江戸 - みる会図書館


検索対象: 西郷隆盛 第10巻
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1. 西郷隆盛 第10巻

江戸大火。 5 ・ 7 松平慶永、幕政参与に任命される 5 ・ 9 竹内保徳ら、ロンドン覚書に調印、同日、オランダのハ ーグに到着、 6 月 5 日、国王ウイレム三世に謁見、将軍の親書 を捧呈 5 ・島津久光、勅使大原重徳を護衛して江戸へ赴く 5 月ロンドン万国博覧 6 ・ 7 島津久光ら、江戸到着、職制、参覲制、軍制、学制などの会 幕政改革をはじめる あまね 6 ・Ⅱ慕府、西周助 ( 周 ) 、津田真一郎 ( 真道 ) 、榎本釜次郎 ( 武揚 ) 、 6 月安南サイゴン条約 赤松大三郎 ( 則良 ) 、林研海、伊東玄伯らにオランダ留学を命令締結 9 月に長崎を出発 6 ・ ? 西郷隆盛、流謫地徳之島に到着 6 ・ % 竹内保徳ら、普国王ウイルヘルム一世に藹見、将軍の親書 捧呈 215

2. 西郷隆盛 第10巻

てさせかねないところはたしかにある男だ。 意見の内容は、久光がすでに小松帯刀から聞いたのと同じであった。上京出兵が準備不足であり、 時期尚早である所以をはばかる色なく述べ立てて、 「さようの次第でありますれば、御参府は恐れながら御延期をお願い致しまする。このように申して はいかがかと存じまするが、江戸及び京都の事情は先公斉彬様の御当時とは、よほどちがっている模 様であります。あなた様は斉彬様とはちがい、江戸の様子は御存じあらせられず、幕閣の諸人物、列 藩の諸侯との御交際もございませぬ故、よほどの準備を整えられた上でなければ、御大策の実行はお ・ほっかないかと考えまする」 なるほど相当な言い方をする奴だ。思い上っているのか、気負い立っているのか、それとも自信を けいりん 裏づける真の経綸を胸中に秘めているのか。どちらにせよ、ここで腹を立てては自分の負けだ。もっ と言いたいことを言わせてみよう、と久光は自分をおさえ、おだやかな口調でたずねた。 「なるほど、余は江戸を知らぬ。だが、余の準備がそれほど不足におまえには思えるか」 「わが藩一個と致しますれば、相当の御準備と拝察致しまする。だが、天下を相手に致すのにはなお 不足であります」 「わが藩が天下を相手にするのだ。わが藩一個の準備が充分なら、それでいいではないか」 「御大策決行のためには、ぜひ大藩の諸侯と御相談なさる必要があります」 「何を相談するのだ」 れんこう 「雄藩連衡の相談であります。雄藩の連合を実現して、然る後に京都に上り、勅諚を奉戴したならば ' ゆえん

3. 西郷隆盛 第10巻

事はかならす成功するでありましようが、わが藩の独力をたのみ、功をいそぎ、勅命を笠に着て、諸 しっし 藩に号令しようなどと考えたら、いたずらに天下の反感と嫉視を買い、事はかならず破れまする」 「また、勅命をいただきましても、ただ幕府に勅使を差し立てられるだけでは実現はおぼっかないと 存じます。あなた様自ら大兵をびぎい、勅使を奉じて江戸に乗り込むことが必要であります。その間 の京都の警備は同論の大藩に全部まかせるだけの度量が要ります。江戸と京都を同時に引受けるだけ の実力はまだわが藩にはありません。無理にやっては、兵を労するだけでなく、天下の反感を買いま す。薩摩一藩が勤皇の功を一手に占むるがごとき疑いを起す行動は極力避けなければなりません」 「京都は他藩にまかせてもよいというのか」 「さようでございます。安心してまかせるだけの準備をしておけばよろしいのであります。あなた様 自らは勅使を警護して江戸に乗り込み、勅使が将軍家に勅諚を下すと同時に登城、勅諚の即行を幕閣 に迫る。これだけの用意と決心がなければ水戸の二の舞いで、幕閣の老獪な遷延策に引っかかり、天 下の物笑いとなるばかりであります」 ( 相当なことを申す、だが、そのくらいの決意が自分にできていないとこの男は見ているのか ) と、久光は思った。 ( 自分の計画は一朝一タのものではない。正しく言えば兄斉彬以来の練りに練 った大策だ。有志家を気取る下士どもの思い上った書生論によって批評さるべきものではない。聞き一 おくだけで結構であろう ) 15 第章寵臣

4. 西郷隆盛 第10巻

の蔵屋敷にも屯集している、土佐屋敷の雲行も怪しい など、淀川尻は西南の諸藩と京都をむす ようしよう ぶ交通の要衝であるだけに、不穏な噂の渦が巻き、しかも渦の中心が薩、長、土三大藩の藩邸であっ たから、町奉行も目下のところ手の下しようがない。 だが、事の実相は噂とは少しちがう。魚屋の一党は薩摩に籍はあったが、実はもう半浪士というべ きであった。江戸の藩邸を無断で脱走して来た柴山愛次郎を中心とする一党であった。橋ロ壮介の顔 も見えた。彼ら両人は伊牟田尚平と共に江戸に潜行し、水田村の密約に従い、同志を糾合して東西呼 応の策を実行しようとしたが、坂下門事件の直後であったために、幕府の警戒が厳重をきわめ、江戸 で事を挙げることは不可能だと見きわめがついたので、一応京都まで引揚げたが、京都の同志田中河 内介、清河八郎の一党も、町奉行の追求をうけて、ほとんど進退に窮していた。 柴山は大阪蔵屋敷の留守居役に彼らの保護を頼んだが、ことわられた。そこへちょうど堀次郎が江 戸から帰って来たので、柴山は彼に談しこんだ。堀次郎は、内心はともかく、表面は柴山らの先輩で あり、同志のふうを装っていたのでことわりかね、またべつに考えるところもあって、田中、清河以 宿 下三十名近い浪士を大阪蔵屋敷附属の二十八番長屋に収容した。柴山はひとまず安堵の胸を撫で下し、 の 自分らは脱走者であるので藩邸に遠慮し、また、いざという場合の行動の自由を保留するために、江阪 大 戸から一緒に来た橋ロ壮介、橋ロ伝蔵、永山弥一郎、弟子丸竜助らをひきいて魚屋に陣取って、有馬 章 新七の到着を待っことにした。 これが実相である。 第

5. 西郷隆盛 第10巻

平野国臣は小河一敏の方にちょっと目くばせした。小河がうなずくのを待って、あらたまった口調で、 「西郷さん、あなたは水田村の会合のことを御存じか」 「水田村 ? ・ : 知りませぬ」 「この二月の朔日に、私たちは久留米水田村の真木和泉殿の幽居で、薩摩の柴山愛次郎、橋ロ壮介の 両士にあいました」 「ああ、そのことなら、大久保からちょっと聞いた : 「いや、大久保君が会議の内容を知るはずはない。私と真木和泉は、大久保君の京都からの帰途を擁 して、真意をただそうとしたが、大久保君は当らずさわらずの返事をして逃げてしまった」 「なるほど」 「あなたの前だが、薩摩人は豪放に見えて、芯のこまかすぎるところがある。さつばりしているよう で、案外な策略家そろいで、なかなか人を信じないところがあるようですな。水田村の会合でも、柴 山、橋ロの両君ははじめはなかなか心中を明かさなかった。ただ、藩主忠義公にかわって久光公が参 府されるというだけで、それ以外のことは何も知らぬという。 本心を吐かせるまでには手間がかかり ました」 「結局、真木氏と私は九州及び長州の同志を糾合して、上京し、田中河内介とり、久光公が大阪に 着かれるのを待って、義兵を挙ける。柴山、橋ロの両君は江戸に出て、水戸及び江戸の有志を料合し、 東西呼応して皇権回復の基を開く。京都において、所司代を斬り、関白を斬るためには、少くとも三 ついたち

6. 西郷隆盛 第10巻

「誰も野心や功名心によって動いている者はありません。日本が空前の危機にのぞんでいるからこそ、 われわれはいっさいを捨てて出撃しなければならないのです。現に、この家の雄助、次左衛門兄弟は しにぎわ 率先して大義に殉じました。雄助の死際もみごとでした。藩論が即時出撃なら、自分も命をながらえ て、いま一度京都へも江戸へも押しの・ほりたいが、出兵延期なら生きていることはできぬ、と言って 腹を切りました。われわれは雄助、次左衛門の志をついで、即時出撃すべきです。ほかに道はありま せん」 「その通りだ」 「えツ、なんですか。先生はやはり出撃論ですか」 「俺は終始一貫、出撃論だ。ただし、雄助、次左衛門の志をついで出撃するためには、今の久光公側 近連の思い上った出兵論をたたきこわさなければならぬ。あれは策士の小細工だ。野心と功名慾が化 けそこねた狐の尻尾のようにぶら下っている。 : : : 有馬新七に言ってやれ、人の小細工が見抜けす、 一人で昻奮しているような奴には回天の大業はできぬそ。そう言ってやれ」 村田新八は新五左衛門と顔を見合わせ、しばらくもじもじしていたが、やがて決心の面持で、 「先生、われわれは今の藩政府とはまったく関係なく出撃する覚悟ですが、それでも先生は反対され ますか」 「新八、おまえは脱藩でもやるつもりか」 「やむを得なければ脱藩です。ぐずぐずしていることはできません。諸藩の有志は、おそらくここ一 カ月以内に京都と江戸に集結し、大事を決行することになっております」

7. 西郷隆盛 第10巻

三月も末に近づいたある日の午後、長州藩邸に連絡に出かけた弟子丸竜助が息をあげて、魚屋に帰 って来た。 「どうした。また猿に追われたか」 と、柴山は言った。猿というのは目明し文吉のことである。安政の大獄以来、島田左近の手先とし て猿のようにこまめに立ち働いて来た文吉が、近ごろまた魚屋のまわりをうろっくようになったので ある。 「ちがいます」 若い弟子丸竜助は怒ったように答えた。 「西郷先生が来られたのです」 柴山は叫んだ。「いつ、大阪に : : : おまえ、あったのか」 「あいません。長藩邸の帰りに、土佐堀の二十八番長屋にまわって、平野国臣さんから聞きました。 平野さんは、下関で先生にあったそうです。大島三右衛門と変名していたが、たしかに西郷先生で、 非常にお元気だったと申しております」 話を聞きつけて、隣の部屋から橋ロ壮介と永山弥一郎も出て来た。 「帰って来られたという噂は江戸でも聞いたが :

8. 西郷隆盛 第10巻

本田は言い、指を折りながら、 「四年 : : : 五年ぶりですな」 「お互いに齢をとり申した」 「いや、あんたは少しも変らぬ。少しは瘠せて帰るかと思っていたが」 話がほぐれた。京都の思い出話やら、島の暮しのことやら、時勢談やら、ひとしきりにぎやかに語 り合った後、吉之助は長井雅楽の上奏文のことを持ち出した。 「そうですな。近衛公あたりに手をまわしたら、写しが手に入るかもしれません」 本田は答えた。「さっそく、京都に人を走らせましよう」 物その上奏文の中に、わが藩の名と堀次郎の名が出ていると、宍戸左馬之介は申したが、事実だろう 力」 「はて、私はまだ読んでいないから、何とも申せぬが : : : しかし、堀次郎なら、三日前からこの屋敷 に逗留しています。直接おたずねになるのが早道でしよう」 「堀が、ここに ? 」 「江戸から帰って来たのです。岩倉具視卿を訪ねたとか申していましたが、つまりここで、久光公を お待ちしているわけでしよう。裏二階におります。おあいになりますか」 「あわすばなるまい」 「呼んでまいりましよう」 「いや、もうそろそろ夕飯の時刻ではないか」 112

9. 西郷隆盛 第10巻

と言って、別室につれて行き「酔わぬ先に、ち よっとこれを見ておいていただきたい」 有馬新七の前で開きかけた水田村の決議文であ った。ほぼ堀の想像した通りの内容であった。兵 を伏見に挙げて、所司代酒井忠義を屠り、九条関 白を斬り、然る後、島津久光を擁して義旗をひる がえし、青蓮院宮の謹慎を解き、参内して、錦旗 の 0 し 節刀を奏請し、同時に江戸において老中安藤対島 し 守を斬り、東西蹶起して王政復古の大業を実現す るという意味のことが記されてあった。 「さっき、村田新八に聞いたが、西郷氏もこの意 見に賛成ということであった」 「本当か。村田は酔っていた」 「君の酔いと同じ酔い方だ」 「そうか。では、さっそく手紙を書こう」 「どこへ ? 」 「土佐の坂本竜馬と武市半平太殿に書く。 河さん、私を信じて下さって、まことにありがた 7 ほふ 65 第四章密使

10. 西郷隆盛 第10巻

西郷があの癖を出しはじめると、いつも事が面倒になる。困ったことだ」 翌朝早く、吉之助は久光への上書を白封に入れて、大久保の家にとどけてきた。一晩中かけて書き 上げたということであった。 「これが僕のぎりぎりの決策だ。これよりほかにもう言うことはない。一応君が読んで、その上で久 光公に提出してもらおう」 そう言い残して帰って行った。上書は次のような内容のものであった。 第一策。ぜひ御参府延期のこと。 幕府へは、参府の準備に取りかかったところ、最近の非常事態により、藩内の動揺はなはだしく、 藩命を無視して突出する者もある状態になっている故、このまま参府しては、藩内に騒動がおこる かもしれぬから、今年の参府は延期し、家老を名代に差出すと届け出で、藩内に対しては、家老と 重役が事態を危んで引止めたから、参府中止と布告すればよい 第二策。しいて参府となれば、汽船天祐丸にて、江戸に直行されたい。 もし、京都に立ち寄ったら、必ず変事がおこるにちがいないが、海路ならその心配はない。たとえ三 京都に変事がおこっても、一部浪士の暴挙にとどまり、その影響をうけることは少かろう。