平野国臣は小河一敏の方にちょっと目くばせした。小河がうなずくのを待って、あらたまった口調で、 「西郷さん、あなたは水田村の会合のことを御存じか」 「水田村 ? ・ : 知りませぬ」 「この二月の朔日に、私たちは久留米水田村の真木和泉殿の幽居で、薩摩の柴山愛次郎、橋ロ壮介の 両士にあいました」 「ああ、そのことなら、大久保からちょっと聞いた : 「いや、大久保君が会議の内容を知るはずはない。私と真木和泉は、大久保君の京都からの帰途を擁 して、真意をただそうとしたが、大久保君は当らずさわらずの返事をして逃げてしまった」 「なるほど」 「あなたの前だが、薩摩人は豪放に見えて、芯のこまかすぎるところがある。さつばりしているよう で、案外な策略家そろいで、なかなか人を信じないところがあるようですな。水田村の会合でも、柴 山、橋ロの両君ははじめはなかなか心中を明かさなかった。ただ、藩主忠義公にかわって久光公が参 府されるというだけで、それ以外のことは何も知らぬという。 本心を吐かせるまでには手間がかかり ました」 「結局、真木氏と私は九州及び長州の同志を糾合して、上京し、田中河内介とり、久光公が大阪に 着かれるのを待って、義兵を挙ける。柴山、橋ロの両君は江戸に出て、水戸及び江戸の有志を料合し、 東西呼応して皇権回復の基を開く。京都において、所司代を斬り、関白を斬るためには、少くとも三 ついたち
「君がこんなに早くつむじを曲げようとは思わなかった。自分としては、全力をあげ、至誠をつくし てに当っているつもりなのだが、それが君にわかってもらえないのは残念だ」 「大久保、おまえは至誠をつくしているかもしれぬが、やっていることは小人の小策ばかりではない か。もっと考えてくれ」 「これ以上、考えることはない」 「おまえらのやっているのは、考えているのではなくて、企んでいるのだ」 「国学者の本で読んだが、考えるはかむがえる、神かえるという意味だ。人間の浅ましい思いを捨て て、神の心にかえるのが即ち考えることだという。 ・ : われわれはもっと、考える修業をしなければ いかんのではないか。考えすにお互いに企らんでばかりいるから、仲間喧嘩になる」 湯 「誠忠組などと自称しているが、どいつもこいつも俗物臭くなって、昔の面影はない。成上り者がわ が世の春に酔っぱらっているのだ。ロで勤皇勤皇というが、勤皇とはどこから始めるのかと問えば、 砂 答えのできる奴は一人もいない。藩内の情勢も知らず、日本の情勢も知らぬ。まして外国の事などは しら こう、もり 検べようともせず、鳥なき里の蝙蝠をきめこみ、勤皇勤皇と威張りかえっているのだから、危くて見五 第 ておれぬ」 「君のいうとおりかもしれぬ」
の仕方が結論だけを相手に投げつけ、説得ということをしないので、聞く者には、禅問答のように聞 えたり、もっと悪い場合には、勢いにまかせて我をはっているような印象を与える。だが、西郷とい しようとく う男は決してそんな男でない。西郷の無私はほとんど生得のもので、しかもその天来の素質が斉彬、 東湖など天下第一級の人物の薫化をうけて、相当な磨きをかけられている。常に天下の大勢を観し、 大局に着眼して、私心をのぞいた立論を行う心構えだけはできている。ただ、勘と直感にたよりすぎ た意見をはく傾きがないではないが、途中で自分の意見の誤りに気がつけば、いさぎよく撤回して、 あとはさらりとしてこだわらぬだけの度量はある。 しかし、根本態度は、いつも捨て身である。自己を絶している。捨て身で無茶をやるのなら、怖し くないが、鋭い直感と、それに相応する熟慮の結果を、捨て身で実行しようとするのだから怖しい 西郷を深く知らない者の目から見れば、己れに執して、我をはり、横車をおす頑固者に見えかねない。 こんどの場合もそれであった。意見書に書かれていることは決して思いっきではない。主観のみに 執した意見ではない。身を局外において客観すれば、この意見書には恐しい真実が書かれていること がわかる。すべてが事実なのだ。藩論が分裂している事も事実であり、藩内に脱藩突出の一派があり、 このままにしておけば、騒動に及びかねないことも事実である。京都の形勢はたしかに切迫しており、 諸国の志士と浪士は一部の公卿と結んで、いっ変事を起すともかぎらず、久光がそこへ乗り込んで行 けま、、 しやでもその渦中に巻きこまれる。これを乗り切って時局を拾収するためには、薩藩としては三 なお準備不足の点がある。これも事実だ。 西郷なればこそ、これらの事実を赤裸々に言い切れたのである。島の三年間の内省に鍛えられた心 章 第 っ
てさせかねないところはたしかにある男だ。 意見の内容は、久光がすでに小松帯刀から聞いたのと同じであった。上京出兵が準備不足であり、 時期尚早である所以をはばかる色なく述べ立てて、 「さようの次第でありますれば、御参府は恐れながら御延期をお願い致しまする。このように申して はいかがかと存じまするが、江戸及び京都の事情は先公斉彬様の御当時とは、よほどちがっている模 様であります。あなた様は斉彬様とはちがい、江戸の様子は御存じあらせられず、幕閣の諸人物、列 藩の諸侯との御交際もございませぬ故、よほどの準備を整えられた上でなければ、御大策の実行はお ・ほっかないかと考えまする」 なるほど相当な言い方をする奴だ。思い上っているのか、気負い立っているのか、それとも自信を けいりん 裏づける真の経綸を胸中に秘めているのか。どちらにせよ、ここで腹を立てては自分の負けだ。もっ と言いたいことを言わせてみよう、と久光は自分をおさえ、おだやかな口調でたずねた。 「なるほど、余は江戸を知らぬ。だが、余の準備がそれほど不足におまえには思えるか」 「わが藩一個と致しますれば、相当の御準備と拝察致しまする。だが、天下を相手に致すのにはなお 不足であります」 「わが藩が天下を相手にするのだ。わが藩一個の準備が充分なら、それでいいではないか」 「御大策決行のためには、ぜひ大藩の諸侯と御相談なさる必要があります」 「何を相談するのだ」 れんこう 「雄藩連衡の相談であります。雄藩の連合を実現して、然る後に京都に上り、勅諚を奉戴したならば ' ゆえん
「いい身体をして、毎日ぶらぶら遊んでばかりで : : : 子供や若い者を相手に相撲の真似などして喜ん でおる」 「そう一一一口えば、ぼつけのような所もある。勝伝の婆も言っていたが」 できぶつ 「それはちがうぞ。遠島人にしてはなかなかの出来物ということじゃ : : : 仲為の旦那がたいへんな肩 の入れようで、息子と甥御を弟子入りさせて字を習わせるという話じゃ。ぼつけが字を教えるはすは オし」 これは本当の話である。仲為は長男の仲祐と親戚の政寿の息子の義志孝を吉之助に附添わせ、炊事 雑用をさせる儚ら、読書を授けてもらうことにした。仲祐は十七、義志孝は十二、どちらも島の名家 の総領息子で、大勢の下女下男にかしずかれる身に、遠島人の炊事雑用をさせようというのだから、 尋常の肩の入れ方ではない。 「ふうん、してみると、やつばり、ぼつけではないのかな」 「ぼつけではない ! 」 すこし離れた木の根を枕に沖の雲を眺めていた筋骨のたくましい若者が、むつくりと身体を起して ' 「その証拠には相撲が強い。わしは、今までこんな強い人を見たことがない」 相撲は吉之助の好物である。月の明るい夜などに、村の四つ辻で若者たちが相撲をとっていると、 どこからともなく現われて来て ' いつまでも飽きずにながめ入っている。 この島の相撲は、大島のとはちがって、最初から四つに組み、倒されただけでは負けにならず、相 手の背中を土におしつけた方が勝ちである。
第六章死地の兵 関門海峡は雨に煙っていた。雨に際立っ潮流の縞を越えて、丸い伝馬船が下関の船着場についた。 まぶか たいひょう 雨合羽にくるまり、饅頭笠を眼深に傾けた大兵の武士が、二十三、四の俊敏そうな若侍を伴につれ て、棧橋に降りた。吉之助と村田新八である。三月十三日に鹿児島をたって、今日二十二日の夜明け 方に下関にたどりついた。途中で、森山新蔵の飛脚便を受取った。諸藩有志の動きが思いのほか切迫 しているから、手間どらずに旅程をすすめられたいという催促状であった。 さんばし 棧橋で小舟を雇い、竹崎の白石屋敷まで漕がせた。屋敷の裏手は海に開いていて、舟を乗入れるこ とができるのを、吉之助も新八も知っていた。 とうえん 吉之助の姿は陸からも目立つらしい。舟が水門に入ると、森山新蔵棠園と白石正一郎が出迎えていの た。吉之助は舟からそのまま「子亭」と名のついた木立の間の茶室に案内された。数年前、月照と二地 人でこもったことのある思い出の深い茶室であった。 ちゃがゆ ちやせん まっちゃ 香りの高い茶粥と正一郎が自ら茶筅をとった抹茶が朝食のかわりになった。 正一郎は数年あわない間に額が抜けあがって、ひどく老けて見えた。 「だいぶ苦労をなされたな」
「もちろんである」 と、平野国臣が答えた。 「それではかえって宸襟を悩まし奉ることにならないでしようか」 と、橋ロ壮介が尋ねると、 「さよう、いよいよ御親征となれば、おそれ多いがいろいろと御苦労の御事が起るかもしれぬ」 国臣は答えた。「ど : 、、 ナカカの承久の乱の際に、北条義時の如き悪逆無道の男さえ、もし上皇の御親征 よろい に遇い奉らば、甲を脱ぎ、弓の絃を切って命を奉ずるよりほかないと言っている。今日においても、 にうれんぎんき 鳳輦錦旗ひとたび動かば、刀に血ぬらずして、天下統一することは疑いない」 「なるほど、お言葉の通りかもしれません」 「これを疑う者は、疑う者の信念の不足だ。信念を失った者が如何なる小策を弄そうとも、ただ幕府 の術中に陥るばかりである」 「よくわかりました。おかげで、目が開きました」 「ここ二、三年の辛抱だ。いよいよ皇権回復と国内統一して、なお余命があったら、僕は朝鮮に渡り、 支那に行こうと思っている。支那の長髪賊は単なる匪賊ではなく、何か確固たる信念の上に立ってい るらしいから、僕は大いに彼らと交会してみたいと思っているのだ」 そう言って、平野国臣は初めて愉快そうに大笑した。 この時の議論の大要をわかりやすく書きとめて、同志に示し、藩論の振興をはかりたいという両人 ばいふくろん の希望によって、今年の正月、平野国臣はこれを手紙にして両人に与えたが、これが『培覆論』と名 ひそく
そんな事情をまったく知らずに、大島に行って、島民の冷たい警戒の目色を見た時には、「毛唐人ど も」と思い、「ハブ根性」と罵ったものだが、今は決して腹を立てる気にはなれぬ。島民は毛唐人でも そばく なければ、ハブ根性でもない。素朴な心を持った素朴な人間である。ハブ根性はかえって開化を誇っ ている内地人の方が持っている。こちらが無害な人間だとわかれば、島民はいつでも胸を開いて迎え てくれる。ただ、わかるまでに時間がかかるだけだ。虚心に待っておればよい そんなことを考えながら、村人たちの姿を眺めるともなく眺めていると、急に彼らの表情が緊張し た。互いに何事かささやきかわすと、ばらばらと立上って、木蔭からとび出し、乾ききった道の埃の 中に、列をつくって土下座した。 はるかに馬蹄の音が聞えた。ふりかえると海岸伝いに隣村の方から馬にまたがった男が近づいて来 るのが見えた。お供らしいのが二、三人、徒歩でつづいていた。 「役人か」 領主ならともかく、たかが代官所の役人のくせに、島民に土下座させるとは ! 吉之助は苦々しさ米・ と を禁ずることができず、顔をそむけて腰の煙草入れを抜取って、火打石を切った。 やっと煙草に火がついた時、近づいて来た馬の上でエヘンと勿体ぶった咳ばらいが聞えた。吉之助茶 章 は煙の中から馬上の役人の顔を眺め、そして、「おやッ ? 」と思った。 五 中原万次郎にちがいなかった。鹿児島の城下にいたころ、師弟の縁を結んだことのある青年であっ十 た。吉之助は思わず片手をあげて、 「おお、万次郎ではないか」 ほこり
吉之助が大久保をふりかえった。 「来ているはずだ。探索掛を命ぜられて、すっと前に阿久根の港から先発した。秘密な役柄だから、 藩邸には顔を出さなかったのかもしれない」 何気なく大久保は答えた。この俊斎が、淀川の夜舟で平野国臣と乗合せたことが、後に吉之助の運 命に重大な影響を及ぼすことになろうとは、平野も知らず、大久保も知らず、吉之助自身も気がっか ノ、刀 / 「一番船が出ます」 と、若侍が知らせて来た。 「平野君、失礼します。私は非常に急いでいる。一番船を待っために徹夜したようなものです。万事 は西郷にまかせてありますから」 挨拶して、大久保は出発して行った。 吉之助は大久保を玄関まで送って行ったが、帰って来ると、畳の上にごろりと横になり、 「平野さんも小河さんも、まあお飲みなさい。われわれは昨夜から飲み続けで、少々くたびれ申した」 と、肱を枕に目をつぶった。 「先生は少しやすませてあげましよう」 村田新八が引取って、「かわりに僕がお相手します。森山さんも本田さんも、お疲れなら、おやすみ 卉」さい」 「いや、私は大丈夫」 130
吉之助は語勢を強め、じっと仲為の顔を見つめて、「私はかならずしも役人の敵ではないが、相手が 極悪非道ときまったら、いつでも敵になってごらんに入れる。代官がどうしても物のわからぬ奴だと わかったら、仲為さん、いつでもあんたと一緒に、砂糖一揆の先頭に立っ決心だ。 ・ : その覚悟をつ けた上で、ひとっゆっくり代官と談合してみようではないか」 〈雲の巻終〉 213 第十五章茶と米