構えだけはできている。ただ、勘と直感にたよりすぎ た意見をはく傾きがないではないが、途中で自分の意見の誤りに気がつけば、いさぎよく撤回して、 あとはさらりとしてこだわらぬだけの度量はある。 しかし、根本態度は、いつも捨て身である。自己を絶している。捨て身で無茶をやるのなら、怖し くないが、鋭い直感と、それに相応する熟慮の結果を、捨て身で実行しようとするのだから怖しい 西郷を深く知らない者の目から見れば、己れに執して、我をはり、横車をおす頑固者に見えかねない。 こんどの場合もそれであった。意見書に書かれていることは決して思いっきではない。主観のみに 執した意見ではない。身を局外において客観すれば、この意見書には恐しい真実が書かれていること がわかる。すべてが事実なのだ。藩論が分裂している事も事実であり、藩内に脱藩突出の一派があり、 このままにしておけば、騒動に及びかねないことも事実である。京都の形勢はたしかに切迫しており、 諸国の志士と浪士は一部の公卿と結んで、いっ変事を起すともかぎらず、久光がそこへ乗り込んで行 けま、、 しやでもその渦中に巻きこまれる。これを乗り切って時局を拾収するためには、薩藩としては三 なお準備不足の点がある。これも事実だ。 西郷なればこそ、これらの事実を赤裸々に言い切れたのである。島の三年間の内省に鍛えられた心 章 第 っ

5. 西郷隆盛 第10巻

と、有馬新七は言った。「わが藩の定法として、他藩の士の滞在をはなはだ好まないので、結局、追 いかえしたのも同様の仕儀に立ち到ってしまった。御同席の諸君も、わざわざ当地まで来られたが、 おそらく城下には入れないのではないかと思う。その点、深くおわびしなければなりません」 「つまり貴藩の御方針は : 温厚な長者のふうのある小河一敏がやや色をなして詰めよった。「このたびの一挙に関しても、絶対 に他藩の者を入れず、その意見を用いないと申されるのだな」 「藩庁の方針はそうなっているが、それは必ずしも、わが党の同志の意志ではない。われわれとして は、おのずからべつの意見を持っているが : 「その意見をおうかがいしたい」 「それはまた、いずれ申上げる折りがござろう」 特に来原と堀という長州人が警戒されていることは明らかであった。小河もそれを察して、ふかく 追求せず、 「われわれ一同も困難をおかしてはるばるここまでたどりついたのであるから、何とかして城下に入 り、同志の意見を知りたい。聞けば西郷吉之助殿も大島から帰っておられるというし、真木和泉守の 安否も気づかわれるから、大兄のお力で、ここのところを何とかしていただきたい」 と言った。 有馬は承知し、一両日中に然るべきお返事を申すと答えて、その日はそのまま鹿児島に引きかえし て行った。 57 第四章密使

6. 西郷隆盛 第10巻

づけられて、若侍の間に伝え読まれている。なおその追伸の中には、 『首を畏れ、尾を恐るる時は、決断でき申さず。とかく断じて死地に入り、無策の出策に御座なく候 ては、実用活策にこれなく、現在用いられ申され候わざらんか』 という浪士精神の精髄ともいうべき一句がある。 吉之助は村田新八の昻奮した報告を一言も発せず聞いていたが、聞き終ると、 「よかろう」 と、ただ一言いった。 「何がよかろうですか」 「いかにも平野らしい意見だ。それはそれでよかろう」 「それはそれでいいでは困ります。あなたは大久保一派の意見と平野、有馬組の意見と、どっちに賛 の 成なのですか。それをはっきり言ってくれないと、われわれ若いものは去就に迷うのです」 「俺が久光公側近連の進発論に反対するのは、それが本物の進発論ではないからだ。権謀と小細工の士 - 上に立っているからだ。平野国臣もそこを見抜いているらしい。他藩の者にさえ見抜かれるような小 ・ : ひとたび兵を京都にすすめたなら、皇権を回復せ二 細工を弄して、何ができると思っているのか。 ずんば、一歩も退かぬ決心がいる。決心だけでは駄目だ。それを裏づける実力を用意しておかねばな らぬ。そのためには、薩摩はまだ実力が不足だ。準備も不足だ。空鉄砲をかついで、お江戸まで大名

7. 西郷隆盛 第10巻

眼が、帰国早々ながら、藩状を一瞥しただけで、欠陥の根元を見抜いてしまったのである。見抜いた ところをそのまま、まっすぐに書いているところは、さすがに西郷だ と、そこまでは大久保にも よくわかる。 だが、何かたりない。西郷にたりない何物かがある、と大久保は感じる。たりないものが何である : はっきりとは一一一一口えぬが、この意見書をこのまま提出しても、久光は決して受人れないだろう。侮 辱され、子供扱いにされたと感じて、ますます怒りを深めるであろう。そこに西郷のたりないところ がある。 : と言っても、提出しないわけには行かぬ。西郷への友情の故ではなく、それに含まれて いる恐しい真実の故に、この意見書はそのまま久光に提出しなければならないのだ。 ( 判断は久光自身にまかせよう。それ以外に道はない ) 目をつぶった気持で、大久保は中山尚之介の手を通じて、吉之助の上書を久光に提出した。 結果は果して大久保の予想通りであった。中山尚之介の話によれば、久光は意見書を一読しただけ で、激怒の色をかくしきれず、「無礼な奴だ。かかる男を、その方らは何の用があって島から召還せと 余にすすめたのか」と言ったそうである。 久光の怒りは大久保にはよくわかった。しかし、それをそのまま西郷に伝えるわけにはゆかぬ 9 「上書の趣きは聞き置くが、参府のことはこれ以上延期するわけにはゆかぬ」 というロ上にして、中山から西郷に伝えさせることにした。 べっ

8. 西郷隆盛 第10巻

新五左衛門がつづけた。 「先生、もう一刻も猶予できないのです。柴山愛次郎と橋ロ壮介の両先輩はもう先発されました」 : どこへ行ったのだ ? 」 「なに、先発 ? 「京都か江戸か、どっちかでしよう。くわしいことは有馬新七先生が御存じです」 村田新八が答えた。「有馬先生はよほどの決心をされている模様です。昨年の暮、筑前の平野国臣氏 が伊集院の駅で、有馬、柴山、橋ロの諸氏とあって大事を議しました。それ以来、藩庁の方針如何に かかわらず、われわれの行くべき道は決定しているのです」 「われわれというと、おまえも有馬の仲間か」 「私も新五左衛門も、西郷信吾も大山巌も、有馬先生と行動を共にする決心です」 新八は断乎と答えて、新五をふりかえる。若い新五左衛門は頬をほてらせて、大きくうなずいた。 「平野国臣の意見というのは何だ。新八、おまえも平野にあったのか」 「昨年の暮は、藩庁の奴らに邪魔されてあえませんでしたが、私は平野氏にはその前に下関の白石家 や肥後の松村家であい、その薩摩潜入を助けたこともあるし、平野氏の精神はよく知っているつもり の : こんどの入薩の事情も、柴山愛次郎先生からくわしく聞きました。私は平野氏の意見に賛士 成です」 「どんな意見だ。聞こう」 第 くにおみ

9. 西郷隆盛 第10巻

「目下のところ両派に分れているというのが正直なところかな」 「それはまた、どうして ? 」 松村深蔵は意外そうな顔色であった。 「両派に分れているといっても、喧嘩をしているわけではない」 有田は笑った。「目下のところ、方策を決しかねているというところだ。尊王攘夷という根本方針は 変らぬが、幕府を強化して尊攘の実を挙げさせるか、それとも一挙に討幕に進むかという点で迷って いる者が、まだいくらかあるという程度だ」 「薩摩の勤皇党も、その点で意見が分れているそうですね。平野氏から聞きました。・ ・ : しかし、佐 冪による攘夷というのは愚論ではありませんか」 「僕もそう思う。佐幕攘夷は要するに藩庁意見、役人意見だ。わが長州藩においても、長井雅楽とい ろうだん う奸物が藩政を壟断し、航海遠略説というごまかし論を唱えて公武の合体を策しているが、彼ごとき : ・ただ、この際としては、わが藩の藩論を統一するため は早晩たたき斬ってしまわねばなるまい にも、薩摩の動向をさぐる必要がある。薩摩が長井流の開国佐幕論なら、わが党はこれと戦わねばな らぬし、討幕攘夷の決心なら、われわれも長州藩内の因循派を急遽一掃し、薩藩の同志と手をにぎり、 回天の大業を共にしなければならぬ」 「よくわかりました。それほどの使命をお持ちなら、一日も早く鹿児島に行かねばなりますまい」 「癶」よ、つ」 「もしも田中藤八とか申す御人が来られる見込みがないのなら、私の方で何とか致しましよう。明日 うた

10. 西郷隆盛 第10巻

「だが、貴藩では西郷吉之助殿が大島から帰られたように聞いたが : 宮部鼎蔵が言った。「西郷殿でも、藩政府をおさえることができないのか」 村田、 「できない。久光公という大物が上にいて、西郷はどこかに追いはらわれてしまった。おい、 西郷のことなら、お前がくわしいはずだ、どこにいるとか言ったな」 いぶすき 「揖宿の温泉で、足痛を療治しています」 むつつりと村田新八は答えた。 小河一敏がたずねた。 「西郷殿は真木和泉守とあって下さったろうか」 「そこまでは知りません。真木和泉守はお使者宿でいろいろと歓待されているようですが、これは態 のいい監禁で : : : 」 と言いかけて、村田新八はロをつぐんだ。 「あったかもしれぬ」 と、横から田中謙助が答えた。 「では、真木和泉守の意見は西郷殿には通じているはずですな」 「たぶん : : : 」 「西郷殿は賛成されたでしようか」 「真木和泉守の意見というのは何ですか」 と、村田新八がたずねた。